一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
きょうはたのしい ひなまつり
「おねぇちゃァん、さやもかざらしてぇェ」
「あかん。沙耶は乱暴やから、壊してしまうやろォ」
「いろてもええやろォ。そォーっといらうからぁ」
「アカンてぇ、あっち行っとき。飾り付け終わったら呼んだるさかい」
「いけずぅぅ!」
ふくれっ面をして部屋の障子をバタン! と閉めると廊下を走って台所にかけ入った。
おかぁちゃんは板敷きに座って、女中のお留と一緒に団子を作っていた。おかぁちゃ
んのそばに寄って手元を覗き込んだ。
「おかぁちゃん、だんごつくってんのん? さやもまるめさしてェぇ」
「あ、こいさん、いろたらあきまへんで。猫いらず入れてまっさかい」
「お雛さん出したついでにナ、猫いらず仕掛けとこ、思ぅて」
「ねこいらず、ってなにィ?」
「猫がおったらネズミおらんようになりますわナ。ネズミがこれ食べよったら死ぬんで
すわ。しやから、猫がおらんでもネズミがおらんようになる、っちゅうこってす」
おかぁちゃんが平たくした団子の真ん中に、お留が茶色いもんをチューブから絞り出
して乗せると、おかぁちゃんはそれを丸めて半紙の上に乗せた。
「おいしそうなだんごやなぁ。これたべたらしんでしまうん?」
うちはひとつつまんで匂いを嗅いだ。
「あっ、こいさん、あきまへん! 匂い嗅ぐんもあきまへん。これひとつ食べたらもの
ごっつう苦シぃなって、死んでしまうんですわ」
「ねずみさん、かわいそうやなぁ」
「ネズミさんナ、大切なもんいっぱい齧ってわやにしてしまうやロ。そやから仕方なイ
のん」
「ふぅ~ん」
「そや、沙耶ちゃん、菱餅作ったあるさかい」
おかぁちゃんは立ち上がって水屋の網扉を開けると、菱餅の乗った三方を取り出して
うちに渡した。
「ほれ、これ持ってあっちの部屋行っとき。お姉ちゃんは?」
「おひなさんかざってる。おねぇちゃんナぁ、さやにおひなさんさわらしてくれへんね
ん」
「そばで見とったらよろしいがな。さっ、あっち行っとき」
「なぁ~かぁちゃん、さやもおひなさんほしいぃ」
「お姉ちゃんのんがありますやろ」
「うちのんがほしぃんや」
「家にふたつも飾れしまへん。あれはな、ふたりのんです」
「おかぁちゃん、おねぇちゃんのやゆうたやんカあぁ」
「分からんことゆうとらんと、あっちの部屋行っとき」
「あてがお連れしまひょな。ごりょんさん、ちょっと前を失礼します。さ、こいさん行
きまひょうな」
べそをかきながら、三方を受け取ったお留に手を引かれておねぇちゃんがいる部屋に
戻った。
うちはその時思ぅた。
おねぇちゃんがおらんようになったら、おひなさんはうちのもんになるんちゃうやろ
か。
二 お内裏さまと おひなさま
ふたりならんで すまし顔
お嫁にいらした ねえさまに
よく似た官女の 白い顔
「お母ちゃん、このひな人形えらい古いなぁ」
私は娘の貴子、貴代美らと一緒に雛段をこしらえていた。
毎年喜んで飾っていたのに、今時こんなことを言い出すなんて、見る目が肥えてきた
という成長の証なのかもしれない、とその時は思った。
「お母ちゃんが子供の頃のもんやさかいなぁ。何年になるんやろか。姉ちゃんが大切に
してやったんやけど、死にはったやろ。そんで母ちゃんのもんになったんや」
「お母ちゃんのお姉ちゃんて、いくつで亡くならはったん?」
「お母ちゃんが五つの時やったさかい、12、やな。もう29年になるんやなぁ」
「ふーん。今のあたしの歳やんか。なんで死なはったん?」
貴子は興味しんしんといった風に目を輝かせて聞いてきた。
「お腹の具合が悪うならはったんや。急性腹膜炎やて聞いてる」
ほんまに腹膜炎で死なはったんやろか? 心の奥に封じ込めていた情景が、少しずつ
顔をのぞかせ始めた。
昼食時、家族みんなで節句のお祝いをした後、私は姉とふたりで雛壇の前に座り、菱
餅を頂いていた。その時の私は・・姉に対する嫉妬の気持ちを強めていた。
なんでも姉が中心になって進んでいく。そう、私にはなんでも姉のお古が回ってきた。
