久方振りに訪れる故郷は、マオの見知ったままの姿を保っていた。
ハイランドと都市同盟の中間地点という曖昧な場所に位置するため、今までに何度となく微妙な状態に置かれたこの街ではあったが、街自体が小さく住民の数も比較的少ないという事から、軍事上重要な攻略地点と見なされることはなく、つまりは直接的な戦火に見舞われた経験がほとんど皆無だった。
そのせいもあってか、街人の気風は至って穏やか。戦争に対しても政情に対しても、日和見的な見方をする人々の関心事は、もっぱら街中のことに限られており、街の外で起きた出来事について何事か語られるにしても、てんで勝手な噂話の場合が多い。
キャロとはそういう街だったから、目的地に着くまでのほんの短い間に、少年達は興味深い噂を2~3個ほども拾い上げてしまった。
一つはハイランドを制圧し、新都市同盟の頂点にのし上がった英雄『マオ』に対してのもので、なんでも『マオは背が高くてハンサム』なのだそうだ。
そうしてもう一つ──気になる噂は、『町外れの道場で人影を見た』と言うものだった。かつて訪れた時も似たような噂を耳にしているマオは、最初のうちそのまま聞き逃していたのだが、目撃された人影が複数だったと聞いて、やにわに心配となった。
もしや、祖父が大事にしていた道場が荒らされたのではないかとただそれだけが心配で、マオは懐かしい我が家──ゲンカク道場へと急いだのだった。
「うわ、埃っぽいなあ……」
「仕方ないよ、ずっと長いこと留守にしていたんだもの」
口々に言い合いながら少年達は道場内をつぶさに見て歩き、そこかしこに残っている痕跡から、たしかに数名の何者かが道場内に忍び入ったらしいという結論に達した。
だが何も持ち出された気配はなく、ただ数日ばかり道場内で過ごしたというだけのことらしかった。
「まあ、空き家も同然ってカンジだからね。通りすがりの旅人が、雨でもしのぐためにつかったかもしれない」
ようやくホッとしたマオは、あちこちの窓を開けて空気の入れ替えをする。もちろん、ミューズに帰る前の一夜を、ここで過ごす為の準備である。
埃っぽくても、すきま風が酷くても、ここは住み慣れたマオの家なのだ。宿の暖かい食事より、フカフカとしたベッドより、気持ちを安らげてくれる場所だった。
もちろんそこで一夜を過ごしたいというマオの意見に、ナチが異論も挟む筈もなかった。
彼もまた、故郷を懐かしむ想いを知る者だったから……。
祖父とナナミの墓にマオは手をあわせてから、ナナミの眠るその場所に浅く穴を掘り、ヤン夫妻からもらった小箱を、そっと埋めた。
そうしてから、思い出す。その日一日にあったことを、ナナミは良く祖父の墓に向かい、話し聞かせていたのだ。
箱を埋めたばかりでまだ軟らかい土の表面を撫でながら、マオは報告した。
「ルルノイエで泊まった宿の人達がね、ナナミにあげて欲しいってこれをくれたんだ。
とてもいい人達だった。ジョウイのこと、たくさん話してくれたんだ。ナナミにもよろしくって、言ってた……」
墓参りをすませた二人は、道場の裏手にある高台へとのぼって、遠く裾野を拡げる天山山脈を眺めた。
「こうして見ると、ずいぶんと天山って大きな山だったんだね。峠を抜ける時は全然気付かなかった──」
「ナチさん、ちょっとこっち来てみてよ」
感嘆している少年をマオは手招いて、高台に主のように陣取る大木の元へと立たせた。
「……凄いな、これは……。頂上が、ちょうど真正面に見える……」
ナチが目を瞠る。
「だろう?」
と、得意げにマオは肩を聳やかした。
「ジョウイと僕とで見つけたとっておきのポイントなんだ。良く二人で、ここから天山を眺めてた。ナナミに内緒で、この木の下に宝物を埋めたりもしたし……」
思い出し笑いしながらマオが指差して見せた木の根元に、ナチがしゃがみ込み、興味深げに地面を見つめた。
「……なんだかここに、掘り返したようなあとがある」
「ああ、それは僕が掘ったんだよ。ルルノイエの攻略が終わった後、天山の峠に向かう途中で、一度ここに寄ったから……」
言いながら、マオは天山を振り仰いだ。
あの日この同じ場所に立ち、同じように天山を見上げた。そうしてあの約束の地で、ジョウイと戦った──まるで昨日起こったことであるかのように、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
争いたくないのだと、幾度もマオは突っ撥ねた。
もうやめようと、もうこんなことは終わりにしようと、何度もジョウイに懇願した。
