No.212407

本当に好きなら・・・

米野陸広さん

久しぶりのオリジナル小説です。
自分にもこんな若い頃があったわけもないのですが、IFストーリーであったらよかったなぁと今にしては思いますねぇ。
今日は名古屋グランパスエイト、アウェイでのFCソウル戦。
前戦の後半から調子の上がり始めた藤本とここのところ調子の良い金崎、スーパールーキー永井にも期待です。
それでは拙い物語ですが2828していただければ幸いです。

2011-04-19 11:51:39 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:2760   閲覧ユーザー数:2508

 

 泪は流すつもりも無かった。最初からわかっていたわけじゃない。でも気づいてしまっていたから。相手が俺と同じ気持ちではないことなんてことは、とうの昔にわかってしまったことだったから。それでも、それでも何ヶ月も彼女を恋人として存在させようとしたのは、何故だったのか? 独占欲か? 答えはきっと出ない。自分の気持ちがわからない。当たり前のことのように思われる事象だ。自分の気持ちも理解できないし他人の気持ちも理解できない。それなのに、そうだというのに、俺は何を求めているのか。相手にわかってもらおうと思う。自分のしてほしいことを口に出さずともわかって欲しくて繋がっていたいと思うのだ。俺は愚かだろうか? 愚かなのだろう。だからこうして俺たちは向かい合っているのだから。

「僕のこと、好きじゃないよね」

直球だった。もう全てが面倒だった。ドラマティックなんて俺が求めることではない。さっさとこの場面から逃げ出したい。しがらみから開放されたかった。彼女の表情が読めない。いつもと変わらずに淡々と俺に語りかける彼女の気持ちは僕には、いや、俺にはわからなかった。わかろうとすら努力もしなかった、に違いない。俺は彼女が、美琴がいることに甘えて、それだけで満足して、彼女が何をして欲しかったなんて考えたことも無かったに違いないんだ。最大限の努力をしたなんて、そんなのは甘え。だから俺は甘んじて受けなければいけない。その裁きを。

「最初から、好きじゃなかった。好きなるかとも思ったんだけど、そうならなかった」

「最初から?」

予想よりも斜め上の答えが返ってきて応答できない。

「あの場で答えないといけないとしたら、答えはYESしかなかったよ。だってそうでしょ? 気まずくはなりたくなかったから」

「待って、よくわからないんだけど」

「そういうものでしょ。私は椎名君のことを好きというには、好きの意味が重すぎるから。嘘でもいいなら言えるよ」

残酷なことをさらりと言う。そんなところも好きだった。その短い髪も。長い指先も。ふと香るやわらかく甘い香りも。結局触ることが出来なかったその肌も。本当に好きだったはずだった。僕の中にある彼女の姿全てを愛していた。それだけは確実といえる。理想と現実は交わらないように出来ている、そのことを確かめられないまま時間は過ぎ、今に至った。

美琴は直視できなくなったのか眼をそらした。吹奏楽部の個人練習室。最終下校時刻に入って最後に鍵を閉める俺と美琴以外はここにいなかった。日は沈み、既に空には月が煌々と昇っている頃だ。こんなところで別れ話をして、どうせ二人で帰るというのに、俺は何を考えているのか、心の中で笑う。駅までの十分間。何を話せばいいのか? 俺たちは互いに気まずいままで、でもそれでも一緒にいなければいけなくて。

美琴の視線の先にOBが残していったトランペットの箱が残っていた。力石先輩。がたいのある身体の割には綺麗な音色を出す人だった。

「覚えてる?」

「何を?」

「力石先輩」

胸がいやな色に支配される。これを感じるといつも俺は眠れなくなる。彼女のことを思う夜は、特に昨日の夜はこの色を抱えていた。深い深い群青色。黒に近いでもまだ希望を捨てきれない情けない色。不安よりも強い憂鬱な色。だから感じるのだ。

彼女の想い人は力石先輩でその代わりにただ俺を望んだだけなんじゃないかって。さっきも言っていたじゃないか。最初から好きではなかったって。

「私さ、」

「好きだったのか?」

「……うん」

でも力石先輩には彼女がいた。他校の生徒ということだったが周知の事実だった。不思議だと思う。結局のところ、俺はいなくなった先輩の幻影にすら勝てなかったということなのだ。どれだけ近くにいても、彼女の心は力石先輩の幻影に寄り添っていて、俺の事を見る必要もなかったということか? 彼女の理想に寄り添っていた俺は彼女の心は一度も覗かせてもらえなかったということか。

「今でも?」

おそるおそる尋ねる。

「多分」

はっきりと声色でしかし曖昧な返事が返ってきた。

「なんだよそれ」

「だって、そうなんだもん。いない人のことを思い続けるのは辛いでしょ?」

世の中の女はみんなこういうものなのだろうか? 振られた男を前にしかも、好いてくれていた相手に自分の心情を吐露するものなのだろうか?

「俺は、まだ好きなやつにそんなことを言われるほうが辛いけどな」

「ごめんなさい」

謝るくらいなら最初から付き合って欲しくなかった。最初の告白はなんだったんだ。あれだけ緊張して、俺が手に入れたのはこの結果だ。空回り空回り。無様な自分。だけど好きだから言ってしまうのだ。

「いいよ、別に。気にしなくて」

責めてもいいんだよな、そう問いかける。誰に、って言われてもわからないけど多分自分にだ。責められない自分も無様。好きなってもらえない自分も無様。皮肉の一つ言うので精一杯。そうもう終わりにしよう。美琴にだって、明日があって、俺らの仲が割れたら、またそこに面倒が発生する。だったらもう終わりにしよう。あっさりすっきり、お互いにリセットできるように。少なくとも美琴には何の負担も無いように。