しかもその頃の姉は、うちのおひな様やで、と何度も繰り返し言っていた。
だから・・・だから? 私は何かしたような気がする? が思い出せない。
その日の夜中、姉は苦しみ出した。
横の布団で寝ていた私は怖くなってしばらく寝たふりをしていたが、姉のうめき声は
次第に大きくなり、それを聞きつけた留が障子を開いて入ってきた。
「とうさん、どないかしはったんですか? ちょっと開けますで」
それからが大騒ぎとなった。
父と母は慌てふためいて部屋に入って来ると、私の寝床は両親の部屋に移された。
店のもんは叩き起こされて医者を呼びに行くもんや、医者を迎える準備をするもんや
らで忙しく動き回っていた。
女中らは湯を沸かしたり、布を用意したりしていた。
私は震えながら、廊下の柱のそばでそれらを見守っていたのである。
なんでおねぇちゃんがくるしみだしたんか、ぜったいにだれにもゆうたらあかんのや、
と心の中に仕舞い込んだ、ということまでは思い出せた。
「お姉ちゃんが大切にしてはったお雛さん、戦災にもおうたけどな、焼けんと蔵の中で
無事やったんやわ」
「おばちゃんの思いがこもってんのとちゃうん?」
「えっ? そやろか・・・」
「うちら女の子ふたりいてんねんけど、やっぱり長女であるうちのもんになんのんかな
ぁ」
「そんなん不公平やわ。なぁ母ちゃん、うちに新しいのんこうてぇなぁ」
「そんなことゆうても、おにんぎょさん高いんやで。それにふたつも飾られへんやろォ」
三 金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
赤いおかおの 右大臣
「お母ちゃん! お姉ちゃんの様子がおかしいねん」
ドタドタと部屋にかけ入ってきた貴代美の顔は、蒼白になっていた。
「どないしたん?」
はよ来て! という貴代美の後に付いて雛壇の飾ってある部屋に入って行くと、貴子
が横向きになって寝ていた。
「貴子、しんどいんか?」
返事がない。覗き込んで額に手を当てるとひんやりとしている。
雛壇のそばに酒瓶があった。お父ちゃんが好んで飲んでいる、高山の濁り酒。昼前に
飲んだ甘酒と勘違いしたのだろうか。
「あんタ・・わざとこれ飲ましたんちゃうやろな!」
「なんでそんなことするのん! それ昼に飲んだ白酒とちゃうんか? お姉ちゃん、白
酒おいしかったからこそっと飲もって・・うちはあんまし好きやのうたから飲まんかっ
たけど、お姉ちゃんは、あもうておいしかった、ゆうて」
「えげつないことゆうて勘忍な。それより早よ医者や。いや救急車!」
私の脳裏に昔のことが蘇った。
家族や医者が見守る中、姉の亜耶は息を引き取った。
父も母も留さんも店のもんも、突っ伏して号泣した。
私はその時どうしていたのだろう・・ただ黙ってみんなの様子を見ていたような気が
する。
救急車が到着すると、通行の人らが家の中を興味深げに覗き込んでこそこそと囁き合
っていた。
店のもんは心配して声をかけてくれるが、何を言ってんのんか分からない。お父ちゃ
んはおろおろしてるばかり。
救急の人を部屋に案内すると、毛布で体を包み担架に乗せて車に運んだ。
救急車の中に一緒に入った私は、貴子の体質やかかりつけ医やいろいろなことを聞か
れてじれったかったけど、その間に病院と連絡を取り、受け入れ態勢を整えてくれた。
呼吸はすでに浅く間隔があいてきている。握っている手は、氷のように冷たかった。
私ひとりが救急車に乗って付き添って行った。
「貴子! しっかりシィや・・・」
病院の集中治療室で輸液をつなぎ、聴診器を当て、瞼を返したり瞳に光を当てていた
医者はゆっくりと首を、横に振った。
「ウそ! うそうそ・・うソやゆうテぇ――――!」
貴子を仏間に寝かせると、家族みんなで湯灌と死に化粧を施した。
その後ひとりで雛壇の置いてある部屋に入ると、あひる座りをしてお雛様を眺めなが
らボォーッとしていた。
「姉ちゃん・・うちに祟ってんのん? だんだん思い出してきたんや」
おねぇちゃんがおらんようになったらこのおひなさんはうちのもんになるんや、と思
