年老いた魔法使いはランプに火を灯すと、天井にかけた。
椅子が軋んだ音をたて、紙が擦り切れるまで読んだ書物を開く。
時折自前のひげが本に挟まらないよう気を配りながら、魔法使いは頁をめくった。
静かな時間が過ぎていく、湯気を立てたお茶は次第に冷めていった。
しわだらけの手が湯のみに触れ、ようやく魔法使いは時間の流れを感じた。
ため息一つ。魔法使いは老眼鏡を外すと目頭を押さえた。
風が窓をカタカタと鳴らした。
「やかましいのがおらんのも、寂しいものじゃの」
窓に作った小さい小窓に目をやり、つぶやく。
それは猫が通るには小さすぎて、さらに小指の爪ほどの小さな鍵がついていた。
小さな来訪者がいつ来ても良いようにと、昔自分で取り付けたものだった。
――――じっじー、この部屋かび臭いぞぉーっ。
そんな事を言いながら、あの子はよく魔法使いを部屋から連れ出したものだった。
本を開いたままにして、魔法使いは新しいお茶を煎れようと腰をあげた。
小さい家は本で埋もれていたが、
唯一来客を迎えるためのテーブルの上だけは片付いていた。
前にここに人が座ったのは、何年前だったろうか。
――――村で物知りだとお聞きまして。お話を伺っても宜しいでしょうか?
礼儀正しい若者だった。
異国を巡る旅をしながら、書紀として地方の伝統などをまとめているという。
わしは知っている限りの事を、話して聞かせた。
今はあの子と一緒に異国の空の下を旅しているだろう。
多少口うるさいが、妖精は幸運も招くと言う。
そう悪いことにはなるまい。
ストーブの上に置かれたヤカンから急須へと熱い湯が注がれる。
ほどなくして芳醇な香りが部屋を漂い始めた。
窓が先ほどより強い音で鳴った。
「今夜は嵐かの」
一息お茶に吹きかけ、年老いた魔法使いはお茶をすすった。
外で何かが光った。
遅れて、大地を揺るがす凄まじい音が響く。
雷なら珍しいことでもないが……外を見た魔法使いは目を見張った。
橙色の炎が木々の隙間で小さく踊っていた。
「いかん。あそこはあの子の――――」
年老いた魔法使いは見かけより機敏に動くと、
入り口に立てかけてある樫の木の杖を手にし、小屋を出た。
雷と風が猛る中、魔法使いは火の元へと急いだ。
パチパチ。
火の粉が次々と花を燃やしていた。
黒コゲの幹の周囲から炎が昇ると、小さな花畑に襲い掛かっていた。
年老いた魔法使いは花畑に踏み込むと、雨が降る様必死に祈りを捧げた。
強風が火を大火へと育て上げていく。
しわの寄った額から、煤(すす)の混じった黒い汗が伝う。
煙が立ちこめるのも構わず、魔法使いは祈りつづけた。
煙を吸って咳き込む。
年老いた魔法使いは、咳が止まらず苦しげにうずくまった。
――――じっじー。ほら、花のひげ飾りーっ。アハハ。
ここはあの子が好きな場所、そして年老いた魔法使いの大切な場所でもあった。
火の粉が魔法使いのマントを焦がす。雨は降りそうに無かった。
酸欠から頭の中が真っ黒に塗りつぶされても、魔法使いは祈るのを止めなかった。
――――じっじーっ。
しわがれた手から杖落ち、そのしわだらけの目が閉じられた。
しゃんしゃん。
ヤカンが騒がしく蒸気を吹き上げていた。
ああ、火から降ろさんと……と、年老いた魔法使いはしわに隠れた目を開けた。
「じっじーっ!!」
妖精はすぐさま、その高い鼻に飛び込んだ。
「ばかばかばかばかっ」
そのまましわだらけの額を叩く。
「こ、これよさんか」
魔法使いは妖精を掴みあげる。
妖精はボロボロ涙を零し、声をあげて泣き喚いた。
「――――? なぜお前がここにおる。旅はどうした」
魔法使いの疑問は、若々しい声が答えた。
「三年のお約束だったでしょう? 少し早く着いていて良かった。
喉に痛いところなどは?」
薬湯の独特のエグイ香りが漂う湯のみを差し出し、若者は告げた。
妖精が旅人に着いて行きたいと訴えた時、魔法使いは三年後に戻ってくることを条件に送り出した。
その約束を旅人は守った。正確には、一ヶ月近く早い。
「予定より早く着いたのは、この事を予知されていたのかもしれませんね」
雷が落ちたとき、妖精は若者のフードから飛び出した。
風をものともせず魔法使いの小屋に着くと、
そこには煎れたばかりのお茶が湯気をあげているだけだった。
すぐさま辺りを飛び回り、火災とそこに倒れる魔法使いを見つけ、
いち早く旅人を呼んだのだ。
「そうか……こんな老いぼれをありがとう。
しかしまさか、お前に命を助けられるとは」
魔法使いは若者に礼を言い、妖精には驚きの目を向ける。
「じっじー。花なんてまた植えたら良いんだよーっ。
珍しい植物の種だって、いっぱいいっぱいお土産に持って来たんだからっ」
そう言って妖精は若者の服に飛び込むと、皮袋を抱えて顔を出した。
年老いた魔法使いが花を好むと知っていたので、
お土産にと行く先々で集めたものだった。
「そうじゃな……。聞かせてくれんか。二人がどんな旅をしたのか」
『もちろん』
長い旅から戻った二人は、元気そうな魔法使いに安心し、にこやかに笑った。
翌日、誰よりも早起きした魔法使いは、
二人を起さないよう気を配り、花畑を見に行った。
炎が静まった花畑は土と灰が積もるだけだった。
燃えてしまった花も、後の良い肥料になる。
そして、燃えなかった石が花畑だった場所には残されていた。
灰の積もる墓碑を魔法使いは手で払った。
――――じっじー。
そう呼んでくれた幼い子供との思い出が蘇る。
墓に添えた花がいつしか花畑となって、
一人の妖精がその花畑に姿を見せるようになった。
幼くして死んだ子供は、時に妖精になるという。
この花畑がある限り、あの子は旅先でも無事であると魔法使いは信じていた。
だからこの花畑が失えばあの子も居なくなってしまう、そんな不安に駆られた。
しかし、もうあの子はこの花畑に縛られてなどいない。
あの子の集めた花の種をこの地に蒔けば、さぞ美しい花が咲くことだろう。
「わしはそれを見守ることにしようかの」
一週間がすぎて、年老いた魔法使いは二人を見送った。
そのしわだらけの手には、旅人と妖精が作った未完の書紀の写しがあった。
「じっじーっ。また三年後に会おうなーっ」
妖精は旅人の頭の上で小さい腕を力いっぱい振りまわした。
「ふぉふぉふぉ。孫を頼んじゃぞ」
若者に聞こえたかどうかはわからないが、魔法使いは満足げに小屋に戻った。
……翌年、花粉症への対処の仕方を調べる年老いた魔法使いの姿があった。
...END
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ほのぼのファンタジー。
派手な魔法はでてきません。
絵を入れると、どんな風になるかのテストもかねてみたり。
(挿絵・本文/2004年 冬)