「そうだよ、もうやめよう。明日からまたお互いに吹奏楽部員ということで始めればいいだけでしょ。リセットしよ。リセット」

俺は面倒そうに振舞った。そうすれば感情が一番隠せると知っていたから。実際そんなに辛くは無かった。だって、しょうがない。向こうに好きな人がいて、俺にはどうしようもなかった。その事実が今目の前に横たわっているだけなんだから。

だから出来るだけいつものスタンスで。自分らしく。

「仲のいい友達でいればいいよな、ああ、いやだったらもっと離れるけど」

「ううん、あんまり不自然にはしないで」

「わかった」

結局俺はわからなかった。美琴は何がしたくて俺と付き合ったのかも。これからどうするのかも。

お互いに気まずいと思わなかったはずだ。でも最初に思った言葉は忘れない。どうせ

人の気持ちは理解できない。だから理解しようと近づくのに、近づくたびに拒絶されていたらそれは気持ちも離れていく。そういうものじゃないのか? いつまで経っても内側に入れてもらえない。三ヶ月、俺の内側に彼女はいくらでも入り込む余裕があるのに、彼女は入ろうとしない。彼女の内側に入ろうとすると僕は弾かれる。恋人という肩書きのパスポートを使いたくなかった。椎名仁。その名前で僕は彼女の内側に存在していたかったというのに、彼女はそれを許さなかった。そのスペースには力石先輩がいたからなのか、僕がそれに値する人物で無かっただけなのか、それは今考えてもこれから悩んでもわからない。だってこれは彼女、他人の話なのだ。

そうなのだ、結局他人がわからない。俺と彼女の間にあった言葉はそれだけだ。

「そろそろ帰ろっか?」

「そう、ね」

鍵を閉め、部室から出る。職員室に鍵を返しに行き二人で学校の門から外に出た。普通に世間話でもすればいいとわかっている。でも許さなかった。空を見上げると煌々と照らしてくれているはずの月は、雲に身がくれしていた。俺の瞳に写る世界は全て闇に落ちていた。ただ少しだけ光る心の中。一点の灯りは間違いなく美琴に他ならなかった。彼女がそばにいるということ。冷たくなった元凶の癖に、この温かさは間違いなく彼女だった。

馬鹿みたいだと思う。泣きたいのは彼女と別れるからだというのに、その彼女が傍らにいるという事実が自分を励ましている。倒錯もいいところだと思う。だけど事実。しょうがない。認めよう。椎名仁は、音坂美琴を愛していた。間違いなく。なのに、なんで別れなくてはいけないのか? 付き合っているという事実があるからこそ手に入らないものがあることに苦悩し、それに疲れた。だからその関係を解消してしまえばいいと思ったのだ。最初から手に入らない位置にいれば、悩む必要もない。それでいいんだ。それで。

 学校近くの駅まで辿り着いた。今までそうしていたように、彼女が利用する線路側のホームまで送る。俺は彼女とは反対側だから。

「別に、嫌いじゃないんだよ」

突如、美琴の言葉。何のフォローだ!

「私、椎名君とならうまくやっていけると思ったんだ。本当に。それだけは、信じて」

ぼそぼそと呟く声に思いっきり突込みを入れてやる。何をいまさら、自分の中に好きな人がいるのにうまくいくはずが無いじゃないか!

「ああ。わかってるよ」

とはいってもこう答えるのが必然だった。傷つけちゃいけないから。人を傷つけたら、そこで終わりだから。俺の根っこがそう答えていた。

「こんなことで嫌いになるほど俺は懐が狭くないよ」

彼女は少し微笑んだ。俺はそれで満足だった。これで誰も傷つかないならそれでいいんじゃないだろうか? 美琴がこれからどうするのか俺にはわからないけど、俺にとってはそれで満足できる結果なんだし。

「あ、電車来た。それじゃあ、送ってくれてありがとう。椎名君」

自己満足の余韻に浸ることも出来ずに、電車は彼女を連れ去っていくようだ。僕は笑って応えた。

「うん、じゃあね音坂さん」

結局、俺が彼女のことを名前で呼ぶことはなかった。三ヶ月という間。心の中で思った名前はそれこそ何回でもあるけど、それが言の葉になることは無かった。

また、心の中でぼそっと呟こうとしたがやめた。それはプライドだったのか、なんだったのか判断はつかなかった。ただやがて視界から消え去る彼女を見つめながら俺の中には、やりきれない虚空が生まれ始めた。針の先端しかない大きさはやがて重く重く広がっていた。その色が群青をさらに塗りつぶした黒だと気づいた俺は心に穴が開くという表現を体験していることに気づき、これが失恋なんだと自覚させられた。泪は流さなかった。一滴たりとも。ただ、おそらくこの心に開いた黒い穴はその重さなんだと勝手に決め付けると、泪の出ない理由に少し納得いった。心の流す泪はきっと本来の泪より辛くて綺麗だと思いたい。純粋な黒はきっと純粋な白より強いのだ。少なくとも俺には、今の俺にはそう信じられた。

彼女と反対側のホーム。以前感じていた寂しさはそこにはなく、あるのは後悔と黒だった。その黒には名前が無かったが、とりあえず黒という名前が俺にとってはわかりやすかった。思考を停止させる黒。思考を飲み込む黒。一目惚れよりも激しく彼女を思う黒。それしか考えられない黒。忘れさせない黒。怒りは赤。怒りではない黒。悲しみは青。悲しみではない黒。黒は何なのか? 誰も教えてくれない。ただ

「誰か、教えてくれるかな?」

電車がホームに滑り込むと同時に俺の口から漏れた言葉はその誰かに届くはずも無い。

音坂美琴は――――――――――はぁ。俺の思考は帰るまでただ黒に染まっていた。その黒はどんどん広がっていき俺を締め付けるのではなく取り込んでいくようだった。ようやく黒の思考から呼吸できる思考が出来たときには、俺は既にベンチで寝そべっていた。何故そうなるまでに行き着いたのかを説明しようとすると、意外なことに黒は邪魔しなかった。黒は割りと気まぐれなやつなのだ。

彼女と別れ電車に乗り込み、いつものように自宅の最寄り駅で降りる。そこまでは黒な思考は俺を徹底的に負の螺旋に取り込んでいた。納得したはずのことを何度も何度も思い出させることで俺をさらに黒く黒く染め上げたいようだった。

例を出そう。

「はぁ、何で別れたのだろうか?

