流琉SIDE
「………」
今、私は劉備軍に居ます。
何故、と言われたら私にも良く解りません。
ただ、ここに来たかったです。来て……兄様に会いたかったんです。
兄様に会ったらそれからは……どうしましょう。
兄様と一緒に帰る?秋蘭さまと皆にあんなこと言って他の軍の所まで来ちゃったのに、のこのこと帰るわけには行きません。
でも、だからと言っていつまでもここに居るわけにも……
いいえ、もうそんな話は後でいいです。
取り敢えず今は、兄様に会いたいんです。
元気にしてるでしょうか、兄様。
前のように、また兄様にお菓子を振る舞えたら、私もうそれ以上望むことなんてありません。
兄様が居なくなった曹操軍は、季衣のことや、秋蘭さまが居ましたけど、私にとって兄様が居なくなった曹操軍はどうしても異質な空間と感じられていました。
もっと不思議なのは、兄様が居なくなっても何一つ動揺せずに動き続ける曹操軍の姿でした。
兄様の存在は私にとってあんなに大きかったのに、どうして他の皆はなんともないように振る舞えるのでしょうか。私がおかしいのでしょうか。
兄様が居ない曹操軍なんて…考えたこともなかったのに。
兄様があっさりと居なくなってから、私はとても辛かったです。
季衣や秋蘭さま、桂花さまたちが慰めてくれましたけど、皆直ぐにそんなこと忘れてしまいました。
私だけが、兄様のことを忘れずに居ました。
実は私は、兄様と一緒に居たかったのです。
『曹操軍』という組織に所属されたわけではなく、
『兄様』という個人の側にいたくて、その人が曹操軍に居たから、そこに居たのです。
なのに、兄様は……
「典韋」
「!」
兄様が天幕の入り口に立っていました。
「にいさま……兄様!!」
私は何も考えずに兄様の元へ走っていきました。
兄様を抱きついて、私は嬉しさのあまりに我慢できず涙をまた流してしまいました。
「会いたかったです…兄様……!」
「………」
兄様は何も言いませんでした。
知ってます。兄様はこんな時、『俺も会いたかった』とか言うような人じゃありません。
でも、大丈夫です。
そんなことを望んで兄様の元へ来たんじゃないです。
私は……
「帰れ、典韋」
ただあなたの側に居れたら………
「……へ?」
「帰れ、典韋。俺はもうお前に興味ない」
「……にい…さま」
雛里SIDE
北郷さんと一緒に北郷さんの部屋に行ったら、あの人が北郷さんの寝床に座っていました。
孫策さんが桃香さまを会って帰った直ぐ後、この人が突然私たちの軍の警備の兵を倒して中に入って来ました。
暫く騒ぎになっていましたが、鈴々ちゃんが暫く戦って制圧した所、突然泣き崩れて『兄様に合わせてください』と嗚咽し続けたので、桃香さまの命によってここに連れておいたのです。
最初は誰なのか知りませんでしたが、帰って来た北郷さんに話した所、誰か自分を会いに来ているという言葉だけで誰なのかは判断しました。
典韋、確か曹操軍で親衛隊の一片を統率している武将です。その強さ、『悪来』と呼ばれ、虎や熊相手でも簡単に捌いてしまうという武勇談が聞こえてる割には、見た目は私よりもそう大きくありませんでした。
突然他の軍に来て暴れた挙句、北郷さんを兄様を呼んでいる辺り、色々と言いたいことはあったのですけど、私が何かを言う前に、北郷さんは自分の天幕に向かってました。
そして、仮にも自分に会うためにとんでもない無茶までもした娘に対して、北郷さんはあまりにも冷たい言葉を発するのでした。
「帰れ、典韋。俺はもうお前に興味ない」
「……にい…さま」
北郷さんに抱きついていた典韋さんの顔から血気が徐々に消え、真っ青くなったその姿は、さっきまでに歓喜に満ちていた顔をしていた人だとは思えないぐらい絶望に満ちたものでした。
「ど……して」
「…士元、曹操軍の所に伝令を入れてもらう。向こうから取りに来いと伝えてくれ」
「待ってください、兄様!私は…!」
「俺に何を求めた」
必死に乞う典韋さんの姿に対した北郷さんの目といえば、悪人だとしてもそれほどなんともない顔で人を泣かせるような言葉を吐くことはできないほどに冷たい視線でした。
