十九「いまりとてんどんまん」
「たのもー、たのもー、せとものー」
意味の分からない声と共に戸を叩く音がして、僕ははっと目を覚ました。時刻は朝の七時。学校に行くにしても早く、そして、休日に起きるにしても早い時間だ。
こんな時間にいったい誰が僕の家を訪ねてくるのか。桜花さんはこの時間はまだ寝ているし、センパイは、戸なんて叩かずに入ってくる。六崎なんかは僕の家に来るときなんかは、事前に連絡をよこしてくる。
こう見えて、交友関係が極端に濃く少ない僕には、思い当たる相手が居なかった。
まさかいまりがいたずらでもしているのか、そう思って、風呂場を覗いてみれば、いつぞや桜花さんにもらったきゅうりの抱き枕を抱えて、ぷかりぷかりと湯船の中に浸かっているいまりを僕は発見した。
「たのもー、たのもー、せとものー。いまりどのがいると聞いてやって参った。ひとつお目通りを願いたい。たのもー、たのもー、せとものー」
「いまり絡みの相手。ということは、妖怪か?」
街中を歩いていると、不意に妖怪に話しかけられることはあった。僕達の住んでいる辺りでは、河童妖怪のいまりといえば、妖怪の中で知らぬ者は居ない大妖怪らしく、礼節と力関係が物をいう妖怪達は、こぞって彼女に挨拶に来るのだった。
もっとも、その多くの妖怪が、すっかり毒気を抜かれて良い子になったいまりに、驚いた顔をして帰っていくのだけれども。
しかし、こうしてわざわざ家を訪ねてくる妖怪というのは初めてだ。
「はいはい、ちょっと待ってください。今、開けますから。ほら、いまり、お客さんだよ。起きて起きて」
「えー、なにー、おきゃくさんー? いまり、いま、きもちよくねてるのに、あとにしてもらってよぉー」
折角来てくれた人に、いや妖怪になんてことを言うんだ。駄目だよ、と、僕はいまりを風呂の中から引っ張り上げると、眠たそうな彼女の肩を揺すって目を覚まさせた。
欠伸をかみ殺して僕についてくるいまり。たのもー、たのもー、と、三度目の呼び声が聞こえたので、僕は急いで玄関の扉を開けた。
すると、そこには青く人の顔くらい大きなお茶碗を頭に載せた男が立っていた。
そしてすぐに僕はそのお茶碗が実はその妖怪の頭だと気が付いた。
「うわぁ、リアルてんどんマンだ。サインしてください」
「お嬢ちゃん、アッシは天丼マンじゃないよ。生まれも育ちも瀬戸内海、日ノ本一の大器持ち、瀬戸大将とはアッシの事さ、いやさ、アッシのことさぁっ!!」
二十「いまりとせともの」
瀬戸大将。瀬戸物のオバケである。
とくに何か悪さをするということもなく、ただただ瀬戸物である。それが、僕が携帯電話でグーグル先生にお尋ねした所、帰って来た見解だった。
事実、瀬戸大将は特に何かをするという訳もなく、ちゃぶ台の前に座って大人しくしていた。本当、いったい何をしに来たんだ、この妖怪。
「せとたいしょーさん、そちゃでございます。どーぞ」
「これはお嬢ちゃん、ありがとう。おぉ、なんと可愛らしい湯呑みだろうか。やや持ってみれば驚くほど軽い。流石はいまり殿、よい焼き物を使っておられる」
いまりが差し出したのは、彼女がジュースだとかを呑むのに愛用しているコップ。焼き物どころかプラスチック性で、良い物どころか百円ショップで買える代物だ。
褒められちゃったとはにかんで台所へやってくるいまり。そんな彼女と入れ変わる形で、僕は瀬戸大将の前に座った。
「それで、瀬戸大将さん、いったいいまりに何の用なんですか?」
「なに、音に聞こえし有田焼はいまりの皿、それを頭に載せた大妖怪と聞きましてね。アッシも同じく瀬戸物をしょって立つ妖怪でさぁ、同じ日本の陶磁器を代表する妖怪として、仲良くしておいて損はない、そう思って、挨拶に来た次第でさぁ」
「なるほど。なかなかはなしのわかるようかいさんだ。ねぇ、おにいちゃん」
そうだね。ただまぁ、いまりは別に名前がたまたまそうなっているというだけで、別段、日本の陶磁器をしょっている様なことはないのだけれども。
