別館を出て本館に足を踏み入れた。本館に行く途中で安心院銀と名乗る庭師に出会い、軽く挨拶を交わした。
変わった名前と、自分たちとは違う黒髪と黒い目で、のっぺりとした顔をしていたのを疑問に思いフィンにあの庭師は変わっているなと聞いたら、東の大国から来たのだと教えられた。
東の大国ではここよりもっと酷い種族間の対立がある。あの庭師は人間なのに何故ここに来たのだろうとか、もしかしたら人外である事を隠しているのだろうか、とか思って廊下を歩いているとフィンにさっさと歩けとどやされて尻を蹴りあげられた。
「ふぎッ」
「静か、に!」
悲鳴を上げかけた口を塞がれる。
「ここ、が、御嬢様、の、部屋。もしかすると、勉強中、かも、しれない」
そう言いつつも執事の特権としてノックもせずにドアを開けた。
「入り、ますよ。御嬢様」
そう声を掛けて部屋の中に入る。
シンプルな部屋の中にはベッドと机、椅子、本棚とソファーしか無くソファーの上に巨大なテディーベアが座っていた。
勉強中というわけではないらしい。脱ぎ散らかされた洋服はむしろ、遊びに行っているような印象すらうかがわせる。
「っあの、小娘がぁ……」
何となく本音が聞こえたような気がしたが、聞かなかったことにした。
「小娘って誰ですかぁ?」
まだあどけない、少し鼻にかかった様な少女の声が自分のすぐ近くから聴こえて来た。
ふと横を見ると、ワンピースを着た華奢な人間の少女が笑顔で立っていた。
フィンがびっくりして振り返り、少女を見下ろす。
「い、つから、い、たん、で、すか」
いつもよりも多く言葉を区切ってフィンが少女に問う。相変わらず笑顔で少女は答える。
「あなたがここに入って来た時からですよ」
フィンは頭を下げて謝罪する。
「申し訳、ございません。無礼をはたらいてしまって」
「いいんですよ。それよりもこの男の人は誰ですかぁ?」
下げていた頭を上げ、フレデリックの手を引き少女の前に立たせる。
「この、男はノエル様の新しい護衛兼話し相手でございます。煮るなり、焼くなり、好きになさって、ください」
若干物騒な単語を織り交ぜながらフィンが説明をする。
「話し相手?んなこと聞いてねえ。俺はただこのガキを守れとだけ……」
尻にフィンの膝が食い込み、呻き声を上げる。
「黙れ」
とにかく今の環境を受け入れろ、と言わんばかりに頭を小突かれる。
「あ、あの、どうかなさったんですか?」
心配そうなノエルにフィンはとびきりの営業スマイルを浮かべて答える。
「いいえ?なんでも、ございません。とに、かく、好きになさってください。では私は、これで」
フィンはノエルの方へフレデリックを半ば軽く押しやり、いそいそと出て行った。
困った様にノエルはフレデリックを見つめていたが、それは彼の容姿を怖がっているわけではないらしい。
ただ単にどうすればよいのかが分からない、といったような感じだ。フレデリックは彼女を見下ろし、溜息をついた。
彼はこの年代の子供と触れ合った経験が大人になってからあまり無かった。それ故にこの少女にどのような話し方をすればよいのかがさっぱり分からなかった。
「あー、分かんねぇ分かんねぇさっぱり分かんねぇ」
がりがりと機械と皮膚の接合部分を軽く掻き、ノエルの目を見た。ピントを合わせようと義眼のレンズが収縮する機械音が聞こえる。
その様子にノエルは何故か目を輝かせ、小さく「見せて」といった。言われるままにフレデリックはしゃがみ、彼女に自分のついたばかりの義眼を見せる。
何故この少女はこの姿を見て悲鳴を上げないのだろうか、と疑問に思った彼は素直にそれを口にした。
「なら、あなたはどうして自分の顔を私が気味悪がるって思ったんですかぁ?」
間延びした、惚けたような声で逆に問いかけられ、彼は言葉を濁す。言おうと思えばいくらでも言えた。それはお前が子供だからだ。子供は恐ろしくて不気味なものを嫌うだろうと。
