SEED Spiritual PHASE-117 世界の求める卑劣な決断
統合国家オーブの中心オーブ諸島がイマジネーター率いる国家に包囲されたとの報は彼女の元にまで届いていた。
「なぜザフトは動かないのです!?」
巨大宙母〝ゴンドワナ〟の最奥に位置する司令室、そう叫びながらもラクス・クラインは理解していた。月の完全制圧は叶わないほど、敵の勢力は強大だと思い知らされた。この状況で〝フリーダム〟、〝ジャスティス〟を初めとした中核戦力を地上に貸し出すわけには行かない。何より今喉元に刃を突き付けられているこの状況では友好国にすら何かを施す余裕も――
「無理です。既に月からの敵艦隊は確認されている今、これ以上地球に送る余裕は……」
オーブが襲撃された。いや、現在進行形で襲われている。心情的には今すぐにでも解決策を送りたい。だがそれは現実に照らし合わせて可能と言い切れることなのだろうか。自身を捨てなければ戦力を送ることなどできはせず、よしんば余裕があったとしても間に合うかどうかが未知数である。
「ですがこのままではオーブが……!」
現在のオーブが月と同等の戦力を相手にできるかと問われれば……信じることは難しい。
今になってデュランダルによる〝ロゴス〟狩りの影響を思い知らされるとは思わなかった。あの影響で健全な政府というものが見あたらなくなった。裏世界を牛耳っていたあの組織と関わりのないトップ、と言うものは存在せず、〝ロゴス〟に依存し、骨抜きにされた結果リーダーシップを発揮する存在が全滅していた。
地球圏汎統合国家はそれを補うため、『大戦の英雄』という価値を戴かせて世界をまとめようと言う構想であったが、それが順調に機能するよりも先に〝ブレイク・ザ・プラネット〟が世界を震撼させた。救いようがない。
「ラクス様、今は目の前のことに対応するしか……」
愁いを含んだ議長の眼差しに皆が一同に押し黙る。どうしようもない。
――「歌のないお前に、一体何の価値があるというのだ」
――クロとティニと呼ばれていたか……。今世紀最大のテロリスト達が残したデータなど身の破滅にしか繋がらないと皆に諫められながらもラクスは使命感に突き動かされ、アプリリウス市立図書館の奧へと足を踏み入れていた。
「まぁ、〝プラント〟にこんな場所ありましたのね……」
「ラクス様、お気をつけ下さい」
闇をかすめる和えかな電子光……。この通路に踏み込んだ瞬間宇宙空間に放り出されたような錯覚を味わった。電子機器から発する電磁波の影響か、肌を弾くような感覚に襲われている――歩を進めるとそれがより顕著になる。更に歩を進めれば、痺れの正体が判明した。――が、意識は電磁障壁には向かなかった。
「な……」
「こ、これは、生物……なのか?」
地球外生命の存在を示す証左。ラクス・クラインは言葉を失った。見上げるほどの黒い巨体。装甲を纏った鯨を思わせるその姿は、議事堂に展示されている羽根鯨の化石を思い出させる。
「……これが、〝エヴィデンス〟…!」
緩やかな呼吸を繰り返していた黒い巨体が揺らぎ、その双眸が開かれた。生暖かい鼻息がビル風じみた勢いで吹き付けられる。紅い瞳が降ろされ、ラクスの姿を認めると、硬質な瞼が思い切り見開かれた。
「……クエストコーディネイター…!」
予想外に響かない、人のそれと遜色ない声が彼女の全身を震わせた。
「お前は、シーゲルの?」
ラクスは頷いた。父は、この存在を知っていた――もしかしたら、考えたくないことだが……、この存在が自分の親と呼ぶべきモノなのかもしれないのか。ラクスはその考えを意図して払拭した。
「はい。わたくしがラクス・クライン。あなた方が望む……支配者の片割れです」
「おぉ……ならばお前はシーゲルとパトリックの意志を継ぐというのか?」
ラクスの眼は我知らず険しさを増した。その問いにはもう答えている。彼にではなく、心に刃を突き刺す存在達に。
「わたくしはキラと――心が決めた人と共に歩みます。あなた方の支配を受け入れる未来を…人としての生とは認められません」
羽根鯨が呆けたように口を開いた。その口が骨の軋むような音を立て閉じられると呻くような声が髪を靡かせる。その風と共に疑念が吹き付けられた。
「お前には未来が見えるのか?」
眉を顰めたものの、ラクスは当然と首を横に振った。〝エヴィデンス〟はそれを当然と受け止めながらも落胆の気配を見せる。
「子供は未成熟である」
眉をひそめる。
「大人は…完全にはほど遠くとも子供より熟達し、優れた存在だとは考えぬのか?」
「……何が仰りたいのですか?」
蒸気のような鼻息が電子機器達を揺らめかせた。
「親の意見も聞かず、自らの正しさにのみ固執する存在が希望へ辿り着けるのはごく希だ」