「して、いまり殿はどこですかな? 見た所、この部屋には妹さんと、貴兄しか住んでいるようには見受けられませんが」
しかも、この小さな俺の妹が、いまりだと気付いていないらしい。同じ妖怪なのだから、そこは妖気だとかなんだとかで気づいても良いだろうに。
今までいまりに挨拶しに来た妖怪も、それなりにこのちんちくりんがいまりだと察したものだぞ。
律儀なのは良いが、なんだかちょっと抜けている所のある妖怪だなぁ。
「あのねぇ、えっとねぇ、いまりはね、いまりなの」
「はて、お嬢ちゃん、いまり殿にはいまり以外の名でもあるとおっしゃりたいのか?」
「えっとねそのね、うんとね、だからねいまりが、いまりなんだよ。おにいちゃん、だめだ、いまり、ちょっとうまくせつめいできないや。かわりにして」
「つまりですね。この娘が貴方の探している、大妖怪の河童いまりなんですよ」
えっ、と、驚いて湯呑みを落とす瀬戸大将。同時にその大きな頭もごとりと落ちた。
二十一「せとたいしょうとにっぽんいちのうつわのせい」
下が畳敷きだからよかったものの、もしこれがフローリングの床だったりしたら、大変な事になっていただろう。フローリングも瀬戸大将の顔も。
「ななな、なんと、いまりどのがこんな小さな子供河童だったなんて。京の都を恐怖のどん底に落としこんだ大妖怪と聞いていたから、どんな女傑かと思っていたのに」
「えへへぇ、みんなみんなね、いまりがこうなったって知ると、びっくりびっくりするんだよ。せとたいしょーさんもおんなじだから、気にしなくってだいじょうぶだよ」
きっと瀬戸大将の事を慰めたいのだろう、いまりは満面の笑顔で瀬戸大将の落ちた頭を持ち上げると、首の部分につけてあげた。前後ろが逆という典型的な間違い方をしてもう一度つけ直すと、瀬戸大将は改めてまじまじといまりを見据えた。
「なるほど、確かに、言われてみればお嬢ちゃんから確かに妖気が。いやはやお兄ちゃんと呼んでいるから、てっきり本当の兄妹かと思いましたよ。お人が悪い、いや、河童が悪い」
「いまりわるいかっぱさんじゃないよ、いいかっぱさんだよ」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃありやせんよ。しかしまぁ、驚きやした」
何故だか得意げに胸を張るいまり。そんな彼女を、他の多くの妖怪と同じように、不思議な目で見つめる瀬戸大将。
ふと、その顔が翳って見えたのを僕は見逃さなかった。
「そうですか、そうでやすか。なるほど、子供ならば話が早い!!」
ふぇといまりが声を出すより早く、瀬戸大将はいまりの頭に拳骨を喰らわした。茶色くごつごつとした、陶磁器でできた拳骨でだ。
石頭のいまりだったが、流石にそんな物で殴られて平気なわけがない。ぴゃぁと叫ぶとくるりくるりとその場で目を回し、ばたりと倒れこんでしまった。
くっくっく、と、なんともわかり易い悪人の笑い声。見れば瀬戸大将の顔が、般若の面の様に歪んでいた。陶磁器でそんなものを作れるならばたいしたものだろう。
「これで、これで日本一の陶磁器の妖怪はアッシで決まり。思ったよりもあっけないもんでござんすね。河童の大妖怪という事だから、唐物大将を闇討ちした時の様に、それとなく準備していたでやんすが。まさか、こうもトントン拍子に話が進むとは」
「うわぁ、卑怯」
「くっくっく、なんとでも言うがいい。勝ったもん勝ちよこの世の中は。割物と書いてワルモノと読む!! これが日本一の陶磁器、瀬戸大将の心意気よぉ!!」
そりゃ、なんともせこい心意気なことで。なんとなく腹が立ったので、僕は台所から一枚、西洋皿を持ってくると、気絶しているいまりの頭に載せた。
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河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。
pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613