台風一過の晴天。少し汗ばむくらいの暑さを称える秋晴れの下に、人里は数週間後に予定された秋祭りの準備を始めていた。
活発に人妖と物資が混じりあう大通りを、阿求は、軽やかな足取りで自分の家に向かって歩いていた。
(丁度、先生の新作が入っていたのは好都合だったわ)
彼女が抱えている魔法の巻物には、今日もバイオネットの新着情報が納められており、その中には『Surplus R』の作品も当然のように入っていた。
先生というのは『Surplus R』のことを指す。当人との文通の中で、先生と呼ぶのは遠慮してほしいといわれたので、文章上ではRさんとしているが、阿求自身は未だに『Surplus R』を先生と呼び慕っている。
(読み終わったら早速感想を――あいや、まだ先生からの手紙の返事が来てないし、それからでも遅くはないかな。ふふ、楽しみだなぁ)
『Surplus R』との文通は、最近の阿求の大きな楽しみだった。かの人物は阿求が想像していた以上に聡明で、手紙をやりとりするごとに知的興奮と刺激をもたらしてくれる。
(もし可能であれば、実際にお会いして、あわよくば幻想郷縁起の名鑑に記録させてもらえるよう頼んでみましょうか――流石にそれは強権発動かなぁ)
などとつらつら思いながら、人里の大通りを調子良く歩いていく阿求。
そこでふと、目立つ人物が阿求の視界に入った。
鮮やかに輝く金髪と碧眼、どきりとするほど整った可憐な顔立ち、白いケープに青いロングスカートと編み上げブーツ。そして脇に抱えたグリモワールと、周囲を旋回するファンシーな人形。
アリス・マーガトロイドが、阿求の歩いてきた方角とは反対側から、優雅に現れたのだった。
「アリスさん、こんにちは」
「あら、阿求、こんにちは」
二人は挨拶を交わし、道端に寄ってから立ち止まった。
「今日はどうされました? 人形劇は開催されていなかったはずですが」
「それとは別件ね。頼まれことがあったので来たのよ」
そういうアリスは、自分が歩いてきた方角を空いている方の手で指す。その方角に、阿求はすぐにピンときた。
「龍神様の像、ですか。もしや、『彼女』のメンテナンスで?」
「そんなところ。ほら、最近にとりが少し手を加えて、清書サービスを開始したじゃない。あれで無理がたたってないか調べてほしいっていわれたから、チェックしにいったのよ」
龍神様の像といえば、河童が発明した天気予報付きのオブジェクトと、それを納めるほこらのことだ。
そこには、一年ほど前妖怪の山から贈呈された、一体の自動人形が鎮座している。阿求はその進呈式の司会を務めており、印象に残っている。
その自動人形は特徴として自動書記機能を備えており、龍神像が発した天気予報を毎日記録するようになっている。人里では、農業のために昔から天気を記録し続けてきたが、それらは当然すべて手書きであった。
七割という高めの的中率を誇る龍神像の天気予報を、自動で、かつ正確に記録できるようになったのは、人里の農業関係者はもちろん、稗田家としてもありがたいことであった。
そして最近では、バイオネットの魔力文字による一時印刷物に、物理インクを定着させるための清書サービスを受けるようになり、密かに好評を博している。阿求は魔法の巻物があるのでサービスを利用する必要はないが、実際その出来映えは見事なものだった。
「どうです? 稼働時間が増えたわけですが、何かおかしなところはありませんでした?」
「特に問題はなかったわ。ま、半分以上私が動態復元したのだもの。そうそう不調になることもないわ」
「流石、ですね」
アリスは涼しげな顔のまま、さらりといってのけた。阿求は感心するほかない。虚勢や自慢などはかけらもなく、本当に当然のことであると、彼女は宣言しているのだ。
「用事が済んだということは、今日はもうお帰りで?」
「うーん、カフェで少しのんびりしてからでもいいかな、と思っているところ」
「それでしたら、ご一緒しませんか? 私もカフェの新作を味わいたいと思っていたところなんですよ」
「いいわね。それじゃあ早速行きましょう」
「――というわけなんですよぉ。もうひどい話ですよね」
「――噂でしかないんだけど、あの仙人に弟子入りを志願する人の割合って、男性ばかりでなく、独身のうら若い女性が多いって話よ」
「あのいやらしい流し目は、免疫のない方には毒かもしれませんね。私も、三者会談で人となりを理解してなかったら危険だったかもしれません」
カフェの屋外の席で、阿求とアリスは紅茶を燃料に、おしゃべりの花を咲かせていた。
「そういえば、仙人の弟子入りっていうのはよくある話ですが、魔法使いの方はどうなんでしょうか?」
「そうね。その辺は確かに仙人と魔法使いは似ているわ。私はまだまだ修行中だから採っている暇なんてないけど、実際弟子を持つ魔法使いも珍しくはないと思う。魔理沙の奴なんてまさにそうだったわ」
