エレメスがキッチンに入ったとき、ハワードはシンクの前で飲みかけの紅茶が入ったティーカップに口をつけ、残りを一気に飲み干していた。
鍛え上げられた背中からは、一見して疲労は感じられない。ハワードの背後に立ったエレメスは小さく息を吐いてから声をかけようとするが、吐息で気配に気づいたハワードが不意に後ろを振り返った。
「なんだ?」
「ハワード。お前、本当に大丈夫か」
「あれ、エレメスまで心配してくれんのかー。しかもわざわざキッチンに追いかけてきてくれるとは思わなかったぜ」
目頭を押さえて首を振り、わざとらしいくらいに感激してみせるハワードの芝居がかった口調に呆れたエレメスは、やれやれと肩を落とした。
かなり本気で心配していたのだが、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。
とりあえずエレメスはポットをテーブルに置いてから薬缶に水を注ぎ、火にかける。マーガレッタの言う通り、確かに五人分の水を沸かすには少々時間がかかりそうだった。
「心配くらい、そんなに感動することか? 仲間なら当たり前だろうに」
「だって俺にとってお前はただの仲間じゃねえしー。好きな奴が心配してくれたら喜ぶのは至極当然だろ」
「馬鹿を言っていないで質問に答えろ。俺は真剣に聞いているんだ」
「じゃあキスさせてくれたら答える」
んーと言いながら唇を突き出し調子に乗ったハワードの手が自分の顎を軽く持ち上げた。
ひく、と頬が痙攣するのが自分でも判る。この男ときたら、ちょっと甘い顔を見せたらすぐこれだ。些々な身長差があるため、こちらが僅かに見上げる形になるのがまた憎らしい。
顎に添えられたハワードの手をぱしっと振り払い、エレメスはこめかみを軽く抑える。
こちらの立腹具合が空気で伝わったのか、肩をすくめたハワードが苦笑いを浮かべた。
「や、大丈夫だってマジで。確かにここんとこさっさと部屋に撤収してるけど、あれはちょい部屋でやりたいことがあるだけなんだって。ほら、ピンピンしてるだろ。これが怪我やら病気やら負ってる奴の体に見えるか?」
「……まあ、あまり見えないな」
少々癪だが、必要以上に嘘をつく男ではないのはよく知っている。部屋でやりたいことというのが何なのか気にならないわけではないが、目下の心配の種である体調への不安はないらしい。
「だいたいセイレンが心配性過ぎんだよ。ま、それがあいつの良いとこでもあるんだけどな」
「彼が心配するのは当然だろう。それだけお前のことを気にかけているんだ」
「あー、まあな」
「良かったな、それだけ思われていて」
「お。ヤキモチかあ?」
「そんなんじゃない。ただ俺は真実を述べただけだ」
腕を組んだエレメスがそう頷くと、ハワードが口角を軽く上げてにやりと微笑んだ。
「ふーん。ならそういうことにしておくか。ったく、相変わらず俺のハニーはツン要素が多いぜ」
「勝手な解釈をするな。あとハニーと呼ぶな。体調には問題ないかもしれんが、脳内は相変わらず花畑だなお前は」
額に指先を当ててため息を吐いたエレメスを意に介した様子もなく、ハワードの腕がエレメスの肩へと回される。
「なあエレメス。そんなに俺の体調が気になるなら、後で俺の部屋へ看病しに来ても良いんだぜ? 勿論、一人で」
至近距離から低音の良い声で囁かれた甘い台詞に対し、エレメスは青色吐息で返答した。
「……丁重に断る」
「照れなくてもいいじゃないか」
「だから照れてなどいない」
きっぱりと否定すると、ハワードが拗ねたように「ちぇー」と唇を尖らせる。
困ったものだとエレメスは内心呆れ果てていた――が、同時に心のどこかでハワードの挙動一つ一つに動揺している自分が居るのも知っていた。
先程もヤキモチかと問われてつい即答で否定したが、本当のところセイレンに対して嫉妬のようなものを抱いたというのも自覚している。肩に乗せられた手の温かさが自分の落ち着きを奪っているのも、甘い囁きと共に仄かに伝わってきたハワードの吐息が耳をくすぐって体の芯が蕩けそうな感覚になったのも、判っている。
判ってはいるのだが、それらを否定したい、認めたくないと思っている自分も居るのだ。
正直言ってこういう豪放快活で軽佻浮薄なタイプは本来エレメスからしてみればかなり苦手な部類に入るのだが、それなのに何故こんなにハワードという男が気にかかるのか、エレメスは自分で自分が不思議だった。
そんな内面をおくびにも出さず、エレメスは鬱陶しそうに肩に乗せられたハワードの手を払う。
「とにかく、部屋で用事があるならさっさと行け」
残念そうに手を引いたハワードが、あ、そうだと手を鳴らす。
「後で訪ねて来るなら珈琲宜しくな」
「……誰も行くとは言ってない」
「来たらでいいさ。そんときゃ棚の奥に置いてあるコニャックいれてきてなー」
手を振ってキッチンを後にするハワードの背中を見送るエレメスは、何とも言いがたい気分を胸に抱えていた。思惑通りに部屋へ行ってなどやるものかと思いつつ、あの背中が気になっている自分に苛つく。
行ってやるか、否か――そのとき、ピーッと勢いよく薬缶が沸騰を知らせた。
火を止めてとりあえずポットへお湯を注ぎ入れる。ギリギリまでしっかり淹れると、丁度珈琲一杯分ほどのお湯が薬缶に残る。
これは、行けということなのだろうか。
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