第12話 雨の日を過ごす方法
コレは夢だ。
私にはわかる。
その人は私の手を強引に掴んで、引っ張ってくれる。私がどんなに暗闇の中にいても、その人は私のコトを助けてくれる。救ってくれる。
その人は笑った。時折見せる、子供のように純粋な笑顔。私は、その笑顔が大好きだった。
その人は私を優しく抱きしめてくれる。なんだかイイ匂いだ、とてもドキドキする。
そして、その人は優しく微笑みながら、私に顔を近づけてきた。
その人に体を預けるようにして、私はゆっくりと目を閉じ――――
目が覚める。
「私は……な、な、なんて夢をーーーっ!?」
あまりにも欲求不満な夢を見てしまった私はベッドの上で朝っぱらから悶える。
顔が熱を帯びているのを感じる。
私はやり場のないこの感情を押し留めながら、枕を抱きしめて、呟いた。
「……フユのバーカ」
私こと中野梓の、とある朝の様子であった。
私は雨が嫌いだ。
ジメジメするし、洗濯物は乾かないし、外出しづらいし、靴に水入るし。それに湿気はギターにだって悪影響を及ぼす。
しかし、私がどんなに雨を嫌悪しようと雨はどこ吹く風といった感じで、季節は本格的な梅雨に入ってしまった。連日、絶え間ない滝のような雨が続いていた。
繰り返すが私は雨が嫌いだ。
しかし、そんな私以上に雨を嫌っている人がいた。
「全世界に乾燥剤をバラ撒きたい……」
滅茶苦茶なコトを言って雨に対して毒づいている、フユだった。
フユは右脚を怪我している。詳しいコトはよくわからないけど、雨の日のような気圧の低い日はひどく脚が痛むらしい。
時は放課後、部活の時間。フユはいつものようにお茶に加わらず、長椅子の上で仰向けに寝転びながらグッタリしている。
「ここんとこキツそうにしてるなぁ、フユ。……梓、アイツ教室でもあんな感じなのか?」
律先輩が心配そうに私に訊いてきた、視線はフユが寝ている長椅子に向かっている。
フユを覗く私たち5人はいつものようにお茶を飲みながらテーブルを囲んでいる。
「いや、教室ではやせ我慢してます、ホントはツライ癖に。少なくとも今みたいに情けないトコは見せてないですね」
「梓、聞こえてンぞー……」
と、長椅子からフユのダレた声が聞こえる。
今言ったコトは事実で、フユはクラスではやせ我慢して平気そうなフリをする。
きっとそうするのはイロイロと理由があるんだろうけど、1番の理由は憂に決まっている。きっと憂に気を遣わせたくないのだ。心配されて憂に余計な負担がかかってしまうコトに対して、フユは異常とも言えるほど気を遣っている。
フユはバカだ。……聞き取れなかった人の為にもう1度言うけれど、フユはバカだ。
いつも誰かの為に気を遣って、自分のコトは大事にしない。いつも誰かの為に見えないトコでドタバタ奔走している癖に、自身のコトとなるとあまりにも無頓着だ。周りに頼るというコトを知らない。
私はフユのそういうトコロが嫌いだった。他人に気を遣われるのを毛嫌いしている癖に、自分は周りに誰よりも気を遣っている。ただフユの場合、ソレがあまり周りに気付かれないだけだ。私がフユのおかげで毎日どれだけ救われているか、彼は知らない。フユに借りばかり作っていて、一向に返させてくれないのだ。私を軽音部に引き戻してくれた以来、負債はかさむ一方である。
とはいっても、当初は部活の時間でも楽しい雰囲気を壊したくないとかでやせ我慢をしていたフユが、今はこんな風に私たちには弱みを見せてくれる。ソレはフユにとってとても良い傾向だと思う。
まあ、だから許してあげてもいいかな、ふん。
「フユくん、おまたせ!……大丈夫?熱くない?」
ムギ先輩はお湯で温かくしたタオルをフユに持っていく。
「ムギ先輩、すげぇ助かりまっす」
「タオル冷めちゃったらスグ言ってね」
「うん、ありがとう」
