『助けて…!』
そう呼ぶ声が確かに聞こえた。
もう誰も住む者のいなくなって久しい古い洋館の地下室、棺の蓋がギリリと開いた。
棺を中から開けて身を起こしたのは金の髪を持つ十四、五歳の少年。翡翠の瞳が静かに開く。
「何年ぶりだろう…。」
長い眠りから醒めて、辺りを見回した。棺には分厚く埃が積もっている。
ああ、喉が渇いた。飲み干したい。甘く香しい禁断の果実。人間の、血が…
外の空気が吸いたくて、蝙蝠の姿で空を舞うと、古城の屋根の上にたたずむ少年。時刻は日付をまたいで少し経った頃、この時間、こんな所にいるのは同族しかいない。
「ルディか…。久しぶりだな。」
屋根の上に舞い降りて声をかけると、夜明け色の瞳の少年が振り返った。年の頃は金髪の少年より一つ二つ下と言った所か。
「セナ。久しぶり。」
満月の光に少年の瞳が蒼く光る。ヒトには決して真似の出来ない、ぞっとするほどに美しい光。
オレたちの瞳は満月で赤く光るのが特徴だが、こいつだけは特別だ。蒼の吸血鬼(ヴァンパイア)シルディス・ルミナ。絶大な魔力を持ちながら、数百年の眠りを繰り返し、滅多にその姿を見ることはない伝説の吸血鬼。セナも最後に姿を見たのは四百年以上前だ。
「オレは今日目が醒めたんだけど、お前いつから起きてるんだ?」
「うーん。一週間くらい前かな?彼女の…呼ぶ声がしたから。」
そう。ルディが変わってるのはその色彩や魔力だけじゃない。こいつは普通の吸血鬼と違って、唯一人の血しか吸わないのだ。それはこの地方で伝わる童話になっているほどだ。
—昔々、この地には強大な魔力を持つ恐ろしい吸血鬼がいました。でもある時、吸血鬼はとある娘に恋をします。その娘は神の寵愛を受けた聖なる乙女。相容れないふたりは、それでも深い恋に落ちました。娘は自分の身を捧げる代わりに吸血鬼に他の人間の血を吸わないよう懇願し、吸血鬼はそれを受け入れました。仲睦まじく共に暮らした二人でしたが、娘は人間、やがて寿命がやってきました。吸血鬼は娘の亡骸とともに長い眠りにつき、娘が転生するのを待っているのです—
その娘が再び転生して来たのか…
その時、後ろから能天気な声がした。
「お〜!ルディにセナ、すっげー珍しい顔が揃ってるじゃん。セナは四十七年ぶりだろ?
ルディはざっと五百年ぶりか?」
「パックか…」
現れたのはセナより少し年嵩で癖っ毛の少年。やはり同族だ。もうそんなに経つのか…
「やあ〜。ひっさしぶりだな〜。ルディは眠ってばっかだけどさ、セナもここんとこ眠ってたじゃん。どういう心境の変化で起きて来たのさ?」
「寝てばっかりいても退屈だろ?」
誰かに呼ばれた気がしたなんて、言える訳がない。ルディじゃあるまいし。
「丁度いい。森の向こうの屋敷で十日後に舞踏会が開かれるんだよ。チケット手に入れたから一緒に行かねえ?金持ちの息子から奪ったんだけど、友人のぶんも含めて三枚あるんだよ。一人だとなんか怪しいじゃん?」
「興味ないな。香水や煙草の臭いのきつい金持ちどもの血なんて。」
そもそも、セナが眠りについたのだって、欲望が脂のように溜まった汚い人間の血が嫌になったからだ。もっと綺麗な血が飲みたい。穢れなき純粋な心を持つ人間の血が。
「もお〜。寝起きだろ?選り好みしてる場合じゃないぜ?お前は昔っから金持ちとか、脂の乗ってる人間の血は嫌いだからな。そのくせカラカラに乾涸びた爺婆の血は飲めるんだから変わってるよ。」
「うるさい。オレはお前みたいに熟女だか人妻だか知らないけど、いくら美人でもやたらと香水臭い首に牙を突き立てる趣味はねえよ。それだったら年を重ねた爺婆のほうがよっぽど味わい深いっての。」
そう。吸血鬼にも好き嫌いはある。こいつみたいに美女が好きな奴や、子どもが好きな奴、若い男が好きな奴なんかもいるが、ルディみたいに一人しか受け付けないって言うのは他に聞いたことがない。だって人間なんて食糧だろ?獲物に恋をするなんてどうかしてる。
「え〜。ルディは来るよな?そこの伯爵の末娘が何でも珍しい娘らしいぜ。お前の探してる聖女かもしれないじゃん。」
「そうなの?なら行こうかな。」
ぱあっとパックの顔が明るくなる。
「ほら、ルディも来るんだからセナも付き合えよ。」
「仕方ないな…」
金持ちの血には食指が動かないが、ルディが唯一人愛した娘の生まれ変わりは見てみたい。セナは渋々承知した。
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嵐のMonsterをイメージした吸血鬼小説です。
第一話は導入といったところです。