十六「いまりとアイス」
昼から大学で講義のない日には、決まっていまりを連れてスーパーに出かける。お子ちゃまでも怪力自慢の河童だ、荷物持ちとして大いに役に立ってくれた。
しかしながら、そこは食いたい盛り、欲しい盛りの子供だ。
「おにいちゃん。あいす、あいすかって、ねぇ、あいす!!」
「駄目だよ。もうアイス食べるような時期じゃないし、それに今日はもうきゅうりの漬物を買ってあげたでしょう。我慢しなさい」
「やだやだやだやだぁ!! あいすたべたいのっ!! すいかのあいすたべるの!!」
「じゃぁしかたない、スイカバー買ってあげるから、代わりにお漬物はなしだね」
「やだぁっ、おつけものもかうの!! おにいちゃん、いじわるだよ、いじわる!!」
いじわるなのはいまりさんだよ。
ただでさえ、一人分の生活費しかない所を、節約に節約して二人分捻出しているっていうのに、箱アイスもきゅうりも両方なんて買える訳がないじゃないか。
河童なんだから、大人しくきゅうりのお漬物で引き下がっておけばいい物を。やれやれ、スイカバーなんて食べさせるんじゃなかった。贅沢を覚えやがって。
「いまり分かってよ、お兄ちゃんは大学生、まだ自分でお金を稼いでいる訳じゃないんだから、そんなに何でもかんでも買うことはできないんだよ」
「うそだもん。だって、おにいちゃんじぶんの好きなおにくとかにんじんとか、いっぱいいっぱいかってるじゃない。いまりもいっぱいすきなものかいたいもん!!」
「これは別に好きで買っている訳じゃなくってね、いまりと僕の健康を考えて買っているんだよ。ほら、カレーもハンバーグも、いまり食べるでしょう」
「だったら、このきゅうりのおつけものだって、おにいちゃんたべるでしょ?」
それは確かにそうだけれども。やれやれ弱ったな、どうしたものだろうか。
僕達の後ろを忍び笑いで通り過ぎる主婦たち。いまりが大声で叫んで抗議などするものだから、目立ってしまって仕方がない。ちなみに、この手のやり取りはもう何度もこのスーパーで繰り返しているので、店員も生暖かい目で見てくる。
いつもならここで、仕方ないなと僕が折れるのだが、そんなことを続けていては、いまりの教育上よろしくない。
今日は心を鬼にして、僕はいまりに断固たる措置を行う事にした。
「駄目ったら駄目。もう、そんな聞き分けのない子はうちの子じゃありません!!」
いまりに背中を向けると僕は一人でレジへと向かう。置いてきぼり作戦だ。
振り返ればアイスを手に持ってきょとんとした表情をしているいまり。僕の顔を見るや、はっとして眉を吊り上げたが、その強情がいったいいつまで続くのやら。
十七「いまりとおいてきぼり」
レジに行ったと見せかけて、僕はぐるりと食品コーナーを回り込むと、商品棚の影に隠れていまりの姿を伺った。
まだ時間がそれほど立っていないからか、しかめっ面を緩めずにいまりは僕の消えた方を見つめていた。まだ僕が心配して戻ってくるなんて甘い期待をしているのだろう。
暫くして、その表情が再び年相応の女の子らしい感じに戻ってきたころ、いまりはまたはっと何かに気づいたように背筋を伸ばした。ようやく僕が帰ってこないという事に気が付いたのか。そう思ったのだが、どうも様子が違う。
アイスケースの中に身を乗り入れて、なにやらごそごそと漁るいまり。上半身をもたげれば、その手には彼女の好物、スイカバーが握られていた。
「おにいちゃんがかえってきたときに、すぐにかごにいれられるように、じゅんびしておかなくちゃ。そしたら、いまりいいこだねって、おにいちゃんきげんなおすかも」
そんなんで治るか。まったく能天気な奴だな。
ぎゅっと腕の中にスイカバーを抱きしめるいまり。その表情はとてもご機嫌だ。いい気なもんだよと小さく僕はため息を吐く。
「けどおにいちゃん、なんであんなにおこったのかな。すいかばー、こんなにおいしいのに。ひょっとして、いまりがすいかばーひとりじめするっておもったのかな。そんなことしないのに。おにいちゃん、うたぐりぶかいなぁ」
