No.317002

外史異聞譚~外幕・仲達旅情篇・幕ノ十~

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2011-10-12 05:04:20 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2675   閲覧ユーザー数:1804

≪鄴・張儁乂邸/張儁乂視点≫

 

ふむ…

なにやら今日は善い予感が致しますな…

 

日課である素振りと型取りをはじめて感じたのは、そのような予感でありました

 

物心ついてから軍学を学び武を磨いてきた拙者であります

その日の体調と申しますか、伝来の斬馬刀の太刀行きで、その日の吉兆がなんとなく判るようになってきております

 

ほんの些細な事ではあるのですが、太刀筋が微妙に決まらないときは良い事があった試しがないのです

 

逆に、思った以上にキレがよくすっきりと決まる日は、大抵善い事があります

 

人によっては気のせいだとの一言で済むような話ではありますが、拙者にとっては一種の験担ぎのようなものでありまして、この感覚を大事にしているつもりであります

 

 

実は拙者、つい先日天涯孤独の身となり申した

 

父は早くに反乱鎮圧に出兵した折に亡くなっておりまして、その事で気患いから胸を病んだ母が先日亡くなった、という訳です

 

父が亡くなった折に恩給をいただけておりましたので生活に苦労はありませなんだが、母に十分な薬石を与えてやれなかったのが心残りではあります

 

一度は仕官をしようとしたのですが、母にそれを止められたのがその理由でした

 

「父のように仕えるに納得がいくお方の下で命をかけなさい」

 

これが母の口癖でありました

 

ただ、このように強い方ではござったが、本当に父を愛しておられたのでしょう

拙者の前では気丈でござったが、やはり無理をしていたようであります

 

結果、拙者は子として母に報いる事ができずにいたのを悔しく思います

 

母の葬儀はなんとか満足のいくものを出してやることが出来申したが、拙者に残ったものといえばいくつかの書物と伝来の斬馬刀だけという有様です

むしろ他所樣に借金をせずに母を送れただけまし、というべきでありましょう

 

そのような身でありますので、なるべく早いうちに仕官を考えねば、とは思っております

 

近頃は民心も乱れ、野盗強盗が跋扈し、安心して眠れぬ夜を過ごす人々も多いと聞き及びます

 

拙者としては、そのような状態に心を痛める事のできるお方に仕えたい

 

父と母の生き方に背かぬよう、そう考えるのであります

 

 

無心とは程遠い、このような事を考えながら、拙者は日課の型取りを続けます

 

刃筋にはひとつの乱れも現れぬままです

 

 

やはり今日は善き事柄がありそうですな…

 

 

拙者はそう内心で笑むと、今度は無心に刀を振り続けます

≪鄴/司馬仲達視点≫

 

「ところで仲達ちゃん」

「それでね仲達ちゃん」

『実は紹介したい人がいるんだけど』

 

あっさりと仕官を決めたおふたりと酒肴を楽しんでいると、そんな言葉が飛び出してきました

 

おふたりと話していて判ったのですが、かなり真面目に袁本初に仕える気だったようで都や各太守に関する情報はきちんと集めていたようなのです

 

なのですが

「そんなちまちました事は全てお任せしますわ

 おーっほっほっほっほっほ!」

などと言われたため、上奏するのはやめたのだそうです

 

『あのまま仕えていたらいつか獄死してたかも』

 

などとふたりが言うのですから、相当なものだったのでしょう

両者共に、という意味で…

 

ただ、その笑い方まで真似するのはやめていただきたいものです

なんというか、腰が砕けそうな脱力感が襲ってくるのをとめられません

 

閑話休題

 

ともかく、おふたりは内政や外交・軍事に関する献策の合間に、文将軍と顔将軍の補佐をしっかりとできるような人材の発掘も考えていて、そのうちのひとりを紹介したいというのです

 

その人物の名は張儁乂

我が君から名のあがっていた人物のひとりでした

 

我が君が言うには

 

