No.508003

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 22

ありむらさん

続洛陽篇。

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
原作史実とはかなり違っています。キャラもずれているやもしれません。
それでもいいやという方。

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2012-11-14 01:46:16 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:7823   閲覧ユーザー数:6039

【22】

 

 1

 

「襲撃にございます! 賈文和さまのお屋敷が、襲撃を受けておりますゥッ!」

 

 伝令が声を張り上げた。

「――詠ちゃんッ」

 董卓が息を呑む。賈詡は董卓の校尉であったはずだ。董卓の言葉から察するに、賈詡もまたこちらでは女であるらしい。

 その賈詡の屋敷が攻撃されているということは、この夜のうちに董卓陣営を潰しにきたということか。

 ならば、――歴史とは流れが随分違って仕舞っているが――何進暗殺も近いかもしれぬ。

「状況はっ?」

 平静を取り戻した董卓が問う。

「覆面の集団が邸宅を取り囲んでおります。わたくし以下二名が脱出。ひとりは張遼将軍のもとへ。もうひとりは何進さまの元へ参りましたが、劣勢著しく、お味方到着までもつか否か」

 伝令は苦々しく言う。

 苦渋が表情に滲んでいる。

 賈詡は――このような若者の伝令兵にも思われているらしかった。

「伝令、案内しろ」

 虚は身を翻して言う。

「――その」

 伝令は戸惑っている。

「俺の名は虚。えん州が州牧、曹孟徳が軍師。助太刀しよう。賈文和さまのご邸宅へ案内しろ」

 その言葉を

「待て、虚よ」

 劉協が遮る。

「急がねば間に合うものも間に合いませぬ」

「分かっておる。案内はわらわらが務めよう。――わらわを抱えて走れ」

「――お戯れも大概になさりませ、殿下。今から参りますは血腥い殺し合いの場。殿下の御眼に晒すべくにあらぬ場にございます。何より、その御身を白刃に晒すなど、赤子でも致さぬ愚挙の極み。慎まれませ」

「この劉協を相手によう言うた、虚」

「殿下の御身を案ずればこそ。必要であると思慮される言葉は幾らでも吐きましょう。お気に召されぬなら、事が済み次第お好きに処断なさりませ。何があろうと――」

「同行は許さぬと申すか」

「御意」

「虚よ、わらわの眼は節穴ではないぞ」

 劉協は不敵に笑う。

 

「今この洛陽で、最も安全なのはそなたの傍らであろう」

 

「何を」

「誤魔化すでないわ。恋は確かに敵なしだが、あれは守りというより攻めに向いておるからの。武勇知略機転兼ね備える闘う軍師虚。万の敵に無手で挑むその豪胆、わらわも聴いて知っておる。護衛にそなたほどの適任はおるまい。虚、今宵、まだこの洛陽が落ち着いたとは言えぬじゃろう。わらわがここに残ったとてこの身が安全とは限らぬ」

「どうしてここに残られます。殿下は」

「本城へ戻れと申すか。今回の騒動が誰の手によるものか考えてもそう申すか」

「十常侍は――それほど深く食い込んでおりますか」

 問うと劉協は渋く笑った。

「うむ」

「十常侍は――劉弁様。殿下の姉君の擁立を狙っている。此度の襲撃は相国さまのもとに殿下がおわすと分かった上のものであったと」

「――姉上の事情まで知っておるとは。そなた、食えぬ男よ」

 虚は礼をとる。

「まあ、そういうことじゃ。虚よ。そなたがこの場を離れたのち、わらわと月に何かあったらば、そなたどうする」

「殿下――それは相国さまもつれよと、そう仰せにございますか」

「当然じゃ。月は、詠――賈詡の心の友。安否は気になろう」

 虚は董卓を見る。

 董卓は強く頷いた。

「お邪魔でなければ、お連れ下さい」

 虚は淡く笑った。

「邪魔も手間もございません。今から私がなしに参りますは、足先でごみを払うがごときこと。お二方の御眼にゴミ掃除の様を晒すは、心苦しく思いましたゆえお断り申しましたが、それでも良いと仰せであれば、不肖この虚。おふたりを戦場へお連れいたしましょう。そして、おふたりに血しずくひとつつけず、戻って見せましょう」

「よう言うた! よし、虚、だっこせい」

「――は?」

「何を呆けておる。そなたがわらわたちを抱えて走った方が速いじゃろうが。そなたがぐちぐちいうゆえ、時間を喰ってしまったがの」

 ぐちぐち言い始めたのはそっちだと思ったが、勿論文句などいわない。

「しかしながら殿下。私のようなものがその御身に触れるなど」

「よい。そなた――」

 

「天から舞い降りたのじゃろう」

 

「そう気にするでないわ。ほれ早うせい」

 そう言って劉協は虚の手を取った。小さい彼女の手は、温かかった。

「ほれ、だっこじゃ。だっこじゃ虚。はよう」

「――御意」

 向こうから触られてしまっては仕方がない。虚は渋々劉協を抱き上げた。

「ふふ。わらわを抱いた男は、陛下の他はそなただけじゃ」

「……光栄の極み」

「うむ。こうして抱かれてみるとそなた、逞しいのう。軍師の身体とは思えぬ」

 そう言いながら、劉協は虚の身体をもみもみする。

「ほれ、月。そなたもはようせんか」

「は、はい」

 劉協に言われ、董卓はおずおずと前に出る。

「や、優しくしてください……ね?」

 何と云うことを口走るのだ、この相国は。

「……御意」

 虚はぐっと董卓を抱え上げる。

「へぅ……」

「ほれ、月。そなたも触ってみよ。虚の胸はむきむきじゃ」

「わ、わたしは結構ですぅ……へぅぅ」

 初心な相国と、物おじしない未来の献帝に呆れながら、虚は一際大きく跳躍し、夜の洛陽へ飛び立った。

 

