No.233497 鬼ヶ淵の怪2011-07-26 11:42:47 投稿 / 全10ページ 総閲覧数:636 閲覧ユーザー数:571 |
それは確かにあの人だった。
どこか寂しさを感じる綺麗な顔。
其れは確かに彼女だった。
風で折れそうなくらい細い体躯。
逸れは確かに…でも
その右手には彼女のイメージとかけ離れた「それ」。見入っている。畏れている。そして…自分は、疑問を感じている。
「なにが…そこまで、あなたを?」
しかし、「それ」が命じているのだろうか。思った事を口に出せない。声が出ない。出せない。呼吸すらも止めかねない。
極限まで制限された思考の中でこう思う。
「だれか…おしえてくれ。なぜ、こんなことになったのか。それだけが
最期の願いだ」
そして、振り上げた「それ」をこの頭めがけて思い切り―
*
物心付いた時から周囲の俺の評価は「冷静な子供」だったらしい。実際、俺にもその自覚はあった。恐らく、自分でも子供に有りがちな突拍子な行動を取ったらどういう目に遭うか自ずと悟っていたのかもしれない。しかし、その割に好奇心旺盛でそれが災いしてついつい他人のペースに流されてしまう。これも当時から言われていた事だ。俺には昔からの腐れ縁ともいうべき連中がいるが、そいつらがこちらの思案を見透かしたかのように俺を連れまわして度々厄介事に巻き込ませる。例えば、小学校の修学旅行の時だったか。広島1泊2日行きの電車で「広島には何があるだろう」というような事を流れる景色など見つつ考えていると、
「なぁ、着いたらまずどこに向かう?」
「やっぱり、町をぐるりと見なきゃね。他の場所に行くのはそれからそれからっ」
などと声を掛けられて広島市を数時間連れ回される破目になった(後で、3人仲良く教師陣による長時間の説教を食らったのは言うまでも無い)。
「なぁ、流行。お前の意見はどうだ?」
まぁ、それでもこいつ等と縁を切ることなんて考えられない。何だかんだ言っても2人とも悪気なんて微塵もないし。
「おーい。水橋流行クン、聞こえてマスカー?」
そして、何よりの理由は俺自身も刺激的な事は嫌いじゃないからついつい
「おい、コラ!返事しろッ!」
「っ!!何だよ、うるさいなぁ」
「これからのプランだよ。結局、予定と言えばあちらの家に寝泊りさせてもらうぐらいしか決まってないだろ?まずは駅についた後の予定を相談したいんだけど」
崇の奴はいつもこんな感じだ。常に先へ先へ突き進もうとするから事態を余計ややこしくさせてしまう。
「あのな、駅に着いてからの最初の予定を忘れたのか?」
「確か、赤鬼さんと待ち合わせだったよね?」
もう一人の静は崇よりはマシだが、怪しい場所があったら即覗こうとする好奇心を具現化したような性格なのでこちらもこちらで性質が悪い。
「そう、だから赤鬼さんの都合を考えなきゃダメだろ?そもそも、親御さんに俺達がこっちに来た本当の理由は話していないみたいだし」
「まぁ、私達からも話さない方がいいんじゃない?その…あまり気分のいい話題とは言えないし」
「そうだよなぁ。俺達ですら自由研究のテーマが『自然と山村』に決まったから手頃な田舎村に現地調査しに行くって誤魔化したし。まぁ、あっちで寝泊りするっていったら流石に反対されちまったけどな」
「そりゃそうだろ。いくらなんでも中学2年生の子供を知らない土地で寝泊りさせようとする親なんてそうそういるとは思えないが。ってか説得するのに苦労したよ…」
「ははっ、違いねぇ」
「でも、今こうして雛見沢行きの電車に乗ってるんだからその価値があったってもんじゃない。あ!ほら、見えてきたよ!」
…正確に言うと雛見沢じゃなくてその麓の興宮行きなのだが。しかし、そんな質問は不粋だろうと自分でも思う。だって、こんな理屈臭い俺だって「未知との遭遇」に高揚感を隠せないのだから。他の二人も多分同じ気持ちを抱いているだろう。雛見沢連続殺人事件の謎に挑む。その足掛かりである麓町・興宮の駅のすぐ近くまで電車は俺達を近づけていた…。
そもそもの発端は数ヶ月前に遡る。静の奴が夜中にいきなり
「ねぇねぇ、匿名掲示板で面白そうなスレッド見つけたから見てみて!」
なんて電話をかけてきたので仕方なく、「雛見沢連続殺人事件ってどうよPRAT6」とかいうタイトルのスレッドを覗いて見た。…なるほど、あいつが夢中になるのがすぐに理解できた。雛見沢村連続殺人事件。まだ俺達が生まれる前、地方の寒村雛見沢村で5年連続で発生した事件。「昭和最後の猟奇事件」として日本犯罪史にその名を刻んでいるのだが、明確な情報がほとんど一般に知れ渡ってない為に未だに謎の部分が多い。そもそもスレッドが出来た経緯も当時の報道されていた、村の旧家であった御三家が暗躍していたという概要に何となく違和感を感じた人が立てたのが発端だそうだ。俺達がスレッドを覗いたのは事件関係者に所縁のある者が何名か現れ、ハンドルネームを名乗り始めるなどスレッドが最高潮に盛り上がっている時期だった。
ともあれ、俺達3人はこのスレッドの常連になった。色々話し合ったり、熱い議論なんか交わしてみたり。こういう未知の要素を他の人とあれこれ考えるのはこの上なく楽しいという事をまじまじと思い知らされた。
そうこうしている内に、夏休みが近づいてきた。ある日崇が、「俺達で雛見沢行ってみねえか?」なんていきなり言い出した。静も「いいねいいね」なんてもう村に着いたかのような気分で話しているし、俺も例のごとく2人の勢いに流されてしまい、結果として「今年の夏休み、3人で雛見沢に行くことになったのだが現地の人で協力できる人いる?」なんて代表のレスをする破目になった。どうせ協力してくれる奴などいないだろうと勝手に自己完結していたのだが、そんな意図とは正反対に協力者…しかもスレッドでも著名な固定ハンドルの人二名、赤鬼さんと青鬼さんという人があっさりと承諾のレス。事前にメールで何度か事前相談を行った結果、1つ目は二人ともまだ学生なので親に何らかの形で承諾を取らなければいけない事。2つ目に青鬼さんは家の都合等でよく町を離れるので、俺達が予定した日程にいるかどうか分からない事。最後の3つ目は、互いの詳しい素性はあちらで話し合うという事が決まった。とりあえず、個人的な見解としては3つ目にどんな意図があるのかよく分からないのだが。
