「他人には興味がないと言った陸遜殿が、何故、彼女の事を気に掛けるのだ?」
「そうですねぇ……人物そのものに興味があるわけではなく、情報として知りたいという好奇心でしょうか」
「情報か……なるほど」
「今や権勢を欲しいままにする
「匿っているわけではないが……」
考えるように目を閉じた是空に、陸遜はあと一押しというように付け加える。
「お相手が女性では、色々とお世話も大変なんじゃないですか?」
「まあ確かにな……時々、医者が寄越す老婆が面倒を見てくれるが、基本は俺がやっている。朦朧としているが、一応、本人の意識はあるから日常の行為は何とかなっているがな。それでもやはり、男の俺ではわからぬことも多いだろう」
「私も常にここへ来ているわけではありませんが、居る間はお手伝い致しますよ? どうでしょうかね?」
伺うように、陸遜は小さく首を傾げた。目を開けて是空は頷くと、部屋として使っている蔵に向かって歩き出す。
「内密にと言われている。その辺りを、ご配慮頂きたい」
「わかっていますよ」
是空の後に続き、陸遜も部屋の中に入る。机の上に自分の食事を乗せ、さらに奥の扉を開けた。するとそこには、地下へと続く階段が現れたのだ。階段の下の方からは、わずかに淡い明かりが漏れている。
「扉は閉めてくれ」
陸遜にそう言うと、是空は階段を下りて行く。中は少し肌寒いと感じるほど、空気がひんやりとしていた。一番下に着くと、寝台が二つ分ほどの広さの部屋に出る。壁に寄せた寝台には、一人の女性が眠っていた。
「彼女がそうですか……?」
陸遜の問いかけに、是空は黙って頷く。そして持っていた彼女の食事を、寝台脇のテーブルに置いた。壁にはランプがいくつか取り付けられ、オレンジの淡い光を放っている。陸遜はもっとよく見ようと、寝台に近づいた。そして、ハッと驚いたように身を強ばらせたのだ。
陸遜の異変に気付いた是空が訊ねる。
「どうした?」
その声に、陸遜はゆっくりと是空を見た。
「私、この人を知っています……」
「本当か?」
「はい。寿春で何度か……気さくに街の方々と交流をされていました」
是空は一度、陸遜と寝台に横たわる女性に視線を送る。
「是空さんはご存じないみたいですね?」
「ああ……ただ、雷薄様は知っているようだった」
「雷薄さんはここへ来られたのですか?」
「いや、人相書きを届けたのだ。どうやら記憶を無くす前の俺は、多少、絵の
少し恥ずかしそうな是空の様子に、陸遜は目を丸くして驚いた。だがすぐに真顔に戻って、じっと女性を見つめた。
「彼女は……孫策さんですよ」
「孫策……聞き覚えがある」
「まあ、この周辺では有名な方ではありますね」
是空は何度か、孫策の名前を呟いてみる。何かが引っかかるというよりも、むしろその名を口にするのが自然な気がした。心に浮かぶのは、記憶にない感情だ。だがそれは、嫌なものではない。
「ん……」
話し声は聞こえたのか、寝台の女性――孫策がわずかに声を漏らす。そして、ゆっくりと瞼を開き、ぼんやりと天井を眺めた。
「目が覚めたようだな……食事にしよう」
「それでは私が――」
そう言って置いてある食事に手を伸ばした陸遜は、掴もうとしてスプーンを落としてしまう。
「ありゃ……すみません」
「いや、別のを持って来よう。少し彼女を見ていてくれ」
是空は落ちたスプーンを拾い、階段を上った。
扉を開けようとして、是空は動きを止める。扉の外で、わずかな物音が聞こえた。人の気配は感じられないが、何かが居るようだ。
一度深呼吸をし、慌てずいつも通りを装って扉を開けた。真っ先に視界に飛び込んで来たのは、奇妙な人形だ。左側にだけ目のような丸いものがあり、それが是空の目と合った。
「――!」
瞬間、人形は慌てて窓から飛び出して行く。是空はすぐさま、蔵を飛び出した。
(見られたか!?)
確信はない。だが、あの人形は確かにこちらを『見た』のだ。何かを調べていたのかも知れない。だとすれば、地下の女性……孫策のことも嗅ぎつけている可能性がある。このまま逃がすわけにはいかない。
(どこだ?)
人形の姿を探すと、ちょうど塀を越えて行くところだった。追いかけるようにして塀に飛び乗ると、向こう側の道にさきほどの人形を手にした少女の姿が見えた。わずかな逡巡の後、覚悟を決めて是空は拳を握る。そして少女目掛けて、力の限りに拳を叩きつけたのだ。
「危ない!」
その時、突如として是空の視界の外から何者かがそう叫び、攻撃を仕掛ける中心に飛び込んで来たのだ。目標の少女の頭蓋を粉砕し、死に追いやるはずの拳は障害もなく地面に到達する。砂煙が舞い上がる中、大きくえぐれた地面に是空は立ち上がった。
視線を向けると、片腕の若者がさきほどの少女を抱えている。どうやらあの若者が助けに飛び込んだようだ。知り合いだろうか、もう一人別の少女が二人に走り寄って来た。
(三人……)
全員を始末しなければならない。だが、あの片腕の若者は少し手強そうだ。是空が身構えると、その若者は二人の少女を背中にかばって同じように拳を構えた。飛び込むには、少し遠い間合い。
緊張で空気が張り詰め、風すらも息を潜めたように静かになった。ズッと摺り足でわずかに詰める。若者も、同じように距離を詰めた。だが一瞬、若者の意識が少女たちに向いたと思った直後、是空が先に仕掛けた。
向かい合った瞬間、一刀は圧倒される気持ちになった。並の相手ではない。騒ぎを聞き走って来た稟と風を背中にかばい、拳を構えた。
(どうする?)
二人をかばいながら戦うのは難しい。一刀が二人を気遣い、わずかに意識を向けた瞬間、仮面の男が襲い掛かってきた。風たちをかばっている以上、避けるわけにはいかない。一刀は仮面の男の攻撃を片手で受け止め、少ない手数の代わりに回し蹴りを放つ。
仮面の男はすぐさま、後ろに飛び退いた。
「今だ! 二人とも、早く逃げろ!」
そう叫び、一刀はさらに前に進み出る。下がっては、二人を逃がすことは出来ない。
「お兄さん!」
「一刀殿!」
二人の声を背中に受け、積極的に攻撃を仕掛けた。だが慣れない素手での戦いに加えて、やはり片手では仮面の男を追い詰めることは出来そうになかった。表情は見えないが、動きの一つ一つに余裕が感じられる。
(くそっ!)
もう片手の生活に慣れているつもりだったが、咄嗟の動きではまだ失った右腕を動かそうとしてしまう。もどかしさと悔しさが、一刀の心を泡立てた。
しかしそんな想いに沈む余裕はなく、仮面の男の反撃に一刀は徐々に押されてゆく。そしてついに、背中が塀にぶつかるところまで追い詰められた。
「終わりだ」
籠もった声が仮面の奥から漏れ、そう言うと拳を振り上げる。このまま、一刀の顔面が頭蓋ごと砕かれるのだろうと思われたその時、宝譿が仮面の男の視界を塞いだのだ。
「一刀殿、こっちです!」
見ると、風と稟が曲がり角から顔を覗かせていた。
「逃げろって言っただろ!」
そう叫びながらも、一刀は二人の元に走った。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。