 

 

「も、もう持ちませぬ! 賈詡様! お逃げください!」

 若い兵士が声を上げる。

「初めから、完全に包囲されているわ。逃げようがない」

「我々が固め、強行突破いたします! 賈詡様だけでも! どうか、どうか!」

 若い兵士は伏して懇願する。

 しかし、無駄なのだ。

 詠は、軍師である。

 状況はこの場の誰よりも読めている。読み切っている。

 兵士たちが特攻したところで、無駄死にになるだけだ。

 ここで打つことの出来る最善の一手は――。

「あんたたちは投降なさい。ボクのことはいいから」

「な、何を仰せか!」

 投降こそが最善の一手なのである。

 詠とて、諦めたくはない。

 月と共に、朝廷のゴミどもを掃除し、洛陽の民に、そして大陸の民に安寧と平穏を齎す。

 そして何より、月自身を守りぬく。

 その道をどうして諦められようか。

 諦めたくなどない。

 こんなところで、十常侍などという愚物どもに潰されてなるものか。

 そんな思いは当然ある。

 しかしながら、軍師としての自分が言うのだ。

 状況は絶望的であると。若い兵士たちをこのようなところで死なせてはならぬと。彼らにも家族がいる。その家族を悲しませてはならぬ。賈文和の首ひとつで事が済むなら、それでいいではないか、と。

「う、裏門が破られそうだッ! 応援に来てくれ!」

 中年の兵士が転がり込んでくる。

 若い兵士が強く頷く。

「賈詡様、諦めなさいますな。必ずや我らが不届き者どもを撃退してみせます!」

 詠が止める間もなく、若者たちは部屋から駆け出していく。

 けれども。

「正門が破られたぞッ!!」

 そんな声が遠く響く。

「これまで、みたいね」

 詠は力なく立ち上がる。

 敵と対峙するために。

 賈文和として恥じることのない死を迎えるために。

 剣など満足に振れぬ。

 だから、小枝のような小剣を抜く。

「ボクは、賈文和。相国董仲穎の軍師。状況ここに至り勝機なし。ならば、敵に向ける背などないッ!」

 再起の伝手があるなら、撤退もやむを得まい。

 軍師として当然の選択肢である。

 けれども、撤退の道は閉ざされた。

 後退は出来ぬ。

 ならば――前進あるのみ。

 騒がしい足音が響き、覆面の集団が駆け込んでくる。

「董仲穎の校尉、賈文和と見受ける」

「そうよ。いかにもボクが賈文和」

「その命、貰い受ける」

 覆面たちが剣を抜く。碌な問答もない。後は彼らの用事が済んで仕舞い、なのだろう。

 戦闘の覆面が迫る。

 剣を一閃する。

 詠はそれを小剣で受けたが、重い一撃は小剣を軽々と砕き、詠を壁まで跳ね飛ばした。

「ぐ――」

 無様な呻き声が出る。  

 情けない。

 本当にこれまでのようだ。

 最後に案じるのは、月の身の安全だった。

 自分のもとに襲撃があったのだ。月の身に何もないと何故言い切れよう。本当なら、今すぐ駆けつけたい。月をだれよりも守りたい。

 けれど、それは出来そうになかった。

「ごめんね、月」

 呟くように言った。

 覆面は無感情に再び剣を振り被った。

 鋭い銀の一閃が詠に迫る。

 そして――。

 

「諦めないでッ!! 詠ちゃんッ!!」

 

 鋭い金属音が響く。

 その声に、詠が目を開く。覆面の剣が停止している。

 それを止めているのは――美しい意匠の施された細剣。

 たなびく銀髪。

 儚げな横顔。

「ゆ、月ッ!」

 詠が驚愕する。そんな詠の前に、月は庇うように立ちふさがった。

「私は董仲穎。相国の名において命じます。下がりなさい」

「相国自ら出向いてくるとは僥倖」

 覆面は無感情に言う。

「下がらぬと申しますか」

「是非もなし」 

 剣が振り被られる。

 月が細剣を構える。しかし、あれは本来戦闘用のものではない。相国が腰に佩く装飾品だ。

 次の一撃で折れてしまうに違いない。

「逃げて、月!」

 しかし、月は頑として動こうとしない。

 このままでは月が。

 誰よりも守りたかった月が。

 死んで――。

 

「まったく、お転婆な相国さまだぜ」

 