そんなわけで、筆記用具やら事件を纏めたメモ類やら寝泊りの道具やらをバッグに詰め込んで、朝一の電車を乗り継いで数時間。ようやく目的地の1つである興宮駅に到着しようとしている。しかし、駅に着いた後の事を誰も考えていなかったのはなぁ…。建てた計画がどこか抜けているのはいつもの事とはいえ、こんな調子でこの先大丈夫なのだろうか…。
想像していたよりはそれなりに広く、改修も充分。これが、俺の興宮駅に対する第一印象だった。個人的には、寂れた寒村と評されている雛見沢村の麓町の駅だからこちらもいい具合にしなびていそうだなぁと考えていたが、これは興味深い誤算。
「なぁ、赤鬼さんの目印って桃色のバンダナ付けた人だったよな?」
いきなり崇が珍妙な事を口にする。早速俺はいつも通りツッコミを入れる。
「違う違う、古びてくすんだ白色の帽子だろ?どういう過程でそんなキーワードが出てきたんだよ…」
とはいっても、なんでそんな中途半端な代物を目印にしたのかよく分からない。まぁ、「目」立つ「印」としては効果的かもしれないが。
「もしかして、あれじゃない?あの女の子」
静が指差した先には…、確かにいた。俺達と同じぐらいの年格好の女の子。そして、その頭には使い古されてくすんだ白帽子がちょこんと乗っていた。
(うーん、ここからじゃ顔はよく見えないけど髪形は…ショートカットか)
そんな事を考えていた刹那、
「おーい、そこの人ぉ。もしかして赤鬼さんですかぁ~?」
いきなり、そんな大声を出しながら少女のいる方角にむけて走り出す静。思わず「馬鹿っ!」と叫び、スプリントモードに入っている右手を無理矢理掴んでこちら側に引きずる。
「痛い痛い痛い!流行くん、何するの!?」
「そりゃこっちのセリフだ。頼むから、いきなり田舎の駅前でネット世界限定の名前を叫びながら走るなんてイタイ真似は止めてくれっ」
「でもな、流行。目印の条件に合う帽子被ってるとはいえ本人とは限らないぞ」
「そうだよねー。でも、これが一番分かりやすいって思ったんだけどなー」
「だけど、それとこれとは話が…え?」
くすんだ白帽子にショートカット。いつの間にか俺達のすぐ目の前にいた少女は言った。
「初めまして。赤鬼こと竜宮奈緒です。よろしくっ」
「それじゃあ、奈緒さんは私達と同じ中2なんだ」
「『ちゃん』付けでいいよ、静ちゃん。こっちもちゃん・くん付けで呼ぶから」
「了解!それじゃあ、奈緒ちゃん、ついでに次の質問。彼氏いる?だって、こんなに可愛いんだしいてもおかしく無いと思うぜ」
「崇、いくらなんでもその質問は馴れ馴れし過ぎだぞ…」
あの後、赤鬼こと竜宮奈緒さんの案内でこの興宮町を昼前までぐるりと周った。まぁ、特にこれといって珍しいものは見当たらなかったのだが、考えていた以上にこの町はしなびていない。確かに田舎の寂れ町という印象は拭い切れないが、何というか町全体の雰囲気にのんびりした印象を受けた。
(あんな大事件がすぐ近くの村であったのに、20年も経てばこうなるものだろうか?)
普通は、もっと陰惨とした空気だったりするものだと町を巡りながらそう感じていた。途中でその辺りを奈緒さんに聞こうと思ったのだが、案内当初にあの2人が「いろいろな場所を見たい!」なんて言うものだからみんな移動に専念。彼女から施設等の簡単な説明を聞いただけの上、歩いている途中でも2人が目に付いた建物の説明を求めるものだから、この疑問を聞く暇が無かったのだ。そういう訳で、昼食の合間に色々聞こうと思ったのだが…。
「…」
「どうしたの、流行くん。いつも以上に複雑な顔して」
さっきから、どうとも思わない振りをしていたが…もう限界だ。
「あのさ、このファミレス…。どこのアキバ系?」
そう、崇の『お値段お手ごろでおいしい店』というリクエストに答えて奈緒さんが真っ先に向かった地元のファミレス『エンジェルモート』。そのウェイトレスさんの格好が…余りにもアレ系のものだったのだ。
「えー、でもかわいいじゃない?私も着てみたいなー」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくて!どう考えてもこの格好は20年ぐらい時代を先取りしてる!こんなの本場の秋葉原でもないだろ!…多分」
「それにしても、エ…凄い衣装だなー。いつからこの制服になったんだ?」
「最初からみたい。って言うか、この店結構昔からあったらしいの。数年前だったかな?創立20周年記念フェスタやってたよ。あの時の限定デザート、美味しかったなぁ」
「…前言撤回。これは100年後の最先端だな」
いかんいかん、何時の間にかまたあいつらのペースに乗せられている。この辺で言いたいこと言っとかないと次の質問の機会がいつ来るかわからない。
「それはともかく、たまには俺にも質問させろ。いつもお前らが先を争って行動するから俺の質疑応答の時間がないんだよ」
「ふーん、珍しいな。いつもは遠くから眺めてばっかのお前にしては」
「大きなお世話だっ!で、奈緒ちゃん。町を見ていて思ったんだけど」
俺は、先程からの疑問を彼女にぶつけてみた。彼女はしばらく腕を組んで黙っていたが、やがてため息を1つ吐いてから語りだした。
「うーん、それはね…私もよくは知らないけど」
彼女の語るところによると、事件直後の数年間興宮一帯は非常に混沌としたものだったらしい。表向きは殺人事件によって村の中枢に致命的な打撃を受け、麓町でも何かと村に対して陰口噂を叩き合っている程度だったらしいが、裏の世界はそういうわけでもなかった。
「裏の世界?」
「そう、やくざとかその辺のね。連続殺人事件の主犯たる園崎家、もといその一族が鹿骨市一帯で大きな力を持っているのは知ってるよね?掲示板でも何度か話題に上がったし」
「うん、確か事件当時の園崎一族のパイプは相当かつ多岐多様に広がっていたと聞いているけど…ん?」
「どうしたの?」
「いやさ、ふと思ったんだけど裏の騒動の原因ってもしかして…んんん」
「おいおい、言い出しといてまだ考えるのかよ?お前の悪い癖だなぁ」
「大して考えないで動くお前に言われたくない」
崇の突っ込みを軽く流して俺なりの推論を言ってみる。