だが彼女はそれが通じそうな相手ではないようだ。
「そ、それは、あー」
少女はニコニコ笑いながら彼の頭を撫でた。
「ごめんなさい。ちょっと意地悪な質問でしたねぇ」
馬鹿にされているようで腹が立ったが、今ここで怒ったら後々後悔する事になると何となく分かった。ちらちらと笑顔のフィンの顔がちらつく。
彼女はソファまで歩いていき、テディベアをベッドに置くとフレデリックに向かって手招きをしてソファーに座るように言った。
「実は、フィンにも同じ事を聞かれたんです。人外が怖くないか。時々獣になる自分が怖くないのかって」
何か言おうとしたフレデリックを遮り、彼女は話を続ける。
「私、全然怖くないんです。どうしてだか分からないけど、どんなにフィンが獣になってもそれが私を守るためだって思っていたから。それに、お母様に人外も人間も同じ。姿が違っても生きていて心がある事には変わりないって昔から言われていたんです」
ほう、と関心の声を上げるフレデリック。この少女の母親は恐らく種族平等主義者なのだな、と思った。
彼の所属していた軍隊の隊長は極端な人間至上主義者で、部隊に人外が入ってくるとよくしごきと称した虐めを度々行っていた。種族平等主義を自称していた仲間も隊長の命令には逆らえなかったのかただ単に上辺だけの種族平等を謳っていたのかは定かではないがその虐めに参加していたのをよく覚えている。ちなみに彼はといえば止める事も参加する事もしなかったが、2人きりになった時は何気ない世間話をしたり相談に乗ったりしていた。人外を迫害するのはあくまで上司の思想が傾倒しているからであり、自分はその思想に染まる事は無いし自分までもが彼を迫害する、という愚かなことはやる必要がないと思ったからだ。
じっとノエルの顔を見つめる。
待てよ。アイツに守ってもらっているんならどうして俺は何故ボディーガードとしてここに居るんだろうか。ふとそんな考えが浮かんだ。
「あ、あの、どうかしたんですか」
「フィンが獣になって私を守る、と言ったよな。だったら、俺じゃなくてアイツに守ってもらえばいいんじゃねえのか?」
その言葉を聞くと、彼女は肩をすくめた。
「あ、それは……事情があって」
「言えねえ事情なのか」
黙り込むノエル。
「だったら俺は辞めるぞ。そんな訳ありの仕事なんか出来ねえ」
フレデリックが立ちあがろうとした時、ノエルが先に立ちあがって彼の肩を思いきり押さえた。
「人の話を最後まで聞きなさいって、あなたのママは教えなかったんですか」
にっこりと微かに怒りを浮かべて彼女は子供が覚えているとは思えない言い回しを吐いた。その剣幕に押される様に彼は再びソファーに腰を下ろした。
「フィンはあなたが知っているように亜人です。彼は、興奮すると見境なく人を傷つけてしまうんです」
「それがどうした」
「だから、私の護衛をする事が出来ないんです。前に彼はここのメイドを殺してしまったんですから」
ノエルの言葉にフレデリックは衝撃を受ける。背中を冷汗が流れ落ちるのを感じる。
その脳裏に凶暴化してメイドの体を食いちぎっているフィンの変わり果てた姿が浮かんだ。彼女はその現場を目の前で見ていたのだ。護衛を彼に任せるはずがなかった。
もしかするとメイドでは無く、このまだ幼い少女がフィンに殺されていたのかもしれない。その光景を想像するだけで鳥肌が立った。
もう彼に一遍の迷いも無かった。この少女は自分を必要としているのだ。
「分かった。お前の護衛をしてやる。ただし俺は礼儀も何も知らねえからお前に無礼な態度を取るかもしれない。覚悟しとけよ」
ふふ、とノエルは笑った。
「よろしくお願いします。フレデリック」
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
久々の投稿ですね。遅筆だなぁ……←