英雄は特殊な状況下でしか生まれない。「一人を殺せば犯罪者だが百万を殺せば英雄だ」とはよく言ったもの。覇王も英雄も一人でいいが、それを支える凡庸は無数に必要となる。彼らが祭り上げられることはない。が、彼らがいなければ英雄が祭り上げられることもまた、有り得ない。
「儂に従うことが、生きることとは認められぬだと? 巫山戯たことを……。それが破滅に続く選択ではないと、未来も読めぬお前がなぜ言える!?」
化け物の絶叫が大気を激しく震わせた。護衛を自負した屈強の男達が格の違いを見せつけられ、肉の盾となる自信すら失い後ずさる。しかし守るもののなくなった平和の歌姫は意志の力を総動員し眼前に結界を張り巡らせていた。辛うじて受け止めた巨神の憤怒、ラクスはその感情に反論を突き刺した。
「全てが優秀になることが、間違いと? 英雄は何も戦士だけに与えられる称号ではありません。あなたのものの見方は偏っているとわたくしは考えます」
羽根鯨の固い瞼が細められた。彼――そう呼び示すべき存在なのかは疑問が残るが――は長い沈黙を挟んだ後、ラクスの目を見ることなく呟いた。
「人通りのないレッドシグナル。お前は止まらないのか?」
「……?」
問い返すも、羽根鯨は訥々と続ける。
「汚れた席を避け、先んじて座り、感じる罪悪感はなんだ? 自分を優先させなければ生き残れないというのに」
知識の根幹が違うとでも言うのか。ラクスは意味の採れない魔物の言葉に問いかけることを止める。
「自分勝手を通し他者を圧殺するもの、縁すらなき者を救い自らが傷つくもの……お前はどちらが世界に対して有益だと考える?」
呟きは唐突に問いかけへと変化した。虚を突かれながらも彼女はその問いかけを反芻する。
「……後者です。わたくしもそうありたいと思います」
かぶりを振る〝エヴィデンス〟。哀惜の気配は内に向かうものなのか外に向かうものなのか彼女には判別がつかなかった。
「だが生物として最後まで生き残るであろうは、前者だ。後者が身を挺し全滅する可能性と前者がすべからく考え直す可能性、どちらが高い?」
ラクスの沈黙に、巨大な彼は溜息と共に首を横に振った。
「だから支配者が必要だとは思わぬのか? 後者を守れる力ある正義の伝道師が。儂はお前にそれを期待していたのだ。それが、それが認められぬ支配と抜かすか!」
――彼女が正義を体現する。その彼女を、全ての人間が愛する。彼女に「好かれたいがため」皆がその正義を模倣する。かくて世界は平和となる――それがこの怪異が描く理想郷、その理想を体現する「彼女」がラクス・クライン、いや、ラクス・ザラだかアスラン・クラインだかの…子というわけなのか。ラクスはその様子をありありと思い描け、そんな自分に息が詰まる思いに苛まれた。
「わたくしの支配など受けずとも、人は、未来はあなたの希望をつかみ取れます。その可能性は信じられます」
「希薄な望みだ!」
「だとしても、押し付けられる未来――支配では人は人ではなくなってしまう。わたくしは先の大戦でそれを学びました」
異形の存在は沈黙している。ただ目元だけを揺らめかせて。
「あなた方に望みがあるようにわたくし達にもあるのです」
異形の存在は瞑目した。そこに揺らぎはもう見られない。ラクスは自らが口にした正しさを反芻した。そこに偽りはない。人が自己に誇りを抱き続けるためには、〝エヴィデンス〟の支配は受け入れられない。
「…………、………………その、『望みを押し通せる力』を持たなかったとしても、お前は……お前自身がそんなことが言えたと思うか?」
ラクスは、彼の怒りに眉間を固くした。
「言えるわけなどない。地べたを這いずる最下層民としての扱いを受けては尊厳など語れようはずもない。種の存亡をかけながら希望など詠えるはずもない」
続く彼の一言に彼女は絶望を教えられた。
「歌(ちから)のないお前に、一体何の価値があるというのだ」
想像したこともない。コーディネイターとして生まれつき与えられていた資質は手足と同義。切り離して考えられるものではなかった。
「我等の窮状に、貴様の言葉などいっぺんも価値はない。消えろ。二度とわしの前に姿を見せるな失敗作」
ラクスは瞑目した存在に哀れを催した。言葉がもたらした異常な痛みを噛み締めながらその存在に背を向ける。癒す術など持ち合わせてはいなかった…。
「……意識をモノとしか見られないあなたに、世界を支配する資格などありません……!」
「――様! ラクス様!」
思い出すだけで鋭く心臓に突き刺さる言葉が彼女の意識を奪っていた。管制からの呼びかけにはっとし、今を思い出す。
(わたくしに全てを救うことは、できない、と?)