そんなことしたことあるだろう。いつぞや夏の暑い盛りに、学校から帰ってきたら、冷蔵庫の中のアイスが全滅してたってことがあったぞ。アイスは一日に一本って言っておいたのに、勝手に約束やぶって食べて。
まだまだ余裕という感じに、いまりは腰を振ってご機嫌に踊り始める。顔見知りの店員さんに挨拶をすると、店員がいまりに手を振った。そうこうしていると、次はよくいまりに飴をくれるお婆ちゃんが立ち止まり、ごきげんねいまりちゃんと頭を撫でた。呑気に微笑みを返すいまり。
これは長期戦になりそうだな。
買い物かごを床に置いて待つことはや十分。ようやく自分が置いてきぼりにされたということを理解したのか、次第にいまりの顔が青ざめてきた。
「おにいちゃん、どこいったのかな。ぜんぜんむかえにこないな。まいごになっちゃったかな。もう、しょうがないおにいちゃんだなぁ」
そうは言ったがいまりの声色は震えていた。遠目にその瞳が潤んでいるのもよく分かった。あともう少し、あともう一押し。
「もしかして、いまり、おいていかれた? おにいちゃん、かえっちゃった?」
十八「いまりとまいごせんたー」
「やだっ、おにいちゃん、いまりおいてかえっちゃやだぁっ!!」
手に持っていたスイカバーを放り出して、いまりはその場から駆けだした。僕が消えた曲がり角へと駆けたかと思うと、きょろきょろと辺りを確認する。常識的に考えて、十分も経っていれば、そんな所に居るはずがない。
次にいまりは慌てた様子でレジへと駆けこんだ。これまた顔なじみの、人のいい感じのパートのお姉さんが、あらいまりちゃんどうしたのと優しく声をかける。誰なら
「あのね、あのね、おにいちゃんがね、いまりおいてね、かえっちゃったかもなの。おねえちゃん、おにいちゃん、もうレジに来た?」
「えぇ? そうね、とりあえず私は見てないけれど、けど、私もすぐさっきレジに入ったばかりだから、その前に店を出てたら分からないわね」
そんな、と、涙目になるいまり。見かけどおりに人が良いのか、お姉さんは、ちょっと他の人にも聞いてみるわと、レジを中断して隣のレジへと聞きに行った。彼女の問いかけに首を振る隣のレジ打ちのおばちゃん。そんな、と、いまりは分かりやすく肩を落とすと、そのおばちゃんまで心配そうな顔をした。
「どうしよう。いまり、おうちのかえりかたわかんない。そうしたら、いまり、もうおにいちゃん、あえなくなっちゃう。うぅっ、おにいちゃん」
「館内放送で聞いてみようか。とりあえず暫くここで待ってなさい」
今にも声を上げて泣き出しそうないまりの肩を叩いて、おばちゃんは館内放送のあるカウンターへと駆けて行った。なんだか大げさなことになってきた。そろそろ、潮時だろう。
館内放送でいまりの名前が呼ばれる中、僕は籠を持ってレジへと向かった。
「あれ、いまり? どうしたの? そんな所でしょぼくれた顔しちゃって」
ゆっくりといまりが僕の方を振り返る。改めて近くで見つめると酷い顔をしていた。
「おにいちゃん!! おにいちゃん、かえってなかったの!?」
「帰る訳ないだろう、いまりを置いて帰るなんてそんな酷い事、僕にはできないよ」
うわぁん、と、一声するや僕に飛びつくいまり。涙と鼻水と涎を僕の腹のなすり付けると、ご自慢の馬鹿力でぎゅっと僕の腹を締め付けた。
「おにいちゃんのばかぁ。かってにいなくなって、しんぱいしたんだからぁ」
「はいはいごめんね。怖い思いさせちゃったね」
優しく頭を撫でてやると、ようやく落ち着いたのか、いまりはえへへとはにかんだ。
「すっごくしんぱいしたんだから。しんぱいりょうに、すいかばーかっ、たぁ!?」
調子に乗るな。僕はいまりの頭を指先で弾いた。
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河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。
pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613