二人の戦い方はそっくりだった。それもそのはず、優麻が由姫に戦いを教え、由姫は優麻からその全てを学んだのだから。今の二人は、先輩と後輩、教師と教え子の域を出た、一人の戦士の片割れだった。
戦いの中でしか交わることなく、完成することのない、一つの歪な生命のカタチ。
幻の刃が煌めく。跳躍すれば避けられる。くるぶしを狙えばかわされ、拳は受け止められた。
永遠に続くかと思われたそれにも、終わりは唐突に訪れた。
一瞬だった。
由姫の拳の弾幕と、嵐のような脚撃の前に、ついに優麻の左の幻想剣が砕けた。優麻が新たに剣を錬成する前に、由姫は己の持てる速度の全てをもって、最後の攻撃を叩きこんだ。
右脚で蹴りを入れ、重心を低くし、さらに右の肘打ちに繋げる。打ちだした力を利用して身体を回転させ、さらに左の肘打ちをぶち込む。連続して負荷がかかった幻葬の守りも破られ、まず、優麻の左腕がその役目を終えた。
由姫の攻撃は続いた。腰のひねりを加えることで反転の力を衰えさせることなく、連続してもう一度右脚による蹴りを繰り出し、続けてバック宙でもするように両の脚で蹴りあげる。下から突き上げられた優麻の身体が、宙を舞った。
それを追って、由姫も跳躍。一息で優麻より高い地点まで跳び、地面に向けて蹴り落とす。
――これで――
地に叩きつけられる優麻。衝撃で肺から空気が絞り出され、その口が酸素を求めて喘ぐ。既にその身に幻葬の加護はなく、彼は全ての攻撃を生身の身体で受けていた。筋肉は裂かれ、骨は砕かれ、内臓も無事か解らない。それでも、その眼はしかと、由姫の姿を見つめていた。弟子が自分を越えた事の嬉しさと、最後まで目的を果たせなかった悔しさを湛えて。
「終わりです!」
穿つ。
上空から、由姫は優麻に覆いかぶさるように着地し、己の拳を――
『魔術師殺し』をその身に撃ち込んだ。
『魔術師殺し(エクスキューショナー)』とは由姫の持つ固有術式だ。かつて彼女の持っていた高い魔力の伝播、発散能力に目を付けた優麻が編み出した、その名の通り対魔術師戦における切り札である。
魔術師の持つ魔力というものは通常、生体エネルギーとして専用の経路を通り術者の体内を循環している。術式を使用する際、魔力はそれぞれの術式に対応したプログラムによって複雑に編み込まれ、結果としての現象を生み出すのである。
そこで術者の魔力のみによって形作られている術式に外部から構成要素として別の魔力を無理やり組み込むとどうなるか。互いの魔力が反発しあい、そこから歪みが生じ、崩壊してしまうのだ。
由姫はこれを術式ではなく、魔力経路に対してやってのけた。相手の魔力経路に自身の魔力を強制的に送り込み、異物の侵入を察知した相手の魔力はこれを排除しようと活性化する。この反発現象が魔力経路を伝播し、やがて経路全体が暴走。対象の肉体をその内側から破壊する。発動の直後に相手の身体が吹き飛んだなど、ざらに起きた話だった。術者の身体を破壊するのは術者自身の魔力であり、由姫はただ、そのきっかけとなる少量の魔力を撃ち込み、広げてやるだけだ。
しかしこれは、あくまで『普通の』魔術師が相手の場合。
優麻の全身には、打ち破られたとはいえ、『幻葬』による打ち消しの力が残っている。加えて彼が戦闘中に魔術を使わず、必要以上に魔力経路に負荷を掛けなかったのが幸いし、最大の効果を得ることはできなかった。
それでも、優麻の身体をズタズタにし、戦闘不能に追い込むことは充分に可能だった。
気を失う前、僕が最後に感じたのは、全身を駆け巡った猛烈な圧力と激痛だった。絶叫より先に血反吐が迸り、全身の筋肉は痙攣し、神経は引き裂かれ、身体がバラバラになるかと思った。こうして生きているのも、全身に纏い、今なお右手でその力を生み出し続けている『幻葬』の恩恵だろう。痛みが消え、大分楽になった。いや、消えたのは痛みだけじゃない。
倒れた地面の冷たさも、膝枕をしてくれている由姫の温かさも、優しく髪を梳いてくれる彼女の手の感触も感じない――
僕はもう、何も感じてはいなかった。
「……沙…耶……」
何も感じない、ガランドウの心に、まるで命の灯のように一つの思いが湧きあがった。ここで倒れてはダメだ、という曖昧ながらも強い感情が僕を支配する。
何故?どうして?何のために?
