縮地――最速の移動法――は傷が完治していない今の俺には負担が大きく結果的には孫策を守れたが、自粛した方がよさそうだ。
「まさか貴方に助けてもらうなんてね」
袁術の居城へと進軍させる道程で孫策と言葉を交わす。
「ついこの間までは殺し合っていたのだから驚くのもしかたありませんよ。それにしても俺が生きていることに驚かないのですね?」
巷では死亡説が濃厚な情報として流れている。
「勘が貴方は生きているって訴えてくるのよ」
「勘……ですか」
孫策の答えに苦笑を浮かべた。時に勘はどんな情報よりも的確な道を導き出すと噂されるが、彼女の場合は特に鋭いらしい。歴史に語られる英雄も勘で戦況を一転させた伝説も残っている。
「やはり孫策殿は英雄の器ですね」
「私からすれば貴方の方がよっぽど英雄よ。それと雪蓮よ。命の恩人に真名を教えないのは孫伯符の威厳にかかわるわ」
「では自分のことは翡翠と。命の恩人である姉君ですからね」
不思議な所で俺と雪蓮の因果関係が結びつく。互いに命を助けられた同士、できれば友好関係を築き上げたい。
「では私も真名を許そう」
左方から馬を並べてきた周瑜。
「冥琳だ」
「翡翠です。かの周瑜殿に真名を授けられるとは光栄の極みです」
董卓連合に参加していた時に何度も苦渋を味わせられた記憶がよみがえってくる。奇策と基本を織り交ぜた戦術に何度も苦戦を強いられた。
「まさかあそこまで策を看破されるとは思っていなかった」
「もうこりごりです。願わくば冥琳殿とは手合せしたくない」
「自分の望んだ結果を生み出した翡翠殿に褒められるとは、なかなかどうして……悪くないものだ」
褐色の肌に鮮やかな色彩を輝かせる唇が吊り上り、笑みを浮かべる。
「しかし翡翠殿もなかなかに頭の回転が速いとみる。今度戦戯盤で一局」
勝利と生存を既に確信している冥琳は未来の誘いをしてきた。
「お手柔らかに。されど油断は大敵ですよ。……まぁ、冥琳殿にはいらない気遣いでしょうが」
冥琳が浮かべる確信は袁術の弱さからくる油断ではなく、今まで耐えて忍び築き上げてきた万策による確信と自信。冥琳の余裕の笑みと態度がそれを証明させてくれる。
「油断は董卓討伐戦の時に十分と味わったのでな」
冥琳が導き出した被害を遥かに上回った董卓討伐戦。連携は望めなくても英雄が集う連合軍の圧勝を描いていた最初で最後の冥琳の油断の一戦だった。
「ぶーぶー! 冥琳だけ翡翠と仲良くしすぎ」
頬を膨らませながら雪蓮は嫉妬していた。刃を交えている時とは鬼気迫る覇気だったが、今は接しやすいお姉さん的な感じがする。お嫁さんにするには気苦労しそうではあるが。
「ほ~う、私の忠告を再度無視した挙句、命の危険まで晒しておきながらまだそんな戯言を口にするか……」
微笑んではいるが張りつめた空気が心情を表していた。
「いや~ん、冥琳怖~い。助けて翡翠」
器用に馬同士をくっつけてくると腕に絡まってきた。
「ほ~う……翡翠殿は私ではなく雪蓮の味方をするのか?」
冥琳の怒りが飛び火しかけている。そもそも俺は感謝されることはあっても怒られる事は何一つしていない。それに話を聞いた限りでは雪蓮が悪いのは明白。なので、
「雪蓮殿、雷が完全に落雷する前に謝罪しておくべきかと」
冥琳の味方をした。
「うわ~ん、翡翠が裏切ったよ。助けて蓮華」
次は妹にすがる呉王にして長女。威厳も何もない。
「姉様、また自ら前線に赴いたと聞きました。前からあれほど―――」
姉思いの蓮華の説教が開始した。逃げる暇さえ与えられない雪蓮は黙って聞く。両目から滝のように流す涙で助けを懇願してくるが誰ひとりとして助け舟を出す者はいない。主君が困っているのに不忠な重臣かと思われるが、説教中にも関わらず自然と笑みをこぼしてしまう和やかな雰囲気が呉なのだと思う。それとあの蓮華を止めることもまた至難の技であることも理由のひとつだったりする。
