No.35889

いつかは冷たい雨も

遊馬さん

「ひぐらしのなく頃に」より、ある雨の日の沙都子と圭一の物語です。

2008-10-14 22:20:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1055   閲覧ユーザー数:989

いつかは冷たい雨も

 

 

 

 

 

「走れぇ沙都子!力の限りペダルを踏めぇ!」

 

「そ、そんなこと言われましても……こ、この雨では……け、圭一さん、待って下さいまし~!」

 

 今日は一日秋晴れの予報、のはずであった。

 日直で学校に居残っていた圭一と沙都子は夕刻から降り始めた雨に愕然としていた。

 もとより雨具の用意などあるハズもない。

 圭一と沙都子は、勢いを増す雨の中を自転車で強行突破する決意を固めた。

 

 ……甘かった。天気予報の守護天使など存在するわけがなかろう。

 

「沙都子!お前の家より俺の家が近い!退避するぞ!!」

 

「りょ、了解しましたわ!圭一さん!!」

 

 幸か不幸か、圭一の両親は旅行中である。

 闖入者の一人や二人、構わないだろう。

 文字通りの濡れネズミと化した二人は、泥水を跳ね上げながら圭一の家へとひた走った。

 秋の雨は冷たすぎる。

 

 

 

「沙都子、風呂沸かしてやるから先に入れ。熱いシャワーでも浴びろ」

 乾いたタオルで水滴を拭いながら圭一が言った。

 

「圭一さんこそお先に。お邪魔しているのは私でございますし……」

 

「莫迦、泥だらけのお前にうろつかれると迷惑なのはこっちだ。いいから先に入れ」

 

 むぅ、とタオルを頭から被った沙都子が唸る。そう言われたなら反論はできない。

 

「では、お言葉に甘えまして……」

 

「何か着替えを用意しておくからな。濡れた服は籠に入れておいてくれ、干しておくから」

 

「あの……圭一さん……」

 おずおずと沙都子が口を開いた。

 

「何だ。風呂場の場所が分からないのか?」

 

「ノゾかないでくださいましね?」

 誰が覗くかぁぁぁぁ!

 

 

 

「何ですの、この服?」

 たっぷりと熱いシャワーを浴びたのであろう、顔を上気させて居間に顔を出した沙都子が問う。

 

「何って、俺のトレーナー……だはははははははははは!」

 

 予想通り、まるでサイズが合っていない。

 圭一も大柄な方ではないが、沙都子が輪を掛けて小柄なのだ。トレーナーの裾からかわいい膝小僧が顔を出している。

 懸命に暴れて抗議する沙都子を抑えて、圭一はドライヤーを取り出した。

 

「ほら、髪を乾かしてやるからアタマ出せ。そのままだと風邪引くぞ」

 温風を吹きかけ、わしゃわしゃと髪をかき回す。乱暴すぎますわよ、という声は聞こえなかったことにして。

 

「あの……圭一さんもお風呂をいただいた方が……」

 

「あ、俺はいいや。服も着替えたし、髪も乾かしたから」

 

「では、なにか暖かい飲み物でもお作りしますわ。圭一さんはテレビでも見ながら、お待ちになってくださいまし」

 

 

 

 勝手知ったる何とやら、で沙都子は台所に向かう。

 冷蔵庫の中には……牛乳くらいしかない。

 

「ホットミルクというのも芸がありませんわね。やれやれ……あら?」

 

 チョコレート。

 古くなった食べかけの板チョコが冷蔵庫の中で見捨てられている。

 

「これは重畳ですわ♪」

 

 ミルクパンに牛乳を注ぎ、コンロにかける。

 沸騰しないよう、火加減には細心の注意を払って。

 マグカップを二つ用意。板チョコを細かく割って放り込む。

 牛乳もいい頃合に温まってきた。

 

「さて、ここからが勝負ですわよ」

 

 マグカップに少量の牛乳を注ぎ込む。

 板チョコがゆっくりと溶けるように。

 かきまぜる。

 牛乳を加える。

 さらにかき混ぜる。

 さらに牛乳を加える。

 さらにさらにかき混ぜる。

 さらにさらに牛乳を加える。

 さらにさらにさらにかき混ぜる。

 

『沙都子、ゆっくりと焦らず、愛情を込めてかき混ぜるんだ。そうしたら、もっともっと

美味しくなるんだよ』

 そう教えてくれたのはにーにーだった。

 

 板チョコが完全に溶けたら、ようやくマグカップを牛乳で満たす。

 隠し味に塩をほんの、ほんの少々。

 さらにかき混ぜて。

 『沙都子のホットチョコレート』の出来上がり!

 

 

 

「圭一さん、お待たせしました。ホットチョコレートですわよ」

 

 トレイの上には甘い香りが立ちのぼるマグカップが二つ。

 

 圭一はソファにもたれながら、じっとテレビを見ているようだ。

 

「……圭一さん?」

 

 せめてお返事くらいなさってくださいまし、と沙都子は圭一を覗き込む。

 

 んが。ぷぅ。

 それが返事(?)だった。

 

 ね、眠ってますの!?

 沙都子は呆れた。

 よくもまぁ、こんな状況で……本当に、圭一さんって方は……

 

 仕方がないので、トレイをテーブルの上に置き、圭一の隣にチョコンと座る。

 そのとたん。

 圭一がゆらりと沙都子の肩にもたれかかった。

 

「け、圭一さん!お、重たいですわ~!」

 

 んが。ぷぅ。

 熟睡しているのか、圭一は身じろぎ一つもしない。

 むぅ。

 無理に起こすわけにもいかないので、沙都子は姿勢を崩せない。

 テレビの内容は天気予報。

 雨は夜には止むという。

 

 ホットチョコレートのそれとは違う、別の香り。

 ……圭一さんの香りがする。

 沙都子は、そっと圭一の腕を抱きしめた。

  ヒトリデハ寒イカラ、

  フタリデナラ暖カイ。

 そんな久しく忘れていた感触を、沙都子は思い出していた。

 

 沙都子は。

 優しくて、穏やかで、とても近くにいたのに今は遠いひとを想って、少し悲しかった。

 いぢわるで、騒がしくて、遠くにいたのに今はとても近いひとを想って、少し笑った。

 なのに。

 涙が止まらないのは何故だろう。

 

 

 

 いつかは冷たい雨も、必ず止む時が来るだろう。

 でも。

 沙都子は今日の雨を忘れない。

 

 ホットチョコレートはとうに冷めていた。

 


 
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