一刀は風と稟に合流する。
「大丈夫ですか、一刀殿?」
「逃げろって言ったのに……でも助かったよ」
礼を言う一刀に稟は微笑むと、風を見て言う。
「風をお願いします。人形を操っている間は動けないので」
「わかった」
一刀は風を抱えると、その場から走り出す。そして並んで走る稟に訊ねた。
「それで、どうする?」
「とりあえず、人混みに紛れましょう。さすがに、あまり目立つような行動はしないかと思います」
「よし」
人の姿がまったくない貴族の屋敷が並ぶ一角を二人は走り抜け、目の前に人の姿が多い通りが見えてくる。もうすぐ、そう一刀が思った矢先だった。
「逃がさない」
強烈な攻撃が、一刀を背後から襲った。一刀の体は勢いよく通りに転がり、抱えていた風も離してしまう。通りにいた人々から悲鳴が上がり、辺りは混乱に包まれた。
「一刀殿! 風!」
稟が走り寄ろうとするが、追いついた仮面の男が遮るように掌底で稟を吹き飛ばす。そして男はそのまま、倒れた一刀に馬乗りになると顔面めがけて拳を放った。かろうじて片腕で直撃を防ぐが、それでもダメージは確実に一刀を蝕んだ。
仮面の男の素早い打撃に、一刀の頬は細く切れて血が滲んだ。何とか上に乗った男から逃れようとするが、足でガッチリと挟まれて思うようにいかない。
「くっ!」
そこへ再び風の操る宝譿が襲い掛かる。邪魔そうに両手で払う男の隙をつき、一刀は這うようにしてなんとか男から逃れた。だがすぐさま男は追いすがろうとし、今度は稟がそれを阻む。
「行かせません!」
稟は長く伸びた爪で、男に襲い掛かった。腕を切られた男は軽く舌打ちをし、稟から距離を取る。
「……お前……吸血鬼か」
そう問いかける男に稟は黙って笑い、二本の牙を覗かせた。そして地面を蹴って宙を舞うと、長い爪を武器に、突き刺すような攻撃を繰り出した。
仮面の男は腕が切れることも気にせず、両手を使ってその攻撃をさばいてゆく。それを邪魔するように、再び宝譿が男の視界を塞いだ。
「チッ!」
舌打ちを漏らし、仮面の男は宝譿を掴むと無造作に放り投げた。そして宝譿を操り動くことができない風に向かって、攻撃を仕掛けようと跳躍する。だが、すかさず一刀が体当たりで行く手を阻んだ。
「とりゃあ!」
男はわずかによろめいたが倒されることはなく、腰を落とし足を踏ん張って体勢を維持すると、がら空きの一刀の腹部に突き上げるような拳を放った。合計三発の攻撃に、一刀はその場にうずくまって声もなく顔を苦痛に歪める。
それを一瞥した男は、再び風に向かって歩こうとし、背後に迫る稟に気付いた。爪が届く間際で、男の後ろ回し蹴りが稟に直撃。稟の体は吹き飛ばされて、露店のテントを破壊し、その残骸に埋もれた。
風は宝譿を操るのを止めるため、自分の手元に帰還させた。だがすでに、一刀と稟を退けた仮面の男が目前に迫っている。宝譿を通して見ていた視界が、徐々に霞んで自分の視界へと戻ってゆく。
(あと少し……)
意識が完全に自分の元に戻れば、ここから逃げることも出来た。今のまま宝譿を操っているよりも、その方が一刀たちの足を引っ張らずに済む。
「まずはお前からだ」
男の声が聞こえ、風は自分の目でその姿を捉えた。ようやく自由に動けるようになったが、もう間に合わない。振り上げた手刀を、後は風に突き立てれば終わりだ。
(美羽様!)