袁術の居城が眼前に聳えだっていた。門前には白銀の鎧に包まれた大量の兵士とそれを率いる大将軍の張勲が陣を敷いていた。第一波の軍勢や情報から理解していたが、実際目にするとその数を実感する。
「まだあれだけの兵士がいるのか」
冥琳は前方に立ち塞がる袁術軍を見て呟いた。
「兵の個々能力は大したことはないとはいえ、面倒事には変わりなしですね」
第一波で戦った兵士は大したことはなかった。だが数の暴力には勝てない。
「でも安心してください。しっかりと援軍は呼ばせてもらいましたから」
「援軍?」
聞き覚えのない事に首を傾げる冥琳だが、すぐして援軍の意味を理解した。
「間に合ったようですね」
後方からの砂塵を確認して俺は微笑む。漆黒の鎧を纏い、天に漆黒の軍旗を掲げながら馬を迫ってくる一軍。旗の中心には【明】の一文字が刻まれ、星形が囲む。僅か数千の義勇軍でありながら、英雄たちを苦しめた伝説の義勇軍、その姿だった。
「頼りになる援軍ね」
説教に項垂れていた雪蓮の復帰の第一声は歓喜を帯びていた。
「そうだな。それも当時より数も増え、武器も強化されているようだ」
数千の明星軍は万を超える軍となっていた。董卓討伐戦から歳月はあまりたっていないにも関わらずだ。その急成長の影には月たちが関係してくる。簡単なこと。月が俺に仕えることで将兵が明星の配下についただけのこと。これは余談だが華雄も今では猪は解消されて立派な将軍になっている。
明星軍と呉軍が合流した。明星軍を率いていた聖は翡翠の前に姿を見せ、片膝を地に添えて平伏した。
「ご無事で本当によかったのじゃ、主」
目尻に大量の涙を溢れさせながら震えた声音で口にした。その背後に同じ形で平伏する将兵たちも涙を流す。
「生きていて本当に良かった! ほんとうに……よか…えぐ」
枢はえづきながら笑みを浮かべて涙を流す。
「まったく心配したんだぜ、旦那」
毅然としながらも壬は涙を流していた。
「主様! 主様~!」
「え~い、鬱陶しい! だきつくな」
主と泣き叫びながら椛に抱き着く昴。椛は言葉では鬱陶しいと発言しているが、昴を引き離そうとはしていない。それと少しの間に幾分か多弁になっている。
「皆には迷惑と心配をかけたな。まだ傷は完治したわけではないが命に別状はない。これからも頼む」
「御意!」
「今回は孫策殿に助力する。戦の準備を始めろ」
久しぶりの命令に快く将兵たちは頷き、準備を始めた。
「翡翠があの明星の頭首だったのか!」
その光景を見ていた蓮華は驚愕していた。
「知らずにいたの? 呆れた妹ね」
「主に北で活動していたらから仕方ないさ。それに名前が大陸全土に知られているのはあの戦いがあったからで、それまでは小さな義勇軍でしかなかったからな」
皮肉にも董卓討伐戦以降から明星の名は知れ渡った。それまでは北方を転々としていただけに江東には名が届いていないのは当然だった。だから袁術を斃して居城にするつもりだった。名も知られていない義勇軍だけあって油断すると考えたからだ。それも白紙で終わったが。
「しかし主不在でも軍事力を強化して時を待つ。よほど従事されていなければあり得ないことだ」
「ありがとうございます」
冥琳の褒め言葉にお礼を述べた。
「さて、最強の助っ人が来たことだし孫呉の第一歩を踏み出す戦いを始めましょうか」
雪蓮は前方に立ちはだかる袁術軍を見据えて戦の産声を鳴らしたのだった。
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邂逅と呉の発足