「つまりだ、パイプの中心にいたのが事件を起こした本家の頭首だろ?最後の事件で次期頭首が現頭首を殺害してそのまま死んでしまったということは…、当然分家筋で遺産相続を巡って争いが起きる」
「そういう事。園崎家は裏の世界では特にやくざ達と深い繋がりがあったの。そのやくざ達が本家の遺産相続に関して授与するかしないかの2つに分裂。それはもうすさまじい抗争になったとか」
「莫大な遺産を廻る裏の世界の血みどろな戦い…。うーん、漫画にしたら面白そうなシチュエーションだよねー」
「いやいや、手にした者を世界の覇者にするオーパーツぐらいのアイテムじゃないと盛り上がらないぜ」
「…とりあえず、さっきは町に影響は無かったような口ぶりだったけど派手な抗争になったのなら少なからず表にも影響は出るはずだけど」
2人のどうでもいい議論を無視して会話を継続させる。
「確かに町全体としてはやくざ達への恐怖心もあって陰口程度で済んだそうだけど、流石に園崎家絡みの店舗に関してはそうはいかない。親族同士で店舗の権利を奪い合ったりしてこっちの方も泥沼状態。ほとんど影響が無かったのはこの店を含めて指の数ほどだったって聞いてるわ」
「そこで、最初の疑問に戻ってくる。どうやってこの騒動を治めたか、だ」
「そう、そこがミソなの。じゃあ質問、園崎家って何でやくざに繋がりがあったか判る?」
「え?それは…」
唐突に妙な質問をされて黙り込んでしまう。そもそも、掲示板でもなぜ園崎家が広いパイプを持つに至ったかそこまでの話題になった事は無いし、調べても見つからなかった。
「実はね…、頭首の娘がやくざの組長の奥さん…つまり極道の妻だったってオチ。まぁ、娘の方は勘当されて次期頭首の権利は孫娘に移ったんだけど」
「と、いう事は。なるほどな」
「んぅ、何か判ったの?」
「今度はじらすなよ」
「はいはい。要するに親族同士で争っていた原因は次期頭首の後継ぎが死亡したからその隙に遺産を狙った。本家筋の血は極道の妻の人だけ。と、いう事は…」
「あ、私もわかった!つまり、その人が新しく子供を産んでその子を後継ぎにした。そういう事じゃない?」
「ビンゴッ!流石に後継ぎが出来ればほとんどの人達は文句をいえない。1部の強硬派を除けばほとんど解決しちゃったってわけ」
「それで、その子供は今は?」
静の質問に奈緒ちゃんは笑顔で答える。
「その子の名前は園崎槐(えんじゅ)。私より1つ年上の女の子。そして、彼女が私の友人の『青鬼』でもあるの。まぁ、事前に打ち合わせた通り色々と忙しくて今この町にいないんだけど」
「へぇ、『青鬼』さんが園崎の人だったとはねぇ。どうりで色々と詳しいはずだなぁ」
その時、ふと違和感を覚えた。
「でもさ、ちょっと妙じゃないか?」
「どうしたの?」
「園崎の人、それも本家の血を引く娘さんだったらさ、事件の真相を知っていそうなんだけどどうして追求する側に…、え?」
その瞬間言葉を失った。目の前の少女の顔が突如として一変したのだ。その鋭い眼光からは先程の明るい表情と比較して信じられないくらいの冷酷さを感じる。
「・・・」
「あ、あのー。奈緒…ちゃん?」
動揺したのは崇達も同じようだ。彼女の視線からまるで、「余計なことを聞くな」と言っているかのようなはっきりとした『拒絶』を感じる。その刹那、
「…ぷっ、あっははははははっ!」
突然彼女は笑い出した。
「どう!?私の『必殺・冷酷顔』は、ビビッたでしょ?」
「「「…うん、思いっきり」」」
珍しく3人の声が重なる。そりゃいきなりあんな表情されたら誰だって普通はビビる。
「でも、今は槐ちゃんいないからいいけど本人の目の前でこういう事は言わない方がいいと思うなー。きっと渾身のパイルドライバーで沈んじゃうねっ!」
どんな娘だよ…。と一瞬思ったがこれ以上追求するのは藪蛇になりそうなので止めとこう…。
「今度は私から質問、いい?」
「いいよ」
「さっきから聞きたかったんだけどさ。どうして、貴方達はこんなとっくの昔の事件をここまで調べようとしたの?普通は議論するだけで現地調査する人は思ったより少ないと思ったけど」
個人的には彼女が調べている理由こそ聞きたいが、今度はどんな恐ろしい表情をされるかわからないので黙っておく事にする。で、
「それは…、うぅん」
そもそものキッカケを作った静は黙り込んでしまう。
「すんごくしょーもない理由だけど…、別にいい?」
「別にいいよ。どんなにくだらない理由でもここまで行動して、私と出会ったんだし」
「あぁ、じゃあその、じゃあ私達のあれがああで…」
予想外の切り返しをされた時の静はこんな感じでまごまごして相手にとってよくわからない説明をしてしまう事がある。そこで、
「俺が言うよ」
そんな時、そうなる前に何時もこんな風についつい代弁してしまう。まぁ、これも腐れ縁なりのフォローだ。
「実はさ、俺達の住んでいる町に」
それは本当に些細な理由。俺達の住んでいる町…それが『**県園崎市』という区域の中にあった。それがたまたま事件の容疑者・園崎魅音の苗字と同じ文字。ただ、それだけの理由で静が興味を持ち、俺も崇も事件概要の部分を見てすぐさま同じ気持ちになったのだった。
「ふーん。確かにしょーもないといえばそうよね。それで、その園崎市のどの辺に住んでるの?」
「綾の里って所よ。隣町の日東町って場所よりはほんのわずかに田舎だけど…」
「この興宮よりは都会っぽい…かな?」
「そうそう。奈緒ちゃんよくわかってるじゃない」
「…私、まだ何も突っ込んでいないけど」
「それじゃあ、誰だよ?今そっくりな声が」
「ふーん、40近い私の声を10代前半の少女と間違える…かぁ。私もまだまだいけるって事かな?」
突如、奈緒の後ろの席から人影が飛び出す。
「奈緒、元気?」
「あ…お母さん!?」
そこにいたのは女性。すらりとした顔に、細い体躯。そして、何よりも…全体的な雰囲気にどことなく『儚さ』を感じる。
[newpage]
「仕事は…どうしたの?」
「昼休みだから。今日奈緒の遠距離友人が来るっていうからどんな子なのかみたいなぁ、何て考えたしね」
「また、無理してない?いつもより顔色悪いよ?」
「あはは、そんな事無いって。お母さんはいつでも元気だよ」
「でも…」
『お母さん』の登場で奈緒ちゃんの調子がまたしても一変した。今度はやたらとぎこちなく、『お母さん』を気遣う感じが口に出さずとも伝わってくる。
