名も無き少年・神律刀が『司馬懿 仲達』と言う新たな名を貰って更に一月の時が過ぎた。
最初の頃は人形のように感情を殆ど見せる事の無かった神律刀も司馬防の優しさ、家族と言うものの暖かさを知り打ち解け始めている。
「オイ叔父貴、何時まで寝てんだよ・・・もう飯の時間だぞ」
―――失敬、打ち解けるどころではない。
極めて無礼で口が悪い少年へと変化している、この一月の間に一体何があったのかと疑問に思う程だ。
だが心配する必要は無い、この性格こそ神律刀がこの外史に飛ばされる前の親しき者に対して見せる性格なのだから。
と言っても、前の外史では殆どこんな性格を見せる事も無かったが。
「・・・んんっ・・・何だ、もう朝か・・・?」
そんな事を呟きながら椅子から立ち上がって伸びをする司馬防。
どうやら漢書を読んでいて椅子に座りながら寝てしまっていたらしい・・・寝床があると言うのに、実に不健康な寝方である。
椅子の近くに何冊も本が置いてある所を見ると、どうやら高々一日にして何だつもの分厚い本を読みきってしまったと言う事だろう。
(ちなみに納屋には大量の本がばら撒くように置かれており、どうやらそれを持ってきて読んでいた様だ)
しかし驚くべきはそれだけではない、それよりも驚愕するのは司馬防の外見だ。
陽気の暑い季節となり上半身の着物を脱いで寝ているのは取り立てて驚くべき事ではない。
真に驚くべきは外見的に50代ほどの年齢の初老の紳士であると言うのに極限まで鍛えぬかれている肉体である。
・・・下手をすれば細身だが某・存在自体が悪辣な筋肉達磨&その師匠に匹敵する程だ。
普段は導師服の下に隠れているが故に見えない司馬防の肉体。
これを見れば彼が知だけではなく武にも才があったという事は理解出来るだろう。
『脳ある鷹は爪を隠す』と言う言葉が良く似合う人物であると言える。
何故、彼がこれ程に鍛え抜かれた身体を持っているのか?
それはまた別の機会で話す事としよう・・・何れ語らねばならない時が来るのだから。
「ふむ、美味かった・・・仲達(神律刀)、意外にお主料理の才能があるぞ」
「・・・意外には余計だ」
食べ終わった皿を片付けながら呟く神律刀。
確かに一月前は無気力で何も出来なかったしやらなかった頃に比べれば実に彼も変わったと言える。
しかもそれだけではない、神律刀は一月前とは違い外見年齢相応(10代前半)に好奇心を持ち、色々な事を吸収しながら有意義な日常を送っていた。
特にその中でも一番興味を持っているものは―――
「食い終わって充分休んだろ? 今日も頼むぜ叔父貴」
「む? おお、判った判った・・・先に行って準備をしていなさい、私も直ぐに行く」
司馬防のその言葉に嬉しそうな表情をして神律刀は外へと駆け出していく。
そんな後姿を見ながら、司馬防は小さな微笑を湛えながら溜息を付いて一人呟いた。
「やれやれ、私塾の塾長の家に引き取られながら勉学には見向きもせずに武の修行に勤しむとはな。
私とは正反対な子だ・・・しかも武を習うにもあんな難しい流派を習う事も無いと言うのに」
言いながら立ち上がると、納屋に入り何かを持ち出す司馬防。
どうやらそれは鞘に入った剣の様だ・・・だが普通の剣とは違い、剣の柄の部分に大きな装飾が付いている。
この剣は一体、何なのか?
そのまま庭先に出る司馬防。
庭先では神律刀が念入りに柔軟や準備体操をしている・・・その傍らには大小の木刀が一本ずつ置かれていた。
庭に出てきた司馬防の姿を捉えると、そこで神律刀は確りと正座をしてから頭を深々と下げ、今までの無礼な態度とは全く違い礼儀正しく言う。
「宜しくお願い致します師匠」
「うん、宜しい・・・では今日も演舞から」
司馬防の言葉に頷き、地に置かれていた大小の木刀を手に取る神律刀。
左手で大きい方の木刀を、黒い布で包まれた右腕で小さい方の木刀を逆手に握り、腕を×字に交差させる変わった構えを取ると空を切り裂くかのように連続で振るう。
それは既存の剣術とは全く違う、流れるような連続攻撃を放つ演舞。
更に木刀の空を切る音と共に・・・まるで独楽が廻るかの如く、空を鋭い蹴りが切り裂いた。
斬撃と格闘術、その二つを組み合わせた実に変わった流派である。
「・・・其処まで」
司馬防の言葉に合わせて演舞を終了する神律刀。
「うん、演舞は教え始めた頃に比べると随分進歩したな。
しかし左の剣の方に意識が集中している感がある・・・この流派は四肢全てを武器として戦うもの、全てが同じように出来なければ意味が無い。
まずは四肢全てが完全に同一なまでに扱う事が出来るようになるまで演舞の修行を続ける事」
司馬防の言葉に『はい』と返事を返す神律刀。
