強いられているんですっ!
俺の名は守形英四郎。
新大陸の神秘を追い求めるメガネだ。それ以上でもそれ以下でもない。
そして今日も俺は新大陸の謎を求めてこの空美町をさ迷っている。
この空美町の上空にはシナプスという名前の新大陸が浮かんでいる。
シナプスは有翼人の住む悠久の太古から存在する超高度文明。21世紀の人類の科学技術などいまだ足元にも及んでいないハイテクノロジーを有している。
彼らは人間たちのいう魔法のようなことさえも科学力で実現してしまう。
そんなシナプスで製造されたエンジェロイドと呼ばれる翼を生やした人間そっくりな少女たちがこの空美町では数名暮らしている。
彼女たちこそがシナプスの生きた神秘なのだ。俺はシナプスの謎を解くべく今日も彼女たちにコンタクトを取ることにした。
俺は最初に地上に降りてきた2人のエンジェロイドが住む桜井家へと向かった。
空美学園の後輩である桜井智樹の家にはイカロスとニンフという2人のエンジェロイドが生活している。
シナプスの中で最も古来から活動しているというイカロスたちに俺の興味が掻き立てられないわけがない。
俺は桜井家の玄関までやってきた。
一見するとごく平凡な一軒家にしか見えないこの家こそが日本で、いや世界で有数の新大陸スポットなのだ。
その秘境の裏庭から大きな声が聞こえて来た。
「……この世で最も尊い食べ物、それはスイカです!」
「何を言っているの? この世で最も尊い食べ物といえばリンゴ飴に決まっているでしょ!」
イカロスとニンフが言い争う声だった。
どうやら2人とも食べ物の価値を巡って争っているらしい。
スイカもリンゴ飴も彼女たちにとっては智樹との思い出に繋がる大切な食べ物。譲ることは出来ないだろう。
さて、どうなることやら?
「……アポロン発射」
「アフロディーテっ!」
フムッ。
このまま2人が争えば空美町は、いや、人類は今日をもって滅びるかもしれんな。
そして2人の争いの余波が俺を飲み込んで消し去るのはもはや時間の問題のようだった。
新大陸のロマンの為に死ぬのは本望だが、もう少し謎に迫りたかったな。フム。
俺が人生の終焉に当たって一句詠もうと考えた時だった。
「守形っ! そんな所にいたら死んじゃうわよっ! 早くこっちに避難して!」
マンホールの蓋が開き、イカロスたちと同じくエンジェロイドであるアストレアが顔を出した。
「死にたくないなら早くこっちに来て!」
「ああ、すまない」
俺はアストレアに導かれるままマンホールの中へと避難した。
「ほぉ~。マンホールがこんな山の方に繋がっていたとはな」
マンホールの中に避難して30分後、俺はアストレアと共に山中の山小屋の中にいた。
「イカロス先輩とニンフ先輩は食べ物と桜井智樹を巡って年がら年中争っているから脱出手段の確保は必須なのよ」
アストレアは面倒くさそうに大きな溜め息を吐いた。
その疲れた様子からイカロスたちの争いが俺の予想よりも多いことが見て取れた。普段は割と仲が良さそうに見えるのだが。
「あ~守形お兄ちゃんだ~♪」
山小屋に入って来た修道服姿の幼い少女が俺の顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。
「カオスは元気そうだな」
「うん♪」
元気良く頷いてみせる少女。
この幼い少女の名前はカオス。この少女もまたイカロスたちと同じシナプス生まれのエンジェロイドだ。付け加えればつい最近完成したばかりという第二世代型の最精鋭エンジェロイドであり、その小さな体には誰にも負けない大きな力が秘められている。
「アストレアお姉さまもただいま~♪」
カオスはアストレアにも元気良く挨拶した。
だがその挨拶に俺はちょっとした違和感を覚えた。
「ただいまということは、今カオスはこの山小屋で暮らしているのか?」
カオスは基本的に海底に住んでいると記憶しているのだが?