幾度となく訪れたオーブの海が思い起こされラクスは唇を噛み締めた。思い出と人命どちらも秤にかけるものではないというのに世界はしばしば卑劣な決断を求める。
「………月の掃討を優先させます。ザフト宇宙艦隊は〝アイオーン〟を確認次第、出撃して下さい」
「〝エターナル〟が間に合う可能性は……」
キラなら間に合う。そう信じる。
「仕方ありません。彼らを〝プラント〟に踏み込ませるわけにはまいりませんから」
アイリーン・カナーバは連行された。誘導と銘打ってはいるがこれは連行だろう。究極のテロリスト、クロフォード・カナーバの情報源とでも目されているのか、事ここに至り自分を拘束することにより不安要素を削りたい……そんな腹づもりなのだろう。
「わたしは孤児院で構いませんよ。〝セプテンベル〟と運命を共にしても本望ですけど」
「そう言うわけには参りません」
慇懃無礼に周りを囲まれ〝アプリリウス〟のどこかに降ろされる。シェルターに保護されると聞いているが――よく知る議場へのルートとは異なる道へ案内された。さもありなん。所詮は『元』議長、今は代議士にもなれない一市民が最高意志決定機関に踏み込もうなどおこがましい。況やVIPクラスのシェルターに保護されようなどと……。
「B‐6のシェルターなら場所知ってますよ。特に護衛など着いてくれなくても――」
彼女の話を聞きもせず、小銃を構えた護衛の群れは先行した。
「ここでしばらくお待ちを……」
扉に手をかけた兵士はこちらに最敬礼を返すと扉の奥へと消えていった。応接室に通された、地下牢でなかっただけまだしも自分の地位が認められていると言うことだろうか。
(………地下牢か。コーディネイターの土地にそんな前時代的な施設があるのかしらね)
あるような噂を聞いたことがある、議長職をもう一年続けていたら、臨時が臨時で済まなかったら自分もその真相に踏み込んでいたのだろうか。
コツ、コツ、コツ……。
見上げればアンティーク調の柱時計。緊張からアテにならない腹時計より遙かに精確な今を教えてくれる。仮にも「避難」している今、個人の欲望を優先させるのも如何なものかと思うには思うが、気になるものは気になる。
「何か出してくれるんでしょうね?」
扉に向かって毒突く。無論返事を期待してのことではないが、余計なことは報われた。答えるように扉が開く。アイリーンは驚愕した。
いきなり男が入ってくる。恰好はザフトの軍人然としているがどこかおかしい。自前のものではあるまい。
「……どちらさま?」
毅然としたかったが隠しきれない恐怖は僅かに声を震わせた。男が素早く扉を閉じ、燭台を拝借してかんぬきとした後こちらに応え振り返る。アイリーンは眉根を寄せた。
「…あなた、テレビなんかで見たことあるわ」
男が扉に手を突いたまま眉根を寄せた。
「おれも、そちらさんを見たことある気がする………」
警戒心をありありと表現したその様子はなつかない猫のようだが隠しきれないその殺気は獅子を連想させる。
「……思い出した。カナーバ前議長じゃないか?」
思い出されて光栄だが思い出されるような存在では暗殺対象には選ばれまい。アイリーンは警戒心を僅かに下げると侵入者を観察する。懊悩は直ぐさま記憶を掘り起こした。フェイスの一員として何度かメディアにも露出していた。
