~壱~
悪意の獣は、いつも悪さばかりを考えながら旅をしていた。
赤子を盗む。火を放つ。畑を荒らす。
いつも最後は村人に追われて、這う這うの体で逃げ出す。
そうやって獣は、口笛を吹きながら、
自分の事を知られていない土地を転々としていた。
ああ、楽しかった。
次は何をしてやろう。
次の村が近づいて来た頃、悪意の獣は滝の様なひどい大雨に襲われた。
川は激流と化し、今にも洪水が起こりそうだ。
村へと続く橋を渡りながら、獣は思いついた。
そうだ。この橋を壊せば、村人たちは逃げ出せなくなって困るに違いない。
橋を渡りきると、獣はそれを実行した。
橋は崩れ、川に流された。
ちょうどよく、村から男たちが笠を被ってやってきた。
橋が心配になって見に来たのだ。
彼等がみたのは、跡形もない橋の前でふんぞりかえる獣の姿だった。
「あんたがやったのか」
獣は堂々と、そうだと答えた。
そうして、罵りの言葉を待った。
「ありがとう。助かったよ。橋を落とさなかったら、
今ごろ流れてきた樹木が詰まって洪水になるところだった」
ありがとう。ありがとうと、男たちは礼を言った。
元より男たちは、橋を落とすつもりで川に来たのだ。
悪意の獣は、男たちを気味悪がった。
男たちは獣を村に招き、暖かいいろりの前を獣に譲った。
悪意の獣は居心地悪そうに、そわそわした。
暖かな炎を恨めしげに見ながら、軒下でうずくまる方が自分にはあっているのに。
獣は、女が雑炊をお椀によそうのを見て思いついた。
丹精込めて作られたそれを、土間に捨ててやろうと。
これならきっと、怒り出すに違いない。
獣は一番にお椀を渡された。
「さあさあ、暖かいうちにどうぞ」
獣は急に立ち上がると、手の中のお椀を投げ捨てるばかりか鍋をひっくり返した。
みんなは驚いた顔で、獣をみた。
獣は今度こそと、怒りの言葉を待った。
女が散乱した雑炊の中身をみて言った。
「あら嫌だ。これは毒茸じゃないか。食べていたら、
あたしらみんなおっちんでるところだったよ」
獣は目を剥いて驚いた。
またか。また失敗か。
みんなは、あんたは命の恩人だ、と悪意の獣にお礼を言った。
そして、獣は村で一番立派な家の客間に通された。
その晩、悪意の獣は暖かな布団上でうなされた。
~弐~
悪意の獣はいつも悪さばかりを考えて、旅をしてきた。
家畜は襲う。子供を売る。墓を壊す。
そうして最後は村人に追われて、這う這うの体で逃げ出す。
そうやって獣は、口笛を吹きながら、新しい土地を転々としてきた。
なのに――――。
ああ、つまらない。
ここでは、悪さが喜ばれるのか。
悪意の獣は、村の土手に座り込んで溜息をついた。
お腹は満たされていた。朝食をいただいたからだ。
あげくに昨日の嵐が嘘のように、空まで晴れている。
最悪の天気だ。
「あんたの羽織、随分ボロだね。貸してご覧、繕ってあげるよ」
悪意の獣は閃いた。
本当のことを言えばいいのだ。
新しい事をやっても失敗するなら、過去の成功例を聞かせればいい。
女は針と糸を投げ捨て、逃げ出すことだろう。
悪意の獣は羽織を渡すと、自分が今までに成し遂げた悪事を女に明かした。
自分は悪意の獣だということ。
あちらこちらで悪さばかりして、最後は農具と松明で追い立てられること。
罵られ石をぶつけられるのが大好きだということ。
昨日も村人を助ける気なんか、これっぽっちもなかった。
橋を壊せば村人たちが困るだろうと思ってやったし、
鍋だって台無しにしてやろうと思ってやった。
獣の話に相づちをうちながら、女は黙々と手を動かした。
獣は期待で、鼻息を荒くした。
女は綺麗になった羽織を獣の肩にかけると、ぽんぽんと二度叩いた。
まるで、赤子を寝かしつけるような優しさがあった。
獣は口を半開きにして、女をじろじろと見た。
逃げる様子も、人を呼ぶ様子もない。
「大丈夫。この村に、あんたに石を投げるヤツはいないよ」
獣の眉が八の字に歪んだ。
なんて村だろう。こんな村、橋が直ったらすぐに出て行こう。
悪意の獣は肩を落として、背中をまるめた。
「まだ、痛むのかい?」
悪意の獣はますます気分が悪くなった。
体は痛くないのに、獣は自分の胸を押さえた。
暖かな日差しも、緑の芝も、風にのって届く花の香りも。
悪意の獣は大嫌いだった。
女が、あ、と小さな声で叫んだ。
獣は肩ごしに後ろをみた。
先程の風にあおられたのか裁縫箱が倒れて、針山が土手の方に転がっていた。
悪意の獣は立ち上がって、女と針山を追い掛けていた。
女の足で追い付けなくても、獣の足なら間に合うからと。
女のてのひらの上に、針山が乗っていた。
礼を言おうと女が顔を上げたとき、悪意の獣はもう何処にもいなかった。
~?~
./
握り飯を口一杯に頬張ると、男は二、三回噛んだだけで飲み込んだ。
視線の先には、透き通った川と作りかけの橋があった。
次の握り飯に手を伸ばす、と威勢のいい女の声がかかった。
「ちょっと、もっと良く噛んでお食べよ」
男は眉をひそめたが、次の一口は長く噛んでから飲み込んだ。
その様子をみて村の男たちが、女房の尻に引かれる奴だな、と言った。
以前なら怒っていた気がするのに、何故だか嫌でもなかった。
いずれ他の村からの手配書が回ってくるだろう。
それでも男は、もう少しだけこの村に居ようと思った。
自分が壊した橋が直るまでは。
...おしまい
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和風タッチの短いお話です。
悪さをすればするほど喜ばれて、弱っちゃう獣のお話。