古い建物を外から見ると、どこか、怖い。
でも、内部(なか)に入ると、なぜか、温かい。横浜・みなとみらい地区にある赤レンガ倉庫一号館を訪ねたとき、中学二年生になった春日みらいが抱いた印象だった。
創建から丁度、百周年を迎えた赤レンガ倉庫は、当時の技術の粋を集め、国の模範倉庫として築造され、一九一一年(明治四十四年)に二号倉庫、一九一三年に一号倉庫が竣工した。
竣工当時は同型同大の長大な三階建の最新鋭を誇る倉庫だったが、わずか十年後の関東大震災で一号倉庫は半壊してしまった。
その後、縮小補強工事により、一号倉庫は半分の長さで文化施設としての一号館となり、二号倉庫も商業施設としての二号館に改められ、二〇〇二年四月から観光の目玉や市民の憩いの場として生まれ変わっている。
みらいは一号館へ入ると、竣工時は荷を滑らせて出庫するスロープとして使用されていたと思われる場所に設置された階段を上った。
二階に着くと、三つある二百平方メートルほどのスペースの一番、階段側になるスペースAに立った。
こうしたスペースは、それぞれが一風変わった装飾で間仕切られている。創建当初は防火戸とそれを開閉するための吊戸車に使われていたもので、現代では珍しく、粋なアートとなっている。
人気絵師ゆめのいぶきの原画展がスペースAで開催されてはいるが、十七時から十八時まで行われるサイン会開始までは、まだ一時間ほど間があり、平日の夕刻ということもあって、人影はまばらだった。
ゆめのいぶきはパソコンを用いて、ライトノベルの表紙や本文中に用いられるイラストを描く女流作家であった。
手足が長くかわいらしい女の子キャラでありながら、遠近法を習熟したダイナミックな動きを表現出来る絵師として支持を得ている。
また、小説の売れ行きによっては、アニメ化もあり、その際にはキャラクターデザインの協力を求められる。一クールなり二クールの放送終了が近づくと、DVDやブルーレイなどの映像媒体も発売される。こうしたときは、原作のイメージを尊重したジャケットイラストの注文がある。
こうして作品が増えてくると、出版社から画集出版の企画が持ち上がる。
しかし、画集となると、そうは売れるものではない。加えて、全ページカラー印刷では金がかかることは仕方なく、発行部数も抑えられているから、単価は高額となり、ターゲットとしている中高生にはいよいよ高嶺の花となってしまう。
今日のように学校が終業する時刻を狙い、会場を借り、サイン会を開くなどの営業努力が必要となるのだった。
本来、こうしたイベントはアニメの聖地とも呼ばれる東京・秋葉原で開催されることが多いが、一か月前の東北東日本大震災で、福島第一原子力発電所が被害を受けたことにより、計画停電が首都圏で実施されている。
東京二十三区は停電の輪番からはずされているものの、大規模な商業施設は企業倫理として、自主的に節電を心がけている。
その結果、本来、華やかな場でなければならないイベント会場がどうにも辛気臭くなるため、そもそも倉庫だった商業施設にサイン会場を設定したのだった。
勿論、首都圏でも日常的に震度三、四といった強い余震が続いていたが、不思議と人間とは慣れるもので、日常生活は自然と流れている。
「お譲ちゃん、サイン会にきたの? イベント、まだだよ」
ふと、スペースAで会場整理に当たっていた出版社のアルバイトらしい二十歳過ぎの若者がみらいに声をかけてきた。
出版社で働く者らしく、擦り切れたジーンズにしわだらけのシャツ、むさ苦しく伸ばした髪に無精ひげという身なりはだらしがない。
同じ出版社で働く父も自宅では寡黙だが、会社ではこんな調子なのだろうか……小柄なみらいは、横浜の公立中学校の制服である濃紺のブレザー、ベスト、プリーツスカートに身を包み、右手に学生カバンを提げ、左手にイラストレーターの娘らしく、スケッチブックを持っている。アルバイトの侮られたような物言いに、みらいはかちんと勘に障り、
「解っています。それより、ママはどこですか?」
ゆめのいぶきの姿が見えないことから、尋ねると、アルバイトは、
「ああ、いぶき先生の娘さん? そう言えば、先生、娘が来るって言っていたな。先生、二号館でメシ食ってくるって」
みらいを子供と思ってか、馴れ馴れしい口を利いた。
みらいは不機嫌に一号館から立ち去った。
みらいは一号館と並んで建つ二号館に足を踏み入れると、母であるゆめのいぶきの姿を探したが、人通りが激しく、華やかな商業施設へと巧みに改造された建物の中では、人一人は容易に見つからない。
ゆめのいぶきの本名は、春日怜子といった。
月並みに地方の大学で経済学を修了し、東京に職を求めた際、ゲームの開発、販売を行っている会社で、進行という仕事を得ることが出来た。
進行と言うと聞こえはいいが、実質は使い走りも同然で、どうにも社会性に欠けるあくの強い社員達の間を取り持ち、無茶なスケジュールをこなしていかなければならない仕事だった。
しかも、このゲーム会社というのが、アダルト専門のゲームを開発していて、女性の怜子にとっては、慣れるまでは赤面の連続だった。
そうして入社三年が過ぎたころ、ライトノベル専門の出版社から新人イラストレーターを発掘する公募を知り、怜子は仕事の合間を縫って作品を仕上げ、応募してみると、五千を超える応募作品の中で、第三位に当たる銅賞に輝き、早速に原稿を依頼されたのだった。
このとき、担当編集となったのが、春日透で、名の通り透自身が透明感のある怜子の作風に惹かれ、怜子の起用を強く推した経緯があった。