「俺がお前に選ぶ機会をあげた時、お前が残ると決めた時からお前は俺に甘えるような立場ではなくなった。お前が俺に求めているもの、お前じゃなく他の誰が来ても俺がやらない物だとしたら、お前にだってやらない」
「っ…!私は、兄様があんな仕打ちをされるのが我慢できなくて…」
「お前とは関係ない」
「関係あります!だって私は兄様のこと……!」
「『お前如き』が俺を『同情』するつもりか」
「っ!」
「…失せろ」
もし、私が曹操さんから来たあの手紙を読んでなかったら、北郷さんがやっているがひどすぎると思ってたかも知れません。
だけど北郷さんがされた仕打ちが今典韋さんにしていることと何の差があるか聞かされたら、ただ人の面に向けてしている、それだけでした。
だから私はその後典韋さんが泣きながら天幕を出ていくのを見た後でも、北郷さんに何も言いませんでした。
桃香SIDE
女の子一人が来て騒ぎになっていたことがありまして、名前は典韋ちゃん。
一刀さんに会いたいと言っていたので、取り敢えず落ち着かせて一刀さんの部屋に行かせたのですけど、一刀さんが帰ってくる様子は全くあらず。
どこに行ったのかもしらなかったので探しに行くこともできなくて、取り敢えず独りで居るその娘のことを考えて愛紗ちゃんに話してから一刀さんの部屋に向かう途中でした。
でも一刀さんの部屋に向かおうとした時に、誰かが泣いている声が聞こえました。
声がする方に行くと、一刀さんの部屋に行かせたその娘が地面に座って泣いていました。
「え?どうしたの、なんでここに居るの?」
「ひぐぅ、…えぅ……」
典韋ちゃんは凄く酷い顔になって泣いていました。
私は驚いて直ぐその前に座りました。
「ね、どうしたの?何があったの?」
「ふぅ……兄様…も……やだって……ぁだしのことみたく…ない…って……」
「…!」
典韋ちゃんが泣きながら話すことを聞いて私は大体状況を理解しました。
「取り敢えずこんな所で泣いてないで私に付いて来て」
私は典韋ちゃんを自分の部屋に連れて行ってそこで落ち着かせました。
・・・
・・
・
「大丈夫?」
「…はい」
典韋ちゃんは私が振舞ったお茶のお茶っ葉に視線をあげながらそう答えた。
「一刀さん、そんなつもりで言ったわけじゃないと思うよ。きっと急すぎて典韋ちゃんのこと受け入れる準備が出来てなかったんだよ」
「……私……馬鹿でした」
典韋ちゃんは茶碗をなでながら言った。
「私、自分は特別だって思ってました。私は他の曹操軍の人たちと違うって。誰よりも兄様と親しくて、今でも一番心配していたって…だから兄様もきっと私が来たら喜んで受け入れてくれると思ってました。でも、実は私が勘違いしてたんです。兄様は私のことそんな目でなんて見てなかったのに、自分だけ勝手に特別な存在だと勘違いしてました」
「典韋ちゃん……」
「可笑しいですよね、こんなの。勝手に勘違いして、勝手に傷ついて……実はわかってたんです。兄様の一番近くに居た私だから分かります。兄様はそういう特別扱いしてくれる人じゃありませんから。ちゃんと考えて出した答えじゃなければ認めてくれない人ですから、兄様は……」
「………」
ちゃんと考えて出した答えでなければ……
「…典韋ちゃん、ここに残りたいならここに残ってもいいよ」
「!」
「曹操さんの所には私が話しておくし、一刀さんも、私が置いておくと言ったら追い出せとは言わないはずだよ」
「そんなの駄目です。そんな風にして残るとしても、意味ありません」
「意味ならあるよ。だって典韋ちゃんは一刀さんのことが心配でここに来たんだよね」
「……」
「私ね、一刀さんと暫くの間一緒に居たし、一刀さんに沢山助けてもらったよ。もし曹操さんの所で一刀さんを返して欲しいって言っても私は断然断るよ」
「っ」
「でもね。ほんとは一刀さんも帰りたいと思うよ。一刀さんのことだから、まるでお隣さんの家に尋ねるように簡単に他の軍にもいけると思う。それなのに曹操さんの所に一刀さんが行かなかったのは……」
「…私たちのこと、もう会いたくないからですか?」
「逆だよ、典韋ちゃん」
「…え?」