 艶っぽい男の声だった。

 次の瞬間、詠と月の身体が宙に浮く。

 抱かれている。

 黒い衣を身に纏った、若い男だった。

 覆面の剣は、虚しく空を切る。

「へぅ……虚殿」

「相国さま。私でも十二分に間に合いましてございます。無茶は感心しません」

「ご、ごめんなさい」

 男の腕の中で、月が小さくなっている。

 黒い男は床に月と詠を下ろした。

 が――彼はもうひとり抱えている。というより、首にぶら下げている。

「無事だったようじゃの、詠」

「え、あ、きょ、協――」

 さま、と言いさしたところで、劉協に制される。

 黒い男はそっと、劉協も床に下ろした。劉協はどこか不満そうにしながら、降り立つ。

「何やつ」

 覆面が問う。

「気にするな。すぐに何も分からなくなる。覚えておけぬ名を聞いたところで、詮ないことだ」

 瞬間。

 黒い男の姿が消え。

 そして。

 八人の刺客はすべて、醜く弾け飛んだ。

 

 ※

 

「詠ッ!! 大丈夫か!!」

 咆哮一声、長大な戦斧を担いだ麗人が、部屋になだれ込んでくる。

「華雄! あんた」

 ――華雄。あれが華雄将軍か。華雄まで女だとはな。

 そんなことを思いながら、虚は入室してきた華雄に向き直る。彼女の戦斧を見れば、彼女が何をしてきたのか、それは瞭然だった。得物は血にまみれている。

「裏門は粗方始末した。――む、貴様、何者だ」

 華雄は虚を見て目をすがめる。

「お初にお目にかかります、華雄将軍。我が名は虚。仔細あって助太刀に参りました」

「おお! 陳留の、張角を討ち取ったあの虚か! 噂は聞いているぞ。五万、六万に上ろうかという黄巾兵にたった千騎で突撃したそうだな! はっは! 気が合いそうだ!」

 ――こいつ……猪武者か。

 胸中で呆れながら、虚は礼をとる。

「そう固くなるな、私は月と違って大層な地位にあるわけでもない。気楽にしてくれ、敬語も礼もいらん! まどろっこしくていかんわ。――それよりだ。我が友、賈文和の命を救ってくれたこと、感謝する」

「それこそ礼には及ばない。通りすがりにゴミを払っただけのことだ」

「あっはっは! それはよい」

 虚は眸に真剣な光を宿す。

「華雄、裏門の状況は」

「うむ。八十ほどいたが叩き潰してきた。だが、援勢を呼ばれたようだ。じきに次が来るだろう」

「表門に同様の規模がいたとして、援勢も――。元々三百ほど用意していたらしい」

「ふむ――では」

「ああ。華雄は裏門。俺は正門だな。いつまでもこの部屋に留まっていては応戦しているこちらの兵に被害が出るばかりだ」

「そうだな。若い兵が多い。無駄死にさせる訳にもいくまい」

 虚は振り返って劉協を見る。

「どうでしょう、殿下」

 その声に驚いたのは華雄だった。

「で、殿下! いっらしゃるのでしたら――」

「よい、華雄。このような時じゃ。虚、そなたの思うようにせよ。敵を逃がすでない」

「御意」

 虚は華雄と頷きあい、そしてそれぞれの持ち場へ駆けだした。

 直後。

「虚殿」

 董卓の澄んだ声に、虚は振り返る。

 董卓は虚に歩み寄り、自らの絹の肩掛けを外すと、つ、と背伸びをしてそれを虚の首に巻いた。

「御武運を――」

 目を細めて笑う董卓に、虚は自信に満ちた笑みを返して、今度こそその場を後にした。

 

 だから、そのあと董卓が囁くように口にした一言を、聞き取ることはなかった。 

 

 

「な――に?」

 虚は驚愕の声を上げる。

 そこに――正門周辺に、生者の影はなかった。敵も味方も隔てなく、全てが死に果て、無残に地に転がっている。

 否。

 ひとりだけ。

 ひとりだけが、生きて立っている。

 圧倒的な闘気を放っている。

 雷光思わせる闘気の主は、虚の気配を察したのか悠然とこちらに振り返った。

 

「ワレか。こないなことしくさったんは」

 