「ええ、そうよ。海底にいるとイカロス先輩たちの戦いに巻き込まれる可能性が高いからここで一緒に暮らすようにしたの」
「水が弱点のエンジェロイドの争いで海底が危険とは。一体どれほどの規模で争っているのだ、イカロスたちは?」
アストレアは重々しく頷いた。
「そうなのよ。桜井家の暖房付きの家で住んでいる上の連中は、裕福な暮らしをしながらくだらない思想をぶつけ合って争ってばかりいるの」
アストレアがグッと顔をしかめ、次いで感情を爆発させた。
「私たちはそのシワ寄せでこんな生活を…………強いられているんですっ!」
アストレアの顔に集中線が走った。凄い集中線だった。
「私たちもあったかいお家で住みたいのに、智樹が家計の問題上イカロス先輩とニンフ先輩しか住まわせてくれないから~っ!」
アストレアはカオスを抱きしめながら涙ながらに語った。
アストレアの貧窮ぶりが見て取れる語りだった。
「俺は知っての通りテント暮らしだからお前たちを養うことはできない。だが、美香子の家に住まわせてもらってはどうだ?」
美香子というのはお金持ちで幼馴染の同級生の人間の少女だ。以上。
「師匠の所にカオスを住まわせたら……オレガノみたいな性格破綻者に育っちゃったらどうするのよぉ~っ!」
アストレアは滝の涙を流した。
「それはカオスの為にも人類の為にも良くないな」
第二世代型のカオスの性能に美香子の腹黒さが加われば……うん、最悪だ。
地球はあっという間に滅びそうな気がする。
「だから私たちはこの強いられ生活を耐えないといけないんです」
アストレアはとても悔しそうな表情を浮かべた。だが、カオスを思うその瞳に嘘偽りがあるようには見えなかった。
「それは、本当に大変だな」
アストレアはカオスと一緒に暮らしている内に相当に情が移ったらしい。そして今までになくしっかり者に見える。
カオスの保護者という立場がアストレアを変えたのだろうか?
実に興味深い現象だ。
「って、あれ? カオスは?」
「そう言えば山小屋の中にいないな。また遊びに出掛けたのか?」
とても嫌な予感がした。
その時上空から少女の声が聞こえて来た。
「イカロスさんとニンフさんが大バトルを始めています。空美町のみなさまは急いで村外へと避難してくださいっ!」
元有翼人であり、現在はエンジェロイドになった風音日和が空を飛びながら避難を呼び掛ける。
「大変っ! もしカオスが巻き込まれたらっ!」
「早くカオスを保護しなければっ!」
カオスは幼い外見と同様に頭の方も幼い。危機に対する認識が薄い。イカロスたちの争いに巻き込まれてしまう可能性は高かった。
そしてカオスは智樹を慕っている。カオスが智樹の所へ遊びに行って争いに巻き込まれてしまうというシナリオは如何にも考えられることだった。
「クリュサオルとイージスLを装備してカオスの救出に向かうぞっ!」
アストレアはイカロスのような長距離兵器を有してはいない。しかし加速性能と一点突破能力に関して言えばエンジェロイドで最も優れている。カオスを救出し飛び去るにはまさに打ってつけの人材。
そしてアストレアにそれを可能とさせているのが最強の矛と盾であるクリュサオルとイージスLだった。
「……ないの」
「何だって? 小さくて聞こえなかった。すまんが言い直してくれ」
「だから、今私はクリュサオルもイージスLも持っていないのよ~っ!」
アストレアは大声で叫んだ。
「何故だ? シナプスでメンテナンス中なのか?」
エンジェロイドたちの開発者であるダイダロスが預かっているのだろうか?
「食べ物がなくて……師匠の所に相談したら、剣と盾を預ける代わりにうめぇ棒を3本くれたの」
「最強の盾と剣をそんな安価なものと交換してしまったと言うのかっ!?」
俺は驚愕した。
アストレアの考えのなさと美香子の極悪非道ぶりに。
クリュサオルもイージスLも人類の科学力では少なく見積もっても後数百年は作れないオーバーテクノロジーの産物。その用途を応用すれば使い方は無限大に広がる。
この国の国家予算全額よりも巨額の金が動いてもおかしくはない一品。それをうめぇ棒3本と交換するなんて……。
そして、アストレアの困窮につけ込んでそんな安値でオーバーテクノロジーを手に入れるとは美香子め。何て悪どいのだ。
更に手に入れたのが美香子だというのが恐ろし過ぎる。アイツには危険すぎる一品だ。
美香子とオーバーテクノロジー。恐ろし過ぎる組み合わせだ。
「そりゃあ私だってクリュサオルとイージスLを手放したくはなかったわよ。でも、カオスがお腹を減らして辛そうな表情を見せるんだもん。何とかしてあげたかったのよぉ」
アストレアは俯いた。
どうやらアストレアは俺の知らない間にエンジェロイドの中で最も成長したらしい。
「でも大丈夫。私にはクリュサオルとイージスLの代わりにこれがあるから」
そう言ってアストレアは山小屋に置かれているスコップを手に持ち、頭に工事用の黄色いヘルメットをかぶった。