僕が彼女をわかろうとしなかったからだよな。というか、それ以前の問題か。彼女には好きな人がいたんだから。そう考えると俺って不幸なはずだよな。でも何で怒らないんだろ。それはそうか、俺美琴のことが好きなんだもんな。彼女を傷つけられるようなことは言えない。それなのになんで俺あんなこと言っちゃったんだろう。あんな皮肉言うべきじゃなかった。言いたくても言っちゃいけなかった。そうすれば別れなくても済んだかもしれないのに。

ってそんなわけ無いじゃん。昨日あれだけ悩んだろ? 一晩中本当に別れるべきなのかどうかって悩んだじゃねえか。だったらそんなに落ち込む必要なんてないだろ。考え抜いた上での選択だし。別れるって。だったらしょうがないだろ。

でも、もしかしたら別れずにずっと卒業までの後一年半くらい付き合っていたら向こうが振り返る確率だってあったはずじゃない? そうだよね? 

本当にそう思うか? 向こうの心の中には力石先輩がいて俺はずっと拒まれて、結局三ヶ月の間一回も彼女に触れなかった。違うか? 

そうだけど、それにしたって向こうが一切付き合うことについて何も言わなかったのは要するにそういうことでしょ。別に別れなくてもよかった。なら僕は別れを切り出す必要はないじゃない。そうでしょ。だってそうすれば片思いでもその恋人関係に満足していられたんだから。違う?

違うよ。俺は逃げたんだよ。先に予防線を張ったんだ。だからこれで正解なんだよ。

何の予防線? 逃げたって、別に逃げてなんかいないでしょ。別れに立ち向かったんだよ。

傷つけられたくないから、一番傷つかない方法を選択したんだ。俺は。そうだ。相手の気持ちの真偽はわからない。だから自分の不安を一番手軽に打ち消す方法をとったんだ。逃げたんだよ。傷つけられるかもしれないという不安から逃げたんだよ。

違うよ、俺は逃げてない。確かにわからない。わからなかったよ。だけど俺といても笑わない彼女はきっと俺が好きじゃないと思った。友達といれば笑う彼女はとても幸せそうだと思った。俺と付き合ってること自体が彼女の不幸だったに違いないんだよ。

そうか?

そうだよ。俺の存在そのものが、不幸なんだよ」

このあたりにしておこう。また黒が迫ってきそうだ。

そうやって俺はぼんやりと考え事をしながら歩いていたわけだ。そうするとふと公園が眼に入った。誰もいない夜の公園。だから僕はその闇に惹かれたのかもしれない。別の黒。紛いの黒は、俺の黒を追いやってくれたのだ。だから今こうして考えられる俺がいる。我思う故に我ありだ。

公園の中に入り冷たい空気がさらに俺の頭を冷やす。黒がすぅっと心のどこかに霧散していった。もう十月か。秋、失恋の季節だね。まったく月はくっきりと俺を照らしてやがる。それとは対照的に電灯のせいでなんだかスポットライトが当たっているようなベンチが目に付いた。理由はわからない。ただ、そこは俺の居場所のような気がしたし、今は頭を冷やしたかった。身体も、心も。何もかも冷えて冷えて凍えたかったのだ。

客観的に自分を見たかったけれど、それは無理だった。土台無理な話なのだ。自分で自分を語るときはそれはどうしても主観的な自分にならざるを得ない。客観的にみればといったって、その客観は主観で構成されているのだから、結局のところこの世の中は全て主観で構成されていて、その主観で無いものを便宜上客観と呼ぶだけで、それを体感することは出来ない。理解できてはならない。客観的に自分を見て納得したとして、その自分はただの主観的客観の最大公約数でしかないのだから。理解せずに納得する。そうやって他人の意見が主観の一部として変にくっついて、やがて自分になるんだ。

何難しいこと考えてるんだろ、もっと簡単でいいのに。自分は自分で納得させるしかない。周りも自分なんだ。周りからの言葉も自分なんだ。だってそうだ。全部ホントかどうかなんてわからないんだから。だから無理にでも自分を納得させていかなければいけない。あくまでも彼女が自分を好きでもない、という言葉は信じても信じなくても納得していかなきゃいけない。そういう事実しか今は転がってないんだから。

「は?」

「え?」

男の声が聞こえ俺はふとそちらに眼をやった。公園の入り口だ。サッカーボールらしきものを片手に現れたのは、懐かしい面影だった。

「珍しいな、誰かと思えば仁か」

「んあ、そうだけど。えっとお前は」

「二人きりなのに変なボケはいられねーよ。昨日メールしたばっかだろ」

「まぁ、そうなんですけどね」

「その様子からすっと、振られたか」

「まあ、ものの見事に」

「ざまぁみろ!」

ひどいことを言う。だが、こういうやつなのだ。更科高次という男は。

「で、どうだった?」

「いや、何でも最初から好きじゃなかったんだと」

「は?」

「付き合ううちに、先輩の面影を忘れたかったんだとさ」

「おやおや、噛ませ犬か、お前」

「そう、なるな」

そういいながら近づいてきた高次の表情は見えない。逆光に照らされて真っ黒だが、なんとなく笑っていないとはわかった。高次の言葉も彼女のものと同じように心を一つ一つ刺していく。でも今はその痛みがかえって心地よかった。