「ああ、そういえば彼女にもお師匠さんがいらしたんでしたね。実はその人、幻想郷縁起に未だ記録できてないんですよ」
「――難しいかもねぇ。神出鬼没加減では鬼を超えているわ」
二人が言及している魔理沙の師匠とは、幻想郷でも知る人ぞ知る謎の存在である。
大魔法使いであり、博麗神社の祟り神と謳われ、かつて異変を起こしたことがある一方で、自ら異変解決に乗り出したことがあるとも言われている。が、その詳細は、阿求はおろか慧音にも上手く把握できていない。スペルカードルール選定前後の記録は、吸血鬼異変の影響で多くは曖昧になっているためだ。
「いやまぁ、面識がなかったり、取材していない人妖を記録しているケースもあるんですが、それはある程度裏がとれているものに限られているんですよ。その点、魔理沙さんのお師匠さんは謎が多すぎて、未解決資料の域から出せなくて……」
「霊夢や魔理沙には聞いたことないの?」
「あまり参考になる話は聞けませんでしたね。お二人も最近は会ってないとか」
もとより幻想郷縁起の人妖の記録は、人々の伝聞を取りまとめ、不確かな情報や迷信を極力排除して、妥当性のある資料に整理するのが基本だ。妖怪への直接取材は、今代から始まったことである。
「ふーん……ところで、逆に言うと、証言が多ければ直接取材していないやつも記録するってことなの?」
「そうなります。実は、最近改訂した幻想郷縁起の記録は、取材できていない方達が結構多いんですよ。たとえば……古明地さとり、とか」
阿求は、畏れを込めてその名を口に、それを聞いたアリスはため息を吐き出すように頷いた。
「確かに……彼女は難しいかもね。心を読まれるのは穏やかじゃないし」
「住んでる場所も問題なんですよ。いかに付き添いがいたとしても、私自身が地底に行くのは流石にきついものがありまして……というわけで、地底の妖怪のいくつかは、伝聞のみで記録を取っています。地底にまで幻想郷縁起の存在が知られていないせいで、当人達が改訂にくることもないですしね」
「まぁ、仕方ないんじゃない? そもそも、連中は地底から出てくることは多くないから、情報の重要度としてはそれほど高くないでしょう」
「そうですね。危険性さえわかれば良いだろうと言うことで、幾分かは妥協しています」
そこで話は一度途切れ、阿求とアリスは、同時に紅茶の残りを干した。
同時にカップをソーサーに置いた阿求とアリスだったが、アリスはカップから手を離すとともに、ふと自らの滑らかな細い顎を撫でた。
「地底……地底ねぇ」
「どうかされましたか?」
「いえね……地底から怨霊が沸いて出たときの事を思い出して……うん……あっ」
「あ?」
「ちょっとね、次にやる人形劇がまだ決まってなくて、どうしようかなっと」
アリスの人形劇は、人里のイベントとしてはもはや定番の一つであり、固定ファンも多い。開催は不定期であり、催されるときは里の掲示板に告知が張り出される。
「次の開催タイミングは今度の秋祭りでしょうかね。去年もやられましたよね?」
「そうね。まだ準備期間はあるんだけど……最近、湖の近くで芝居をやっている芸人の話を聞いて、ちょっと気にかかるのよ。芸の形は違うけれど、もし人里でやられるとしたら、ライバルになるわね」
その話は阿求も耳にしている。紅魔館近くの霧の湖のほとりで、子供妖怪達を相手に紙芝居という演劇を行う謎の男のことだ。極めて怪しい人物だが、子供達には人気者らしく、最近では紅魔館の主人が出向くほどだという。
「そんなわけで、今回はちょっと違う試みをしてみようと思ってたんだけど……まず演目ができてないから、珍しく悩んでいるのよ」
「なるほどー。しかしアリスさんの人形劇は、いつもので既に達人芸ですから、技巧で目新しさを見せるのは難しいかもしれませんね」
「その評価はありがたいけれど、だからこそ難しいのよね」
二人はお互いに口を閉じて、ポットから紅茶のおかわりをそれぞれのカップに注ぐ。既に頼んだ新作のケーキは食べ終えたので、静寂をつなぐのは紅茶だけだ。
「……あ、こういうのはどうでしょう」
「何?」
二杯目の紅茶の渋さを舌で転がしていたところで、阿求はふとした事を思いついた。
「やることはいつもと同じですけど、演目をちょっと変わったものにしてみませんか?」
「何か、当てはあるのかしら」
「はい、こちらとかどうでしょう」
阿求は、脇に置いていた魔法の巻物を、テーブルの紅茶器に引っかからないよう展開する。
「バイオネット、ご存じでしょう? そこにはいくつもの創作作品が投稿されているのですが、その中でおすすめがあるんですよ」
まじまじと巻物を見つめるアリスに、阿求は口早に説明しだした。
