No.220404

名家一番! 第十三席・前篇

第13話の前編です。

一ヶ月ぶりの更新。
遅れた理由の謝罪と弁明は後編のあとがきで。

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2011-06-03 14:54:25 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:2487   閲覧ユーザー数:2170

 悲鳴と怒声が入り交じった轟音が、鼓膜を破らんばかりに揺らしている。それとも、とうに破れてしまったのだろうか? 

 

隣の者が何を言っているのかも聞き取れない。“喧騒”という言葉だけでは、とても言い表せない状況。

 

――だが、聞こえた。背後から、人の発する声とは明らかに違う唸り声が。

 

その声を耳が拾った瞬間、背筋に寒気が走る。

 

彼は咄嗟に振り向くが、唸り声の正体を確かめること無く、意識を途切れてさせてしまう。

 

そして、その意識が戻ることは決して無いだろう……身体が二つに引き裂かれてしまっては。

 

「ウラァ! 死にたくない奴は、道を開けやがれっ!」

 

猪々子の“斬山刀”から低い唸り声が上がる度に、聞く者に不快感を催させる肉と骨がひしゃげる音が発せられる。

 

どうすれば、人があんなにも高く跳ぶのだろうか? どうやれば、人があの様な歪な形になるのだろうか?

 

巻き上げられた血と肉が降り注がれると、ある者は恐怖で身を竦め、ある者はその場に吐瀉物を撒き散らす。

 

何も出来ない者が大半だった。

 

果敢にも背後から槍を突き立てようとする者もいたが、猪々子の後に続く麾下の兵達に蹴散らされ、結果的に何も出来ないのと同じ事だった。

 

騎馬戦で一番難しいはずの敵陣への突入の瞬間が、拍子抜けしてしまう程に上手くいった要因。

 

それは、騎馬隊の精強さももちろんあるだろうが、それ以上に大きかったのは、黄巾軍の意識が前方にしか向いていなかったからであろう。

 

作戦通り“寡兵”の騎馬隊の存在は、黄巾軍の身に刻み込まれた。後は、城門前まで敵を釣り上げればいい。

 

「敵を倒す事は考えなくていい。今はただ、敵陣を駆け抜ける事だけ考えろ! いいな!?」

 

「応っ!」

 

猪々子と麾下の精鋭部隊は、一糸乱れぬ動きで敵陣を突き崩し続ける。

 

彼女らが駆け抜けた跡には、屍体が点々と続いていた。

 

「すっげぇ……」

 

ただただ、すごい。

 

城壁の上から騎馬隊の戦いぶりを見ていた俺は、自身のボキャブラリーの貧しさが嫌になるような、感想しか漏らせないでいた。

 

猪々子が率いる騎馬隊の動きは、まさに“人馬一体”。

 

二列縦隊で敵陣を矢のように切り裂いていくこの様を見せつけられたら、猪々子が野戦を挑もうとしたことも頷ける。

 

敵よりも少ない数で真正面からぶつかっても、これだけの実力があれば勝てる自信があったのだろう。

 

しかし、狂ったように突き動かされていた黄巾軍の足が止まると、騎馬隊によってこじ開けられた道が徐々に塞がり始めてきた。

 

(……そう簡単に戦況は、ひっくり返らないか)

 

騎馬隊の強さに高揚しかけた気分も“総兵力差三倍”という非常な現実に吹き飛ばされてしまう。

 

「騎馬隊の殿がまもなく敵陣を抜ける! 我々は敵が射程圏内に入り次第、矢を射掛け騎馬隊の撤退を援護する!

総員、持ち場につけっ!」

 

「はっ!」

 

城壁の守備隊長の指示を受けた兵達がそれぞれの持ち場へと散っていくと、どこか蚊帳の外のようだった城壁の上も騒がしくなってきた。

 

交戦間近。緊迫感が満ち満ちている中、俺は――、

 

 何をしたら良いのか分からず、立ち尽くしていました。

 

(まずい……ど、どうしよう?)

 

手持ち無沙汰で狼狽していると、

 

「おい、北郷! 何をしている!? さっさと、持ち場につかんかっ!」

 

隊長の怒鳴り声が飛んできた。厳しい顔が近づいてくる。

 

「お前、弓は扱えるんだよな?」

 

「……いえ……扱えないです」

 

「……弓も扱えないのに、守備隊に志願したのか?」

 

「……はい」

 

呆れの色を含んだ声を浴びせられ、恥ずかしさと申し訳なさで身が縮む。

 

目をまともに見ることができず、つい顔を伏せてしまう。

 

「……まぁ、いい。伏兵部隊に仕掛ける機を知らせるのに、銅鑼を鳴らす。

 北郷、お前がその銅鑼を鳴らせ」

 

隊長から返ってきた言葉は予想外のもので、伏せていた顔も跳ね上がる。

 

「どうした? 早く復唱せんか」

 

「……え? でも、大丈夫なんですか?」

 

「心配せんでも、鳴らす機はこちらで指示する。お前は、それに合わせて銅鑼を叩くだけでいい」

 

確かにそれも気になる点ではあったが、それ以上に気になる事が……。

 