「つーか、まじでショック受けすぎでしょ。何しょぼくれてんの? もう九時近いぜ。風邪引くぞ」

「親には連絡いれてる。誰も心配しない」

ふーんと高次は思案をめぐらせているようだった。

「酒いるか?」

「そんなもんに頼るほどまだ落ちぶれちゃいない。それよりお前こそなんでこんな時間にって、聞くまでもねーな。自主練か」

高次の方に俺は身体を起こして座ったまま向き直った。高次がボールを落として、右足の甲に乗っけてバランスをとる。一瞬だけ視線をこちらからそらしたが、ある程度バランスが取れるとどうでもよくなったのか、そのままの体勢で目線をあげた。さすがはサッカー部ということだろうか。

「まあ、いくら桜沢のエースでも高校に行って何もせずにエースが取れるほど世界は甘くないからね」

夢まっしぐらなこいつをうらやましいと思う。純粋に、サッカー少年であるこいつがうらやましいと思う。俺は何をグチグチやってんだろ?

「そうだな。でもいいとこいくんじゃねーの? 毎日やってんだろ? 俺みたいな中途半端じゃないし」

俺はサッカーが好きだ。むしろ吹奏楽なんかよりよっぽど好きだ。だから小学校の頃からサッカーはやっていたし、中学も迷わずサッカー部に入部した。ただ、入ったサッカー部は俺にとってあまりにもレベルが低かった。先輩も含めて俺よりうまかったのは高次くらいのものだった。だから俺はサッカー部にいたが、あまり周りとは仲がいいとはいえない状態だった。俺の高飛車な態度が気に障ったのも一因だろうし、先輩だろうがなんだろうが人に合わせるのが下手だったのもあるのだろう。

スタンドプレーにはしりがちな俺をみんなが責めるのを当然だった。でも当時の俺は理解できなかった。それどころか俺のレベルに合わせてプレーが出来ないみんなに我慢なら無かった。勝負の前から諦めたようなそのプレースタイルが気に食わなかったのだ。そんな中チームプレーをさせられる。試合に勝てそうにない。スタンドプレーにはしる。試合に負ける。負けたのはお前のせいだと責められる。苛立ちが募る。そんな状態が一年間続き、またそんな状態なのに、俺をキャプテンに仕立てようとするコーチも嫌いだった。いったいどういういじめかと思った。その年の夏、俺はサッカー部をやめた。

あの頃俺は人を嫌いになっていた。面倒だった。好きなことが出来ない。勉強も嫌いだ。後は何をすればいい。消去法で残ったのが恋だった。人間関係から逃げたというのにこれもまた矛盾な話だが。

そんなわけで当時から好きだった音坂美琴の入っていた吹奏学部に入部。もともとピアノもやっていたから変ではなかったし、楽譜が読める分、転部のくせにしては上達が早かった。同学年の男子は俺しかいなかったから、すぐに仲良くなれた。だから告白できた。そして付き合った。高二の夏休みだ。思えば長い片思いだった。三年である。そのとき後押ししたのも思い出せば高次だった。で、今回も高次の後押しで別れることになったわけだ。

ケータイをポケットから取り出し受信ボックスをみてみる。

音坂美琴、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次。

スクロールさせる。

更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、更科高次、音坂美琴、音坂美琴、更科高次……。

どっちが恋人だかわかったもんじゃない。

「お姫さんからメールか?」

「いや、そんなんじゃねえよ。もう別れたんだし、勘弁しろ」

溜息をつく。別れという単語が引き金となって俺の呼吸器官に働きかける。

「やだやだ、やめてくれよ。こっちまで不幸が移る」

「むしろ移したいわ」

おどけて俺が言うと、しばらくの沈黙の後真剣な声で

「なぁ、俺まだ一対一で勝ったことの無いやつがいんだよ」

などというもんだから俺は、しばらくぼけっとして声を失っていた。

「何ぽかんとしてんだ」

「いや、いきなり何を言い出すんだと思って」

「たいしたことじゃない、さ。今なら勝てるかな、っと思って」

よくわからないけど、そりゃま、サッカーの名門に行って練習してるくらいだ。今までの対戦相手で勝ったことのないやつなんて、そんなやつ見た記憶は無いが。高次のサッカーセンスは中学のときからずば抜けていたし、嫌がられるとわかっていてもサッカー部の試合は高次を見に行った。キャプテンマークをつけた高次は確かにチームを引っ張っていた。ただ相棒がいなかった。高次はパサーじゃない。ストライカーなのに、誰も高次よりうまくパスが出せないのだ。馬鹿みたいな話だった。なのに高次はフィールドの中央で攻めと守りを一緒にこなしていた。高次はそしてがんじがらめになったままだったが、今では自由なサッカー人生を送っているはずだった。

だからストライカーから司令塔もこなしていた高次はかなりの選手になっているはずだ。その高次が抜いたことがない相手といっても、俺の記憶に引っかかる人間はいなかった。少なくともこの地方には高次を抜くサッカー選手はいないはずだからだ。

「どう思う?」

どんなやつかもわからないのに、何を聞いてんだか。適当に応える。

「お前だったら大丈夫だろ? 仮にも俺に向かって世界を獲るって行った男だろ?」

「なんだ、覚えてんだ」

「は?」

「いや、その言葉。つまり俺の言ってる意味わかってるってことだろ?」

世界を獲る、高次の決まり文句だった。俺に向かって言ったこともある。だが俺は笑い飛ばした気がする。何でかって、それは

「ああ、そっか。そういうことか」

「なんだ、わかってなかったのか?」

「もうサッカーと三年間もおさらばしてんだぞ。そう簡単に思い出すかよ」

そうだった。俺は唯一、一対一で高次に負けたことのない男だった。競り合うほどじゃない。俺のほうが圧倒的に一対一では上だったんだ。相手の思考、裏を掻く技術、ボールコントロール、ボディバランス。すべてにおいて俺のほうが勝っていた。だから勝てた。