「…あのー、そちら様はどなたでしょうか?」
いきなり訪れた妙なムードの中、静が恐る恐る尋ねる。
「ん、私?私はこの子の母親で竜宮礼奈。興宮で保母さんとして保育園に勤めてるの」
「うーん、保母さんかぁ。確かに子供の相手は疲れるよなぁ」
「それだけじゃないよ…」
崇の発言に奈緒ちゃんのツッコミが入るが矢張り先程よりもテンションがかなり低い。
「お母さんは雛見沢村婦人会の会長さんとか他にも色々村の役員として働いてるんだよ」
「でも、最近は村もかなり寂れちゃってほとんどすること無いんだけどね…」
微笑みながらそう言う礼奈さん。
「でも、ずっと前にお父さんが死んでから働き尽くめだし…」
「まぁ、例え夫に先立たれても、村が寂しくなってもこんなにいい娘がいる私は幸せ…かな?」
奈緒ちゃんのどこか弱々しいフォローに対してまた笑顔を作る礼奈さん。
…何だろう、さっきから妙な感じがする。礼奈さんの初印象が『儚さ』だったからだろうか。どうもその笑顔に違和感がある。何というか寂しそうというか…表現が難しい。
「それはとにかく、ネットでのお友達って聞いてたからもっと怪しい人達かと思ったけど真面目でいい子っぽいじゃない」
「うん、そうだね…」
「そうそう」
「真面目でいい子っぽいでーす」
「お前ら、自分で言うなよ…」
それから、彼女との会話は終始ほのぼのしたものだったが…。
ただ一人俺は…、この女性(ひと)の笑顔に違和感を覚え続けていた…。
「流行、早く来いよー」
「来なきゃ置いてっちゃうよー」
「はいはい…」
昼食後、俺達は引き続き奈緒ちゃんの案内で今度は村を回る事になった。道中は村に行く途中の長い山道で崇がもう歩けないとか何とか騒ぐわ、かつての村の旧名のルーツだったといわれる鬼ヶ淵沼に静がうっかり落ちかけるわのいつも通りの馬鹿騒ぎ。で、空も真っ赤に染まった夕暮れ時に奈緒ちゃんが「とっておきの場所」に連れて行ってくれるというので神社の境内まで来たのだった。
「着いた着いた。ここだよ~」
彼女に先導されるまま着いた場所。そこから見えたものは、夕暮に沈む村だった。村全体の寂れ具合と相まって妙な美しさを感じる。
「うわぁ、何これ!すっごぉ~~い!」
「うっひゃ~。こりゃ絶景だなぁ」
「でしょ、でしょ?この村で私の1番のお気に入りの場所なの。って流行くん?ポケーとしちゃって、どうしたの?」
「あ、うっうん。確かにこれはいい。凄すぎてうっかり放心しちまった」
「へぇ、風景よりも人眺めるのが好きそうなお前でもそんな事があるのか」
「俺だって風景に感動だってするさ」
半分は嘘だ。この心が洗われる様な風景を眺めて見ても、昼間の奈緒ちゃんの態度と礼奈さんの表情が忘れられない。そんな気持ちを誤魔化すかのように奈緒ちゃんに話題を振ってみる。
「なぁ、他に見てない場所ってどこがあったっけ?」
「んーとね、後は」
「おんやぁ、奈緒ちゃんでないかい?」
そんな時、不意に後ろから声をかけられる。今日で不意打ち何度目だよ。
「あれ?草加さん。どうしたんですか?」
振り向くと、そこにはいかにも頑固そうな老人が立っていた。
「いや、慰霊碑に供え物をと思ってな。ところで、その子達は?」
「所謂、遠距離友人です。今日は頼まれて村を案内してるんです」
「ほぅ、遠距離友人ねぇ」
草加と呼ばれた老人は怪訝そうな顔を浮かべる(まぁ、当然だろうな)。そしてそのままの表情で言った。
「そうそう、坊主達。ここは寂れ村とはいえ絶対に入っちゃいかん場所がある」
「絶対に」
「入っちゃいけない場所?」
二人は相変わらずのリアクションをする。こいつら、内心では絶対行きたいと思ってるに違いない。
「1つはこの神社の祭具殿。あそこは入ったら祟られる」
「他には?」
「もう1つは、営林署の裏山。夜はもちろん昼もあそこは危ない。特にお嬢ちゃんのような子はな」
「はぁ、そうですか」
お嬢ちゃんと特に指摘されてなんとも言えない表情を浮かべる静。
「じゃあ私はこれで。奈緒ちゃんもくれぐれ釘を刺しておいてやってくれ」
そう言うと老人は高台の横にぽつんと置かれた碑にお供え物(おはぎだろうか?)を置いて立ち去った。
「…えーと、とりあえずだ。祭具殿が禁忌になるのはわかる。実際に入った人が連続殺人事件の被害者になったし。でも、営林署の裏山ってのがよくわからないんだけど」
営林署そのものについては昼間通り掛かった時に奈緒ちゃんから聞いた「昔は学校の校舎にもなってた」という情報ぐらいしか知らない。
「まぁ、そんなに深い意味はないよ。単に迷いやすくて危ないだけ。あそこ、たいした物も無いし」
あっさりとした回答。その上、あまりにも言下に答えたのでかえって不自然に聞こえる。
「それに、一応言っとくけど祭具殿の方は今でも南京錠が掛かってて鍵なり道具なり持ってないと入れないよ」
「ふーん。っていうかこんな所に碑があったのか。小さすぎて気が付かなかったぜ」
崇がまるで話題を変えるかのようにつぶやく。こいつ、どう見ても目的があからさまだぞ。
「それは、連続殺人事件の被害者の慰霊碑なの。とはいっても、これ以外にも村の中にいくつかあるしその中でもこれは一番小さいから今みたいにお供え物をする人はほとんどいないんだけどね」
ふと、寂しそうな表情を浮かべる奈緒ちゃん。何か思い入れでもあるのだろうか。
「それよりも、もうすぐ夕飯の時間だから家まで案内するね」
「お!待ってました!」
「ご飯ご飯~」
「とりあえず、行儀良くしとけよ…」
相変わらずの2人に呆れながらも俺達は夕焼けに染まる道を歩き出した。
「村境の道に残ってた痕跡って血痕、だったよな?」
「ううん、多分引っ掻き傷だったような?」
「二人ともわざとか?打撲跡に決まってるだろ」
…予想はしていた。しかしここまでとは思わなかった、ホントに。事の発端は奈緒ちゃんの家で夕食をご馳走になり、入浴後に今日得た情報をまとめようという事になったのだが…。肝心の捜査メモを今日1日中誰も取ってないという事実に気付いてしまった…。荷物が重くてそこまで頭が回らなかったのもあるだろうが「どうせ誰か取るだろう」と俺すら忘れていたのは情けない。当然各々うろ覚えなので意見は対立する。そこで、