すると司馬防は持って来た柄に変わった装飾のようなものが付いた剣を横に構え、鞘から抜く。
更に柄の部分の装飾を鞘のように外すと其処から小太刀のような刃が出てきたのだ―――どうやらこの剣、俗に言う“双刃剣”という奴らしい。
更に更に柄の部分を両手で持って左右に引くと“カチッ”と言う音と共に二つに分かれる。
その剣は丁度、神律刀の持つ大小の木刀と同じように司馬防の両手に握られていた・・・唯、神律刀の木刀とは違って双方の柄を鎖で繋がれている変わった武器だが。
所謂これは“撃剣”と呼ばれる、直接握って戦う事も投げて戦う事も出来る万能な武具である。
しかし余りにも使いこなす事が難しい事から大陸全土を見渡しても達人は数える程しか居らず、今となっては殆ど廃れてしまった流派だ。
司馬防はこの撃剣に拳技・脚技による武闘術を組み合わせた独自の流派を生み出した唯一無二の武術家でもある。
流れるように・・・いや寧ろその存在そのものが流水かの如く、見ている者を魅了する程の演舞を神律刀の前で舞う司馬防。
記憶は無かれど、かつて生きていた世界で戦いを続けていた神律刀には既知感のように不思議とその演舞の鋭さは容易に理解出来た。
流水の如き滑らかな動きでありながら、対峙した相手はその連撃により苦しむ暇もなく絶命する。
美しくも残酷で、他人に雅と畏怖を与えるであろうこの流派・・・何故このようなものを司馬防が使いこなせるのかは不明だ。
だが・・・偶然この演舞を初めて見た神律刀が魅了されたのは言うまでもあるまい。
司馬防が屋敷に戻った後も唯只管に、自らの全身から流れ落ちる大量の汗も気にせずに神律刀は演舞を続ける。
何故このような流派を覚えようと思ったのかは判らない・・・魅了されたと言うだけの理由だけではないとは思うのだが。
どれ程の時を修練し続けたか。
全身から流れ落ちる大量の汗が乾き、最早汗すら流れなくなるまで続けた神律刀はゆっくりと木陰に座り込む。
吹く風は心地良く、限界まで修練を続けた己の肉体を撫でる。
その心地良さに疲れから木に寄り掛かりながらウトウトとし始める神律刀。
目を瞑り視界を遮断した暗闇の中、辺りに鳴り響くのは大量の蝉達が奏でる自然の音楽。
―――このような穏やかな気持ちで自然の中に耳を傾けた事など今まであっただろうか? そんな事を考えていた。
だがふとその時―――
誰かが近付いてくる気配を感じ、神律刀は目を瞑ったまま近付いてくる“知らない気配”の方に神経を集中する。
すると・・・。
「・・・? ねえ、こんな所でそんな格好でお昼寝してたら風邪を引いちゃうよ?」
その知らない気配はそう神律刀に話しかけて来た。
ゆっくりと眼を開くと目の前には長髪の黒髪で、髪の外側を三つ編みのようにしている少女が居る。
その手には書簡と筆入れのようなものを持っているようだが・・・。
と、そこで神律刀は気付く。
確か司馬防は私塾を開いていると言っていた・・・此処一月は理由があって休んでいたらしいのだが。
(尚、一月の休暇の理由は神律刀が生活に慣れる為の期間を取る為)
途中で修練を司馬防が切り上げたのも、今日から私塾が再び始まるからだ。
と言う事はこの声を掛けてきた少女も自らが叔父貴と慕う司馬防の私塾の生徒と言う事だろう・・・だが、この修行場は私塾のある場所とは真反対の場所の筈だが。
「・・・アンタ、叔父貴の私塾の人?」
「ふぇ!? び、びっくりしたよぉ・・・えっ? おじき? 私塾?
この辺には司馬防先生の私塾しかない筈だけど・・・君誰なの? もしかして君、司馬防先生のお知り合い?」
少々警戒したような目で神律刀を見つめる少女。
元々この場所は修練の場として他の所に迷惑が掛からないように寂しげな林の中にある。
そんな場所に少女が一人で居れば、心細く感じるのは当然の事だ。
「・・・甥っ子」
「えっ・・・えっ?」
小さく呟く神律刀に聞き返す少女。
無愛想な少年に一抹の不安のようなものを感じているのだろう、その肩は小刻みに震えていた。
怖がっていると言う事を理解した神律刀は、再び口を開く・・・今度はほんの少しだけ、彼に出来る精一杯の優しさで。
「俺の名は姓は司馬、名は懿、字は仲達、真名は神律刀。
多分、アンタが行ってる私塾の塾長やってる司馬防の甥っ子だ。
・・・つうか此処は叔父貴の開いてる私塾の真反対だぞ、叔父貴の私塾は向こうだ向こう」
ぶっきら棒に私塾のある方向を親指で指差しながら再び黙り込む神律刀。
無礼千万なこいつなりに一応優しく言った心算なのだろう・・・黒髪の少女は更に怖がっていたが。
それよりもこんなに簡単に真名を名乗ってしまっても良いのだろうか?