「いやぁとにかく素晴らしい作品ばかりでしてねーまず物語に一切の破綻がなく緻密に構成されていましてそれでいて登場人物達の心理描写の巧みさといったらなくてウィットの聞いた台詞回しとかにも痺れちゃいますよほんと――」
「あ、ええ、うん――」
突如として始まった阿求の長口上に、アリスは目を白黒させながら阿求と巻物を交互にみるしかなかった。阿求は解説していくうちにテンションがあがってきたのか、ゆるやかに席を立ち上がり、演説するかの如く朗々と話し続ける。
「――というわけなのですよ。アリスさんも是非お読みになられてはいかがでしょうか?」
「え、えーと、そうね、参考にさせてもらおうかしら」
話がズレた感覚を引きずりながら、アリスはかろうじてそう返答した。
「バイオネットねぇ……そういえば、少しも触れたことがないわ」
「アリスさんの家の近所だと、香霖堂が最寄りの端末になりますか」
「とはいっても、何か用事があるときは相手の場所に直接出向くし、私の実家はまた別の連絡手段があるから、全然使う機会がないのよね」
「使い道は色々ありますよ。宣伝や告知をしたり、新聞みたいに自分のコーナーを開いたり……」
「ま、そうね。せっかくだし、今度の秋祭りの人形劇の告知くらいはしてもいいかしら。それと」
アリスは阿求の巻物の文面を指さして、こう言った。
「まずは、貴方のおすすめをいくつか読んでみて判断しようと思うんだけど、これって、勝手に人形劇の脚本に仕立てあげてしまってもいいものなの?」
「……あ、そうか……」
言われて、阿求は冷静になってはたと気づいた。人形劇はただの朗読劇ではない。構成上、どうやっても話の内容に手を加える必要がでるだろう。幻想郷に著作権の概念は根付いているとはいいがたいが、流石に他者が制作したものを無断で改変するのは仁義に反する。
「その様子だと、特別作者から許可を取っているわけでも、作者が改変を認可しているわけではなさそうね」
「は、はい……執筆者の方はただ単にバイオネット上で作品を公開しているだけで、それ以外はなにも……」
いや、待てよ? 一瞬弱気になった阿求は、しかしすぐさま思い返した。
そうだ、自分は、作者本人と文通しているのだと。
「あ、待ってください。もしかしたら、作者さんにかけ合えば、許可をいただけるかもしれません」
「あら、作者と知り合いなの?」
「直接面識はありませんが、作者の『Surplus R』先生とは、最近手紙をやりとりしているんですよ。まだ秋祭りまで時間もあることですし、今度返信するとき、ダメもとで聞いてみます」
「んー、私としてはそこまでしてもらう必要はないんだけど……乗り気のようだから、とりあえず交渉をお願いしておこうかしら。で、許可が下りたら、その『Surplus R』先生の作品を使わせてもらうことにするわ」
「はい、任せてください!」
「それと、貴方のおすすめで良いから、人形劇にしやすそうな作品をいくつか見繕ってくれないかしら。とりあえず、返信を待っている間を無駄にしないために、実際に読んであたりをつけておきたいわ」
すると阿求は、しめたとばかりに不適な笑みを浮かべた。
「ふっ……それこそ私の出番ってものです。ここ一ヶ月ほど、周囲への喧伝という草の根の活動が少しずつ実を結んで来ているこの私が選ぶ作品、必ずやアリスさんのお眼鏡に叶いましょう」
「断言してるわ、この娘……」
「じゃ、お時間がよろしければ、今から端末にいって出力してきましょう。そして、『彼女』に清書してもらえば、完璧ですね」
「え、いや、おすすめのタイトルだけ教えてもらえれば……これから帰るついでに、香霖堂で見てみようかと思ったから、別にそこまでする必要は……」
「いいええ! バイオネット端末から出力するだけでは、数時間で文字が消えてしまってゆっくり見れないですし! 吟味するにはやはりお家でじっくり読めるほうが絶対良いですよ! さぁ行きましょう!」
「……ああ、うん、もういいわ。任せるから」
アリスは観念した。かねてより、自分は押しの強さに弱いという自覚があったが、今回はその程度では済まない勢いである。
「うふー。それじゃ何がいいかなー。上演時間を考えるとやはり短編が良いと思うんだけど、子供がみるからホラーやサスペンスは回避した方が……これかなー、これかなー?」
アリスのため息に気づくそぶりもなく、阿求は、無邪気に巻物をめくり、次から次に作品タイトルを読み上げていった。
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twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。
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