「多分、流行くんので合ってると思うよ」
俺たちよりも詳しいであろう奈緒ちゃんにチェックを貰う。
「3人ともよく頑張るよねー。もう10時だよ」
「まぁ、遅くても12時までにしようと思う」
「じゃあ、お茶でもいる?ちょっとやっておきたい事を思い出したからそれが終わったら淹れてきてあげる」
「それじゃあお言葉に甘えて」
静の返事を聞くと奈緒ちゃんは襖を開けて台所へと向かった。
「…行ったな」
「行ったね。それじゃあ、始めよう!」
「おう」
「やっぱり、か」
彼女の歩みの音が消えた瞬間、途端に意気込む二人。
「忍び込むなら祭具殿と裏山、どっちがいいと思う?」
「祭具殿は鍵が掛かってるんだろ?それなら裏山一択だな」
「でも、本当は鍵が掛かってないのに嘘を付いたって可能性もあるんじゃない?」
「いや、こういう場合はたいしたものが無いって即答した裏山のほうが怪しい」
案の定禁忌の場所への侵入計画を建てだす二人。一応小声で話しているが実に危なっかしい。
「とりあえず、筆談にしろ。聞かれるとまずい」
『はーい。とりあえず、持って行くものは懐中電灯ぐらいかな?』
『任せとけ!営林署は昼間に通りがかったから迷わないよな? で、あの2人が寝静まったら開始。これで決まりだな!』
「…」
俺が声をかけた瞬間に即座に筆談に切り替えて、ものの1分で計画立案は終了。いつもの事とはいえ、あまりのいい加減さに呆れすら起きない。
「んじゃ、決まったんなら大人しく奈緒ちゃんを待とうか」
適当に話題を切り上げて5分ほど待つと彼女が来た。
「お待たせー」
「いやいや、全然待ってないよ。ん、それは?」
聞かれもしないのに余計な発言をする崇。それはともかく、どうらやお茶を載せたお盆に写真立てのようなものがあるのに気づいた様だ。
「これ?槐ちゃんとのツーショットが写ってるから見せてあげようと思って」
「へー、どれどれ?…うわぁ、きれいな子」
感嘆の声を上げた静が写真立てを俺達の方角に向ける。そこには奈緒ちゃんと顔立ちは綺麗だけどいかにも活発そうな少女が写っていた。
「ふふん、どう。綺麗でしょ?」
「確かに。彼女といつ知り合ったの?」
「ずっと前にチャットでね。それまでは全然面識なんて無かったな」
「そういえば、ネット環境とかはどうやって整えたんだ?この村の寂れ具合とギャップがあるんだけど」
唐突にこういう質問を仕掛けたのは、昼間村を案内してもらった時に廃屋やら閉店した商店やらが目だっていた事を思い出したからだ。
「実はね、お父さんが公由家の血縁でね。詳しい事は知らないんだけど、色々手回ししてもらったらしいの」
「公由っていうと御三家の1つじゃないか!」
さらりと言われた重要な情報につい叫びかける。どうも未出の情報が多すぎる気がする。
「それじゃあ、あなたも一応御三家の一族って事になるね」
「うん、でもそんな事はどうでもいいの」
「え?」
彼女はきっぱり言い切った。そして、
「私は、家族と幸せに暮らせたらそれだけでいいから」
そう言葉を繋いだ表情はとても寂しげで、母親…礼奈さんと同じ属性を感じた。
「おーい、2人ともこっちこっち」
「待ってよー。置いてかないでー」
「あまり喋るなよ。静かな山道だと小声でも響くからな」
夜は更けてただ今深夜1時。俺達は営林署の裏山の麓にいた。家の二人が完全に寝静まったのを確認してから念のために裏口から出たのだが…
「懐中電灯持ってきたの俺だけってどういうことだよ…。お前ら計画立ててるときにはっきり必要な物って書いてたじゃねぇかよ」
「いやー、すっかり忘れちゃったー。それよりも、営林署も大分老朽化してたね。今学校として使ったら軽く天井抜けちゃいそう」
「誤魔化すなっ」
それにしても今回はやたらと2人のいい加減さが目立つ。やる気が思いっきり空回りして妙な方向に突っ走っている感じがしなくも無いが。
「お、あれは何だ?」
崇が何かを見つけたようだ。あれは…、危ない場所恒例の立て看板とたるんだロープの境界線か。
「暗くて読めないな。流行、照らしてくれ」
「おう、ついでに俺が読む。ん、『これより先、絶対に立ち入り禁止。もし進入した場合は』…」
「『死にも勝る恐怖を味わう。』だって。面白~い」
「こらっ、横槍入れるな!」
それにしても警告の看板にしては妙に抽象的なのが気になる。と、考えていたら
「よっしゃ、行くか!」
いつの間にかロープを潜り抜けた崇が一目散に駆け出していた。と、いうかもう姿が見えない。
「崇くん、張り切ってるねー。私も負けないぞー!」
静も後を追う様にすぐさまロープの向こう側の闇に消える。
「お前ら待てよ!懐中電灯無しでそんなに走ったら危ないだろ!」
慌てて2人の後を追いかけ
「 ! ! っ ! ! 」
何だ、この感覚は?まるで、「この先に行ってはいけないという」というホラーとかサスペンスとかでありがちな直感、だろうか?とりあえず、先に行った2人を
「うっうわあああああぁぁあぁぁぁぁあぁっ」
「たっ崇くん大丈夫!?今助け、きゃああぁぁっ!?」
一瞬耳を疑った。これは…、あいつらの絶叫?今までこいつらと付き合ってきたが、ここまで悲痛な叫びは聞いたことがない。やはり、嫌な予感がする。
「待ってろ!今行くぞ!」
俺は必死で駆ける。その間にも2人の悲鳴は絶え間なく続く。くそ、一体何が起こってるんだ!?道中の流れる風景に山道とは無縁なドラム缶やら竹の棒やらが目に映る。ますます持って状況がわからない。
「悲鳴が、止まった…!?」
突然、二人の声が消えた。辺りには虫の鳴き声しか聞こえない。ふと視線の先を見ると、小さい広場のような場所が見える。そこに、
「崇!静!」
あられのない姿になった二人がいた。崇はどういうわけか首から下が完全に埋没しており、どうも意識さえも沈んでいるように見える。静の方は体中ぼろぼろに汚れた上、広場の外れの木にロープで逆さ釣りにされて呻き声を上げている。
「う、うぅ…」
「一体何があったんだ!?おい!」
二人の状況を見るに迂闊に近寄れない予感がするのでその場から大声で静に質問する。
「…こら中、罠が…、仕…け、わ…たち…くさ…っ掛かっ…」
意識を失う静。言いたい内容は大体解ったが、理解できない。何なんだ?何でこんな裏山にたくさんの罠が!?