「今なら俺勝てるよな」

「さて、どうかな? やってみるか?」

「おっ、意外に乗り気」

「まぁな。別にボール触って無くても、身体がそのうち思い出すだろ。ちっとボール貸せよ」

高次は頷くと右足に乗っけていたボールを俺の胸元に放り投げた。俺はブレザーの制服のままそれをトラップし、先ほどの高次と同じように右足に乗っける。その間にブレザーを脱いだ。ベンチに投げる。

口笛を飛ばす高次。俺は調子に乗って久々のサッカーボールとコミュニケーションを交わし始めた。甲からまずいったん腿まで上げ右左右左と交互にリフティング。そして今度は左足にボールを落とし蹴り上げ、額でボールを受け止める。その後もう一度足元にボールを戻し、右足のインサイド左足のアウトサイド、右足のアウトサイド左足のインサイドと足の関節が曲がるのを確認しながら、リフティングを続け、低空でインステップのリフティングを繰り返す。うん、これくらい動くなら十分だ。

「相変わらず、足にボールが吸い付いてんな。ホント、もったいなかったよ、お前」

「何が?」

ボールに眼をやったまま応える。

「サッカー続けなかったこと」

そういい終えると突然高次の足が俺のボールをカットしようと伸びてきた。どうやら始まったらしい。俺は背中を高次のほうに向けつつ自分の中にボールをコントロールするように蹴りだした。夜の公園は俺たちだけのグラウンド。サッカーゴールも無い。どうすれば勝利するのだろうなんて考えてる暇を高次は与えてくれなかった。

「よくかわしたな」

「襲われたからな」

ある程度距離をとって高次と向かい合うと軽く笑った。だがもう高次の眼は笑っていなかった。

「本気で行くぞ」

「わかってるよ」

「途中で逃げるなよ」

「大きなお世話だ」

高次が走り出した。もちろん俺めがけてだ。さて、と考える前に身体は反応していた。ボールは俺の味方だ。もちろん他の障害物も。ベンチに壁、何でもある。だが、とりあえずボールともっと触れ合いたい。高次が突っ込むのと同時に、俺は半歩身体を高次の中にいれ、背中合わせにぶつかる。そのまま廻りながら突っ込んだ足を軸にし、もう片方の足の踵でボールを呼び寄せ一気に駆け抜けようとする。だが、ボールを蹴りだそうとした瞬間、そのコースにあるはずの無い高次の足が出てきて俺をブロックしていた。

「なっ」

「単調すぎるよ。そんなフェイント」

もう既に俺の足はボールに触れボールは俺の支配する領域から離れてしまっていた。そしてそのボールを軽くあしらい、高次は自分のものにしていた。高次は俺に背中を向けると、前方にある壁に向けてボールをやさしく転がし、それに向かってダッシュした。ボールが壁に行き着きバウンドして戻ってきたところで高次はボールをとめる。

「さ、来いよ。噛ませ犬」

明らかな挑発に俺は簡単に乗った。俺は猛ダッシュで高次へと当たりをかける。動かない高次に対してボールへと一直線に向かった足は、軽くその目標を奪うはずだった。だがその足が空振る。ありえない、と思ったが現象を見て納得する。高次は単に俺の足が動くのを見てボールを宙に浮かしたに過ぎなかった。それならば、と俺は出した足をそこで踏みとどまらせ、そのままショルダーチャージに入った。これで高次が身体の重心が崩れればボールの支配権を握れるはずだった。だが当たったはずの身体は逆に飛ばされ、俺は尻餅をついていた。

そこには俺の知らない高次がいた。

「なんだ、思ったよりあっけなかったな。俺の理想だったんだけどな、お前って」

「どういう、意味だよ」

見下ろされる屈辱。それは俺のサッカー人生で初めて味わうものだった。俺は立ち上がると高次の全身をもう一度見直す。日に焼けた肌、中学のときよりも明らかに太くなった腕、胸も断然厚くなっている。

「俺さ、スンゲー悔しかったんだよ。お前に退部されて。俺が唯一尊敬する選手がサッカーやめたんだぜ。あのときの気分お前にも味わって欲しかったよ。ホントね。恨みたかったくらいだった、あん時は。でもサッカーやめてもやっぱりお前は俺の中で憧れには変わりは無かったんだ。俺が練習で行き詰まると、俺がいろいろ聞いたじゃん。お前に。どうすればいいかって。で、お前全部応えてくれたじゃん。俺の中ではジーコやペレやマラドーナよりも、お前がサッカーの神様だったんだよ」

感慨深く呟く高次に俺は声をかけられずに入られなかった。だってあいつボールほったらかして空見上げてんだもん。なんでそんなに熱くなってんだよ。

「高次」

「情けねえ顔してんじゃねぇよ。ホントによ。いくら、いくらお前が振られたからってよ。お前のじ、実力こんなもんじゃねえだろ、もっとしゃんとしろよ」

声が上ずってる高次は手のひらを眼の上に乗っけた。

「あんまこっち見んなよ」

「隙ありだ」

「は?」

俺は、高次の足元からボールを奪った。

「そっちこそ勝手にこっちを神格化してんじゃねーよ。何が神様だ。俺なんかただの中途半端な情けねー男なんだよ。サッカーだってそりゃ三年もサボってりゃナマクラになるさ。それをいまさら一対一で勝ったからって、おめーそれは俺を買いかぶりすぎだろ。何が、俺の理想だ。んなもんプロに抱けっつーの」

