No.419178

窓帳(カーテン)越しの二人 -二次創作優雨ルート・4(2/2)-

くれはさん

「処女はお姉様に恋してる 2人のエルダー」の二次創作作品。本作品は、私の書いた二次創作優雨ルート、第四話の後半となります。  
PSP版発表前に書き始め、pixivにて2011年4月10日に最終話を投稿した、妄想と願いだけで書いた、PC版二次創作の優雨ルートです。最終話の投稿から1年が経過し、別の場所にも投稿し、そこでの評価を知りたい、と考えTINAMIへの投稿を致しました。拙く、未熟な部分ばかりの作品ですが、読んで頂ければと思います。

***

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2012-05-06 15:16:52 投稿 / 全20ページ    総閲覧数:1499   閲覧ユーザー数:1401

「――千早さま」

 

 

 

……近くで、声が聞こえる。

その声に反応するように、未だ半分眠ったままの頭を動かす。

 

「……おはよう、史」

 

気怠げに身体を起き上がらせて、ベッドの横に立っていた史に答える。

……最低限の睡眠は取っているはずなのに、身体の動きが鈍い。

 

……ここ数日、こんな状態が続いている。

以前は史が部屋を訪れる前に目を覚ましているのが当たり前だったのに、

最近は史が室内に入ってきても中々気付けない。

 

こんな状態なのは、よく眠れていないから……というのは判っている。そして、その理由も。

でも、史はあの場には居なかった。だから僕は、それを伺わせる様な事は迂闊には出来ない。

史に、心配を掛けてしまうだけだから……。

 

 

 

***

***

 

――授業中であるというのに、授業の内容が頭に入ってこない。

ただずっと、考え続けている。

 

 

……今朝の朝食時も、千早さまは可能な限り普段の様に振舞おうとしておられました。

 

ですが時折、優雨さんを気にしては。

安堵するような、苦悩するような……そんな表情をされております。

 

……ここ数日は、ずっとそんな御様子で。

悩まれている理由も、史には判っているのに――何も出来ません。

史はあの場での優雨さんと千早さまの遣り取りを、知っておりますのに……何も。

 

 

――千早さま。

 

 

……史には。

悩んでおられる千早さまをただ見ているのみ……などという事は、史には出来ません。

けれど、それならば。千早さまの為に、史は一体どうすれば良いのでしょうか……。

 

 

 

 

 

――授業終了の鐘が鳴り、思考から現実に引き戻される。

この後は昼休みに入る為、昼食を取るでもなく、ただ何も行動をしない事は不自然にしか思われない。

 

……思索は、昨日や一昨日と同じように他所で続けよう。

そう考えて席を立ち、教室を出た所で――

 

 

「――史。偶には、一緒に昼食など如何でしょう?」

 

 

そう、声を掛けられた。

 

 

 

***

***

 

 

 

「……さて、此処で良いでしょうか」

 

昼食のお誘いを受け、先を往くケイリさんに着いて行き。案内された先は、中庭でした。

ケイリさんが先に腰を下ろされてから、史も……と。

そう考えていたのですが、ケイリさんはなかなかお座りになりません。

 

「私は人待ちをしているだけですから。どうか、史は先に座っていて下さい」

 

そうしてケイリさんも史も座らず、立ち続けている内に。ケイリさんは、史にそう言いました。

 

……人待ち、とは。どなたを待っておられるのでしょうか。

その方も、この昼食の席に参加されるのでしょうか。

 

……その意図を込めて、ケイリさんにお聞きしてみたのですが。

ケイリさんは何時も通りの笑みを浮かべるだけで、史の質問には答えていただけませんでした。

 

先を譲られた以上、立ち続ける訳にも参りません。

ケイリさんの仰る通り、史は先に腰を下ろさせて頂く事にします。

 

 

……ケイリさんの事を利用しているようで、多少気が引けますが。

人を寄せ付けがたい雰囲気を持つケイリさんと行動を共にするのなら……と。

そう考えて、お誘いを受けさせて頂きました。

 

 

…………いえ。本音は、違います。

総ては星の導きの下にあると、日頃そう仰っているケイリさんが史を訪ねたのならば、

そこに何か意味があるのかもしれない。……それに、縋りたかったのかもしれません。

 

 

 

 

――それから、少しして。

腰を下ろす事無く立ち続け、何方かを待っていたケイリさんは。

ほぼ一人分の間を空けて、史の横に腰を下ろしました。

 

……待っておられた方は、未だお出でになっていないのでは?

 

そう思いながら、ケイリさんの方を見ると……ケイリさんは変わらず笑顔のまま。

 

「ああ、もしかして私は史を心配させていましたか?もしそうなら、申し訳ありません。

 ……実は、待ち人は最初から来ていたのです」

 

……それは、どういう意味なのでしょうか。そう思い、ケイリさんに聞こうと――

 

 

(やっほー、史)

 

 

――――え?

今、聞こえたのは――

 

「待たせてしまって申し訳ありません、千歳。不自然でない程度に装おうと思ったのですが」

(ううん、ケイリちゃんに無理なお願いをしたのはわたしの方だもん。ごめんね、ケイリちゃん)

 

空けられた席には、変わらず誰の姿もなく。……なのに、そこには誰かがいると、はっきりと感じて。

そして、そこに誰がいるのか――判ってしまって。

 

「…………千歳、さま?」

 

呆然としたまま。

半ば無意識に、呟いて。

 

(そ、千歳だよ。ちょっと史と話したいことがあって、ケイリちゃんにお願いしたんだ)

 

 

 

 

「驚かせてしまった様で申し訳ありません、史。少しだけ手伝って欲しいと、千歳にお願いされてしまいまして」

(そうそう、ケイリちゃんは全然悪くないの)

「御話は理解致しました。……史は、助けを求める余りに

 千歳さまの声を幻聴として聞いてしまったのでは……と、自分の耳を疑ってしまいましたが」

(ごめんね、史。そんなに驚かれるとは思ってなくて……)

「……いえ」

 

変わらず、一人分の空間を空けたまま。

ケイリさんと、姿の見えない千歳さま……その御二方と、史は話をしていました。

ただ、ケイリさんの視線は史の方へと向けられる事はありません。

 

――独り言を言っている様に見えては、周りから見ると非常に不審に見えてしまいますから。

 

ケイリさんが史を昼食に誘われたのは、史が千歳さまと話をしていても不自然ではない様にする為だと

……つまりは、そういう事だったのでしょう。

 

「……それで、千歳さま。史にお話とは、どのような内容なのでしょうか」

(うん。……その、ね)

 

……言葉は、一旦そこで区切られ。

少ししてから、千歳さまは躊躇うような感情を込めた声で――。

 

(わたしは、ちーちゃんと……優雨ちゃんを、助けてあげたい。……でも)

「……千歳さま?」

 

千歳さまの声のトーンが、少し下がったような気がした。

 

(ううん、なんでもない。それで、どうしたらいいのか……いっしょに考えてくれる、史?)

