遥は三国とともに金沢文庫を出ると、わずかなトンネルを用いて往来を容易にされた金沢山称名寺の浄土式庭園をゆっくりと歩いた。
中世の僧侶には、複数の宗派を学び、幅広い知識を身につけることが求められた。
北条一族である金沢氏の菩提寺である称名寺は、弘長二年(一二六二)浄土教の寺院として創建された。その後、律法の寺院に改められ、鎌倉幕府のための開運祈祷所に昇格した。鎌倉幕府滅亡後は、室町幕府が関東を治めるために設置した鎌倉府の祈祷所となった。
三代長老により華厳教の転籍に詳しい注釈を多く残すなど、称名寺には歴代の長老達の個性を多く反映された様々な宗派の転籍が伝えられている。
遥が自分の将来に対する不安を三国に語ると、三国はうんうんと親身になって耳を傾けたが、遥の言葉が跡切れると、
「藍田君は、私を易、占いのごとくとらえているのだったら、それはお門違いだが、大丈夫かな?」
遥が、卒業後は金沢に戻るか、それとも家出同然ででも東京で働くのか、どちらが自分のとるべき進路なのかをまるで易者か占い師に尋ねるがごとく、右か左か、白か黒かを社会一般でいう予知を求めているのだったら、的外れも甚だしいことを念押しした。遥は気を呑まれる思いで、
「はい……僕は正しい判断をしたくて……」
しどろもどろに答えると、三国はうなずき、
「称名寺の境内の中央に拡がる阿字の池を挟んで北に金堂、南に仁王門が置かれているね。加えて、池の中央に中島を築き、南北の畔から平橋と反橋が架かっている。こうした造園形式は、何と呼ぶかね?」
遥に尋ねた。遥は既に三国の講義が始まってことに気付き、
「はい、浄土式庭園です」
「よろしい。では、その形式に基づいて造られた住宅様式は何かな?」
「はい、平安時代の貴族住宅である寝殿造です」
「そう。ともに曼荼羅に描かれた極楽浄土の世界観を住宅、寺院において再現しようとしたものだね。では、現存している浄土式庭園はどこにあるかな?」
三国の問いかけは、ますます専門性を増し、遥はたじたじとなりながらも、
「岩手県平泉町の毛越寺、京都府宇治市の平等院です」
「平泉町には、平等院鳳凰堂と同じ形式でありながら、はるかに大規模な無量光院という寺院があったが、度重なる火災で失われ、今日では土塁と礎石が残るのみとなっている。残念なことだ」
三国が目を伏せると、遥は変わり者の老講師の講義が、どのように展開していくのか、わくわくする思いとなった。三国は、
「現代は科学が優先され、精神世界は殆ど顧みられなくなっている。先人は住環境や祈りの空間と精神を同一のものとしたんだ。では、なぜ精神性を生活とイコールにさせる必要があったのだろう?」
「人生とは一歩、歩いたその先がどうなっているのか解らないのが宿命だからです。二歩目を歩み出せるのか、あるいは転んで大怪我をしているのかもしれない。これは人間界に時間という大原則があるためだと思います」
遥の答えに、三国は能面のように無表情な顔をわずかにほころばせた。教え甲斐のある受講生だと認められたようだった。三国は頷き、
「そうだね。だから、人間は二歩目がどうなっているのか予見しようと、宗教、学問、科学を発展させた。しかし、人類は何の悩みも不安もなく、誤解や争いもない叡智を手にすることが出来たかな?」
遥は首を左右に振り、相変わらず世界で起きている紛争の報道を思い起こした。最も身近な問題は、自身の進路であった。三国は言葉を継いだ。
「人の悩み、不安はどこにあると思うかな?」
遥は思わず目を見張り、
「それは……紛争国にしても、災害の罹災国にしても、国家元首の政治の在り方が、自国民の……」
言葉に窮した。三国はにやりと笑い、
「では、藍田君の進路の迷いは、総理大臣が悪いのかな? 私は国会議員に知り合いはいないし、皇居に参内したこともないが、これといった悩みはないよ。まあ、強いて言えば、年金の支給額がもう少し高ければ、ぐらいかな」
楽しそうに笑った。遥は首を傾げ、
「では、悩み事はどこにあるのでしょう?」
「自分の心の中だよ。誰にも解らない先のことを、不安に思う原因があるから、不安になるという結果がある。
だから、人生の岐路に立ったら、おもちゃ箱をひっくり返した子供のように、次は何が出てくるのか、楽しみに考えるゆとりをもてば、おぼつかない二歩目も楽しみに変えることができる。
正に、心遣い一つで人生を一瞬にして変化させることが出来るほど、人間の心とは無限の可能性をもっていることになる」
「では、それだけ途方もない宝を、一人一人が生まれながらにして捧げ持っていながら、人類が今だ叡智を手に出来ないのはなぜなのでしょう?」
遥は三国と共に称名寺の浄土式庭園をもう三回もぐるぐると回っているのに、指針が得られぬ現実に目を伏せて言うと、三国はこともなげに、
「やはり、心遣いが邪魔をしているからだよ。この心遣いは、人生経験と共に変化していく。生まれたばかりの赤ん坊が、母親が与えてくれる乳に毒が入っているかも、なんて疑いもしないが、生きていくに連れ、人を疑うことを覚え、善意すら信じられず、誇大な考えを抱くようになる。すなわち、人生の結果は、日々の一瞬一瞬の心遣いが創り上げていっている、と言っていいだろう」
人生の本質を説いた。人生の節目節目に岐路があると思っていた遥が目を大きくすると、三国は言葉を継いだ。
「したがって、人生を良質のものとしたければ、一瞬一瞬に感じ取る心の動きを良質なものとすればいいことになる。