 月光に煌めく偃月刀を握る羽織の女は、一層その闘気を激しくする。

 まさに、雷撃の如し。

 昼間に会った赤髪刺青の女。

 今しがた出会った、華雄。

 そしてこの女。

 洛陽には化け物ばかりだ。虚は己のことを棚に上げてそんなことを思う。

「俺ではない」

「フカシこきなや。ワレはただもんやない。ひと目で分かる。こんだけのこと出来んのは、この場でワレかウチくらいや。ウチやないんやったら、ワレしかおらんやろ」

 それにな。

 と、女はその闘気を更に増幅させる。雷撃で肌を焼かれるようだ。

「その首に巻いとんのは月の――相国董卓のもんやッ!! ワレ、月を、月を殺りよったなッ!! そらなんや、首級の代わりのつもりかい!!」

「これは相国董仲穎さま直々に掛けて戴いたもの。相国さまは御無事であられる」

「嘘言うなッ! それは月の親の形見やッ! 誰にも触らせへんもんや。それを男のワレに掛けるわけないやろ! それともワレ、月の男やとでも言うんかい!」

「――まさか」

「ヌケヌケと気ぃの入らん返答ばっかりしよってからに。もうええ、ワレが何ぞくだらんこと抜かしよっても、この張文遠からは逃げられへん。覚悟しぃッ!!」

 虚は瞠目する。

 ――張、文遠だと? くそったれ、何てめぐりあわせだ。

 董卓。

 劉協。

 賈詡。

 華雄。

 そして、張遼。

 笑い出したくなるような一団である。これだけで国が作れるのではないか。

 ――ふざけろ、畜生め。

 張文遠は怒り心頭と言った調子である。恐らく、董卓や賈詡と親しくしているのだろう。そして、どうやら虚は今回の襲撃事件の下手人と誤解されているらしかった。

 その証左となっているのが、この肩掛けであるらしい。これが誰にも触れさせぬ親の形見であるというのなら、虚が奪ったものであると思われても仕方のないことであるらしい。

 何より、顔色の悪い黒衣の男が、両手を血に染めて屋敷から出て来たのだ。

 ――今の俺は怪しすぎるだろ。常識的に考えて。

 張遼が低く構える。

「待たれよ、張遼将軍。あなたと戦う気は」

「ないっちゅうんかい。ほな、そのまま突っ立って斬られい。すぐ済むわ」

 ――聞く耳持たずか。

「行くで、冥途の土産に見したるわ。張文遠の神速の舞ッ!!」 

 

 瞬間、偃月刀の切っ先が眼前にあった。

 

「――ッ!!」

 咄嗟に虚は回避する。頬が微かに切れる。

「今の躱すか。でもなァ、絶対に許さへん。逃がさへん。ウチの大事な人奪ったワレだけはなァ!!」

 すかさず横薙ぎが迫る。

 虚は素早く後ろへ跳び、回避する。

 だが、張遼は既に頭上。

 振り下ろしの一閃。

「もうろうたでッ!!」

 回避は間に合わぬ。

 ならば。

 虚は両の拳を握り、跳躍する。

 真正面から、打ち合うのみ。

 空中で相対するふたり。

「不本意だが、致し方なし。お恨みめさるな、張遼将軍」

「ぬかせッ」

「是非もなし――いくぞッ!!」

 刹那。

 地が割れたかと疑うような轟音が響く。

 虚が剛撃を連打する。目にも止まらぬ連撃が、張遼を襲う。襲う、襲う。

 しかし、張遼は受ける。

 総て見切り、偃月刀の柄で受けきる。

 重々しい音が、月夜に響き渡る。

「流石は、神速の張文遠」

「喧しわいッ!」

 受けの遠心力を利用し、張遼が横の一閃を放つ。

 しかしその刃が届く前に、虚は彼女の脇腹を蹴り飛ばし、地へ落とした。

 辛うじて、張遼は受け身を取る。

「やるやないか」

「終わりにしましょう。私は――」

「言い訳も、身の上話もいらんわ。ウチらに必要なんは――これだけやろがッ!!」

 張遼は一直線に飛び込んでくる。

 それに虚も応戦する。

 小さく沈み込み、張遼の懐へ跳び込むと、彼女の顎を狙う。

「読んどるわいッ!」 

 瞬間、眼下に殺気を感じる。

 張遼の膝が迫っている。

 虚は咄嗟に腕を交差し、それを受ける。だが、猛烈な衝撃が、虚を宙へ跳ね上げた。

「馬鹿力めっ――」

「今度こそ、逃がさへん――串刺しやッ!!」

 張遼が飛ぶ。

 偃月刀を突き出して、宙に舞う虚を貫かんと窮迫する。

「仕方がない」

 虚は態勢を整える。

 頭を下に、脚を上に――そして。

 

 空宙を蹴って、張遼に突撃する。

 

 張遼が瞠目する。

 虚は身を捻って彼女の突きを交わすと、張遼の胸倉を掴み、思い切り投げ落とした。

 轟音を立てて張遼が墜落する。

 虚が着地する。

「強いなあ、ワレ。ほんまに強い。そんだけ強いのに、なんでその力を外道のためにつこうたんや」

 なんであの子を殺してしもうたんや――張遼は怨嗟を噛み締めるように言う。

「だから、相国さまは」

「まだ言うかッ! その肩掛けが何よりの証拠やというとるやないか! けったくそ悪いわ。死にさらせッ!!」

 一際強く、張遼が地面を蹴り付ける。

 虚を切り捨てんと迫る。

 あの一閃を受ければ、虚の身体は真っ二つになろう。

 だが、虚は動かなかった。

 ただ額に手を当てて、嘆息するばかりである。

『彼女』の到来を、察知していたから。

 

 硬い、金属音が鳴り響いた。

 張遼の偃月刀が停止している。

 それを止めているのは、覇王の証――絶。

 

「そこまでよ、張遼将軍。さがりなさい」

 

 跳び込んできた覇王――曹孟徳は絶対的な神気を放ち、張遼を威圧する。

「あんた、昼間の――。曹操、どういうつもりや」

 昼間に何があったのかは知らないが、どうやら二人は顔見知りらしい。

「私の可愛い従僕に手を出さないでくれるかしら。この子、これでも手負いなの」

 虚はその言葉に肩を竦める。

「知っていたのか――華琳」

「曹孟徳を舐めないことね。それとおかしな気を回さないの。まったく、手のかかる従僕ね」

 愉しげに言いながら、華琳は強引に張遼の偃月刀の柄を蹴り飛ばし、彼女を跳ね飛ばした。

「悪事で負うた傷やろが、かまうかい。曹操。あんたもウチの邪魔するんやったら容赦せえへんで」

「面白いわね。遊んであげても良いけれど、悪事がどうのの下りは聞き逃せないわ。一刀、説明なさい」

 虚は嘆息して話し始める。

「誤解だ――俺が賈詡邸襲撃犯だと誤解されてる」

「だそうだけれど?」

 華琳は小鳥のように愛らしく笑って言う。

「何が誤解や。その男の首に巻いとる肩掛けが証拠や。それは董卓が誰にも触れさせへん親の形見。奪いでもせん限り、首に巻くなんぞ出来るはずない。親友の賈詡でもそれには触らんくらいやねんからな!」