なのにジョウイは、耳をかそうともしなかった。
棍をふりかざし、マオに飛び掛かってきた少年は、すでに自分自身の未来を自分のうち定めていたのだ。打ち合ってすぐに、マオにはわかってしまった。
渾身の力で打ち込んできながら、その巧みな技でマオの攻撃から逃れながら、それでもジョウイは、ちっともマオに勝とうなんて思っていなかった。
自らが死に至るまでの刻を、マオと交わす最後の戦いで彩る──そうすることを、もしやジョウイは、楽しんでさえいたかも知れない。
撃ち合う手応えを懐かしむかのように、柔らかな微笑みを浮かべ彼は呟いた。
『そうだよマオ、あのころのように……』
その刹那、マオは見て、識った。
ジョウイの静かな瞳のうちに宿る、悲壮なまでのその想い、諦念の彩り。
もう誰も──そう、マオ自身であってさえも──彼の決心を覆すことは出来ないと。
もはや死に拠ってしか、彼の魂が救われることはない──
そうと認めることが、辛かった。
決して未来を見ようとしないその瞳が哀しくて、心臓が凍りそうになった。
それでも、彼の苦しみを長引かせたくはなかった。
身を切られるような思いで、彼の手をとった──その時の感触さえ手に蘇るような気がして、マオは肩を震わせた。
──と、
まるで震えと呼応するかのように、右手の甲が熱くなった。次いで雷に撃たれたかのごとき激痛が走る。
「──!?」
「マオ!?」
少年が息を飲みこむようにしながらあげた微かな叫びと、苦悶に耐える表情に、ナチもすぐ気付いたようで、走り寄ってくる。
「大丈夫、だから……」
大木の元、マオは青褪めた顔をして蹲った。
そうこうするうちに刺すような痛みは行き過ぎて、かわりに馴染んだ熱さだけが残る。ようやくマオは、ホッと息を吐いた。
そんな少年の表情の変化を、ナチがつぶさに見守っていた。ぐったり木の幹に背を預けた少年と目線をあわせるように屈み、静かに問ってくる。
「マオ……その手、どうしたんだ?」
問い掛けに、マオはどきりとした。
「なんでも、無い。ちょっとスジがつったみたいで……」
答えながらマオは、うろたえるように左手で右手の甲を隠した──無意識のうち行ったその動作に、ナチが眉をひそめる。
「スジがつったって……、嘘だろう? 右手見せてごらんよ、マオ」
「でも……」
「見せるんだ、マオ」
厳しい声に促されて、ためらいながら、マオは手袋を外した。
滅多に人の目に触れさせることのないその手の甲が、陽の光のもとあらわになる。
「手、かして──」
おずおずと差し出されたマオの手を、ナチは受け取り、右手に刻まれた『それ』にじっと見入った。
「この、紋章は……」
表面をそっと撫でながら、首を傾げる。
「何だか一部分だけが濃く浮いてるね。これは……、黒き刃の紋章?」
呟きながらナチは目を上げて、まるで殉教に耐える者のように、ギュッと瞼を閉じている少年に気付き、苦笑した。
「もう良いよ。ありがとう、マオ」
自由を取り戻した手を、そそくさと手袋の中にしまい込むマオを見ながら、少年はわずかばかり、目をすがめるようにした。
「こういうことって、良くあるのか?」
「そんなにはない。たまに……」
「痛むの?」
「痛くなったのは、これが初めてだ。いつもはちょっと、熱いだけ」
「そうか」
考え込む様子のナチに、今度はマオが、心配そうに尋ねた。
「ナチさんの紋章も、こんなふうになる時ある?」
「いや、僕にはマオみたいなことは起きないよ。ただずっと以前に、紋章がこれと似た反応をしたのを見た時がある。シークの谷で、テッドと再会した時……」
遠い記憶を思い起こすように、しばしナチは黙り込んでいたが、やがてまさか--と否定するように首を振った。
「やっぱり違うと思うよ。僕もこんなのを見たのは初めてだ。レックナートさんかルックあたりなら、何か知ってそうだけど……」
「そうかー……」
とマオは、がっかりしたように肩を落とした。
「じゃあ訊けないなあ……。あの人達がどこにi行ったか、僕、知らないんだ」
「僕も知らない」
ナチが素っ気なく肩をすくめて見せる。
「あの人達って、神出鬼没だからね。でも、もし会えたとしても、教えてくれないような気がする。あの二人、徹底した秘密主義者みたいだもの」
「そうだよね……。僕、ルックに『本当は何歳なの?』って、何度も訊いたけど、いつもうるさがって教えてくれなかった。真の紋章持ちは外見年齢が変わらないから、ホントの年齢は訊かなきゃわかんないよって、教えてくれたのはルック自身なのに--」
浮かない表情で言う少年を、ナチがギョッと見返した。