「うるせー!」

そう叫ぶと高次はすぐにボールを取り返しに来た。だが今度は簡単にやらせない。俺はいったん後ろにボールを引くとそのままヒールリフトの体勢に入った。現役の俺がもっとも得意とした技だ。

「ブランクあって、んな技成功するか!」

「ばーか、いつでも出せるようにするから、必殺技なんだよ!」

ボールを縦に並べた両足の間に挟み、後ろ足で前足の踵に乗っけて蹴り上げることで、ボールを相手の後ろ側へと送り出す技術。

ヒールリフト。

これだけは、絶対成功させる。

俺は思い切りよくボールを挟み上に向かって踵で蹴り上げた。ボールが宙に浮く感覚。それを信じて俺は、高次の横をかけ抜けた。高次の眼が赤かった。

高次を背後に俺は足を止める。高次も足を止めたのがわかった。

確信していた。

ボールは俺の足元に落ちてきた。

「また、それで抜かれんのかよ」

テンションの下がった高次の声。

「俺の唯一の自信まで奪う気か、この馬鹿」

「いや、そんなつもりは毛頭無いけどさ」

一呼吸おいて高次は空を見上げた。釣られて俺も空を見る。

「やっぱお前サッカーやれよ」

「何で?」

「もったいねぇって」

「そうか? たかだかヒールリフト出来る程度だぞ?」

実際そのとおりなのだ。この技自体は一対一のときのみ有効で実践ではほとんど使われない意味の無い技だ。ドリブルテクニックに優れているほうがよっぽど意味がある。

「ちげーよ。そういう意味じゃねぇって」

「わかりやすく言えよ」

「サッカー好きなんだろ?」

「まあ、な」

「なら、サッカーやれよ」

「それとこれとは違うだろ。俺は団体競技に向いてねえんだって」

いらいらしてくる。俺はサッカーという競技が嫌いなんじゃない。団体行動が問題なんだ。人間関係もわずらわしい。恋愛もそうだ。ふとあいつの顔が思い浮かぶ。黒がやってきそうな気がした。心の奥がもやもやする。

「わっかんねーやつだな、吹奏楽だって、んなもん変わんねぇだろ。お前結局、未練引きずってるだけじゃねぇか。振られたんだからさっさと鞍替えしやがれ」

「無茶言うな。んな一朝一石で何とかしてきたもんでもねぇんだよ。吹奏楽だってな。あれだってな、音坂さんがいる中でずっと続けてきた」

「世迷いごとはどうでもいい。付き合ってるくせに、名前も呼べなかった人間がどうこう言う資格は無い」

俺の言葉に割り込んで俺の世界を高次は叩き割った。そりゃ、そうだけど。

「断言してやるよ。お前は音坂美琴なんかよりよっぽどサッカーのほうが好きだ」

俺はその発言に呆然とする。意味がわからない。というか比べるものでもないだろう。

俺が言葉を発しようとする前に高次は先に口にした。

「音坂が何ぼのもんだよ。お前はっきり言うぞ。裏切られてたんだって。何も知らなかったら幸せだったと思ってんだろ。ちげーよ。お前が愛想を先に尽かしたんだ。どういう意味かわかるか? 付き合いきれなくなったんだよ。求めるものを返してくれない。思うとおりにならない。それが付き合うってことでそれが楽しい? そりゃ、何回かなら楽しいだろうさ。でも、それが毎回なら俺は耐えらんねぇぞ。それが本当に楽しいならお前はよっぽどのマゾだ。違うか? 違わないだろう」

「そのこととサッカーは何も関係ないだろ?」

たまりかねて声を荒げる。

「関係なくねーよ、サッカーだっておんなじだ。ボールを蹴ったからって必ずしも同じとこに飛ぶかわかんねぇ。同じとこに飛んでばっかじゃつまんねえだろ。シュート打ちゃ必ず入る? んなのサッカーじゃねえだろ。ブロックされるからされないようにフェイントをかけるし、入らないシュートが入るから楽しいんだろ? 違うか?」

否定できなかった。何故俺がサッカーを始めたか? それは強い相手をかわすことが出来るようになることが楽しかったからだ。いろいろなフェイントを覚えて、相手を翻弄して、相手に勝利することが楽しかったからだ。

「恋愛だって一緒だろうが。付き合う前も付き合ってからも、変わろうとしなけりゃ何も変わんねえだろうが」

「でも、恋愛は相手の気持ちがある」

「そんなもん捨てとけ。自分がどうしたいかわからせるほうが先だろ。どうせ他人の気持ちなんて理解出来ねえんだ」

頭をガツーンと殴られた気分だった。それは今まで俺がこなくそと頭の中でこねくり回していた論理そのものだったからだ。

「おらボールよこせ」

「あ、ああ」

あまりの暴走的な理論の構築のはずなのに、考えていたことにいきなり決着させられて、呆然としてしまう。とりあえず高次に向かってボールを蹴りだした。それを高次は思い切り振りかぶって俺に向かってシュートを放った。俺はそれをまともに腹に受け、一瞬だけ呼吸が止まった。なに、しやがる。

「好きなら、シュートぐらいびしっと決めろよ。いつまでもグラウンドの周りをつらつらと走ってるやつじゃねえだろ、お前は」

「こ、の」

「いくらでも嫌われて来いよ。キスぐらい何回でもぶちかませ。お前の居場所は俺の隣に作っといてやっから」

俺はよろよろとしながらベンチに倒れこんだ。何とか息をする。つうか、あいつ、まじつえー。ありえねー。なんだ、一対一とか言いながら、かなり手抜いてやがったな。

「で、お前はなんなんだ。俺にサッカーをやらせたいのか、それとも恋愛を成就させたいのか?」

「んなもん自分で決めろよ。好きなほうを選べってことだ。俺が言いたいのは」

といいながらリフティングを始める高次。その姿は俺の記憶にあるただのストライカーの高次ではなくて、サッカー選手として必要なものを備えた高次だった。なんだよ、とうに俺の上行ってんじゃねぇか。