「沙、耶……」
そうだ、沙耶だ。ここで倒れたら、全てが無駄になる。また、彼女を失ってしまう。魔術を捨て、居場所を捨て、友人を捨て、全てを捨てて掴んだ『幻葬』の力。これからだっていうのに。これから、やっと始まると思ったのに……!
「…沙耶…!」
いやだいやだいやだ!まだだ、まだ終わらない!終わりたくない!!
あの時護れなかった自分が許せない。間に合わなかった自分が情けない。もう、あんな思いはしたくない。
ここで、この場所で二度も、沙耶を失いたくはない!
必死になって、右腕を伸ばそうと躍起になる。しかし、焦りと恐怖に駆られた僕に対して、身体はピクリとも動かない。まるで、僕の手足ではないかのように。
「……先輩」
右頬に、ポタポタと水滴が落ちてきた。感じることはできなくても、それが由姫の涙であると、記憶が伝えてくれる。
「由、姫……」
泣いてるのか?――
もう、声になっているかも解らない、かすれた息が僕の口から出た。
「もう、十分ですから……」
動かぬ身体を引き寄せられ、抱きしめられる。
「もう、大丈夫ですから……!」
由姫は、泣いていた。泣きながらも、僕の身体を抱いていた。強く。強く。何かを刻みつかるかのように。
敬愛。親愛。そして――恋慕。
想いを、刻みつけるかのように。
「だから……」
その時、僕は由姫が次に紡ごうとしている言葉を直感的に理解した。胸に宿った灯が、風を受けたように揺らぐ。ダメだ。言わないでくれ。それを言われたら、認めてしまったら、僕は――
もう、沙耶はいない。帰ってこない。時の流れは不可逆だから。
僕はそれを理解していることを知っていた。理解してなお、知っていてなお、そこから目を背けたことも解っていた。
本当は沙耶のためなんかじゃない。そうしなければ、失ってもなお『沙耶』に頼らなければ、僕は生きられなかったからだ。
大切な人を護れなかった自分で自分が許せなかった。そして僕には、失くした心の虚を埋めるための手段もなかった。ぽっかりと穿たれた、沙耶の形をした虚。
だからそれにすがりつき続けた。一人で沙耶を救う気になって、勝手に全てを放り捨てて、誰にも望まれない復讐を語った。彼女は何よりも、自分のせいで誰かが傷つくのを嫌った優しい女性であることも忘れて。
何故?どうして?何のために?
誰のために?
沙耶のためにと口ずさみながらも、僕が彼女にしてあげれたことは何もない。ただ、自分に都合のいいストーリーをでっちあげて、そこに逃げ込んでいただけ。
ああ、なんて――
なんて空虚で哀れな、カラッポの幻想。
「『誰か』のためじゃなくて、『沙耶先輩』のためじゃなくて、『自分』のために生きて下さい!!」
そうだ。僕が欲しかったのは、力でも何でもない。
「僕は、許されたのか……」
ただ、誰かに許して欲しかったんだ。
「……はい」
「もう、いいのかな……」
「もういいよ」って、言って欲しかったんだ。
「!……はいッ!」
何よりも、その言葉の温もりが。
「由姫」
彼女の耳元で囁いた。今から、最後に何かができるなら。『自分の意志で』、この虚な穴を埋めることができるなら。
「頼みたいことが、あるんだ」
どこまでも、白が続く空間だった。
どうやって来たかは解らない。遊びに行こうと家を出たら、いつの間にかここにいたんだ。
知らないところだけど、不思議と怖いとか帰りたいとは思わなかった。だって、俺がよく知っているヤツと同じ、安心できる空気がそこには満ちていたから。
「やあ、また会ったね。当麻くん」
やっぱり、いた。
いつの間にか俺の前に立っていたアイツ――優麻は微笑んだ。
「当麻くん、僕ね、これから遠くに行かなきゃならなくなったんだ」
唐突に、優麻が口を開いた。
「へ?昨日帰ってきたばっかじゃないかよ。もう出ていくのか?」
「うん。急に用事が入ってね」
優麻はいつもそうだった。一緒に遊ぶ約束をしても、すぐにどこかへ行ってしまって。毎回毎回、果たされない約束だけが残されてきた。
「次はいつ戻ってこれるか解らないからね。当麻くんにはちゃんとお別れを言っておこうと思って」
屈んで俺と目線が同じ高さになった優麻の右手が、俺の頭に乗せられた。そのままゆっくりと頭をなでられる。
「僕にはどうしても護りたかった大切なものがあったんだけどね、護れなかった。僕は本当にどうしようもないヤツなんだと、死ぬほど後悔したよ」
頭をなでる手は暖かくて、優しかった。
