≪高忠英視点≫
あ~あ、最近なんかつまんないねー…
私は出仕をさぼってこもっていた研究室からのっそりと這い出でてきた
いやまあ、普通は出仕をさぼっていようものならエラい目にあうんだろうけどね
幸か不幸か、私は“陥陣営”の異名をとれる程度には戦が上手い
もっとも、単に上手下手ってだけじゃなく、自分で研究した武器や装備なんかを私財を削って雇っている兵に使っているからってのが大きい
自慢じゃないが、私の抱える兵馬の装備は、冗談ではなく大陸一だという自負があるよ
この名声のおかげで、馘にはならずに済んでるが、出仕もさぼるし宴席の誘いも尽く断ってるもんで出世もない
酒が飲めないっていってるのに宴席に誘い続けるやつらもどうかと私は思うんだがな
なにせ一口飲んだらひっくり返っちまうくらいに酒が飲めない
薬石を扱う時にはちーっと困るんだが、どうしようもないよな、飲めないんだから
そういう訳で余計な柵を作るのも問題があるんで、贈物の類は一切お断りしてる
これがまた、なんというか私の評判に拍車をかけちまって、今では
「かの“陥陣営”は贈物ひとつ受け取らず酒も飲まぬ、戦以外には興味がない堅物だ」
などと言われる始末だ
戦に興味がないとは言わないけどさ
それって自分の研究の成果が発揮できるのが、結局他にないだけなんだよな
いや、自分の兵馬で試す分には、他に迷惑かからんし…
研究費は欲しいが無駄に働きたくはない
なぜなら、今の宮廷なんて腐りきってて、迂闊に目立とうものならどんな事になるか判ったもんじゃないからだ
都合のいいときに使えるから飼っておけ
この程度の扱いでおとなしくしてるのが、結局一番の処世術だってことになる
以上の事からお判りだろう
はっきりいって、私は食うために軍人になった
より正しくは研究を続けるために軍人になったと言える
今の官軍なんざロクなもんじゃないし、色々と面倒な事も多い
だが、一定の棒給が約束され、そこそこ上に気を使っていれば研究施設が自力で整えられてその成果を自分で確かめられる職場なんてーもんは他にはない
つまり、現状でこれ以上の贅沢は望めないってことだ
ま、間違ってでっかい戦争にでもなりゃあ、天下の飛将軍の麾下にでも参じようとは思ってる
とりあえず強い人間にくっついていけば、少なくとも食いっぱぐれはないだろう
今のところはその程度のもんだったりする
そんな燻った毎日を、この私、高忠英は過ごしている
≪洛陽/司馬仲達視点≫
あれから私達は無事に洛陽へと到着しました
三人共特に用意する事もないという状況でしたので、こちらで旅装を整えればすぐに出立できたというのが大きいでしょう
唯一儁乂殿が、残していく家屋の整備をご近所にお願いするのにいくばくかの心付けを必要とした程度です
皓ちゃん明ちゃんに儁乂殿と一緒ということで実はかなり目立つ珍道中だったのですが、子敬ちゃんの時と比べれば差異はあまりありませんでしたので、割合心穏やかな旅と相成りました
思えば遠くへ来たものです…
以前お世話になった商家に再び宿をお願いし、この旅の最後の目的である人物を探す事に致します
その人物の名は高忠英
我が君の評では
「俺の知る中では、飛将軍と名高い呂奉先に最後まで忠義を尽くした宿将だよ
ただ、忠義が高くて諫言が多かったので疎まれて待遇は最悪だったみたいだね
ここではどうかは知らないけど、陳公台という軍師と非常に仲が悪かったらしいので、おそらくその麾下にはいないと思うんだ
もしいてもかなり不遇の状態にあると思うんだよね
俺としては絶対に欲しい人材のひとりなんだけど、無理そうなら諦めていいよ」
との事です
我が君が懸念されているのは、その忠義の高さからこちらの言には耳を貸さないかも知れない、という点でしょう
ただ、こうも申されていました
「高忠英の兵馬はいずれも武具が精錬されていた、という逸話があるので、この当時としては珍しく技術や素材に関してもかなりの理解と研究があったかも知れない
俺が欲しいと思うのはその可能性に期待している部分もあるんだよ」