ぎゅっと目を閉じ、風は無念さを滲ませた。だが手刀は振り下ろされず、ドンッという何かがぶつかるような音が聞こえたのだ。ゆっくり目を開けると、そこには孫権の屋敷で見た目つきの鋭い女性が立っていた。
(確か……甘寧さんですね)
甘寧は仮面の男と対峙し、剣を構えた。向こうでは孫権が、一刀と稟を助け起している。
仮面の男は突然現れた二人を交互に見ながら、じりじりと後退した。そして不利とでも思ったのか、甘寧を警戒しながら踵を返して走り去ったのである。
「追わなくていいわ、思春」
追いかけようとする甘寧に孫権がそう声を掛け、風のもとに歩いてきた。一刀と稟もやって来て、互いに無事を確かめ合う。
「怪我はないか、風?」
「はい、大丈夫です」
三人は孫権に礼を述べた。
「助かりました」
「騒ぎを聞いて何事かと思ったけど、いったい何があったの?」
顔を見合わせた三人は、一刀が代表して事情を説明する。孫権は雷薄の屋敷がこの街にあると聞き、驚いた様子だった。
「あそこまで過剰に反応する様子だと、やはり奥の部屋に何かあるのかも知れません」
「そうね……」
風の言葉に孫権は頷き、仮面の男が去った方角をじっと見つめる。心に何かが、引っかかる気がした。
是空は荒く息を吐き、屋敷の道を戻って行く。
(いったい、何だ?)
撤退するほど不利な状況だったわけではない。二人やって来たが、それほど手強い相手ではなかった。少なくとも、是空の腕ならば退ける事は可能だ。しかし、後から来た二人の弱そうな方の女性を見た瞬間、心臓が激しく動き出したのである。
(どこか、あの女……孫策だったか、顔立ちが似ている気がした)
孫策の名に聞き覚えはあったが、どんな人物なのかは知らない。知っていたなら、妹の孫権だとすぐに察することが出来ただろう。ただ、是空の心には不思議な気持ちだけが残っていた。
(そうだ、孫策を助けた時もこんな気持ちだった。何かをしなかればならないという、強い衝動に襲われる)
是空は自分の胸を押さえた。少し、鼓動が治まる。直後、是空はハッとした様子で突然速度を上げると慌てて屋敷に戻った。そして井戸まで行き、誰もいないことを確認すると仮面を取る。
「何だ……」
指先で自分の顔に触れ、是空は驚きの声を上げた。
「俺は……泣いているのか?」
頬を濡らすものは、間違いなく彼本人の涙だった。
「なぜ、泣いているのだ? 何を泣いているのだ?」
顔と共に記憶も失っているはずだった。胸を刺す痛みが、どこからやってくるのか。是空は戸惑い、すべてを打ち消すように井戸の水を汲み顔を洗う。再び仮面を付けた時は、すでにいつもの自分を取り戻していた。
今後の事について相談を終え、帰って行く一刀たちを蓮華は見送るついでに街の様子を見て回る。思春が付いて来ると言い張ったが、出かけたまま帰ってこない小蓮の捜索を任せた。
(まったく、あの子はいつも……)
元気なのはいいが、少し手が掛かるのが悩みの種だった。
(あの子も、そろそろ孫家の人間だという自覚を持って欲しいけれど)
そんな事を考えていると、ふと向けた視線の先にその小蓮の姿を見つけたのだ。
「シャオ!」
声を掛けると向こうも気付いてこちらを見た。小蓮の隣には、見慣れぬ女性がいる。
「シャオ、思春が探して……」
言いかけた蓮華の元に、小蓮は走り寄って来てギュッと腰に抱きついた。驚いた蓮華は小蓮を引き離そうとして、手を止める。
「うっ……ひっく……」
小蓮は蓮華に顔を押しつけて、泣いていたのだ。こんな姿を見るのは、初めてだった。
「シャオ……」
戸惑いながらも、蓮華は近づいてくる女性に軽く会釈をしながら、小蓮の頭を優しく撫でた。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。