しかし、悲しいかな、人間には認められず、受け入れがたいものがある。私の場合は、禁煙指定地域で平然と喫煙を繰り返している者や雑踏で痰や唾を吐く者には、口よりも手の方を早く出してしまいたくなるよ。上野や銀座を歩けば、二、三人はぶん殴ってやりたい輩を目にするものさ」
遥は、まるで聖者のような三国が俗人のような言葉を口にしたことを意外に感じながら、
「そういうとき、先生はどうしているのですか?」
「過度に他人と関わらぬこと、期待しすぎないこと、当てにしすぎないこと、そして一瞬でも待つ心のゆとりをもつこと、これらを意識して繰り返し、自分自身を鍛錬していくことで、君子面をすることが出来るよ」
三国は、遥が聖人か宗教の教祖を見るような目を向けていることを見抜くように言った。
十九歳の遥には、まるで夢物語を聞く思いであった。自分の本心を顔や態度に出さないことは、日本人の美徳とされているが、それもときによりけりで、むしろ他者を混乱させ、事態を悪化させることさえあった。
遥が中学二年生のとき、一日の仕事を終えた父が、母を晩酌につき合わせているところに、たまたま通りかかったことがあった。このとき、父は、
「いいか、遥。藍田金箔はお前が継げ。弟にはやらん。弟にやるということは、あの足りない甥達にくれてやる、ということだ。それだけは絶対に出来ん。俺の跡目を取らせるのは、お前だけだ、いいな」
酔いもあったのか、普段は無口な性格であるにも関わらず、妙に念押しをしたことがあった。それが遥には嬉しく、父の期待に応えなければ、という思いに繋がっている。
父の弟の息子達というのが、実のところ後妻の連れ子で、藍田の血を引いているわけではなかった。しかも、揃いも揃って旧家の息子とは思えぬ形振りで、隣近所に挨拶の一つも出来ないどころか、警察に補導されることも日常茶飯事だった。
父の弟は、連れ子のおかげで地元の警察署とはすっかり顔なじみとなったが、遥が上京するとき、わざわざ金沢駅まで見送りにきてくれ、
「遥。兄貴はお前を試しているんだ。東京の水がお前に合うのだったら、兄貴はお前をそのまま都会に出してもいいと思っている。いや、お前から東京でやらせてくれ、と言ってくるだけの度量を期待しているんだ。しっかり、帝国芸大で勉強して、藍田金箔東京店を出すぐらいの男になってこい」
わざわざ雑踏で賑わう改札口で立ち止まり、遥の肩に手を置いて言ったことがあった。
父の本音は一体、どうなのか。聞いてみる機会もない。というのは、言い訳で、本当は知るのが恐ろしいのかもしれない……遥は、父と叔父の言葉を三国に話すと、三国は頬笑み、
「藍田君は今時、珍しい学生だね。今の時代、父親の期待に添う生き方を考える若者なんて何割いるのかな。思うに、都心への一極集中が、親子意識の希薄を増長させている気がする。
二〇〇八年は毎月のごとく無差別殺人が起きていただろう? あの一年は一極集中の弊害が表面化した年だったと言っていいだろう。
さて、良質な心遣いを繰り返せば、結果として良質な人生を送れる、と言ったが、では、質のいい心遣いとはどんなものかな?」
三国が問うと、遥は降参した思いで、
「解りません。盗人にも五分の理で、悪人にも言い分はありますし、悪法も法なり、という言葉もあります」
「人の価値を評価する基準、というものがある。
それは、どのような心遣いで、どのような内容のことを、どれだけ実行したか、ということだ。表面的には二者が全く同じ行為行動をしていても、その背後にある心遣いが真に無償のものであるのか、あるいは目先の欲で他者を利用しようとしたものであったのかで、全く結果は異なるそうだ。
勿論、二歩目が解らぬ宿命を負った人間のことだから、無償の心遣いで行った行動でも、その場は惨めな思いをすることもあるだろう。しかし、人生の結果は五年後、十年後にならないと現れないものだ。
それから今一つ。例えば、この極楽浄土の世界観を再現した浄土式庭園に配された池、中島、平橋、反橋、そして庭石はそれぞれの役目を果たしているから美しい庭園を保っていられる。これから学べることは何かな?」
「他者と調和すること、協調に努めること、妥協に進めること……などでしょうか?」
遥が周囲を見回し、答えると、三国は表情を輝かせ、
「そう! そのとおり! それが良質な心遣いの源泉となる。そうして謙虚な姿勢を続けていれば、必ず、選択肢が現れてくる。これは他力本願ではなく、人生を最も確実に歩むことが出来る正道と言えるだろう」
三国が、ようやくに帝国芸大の一年次を修えようとしている遥が、三年後の心配をするのは早計であること、そして父を尊ぶ思いを忘れずにいれば、思いもかけなかった環境の変化が得られるという結論を説いたとき、たまたま金堂の前を通りかかった。
このとき、小暗い堂内で本尊を納めた厨子が僧侶によって開帳され、木造の弥勒菩薩立像が姿を現した。
それは、誠実な遥の将来を御仏が祝福しているかのような光景だった。遥は今一度、称名寺の浄土式庭園を見渡した。三国が伽藍配置と重ねて説いた講義は、遥にとって、正に浄土で聞いた声であった。(完)
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横浜市金沢区にある称名寺の浄土式庭園の様式に重ね、変わり者の老講師三国が語る講義は……
三国の「変わり者」を表現しようと、運慶が所属した奈良仏師からJ・S・バッハの家系まで調べ、大変でした。前編で遥と婦人の二人連れとの会話と、ラストで僧侶が金堂の厨子を開帳した件は、小市民が取材のとき、実際にあった出来事です。まあ、難しいことはさておき、物語としてお楽しみ下さい。