 

 

 

 

……千歳さまと話をしていて、ずっと違和感を感じていた。

既にある結論を強引に迂回して、別の方法を探そうとしているような――そんな違和感を。

話し続けていれば、いつか別の方法が見つかるかもしれない。

千歳さまの言葉から、そんな焦りを感じる。

 

……では、何を迂回しているのか。どんな結論から、離れようとしているのか。

その答えは既に、自分の中で判っている。千歳さまは、史の事を思って下さるのだと。

けれど、それでは解決しない。史の事を思って下さる限り、解決には到れない。

 

……それならば。

意を決して、自分の意思を千歳さまに告げよう。

 

「……千歳さま」

 

……告げようとして。ざわり、と心が揺れる。

本当に、それでいいのかと。自分の感情が、そう云っている。

 

…………少しずつ溢れ出て。

ともすれば決意を侵蝕しそうになるそれを、強引に抑えて、告げる。

 

 

「仰って下さい、千歳さま。史の事などお考えにならず、ただ千早さまの為に出来る最良の方法を」

(…………史)

 

そう、史の名を呼ぶ千歳さまの声からは。

驚きと、困惑と……その他にも、様々な感情が見えた気がした。

 

 

……千歳さまは、判っておられるのでしょう。

史が、千早さまにどの様な感情を抱いているかを。

 

優雨さんが、何を考えているのか。

優雨さんは、千早さまに対して何を思っているのか。

 

千早さまを見ている優雨さんのことを考える過程で――史は、気付いてしまいました。

それは、史の中にずっと存在していたものと同じだと。

 

 

――でも、史ちゃんがそう見えるのであれば、恐らくそれは正しいのでしょうね。

 

 

香織理お姉さまには……恐らくは薫子お姉さまにも、判っていたのでしょう。

史が千早さまに対して抱いているものが何なのか。

 

 

……ですが、躊躇っていては何も解決する事など出来ません。

 

 

 

 

(これからわたしは、わたしのわがままで史にすごく辛いお願いをするかもしれない。

 ……史は、それでもいいの?)

「構いません」

 

……暫く時間を置いて発せられた千歳さまの問いに、迷わず答えます。

 

「……千歳さまが笑って下さっているのは、優雨さんのおかげです。ですから――」

 

僅かに、胸がざわめき。優雨さんを羨ましいと思う自分の姿が見えて。

……でも、それでも。千早さまと優雨さんの事を思うこの相反する感情も、自分の一部で。

どちらかを肯定すれば、もう一方は否定されるしかない。

 

それでも……。

叶わぬ思いだから、という理由ではなく。自分がそうしたいからという理由で、この選択をする。

 

 

「史は、千早さま――それに、優雨さんにも。笑って頂きたいと、そう思います」

 

……史は。

千早さまと千歳さまを想い、涙を流してくださった方を……悲しませたくはありません。

 

 

***

***

 

 

――同刻。

 

 

***

***

 

 

……授業が終わってから、わたしは一人で廊下を歩いていた。

時間は、お昼休み。みんな、お昼ご飯を食べてる頃。でもわたしは、教室にいられなかった。

みんなから見ても、やっぱりわたしは落ち込んでるように見えるみたいで……

わたしを心配してもらえるのは嬉しいって思ったけど、それが苦しかった。

 

……みんなを心配させてるのが、苦しかった。

でも、どこに行こう。そう、思っていたら――

 

 

「――あら。どうかなされたのですか?優雨さん」

 

 

わたしを呼ぶ、声が聞こえた。

 

 

 

 

「……うたの」

 

声のほうへ振り返ると、うたのと……それに、隣にあわゆきもいた。

最近はちょっと園芸部のほうに行く事が多かったから、そんなに話していなかった。

 

 

……どうしてだろう。うたのの姿を見て、聞いてみたいって思った。

クラスの子たちには聞けない、って。そう、思ってたのに。うたのだけ、違う。

 

 

どうしたらいいのか。ちはやを好きだって言って、本当によかったのか、って。

うたのなら、教えてくれるのかな……。

 

 

 

 

 

 

「――そうですか。優雨さんは、お姉さまに好意をお伝えになったのですね」

「……うん」

 

うたのとあわゆきと一緒に、修身室に行って。わたしは、二人にわたしがした事を話した。

……そう、なんだ。わたしはちはやに、好きって言ったんだ。

 

……わたしの話を聞いて、あわゆきは難しそうな顔をしてる。

やっぱり――

 

「やっぱり、わたしは……ちはやを困らせちゃってるのかな」

 

あの後、ゆっくり考えてた。わたしはちはやになんて行ったんだろう。

それをちはやはどう思うのかな、って。……そうしたら、色々わからなくなった。

 

「わたし、変なのかな……。大好き、って気持ちが止められなくて。それで――」

 

それでわたしは、ちはやに「好き」って言った。

……でも、わたしのした事は。わたしの勝手で、わがままで。ちはやを困らせてるだけなのかな。

 

「でも、ちはやは女のひとで。もしかしたら迷惑かもしれないのにって、そう思って……わたし……」

 

……考え出してからは、ずっと。

わたしは……ちはやに嫌われるのが、怖いって。

 

「ちはやが好きって……言っちゃいけなかったのかな」

 

 

 

 

「……いいえ。好意を伝える事が良くない事だとは、私は思いません」

 

 

「え……?」

 

……うたのは、わたしの目を真っ直ぐ見て言った。

 

「人が誰かに好意を抱く事を、私は好ましいものだと思います。その好意の中には、

 勿論世間の倫理では認め難い形の物も存在するのでしょう。ですが――

 

 ――その方を好きだという思いは、倫理の壁よりもずっと早く……自分の心が悟るのです。

 ですから、異性であろうと同性であろうと。その好意に間違いはありません」

 

…………間違って、ない。じゃあ、いいのかな……。

わたしは、うたのの言ってることに安心しても、いいのかな。

わたしは――

 

「……わたし、ちはやを好きでいていいの……?」

「ええ。性別がどうか……という事が気になるのでしたら、こう考えてみては如何でしょうか?