「どうなの、一刀」

「これは董相国から掛けて戴いたものだ。相国は御無事だよ」 

「だったら、相国を呼んでくればいいではないの」

「動きなや。その男、逃がすわけにはいかんのや」

「――という具合な訳だ」

 虚は再び肩を竦めた。

「そう。ならば仕方がないわね。一刀がこういう以上、私は信じる。張将軍、あなたがこの子を斬ろうというのなら、それはあなたの勝手」

 華琳は不敵に笑い――。

 覇気の暴虐を叩きつける。

 

「私はそのあなたを斬って捨てるだけだから」

 

「我が名は曹孟徳であるッ! 言い掛かりの末、我が臣を斬るというのなら相国の将軍であろうが容赦の余地はない! 斬るというのなら、やってみせよ、張文遠ッ!!」

 絶を構え、王が、宣言する。

 手向かうのであれば斬ると、宣告する。

「おもろいやないかい。腕も相当に立つみたいやな。椅子に座らせて文官仕事させるには惜しい覇気や。相手にとって不足なし。存分にやらせてもらうで」

「来なさい。――可愛がってあげるわ」

 その言葉に張遼が不敵に笑い――飛び出す。

 だが。

 しかし――。

 張遼は再びその動きを制される。

 彼女の走る軌道上に、槍が鋭く突き刺さった。

 否。

 槍ではない。

 虚もかつて――前の世界で見たことがある。

 

 方天画戟。

 

「霞……だめ」

 抑揚のない声が響き。

 方天画戟の主が――赤い髪の女が、刺青の女が、降り立つ。

「恋ッ! なんで邪魔するんや!」 

 恋と呼ばれた赤い髪の女は、張遼の言葉を無視して華琳を、そして虚を見る。

「まんじゅうのひと」

 虚は眉を小さく上げて挨拶に替える。

「昼振りだな。饅頭娘」

 互いに饅頭呼ばわりする様は、中々に間抜けであった。

「今度……おかえし、する」

「構わんよ。饅頭百個くらいおごってやる。男の甲斐性だ」

 そう言うと、女は小さく笑った。

「……霞」

「なんや」

「霞は、少し強い」

「まだ『少し』から格上げはされへん訳やな。まあええわ」

「……あの女も、少し強い」

 女は華琳を見て、そう言う。

「あら――言ってくれるじゃない」

 華琳は幾らか不満そうであったが、女はそれには取り合わず、虚を見る。

 でも――と、言葉を続ける。

「まんじゅうのひとは……とても、強い」

「――なんやと」

 張遼は瞠目する。

「あいつがウチより強いっちゅうんかい」

「強い。まんじゅうのひと、全然本気じゃない。本気だったら、霞、殺される。だから、だめ」

 そう言うと、女は張遼を庇うように立った。

 その様を見て、虚は小さく笑む。

 

「あなたは――呂奉先将軍だったのですね」

 

 方天画戟の使い手など――それしか知らぬ。

「そう。恋は呂奉先」

「そうとうは知らず、昼間の無礼な言動の数々お許しいただきたい。我が名は虚、お見知りおきを」

「いい。ごめんなさいするのは恋。まんじゅうのひと……ふつうでいいよ?」

 それは礼をとらずとよいということだろうか。

「分かった。呂布、屋敷の中に相国さまがいる」

「……うん」

「待ちや、恋。信じるんかいな! 隙見て逃げられんで」

「本当。華雄が言ってた」

「はあ? 何で華雄が出てくんねん」

 張遼が間抜けな顔をする。

「裏で闘ってた。敵はもういない。月も詠も殿下も無事」

「で、殿下?」

 戸惑う張遼を呂布は無視した。

「待ちぃや、恋。あの男の首見てみい。あれ月の親の形見や。あんなもん持って――」

「話は月に聞けばいい。中にいる? うつろ」

「いる。呂布と張遼将軍が来たと知ればご安心なされるだろう」

 そう言いながら、虚は華琳に目を遣る。

 愛らしい主は、じとりとした半眼でこちらを睨んでいた。

 ――きちんと説明なさいよ。

 そんな言葉が聞こえてきそうだった。

 

 3

 