ぅた私は、水屋の引出しから猫いらずのチューブを見つけ、菱餅に付けてお姉ちゃんに
食べさした・・・
いつの間にか母が横に座っていた。
そっと私の手の甲に自分の手を添わせ、涙声で力なくつぶやいた。
「またこの
・・亜耶が死んだんとおんなじ年やないかぁ」
うううう……
「お雛さんゆうたら(ウッ)、子供に・・災いが降りかかりませんように、て。(ウッ、
ウッ)幸福に(ウッ)なりますように、てお願いして飾ってんのに(ウッ)・・人形供
養に・・出してしもたら・・どないやろか(ウウーッ)」
「お母はん、(グスンッ)これは・・沙耶のお雛さんです(グシュグシュン)。どうす
るかはうちが決めます」
年代物のお雛様は凛とした顔立ちでお内裏様と並んで座っていた。その表情がなんと
もいえず好きだった。しかも今は手に入らない代物である。
その表情は、涙で滲んでぼやけていた。
四 着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
「お雛さん飾るのん何年ぶりやろ。しかもさらやし、ふた組も。お母ちゃんありがとう」
「結衣と結芽の初節句やでな。お雛さん、質素にしたけど綺麗やなぁ。やっぱり桃の節
句は華やかにしたいもんやわ。貴子が死んでからお雛さん見るんが嫌で、しもたままに
してたんやけど」
「年代もんのお雛さんもエエ思うよ。雛壇も並べてみようや」
「いいや、今年はこれでええ。女の子がまた生まれたらまた買おな。お雛さんはひとり
ずつひと組がええんや。それぞれのお守りなんやし」
貴子が死んでから思い出した幼かったころの行為は、ずっと私を苦しめ続けた。
そしてついに病を得てしまった。
だましだまし病院を避けていたのだが、どうしようもない倦怠感からいくつもの検査
を受け続けた結果、胆のう癌であることが分かり、その時にはもう手の施しようがなか
ったのである。
見舞いに訪れた留さんはもう70歳を超えているのに、50年前の記憶は確かだった。
「なぁ、留さん」
「なんです? こいさん」
「いややわぁ、もうこいさんやなんて歳とちゃいます。沙耶でよろしがな」
「フフ、アタシにとってはいつまでもこいさんです。で、なんですのん?」
「お姉ちゃんが死なはった時のこと・・・お姉ちゃんホンマに急性の腹膜炎やったん?」
「そうです。医者の見立てです。何を気にしてはりますのん」
「ホンマは毒食べて死なはったんやろ?」
「なんちゅう事言わはんのん。そんなことあるわけおません!」
「そやかてな、うちお姉ちゃんに猫いらず食べさしたんや」
「猫いらず?」
留は空中を睨んで記憶を呼び戻した。そして沙耶を見つめた。
「とうさんが亡くならはってその前・・・雛壇作ってる日でんなぁ、立春過ぎたばかり
の頃・・そうそうお雛さん出したついでに猫いらず入れた団子作ってたんですわ。毎年
してたことですでな、よう覚えてます」
「その猫いらずのチューブをな、水屋の引出しに見つけて、菱餅に付けて姉ちゃんに食
べさしたん」
「ホンッホンッホンッ、そんなはずおませンって。猫いらずのチューブはすぐ捨ててま
す。いとさんが見つけたんは、チョコレートのチューブですわ。よう引出しに入れてた
んです」
「チョコレート・・ほんまに猫いらずやなかったんか?」
真実を知って、安堵の気持ちを得て
沙耶はこの世を去った。
めぐり来た立春が過ぎると、貴代美は母のお雛さんも並べて飾ろうと思い、蔵から運
び出した。
箱には穴が開き、お雛様の首はネズミに齧られて折れていた。
誰かの災いを身代わりとして、受けてくれていたのだろうか・・・
そう、沙耶を守り続けていたのかも、しれない。
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サイコホラー
女にとって・・いくつになっても雛人形には思い入れがあるものでございます。
楽しいはずのひな祭りの日に、その悲しい出来事は起こりました。
しかも私の生涯に2度も!
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