「……軍神の近くにいたわよねあなた。……ソート・ロスト?」
だがその確認が彼の表情を醜く歪める。獅子の殺意が刃を見せた。
「おれはティニ様のしもべだ。軍神の敵だ」
「ん?」
彼の怒声に釈然としないものを感じながらも別の記憶が恐怖を上書きした。
「お前は、ザフトの関係者だな! 悪いが、人質にさせて貰う」
「え?」
ティニと言うと……あの〝エヴィデンス〟の女の子のことか? では彼はクロフォードを知っているか? 問いたかった疑問が流し込まれた唐突にフリーズする。彼の俊敏な動きに彼女は全く反応できずあっさり背後を取られ拘束された。ソート・ロストがブーツのエッジから刃を引き出すのと扉が乱暴に叩かれるのは同時。
「あ、あなたザフトの兵士じゃないの?」
「違う。おれはティニ様のために動いている」
「ち、ちょっと。逃げないから手を緩めてもらえないかしら?」
扉がノック以上の殴打に震えた。
「そう言うわけにはいかない。おれはまた捕まるわけにはいかない」
拘束はがっちりと決まったままだ。アイリーンは観念すると凍り付いていた疑問を彼にぶつけた。これで拘束が外れるといいなどと考えながら。
「クロフォード……じゃなくて、あなたもしかして、テロリストのクロって知ってる?」
「クロ……〝ルインデスティニー〟のパイロット、ティニ様の要か」
動けないながらも二度頷いたアイリーンは彼の敵意にてこを入れた。
「わたし、クロの義姉なのよ」
尖りかけていた彼の殺意が困惑に変わる。言葉を掘り出すまでもない。彼の態度が答えをくれた。意を決する。現状を打破する術を、彼が持ってきたのかも知れない。
「な、し、失礼した」
その告白が彼の態度を軟化させた、のみならず獅子を目の前に服従させた。拘束が外れ旨くいったと内心喝采したアイリーンは彼に義弟の近況を訪ねようとする。しかしその間は与えられなかった。ノック以上の殴打がかんぬき燭台を吹き飛ばし乱暴に開かれる。応接室に兵士が満ちた。
「ソート! 貴様もう逃げられんぞ!」
ソート・ロストは舌打ちを零すとザフトの制式拳銃を発砲、一人の眉間を貫通させた。アイリーンは悲鳴を飲み込んだが弾丸を飲み込まされた一人は為す術なく絶命する。赤服だった。
「逃げてるの?」
「そう言った!」
ソートはアイリーンの背を乱暴に突き飛ばすと自分は窓へと身を躍らせた。甲高い破砕音は想像するしかない。兵士に受け止められたアイリーンが振り返ったときには侵入者の姿はない。
(希望は費えた、か)
とは言え希望といえるほどのものが待っていたかも定かではない。逃げて目的があるわけでもない。ただここに軟禁されるのが我慢ならなかっただけなのだから。
「カナーバ様、お怪我は?」
「あぁ、ええ。特に何も」
「今の、ソート・ロストと何を話されました?」
「え? いえ、特に何も……」
雲行きが怪しい。兵士達は死骸を片付ける傍ら、疑惑の目をこちらに向けてくる。意外に壁が薄いのかこの応接室は。テロリストとの関係を噂される女、そいつが〝エヴィデンス〟のしもべを公言する脱走兵と囁きあったとなればどうしても勘ぐられる。だが、この容疑を仕方がないと諦めるのは、正しいことか?
(そんなわけないわ。わたしが何をしたってわけでもないのに!)