 例えば――千早お姉さまが、実は男性だった」

「――げほっ!?うたちゃん、いきなり何を言ってるの!?」

「飽くまでも例えですわ、雪ちゃん。落ち着いて下さいな。……それで、如何でしょう?

 千早お姉さまが男性であっても、優雨さんの気持ちは変わりませんか?」

 

……ちはやが、男のひと?

ちょっと、考えてみる。

 

「…………うん。女のひとでも男のひとでも、わたしはちはやが好き」

「でしたら、優雨さんの思いは性別の垣根には関係の無いもの……という事です。それに」

「それに……?」

 

うたのは、少しだけわたしをじっと見て。

それから笑って、

 

「先程お姉さまをお見掛けした所、何か悩んでおられるご様子だと感じたのですけれども……

 あれはお姉さまが、優雨さんのことを真摯に考えているからこそのご様子だったのだと。

 私は、今なら判ります」

「……そう、なの?」

「ええ、恐らくは」

 

……そう、なのかな。そうだったら、うれしい。

 

「……ですから、優雨さんが心配する必要など御座いません。

 迷惑だと思っておられるのなら、あの様な表情をなさるとは思えませんし……

 お姉さまはただ、お姉さまなりに優雨さんとの向き合い方を模索しているのだと思います」

「じゃあ、わたしは……」

 

……わたしは、ちはやの事を好きになっても、いいんだ。

なんだかすこし、安心できた。

 

……頬に手を当てて。安心して、顔がゆるんでるのがわかる。

そんなわたしを、うたのは見て。

 

「私は、優雨さんの悩みにお答えする事が出来ましたか?」

「……うん。ありがと、うたの」

 

 

 

 

 

「……私からも一つだけ、いいですか?」

「……あわゆき?」

 

うたのの隣で、ずっと黙ってたあわゆきは。

わたしのほうをじいっと見て、難しそうな顔をして……それから、いつもの顔に戻って。

 

「何が正しいのかは、私には判りません。……でも、優雨さんのその想いを、

 きっとお姉さまは本気に考えて、答えを出してくれると。わたしは、そう思います。……頑張って」

「……うん」

 

あわゆきは、こういうことを聞いて困るかもしれないって思ってた。

……でも。わたしを、はげましてくれたのかな。

 

だったら、わたしは。もっと頑張ってみよう。

 

「ありがと。うたの、あわゆき」

 

 

 

 

……うたのとあわゆきに、お礼を言って。

わたしは、修身室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……残念ですけれど、優雨さんに先を越されてしまった様ですね」

「……?……うたちゃん、何か言った?」

「いいえ、何でもありませんよ。雪ちゃん。……それより、

 雪ちゃんが優雨さんにあのように申し上げた事の方が、私としては気になるのですけれど」

「……ちょっと、ね。でもやっぱり、私は千早お姉さまの様には出来ないみたい。

 どうなるかも考え切れてないのに、無責任に『頑張って』とか」

「あら」

 

 

***

***

 

 

「……へ?寮に泊まりたい?」

「ええ、久々にね。どうだろう、薫子?」

 

……寮の、あたしの部屋。

あたしの前に立つケイリは、突然そんな事を言い出していた。

 

「いや、それはいいんだけど……何で今なんだろ、って」

「だって、薫子達は卒業間近だろう?その前にもう一度位、と考えるのはそうおかしい事ではないと思うけれど」

「……それはそうだけど」

 

ケイリは、じっとあたしの顔を見ている。

……何だろう、この微妙にスッキリしない感じは。そこにいるのは、いつもと全然変わらないケイリなのに。

というか、何だか色々妙な事になってる気がする。

 

 

 

 

……どうしてこんな状態になっているのか、思い出しながら色々考えてみる。

 

 

学院から帰って、寮の自分の部屋で伸びていたら。

ノックの音と一緒に史ちゃんの声がして、あたしはいつもの通りに『入っていいよ』って史ちゃんに応えた。

……そうしたら。

 

――やあ、薫子。

 

扉を開けた史ちゃんの後ろに……何故かケイリがいた。

 

……その後、史ちゃんはお茶の準備をする為に部屋から出て行って。

残ったケイリが、久しぶりに寮に泊まりたいとか……そんな話をし始めた。

 

 

…………うん。ケイリの行動が唐突なのはいつもの事だけど、今回は余計に判らない。

寮に泊まるっていう時は大体先にあたしに話を通してたと思うし、こんな唐突じゃなかった。

それに、史ちゃんがケイリを連れてくるっていうのも……何て言うか……。

 

 

そうこうして悩んでいるうちに、史ちゃんが戻ってきて。

取り敢えずは落ち着こうと思って、淹れられたお茶を1,2杯頂いて。

これで少しは落ち着いて話が――

 

「それでは、千早達にも挨拶をしてくるよ。今日は泊まらせてもらいます……とね」

 

あたしが落ち着く前に、ケイリはすたすたと部屋を出て行ってしまった。

……うーん?やっぱり何だか、何時にも増して強引というか……唐突というか。

 

 

 

……そんな風に、微妙に頭を抱え続けるあたしに。

 

「……薫子お姉さま。一つ、史からお願いしたい事が御座います。

 宜しければ、話を聞いては頂けないでしょうか」

 

史ちゃんは、そう言った。

 

 

***

***

 

 

……帰ってきてからもずっと、僕は自室で考え込んでいた。

食堂には香織理さんと初音さん、陽向ちゃんが居るけれど……あまり、誰かと話したい気分ではなかった。

 

ここ数日、考え続けていた事。優雨との事。

僕が、どうしたいか。その結論はもう出ている。

 

 

――僕は、優雨に応えたい。優雨と一緒にいたい。

 

 

……けど、それは独り善がりな考えじゃないのか。その思考がブレーキを掛け続ける。

その選択をしたとき、どうなるか。それを恐れ続けている。

 

思考ばかりが堂々巡りを続けていき、答えを抱えたままで何処にも飛び出せない。

 

 

 

……そうして、考え続けていると。

 

「――失礼するよ、千早」

 

寮内ではあまり聞きなれない声が、ノック音と共に聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「……ええ。そういう事で、今夜は寮に泊めて貰おうと思って」

「判りました。この後は、初音さん達の所に?」

 

……扉を開けて入って来たのは、ケイリだった。

どうしてケイリが寮に、とも思ったけど……そういえば、以前も泊まりに来た事があった。

卒業が近いから泊まりに、というのも納得できる理由ではある。

 