「すまんかったッ!!」

 張遼が大きく頭を下げる。その隣で、劉協と呂布、華雄はもくもくと饅頭を喰っていた。

 賈詡の屋敷が襲撃で傷んだということで、一行、すなわち、華琳、虚、劉協、董卓、賈詡、華雄、張遼は董卓邸にやって来ていた。庭はすでに清められたらしい。

 董卓以下数名の生存で、取り敢えず誤解は解けたらしい。賈詡は壁に打ち付けられた手当をすると云うことで屋敷の奥に連れられて行った。

「構わないわ。一刀がきちんと説明すれば良かっただけだものね」

 華琳が不敵に笑って、虚を見る。

「いや、頭に血ぃ上ったウチがさせへんかったんや。堪忍やで、虚」

「気にしないでくれ。俺も応戦したことだしな」

 虚は肩を竦めて言う。

「私がいけなかったんです。余計なことをしたから」

 董卓が申し訳なさそうに口を開いた。

「いや、月が悪いいうことはない。ないんやけど――何であれを虚に掛けたったんや」 

「へぅ……その、御武運を、えっと、祈願して」

 答えると、董卓はおずおずと小さくなった。

「そうかい。ウチはてっきり虚が月から奪ったもんかと」

「すみません……」

「いや、だから月は悪うないんや。ウチが浅慮やった。虚は大恩人なんや。もっぺん謝らしてや、曹操、虚。悪かった」

 張遼は深く頭を下げた。

 義理深く、愛情深い人物なのだろう。だからこそ、虚の首に回った肩掛けを見て激昂したのだ。虚の知る史実においても、張文遠は義に篤い人物であったようであるから、この張遼の義侠振りも納得が言った。

「もう止そう。この話はここまでだ」

 笑んで言うと虚は茶を啜った。

「それより――今夜の出来事はどういうことだ。相国さまと賈軍師の邸宅が同時に襲撃を受けるなどあまりにやり方が露骨だ」

「そうね、十常侍もなりふり構わなくなってきたというところかしら」

 華琳が言うと、張遼が頷く。

「そうみたいや。ただ、結局黒幕は誰かは分からんまま」

「予想はつかないの?」

「段珪か、張譲か。その辺りやないかなあ。何進のおっさんも気ぃつけなやられてまうで」

 その言葉に董卓が深刻な顔をする。

「何進様にはお引き立て戴いた御恩があります」

「せやなあ。でもおっさんもおっさんで結構強引なことやっとるしな」

「何進は殿下を、十常侍は劉弁様を次の帝にしたい。これで認識は正しいでしょうか」

 虚が董卓に問うと、張遼は「露骨な話題やなあ」と苦笑した。

「間違いはないぞ」

 答えたのは饅頭を咥えた劉協だった。

 劉協はそのまま、てて、と駆けてきて、虚の膝に座った。華琳の視線が痛いが、虚は気にせぬことにした。

「殿下――」

「固いことを言うでない。そなたの膝は据わり心地が良いのう」

 ご満悦と言った風で、劉協は話を続ける。

「だっこもよいが膝も良い。のう、月」

「へぅ……わ、私はおひざはわかりません」

「む、それもそうじゃ。ならば月、半分貸してやっても良いぞ」

 ――俺の膝の貸借が勝手に執り行われている……ッ。

「そ、そんな……またの機会に……へぅ」

 ――またの機会? 何を言ってるんだこの娘は?

「へえ、一刀。少し見ない間に随分と手を広げたのねえ」

「何を言ってるんだ華琳、俺は何も」

 そう言いさしたところで、

「何より虚は胸が良い。こうがっしりとな、もみもみ」

「殿下! お戯れが余りに――」

「ふふ、良いではないか良いではないか」

「殿下、ちょ――」

 何とか逃れようと身を捩ったところで、肩に何かが当たる。

 華奢な肩。

 赤い髪。

「りょ、呂布――丁度良い、殿下を」

 預かってくれ、と言いかけた。

 それを呂布が制する。

「うつろ……恋の、もみもみする?」

「――は?」

「もみもみ」

「しない! 何なんだいきなり!」

「お礼になるって。華雄が言った」

「おい、華雄きみは何て事を」

 言うと、

「なんだ虚、女の乳は嫌いか! あっはっは!」

 ――あのアマ、酒飲んでやがる……ッ!

「呂布の乳を揉んだことのある男などこの世におらんぞ! だっはっは!」

「虚よ、わらわを蔑ろにするでない」

「……もみもみする」

「あっちでもみもみ、こっちでもみもみ……へうぅぅぅ」

「あかん! 乱痴気騒ぎに月があてられてしもた! 衛生兵! 衛生兵!」

「張遼! きみも悪乗りを――か、華琳しゃん?」

「一刀、あなたいつからそんな色情魔になったのかしらね」

「し、色情魔って、あのな。だいたいきみだって人のこと言えな――」

「問答無用! 手を出すならせめてうちの子たちにしなさーい!」

「ちょ、殿下、呂布、離し――華琳、待て、今は動けな――ひぃぃぃぃぃ!!」

 話題を元に戻すのに、しばらくかかった。

 

 

「わらわは姉さまと争う気はない」

 虚は着物を直しながら、息を整える。

 兎に角酷い目に遭った。

 ――詳細を語る気にはならん。

 結局董卓が寝込んで、華雄が世話をすることになった。なぜか起こった華琳は奥で賈詡と話をしてくるという。

 ――大丈夫か、色々。

 部屋には虚に凭れて眠りだした呂布、膝に乗って動かぬ劉協、意外にも最も真面目に話に応じてくれている張遼が残った。

「どうしたのじゃ、虚」

「いえ。ですが殿下表向きは」

「うむ。何進と十常侍がわらわたちの代理戦争をしているようなことになっておる。本来は逆じゃ。姉上とわらわを道具にして、何進と十常侍が争うておる。まあ、始めたのは十常侍だからの。わらわは何進に協力してやるのもやぶさかでない。朝廷から膿を出さねばならぬからの」