「聞いてねぇぞ、こんなのっ…」
心の叫びが口からそのまま発せられる。5分前には想像も付かなかった展開に対してかつてないほど俺は動揺してる。おいおい、落ち着け、俺!
「…あれ?」
何か聞こえる、聞こえる。さっきまで聞こえなかった何かが。
ひた…
ひた…
これは、足音に聞こえる…!しかも俺の後ろに近づいてくるっ!
ひた…
ひた…
違うっ!これは動揺が生んだ幻聴だ、幻聴ダ!この裏山には虫の声しか聞こえない、聞コえナい!
ひた…
ひた…
落ち着け落チ着け落ち着ケ落チ着ケ!そもそも俺は何でこんなに動揺してるんだよ、えぇ!
ひた…っ
足音が、止んだ。やはり幻聴だったか。とりあえず2人を何とかして
「貴方達・・・」
不意に後ろから声が掛けられる。あれはやっぱり幻聴、じゃない?
「ここに、来ちゃったんだね?見ちゃったん、だね・・・?」
後ろの声に向かって恐る恐る後ろを、振り向けない。声の主は判る。この儚げな澄んだ声は聴き間違えようが無い。だが、どうしてか振り向く事が出来ないっ。
「れっ礼奈…さん?そう、ですよね…」
「うん、そうだよ。それで、流行君・・・。どうしてこんな場所にいるのかな?かな?」
何故、だ。何で、振り向けないんだっ!?相手は、あの人だぞ!どうして、だ!何故!
「…」
「聞こえなかったかな?私はここに来ちゃった理由を聞いてるんだけどな・・・」
いや、初めからわかっていたさ。初めてこの人と会った時の笑顔の違和感…これがその結果、答えだっ!
「・・・言いたくないのなら、別にそれでもいいんだけどね」
あの笑顔は無理をしていた。本当は寂しさを苦しみを憎しみを惨めさをその他もろもろをあの寂しそうな笑顔に全て包んで笑っていたんだっ!だから、その様々な感情と向き合うのが…俺は何故か嫌だった。
「でも、個人的には気になるんだよね。貴方達がこの村を訪れた、本当の理由が」
怖い怖い怖い。今まで生きていた中で一番の恐怖。あいつらも奇怪な罠で沈黙してしまい、たった一人でこの得体の知れないものを秘めた人に背後を取られている。だが、振り向かなければならないっ!何となくそう感じる。
「私が思うに、貴方達は・・・」
だから、振り向いた。そして見た。
「20年前の事件を調べに来たん…だね」
涼やかに笑う顔。細いからだ。そして右手の…無骨で錆付いて残酷そうでどう考えても彼女には不釣合いで鈍く光りそうな「それ」がしっかりと握られているのを。
「あ、あ…」
もう、恐怖を隠す、余裕は霧散した。
「あ、あ、あ、うあっ…」
俺は、恐らく、生涯で、初めて、心の底から、
叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
自分の足は正直だった。逃げろ逃げろと思う前にすでに脱兎の如くその場から走り去ろうと動いていたのだから。でも、静と崇は助けるべきか?何だかんだ言って腐れ縁だったあいつ等を放ったらかしにしていいのか?と、走る足を止めかけるが礼奈さんがひたひたと歩きながら追いかけてくる。逃げなくては。それに、俺を追いかけてきているという事はあの人は俺に意識が集中している。なら、あの2人は恐らく大丈夫だと思う。だから、まず裏山から脱出して何らかの対策を練ろう。この異常な空間から脱出すれば礼奈さんもきっと元通りの優しい表情を見せてあいつ等も助かるに違いない!確かに、そこら中に仕掛けられているであろう罠は怖い。だがそんな事は言ってられない。ここで大人しくされるがままになるよりも最後まで抗う方が状況的に考えて常識絶対本能的!だが、足がもたついて思ったように走れない、走れない、ハシレナイ!!!やばいヤバイ、このままだと追いつかれて*されるかも知れない!動け動け、この木偶の坊!よし、いける!このまま一気に突っ走るんだ!はぁ、はぁ、はぁ、づっ!こんな所に窪みがあるなんてっ!これも罠なのかそうなのか?そうこうしてる間にもあぁああ近づいてくるひたひたひたとっ!いやだ、死にたくない。こんなワケ分からない状況で死にたくない。
…シニタクナイ?