……と、そういえば。

 

「ケイリ、以前貴女から貰ったこれだけど……結局、これは何だったのかしら」

 

そう言いながら、手首に巻いたそれ――タリスマンをケイリに見せる。

あの時は、ケイリに突然渡されて……そのままケイリは行ってしまったので、聞く事が出来なかった。

それ以降もあまりケイリと出会う事がなかった為、聞きそびれたままだった。

 

「ああ、タリスマンだね。着けた人間の力を増幅する――そういった効果を持つ、

 一種の御守です。シルバーウィードが効いたのだったら、もしかして……と思って」

「成る程……」

 

以前渡された、ケイリお手製というシルバーウィード――そこから抽出した、エリキシルの飴玉。

あれには霊魂の回復の効果があるとケイリが以前云っていたし、それなら判らなくはない。

千歳さんが、僕の力を借りて存在を維持しているというのなら……

クリスマスの事も、これの力があったから――という事なのかもしれない。

 

「千早に効果が有ったのなら良かった。……では、私は初音達の所へ行ってくるよ」

 

僕の質問に答えた後、ケイリは少しだけ笑みを強くして。

それから部屋の扉へ向かい、開いて、そのまま出て行く――

 

――と、思いきや。くるりと振り返り、

 

「ああそうだ、千早。……貴女の傍に有る星を、信じてあげるといい」

 

……そう言ってから、ケイリは今度こそ部屋を出て行った。

 

 

 

…………何、だろう?

 

******

******

 

 

――夕食が終わり、時間が過ぎて。

僕は、部屋に戻っていた。

 

ちらりと見た時計が示していた時間は、午後10時過ぎ。

 

ケイリが混じった今日の夕食は、何時もより少し賑やかだった。

イレギュラーなケイリの存在で、雰囲気が変わり……僕も、少しは気が楽になっている気がする。

 

……優雨も、落ち込んでいる気分を少しは変えられただろうか、と思い。

その落ち込んでいる理由が僕だということに思い至り、自分の勝手さに苦く笑う。

 

もう、お風呂には入った。今日はこのまま寝てしまおうか……そう考えていて。

 

 

 

 

「宜しいでしょうか、千早さま」

 

控えめなノック音と共に、史の声が聞こえてくる。

……こんな時間に、何だろう?

 

「どうぞ、史」

「失礼致します」

 

そう断ってから、史は部屋に入り。後ろ手に扉を閉めてから。

 

 

「千早さま。史の用事に、少々お付き合い頂けないでしょうか」

 

 

***

***

 

 

……史に連れられて歩いてはいるものの。

何かを買いに学院の外へ向かう訳ではなく、史はどんどん内へ……学院の方へと歩いていく。

 

「用事と言うから、外へ買い物に行く為の付き添いかと思ったのだけど……違うのかしら」

 

その言葉に、史は答えない。そんな史の反応に、余計に判らなくなる。

 

 

 

……そして、そろそろ中庭に差し掛かる――そんなところで。

 

「…………え?」

 

こんな時間、なのに。誰かが既にそこに立っていた。

 

……吐く息を、白く凝らせて。髪を夜風に淡く揺らしながら。

そこに佇んでいたのは――

 

 

「……ちはや?」

 

 

――優雨、だった。

 

 

史に付いて歩いていた足が、止まる。

 

……どうして。

どうしてこんな時間に、こんな場所に。優雨が、いる?

僕は史に連れられてきたのに、その先に優雨が……どうして?

 

「優雨……」

 

状況が判らず、呆然としていて。

僕は、史の言葉を危うく聞き逃すところだった。

 

 

「それでは、史は失礼致します。……後はお願い致します、」

 

……え?

 

その先に、続いた言葉は。

千歳さま、と……僕には、史がそう言っている様にしか聞こえなかった。

 

 

 

 

……その言葉の意味を理解しない内に、何もない筈の空間に手が引っ張られ。

ただ夜の闇しかなかった僕の腕の先には――

 

 

千歳さんの姿が、あった。

 

 

「ちーちゃん、優雨ちゃん。こんばんわ」

 

 

***

***

 

 

「――お帰り、史ちゃん」

「只今戻りました、薫子お姉さま、ケイリさん」

 

中庭が……千早と優雨ちゃんが見える位置の、茂みの中。

あたしは、千早の誘導を終えて戻ってきた史ちゃんを迎える。

 

今この場に居るのは、あたしと史ちゃん、それに。

 

「薫子も、優雨を連れ出したんだろう?ならば薫子にも、私はお疲れ様と言うべきかな」

 

あたしの真横にいる、ケイリ。

……どうやら、寮に泊まりたいって言ってきた目的はこれだったらしい。

 

ケイリの言った通り、あたしは優雨ちゃんを寮からここまで連れて来ていた。

そして、史ちゃんは同じ様に千早を。……そして、ケイリはといえば。

 

「寮を出る前に部屋の外から確認してきたけど、本当にぐっすりだったよね……一体何盛ったのよ、ケイリ」

「疲れを取るための薬の様なものだと、薫子には説明しただろう?

 エリキシル自体は睡眠導入の効果はそう強い訳ではないから、初音達が疲れていただけだと思うよ」

「そう言われても……ねえ」

 

初音、香織理さん、陽向ちゃんの三人。……つまりは、今この場にいるあたし達以外の全員に。

そのエリキシルとかいう名前の飴っぽいのを、疲れの取れる物と言って挨拶回りの時に渡してきたらしい。

時間が経ってしまうと大分効果が落ちるから、出来れば今日の内に……とか、そんな事を言っていたとか。

……いやまあ、その心遣いは有難いんだけどさ。

狙った通りの効果がしっかり出ると、本当にそれは真っ当な代物なのか疑いたくなるんだよね。

 

史ちゃんが戻ってきた分、座る位置を調整して……そして、もう一度千早達が居る方を見る。

そこには千早と優雨ちゃん、それに千歳さんの姿がある。

 

 

 

さて、どうなるんだろうか。

……覗き見なんて、趣味が悪いっていうのは判り切ってるけどさ。

 

 

***

***

 

 

……今目の前で起きている事が、信じられない。

だって、千歳さんは。あのクリスマスパーティの時に、行ってしまった筈なのに――

 

「千歳――さん……?」

 

ただ、呆然と。僕の手を引く姉の名前を呼ぶ。

その僕の言葉に、千歳さんはにこりと笑ってから。

 