「いや、あの……俺みたいな素人が守備隊に入っていても大丈夫なんですか?」

 

そう口にしてから、“しまった”と思った。

 

猪々子は、俺が城壁の守備隊に入ることを(渋々ではあるが)了承してくれたが、現場の人間からすれば、弓も扱えないような奴を回されてきても迷惑な話である。

 

そんな異物が混入していては、統制が重要な部隊の指揮に影響するので、外されてしまうのでは? と、危惧していた。

 

そうなってしまったら、どうにか末席に加えてもらえるよう、隊長を説得する必要がある訳だが、上手く説き伏せる手立ては、そう簡単には思いつかない。

 

黙っていれば、俺にとって都合の良い展開になっていたのに……TPOをわきまえず、疑問を口に出してしまう自分の間抜けさに腹が立つ。

 

「はっきり言って、邪魔だな」

 

おぅふっ! ある程度予想はしていたけが、こうもはっきりと言われてしまうとは……。

 

隊長の情け容赦無い一言が、胃の腑をキリキリと締め上げる。

 

「だけどな、北郷――」

 

見る者と聞く者の身が、思わず引き締まる隊長の厳しい表情と声音が、少し和らいだ様な気がした。

 

「――弓もまともに扱えないような奴が、自らの意志で戦場に立とうとするなんて、よっぽどの覚悟がなければ出来ねぇことだ。

 こういう、敵の数が自軍を圧倒的に上回っている戦況を切り抜けるには、腕っぷし云々より、お前のようにどれだけ覚悟を持って戦えるかが、重要なんだよ。

 だからお前は、ここで俺達と一緒に戦え。いいな?」

 

肌が粟立つ。無論、恐怖からではない。

 

身体の芯が震え、熱い何かがこみ上げてくる。

 

「返事はどうした、北郷一刀!?」

 

「は、はいっ! 不肖、北郷一刀、全力を持って任務にあたらせて頂きます!」

 

“武者震い”というやつなのだろうか?

 

俺なんかがこんな生意気なことを言えば、鼻で笑われてしまいそうだが、

 

(今の言葉を聞いて奮い立たない奴は、男じゃねぇだろ?)

 

与えられた任務を遂行するため、俺は全速力で持ち場へと向かう。

 

「てめぇら、いい加減落ち着きやがれってんだ!」

 

自軍の混乱を収めようと、ヒゲ面の男は必死に声を張り上げるが、なかなか収拾できないでいた。

 

いや。一番混乱していたのは、指揮官であるヒゲ面の男だったかもしれない。

 

何しろ自身で確認できたのは、奇襲を仕掛けてきたのが騎馬隊という事だけで、敵の数もどこから現れたかも分からない状態で、戦闘を継続しなければいけないのだから。

 

「チビ、被害はどの程度だ?」

 

現状把握を優先することで、事態の収拾も容易になると判断し、隣の背の低い男に被害の報告を促す。

 

だが、報告を促された当の本人は、自分に話が振られるとは思っていなかったのか、言葉を詰まらせる。

 

「え、え~と? 多分、左の辺りの連中が少しやられたぐらいで、たいした被害はおそらく出てないはずですぜ?」

 

「なんで、被害報告に“多分”とか“おそらく”なんて曖昧な言葉が出てくんだよ!? 

 それから、“左の辺りの連中”じゃなくて、“左翼”と呼べと、いつも言ってんだろが!」

 

要領を得ない報告にヒゲ面の男の苛立ちは、さらに募る。

 

「だってアニキ。今まで被害報告なんてまともにやったことないのに、いきなりやれとか言われても困りますよ……。

 それに、ろくに陣形も組めていないのに“左翼”も糞もないじゃないっスか」

 

「こ、こういうのは形から入るのが大事なんだよ!

 おいデク! お前、無駄にデカイんだから、さっきの騎馬隊がどこから攻めてきたぐらいは、見えたんじゃねぇのか?」

 

もっともな反論に状況不利と見たヒゲ面の男は、慌てて太った大男に話を振る。

 

「う~ん、と……大体の方向なら分かるよ」

 

「おおっ! で、どこから現れたんだ?」

 

「えっどねぇ。あっちの方から騎馬隊が出て来たような気がするんだなぁ」

 

指差された先を目で追うと、そこには巨大な岩壁が。ここからの距離はかなりある。

 

(あの岩壁の陰なら兵を伏せることもできるだろうが……この距離を俺らが気付く前に駆け上がってきたってのか!?)