私にはその言葉の全てを理解するには及びませんでしたが、どうも天の知識を十全に活かせる人材である、とお考えのようでした
ともかくも、我が君が“欲しい”という人材が人間的には残念でも能力的には優秀であるのは事実ですので、商家の使用人をお借りして探してみることとします
残念ですが皓ちゃん明ちゃんは商家から出ないように言い含めておきます
袁家に縁のある官吏に見つかっては面倒が増えますし、それはお二人も自覚があるようで書物を借りて過ごすことに決めたようです
儁乂殿は都見物と洒落込むとのことで、特にそれを咎める理由もありませんのでもし諍いになればという前提で漢中太守の臣であると証明できる印綬つきの割符を携帯していただくこととしました
この洛陽で、漢中太守の背後に透けて見える大長秋に逆らおうなどという下級官吏がいるはずもないので、それで十分揉め事は回避できるでしょう
そうして数日も経った頃ですが、商家の使用人から高忠英という人物がいる、との報が入りました
詳しく話を聞いてみると、飛将軍の下ではなく、官軍に名前があるが閑職にいる、とのことです
ですので先触れをお願いし、翌々日の夕刻にお伺いする、という事で許可をいただきました
事前に段取りがとれているため先立って酒肴をと思ったのですが、お酒が苦手との事なので茶菓子を贈らせていただくこととします
そうして商家の使用人に案内を頼み、高忠英殿の屋敷へと向かったわけです
家屋を拝見して思ったことは、なんといいますか
「これは酷い」
と思わず呟いてしまうほどのものでした
洛陽の郊外でぽつんと屋敷を構えていらっしゃるとの事で、自身で兵馬や食客を養っているのだろうとは思ったのですが、家屋にかけるべきお金までを兵馬に継ぎ込んでいるのが一目で理解できる荒みっぷりです
だいたい1000人足らずというところでしょうか、兵馬はきちんと訓練されているようで、その装備は禁軍でもこうはならないだろうと言える程に充実したものです
ですが、肝心の高忠英殿のお屋敷とくれば、職人の工房と倉が合体したかのような、なんとも奇妙かつ武家の屋敷とは思えぬ様子です
むしろ、塀や門がしっかりしているのが不気味な程です
一見して見て取れるこの均衡の悪さにさすがに唖然としていると、工房と思える方から鎧のような羽織のような、これまた奇妙なものを身に纏った片眼鏡の女性がやってきました
(まさかこの方が…)
私の内心の動揺を他所に、その女性は気軽に手を挙げて挨拶してきます
「よっ
こんな格好ですまないね、私が高忠英だ
先日は茶菓子をありがとう
とりあえず汚いところだけど入っておくれ」
往々にして嫌な予感は外れないものだ、という認識を新たにした私でした
≪洛陽郊外・高忠英邸/高忠英視点≫
(しっかし“あの司馬仲達”が私に一体何の用かね)
事前に贈られてきた茶菓子を供して、私は考える
普段は贈物を受け取らない私だが、こうも堂々と
「伺ったときにご一緒したいので受け取っておいてください」
と言われるとさすがに拒否もできない
なので遠慮なくいただいた代わりに、こうして供してるという訳
宦官官吏の連中も、こうあけっぴろげに来てくれりゃあ、ちっとは私の対応も変わるのにな
それはとりあえずどうでもいいか
目の前にいる人物の方が遥かに重要なのは間違いのない事なんだし
今この私の目の前にいる司馬仲達は、洛陽では色々な意味で有名人だ
まず、洛陽の令である司馬建公のご息女にして“八達”と称される天下の才媛
こんなのが大長秋に取り入って出世したってーヤツに仕官したってんだから、そりゃあ噂にもなろうってもんだ
実際、建公様の前では、この次女の話題は禁句になっているらしい
私は会うことはないからどうでもいいけどね
こうして会ってみて思うんだが、この仲達って人物、男女の情交に酔ってアホな人物を選んで仕えるとは思えない人間だ
硬骨にして人物を得るのに熱心と評判の曹孟徳ですら視野に入れなかったというだけあって、その才も理知も曇ったとはとても思えない
まあ、本当に男女の情に迷ったんだとしたら建公様が黙ってはいないんだろうから、その人物を見る目は確かなんだろう
「で?