「え、ええええっと、その、あ、あの・・・あ、あああああ、ありが、と・・・」
怖がりながらも必死に礼を言い、神律刀の指差した方向へと歩き出す少女。
一方神律刀の方もさして興味を持つ訳でもなく、再び少しの間目を瞑って休息を取ると立ち上がる。
どうやら再び撃剣の演舞の修行をするのだろう。
再び神律刀が演舞の修練を始めてから1刻(約三十分)後。
己の気が済むまで鍛錬をし終わった神律刀はそろそろ屋敷に戻る為の帰り支度を始めていた。
だがその時、不意に何かの音が聞こえて来たのだ・・・。
「・・・ひっく、えぐっ・・・う、うううぅぅぅぅ・・・」
どうやらそれは泣き声のようだが・・・。
その声が気になった神律刀はその声のする方へと歩いていく、すると其処には先程道を聞いていた黒髪の少女が泣いていたのだ。
「・・・あれ、何でお前此処に居るんだ? 叔父貴の私塾に行ったんじゃねぇのか?」
そう話しかけても少女は泣いているだけだ。
しかし服の汚れ具合や靴の磨り減り方などを垣間見て、一つ想像出来る原因を理解した。
「・・・お前、もしかして道に迷ったのか?」
少女は神律刀の言葉に泣きながら頷く。
まあ確かに此処ら周辺は入り組んだ場所でしかも似たような風景が続くので迷い易い場所なのだ。
神律刀の場合、司馬防と共に何度も何度も通っている為に自然と覚えてしまっているが・・・普通なら迷うのが当然である。
それを忘れていた神律刀が原因で少女は迷ったようなものだ。
いや、しかもそれだけではない。
この黒髪の少女、実は人に言えない程の極度の方向音痴なのだ。
元々私塾のある方の場所ならば何とか判るのだが、このような入り組んだ場所で、しかも極度の方向音痴となれば迷うなと言う方が無理がある。
「えぐっ・・・ひっく・・・ぐすっ・・・う、うううぅぅぅ・・・」
眼に涙を溜め、心細さにしゃくり上げる少女。
そんな少女の姿を見た神律刀は、一月前の彼なら絶対にやらないであろう事をする。
それは―――
「・・・泣くんじゃねぇよ。
仕方ねぇな・・・おい、俺が私塾ん所まで連れてってやるから泣き止め」
「ぐすっ・・・えぐっ・・・ほ、ほんとう・・・?」
聞き返す少女に神律刀は頷く。
そもそも道順さえ知っていれば此処から司馬防の私塾のある場所まで五分程度しか掛からない。
それに元々今日は修練も切り上げたのだから、丁度帰り道なのだから問題はあるまい。
「ああ、心配すんな・・・元々この辺の地形は詳しい」
「ぐすっ・・・ひっく・・・ひっく・・・う、うん・・・あり、がとう・・・おにいちゃん・・・」
黒髪の少女は眼に涙を溜めながらも笑い、神律刀の差し出した手を握る。
最初は礼儀正しそうな少女に見えたが・・・心細かった現状が年相応のものに彼女を戻したのだろう。
二人は手を繋ぎながら、私塾への道を歩き始めた。
無言で手を繋いで歩く二人。
と、ふとそこで神律刀が思い出したように黒髪の少女に尋ねた。
「・・・そう言えば此方からは名乗ったが、お前の名前を聞いてなかったな」
すると少女も思い出したかのように笑って答える。
先程まで泣いていた筈だが、独りぼっちではなくなった故に大分落ち着いたのだろう。
「えっと、名乗るのが遅れてごめんなさい。
私は姓は鄧、名は艾、字は士載・・・後、真名は香具夜(カグヤ)です。
えっと・・・その・・・よ、良ければ香具夜って呼んで・・・おにいちゃん」
「・・・ああ、判った・・・宜しくな、香具夜」
そう挨拶が終わると再び歩き出す二人。
この後、神律刀の案内により私塾までこれた少女・香具夜。
別れ際にもう一度神律刀に礼を言って私塾の中に入っていくのであった。
これは後の時代に大きな意味を得る事となる出会いの一つ。
正史において蜀と呉を滅ぼし、三国時代を終焉へと導いた立役者の一人である『鄧艾 士載』との初めての邂逅。
この邂逅が後の時代に何を見出すのか、それはまだ判らない―――
解説
鄧艾 士載
姓:鄧 名:艾 字:士載
真名:香具夜(カグヤ)
司馬防の営む私塾の塾生の一人
元々頭が良く、現存する策だけでなく柔軟に色々な策などを考える事を得意とし、軍師を目指している
極度の方向音痴であり、歩いて十分ほどで行ける私塾に行く為に一時間以上掛けなければ到達出来ない程
性格は少々臆病だが穏やか、ただし追い込まれると弱く泣き虫
元ネタは【三極姫2 天地大乱・乱世に煌く新たな覇龍】より
あちらの鄧艾をそのまま子供化させたような姿をしている
【追伸】
本来の“撃剣”とは刃を投擲する事により相手を倒す剣術です
この作中で出てきた撃剣術は、真・三国無双3の双刃剣+真・三国無双6エンパイアーズの撃剣を合わせた独自流派ですので
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【第二話:出会い】