フユは心底ありがたそうにムギ先輩からタオルを受け取る。そして、その温かいタオルを患部の右足首の上に乗せた。彼曰く、そうするコトで大分痛みが和らぐらしい。
フユは気持ちよさそうにタオルごしに足首を揉んでいる。
「…………」
フユは周りを頼らない、といったけど、ソレには少し語弊がある。
フユはムギ先輩の前では妙に素直なのだ。いや、フユは大概誰にだって素直だけど、なんというかムギ先輩には良い意味で遠慮がない。懐いているというか信頼しているというか、他の人たちと違ってドコか特別扱いしているように見える。
私はソレがちょっとムカついていたりする。……私には頼ってくれない癖に。
「フユ、調子悪いときぐらい休んでてもいいんだぞ?」
「ヘーキですよ、ずいぶん楽になったし。澪先輩たちがお茶飲み終わったら速攻練習始めしょう」
「まったく、……心配なんだ。頼むから無理するなよ」
「はーい。澪先輩、心配性だなぁ」
澪先輩の心配そうな声に、強がって返事をするフユ。
「…………」
いつの間にか、だ。本当にいつの間にかフユは澪先輩と滅茶苦茶仲良くなっていた。
澪先輩は人見知りだ。フユが入部した当初は、かなりフユとの距離があったと思う。ソレが今や姉弟のように仲がいい。
……先日部室でフユが澪先輩を押し倒しているトコロを目撃したときは、ストーンズのキース・リチャーズよろしくギターでヤツをブン殴ってやろうと激怒したものだが、まぁ誤解だったからソレはよしとしよう。
「フユ、いーのかぁ?お菓子ゼンブ食べちゃうぜ~?」
「部長はいろんな意味で育った方がいいから食べてください」
「いろんな意味の中身教えろや、コラ」
「うはは、そんなのモチロン、む――じゃなくて、身長とか?」
「……お前、今ナニ言いかけた?なぁ、マジで」
いつもの調子の律先輩とフユのやりとり。
「…………」
なんだかんだで、部活においてフユと1番仲が良いのは間違いなく律先輩だ。
入部当初から変わらず、2人はずっと距離が近い。
フユが楽しそうに笑っている笑顔の先には、大抵律先輩がいるような気がする。馬が合うのか話が合うのかわからないけど、部活でよく一緒に笑いながら話している印象が強い。
そして、フユは律先輩との電話やメールのやりとりも多いらしい。夜、よく2人で様々なコトを話し込んでいるようだ。……私には用事が無いと絶対に電話をかけてこない癖に。
「フーちゃん、せっかく家でテルテル坊主いっぱい作ったのに、効かないねぇ」
「……唯先輩、なんで吊り下げてるテルテル坊主、ゼンブ逆様なんですか?」
「え、フーちゃん知らないの?テルテル坊主はサカサマに吊らないと晴れないんだよ?」
「……へぇ、そら初耳だワ」
これまたいつものようにネジが緩んでいる唯先輩とフユの会話。
憂……、言い出せなかったんだね。
ちなみに、私も小学4年生までブロッコリーとカリフラワーを反対に認識していたのであまり笑えない。
「…………」
そして、唯先輩。
フユはよく唯先輩のコトを見ている。フユが黙ってボーっとしているときの視線の先には唯先輩がいるコトが多い。フユをよく見ている私が言うのだから間違いはない。
これは憶測の域を出ないコトだけど、フユは多分唯先輩に憧れている。以前、唯先輩のように生きたいと漏らしていた。……人の心に簡単にスルリと入ってくる点において、フユと唯先輩は凄く似ているんだけどな。
私はティーカップに残っている紅茶を飲み干し、立ち上がってフユが寝ている長椅子へ近づく。活の一つでも入れてやろうと思ったのだ。
長椅子の端にちょこんと腰かけ、眠るように目を閉じているフユを見る。
……まあなんというか、ヘコんでいるようなそんなフユは、可愛くなくもないコトもないコトもない。
ほっぺた突っついたら怒るかな?