「うん、千歳だよ。……驚かせちゃった?」

「驚かせるも、何も……千歳さんは、もう行ってしまったはずじゃ……」

 

理解の追い付かない状況に、言葉を繕う事すら忘れていた。

 

「……ちとせは、どうしてここに来たの?」

 

……そんな僕とは対照的に。

優雨は、現れた千歳さんの姿を見て。こうして現れた理由を聞いていた。

優雨も、驚いている筈……なのに。

 

「ちょっとだけ、ね。あとちょっとだけ、やりたい事があって。でも、別に叶わなくていいかな、って思いながら……

 もう少しだけって、ちーちゃん達の傍にずっといたんだ。……驚かせちゃってごめんね、ちーちゃん」

「……いえ」

 

千歳さんが僕の方を向き、笑顔で答える。……そうしたかと思えば、今度は急に渋い顔になり。

僕と優雨の顔を順に見てから、引っ張っていた手を離して。

 

「そうしたら、ちーちゃんと優雨ちゃんが困った状態になっちゃってるんだもの。

 だから、わたしがちょっとだけお節介しに来たの」

「え」

 

――そう聞いた瞬間。先刻まで感じていた優雨への焦燥も、足取りに感じていた重みも、全て収まり。

代わりに血が冷えるような感覚が身体に満ちる。

 

つまり、それは。千歳さんにも、僕をここに連れてきた史にも。僕が何で悩んでいるかを、知られてる?

……うわ、何だこの恥ずかしさ!自分が恋愛で悩んでる事を家族に知られてるって、

こんなに恥ずかしい気分になるんだ!?

 

 

 

「……そ、それで。千歳さんはどうするんですか?」

 

正直、この質問の仕方もどうかとは思う。……でも、全身に満ちる恥ずかしさでそれどころじゃない。

最早誤魔化す為に千歳さんに質問をしているような状態になっている。

 

「うん、それでね。ちょっと、ちーちゃんと優雨ちゃんと、お話しようかなって。

 ……そういうわけでちーちゃん、まずはちょっと身体借りてもいい?」

「……どうして、ですか。いえ、身体を貸す事自体は吝かではありませんけど、

 ぼ――私と優雨に話があるのなら、そのままでも良いと思うのですけど」

 

僕、と言い掛けて。そこで漸く、自分が話し方を変えていなかった事に気付く。

言い掛けた部分から強引に仕切りなおして、千歳さんに意図を聞く。

 

……すると。

 

「だめだよ、ちーちゃん。優雨ちゃんと二人だけでしたい秘密のお話っていうのもあるんだから。

 お姉ちゃんはちーちゃんをそんな子にした記憶はないんだけどな」

「……わたしも、ちょっとだけちとせと話したい」

 

『だめだよ』の部分に力を入れて、千歳さんは思い切り僕の疑問を否定した。

何だか、千歳さんが少し吹っ切れた感じになっているような気がする。

……優雨も、何か話したい事があるみたいだし。まあ、いいか。

 

……優雨との事が知られていたり、僕の秘密はどこだろう……なんて考えながら。

わざとらしく溜め息をついてから、千歳さんに答える。

 

「……はいはい、判りました。でも、少しだけですからね」

「ありがと、ちーちゃん。……えいっ」

 

走る様に――ではなく、飛び込んできた千歳さんを、身体で受け止めるようにして。

先刻まで僕の手を掴んでいて、感触のあった筈の千歳さんの身体は、

そのまま僕の身体をするりと通り――

 

 

 

 

――僕はそのまま、意識を失った。

 

 

***

***

 

 

――ちーちゃんに飛び込んだ勢いのまま、身体が動いて。

わたしを受け止めるように立っていたちーちゃんの身体は、そのまま後ろへと倒れて――

 

「あい……ったぁ」

 

思いっきり、尻餅をついた。

……あれ?私は前に向かって飛び込んでたはずなのに、何でちーちゃんの身体は後ろに行くんだろう?

 

うーん……まあ、いいかな。

 

地面にぶつけてしまったお尻をさすりながら、ゆっくりと立ち上がって伸びをする。

んー……っ!この感じ、すごい久しぶりだなぁ。身体に重みのある、懐かしい感じ。

 

……さて!

 

「それじゃ優雨ちゃん。女の子同士の秘密のお話、始めよっか」

 

わたしのその言葉に、優雨ちゃんは目を丸くしてる。

……あ、優雨ちゃんはまだ知らないんだっけ。いけないいけない。

 

 

 

 

優雨ちゃんの手を引いて、中庭に設置されているベンチに並んで座る。

 

「さて、と。……久しぶり、優雨ちゃん。1ヶ月くらいかな?」

「うん。久しぶり、ちとせ。……すごく、びっくりした。またちとせに会えるって、思ってなかったから」

「わたしも、どうしようかな……って思ってたんだけどね。でも、折角だから」

 

それはまあ、驚くよね。だってわたし、結構派手にいなくなっちゃったし……やりすぎちゃったかも。

……と、それもあるんだった。ちーちゃん達のことを優先しなきゃ、って忘れるところだったよ。

 

「優雨ちゃん。……お母さまの事、ありがとね。わたし、すごい嬉しかった」

 

隣にいる優雨ちゃんに、ゆっくり言葉を伝える。

本当は、もっと言いたい事はたくさんあるんだけど……あんまり邪魔しちゃったら、ちーちゃんに悪いもんね。

 

「嬉しい、けど……でもわたし、何も出来てない。倒れて、ちはやにも迷惑になって……」

「ううん、そんなことない。わたしとちーちゃんと史だけだったら、きっとダメだった。

 わたし達だけじゃ、お母さまに声を届けられなかったんだもの」

 

それだけは、強く思う。わたし達だけじゃダメだった。

あそこに優雨ちゃんがいてくれたから、わたしは……。

 

「幽霊さんになって、もうどうしようもなくて。……ずっと、諦めてたんだ。

 お母さまも史も、私を忘れちゃって。お父さまは、覚えてくれてはいたけど……そんなお家が嫌になっちゃって。

 だからきっと、わたしはちーちゃんとまさ路さん……あ、史の曾お祖母ちゃんね。

 それに、昔からお家にいてくれる皆。その人達の中に、ひっそり残るだけだって。ずっと、思ってた」

 

……本当に。そうなるだけだって、思ってたんだ。

 

「……そう、思ってたのに。ちーちゃんにくっ付いて、ずっと傍に居て……それで、ここに来て。

 わたしは、わたしがいる事をちーちゃんに気付いてもらえた」

「ちとせ……」

 

