「ありがとう」
「は?」
あいつは突然、俺に向かってそんな言葉を口にした。
「えへへ、感謝の言葉だよ」
「そんなのは分かっている。なんでいきなりそんな事を口にした?」
「だって、言いたくなったんだもん」
にっこりと屈託なく笑顔になるあいつ。ただ、俺は少し前までの記憶をたどってみたが、感謝されるような事は……しているにはしているが、その都度言われているから今更言われる理由がない。
昔からあいつはこんな調子だ。何かを唐突に実行するような女なのだ。ある時は家でのんびりとしている時に突然電話で「今から会いに行くね」といって本当に来たり、またある時はいきなり俺を自宅に呼んでは自信作というのケーキを食べさせられたり――
確かに俺だって嫌な気持ちはない。だけど、唐突だと心の準備が出来ていないから焦ってしまう。何かをするのだったらもっと前に言ってほしいし、あらかじめその兆候を見せてほしい。
「でも、私としてはその瞬間に出てきた気持ちを大切にしたいから、いつも唐突なんだよ?」
「………………」
少しは俺の気持ちも考えてほしい、なんて言えない。あいつの笑顔を見ていると俺が黙ってしまう。惚れた弱みと言ってしまえばそれでおしまいだ。確かにそう、俺はあいつが好きだ。だから何も言えないし、何も言わない。
「……だけど、本当に何でいきなり「ありがとう」なんて言った?」
その疑問はまだ解決していない。だから、俺はあいつに質問をかけた。
「さっきも言ったでしょ? 言いたくなったから、言ったんだよ」
「そうじゃなくて、もっとちゃんとした理由はないのか? 俺が何かしたとか――」
「うーん、強いて言えば、そうなるかな?」
ますます分からなくなった。さっきも述べたが、俺にはたった今「ありがとう」を言われる理由がない。
「どういう意味だ?」
もう単刀直入に聞くしかない。俺は頭をかきながらあいつに聞いてみた。
「えへへ、聞きたい?」
「聞かないと俺の気持ちはすっきりしないから、聞きたい」
「それじゃね、言うよ?」
「もったいぶらずに言ってくれ」
「うん……」
あいつは、少し頬を赤らめてこう口にした。
「私はいつもそばにいるだけで幸せなの。だから、その幸せになった分だけ、感謝の気持ちとして言いたかったの。だから――」
「ありがとう、って」
「………………」
「何気ない事でも、当たり前の事でも、私はそれが幸せ。幸せを感じられる事は本当に幸せなんだよ?」
その時、俺の顔はきっと真っ赤になっていただろう。恥ずかしさもあるし、あいつが俺の事をじっと見つめたまま言ったからというのもある。
俺はしばらく沈黙した後、あいつにこう言った。
「……ありがとう、な」
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とあるカップルの何気ない会話を意識した甘々な一作。七年くらい前に書いた作品です。