空を見上げる。月が出ていた。まん丸なお月様だ。

サッカー、音坂美琴、吹奏楽、勉強。よーく考えりゃ選択肢はいろいろあるんだろう。そんな中で俺は一体何が好きなのか。

「なぁ、高次」

「んぁ?」

高次はリフティングを続けながら受け答えし続けた。

「まだ迷ってていいのか?」

「当たり前だろ。俺らまだ高校生だぞ?」

馬鹿馬鹿しそうに応える高次。

「俺さ、最近、つうか今日黒いものが出たんだ」

「何だそれ?」

「わからん、もやもやしたよくわかんないもん。振られてからなんだけどさ」

ふーんと関心なさそうに応える高次。だが俺は続けて話す。

「それがさ、広がると俺の思考がなくなるんだよ。あいつのこと考え出して止まんなくなるんだよ。しかも、これで良かったのかってずっと考えんだよ。さっき公園で寝て抜け出せたんだけどさ、まだ、たまに広がんだ。一対一のときも途中でさ、」

「へー」

こんなこと話して俺どうしたいんだろ? わからないまま言葉を吐き出す。

「俺ホントに好きだったんだよ。サッカーもだし、音坂のことだって。でも人間ってそう簡単に変わんないだろ? なら俺どうすればいいんだろな?」

ボールを蹴る音がやむ。高次のスパイクの音が俺に近づいてきた。俺の顔を高次が覗き込んだ。

「両方とりゃいい。好きなら諦めなきゃいいし、また始めればいい。一回終わったことだろ。ならまた始めることだって出来るさ」

「そりゃ理屈だろ」

「確かにな。でも、お前が本当に怖がってるのって、自分の居場所がなくなることだろ?」

「は?」

高次は首を横に振りながらまたボールのほうへと向かっていった。そしてリフティングを再開する。

「昔、お前が言ったんだぜこれ。俺がキャプテンになったはいいけど、試合に勝てないのが俺のせいになるのが怖くてしんどいって、へこんでたときに相談に乗ってくれてさ」

覚えていなかった。というかそんな性格だったかこいつ?

「『お前がもし責められたら、俺のせいにしろ。別に俺はお前が間違った采配をするとは思えないから、試合に負けたとしても、それはお前のせいじゃ無くてやる気の無い周りのせいだから。いつでも俺はお前の味方でいてやるから』って言ってな。滅茶苦茶偉そうだったけど、俺かなり助けられたんだぜ。あれで。だからわかんだろ?」

「あ?」

俺は自分の言ったことに赤面しつつとぼけた。だが、今度は高次をチラッと見るとあいつのかも十分赤くなっていた。それはとりあえずリフティングのせいということにしよう。

「俺もお前の居場所で居てやるって言ってんだよ」

恥ずかしさ紛れに思いっきり高次はボールを蹴り上げた。俺はすばやくたってそのボールの落下地点でタイミングを合わせて踏みつけるようにして、地面にこすり付けた。

「サンキュ」

「こちらこそ」

互いに顔は見なかった。でもそれでよかった。ハイタッチした手と手が互いの居場所と感じられたのはいいことだった。

 唐突な別れ話ではあったものの翌日俺はいつもどおり部活に向かった。いつも通りそこには彼女がいて、俺が笑うと向こうも笑った。その笑顔が少し悲しそうに見えたのはきっと気のせいだと思う。

 俺の黒はこういうところから忍び込んでくるんだと昨日の高次の言葉でなんとなくわかった。あの締め付けるような気持ちは、俺が物事をマイナスに考えようとすればするほど近づき、隙を見せた心に小さな卵を産みつけ、それこそ本当に小さな卵なのだけれど、瞬間的に殻を破った黒は俺の思考を食べて心の中を埋め尽くすほど成長する。その黒の大きさはその想いに比例するほど大きくなる。俺はそう分析した。

 さらにまた、訪れる黒にも、淡い希望が残る群青にも、結局俺の白が勝てないのはネガティブに考える俺の思考故にだった。でもこればっかりはどうにもならないのは確かで、間違いなく俺はネガティブシンキングな男なのだ。育った環境のせいか知らないが、今すぐにこれを変えることは出来ないけれど、これからの生き方次第ではどうにでもなることも確かだった。

 俺は今日から変わるのだ。今まで我慢してきたことを全部やる。そう考えた。

「音坂」

「何? 椎名君」

 俺の思うところは全てさらけ出そうと思った。それが誰にとっていいのかなんて考えない。所詮は究極のエゴ。自分をなくしてまでする恋愛は恋愛じゃない。なぁに、相手がこっちを見ていなかったなら向かせればいい。力石なんてOB忘れさせてしまえばいいだけのことだった。

「昨日は悪かった」

「え? 何のこと」

 音坂はばつが悪そうに周りを見回す。

「昨日言ったことさ、やっぱり取り消す。俺お前のこと好きだった。簡単に諦められるほどお前のこと小さくなかったわ」

「ち、ちょっと」

 音坂は部室から手をとって俺を連れ出した。まあ、部室に他の人間もいたしいきなりあんなことを話し出したからびっくりしたのだろう。

「いきなりどういうつもり? あれじゃ、周りが気まずくなるでしょ」

「どうでもいいだろ。今大事なのは、俺がお前をどう思っているかを伝えるかで、それがお前にとっても重要だってことだ」

「にしたって、いきなり話すこと無いじゃない」

 美琴はそういって必死になっていた。こんな美琴を見るのは俺は初めてだった。嬉しかった。

「初めてだな」

「何が?」

「余裕をなくしてるお前が」

「は?」

 やっぱりどうしようもなく好きだと感じる、これはあの時感じていた黒ではない桃色の感情に近かった。同じく胸を締め付けるものでもかなり違う。この束縛を解くには何が必要なのか、俺にはもうわかっていた。