優雨ちゃんは、静かに聞いてくれている。

それからも。沢山……すごく沢山。嬉しい事があった。

 

「史に、思い出してもらえた。薫子ちゃんっていうお友達が出来た。優雨ちゃんに会えた。

 香織理ちゃんも、初音ちゃんも、ケイリちゃんも。……いっぱい、出会えた人がいた」

 

それに――ちーちゃんと優雨ちゃん、史に助けてもらって、お母さまに思い出してもらえた。

 

「だからわたしは、そんな人達がいるこの世界が大好き。

 みんなと出会えた事も、ちーちゃんと史に出会えた事も。お母さまもお父さまも、みんな大好きだよ。

 ……おかしいよね。幽霊さんになっちゃった後に、いちばん幸せを感じるなんて」

 

ふふ、と少しだけ笑って。

 

「わたしはきっと、この世界にあって、まだ出会えてない素敵なことも――きっと大好きになる」

 

空に浮かぶお月様と、それを取り巻く星を見て……それも、すごく綺麗だと思える。

満月をじっと見てから、目を外して。優雨ちゃんのほうを向いて、話しかける。

 

「優雨ちゃんは、どう?――素敵なこと、見つかった?」

「すてきな、こと――」

 

優雨ちゃんは、ほんの少しだけ間を空けて。

 

「……うん。素敵なことが、たくさんあった。わたし、ここに来てまだ一年くらいなのに、すごくたくさん。

 こんな近くに、こんなにたくさんあるなんて。ぜんぜん思わなかった」

 

じっと見ていたわたしの目を、逆に見返すみたいに。優雨ちゃんは、わたしの方を見て。

 

「わたし――もっと知りたい。わたしがまだ知らない、素敵なこと……もっとたくさん知りたい」

 

優雨ちゃんの目は、すごく輝いてた。

うん。それで、いいんだよ。……あ、そうだ。

 

 

 

「そっか。……ね、ちーちゃんの事もその素敵なことに入ってるのかな?」

 

その質問をした後、優雨ちゃんは急に真っ赤になって。さっきまでわたしを見てた目を、自分から外した。

……そういえば、これちーちゃんの身体だよね。いけないいけない、忘れてた。

 

小声で、ぽそりと「うん」と答えを返す優雨ちゃんが……すごく可愛い。

 

「そっかぁ……そんなにちーちゃんのこと、好きなんだ。お姉ちゃんとしては嬉しいな」

 

心の中で嬉しさを感じながら、立ち上がって。

……優雨ちゃんの正面に動いて、照れてる優雨ちゃんの両手を握る。

 

「……そんな優雨ちゃんに、ちょっとだけ手助け」

 

握った両手から、優雨ちゃんの体温を感じる。

優雨ちゃんの顔は、照れているまま上げられないけれど――そのまま、ゆっくりと話す。

 

「ちーちゃんは、すごく優しいんだ。……でも、ちょっとだけ怖がりなの。大好きな人に何かあったらどうしよう。

 大好きな人に嫌われたらどうしよう。大好きな人に拒絶されたらどうしよう、って。

 だから、なかなか本当の事が言い出せない時もあるんだ」

 

言い終わってから、握っていた両手を離して。

黒い髪を梳きながら、肩に軽く触れる。

 

「だから優雨ちゃん、教えてあげて。女の子は、大切なものは何があっても手放したくないんだって。

 そのためなら、ちょっと位強引な事だってするんだよ、って。――優しくて臆病なちーちゃんに、教えてあげて」

 

肩から手を離して、右手で優雨ちゃんの髪を軽く撫でてから……一歩離れる。

 

 

 

「……それじゃ、二人だけの内緒話はお終い。ちーちゃんに身体を返すね」

「ちとせ」

 

照れで俯いていた優雨ちゃんが、少しだけ顔を上げて。わたしの方を見る。

それにわたしは、できるかぎりの笑顔を作って答える。

 

「なに、優雨ちゃん?」

「……ありがと、ちとせ」

 

……ああもう、優雨ちゃんは可愛いなあ。

 

 

***

***

 

 

――一面、真っ白で。ただ静かだった。

音もない、風もない。ただ、自分が浮いているような感覚だけがある。

まるで微睡みにいる中のような――

 

「ちーちゃん」

 

……どこかから響くその声に反応して、ゆっくりと思考が動き出す。

ここは――そうか、千歳さんに身体を貸してたんだっけ。

今までは意識がないままの状態ばかりで、こういう状態は経験した事がなかった。

 

ある程度の思考力が戻ってくると、目の前にいる誰かをはっきり認識できるようになってくる。

そこに居たのは――

 

「……千歳、さん?」

「もちろん、千歳だよ。……なに?何か付いてたりするの?」

「いえ……その、姿が」

「あー……。ちょっと、ね」

 

そこに立っていた千歳さんの姿は……子供の姿ではなく、僕と同じくらいの背丈を持っていた。

鏡の中の姿に、近いと言えば近い。ただ、あちらは全身を見る事は叶わないけれど。

 

「それにしても……こういう状態になるの、初めてじゃないですか?」

 

どこかぬるま湯のような感覚すらある、白い世界を見回す。

本当に、どうしてこうなっているんだろう。

 

「それは多分、ケイリちゃんに貰ったののおかげだと思うよ。

 それでわたしとちーちゃんのバランスが取れてるんだと思う」

「そう、ですか……」

 

よく解からない事もあるものだ、くらいに考えたほうが良いんだろうか。

そんな風に考えていると、

 

「優雨ちゃんとのお話、終わったから呼びに来たんだ。……それと、ね。

 お母さまの事、ありがとね。わたし、嬉しかったよ……ちーちゃん」

 

千歳さんが、笑顔でそう言った。……今まで見たことが無いくらいの、笑顔で。

それを見たら、あの時自分に何が出来ていたか……なんて、考えるのが馬鹿らしくなってしまった。

 

「……はい。千歳さんが喜んでくれているのなら、良かった」

 

自分が、何をどうしたとか。結局、その行動の評価はどうだったとか。そんなのは関係ない。

だって千歳さんが今、これだけ笑顔で居てくれるのなら――その結果以外は、必要ない。

 

……でも、真正面からそう言われるのは少し気恥ずかしい。

だから照れ隠しに……という訳ではないけれど。先刻から、千歳さんに気になっていたことを聞く。

 

「そういえば……千歳さんのやりたい事って、結局何だったんですか?」

「すごく簡単な事、だよ?わたしのしたい事は、ちーちゃんと手を繋ぐこと」

「…………それだけ、なんですか?」

 