「一刀さんは曹操軍の皆の所に帰りたくて仕方がないから帰れないんだよ」
一刀SIDE
典韋が来たのは少し予想外ではあった。
それでも典韋は少し考えてる方だと思っていたから、もし誰か来るとしたら、元譲や文謙になるだろうと思っていた。
それがこれだ。
こうなるだろうと思ったからあの時典韋に郷に戻れと言ったのだ。
所詮典韋もまだ子供だった。自分の感情を制御出来なければ己が傷つくことを止められない。
孟徳や他の将たちが認めた典韋の力にはそういう大人の態度というものまで強いられたのだ。
彼女にはそういうものがなかった。なくて当然だ。彼女はそういう感情の制御をするにはまだ精神的に熟していないからだ。
そして、典韋はここに来た。
俺に助けを求めた。俺は彼女を助けることが出来ない。あの時そう言ったはずだ。
何故ここに来て俺に頼る。
そして何より孟徳……お前は一体何をしている……
「北郷さん」
「…ちょっと出て行け」
「北郷さん」
「………頼む」
「…わかりました」
士元は何か言おうとしたが、俺は聞きたくなかった。
…………
「士元」
「はい?」
出ようとする士元を止めた。大事な話だった。
「……何か甘いものが食べたい」
「…ここ、仮にも戦場ですから、大袈裟ものは作れませんよ?」
「……ある程度は減収しよう」
これだから長距離移動は嫌いだ。
……先が長い。
桃香SIDE
「あ、雛里ちゃん」
一刀さんの部屋に向かっていた私は、丁度部屋から出てくる雛里ちゃんを見かけました。
「桃香さま」
「雛里ちゃん、一刀さん今部屋に居るよね」
「はい、ですが、今は少し一人にさせておいた方が宜しいかと」
「そうか……」
きっと一刀さんも辛かったんだろうね。
「あのね、雛里ちゃん。私、勝手に典韋ちゃんに暫くここに居て良いって言っちゃったのだけど」
「……!」
私の話を聞いて雛里ちゃんは驚いた顔で私を見ましたけど、いつものように「あわわ」といいながら困ったような顔をするわけではなく、少し不満そうな顔で私を見上げました。
「や、やっぱり不味かったかな。一刀さん、怒るかな」
「…北郷さんは、今どっちでも気にしないと思います。典韋さんがここにいても、居なくても、恐らく北郷さんは典韋さんのことなんて全然気にもしてないように振舞おうとしようとすると思います」
確かに一刀さんならそんな風にするかな。自分の興味から外れたことには全く関心ない人だし。
でも、今回ばかりは一刀さんにも変わって欲しいと思う気持ちもあります。
一刀さんは良い人なのに、それが周りの人たちに良く分からないように振舞おうとするのが逆にいけないと思うのです。
「……桃香さま、これを見ていただけるでしょうか」
その時、雛里ちゃんが私に竹簡を一つ渡しました。
「え、何これ?」
「以前北郷さんが曹操さんの所からもらった書簡です」
「曹操さんから?いつそんなものが……」
「恐らく、以前朱里ちゃんと一緒に曹操さんの所からお金を借りた時に一緒に届いたものだと思います」
「見ちゃってもいいの?」
「桃香さまに見てもらいたくて持ってきたのです。北郷さんは知りません」
「……」
つまり、北郷さんに知らせないで持ってきたってこと?どうしてそんなことまでして……
「取り敢えず、内容を見てください、桃香さま。そしたら、桃香さまも何故北郷さんが典韋さんにあんな風に接したのか理解出来ると思います」
「……?」
私は疑問を抱きつつも雛里ちゃんの言う通り書簡を開いて内容を読み始めました。
『北郷かずとへ、
あなたとの縁を切る』
「……え?………え?」
何これ。
私は一瞬最初の文の意味が分からなくて、何度も繰り返してその行を読みました。
でも、それが一つの意味しか成さないことを否定できなくなって、私は急いで続きを読みました。
でも、文を読めば読むほど、自分が一刀さんにしたことがどれだけ残酷なことになりうるかを気づいてしまって、文を読み終えた私はぼーっとした顔で雛里ちゃんの顔を見つめました。
「雛里ちゃん……私」
「桃香さまのせいじゃありません」
「でも…、私が一刀さんを止めなかったら」