「なるほど」

「虚、そなたの召喚は明後日じゃの」

「はい」

「ならば張譲と段珪には十分に気を付けい。何進は幾らか融通が利かぬところもあるが、悪い男ではない」

「世間やったら、肉屋の息子の癖にぃとか言われとるけどなあ」

 張遼がそう言うと劉協は愉しそうに笑った。

「せやけど、虚。あんた天の御遣いってほんまかいな」

 張遼の問いに、劉協も丸い眸で興味深げに見上げてくる。

「そういう言い方も出来るというだけだ」 

「なんや持って回った言い方やなあ」

「こら虚、誤魔化すでない。そなた天の御遣いが召喚を受ける意味を分かっておるのか」

「首が飛びますでしょうか」

「問答次第では、ふたつでもみっつでも飛ぼうぞ」

 可笑しそうに劉協が言う。

「だが、わらわの方から陛下に口添えしても良いぞ」

 策は打ってあるが――。

 保険を用意していても良いだろう。

「私は、流星に乗って落ちて来たそうなのです」

「そうや、って言うのはどういうこっちゃ。何で伝聞形やねん」

「落下の衝撃のせいか、よく覚えてないんだ」

「あー、まあ空から落ちたんやったらしゃあないかもなあ。生きとっただけでも儲けもんや」

「して、そなたはどこから落ちてきたのじゃ」

 劉協が目を輝かせて問うてくる。

「この大陸より少しだけ便利なものが多くて――少しだけ強い人間の少ない、そんな世界から」

「よく分からぬ」

 頬を膨らませて拗ねる劉協に丁度良いものを取り出す。

 この世界に一刀と共にやって来た物品は持って来ていた。

 ライターを取り出し、火をつける。

「おお!」

「よ、妖術――みたいや」

「簡単な道具です。私のいた世界ではこれを一日に何千個も何万個も作り出すことが出来ます。これも子供の小遣いで買えてしまうほど安価なものです」

 言いながら煙草に火をつけた。

「それは何なのじゃ」

「煙の香りを楽しむ嗜好品です。吸い過ぎはよくありませんが」

「ほほー。ウチは結構好きかもしれんなあ、この匂い」

「こう言った便利なものがたくさんある世界です。ただ、その便利さに埋没しかけてもいます。道具ばかりに頼るのでなく、人の力でせねばならぬことと言うのは、確かに存在しますから」

「なるほどのう。虚よ、他には何かないのかの」

「他の品は宿に置いて来てしまいました」

「そうか……ならば召喚の際、持って参れ。わらわはもっと見たい」

「承知いたしました」

 虚は淡く笑んで、劉協の要請に応じた。

 

 

 宿への帰途である。

 夜陰が洛陽を包んでいた。

「賈詡と何を話していたんだ?」

 問うと、華琳はぷいとそっぽを向いてしまう。まだ機嫌は直っていないらしい。

「そう怒るなよ。別に彼女らには何もしていないさ。曹孟徳の従僕として恥じるようなことは何もない」

「……そ」

「なあ、華琳。どうした、きみらしくないぞ」

「あなた、自覚しているのかしら」

 虚は傍らを歩く小柄な少女を見た。

「あなたはこの曹孟徳のものなの。その自覚があるのかと訊いているの」

「勿論だ。だから、殿下からの誘いも断った」

「――何の話?」

 つぶらな瞳で華琳が見上げてくる。

 青白い月光に、白く美しい面立ちが映えていた。

「殿下にさ、わらわのものになれ、って言われた」

「……へえ。それで? あなたは、何と答えたのかしら」

 虚は小さく笑んで、その言葉を口にする。

 

「この虚は曹孟徳が従僕。髪の一本から血の一滴まで、その全ては曹孟徳にささげたもの。いかに殿下の命とはいえ、主の許しなくお渡しする訳には参りませぬ。もしそれでもこの虚を所望なされるのであれば、この首切り落としてお持ちくださいませ――と、答えたよ」

 

 すっと華琳の双眸を覗き込む。

 けれどすぐに、す、と視線を逸らされてしまった。

「ふ、ふうん」

「あれ、反応薄いな。拙かったか、この答え」

「別に。良いのではないかしら。あなたの首は繋がっているようなのだし」

 そのままいそいそと、華琳は虚の反対側に顔を向けてしまう。

「分かった、悪かったよ。今度はもう少しぐっとくる答えを用意しておく」

「――まるで分かってないわ」

 女心は迷宮だ。

 踏み入れば、迷いに迷って飢えて死ぬ。

 戦略的撤退も、時には必要なのだ。

「そう言えば、どうして賈詡邸にやって来たんだ?」

「慧から報告があったのよ。まあ、貸しのひとつでも作っておこうと思ったの。そしたらあなたと張遼が斬り合ってたというわけね」

「きみの気配が分かった時は呆れたよ。あそこへ跳び込んで来るんだもんな。あんな無茶するのは春蘭だけかと思っていたよ」

 地平線の彼方でくしゃみが聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだと虚は気を取り直した。

「あなた右肩を痛めているでしょう。張遼の偃月刀を受け続けるにも限界があったはずよ」

「そうだな。感謝するよ、我が主」

 そう言うと、華琳は少し、複雑そうな顔をした。

「倒してしまえばいいのに、あなたって本当に面倒で手間のかかる男」

「面目次第もございません」

「ねえ、一刀」

 ふ、と。

 華琳が脚を止める。

 虚は振り返って彼女と相対した。

「私の気が済まないから言っておくわ」

 華琳は――王の眼をしていなかった。

 この。

 この眼は。

 