「どーした、あずにゃんやい」
「……っ!」
突然、目を瞑ったままのフユに声をかけられて動揺してしまう私。
一瞬、今朝見た夢がフラッシュバックして、思わず顔が赤くなる。
「い、いや、フユ大丈夫かなーって」
「おかげさまで、だいぶ楽になってきた」
「そりゃ……よかった」
「小雨になってきたなぁ、帰るときにゃ止んでるといいけど」
「天気予報では夜もザアザアだって」
「うへー……」
フユは再びぐったりと倒れ込んで、ボンヤリと窓の外を眺める。フユの頭が私のすぐ横にきて、少しドキリとする。
「ま、梅雨明けるまでの辛抱じゃない、フユ」
「いつまで続くんかね」
「確か今週いっぱいだったと思うよ。来週から夏っぽくなるみたい」
「そっか。……もうそろそろ姉ちゃんの季節かぁ」
「え?お姉ちゃん?」
「あー、俺ン姉ちゃんの名前さ、千夏って言うんだ。だから夏は姉ちゃんの季節」
フユは体を起こしてこちらを向き、説明してくれる。
「妹が小春で、父さんが秋名。そんで俺が冬助。……春夏秋冬、面白いだろ?」
本当に面白そうに話すフユ。フユはけっこう自分の家族のコトを楽しそうに話す。
「家族みんなで四季って、なんかイイね。でもお母さんの名前は?……あ」
しまった、私はバカだ。
「母さんか……ソレが名前覚えてねんだよな。俺が小学校に入ったくらいに出てっちゃったし、父さんにはなんか聞きづらいし」
フユは片親だ。離婚で母親が出て行ってしまったらしい。前に憂から1度だけ聞いたコトがある。
「ご、ごめんっ。なんか私――」
「バッケヤロ、今時親がバツイチなんて珍しくもなんともねーよ」
「そう、かな」
「そーそー。気にしてたらキリねぇやな」
そう言ってかりゆしのアンマーを口笛で吹いているフユは、本当に気にしている様子はなかった。事実なんだろう。
フユは言いたくないコトは言わない。隠すほどのコトじゃないし、わざわざ言うほどのコトでもないってコトなんだろうな。
「そろそろ練習始めっか!」
そう言って、フユは立ち上がりギターをケースから取り出す。
私はフユのコト、あんまりよく知らないんだなぁ……。
そして、ひとりの友人が頭に浮かぶ。憂ならきっと私の知らないフユをたくさん知っている。根拠もなくそう思い、悔しく思った。
そのまま練習が続き、1時間が経った。
部室に冷房は設備されていない、その上この湿度の高さである。みんな暑そうにしている。運動量が人1倍多いドラムの律先輩なんか汗だくだ。
ちょっと休憩入れるか~、と息を切らしながら言う律先輩に反対する人は誰も居なかった。
「……フユ、やっぱ調子悪い?なんか音ヘンだったよ」
私は演奏中ずっと気になっていたコトをフユに言った。何故か違和感を感じたのだ。
「あー、爪伸びてきてさ、なんかフレット押さえづらいかも」
「もうっ、小まめに切らなきゃっていつも言ってるでしょ」
嘆息しながら私は部室にいつも置いている爪切りを取り出し、フユに手渡す。フユの指の爪は伸びすぎというほどじゃないけど、確かに伸びていた。あれでは弾きづらいだろう。
フユは爪切りを受け取って、ゴミ箱の前でパチリパチリと爪を切っていく。
「痛ってぇ!……あぁ、しくった」
「どうしたの?」
突然、フユが痛そうな声を上げた。手をフルフルと振って痛そうにしている。
「深爪しちったよ……っ。右指でよかったぁ」
「もう、子供じゃないんだからさ、フユ」
「しょうがないだろ、俺爪切りなんてここ数年使ってなかったんだからド下手なんだよ」
「え、どういうコト?じゃ、今までどうしてたの?」
「ヤスリだよ。毎晩両指の爪にヤスリがけすんのが日課だったんだ」
「……?なんでそんな面倒なコトしてるの?爪切りでいいじゃん」
「何年前だったかなぁ。俺さ、今みたいに利き手の方の中指思いっきり深爪しちゃってさ。その日から爪が元通りになるまで、シュートタッチ最悪になってフォームまで崩れ―――」
……?今フユはなんて言ったのだろう?フォームがなんだって?