あの日、私があのまま一刀さんを行かせていたら、一刀さんはそのまま曹操さんの所に帰ったはずだし、そしたら……
「桃香さまは北郷さんに己が理想のために一緒に戦って欲しいとお願いしました。そして北郷さんはこうなることも踏まえた上で桃香さまのそばに残ったんです。桃香さまがそんな風に自分の判断に後悔してしまうと、北郷さんは本当に居場所をなくしてしまいます」
「……いや、そもそもこんなのって何かの間違いだよ。だって現に典韋ちゃんがここに来たんだよ?」
「他の曹操軍の将たちが止めたにも関わらず、です」
「っ…」
「それに、その書簡の真偽がどうなのかはもはや関係ありません」
「…どういうことなの?」
雛里ちゃんは少し言葉を整えてから話した。
「最初に北郷さんがこの手紙を読んだ時は、これが曹操さんが書いたもので間違いないと確信していました。でも、その次に星さんが来る前に届いていた文には、最初に来た文とは雰囲気が全く違ったのです。まるで2つ目の手紙を書いた人と、最初の文を書いた人が違う人かのように」
「…つまり、どういうこと?」
「手紙のうちどっちかが偽物が可能性が高いです」
「じゃあ、最初に来たのが嘘ってことで…」
「星さんもそう言っていました。でも、一刀さんはそうは考えていません。何故なら最初に来た文は、曹操さんが私たちに貸したお金の手形と一緒に届いたものです。金額も金額だったわけですし、曹操さん自らちゃんと監視役などをつけて送ったのでしょう。そんな使者たちから送られた文が偽物であるはずがない、というのが今の北郷さんの考えです」
「でも、本当はそうじゃないんでしょう?」
「…解りません、こっちでは確認する術が有りません。それに、北郷さんは自分が曹操軍に見捨てられたと確信しています。余程の証拠がなければ、その考えを覆すことはないでしょう」
「………」
私にはちょっと判らなかった。
だって、自分の良い方に考えた方が良いんじゃないの?
きっと曹操さんが何か勘違いしたか、手紙が間違って送られたかそういうものだよ。
だって典韋ちゃんは一刀さんのことが会いたくて他軍にまで乗り込んだんだよ。曹操さんだって一刀さんのことをまた見たいって思ってるはずなのに、一刀さんのあの態度はあんまりだよ。
「その話、もうちょっと詳しく言ってください」
え?
一刀SIDE
「………ん…?」
「あ、兄様」
……典韋…か
…いや、奴は帰った。
こんな夢を見るとは俺も相当甘いもの餓えてる。士元はまだか。
「……兄様」
「………」
「…やっぱり、帰ってきてはもらえないのですか?」
「……」
頭の下が枕とは違う温かさを持った感触をしていた。
目を開けると真上に典韋の顔が鮮明に映った。
「兄様、ごめんなさい」
「…何故謝る」
「…私、兄様と約束したの、守れませんでした」
「……」
「甘えないって、約束したのに……私がここに来たせいで、兄様のこと傷つけてしまいました」
……俺も馬鹿な夢を見るものだ。
「俺は傷つかない」
「でも」
「俺の心は傷つかない、典韋。興味があったら触れて、なければ捨てる。どこに俺が傷つくような要素がある」
「…兄様」
「お前は俺無しでやっていける、典韋。お前は、曹操軍の誰もが皆己の力が今まで歩いて来た。お前もその一員としての実力を見せろ。俺がお前を連れてきたことが間違いではなかったということを俺に証明してみろ」
「……兄様」
俺はいつか典韋の顔を興味深くみたことがあっただろうか。
普段夢を見る時は人の顔がほぼ見えないのに、今の典韋の笑顔が、とても綺麗に見える。
「……やっぱり、兄様には特別扱いされたいです」
「……」
「兄様も、私にとって特別な人のように、兄様もそう思って欲しいです」
「……」
……馬鹿馬鹿しい。
……ぁ
「また……お前の …が食べ……か…」
……
・・・
・・
・
「兄様……」
次の日、俺の机の上には懐かしい味のお菓子が置いてあった。
劉備軍は進軍し、汜水関の最前線に向かう。
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各々問題を抱えながらも物語は続く