「あの時、私、女湯にいたの」

 

 心臓が跳ね、呻くような声が漏れた。

「盗み聞きだなんて、曹孟徳の名が泣くわね」

 自嘲するように、華琳が言った。

「いや――俺たちが大声で話していただけだ」

「全部、聞いたわ。――親殺しの話も」

 そうか、と虚は力なく笑った。

「洛陽から生きて帰れたら、きみにも話しておこうと思っていたんだが――予定が繰り上げになってしまったな」

 虚は小さく肩を竦める。

「人としての魂など、天の彼方に置いてきた。契約のとき宣言した通り、俺は人でなしだったろう?」

「……そんな顔をするものではないわ」

 華琳はそっと背伸びをすると、手を伸ばし、虚の頬に触れる。

「そんな顔をさせないために、あの子は勇気を振り絞ったのでしょう。だから……泣くように笑うのは、止しなさい」

「――すまない」

 そう言うと、華琳は呆れたように笑って、虚の額をぴしりと指先で弾いた。

「放逐するか、この虚を。人でなしの化生を、蹴り出すか」

 華琳はその言葉に不敵な笑みを浮かべた。

 それはやはり、王の貌ではない。

 けれど――。

 

「私は華琳よ。一度手に入れたあなたを手放すことは絶対にないわ。あなたは永遠に――この華琳のものなのだから」

 

 虚は一瞬言葉を失った後、華琳の手を優しくとって、その甲に口づけた。

「な、なによ」

「改めて誓う。俺のこの身体は、きみの覇道に捧げる」 

「……そう。私の、覇道に」

「ああ。一蓮托生だ。そう誓ったはずだ」

「――そうね」

 華琳はそっけなく言って、虚の前を歩き出す。

「あなた、あの後、風を浴場からどこに連れて行ったのかしら」

「ん? ああ、俺のへ――」

「部屋。そう部屋ね。一体何をしていたのかしらね」

「ご想像にお任せするよ」

「……そ」

 それはそうと、と華琳は言葉を続ける。

「殿下と相国を、それはもうがっしりとだっこしたそうね」

「う――嫌な言い方をするなよ」

「したそうね」

「ああ、まあ、そうなる」

「ふうん」

 少しだけ前を行く華琳の表情は窺えない。だから隣に並ぶ。

 華琳はじとりとした半眼でこちらを見ている。

「ふうん?」

「なんだよ」

「ふぅうん?」

「だからなんだよ」

 別に、と言って華琳は更に前に行こうとする。

 虚はそれを追う。

「追ってこないで」 

「同じ宿だろ。それにきみはどうしてか機嫌が悪い。気になるだろう、そういうの」

「だっこしたんでしょ」

「したよ」

「したのね」

「だからしたって――ははぁん」

 華琳がむっとした顔で睨みつけてくる。

「なんだ、そういうことか。それならそうと早く言ってくれ。まったく水臭いぞ、華琳」

「な、なにがよ」

 

「だからさ、きみもだっこして欲しかったんだろ。それくらいお安い御用――ぼげぇッ!!」

 

 思い切り尻を蹴り上げられた。

「そ、そんなわけないでしょ! 私は曹孟徳よ! それが、だ、だ、だっこだなんて」

「なんだよ、そんなにムキに――いつつ、尻が割れたよ」

「うるさい! うるさい! いらないったら、いらないんだから!」

 ぺしぺしと尻に連撃が入る。

 この女、尻狙いである。

「あのなあ、だっこくらい――契約の日の帰り道、俺はきみをだっこ……」

「あれは仕方なくよ! 今は自分で歩けるからいいの!」

「分かった、分かったから。尻を叩くのはやめろ」

「まったく。この男はまったく!」

 ぷりぷりと怒りながら、華琳は虚の隣を歩く。

 夜風が吹き、雲が流れる。

 一際広い群雲が――月影を多い、辺りはぐっと暗くなった。

「一刀」

「ん?」

「暗いわ」

「まあ、夜だからな」

「道に迷いそうね」

「一本道だろ」

「何かに躓きそうね」

「心配いらない。洛陽の道はきちんと整備され――」

 そこで、虚の言葉が途切れる。

 右の指先が、小さく握られている。

 

「つべこべ言わないの……ばか」

 

 拗ねたような声が、隣から届いてきた。

 虚はその言葉に返事をする代わりに、主の手を軽く握り返す。

 

 再び風が流れ、群雲が去って、月が露わになった頃。

 それでも可憐な主に、虚の白い指先を放す気はなさそうだった。

 

 

《あとがき》

 

 ありむらです。

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 洛陽篇の続きですね。

 

 華琳さまにすぽっとライトを当てようと思った結果がこれだよッ!

 はい、すいません。

 いえね、虚さん。いつもクールでかっこいいことばっかりしてるじゃないですか。すまし顔で。

 ですからたまには、ね。

 胸揉まれたり、尻を蹴られたりもうなんやかんやですよ。

 へへへ。

 魔が差しました、すみません。

 

 次回も洛陽篇です。

 まだまだ続きます。

 ここから盛り上がってまいります。たぶん。

 

 では今回はここいらで。

 

 コメントなどどしどし下さい。

 

 ありむらでした。


 
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