怜子と透はやがて仕事以上での関わりとなり、二年後には結婚し、みらいが生まれた。
怜子のペンネームであるゆめのいぶきは、透が旧姓のままの根本怜子では平凡に過ぎ、読者からは覚えられにくい、と言い出したことから、怜子は春野小川、夏野若葉、秋野紅葉、冬野綿雪と次々と候補を考えたものの、全てボツにされ、結局ゆめのいぶきに落ち着いたのだった。
ライトノベルを売る出版界からは、一目置かれる存在となった母であったが、本職であるゲーム会社では相変わらずの使い走りながら、ゲーム中のキャラクター設定に参加出来るまでの地位を得ていた。
こうして二足のわらじを履き、活躍するゆめのいぶきこと春日怜子の支持はファンからは高かったが、一人娘のみらいにとっては物足りない存在だった。
有史以来、世界最大級といわれた東北東日本大震災があった三月十一日、みらいが通う元町の公立中学校では、平常通り授業が行われていたが、十四時四十六分の地震発生から五分後には、校長直々の校内放送で解散が命じられた。
生徒達は方面ごとに集団下校が徹底されたものの、殆どが元町、山手、石川町に住む生徒ばかりで、みらいのように目と鼻の先の中村川を超えた中華街がある山下町から通う生徒は稀だった。
みらいは一人で下校することになったが、その帰途、目にするのは青ざめた市民や観光客の顔ばかりだった。
みなとみらい線、東横線、市営地下鉄ブルーラインは既に運休となり、幹線道路である海岸通り、本町通り、山下公園通りでは渋滞が始まっていた。子供心に抜き差しならない災害にさらされていることが理解出来た。
ようやくに自宅である中華街に近い高層マンションのエントランスに着いてみれば、なまじハイテクセキュリティを導入していたことから、電源を失い、館内に入ることすら出来なくなっていた。
入館出来たとしても、エレベーターも運行しておらず、十一階の自宅まで歩いていかなければならないし、玄関ドアを開けるセキュリティも機能していないことが察せられた。
みらいにはハイテクを駆使した高級マンションが、巨大な墓標に見えた。
震える手で両親の携帯電話を鳴らしたが、何度かけても話し中になる。当然と思い込んでいた日常を、ある日、突然に失ったのだった。
みらいは茫然としながら、クラスメートで普段から仲がよく、両親が元町の自宅でホームベーカリー店を営んでいる服部毬香(まりか)を訪ね、一晩だけではあったが帰宅困難者として泊めてもらった。
毬香は三人姉妹の次女で、みらいは両親の安否すら解らぬままクラスメートの姉妹、両親からも家族同然に扱われ、嬉しかった。
ただ、震源となった三陸沖に面した宮城県の太平洋沿岸が受けた地震と津波の甚大な被害を伝えるニュース番組は、目を背け、耳を覆いたくなるような映像を繰り返し流し、みらいの恐怖をあおり立てた。
一夜が明け、自分の携帯電話から母の携帯電話へかけてみると、両親とも無事で、既に帰宅していた。
まるで、長旅から戻ったような思いでみらいは電力が復旧した自宅へ帰ったが、両親は一人娘が一晩どうしていたかを尋ね、心配する素振りも見せないどころか、けろりとしていた。
母の怜子は赤坂見附のゲーム会社を定時の十七時三十分で退出した後、地震によって首都圏の全鉄道が運休したことにより、思いもかけず皇居で一晩過ごしたことを楽しそうに語り、父は神保町の出版社に泊まり、編集部で上司の目を盗み、同僚と一杯やっていた、と笑った。
まるで娘の身を案じていない両親に、みらいは怒鳴り出しそうになったが、地震と報道に怯え、震えながら友人宅に泊めてもらいました、などとても口に出来なかった。
ことに母には、自分の弱い部分は知られたくなかった。自分も将来は母のようなイラストレーターになりたいと考え始めていて、今のうちから出来ることはやっておきたく、母のアドバイスが欠かせないからだった。
あれから丁度、一か月が過ぎていたが、改まって母と話し合う機会ももてず、見よう見まねでクロッキーや人物デッサン、模写などをスケッチブックに描き出してみても、上手くいくはずもない。
幸いにも、今日のサイン会の会場は横浜のみなとみらいで、絶好の機会、と喜んだものの母は仕事の合間をふらふらとほっつき歩いているらしい。
みらいは深い溜息をついた。
一緒に赤レンガ倉庫に訪れ、サイン会開始まで商業施設である二号館を見て歩いているクラスメートの服部毬香と柿岡千瑞(ちず)と会うことも出来なければ、母も見つけられない。
みらいは二号館へ入ったすぐ左側に設けられた階段スペースに置かれたソファに座り込んだ。学生カバンを足許に置き、肌身離さずに持ち歩いているスケッチブックを膝に乗せると、つい居眠りを始めた。
ここ一か月、余震が深夜でもあり、寝不足になっているのだが、もう一つ、赤レンガの古い建物へ入ると、赤づくしであることから母親の胎内を無意識に思い出し、安心してしまうことが解った。
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絶大な支持を集める人気イラストレーターゆめのいぶきの原画展とサイン会のため、横浜赤レンガ倉庫に訪れた春日みらいの目的は……皆さん、お久しぶりです、小市民です。今回の作品は東北東日本大震災を横浜に住む中学二年生の女の子の視点から描いています。説明ばかりになっていますが、後編ではきちんと折り合いがついていきます。またも、モデルが誰かバレバレの内容ですが、気づかない振りをお願いします。