 

ヒゲ面の男は、奇襲をかけてきた部隊の練度の高さを悟ると、薄ら寒いものを感じた。

 

「――あぁ、それと! 騎馬隊の先頭を走ってたのは、女だったんだなぁ」

 

「女ぁ!? 一体どんな格好の女だ?」

 

「えっとぉ……翡翠色の短い髪で、オイラの身体よりもデカイ剣を振り回していたんだな」

 

鉄の塊のような巨大な剣を己の手足のように振るい、接敵するまで存在を気づかせない程の素早い動きが可能な部隊を率いる女。

 

そんなデタラメな特徴に一致する人物は、ヒゲ面の男の頭にはたった一人しか浮かばなかった。

 

「文醜! あの野郎ぉ……てっきり、城に引き籠って震えてやがるかと思ったら、小賢しい真似をしやがてっ!」

 

「アニキ。そこは“野郎”じゃなくって、“女郎”って言わないと駄目なんだな」

 

「うるせぇ! 今はそんなこと、どうだ――って、あぁ!?」

 

「どうしたんです? そんな素っ頓狂な声を上げたりして」

 

「お前らあれ見ろ、あれ!」

 

 ヒゲ面の男が指差した先には、騎馬隊の遠ざかっていく背中が。その数、千騎程だろうか? 

 

今まで見えなかった敵の数が、自軍の十分の一にも満たないこと分かると、ヒゲ面の男の心境は、煮え湯を飲まされた気分から一転、溜飲の下がる思いだった。

 

「籠城戦に入る前に、少しでもこっちの兵力を減らそうとしての苦しまぎれの策ってとこか? まぁ、猪武者にしてはよく考えたと褒めてやるぜ。

 けど、それだけの数の奇襲じゃ大した被害を与えられなかったんで、ケツまっくてトンズラってわけか」

 

このまま連中が城内の本隊と合流するまで、わざわざ待っていてやる必要など無い。

 

奇襲部隊を一気に攻め立て、文醜の首を挙げることができれば、攻城戦なんて七面倒なことをせずに決着をつけることができるかもしれない。

 

都合良く、場の混乱もようやく収まってきたようだ。

 

目の前に飛び出してきたのが、あまりにもウマミのある得物だった為か、先程身をもって知った騎馬隊の練度の高さも忘れて、ヒゲ面の男の心は逸りだす。

 

「聞けっ! 今、俺達の目の前にいる騎馬隊が、これまで志を共に歩んできた同士を殺した。そして、その憎き敵共を率いているのが敵総大将“文醜”! 

 奴を殺っちまえば、この戦は俺達の勝ちも同然! 不意打ちなんて、汚ねぇ真似しやがった連中に、たっぷりと礼を返してやれっ!」

 

「ほわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

息を吹き返した黄色い獣の群れが、動き出す。

 

 猪々子達は、奇襲を仕掛けた時のような機敏な動きと打って変わり、遠乗りにでも出掛けるかの様にゆったりとした速度で騎馬を走らせていた。

 

「報告! 黄巾軍が進軍し始めました」

 

黄巾軍の動きを監視していた後方の兵士が、伝達に来る。

 

囮役である猪々子は敵陣を抜けた後、黄巾軍との距離に常に気を払いつつ移動を続けていた。

 

普段、竹を割った様な気性を地で突き進んでいる彼女にとって、この作業は精神的苦痛を多く伴ったが、策を自分に託した時の男の顔を思い出せば、無下にすることは出来なかった。

 

「おっ!? ようやく動き始めたか。あんまり遅いから、もうひと当てしてやろかと思ってたんだけどな……」

 

「将軍。分かっているとは、思いますが――」

 

本来、緊張すべきはずの敵の進軍情報に、待ち人にようやく出会えたかのような指揮官の朗らな表情を感知した兵士は、猪々子の言動をいさめようとする。

 

「分かってるって。予定通りこのまま敵を釣り上げるっての。

 ……んだよぉ、ちょっとした冗談じゃねぇかよ」

 

(将軍の普段の言動を知っていたら、冗談に聞こえないですって)

 

「なんか言ったか!?」

 

「い、いえ! あっ、そういえば、今のところ将軍の描いた絵の通りになっていますね。

 どのようにして、こんな見事な策を考えたのですか?」

 

思わず本音が漏れていた兵士は、慌てて話を逸らそうとする。

 

「え? あたいが、何を考えたって?」

 

兵士の言葉を聞いた猪々子は、驚いた表情を返す。

 

「“え?”って……え? 今回の作戦は、将軍自ら考案したと説明されていたではないですか」

 

「「…………」」

 

噛み合わない会話により、気まずい雰囲気が場に漂い始めた時――、

 

「――そ、そうそう! あたいが考えた……んだよ?」

 

猪々子が、たどたどしく口を開いた。

 

「……なんで疑問形なんですか?」

 

さらに付け加えるならば、額には汗。視線は泳いでいた。

 

「う、うるさいな! そんなこと今はどうでもいいだろ。

奴らも動き出したし、釣りを再開すんぞっ!」

 

猪々子が無理矢理話を切ったことに疑問を感じつつも、兵士は号令をかける。

 

「はっ、失礼しました! 全軍、このまま敵を釣り上げる! 

 敵との距離に気を払いつつ、少し速度を上げるぞ!」

 

速度を上げるため愛馬の横腹を腿で締め上げながら、猪々子はここまでの戦の流れを振り返っていた。

 

(まぁ確かに、“あたいが考えた策”うまくいってるよな? ……力攻め以外にも、こういう戦い方もあるんだな)

 

心に生じたシコリのようなものを振り落すかのように、猪々子はもう一度、腿を強く締め上げた。

 

 


 
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