そうか、そういう事か。
こんな状況なのに唐突に悟った。
前からずっと考えていた。何故俺は昔から「冷静な子供」だったのかと。その答えがようやく分かった。要するに、俺は…
しかし、その悟りの刹那こそ致命的だった。
追う者はもう、すぐ近くまで来ている。
俺は側にあった木に倒れるように座り込んだ。
最早、心と足の疲労はピークに達しており、逃げる気力すらない。ただ、一つの疑問を抱えて「その」瞬間を待つのみになっている。
そして、足音は近づき…
俺の目の前に立つ者。
それは確かにあの人だった―
*
そして、振り上げた「それ」をこの頭めがけて思い切り―振り落とされた…はずだった。
「え…っ?」
彼女の「その」刃先は俺の横、木の根元に食い込んでいた。
「怖がらなくて、いいよ」
彼女は笑顔だった。
「私は、貴方達を傷つける事は望んでないから」
「じゃあ、『それ』はなん、ですか?」
何故か禁忌になった裏山よりも、そこに仕掛けられた大量の罠よりも、一番気になっていた事。それはどう考えてもこの人に不釣合いな右手に握られた『それ』…無骨で錆びた肉厚の刃物を持っていた理由。
「『それ』…?ああ、この鉈の事?」
「そうです。色々と不可解な事がある中でも特に俺は、害意も無いのに何故こんなものを持っていたのかが全然わかりません」
礼奈さんは俺の問いを聞いてまた、寂しそうに微笑んだ。
「多分、貴方が疑問に思っている事は全て繋がってると思う。だから、全てを話すと長くなるけど…いい?」
「はい」
俺も、自分の疑問の終着点が一本の線になるだろうとは考えていた。でも…それがどのようなものなのか。もう1つ、相手に敵意がないと安心したのか先程の混乱状態からは信じられないほどに冷静さを取り戻した自分…。俺には彼女の話を大人しく聞く以外の行動をとる選択肢など無かった。
「これは…『メンテナンス』の為に使う道具の1つなの」
「メンテナンス…?」
「そう。この裏山のトラップをずっと稼動可能にする為に定期的に面倒を見なくちゃいけないの」
「やっぱりこの山にはこんなにたくさんの罠を配置してまで守るべき『何か』があるんですか?」
そうでもなかったら、ここまで大量の罠を仕掛ける意味がない。だが、礼奈さんの答えは俺の予想外だった。
「むしろ、このトラップ自体が守るべきもの…かな?」
「?」
「このトラップはね、私の友達が作ったものなの」
「…何となく、予想は付きますがその友達はもしかして」
「うん、連続殺人事件に巻き込まれて…」
彼女の顔から笑顔が消える。これ以上は言いたくもないし、思い出したくもないのだろう。
「あの子は生まれてからずっと不幸だった。村中から冷たくされたり、虐待を受けたり。そして…殺されてしまった。村の人達もその顛末を聞いて酷く後悔しちゃったんだけどね」
「そう、だったんですか」
所謂村八分、か。確か最後の年の被害者にそういう境遇の少女がいたはずだ。
「だから思ったの。せめて私達が無垢なまま楽しんだ思い出の場所だけは守ろう。最後の1人になっちゃった私が、ね。それに、何も知らない人が入ったら貴方達の様に酷い目に遭う。だから、裏山は立ち入り禁止なの」
「先にそういう事は言ってください…」
「ごめんなさい。まさかあそこに進入するとは思わなかったから」
「それは…、あいつ等が先導したとはいえ自分も軽率過ぎました。もしかして、裏山以外にもこういう場所が?」
「うん。他にも色々、ね。例えば、私の遊び場だったダム現場跡とか。他にも私やクラスメイト達で慰霊碑とかを建ててみたりした。一番最初にね、神社の高台に建てたの」
あの小さな奴か。でも、それだけじゃ奈緒ちゃんのあの寂しい表情とどう結びつくかまだ解らない。
「あと、俺達の目的は何時から勘付いていたんですか?」
「多分、最初からかな?何かを調べようとする気が満々だったから。だけど、貴方達は私の事は気にせずに好きに調べてもいいよ。ただし、私は何も喋らないけどね」
「そう、ですか」
あくまでも、事件に関しては黙秘したいというわけか。その気持ちは解る。
「私は、友達を大勢失って、夫にも先立たれて…。自分ができる事といったら過去の思い出と娘を守る事ぐらいしかない」
「でも、その奈緒ちゃんはあなたの事をすごく気遣っていましたね」
「うん。奈緒は…こんな私の事をすごく心配してる。力になってあげたいと思ってる。でも、私は…」
その続きが出てこない。それでも、この一言で俺は何となく解ってしまった。それは、奈緒ちゃんがあれだけ彼女の事を心配していた理由。恐らくこの人は、余りにも不幸にまみれ過ぎて、自分の幸福を…、諦めたのか。だけども、
「あなたは、優しすぎますね。例え自分の幸福を捨ててしまっても、決して自暴自棄にならずに他人を思い遣るなんて」
「ええ、よく言われるの」
そして、また、彼女は寂しそうに、笑った。
「じゃあ、崇くんと静ちゃん…だっけ。とりあえずあの二人を助けに行きましょう」
そう言うと彼女は2人のいる場所に向けて歩き出した。彼女は、
「…」
「どうしたの?」
「あ、いえ。今行きます」
例え後姿だけでも悲しさを秘めた表情が透けて見える気がした。
翌日の12時前、俺達は駅の改札口付近にいた。
「ねぇ、どうしてもう帰るの?」
「…」
先程から奈緒ちゃんが不機嫌そうに同じ質問を聞いてくる。
「本当はもう1日居たかったんだけど、ちょっと…」
「やっぱり、ああいう事情を知った後じゃあ…」
この二人も先程から同じ返答を繰り返す。まるで答えが決まっているかのように。
あの夜、すっかり気を失っていた2人を礼奈さんと一緒に救出して、目を覚まさせて、それでもふら付いていたので家まで肩を貸して、就寝前に3人で話し合って、もうこの件から手を引こうと、…決めたんだ。
「ねぇ、奈緒ちゃん」
「ん?」
未だ不機嫌な彼女に声を掛ける。
「君は、何が目的なんだ?」
「え…?」
この町を離れる前にこれだけは聞きたかった。なぜなら、
「君は恐らく、ああいう展開になるように俺達を誘導した。違うかい?」
「おい、流行。それって」
「最初に違和感を感じたのは、ここで初出する情報がやけに多かった事だ。後々考えれば明らかに掲示板ではわざと情報を隠していたんだと俺は思う。誰かを、この村に誘い出すために」
「まさか、そんな事!?」
「次に違和感を感じたのは君の友人…槐ちゃんだっけ?彼女がここまで都合よくいないなんておかしいと感じた。最初は槐という人物なんていなくて君の自作自演かと思ったけど、証拠の写真があった。だから、わざと俺達の前に現れなかったと思った」