「俺の世界での張儁乂は、60年以上にも渡る人生の殆どを戦場で過ごし、自身の過失による敗戦はいいとこふたつしか語られていないという稀代の戦術家だ

 個人の武勇も並外れていたらしいけどね」

 

とのことです

 

そこまでの武暦を誇る人物など、これまでの歴史でも数える程しかいませんので、我が君なら必ず欲しがるとも思ったのですが

 

「でもなあ…

 多分公祺さんと相性が悪い気がするんだよね…

 俺は先に公祺さんを取ったから、後でもめる要因になるようなら諦めないといけないかな…」

 

三国無双のような性格だったらついていけないし、と謎の呟きをしてもいましたが、このような経緯から積極的に探そうとは思ってはいなかった人物でした

 

そのような経緯と皓ちゃん明ちゃん(そう呼ばないと、とても哀しそうな顔をするのです)を早期に漢中へと逃がしたいと思っていた私は、早々に鄴を後にしようと思っていました

 

おふたりにその旨を伝え、とりあえず家財の処分等はしなくともよい、と伝えたところ、先のような事を言われた、という訳です

 

「儁乂さんは無理にでも連れて行く価値があるよ」

「儁乂さんは一軍を任せるに足る器量があるよ」

「政治は向いていないけどね」

「椅子に座るのは向いていないけどね」

『連れて行かないと絶対後悔するよ』

 

そう言いながら私の両手を引き、こうして連れられていくこととなったのです

 

そんな道行きの中で張儁乂殿の人為を伺ったところ

 

「五徳を体現しようと頑張ってるかな」

「質素倹約とか言ってるよね」

「軍人として身を立てたいとは思ってるみたいだね」

「政治に関わるのは得意じゃないみたいだね」

「だけどお堅いわけじゃないよね」

「思考は柔軟だけど視野は狭いかもしれないね」

「それは違うよ元ちゃん」

「何が違うの元ちゃん」

「あれは視野が狭いんじゃなくて自分の置かれた位置以外のことを考えようとしないだけだよ」

「なるほどなるほど、故意に視野を狭めてるっていうのはありだよね」

「自衛のためでも権謀術策を弄するのは苦手だと思うしね」

「そんな事をするなら清廉を心掛けてつけいる隙をなくす事を考えそうだよね」

『こんな感じの人だよ仲達ちゃん』

 

なるほど、そうであるなら我が君が言われた“公祺殿との相性が悪いかも”というのは、天の知識からくるものなのでしょう

そうであるなら考えるだけ無駄というものです

人の身に過ぎた知識と思索は、自分の身を滅ぼすだけでしょうから

 

そうして歩いていくと、こざっぱりとした家が見えてきます

塀の奥の庭で斬馬刀を振るっている女性がいます

恐らくはあれが張儁乂殿なのでしょう

 

そう目星をつけていますと、皓ちゃん明ちゃんが塀越しに声をかけます

 

『儁乂ちゃんこんにちわ』

「今日も元気に鍛錬してるね」

「毎日元気に鍛錬してるね」

「ところで今日はお話にきたよ」

「大事なだいじなお話にきたよ」

 

儁乂殿は刀を振るのを止め、木に掛けてあった手拭で汗を拭きながらこちらに向き直ります

 

「おお、元皓殿に元明殿、よくぞ参られた

 このようなあばら家に足を運んでくださるのはそなた達くらいのものだ

 何もないところだが揚がってゆかれるがよい

 ところでそちらの御仁は…?」

 

訝しげに目礼を送る儁乂殿に目礼を返しながら、私も自己紹介をすることとします

 

 

「お初にお目にかかります、張儁乂殿

 私は司馬仲達と申します

 本日は漢中太守の名代として貴女に仕官をお願いしに参りました」

≪鄴・張儁乂邸/張儁乂視点≫

 

仕官の誘いとは、これまた有難い話であります

 

清貧といえば聞こえはよいが、恥ずかしながら飾るだけの余裕がない身です

お話そのものは、非常に有難いものであります

 

しかしながら、この身は貧すれど民衆を苦しめるような官匪の下に仕えるのは自分が許せません

 