正しいわけがない。だが、彼らには真実を信じる術がない。
(クロフォード君が進めてる馬鹿げたことなら、冤罪なんての生まれないわね)
義弟が何を進めているのかは、ザフトの面々から聞かされた。聞いた当初は彼女も嫌悪をあらわにしたものだが……こういう世界に遭遇すると思い直してしまう。自分は悪くない。そう思いながらも読むべき空気のために自分を悪かったことにする――それは正義では有り得ない。だが世界は、その正義を認めてくれない。
「カナーバ様……」
なんだその憐憫に満ちた目は? わたしは悪戯をやめられない子供か? アイリーンは破られた窓へと視線を投げた。今は、犯罪者だとしてもソートに逃げ延びて欲しいと思えていた。
自室で天を仰ぎ、腕で両目を押さえ込んでいたクロの元に通信が入る。ティニからだった。彼女の呼びかけに一拍以上の間をおいたクロは脳裏で他人の仕事を思い浮かべていた。
「……なんだお前、今忙しいんだろ?」
〈もう少し〝プラント〟に近づくまではそれ程でもありません〉
「なら放置してくれ。オレもう少し〝プラント〟に近づくまでは休憩中だよ」
〈ですからその前に謝っておこうかと思いまして〉
クロは目元から腕を退かした。暗順応しかけた視界は白んだ自室を映し出すだけでそこにティニはいない。だが彼女にあるまじき感情のこもった言葉に、クロは彼女の存在を感じてしまった。
「……謝る? 今更部屋割りのことか?」
彼女の声は取り合わない。そこに日常を取り戻したような気がしてほっとした自分に苦笑する。
〈彼は言っていました。「人は危険だ。人をサンプルとすることなど無謀。消去すべき存在だ」と〉
「ラウ・ル・クルーゼの奴か……」
クロが目元を歪めると見えないティニから頷くような気配が届いた。
〈ウチのが賛成しました。『こいつらを滅ぼして他の生物を進化させた方が安全だろう』と。地球圏、生物種類は他の銀河系とは比べものにならない程あるわけですし、実験には事欠かない状態ですから〉
「02のことか」
〈ごめんなさい〉
「いや全然解らん……」
〈騙してたわけですけど?〉
「なにが?」
〈私達〝エヴィデンス〟は人類殲滅のための戦力として、あなたを担ぎ上げたんですけど?〉
「は?」
〈ですがあなたは人類の欠点を克服する方法を提示してくれました。ごめんなさい、そしてありがとうございます〉
「……よくわからんが、利用してたってのならお互い様だ。支配者様に対抗するためオレはお前達の戦力をアテにして、そんで究極のモビルスーツを与えてくれた。オレはそれで満足だよ。謝って貰う理由もなんもない」
再び目元を腕で覆ったクロはティニの溜息を聞いた。
〈クロ。この戦いを始めたのはなぜですか?〉
「理不尽な不完全世界に対する復讐、だな」
〈自分勝手な軍神さんと歌姫さんが許せないから、ではありませんでしたっけ?〉
きゃらきゃらとした笑い声にクロは毒気を抜かれた。憮然とすることもできず内面を見据えさせられる。そうだったかも知れない。大儀などない、私怨に過ぎない動機。
「いや、別に直接キラ・ヤマトとラクス・クラインが嫌いってわけじゃない。……この腐った世界の、そう、守護者が彼らだから敵対する。それだけだ」
クロは内面を確認した。恐らく――〝ミーティア〟に置き去りにされたクロフォードは純粋に無意味に彼らに敵意を抱いたのだろう。それでも、クロの心に大儀はある。私怨から発したモノだとしても、それが世界を救うと信じられるだけの大儀が。
〈ふふ……まぁ、どっちでもいいです。私達としては、次のグレードに進むためあなたの考え方が便利です。
今の人類から嘘という盾をはぎ取っても不幸にしかならないでしょう。ですが、クロ思想はその不安を払拭してくれます〉
利用、なのだろう。そう思っても悪い気がするはずもない。こちらが利用し、それに答えてくれた〝エヴィデンス〟なら、利用されるだけの価値がある。等価交換、いやこちらがより多くを出そうとも望みを一つ叶えてくれるなら問題はない。
「ティニ、そこ、誰かいるのか?」
〈いません〉
「だから、謝ろうとかトチ狂ったわけか?」
〈誰かがいても謝りました〉
「なんで?」