「そりゃあずいぶんと……大胆なことしたんだね、君……。よりによってあのルックに、そんなコワいこと訊くなんて……」
言っている途中で場面を想像してしまったものか、いかにも堪えきれないといった様子で、ナチは吹き出した。
「やっぱり君ってすごいよ、マオ。大丈夫、そんな君なら、何が起こったって切り抜けられるよ。紋章のこともね、あまり考え過ぎなくて良いって思う。それがそうなることに、もし意味があるとして……だけどさ。わかる時って、きっと来ると思うから」
「そうやって、笑いながら言われてもなあ……」
相変わらず肩を揺らしているナチを、マオは恨めしげに見つめた。だがあまりにも軽く言われてしまったが故に、かえってそうかもと納得する気にもなった。
「まあいいや……。ナチさんがそう言うなら、そうってことにしとこう」
「なんだよ、それ?」
笑いに涙の滲んだ目をあげるナチに、マオは笑いかける。
「だって僕、ナチさんのこと尊敬してるからね」
「だとしたらマオ、僕のこと買い被りすぎだよ……」
と、呆れ顔をしているナチには、やっぱり聞かせられないと少年は思った。
だってナチさんは、僕にとっても『英雄』だもの--
マオは、本当はそう言いたかったのだ。
とにかく、と気を取り直したようにナチが言った。
「いつか何処かで、レックナートさん達に会えたら、その紋章のことを聞いておいてあげるよ。ホントはあまり会いたくはないんだけど。でもきっと会う羽目になるんだろうね。また、宿星が集う時になれば……」
「それって……、また戦争が始まるってこと?」
不安な思いに、マオは眉を曇らせた。
「うん。すぐにではないだろうけど、きっとまた始まると思う。
出来ればその時は、傍観していたいところだけど」
悪戯っぽく笑っているナチに、マオはしゅんとした表情で返した。
「ごめん。僕とバナーの村で会わなかったら、ナチさんは今ごろグレッグミンスターでのんびり出来ていたかも知れないのに」
「それはどうだろう……? 峠を越えればすぐグレッグミンスターに辿り着くとわかっていたのに、結局僕は決心がつかないまま、ずっとあんなところで油をうっていたんだよ。
もし君に会わなければ、僕は故郷に帰れなかったかもしれない。だからきっと、君に会えて良かったんだと思う」
「そう、なら良かった……」
はにかむように笑いながらマオは立ち上がって、うーんと大きく伸びをした。照れて赤くなった頬を、ごまかそうとしてのことだった。
そのまましばし--二人は天山に棚引く白雲と、高台の風にそよそよとそよぐ緑野原に見入り、そうするうちに、ナチが言い出した--。
「ねえマオ。こんな広い場所で暴れると、きっと気持ち良いだろうね?」
唐突なその問い掛けに、マオはきょとんとした表情をナチへと向けた。
「暴れる?」
「久々に道場なんて見て、修行時代のこと思い出しちゃってね。後で一戦お願いしようって思ってたんだ。でもなんだかここで暴れた方が気持ち良さそうだ。どうかな?」
楽しそうに笑い、立ち上がったナチの手には天牙棍が構えられている。
「もちろん!」
応じてトンファーを構えながら、マオはにっこりと笑んだ。
ナチレベルの棍の使い手と、撃ち合えることなど滅多にない。出来ることなら、旅の間に一戦交えられたら良いと、マオにしてみてもナチと似たような思いを胸に抱いていたのだった。
「……なにやってんだ、あいつらは……?」
少年達に気付かれないよう離れた場所に潜んでいた青年は、いきなり討ち合いをはじめた彼等を、しばし呆然として見守った。
そうして後、ようやく気を取り直した様子で肩をすくめ、何処に向かってか、問うような言葉を投げ掛ける。
「まあ、所詮ガキのチャンバラごっこだ。特に止める必要はないだろう。
なあ、あんたもそう思うだろう?」
「おや、気付いてらしたんですか?」
と、応えるような声があがって、青年の背後の茂みが、がさがさと音を立てる。
やがてそこから姿を表したのは、黒ずくめの服に身を包んだ、三十代ぐらいの男だった。
「カーン、やっぱりあんただったのか……。行く先々で、ちらちら黒い姿が見えるから、きっとあんたかゲオルグあたりだろうって思ってたさ。まあ隠密活動するには、元バンパイアハンターだったあんたのほうが適役ではあるんだろうが……」
「そうですね、フリック」
無精髭がいっそアクセントにもなっている、その苦み走った口元に微笑みを浮かべて、カーン・マリィは青年に頷いて見せた。