「ねぇ、もう戻りましょ。私たちはこれから友達に戻ったんだし。もう関係ないでしょ?」

「でも、だからこそ言いたいことがあるんだ」

時間をかけたくなかった。俺は一枚の紙切れを美琴に見せた。

「退部、届け? って、何やめちゃうの? 昨日と言ってることが」

「いや、違わないよ。だってこれは俺の再出発だから」

「言ってる意味がわからないんだけど」

 めんどくさそうに呟く美琴。どうやらいきなりの変化について来れない様子だった。でもこっちとしても別段説明する必要は感じていない。

「俺はこれからサッカー部に入る」

 言葉を失い眼を丸くする美琴。

「勝手だと思うけど、俺のやりたいことを考え抜いた末の結果だと思っている。わかってくれな」

「何それ、そんな自分勝手すぎるじゃん。あんた次期副部長なんだよ。そんなんでいいわけないじゃない」

 まっとうな正論。だけど、それはそれ。俺は俺だ。

「正直言えば俺はお前と一緒にいたい。けど、俺はやりたいことも出来た。それは吹奏楽じゃないんだ。出だしが間違ってたんだ。一から壊れる形で恋愛を作ろうとした俺が悪かった。だからやり直したいんだ。最初から俺は相手に当てはめる形じゃなくて、自分の形とお前の形が重なる恋愛をしたい。駄目か?」

「駄目かって……、もう終わったことなんだよ。椎名君が言ったんじゃない。違う?」

「そうだな、でも、今言ったことは始まりにならないか? なぁ、美琴」

 その一言に彼女の身体がびくつく。

「俺はお前が好きだ。誰よりも好きだ」

 その言葉が俺の何かを解放した。そう、黒という名の俺を結び付けていた鎖をはずした。単純な自己という名のカギがそこにあった。

「付き合ってくれ」

 黒にはもう縛られない。黄色いカギを胸に差し込み俺は心を表にひらいた。その結果は全て自分に返ってくる。良くも悪くも、でもそれは主観でしかないのだから全て明るく受け止めよう。

 今の俺にとってそれが大事なことだ。

 彼女の返事を待った。その答えが大事なんじゃない。その答えをどう受け止めるかが大事なんだ。

「私は」

「美琴、嫌なら、突き飛ばしてくれ」

 俺は彼女を抱きしめた。好きだから。愛しているから。それだけで理由は事足りた。心が知らないもので満たされていくのを感じた。心地よい白。全てをそこに溶けていってしまいたくなる白。

「絶対幸せにするから」

 呟いた瞬間俺は全てを手に入れた気がした。

 美琴が俺の身体を軽く押し返した。

「ごめんなさい。好きになれる自信が無い」

「なら好きにする」

「でも」

「嫌いなら振りほどけばいい。自分の気持ちを晒してくれないと俺はこの鍵をはずさない」

僅かな抵抗が失われた。

「嫌いになるなら、徹底的に嫌いになるよ。でも、できるわけない。だって好きだったのは本当なん」

最後まで言わせなかった。抱きしめただけではすまなかった。もう何も気にしなかった。俺は彼女の口を自らの唇で塞いだ。

三ヶ月間閉ざしたままだった心の扉を開けたのは俺の心だった。最初からカギは持っていたのだ。俺は気づかなかっただけだった。

二人の白は今確かに交じり合っていた。

「で、今こうしてお前と合間見えるとは思わなかったけどな」

「実際大変だったぜ。ブランクは案外あったもんでな」

「でも、それでも努力で埋めちまうお前がすげーとこだよ」

 俺と高次はフィールドで向かい合っていた。うちの高校の招待試合。記念試合ということで、高次の高校が招かれていた。無名校対名門校。結果は明らかだったが、何が起こるかわからないそれがフットボールの面白いところだった。

「じゃ、そろそろ試合開始だ」

「ああ」

 俺たちはそれぞれのポジションに戻った。あれから俺の心は黒い鎖に縛られなくなった。もちろん、その卵が植えつけられても、俺には美琴がいた。高次もいた。

 俺たちは誰かとつながることで、自分を作っていく。その居場所にいられる。その居場所を開けるカギはそれぞれが持っていて、でもそれを見つけるためには自分の心を、居場所をさらけ出さないといけない。俺たちは不器用だ。そんな時代を生きている。でも、だからこそその時代の一分一秒を生きていたいと思う。

 さぁ、時間だ。

 審判の笛。

 ボールが宙を舞った。

あとがき

どうも、久々の更新なのにオリジナルですみません? の米野です。

はい、今回は恋愛小説というかこっぱずかしい恋愛小説を書かせていただきました。

楽しんでいただければ幸いです。

 

これからのこと

とりあえずメインはオリジナルと二次創作の短編。

しばらくは長期連載はしない予定です。

恋姫の連載は止まっていますが、キャラクター確立のために一度次世代編は何十話か短編を作っていこうと思ってます。それくらいあればキャラも把握できるでしょう。

新時代編はとりあえず邪馬台国へ旅立った曹魏ですが、面倒なのでさらに東にいくか。一度、大陸を迂回するようにして世界を一周させる予定です。まぁ真桜の力があれば、割と何でも出来るのではと思ってます。

 

そういうことで今回はこの辺で失礼いたします。

ごきげんよう!


 
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