そのような事を考えながら、拙者は庭へと皆を案内します

 

これまた誠に恥ずかしい事ながら、客を通せるような家屋ではなく、来客に際してはいつも庭に机と椅子を用意して案内をしているのです

元皓殿に元明殿などは

 

「お外で飲むのも楽しいよね」

「お外で語るのも楽しいよね」

『だから気にしちゃ駄目だよ儁乂ちゃん』

 

などと有難くも申してくださるのですが、このように来客があるとやはり恐縮してしまうのです

 

司馬仲達という人物が天下の賢人であるという噂は聞き及んでおりましたが、このように粗末な扱いにも眉を顰める事なく、悠然と微笑んでおられるのには感心するばかりです

天下に名高い人物はそういう点でも違うのだ、と拙者も見習わせていただきたく思います

 

少々の暇をいただいて夕餉にと考えていた肉を用意しようとすると、土産にと肉や酒を差し出されました

 

『見得は張らなくてもいいよ儁乂ちゃん』

 

元皓殿と元明殿がそう言いながらけらけらと笑っています

 

思わずこのお二人を恨んだ拙者は、まだまだ修行不足です

 

ですので、身体を清めて身形を整えるだけの暇をいただき急いで戻ってきますと、元皓殿と元明殿が大層楽しげに語らっているのに気付きました

 

実のところ、このお二人は非常に癖が強く歯に絹を着せぬので、なまなかな事では論議を交わす事もできぬのです

拙者は無学非才の身ということで、お二人とは論議を交わすというよりも教えを請うという立場で話をさせていただいておりました

しかしながら、悠然とそれをこなせる仲達殿は、やはり天下の賢人なのだとの思いを新たにします

 

そのような光景を横目に庭に戻り離席を詫びますと、早速元皓殿と元明殿が仕官について語り始めます

 

なぜ仲達殿が語り始めなかったというのは、拙者を紹介したのがお二人だったからです

このような場合は“礼”として、まずは紹介者が話をし、頃合を見て意思の確認をするものです

ですので拙者に不満に思う部分はなにもなく、むしろ仲達殿は二人に全幅の信頼を置いて交渉を任せているように感じられます

 

お二人の話に耳を傾けていますと、およそこのような理由で二人が仕官し、拙者を誘ったという事が判りました

 

ひとつには、世評のように官位を買って利を貪る官匪ではなく、むしろ官匪の排除に尽力していること

もうひとつには飢饉に際しての農作物を考え、民衆の生活を向上させることで税収をあげようという意思がある人物であること

当面はそれらを堅守するための人材として、文武に広く人を求めていること

 

およそこのような内容の話でありました

 

仲達殿はそれらの説明を聞いて、少々驚いたようです

 

何故驚いたのかを尋ねますと

「まだ皓ちゃん明ちゃんにはそのあたりの事は説明していませんでしたので」

と申されておりました

 

「情報統制にかなりの穴があるようです

 戻ったら考え直しませんと…」

 

と呟いておられましたが、そこに関しては元皓殿と元明殿の手際がよすぎるのだということが拙者には理解できておりましたので、恐らくはかなり厳しい情報統制をなされているのだと思われます

 

こうしてお三方から話を聞いていると、かなり先を見据えた善政を敷いているのが現在の漢中太守なのだという事が徐々に理解できてきます

 

儒教を基に置く拙者としては、いささか過ごしづらい施政であるようにも感じられましたが、現状においてはこれ以上の仕官先は望めないこともまた確実であります

 

しばしの歓談の後、頃合を見るように尋ねてこられた仲達殿の言に、拙者の腹は既に決まっておりました

 

「ところで、漢中への仕官の件、お考えになってはいただけますでしょうか?」

 

「無能非才の身なれど、この張儁乂、唯今より漢中太守殿の下にお世話となります

 以後宜しくご教示ご鞭撻の程、お願い申し上げます」

 

 

願わくば、この仕官が拙者の身命を賭すに値するものでありますよう…


 
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