――三か月前
ドイツのとある屋敷の中では軽快な鼻唄が聞こえていた。
その鼻唄の主は、上機嫌なのを隠すこともなく、すれ違う使用人達にも笑顔を振りまいていた。
鼻唄が似合うと言っては本人に失礼かもしれないが、鼻唄と着ている赤黒いドレスが良く似合っていた。
そして、その鼻唄の主は歩みを止める。
「あら、お姉さま、これからどこかへ行かれるのですか?」
お姉さまと呼ばれた女は感情を込めることなく、仕事と言い放った。
「私の所の仕事も、それから姉さんの所もこれから忙しくなるから、メイルには構ってやれないのよ」
ごめんね。と姉は彼女、メイルの頭を一撫でするとせわしなく足早にその場を去った。
メイルは姉達の仕事の詳しい内容を知ることは出来なかったが、恐らく軍需関係の仕事なのだろうと当たりをつけてい
た。
このご時世に忙しくなる職業など数えるほどしかないからだ。
邪険に扱われたことに腹を立てることなくメイルは至って上機嫌のままだった。
メイルは機嫌のいい理由である自分の右手を見た。
そこには幾何学的に描かれた三画の模様が浮かんでいる。
それは即ち聖杯にメイルがマスターとして選ばれたという証明に他ならなかった。
この令呪が刻まれたのは今朝のことで、何か鈍痛がすると思い手を出してみるとこの令呪が刻まれていたのだ。
「60年に一度行われるこの度の戦争。我が名門アメジスト家がいただくとするわ」
アメジスト家は7代続いた魔術の家系であり、父は時計塔に勤めていた経験を持つ魔術師会では名の知られた家系だっ
た。
メイルの上には二人の姉がいるが、どちらも少しは魔術を噛んだがやがて使い道を見いだせずにそれぞれ魔術師ではな
く他の職業に就いていた。
この代で魔術師としての血は途絶えるのかと父親は危惧していたが、三女であるメイルは父親の才能を受け継いだのか
魔術の才があった。
得意とする魔術は、『先読み』。
中国武術などでは相手の呼吸を読んで次の一手を読むらしいが、メイルはそれを対魔術師に改良したものである。
メイルの眼は相手魔術師が魔術を使う瞬間に、相手の体のどこの部位に魔力が集中しているのかを見定めることが出来
た。
「それに、幸いなことに、この聖杯戦争にぴったりなサーヴァントを呼ぶ触媒は揃ってるのよね」
メイルが上機嫌な理由は令呪を得ただけだからではなかった。
このアメジスト家にはメイルが生まれる前からこの家にある秘宝と呼ぶのにふさわしいものが存在していたのである。
そうまさに聖遺物と呼ぶのに相応しいシリアで見つかった秘宝をメイルは触媒として使用する腹積もりであった。
「さて、それはそうと、冬木に行く準備をしなくちゃね。あれはどこかしら……」
メイルは意気揚々とスーツケースに荷物を積む。
父さんも聖杯を持ち帰ればきっと喜んでくれるだろう。
姉さんだって少しは見直してくれるかもしれない。
メイルは聖杯を手に入れて帰ってきた後の家族の反応を想像して二コリと笑った。
「こんなもんでいいかしらね……」
彼女は遠い冬木の地へ発つ。
作りモノの聖杯を持ちかえるために。
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彼女が聖杯戦争に臨む理由などあっただろうか。
血の束縛もなんらしがらみもない彼女に。
聖杯がそこにあるから。ほんのそれだけの理由かもしれない。