「・・・」
「もう一つ、君はあの裏山を『たいしたものなんてない』って表現したね。そうやって俺達の興味を逆に湧かせておけば、自然と人目の付かない時間帯に俺達が裏山に向かう展開になる」
「・・・・・・」
「教えてくれ。君は一体何が目的で」
「私は…ただ」
それまで露骨に不愉快な表情を作っていた彼女がようやく口を開いた。
「お母さんの闇を振り払いたかっただけ。その為の協力者を得たかった。槐ちゃんもよく似た理由で真相を知りたがってる。私も彼女も事件に関する情報は親から殆ど貰えなかったからね」
「つまり、君の場合事件の真相を暴いて礼奈さんの心の負担を無くしたかったのか。その為に俺達の気持ちを引くためにわざと彼女のあの姿を見せた」
「うん。『メンテナンス』の周期は把握してたからね。もしあなた達が帰るなんて言わなかったら今日、槐ちゃんが偶然帰って来たという『設定』で彼女を取り巻く闇をあなた達に見せるつもりだった」
「それが次の段階だったってわけか」
「・・・」
未だに不愉快な顔を崩さない奈緒ちゃん。そして、何とも言えない表情を浮かべる俺達。
「でもさ、そこまでする意味はあるの?」
このどんよりとした空気を静が破る。
「…何が言いたいの?」
「聞く限り礼奈さんは、思い出の場所を守って奈緒ちゃんが元気だったらそれでいいって感じだったし」
「・・・!」
崇の言葉に反応して怒りの表情を浮かべる。だが、ここは俺も一言言いたい。
「いくら自分の母親を救いたいからってこんな…誰かが協力してくれるとは限らない方法は間違ってるよ」
「っ!何も知らないくせによくもそんな事が言えるわねッ!」
「「「っ!!」」」
ついに、憤怒の表情を浮かべ叫ぶ奈緒ちゃん。正直、かなり怖い。2人も相当ビビってるぞ。
「誰よりも優しくて、誰よりも不幸で、誰よりも寂しさを隠すのが下手で、…そんな母親に愛されながら何も恩返し出来なかった私が今の今までどんな気持ちで生きてきたと?!何も考えずにのうのうと生きてきたあんた達に解ってたまるものかッ!」
「うっ」
「それは…その、えーと」
「のうのうと生きてきた」。そのキーワードで2人は黙り込んでしまう。だが、俺は別の角度から反論する。
「でも、真相を暴く事があの人の救いになるとは俺には思えない!」
「ふん、確かにそうかもしれないわね。でもね、お母さんを救うためにはどちらにしろ誰かの力を借りなきゃいけないのよ。助けを求めて、一緒に戦って。特に、その辺傍観者気取りのあなたには一生解らないでしょうねっ!」
「俺が…傍観者?」
「掲示板を見たときから思ってたけどあなたは常に厄介事を避けたがる兆候があった。知らなかった、自分の性質?」
彼女の嘲るような声に対して俺は返す。
「いや、気付いていたさ。あの夜、礼奈さんに追いかけられて初めて、今まで目を背けて着た自分の本質に気付いた」
「…ふーん」
あの夜、ようやく悟った己の本質を反芻する。
俺は…、常に「物事を他人の視点で見てる」んだ。いつもどんな現象があっても「他人事」で済ませてしまう。常に冷静なのは当然だ。だって所詮は「他人事」なのだから。そんな考えをする理由は恐らく、「直接関与する」事が怖いんだ。関わったらその事に責任を持つ義務が生まれる。だから、出来るだけそれから逃げようとしたのだろう。関わった義務として最も重いのは自他の命や人権を奪うことすら厭わない事だろう。あの時、普段の俺からは考えられない程に慌てていたのは「命の危機」を初めて直接的に感じたからかもしれない。直後に急激に冷静さを取り戻したのはそれを感じなくなったからだ。その一方で、「他と関わる」という気持ちも捨て切れてないから好奇心旺盛なのだ。そして、あの腐れ縁2人は俺とは正反対で積極的に物事に関わろうとする。だから…惹かれるのだ。自分も2人と一緒に関わりたくて流されてしまうのだ。自分の根底理念と矛盾した行動を執ってしまうのだ。
「…俺は、忘れないよ。ここであった事も君も礼奈さんも。そして、また3人で会いに来るよ」
「ふん、勝手にすればいい。あなた達が協力してくれなかったら他の協力者を探すだけ」
その時、駅のホームからアナウンスが響いた。
「もう行ったら?乗る予定の電車はこの次でしょ?」
「ああ。そうさせてもらうぜ…」
「うん。元気、出してね」
「それじゃあ、また来ると思うよ」
「・・・」
三者多様の返事を聞いても、彼女はもうそれすら面倒くさいという感じで反応しない。それを見た俺達も何も言わずにただ、駅の構内へと歩き出す。その歩みは遅くとも彼女を遠ざけるには十分な速さだった。
帰りの電車でも俺達は互いに黙り込んだままだった。行きのどこか修学旅行じみた、「未知との遭遇」を期待する高揚感がただの張りぼてだったかのように誰も一言も発さない。
「…なぁ、みんな」
そんな中、俺は呟く。
「その、さ。奈緒ちゃんは本当はあまり怒ってなかったんじゃないかな?あそこまで突き放した言い方をしたのは多分、もう私なんかに関わらない方がいいという忠告だったのかもしれない」
「私も、そう思う。本当は、自分でもやりすぎたって思ってるのかも」
「でも、自分の母親のためにあそこまで出来るってのはある意味すごいと思うぜ」
「そうだなぁ。俺ですらあんな目に遭ってもあの人…礼奈さんの事は凄く気にかかるし」
「そうだよね。あの2人の為に私達が出来る事って無いのかな…?」
当初、俺達は単なる好奇心から雛見沢に首を突っ込んだ。しかし、そこで待っていたのは1組の母子の、悲しい物語。それを知り、巻き込まれた結果として、最早自分たちには無関係だと視線をそらす事が出来なくなっている。詰まるところ、静の一言が今の俺達の気持ちなのだ。だが、それを踏まえた上でも俺…そして恐らくは静や崇の何とも表現のし難い気持ちは電車が俺達を俺達の帰るべき場所に運び終えても治まる事はないかもしれない。そんな複雑な気持ちとは無関係に電車は、あの町を遠ざけていく…。
結局、この騒ぎは何だったのだろうか。俺達に混沌を与え、特に俺には今まで目を背けてきた俺の本質を突き付けた。でも、解るのはその事実と結果だけ。かつて鬼ヶ淵と呼ばれた雛見沢。それになぞらえるならこれは…
言うならば、逸れは残されたモノの成れの果て。
言うならば、其れは未知を既知に変換しようとした愚行の結末。
言うならば、それは―
鬼ヶ淵の怪。
了
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一番の問題点は、「結局何が言いたいのよ?」その1点に尽きると思う。