そこで、楽しそうに喋っていたフユは不自然に言葉を止める。
私は気になってフユの顔を覗いた。
「なんでもない。……とにかくさっさと爪切りに慣れっから」
フユはときどき、こんな表情をする。いや、表情というか、顔から色がナニもなくなるのだ。電源を落としたみたいに無表情になって、その後一瞬だけ悲しそうな顔をする。コレはきっといつも見ている私じゃなければわからない。
「べ、別にヤスリ使ってたんなら使い続ければ?爪を大事にお手入れするのっていいコト―――」
「いや、もういい」
私の焦ったような言葉は、フユの起伏の無い声に遮断される。
「俺さ、もうヤスリは使わないよ。一生使わねぇから」
フユはそう言って、私に背中を向けて爪切りを再開する。
その背中に、ドコか物悲しさを感じてしまい、ナニも言うコトができなかった。ナニかを言わなくちゃと思っても、ナニを言ったらいいかわからない。
こういうとき、憂なら絶対にナニかを言うんだろうな、と思う。それもとびっきりフユの元気の出るような、そんな優しい言葉を。
私は憂のようにフユの力になれない。
……だから、フユは私のコトを必要としてくれないんだ。
そうこうしているウチに、今日も部活が終わった。
私の大嫌いな雨は、今現在も飽きるコトなく降り続いている。
ハア、とため息をつきながら靴箱からローファーを取り出して、履く。なんだかフユのコトばかり気にして、部活が終わる頃には見事に気分が落ち込んでいた。
先輩たちを見ると、昇降口で雨スゴイね、とかギター濡れちゃうだとか楽しそうに大騒ぎしている。そして、自分と同じように靴を履いているフユに目線を向けると、ナニか違和感を感じた。
「アレ?フユ、ギターはどうしたの?」
そう、いつも家に持って帰っているSGをフユは背負っていなかった。学校指定の鞄だけを肩に提げている。
「やー、今日ばっかしは部室に置いてくよ。脚の調子悪いし」
別にそんなの私が持って行ってあげるのに、と思ったが、すぐに考え直す。
フユはこういう場面で、絶対に誰かに荷物を持ってもらうような真似はしない。くだらない意地だと思うけど、フユは割と頑固なので譲らない。他人に頼らないのだ。
……他人にって言う以前に、私には頼ってくれないか。憂にでさえ鞄のひとつも持たせたコトないのに、私なんかが―――
「梓。悪いんだけどさ、途中まで鞄持ってくれねぇ?」
「………え?」
今フユはなんて言った?
「や、だからさ。鞄持ってやってくれんかって」
「…………」
「……あ、イヤならいいんだ、ごめん。変なコト言って―――」
「持つっ!」
フユに言われているコトを心の中で復唱し、反芻し、理解した次の瞬間、私は今日一番の大声を上げてフユの鞄を引っ手繰るようにもぎ取った。音量調節機能がブッ壊れてしまったのかのような大声にフユは面食らったかのように目を見開く。
「お、おぉ。ありがと」
やった。……やった、やったっ!
雨の所為で脚の調子が悪かっただけかもしれないし、単純に気まぐれかもしれない。だけれど私は口元が緩むのを我慢できなかった。
嬉しさのあまり過呼吸になりながらもフユの鞄を抱きしめるように抱えて、傘を差そうした。傘を差そうとしたが、鞄を2個も抱えている状態では上手く傘を持てない。
ヤバイどうしよう、と土砂降りの雨を睨んでいると、私の頭上でバンと大きな傘が開いた。
「俺の鞄持ってもらってんだから、傘ぐらい持つっつうの。ホレ、入りんさい」
そう言ってフユはすぐ横に立ち、私を自分の傘の中に入れてくれる。
「ふ、フユ?これってその、いわゆる……」
「小学生じゃねんだから『相合傘キモチワルッ!』とか言うなよ?俺フツーにヘコむからな、そーいうの」
「いっ、言わないよっ!」
私たちはひとつの傘の下で肩を寄せ合ってゆっくり歩いていく。
案の定道中先輩たちによってからかわれたけど、そんなコトは全くと言っていいほど気ならなかった。
ザアザアと規則正しく降り注ぐ雨に打たれている傘から小気味いい音が鳴り続く。
ナニかイロイロとフユや先輩たちが話をしているような気もするけど、隣にいる人のせいであまり耳に入ってこない。すぐ隣にいるフユの存在を猛烈に意識してしまう。
そして、私はさっきまでの落ち込んだ暗い気分が完全にドコかへ行ってしまったコトに気付く。代わりに温かくて優しい気持ちが流れ込んでくる。
そして、私は思う。
フユは少しずつ、少しずつ、変わっていく。
ナニかを、誰かを、必要とする。必要だと思える。ソレはフユにとって、間違いなく良いコトなワケで、成長という名の変化だ。
フユは少しずつ、少しずつ、心を開いていく。
私はそんなフユを間近で見れて、嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
「梓、なんかいいコトでもあったん?」
「うん、あったよ」
フユの問いかけに、私は自信を持って答えた。
「こーんな雨降ってやがんのに、ナニが楽しんだよ、おい」
「あれぇ、フユ知らないの?」
私は子供っぽく歯を見せながら笑って、こう言ってやった。
「私って雨の日、大好きなんだよ?」
もうしばらくは雨止まないで欲しいな、と。
フユに悪いけれど、私はコッソリ、そう祈った。
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勢いとノリだけで書いた、けいおん!の二次小説です。
Arcadia、pixivにも投稿させてもらってます。
よかったらお付き合いください。
首を長くしてご感想等お待ちしております。