手……って。

そんな理由だとは、思いも寄らなかった。

 

「だってわたし、史とお母さまには触れたのに……ちーちゃんには触れてないんだもの。

 わたし、ちーちゃんの身体を借りてばっかりだったし」

 

……思い返してみれば。確かに、僕と千歳さんは直に触れ合ってはいなかった。

でも、そういう事だったら……。

 

「このくらいなら、叶わなくても気にしないかな……って、最初は思ってたんだけど。

 気にし始めたら、すっごく気になっちゃうんだよね」

 

そう言いながら、千歳さんは僕に向かって手を伸ばしてくる。

僕もそれに合わせて手を伸ばし――

 

「……うん。やっぱりちーちゃんの手、温かいね」

 

……千歳さんの手を握る感触を、心に刻み付ける。

例えここが現実でなく、夢みたいな場所だとしても……手を握る感覚は、きっと変わらない筈だ。

 

 

 

 

 

「それじゃ戻ろっか、ちーちゃん。……あ、ちーちゃんにも言わないとだね」

「……?」

 

……何の話だろう?

 

 

「……あんまり怖がっちゃだめだよ、ちーちゃん。色々あったけど、わたしはちーちゃんがそうしてくれたから、

 史の事も、お母さまの事も。わたしはすっごく、助けられたんだから。……だから、自信を持って」

「……はいはい」

 

……全く。全部お見通しか……本当に、敵わないや。

 

 

***

***

 

――身体の感覚が、戻ってくる。

冬の冷気を身体で感じて、寒さを覚えながら、ゆっくりと目を開けると――

 

「……ちはや、起きた?」

 

――目の前に、優雨の顔があった。

……………………え?

 

「あれ、優雨ちゃん?さっきとちょっと姿勢変わってる?」

「地面にたおれそうで、あぶなかったから……頑張ってちはやの身体をひっぱったら、こうなったの」

 

顔の上で、千歳さんと優雨が会話をしている。

……目の前に優雨の顔があって、頭の下には何か柔らかい感触。

 

…………膝、枕……?

……極力考えないようにして、ゆっくりと起き上がる。照れて顔の熱さが酷い。

それにつられて、優雨もゆっくりと立ち上がり。そんな僕達の様子を、千歳さんは笑顔で見ていて。

 

 

 

「さて。お礼も言えたし、色々出来たし。……今度こそ、わたしは行くね」

「…………はい」

「うん」

 

……これが、本当に最後。

多分もう、千歳さんと出会う事は――

 

「……もう。暗い顔になっちゃだめだよ、ちーちゃん。……えいっ」

「……え?」

 

千歳さんが僕のの右手を引き、同じように横に並ぶ優雨の左手を……って!?

 

「これでよし、だね」

 

……僕達は、千歳さんによって強引に手を繋がされていた。

一体、何を――。

 

「そんな暗い顔してたら、優雨ちゃんも史も気にしちゃうから。だから、その顔はだめ」

「……もう」

 

……そんな風に言われたら、仕方ない。

 

「それとちーちゃん、言い忘れちゃったから最後にもう一つ。

 優雨ちゃんと、史と、お母さま。お父さまに、まさ路さんも。……みんな、大事にしてね」

「……はい」

 

最後の最後で、父さんの事も忘れるなって釘を刺されるとは思わなかった。

……本当に、全く。心配性で、お節介で、家族の事が好きなんだから。

 

 

 

 

……僕と優雨に触れていた手を離して。

 

 

一歩、二歩、三歩……とゆっくりと下がって。

 

 

 

 

 

 

……最後に。

満面の笑顔を浮かべて――

 

 

 

 

 

「それじゃあね、ちーちゃん、優雨ちゃん。

 それに、みんな。――ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

空へと伸びた、一条の細い光と共に――千歳さんは、行った。

 

 

 

 

 

 

……見上げた空には、もう跡は何もない。

ただ、最初からあった月と星だけが悠然とそこにある。……そして僕の隣には、優雨が。

 

 

――あんまり怖がっちゃだめだよ、ちーちゃん。

 

 

……全く、もう。

その後押しが、どれだけ力になったか。

 

優雨と繋いでいる方ではなく、空いた左の手を軽く握って。

……この選択を、する。

 

 

 

「……ね、優雨。少し、話を聞いてくれるかしら」

 

千歳さんによって繋がれた手からは、優雨の体温を感じる。

 

「優雨に、話したい事があるの。私の――」

 

……一瞬、息を止めて。

自分を晒す、覚悟を決める。

 

 

 

 

「――ううん。僕の話す事、聞いてくれる?」

 

『僕』、と。そう僕が自分を呼んだ事に、優雨が目を丸くしている。

 

 

 

 

 

 

恐れる事が、ないわけじゃない。こうして話したその結果がどうなるかは、やはり怖い。でも――

 

 

 

――僕は、優雨に正しく向かい合うために。

ここから始めよう。

 

 

***

***

 

 

「…………」

 

……淡い光と共に薄らいでいく、千歳さんの姿を。

あたし達は、ただ静かに見送っていた。

 

左隣にいる史ちゃんの方からは、嗚咽を噛み殺したような声が聞こえてくる。

右隣にいるケイリは、ただ何も言わず、黙ったままで。

……あたしは、自分が今どんな表情をしているか、判らない。

 

 

――それじゃあね、ちーちゃん、優雨ちゃん。

   それに、みんな。――ありがとう。

 

 

あたし達にも、最後の言葉だけが聞こえていた。

多分それは、幽霊の千歳さんだったから出来る……音のない言葉だったんだと思う。

 

「――自分を愛した家族への未練、か。千歳の願いは、最後までそれだったんだね」

 

母さまは――と。そう言い掛けて、ケイリは口を噤んだ。

……今の言葉は、聞かなかった事にしようと思う。多分、口を噤むだけの理由があるんだから。

 

 

 

史ちゃんの方から、声が聞こえなくなって。

改めて千早達の方を見ると……なんか、優雨ちゃんが千早の胸を触っていた。

……ああ。優雨ちゃんに話したんだ、千早。そうでもなければ、そんな風にはならないもんね。

 

これ以上覗き続けるのは、流石に無粋だろうし。そろそろ、寮に戻ろう。

…………これ以上も何も、覗きをしてる事自体が無粋以外の何物でもないんだけど。

そこは見ない事にしておこうと思う。

 

「さて。史ちゃんもケイリも、寮に戻ろうか」

「……そう、ですね」

「そうだね。それが良いと思うよ、薫子」

「あら。これからが良いところなのに……詰まらないわね、薫子ってば」

 

 

 

……………………え?