こんな処にどんな用事だい?」
これは私が悪いんだが、比喩でもなんでもなく、私の家は酷いもんである
素材やら機材やら研究資料なんかで、そこら中ごったがえしてる
そんな様子に眉ひとつ動かさないんだから、肝が据わってるというかなんというか、やっぱり普通の人物ではないわな
そんな風に評価しつつ相手の出方を待つことにする
すると、仲達殿は袂から一巻の巻物を取り出して、それを差し出してきた
「漢中太守より、もし高忠英殿が“技術者”か“研究者”であれば、それをお見せするように言付かっておりました」
「もしそうでなかったら?」
「そうでなければ普通にお話をさせていただくつもりでした
まずはご覧になってみてください」
「仲達殿はこの中身を知ってるのかい?」
「概要は伺っておりますが、詳しくは存じません」
そういって悠然と微笑んでいる
こりゃあ相当太守に惚れ込んでるな、と思いつつ、巻物を紐解くことにする
見れって言われてるんだし、逆に見ないって話もない
そこに書かれてたのは、まあ呆れるしかないものだった
具体的には鉄の精錬技術や火薬の生成方法、蒸留設備や濾過設備などを含めたいくつかの機械技術、一言でいえば私の研究の数段先にあるような技術で埋め尽くされていた
さすがに呆れて私は巻物を放り出してこう聞くしかなかった
「えっとさぁ…
こんなもん見せてどうしたいわけ、おたくの太守様は」
多分癖なんだろう、頤に指を当てて小首を傾げながら仲達殿がゆっくりと答える
「恐らくですが、そこに書かれている技術や知識を、忠英殿に委ねることで実用化したいのだと思いますが…」
詳しくは聞いておりませんし、と呟いて微笑んでいる
「こんだけの知識があればできるんじゃないの?」
そう返す私に、仲達さんは悠然と微笑み返す
「恐らくは無理でしょうね
我が君…漢中太守様ですが、太守様がおっしゃるには
『自分にはそれを教えて方向性を与えることはできても、実施においてそれを可能にする技術や知識、発想はない』
と断言されておられましたから」
それを聞いて少し考える
(つまり、基礎知識はあっても、素材技術や加工技術に関する知識はないってことか…?)
それを聞いて、一度は放り投げた巻物を、今度は最初からしっかりと読み直す
そしてなるほど、言われた事はその通りだと確信した
確かに、私のような人間にとって、一番欲しいものはこの巻物にあるような“知識”と“発想”だ
一部の細かい技術においては、確かに精確といえる指摘もされている
ただし、あくまでこれは“基礎”なのだ
これをどう技術的に応用し活用していくか、という部分においては全く記されていない
つまりこれはどういう事か
非常にムカつくことに、この太守はこれらを活用する術を知っていながら、実際にはなにもできないデクノボウなのである
私はこの巻物を引き千切りたい衝動をなんとかこらえる
「で?
なんかだらだらと話してもお互い益はなさそうだから、どういう事かを聞きたいんだけど」
「単刀直入に申し上げますと、漢中においでになられてこれらの工業や技術を兵馬や治世に活かしていただきたい、そういう事です」
ってことはつまり…
「私に公費で研究させてくれるってことかい?」
仲達殿はそれにゆっくりと首肯する
「将帥としてのお仕事もしていただきますが、益に添う内容の研究である限り、可能な限りの便宜を計らせていただきたく思います
これは我が君の意向もそうですが、この司馬仲達の名にかけてお約束致しましょう」
なるほど、なら答えはひとつしかないね
「了解りょうかい
ならこの高忠英、漢中太守にご厄介になるとしますかね
うちの連中も連れて行って構わないんだろ?」
するとこれまた、男なら一発でやられそうな微笑みで返事が返ってきた
「ご存分に
我らは高忠英殿の参加を心より歓迎致します」
なんというか、棚から牡丹餅って感じの話だけど、このままここで燻るよりはよっぽど面白そうだ
少なくとも退屈はしないだろうね
「あ、これで普通は祝いの杯となるんだろうが、私は酒は一滴も飲めなくてね
茶で乾杯ってことで許しておくれ」
そうしてお互いに茶器を掲げて乾杯しながら、私は内心でワクワクしつつ考えていた
さて、どんな明日が待っていることかね
燻っていた私の魂に、ゆっくりと火が燈ろうとしていた
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