心は成長してもバカな部分は変わっていなかったらしい。
「さあ、カオスを救出に行くわよ!」
「ああ。そうだったな」
俺たちは再び桜井家へと戻っていった。
俺たちは地下道を通って再び桜井家前のマンホールへと戻って来た。
「いたわよ。桜井家の庭にカオスを発見したわ」
マンホールから頭だけ出して偵察していたアストレアに倣う。
すると確かに桜井家の庭にうさぎのぬいぐるみを抱えたカオスがいた。戸惑った顔で上空を見上げている。 その上空ではイカロスとニンフが激しい空中戦を展開している。
カオスが争いに巻き込まれてしまったことは間違いなかった。
「守形はカオスをお願い。私はイカロス先輩たちに攻撃を仕掛けて注意を惹くから」
「しかし、それは危険な行為だぞ」
イカロスたちと戦えばアストレアが死んでしまう可能性は高かった。
「それに今のカオスにはお前が必要なのだぞ。無茶はするな」
カオスが如何に最新鋭のエンジェロイドであろうとまだ子供。誰かの庇護がなければこの世界で生きていくことは不可能なことだった。
そう、カオスにはアストレアが必要なのだ。
「大丈夫。私、バカだけど運だけは良いから」
上半身をマンホールから出しながらアストレアは力強く言った。
「……それにさ、もし私に何かあったら守形がカオスの面倒を見てあげてね」
「えっ?」
「イカロス先輩っ! ニンフ先輩っ! 覚悟ぉ~~っ!」
アストレアは雄々しく叫ぶと翼を大きく広げて大空へと飛び立っていった。
それからのひと時はまさにアストレア無双だった。
「なっ、何なのよ、アンタ!?」
「……こんな無茶苦茶な戦法……私は見たことがない」
スコップを振り回して襲い掛かって来るアストレアにイカロスもニンフも戸惑い防戦一方だった。
その間に俺は庭へと駆けて行く。
「カオスっ!」
「あっ! 守形お兄ちゃ~ん♪」
カオスが俺を見て満面の笑みを浮かべた。
「早くここから逃げるぞっ!」
「うんっ♪」
俺はすぐさまカオスを抱きかかえてマンホールへと再び舞い戻る。
カオスを先に地下へと移動させ、俺もマンホールの穴の中へと入っていく。
上半身まで穴の中に身を沈めた所で上空の様子を見た。
スコップを振り回すのを止めたアストレアは俺と穴の中へと入ったカオスを見ながら微笑んでいた。
“良かった”
アストレアはそう呟いたように俺には見えた。
“カオスのこと……お願いね”
そしてそんな言葉を呟いているように聞こえてしまった。そんな解釈したくないのに。
「デルタの癖に私たちに逆らおうなんて生意気よ!」
「……アストレアを髪の毛1本残さずに破壊します」
「へっへ~んっ! もう私に負けはないんです! いつでも掛かって来て下さい」
2人の最強のエンジェロイドに対してアストレアは一歩を引かずに勇敢に戦った。
俺に出来ることは、彼女の心意気を無駄にしないようにカオスを安全な所へと避難させることだけだった。
その日空美町ではブロンド髪の美しい戦乙女が大空を駆け抜け、やがて散っていった。
「守形お兄ちゃん。お魚釣れたよ♪」
「カオスのおかげで今晩も立派な夕食にあり付けそうだな」
「えへへへへ♪」
川魚を釣り上げたカオスの頭を撫でる。
バイトをして買った米もある。この魚と山で採ってきた山菜をおかずにすれば夕飯は何とかなるだろう。
カオスを俺が育てるようになってから確かに俺の生活スタイルは変わった。
これまで金銭というものにとんと無頓着だったが、カオスの食事を確保する為にバイトを始めるようにした。
だが俺としてはカオスはシナプスの神秘そのもの。そのカオスと暮らす為に必要な金銭を稼ぐことは何ら今までの行動と変化がない。新大陸の追求に何のブレもない。
しかし皆は、俺がカオスを養う為にバイトをしていることを大きな変化だと言うのだ。
人間味が出て来ただの、優しくなっただの、愛を知っただのと勝手に騒がれている。
「なあ、アストレアはどう思うか?」
俺は空に向かって質問を投げ掛けた。
俺には自分の変化というものがよくわからない。
けれど、もし俺が変わったというのならそれは俺にカオスを任せたアストレアのおかげに違いなかった。
何故あの優しく雄々しい戦乙女がこんな感情が欠落している俺にカオスを任せたのかはわからない。
けれど、こんな俺でもアストレアの想いには応えたいと思う。
「ねえ、アストレアお姉さまはいつになったら帰って来るのかなあ?」
「カオスが良い子にしていれば、その内にひょっこり帰って来るさ」
それに俺自身にもカオスを立派に育てたいという願望がいつの間にか芽生えていた。
「まったく……エンジェロイドを育てることを自分の心に強いられるとはな」
軽く息を吐き出しながら再び空美町の大空を見上げる。
真っ青な空のキャンパスにアストレアが集中線付きの笑顔でキメていた。
了
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