「いつか君も、そんな存在を得ることになると思う。そしたら絶対に手放さないようにして欲しいんだ。これから君が生きる長い時間の中で、楽しいことや嬉しいことより、辛いことや悲しいことの方がはるかに多いと思う。それでも、何があっても、大切なものだけは護り通して欲しいんだ」
優麻は立ちあがった。そのため、自然と右手も頭から離れる。
「約束、できるかい?」
そう言って優麻は右手を差し出してきた。約束してくれ、と言うように。
正直、俺にはよく解らなかった。優麻が何を言いたかったのか。
「ああ。解った」
でも何かが、俺にそう答えさせた。懺悔するように、祈るように言葉を紡いだ優麻が、なんだかすぐに消えてしまいそうなくらい儚かったからかもしれない。
「絶対に護ってみせるよ。俺の分だけじゃなく、優麻が護れなかった分もさ」
幼いなりの正義感や責任感、解らないけど『答えなきゃ』っていう強い気持ち。そんな曖昧な気持ちがごちゃ混ぜになって、一気に流れ込んで来たからかもしれない。
「だから安心しろって。な?」
それでも、俺は自分の言葉で答えて、優麻の手を握った。
「うん。ありがとう」
優麻が、笑った。悲しみも、苦しみも、全てを取っ払った、どこまでも澄み渡った青空のようにキレイな笑顔だった。
優麻が右手を握り返してくる。強く、強く、そこに何かを残そうとするように。
それが自分の生きた証だと言うように――
「それじゃ、お別れだ」
こちらに背を向け、優麻は歩き出す。遥か地平の彼方、白い光の向こう側へと。
「優麻!」
堪らずに、俺は走り出していた。このまま突っ立っていたら、二度と優麻に会えないような気がしたから。優麻との距離はどんどん開いていく。追いすがっても追いつけない。俺が走れば走るほど、白い光は強くなる。それだけ優麻は遠くに行ってしまうようにさえ感じた。
「ごめんね、当麻くん」
一瞬、優麻が振り向いた。それはいつも、アイツが勝手に家を出ていくときと同じ言葉。ただ、終わりの方が少し変わっていた。
「これで、最後だから」
走った。
「花火大会に行こうって約束しただろ!さっきだって次に会うまでの約束しただろ!他にもたくさん約束があるだろ!なのに『最後』ってなんだよ。全部ほったらかして逃げるのかよ!!」
走り続けた。
「行くなよ!優麻!」
もう、優麻は振り向かなかった。
「優麻!!」
懸命に伸ばした手は、ついに届くことはなかった。
茜色に染まる空の下、目覚めたとき、僕の頭は再び由姫の膝の上に戻っていた。
僕が由姫に頼んだことは、僕の意識と当麻くんの意識を一時的に繋げてもらうことだった。
「『幻葬』の力を、渡したのですね?」
由姫の問いかけに、うん、とだけ答えた。僕の右手に、もう『幻葬』はない。新たなる約束と一緒に、彼に託してきたのだから。
「これで僕には力も何もない。ただの『上条優麻』だ」
それでも、最後に彼に会えてよかった。彼なら、きっと護ってくれる。僕に護れなかったものも、きっと護り通してくれる。
そう、約束したんだから。
「けどなんでだろう。全部終わって、すごく気持ちがいいんだ」
由姫が髪を梳いてくれる。もうずっと昔に、母さんがそうしてくれたみたいにゆっくりと、優しく。
『絶対に護ってみせるよ。俺の分だけじゃなく、優麻が護れなかった分もさ』
「ごめん。安心したら、少し眠たくなってきた」
温かい。それに身体がふわりと浮きあがりそうになるくらい、軽く感じる。
瞼が下がりかけるのを何とか耐えて見上げると、由姫は微笑んだ。その双眸に湛えた涙を隠そうとするように。
――ああ、ホントに、由姫には迷惑を掛けてばかりだ――
「……ねぇ、由姫」
「何ですか?先輩」
だから、僕が僕でいられる間に、これだけは言っておきたかった。
「ごめん。そして――」
ありがとう
紅が差した彼女の頬を、一滴のしずくが流れ落ちた。一度決壊してしまったそれは、最早留まることはなく――
『だから安心しろって。な?』
「おやすみ、由姫……」
適当な時間に起してくれると嬉しいな、なんて思いながら。
失ったあの日の、幸せな夢が見れることを祈って。
僕は瞼を閉じた。
最後のその時まで、僕は笑顔でいることができた――
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訪れる終焉の時。
最期の瞬間に、青年は何を思い、何を描くのか。