 

声のした方を向くと、あたし達からやや離れた位置の木の影に。

香織理さんが、いた。

 

 

「……か、香織理さん?寝てたんじゃなかったの?」

 

あたしがそう聞くと、こちらに向けて歩き出していた香織理さんは立ち止まり。

史ちゃん、あたし……と順に顔を見て、最後にケイリの方向で止まって。

 

「唐突にケイリが泊まりに来て、唐突に妙な飴玉を渡されて。よく眠れる効果があるだなんて言われたら、

 それはもう正直罠じゃないかって疑わない方がおかしいと思うわよ?

 ……ま、初音と陽向は見事に引っ掛かったみたいだけど」

 

溜め息を吐きながら、そう言った。

 

「……さて、それじゃあ。寮に帰ってゆっくりと話しましょうか。

 私を罠に掛けようとした事、私を除け者にしようとした事、それに――

 

 

 

 

 

 ――突然現れて突然消えた、あの女の子の事も、ね?

 正直、ここまで訳の分からない事態が起こると説明の一つも欲しくなるのよ」

 

 

***

***

 

 

……胸パッド、肋骨、腹筋。そして制服の胸部を開いて晒した、パッドを外した下の――胸。

優雨は不思議そうな表情をしながら、ぺたぺたと触っていく。

 

 

優雨に触られて、少しくすぐったい。今までこんなに無遠慮に触れられた事はなかったかもしれない。

……でも、何だろう。優雨が近くに居て、凄く安心している自分がいる。

そう考えて、苦笑する。……まだ僕の事を話しただけで、何の解決もしていない状態なのに。

 

「……御免ね、優雨に嘘を吐いていて。この通り、僕は女装した男、なんだ。……驚いたよね」

 

僕がそう言うと、優雨は頷いて。

 

「うん。ちはやが本当は男のひとだった、っていうのもびっくりした。でも……」

 

……?

何故だろう。優雨が、あまり驚いているように見えない気がする。

ここは男子禁制の女学院で、そもそもこんな僕の存在自体がイレギュラー以外の何物でもない筈なのに。

 

「……でも?」

「うたのが言ってたことが当たったみたいで、すごくびっくりしてる」

「……雅楽乃が?」

 

……何だろう。雅楽乃は優雨に、何を言ったんだろうか?

雅楽乃が気付いているとも思えないけれども……。

 

「うたのが、いってたの。ちはやが実は男のひとだったとしても、わたしは好きなままなのかな……って」

「……………………」

 

…………雅楽乃。

話の趣旨は判るんだけど……何と言うか、物凄い複雑な気分になる。

まあ、雅楽乃に助けてもらったと思って気にしない事にしよう……。

 

……それは兎も角として。

優雨は、雅楽乃の問いにどう答えたんだろうか。

 

「わたし、うたのに言われて考えてみたの。もし本当にそうだったら、わたしはどうなのかなって」

「…………」

 

……優雨の、その言葉の先が気になる。

それを聞く覚悟を決めようと、心を落ち着かせる為に息を吸おうとして――

 

 

 

――その行動を、身を乗り出した優雨に止められる。

呼吸のために薄く開いた口を、優雨の唇に塞がれる形で。

 

 

 

「――――――――」

 

 

唇と唇が触れる感覚。何も思考できなくなった僕に、ただそれだけが残る。

フラッシュバックした学院祭の練習の時の記憶よりも、もっと長い――ああもう、何だか判らない。

 

 

……そのまま、優雨はゆっくりと僕から離れて。

 

 

 

「……やっぱり、わたしはちはやが、好き」

 

 

 

その言葉に、心臓の動悸が激しくなる。

その鼓動を無理矢理に抑え付けて、落ち着かせて……言葉を搾り出すようにして、優雨に聞く。

 

「……優雨。僕は、優雨の傍にいてもいい?」

 

――受け入れられなければ、いなくなる。ただそれだけは、僕の事を話す中で禁句にしていた。

その言葉は、優雨の意思を揺らがせるかもしれない……そう思っていたから。

けれど、その言葉が口を衝いて出てしまう。僕が安心したいだけのエゴなのに。

 

 

「僕は――いなくならなくても、いい?」

 

 

うわ言の様に、僕の口から出たその言葉に。優雨は僅かに拗ねたような顔をしてから――僕に、抱きついて。

 

「わたしは、ちはやとずっと一緒がいい。……だから、どこにも行っちゃだめ」

「……うん。有難う、優雨」

 

……心に掛かっていた重りが、全部外れたような気がした。

軽くなった心のまま、抱き付いてきた優雨を……抱き締める。優雨が僕の腕の中にいる感覚を刻み付けるように。

 

 

焦燥も、自責も、後悔も――先刻まで感じていた筈のものは、全て何処かへ行ってしまった。

今はただ、腕の中に優雨がいる事が……嬉しい。

 

 

 

 

……ああ、そういえば。

 

「そういえば、僕は優雨に対してしっかりと答えを返してはいなかったよね」

「……?」

 

よく判らない、という様な表情を浮かべている優雨の身体を、抱き締めた体勢から少しだけ離して。

座った姿勢のまま、優雨の肩に手を置き――此方からキスをする。

 

 

……優雨は、驚いて目を見開いた後。ゆっくりと目を閉じて、静かに受け入れる。

 

 

「…………ん」

 

 

……少し長めに、キスをして。

唇を話した後、優雨は拗ねたように。

 

 

「……いきなりは、ずるい」

「いきなりでは無いわ。1度目も2度目も優雨から奪われてしまっているのだから、

 3度目位は私から。……それ位は良いでしょう?」

「…………う」

 

口調を意図的に女装時のそれに戻し、戯ける様に言う。そして、

 

 

 

「……僕も、優雨と一緒にいたい。優雨が望むなら、幾らでも」

 

 

……一拍、間を置いて。照れで止めてしまいそうな自分を、強引に抑えて。

 

 

「望めるなら……ずっと。僕は、優雨に傍にいて欲しい」

 

 

 

 

 

……少しだけ間が空いて。

 

 

 

「…………う、ん」

 

 

 

 

 

 

夜闇でも判る位顔を赤くしながら、優雨がゆっくりと頷き。

もう一度、互いを抱き締めてから。

 

 

 

……僕達は、4度目のキスをした。

 

 


 
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