「少なくとも私なら、行く先々で女性からの愁波を浴びることなんてありませんし、どんなに目立たない格好をしようと目立ってしまう、なんてマズイことにはなりません」
さらりと返された答えに、フリックは不審げに指先で顎をしゃくった。
「ずっとグラスランドのほう旅してたから、そんな噂ははじめて聞いた。いったいぜんたいゲオルグのおっさんは、いつからそんなことになってるんだ?」
「さあ、私も知りません」
青年の勘違いを敢えて指摘しないまま、カーンは何気なさそうに答えた。
「……ところであんたは、なんでまたこんなことを? ネクロードを倒したからバンパイアハンターを廃業して、鉱物学者になる……とか言ってた気がするが……」
「それも選択肢のひとつでしたが、私にはもっと向いている職業があると、シェラどのがそう申されましたもので。現在はあの方のもとで働いてます」
「シェラ……って、あの吸血鬼のおばばの?」
フリックは眉を顰めた。
見た目は楚々とした美少女だが、実のところ何百歳だかわからない彼女を、フリックは苦手としていた。別に何をされたわけでもない。ただ単にこの青年は、美女とか美少女とかいう類いのものが、ほとんど全般的に苦手なのだ。
しかし吸血鬼と元吸血鬼ハンターとが組んで仕事していると聞けば、いかな苦手意識すらも超越し、がぜん興味のほうに軍配があがった。
「いったいぜんたい、なんの仕事してんだよ、あんた達?」
フリックは、わくわくとして訊いた。
「探偵事務所です。ブルームーン探偵所と申しまして……」
カーンはごそごそと胸元の隠しを探り、一枚の名刺を青年に差し出して寄越した。
「以後、よろしく」
ガタイがでかいクセに、カーンは言葉遣いやら物腰やらがやたらめったらに礼儀正しい。 もったりと頭を下げられ、どうしていいかわからなくなったフリックは、
「はあ……」と、間の抜けた返事を返した。
「なるほどそれで、シュウからそちらに依頼がいったってわけだな……。しかし、マオ達の護衛ぐらい、おれ一人でも充分だってのに……」
プライドを傷つけられたものか、フリックが悔しげに言った。
もともと腕がよかった所に、ビクトールにつきあっての武者修行で益々腕を上げた青年だった。ハイランドでも、マオ達を待ち伏せているゴロツキどもを次々叩きのめすという芸当を見せた。
なのに依頼主は--シュウは、彼の腕を信じていなかったらしい……。
馬鹿にしやがって--と、フツフツ怒りをたぎらせている青年に、カーンは困ったように首を振って見せた。
「違いますよ、フリック。今回私が引き受けている仕事はガードではなく、単なる素行調査なんですよ。それに、調査対象はマオどのではなくて……」
「じゃあナチかよ? まったく、あのショタコン野郎めが!」
唸るようにフリックが口を挟んだ。
「それも違います。私が調べているのは、あなたなんです」
苦笑するカーンを目の前に、フリックは硬直した。
「……俺の何を、調べてるって?」
「ですから素行を、です。平たく言ってしまえば、あなたの日常の行動とか、浮気をしていないかとか、そういったことですね……」
真面目くさって為される説明を聞くうち、フリックの眉間には見る間にむくむくと青筋が浮き上がって来た。
「何をふざけてやがるんだ、あいつは……っ!?」
唸るように言ったフリックは、地面を踏み荒らすようにしながら、その場を後にした。 怒りのあまり、もはや身を隠すことさえ忘れているらしい。そのまま茂みから出て、ずんずん斜面を下っていく。
それでも、一応は自分の役割を思い起こしたらしい。途中で振り返った青年は、怒鳴り声でカーンに告げた。
「素行調査の報告とやらは、このおれが自分でしてやる。
そのかわりあんたには、あの二人のガードをまかせたからな!」
遠くなって行く背を見送って、カーンは少し肩を落とした。
「まずりましたね、これは……。シェラどのに怒られてしまいそうだ……」
溜め息まじりに転じた視線の先では、相も変わらず少年達が剣戟を交わしあっている。
自在に武器を操り、舞踏するかのように空間に閃く少年達の姿に、カーンは感嘆のまなざしを投げ掛け、ゆったりと笑んだ。
「微笑ましいですね……」
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幻想水滸伝 Wリーダーの冒険 (2主人公=マオ・1主人公=ナチ) 続き物です。act6とact7を同日アップ。二人の旅もそろそろ終わり近く。ゲンカクおじいちゃんとナナミと暮らしていた懐かしいキャロのあの家へ… 話中、ちらほら姿を見せていた108星の一人がやっと判明。