突然の警報がクロの視界から腕をはね除けた。反射的に立ち上がった彼はティニからの報告を聞く。
〈コンディション・レッド、ザフトです。〝ゴンドワナ〟に充分近づいたということでしょう〉
「了解した。休憩時間は終わりだ」
クロは部屋を出て愛機へと駆け込んでいく。白一色の世界の中で、ティニは小さく嘆息した。
「今を逃したら、クロと雑談する時間なんて取れないじゃないですか」
SEED Spiritual PHASE-118 同胞を殺す心地
カタパルトを使うことなく発進した〝ルインデスティニー〟は〝アイオーン〟の機首へと進み出た。しかしそこにあるものに触れることを断念する。モニタに映る〝コメット〟は白くなめらかだった装甲に無数の弾痕が穿たれ月を発ったときの雄姿は見る影もない。
「〝コメット〟、マズいか?」
〈マズいな。せめて装甲の交換が済むまでは使うな。パーツは持ってきてある〉
「ちっ……仕方ない。早めに頼む」
クロは代わりに下部にぶら下がるウェポンラックへマニピュレータを伸ばした。システムに従いさらけ出されたその中身からバズーカ砲〝ギガランチャー〟と〝トーデスブロック〟、そしてミサイルポッド〝パルデュス〟を取り出すと両肩両足に取り付け、AIに繋がるFCSにリンクさせる。データ処理が終わるまでの待ち時間、通信には〝クリカウェリ〟の様子が漏れ入ってきた。
〈おれも出るって言ってんだよっ!〉
「無理だよ。〝デスティニー〟のリアクター、まだ調整が終わらないんだから!」
デュランダルが太鼓判を押した〝デスティニー〟の信頼性、未だ確実なものではないらしい。〝ターミナル〟は所詮『過去』の蓄積でしかないため仕方のないことかも知れないが、〝ハイパーデュートリオン〟エンジンの欠点克服までは叶っていない。
〈最大出力を続け過ぎちゃ駄目なんだよ。今度もデュートリオンアクセラレータが死んでる。ただの核エンジンとしては使えるけど、またパワーダウン起こすぞ!〉
〈くそっ!〉
「シン。お前も少しは休め」
〈クロか? 何言ってんだアンタ――〉
「仲間を信じてやれ」
〈おれは! ステラやルナを――〉
「自分のできないことを押し付けるのは何かヤだわな。だったらお前は、後でそれ以上返せばいいだろ」
〈っ……〉
「お前が出られるまでは、オレが彼女達を引き受ける。代わりに〝プラント〟に着いてからは全部押し付けるからな」
シンから同意は返ってこなかったがAIからは完了報告が届く。〝ルインデスティニー〟は〝コメット〟に預けていたシールドを取り出し左手に取り付けると腰部のラックからビームライフルを取り外す。一方的に通信を終わらせたクロは〝アイオーン〟、〝クリカウェリ〟、他寄せ集めの艦達から吐き出される僚機の後を追い〝ルインデスティニー〟を飛翔させた。星流炉から汲み上げられる爆発的な加速力が数十機を追い抜き戦場を眼前に運んでくる。無数の艦、それ以上に無数のモビルスーツ。更にそれを越えるビームの嵐が襲い掛かってくる。クロはそのまっただ中へと〝ルインデスティニー〟を奔らせる。
超加速、急制動、目の前には敵モビルスーツ、表情のない機械の顔に動揺が浮かんだように見える。そこに哀れみを覚えないでもないが、指先はトリガーを引き絞っていた。ゼロ距離で吐き出された榴弾がその顔面に突き刺さり、反動を返して粉微塵になる。仲間を救うべくこちらにビームアックスを振り上げた敵にはビームライフルが突き付けられた。二人以上の意志を持つ〝ルインデスティニー〟に死角はない。粒子光の一射が長物の柄を貫き折り飛ばすと逆の手で胸ぐらを掴み取り、掌部のビーム砲で焼き尽くす。
そこで友軍が追いついてきた。種々雑多な射撃武装がザフト目掛けて解き放たれた。色違いの盾をぶら下げた〝ガイア〟がビームの驟雨を泳ぎ抜き、一機、また一機と斬り伏せていく。ザフト軍は数でこちらを圧倒している。だが、〝ファントムペイン〟の強化兵士もイマジネーター達も単体ではコーディネイターを上回っているように思える。戦場には瞬く間に命を燃料とした光が満ちた。
「ステラ、聞こえるか?」
〈……なに?〉
「突出するな」
〈む……〉
だが個々の性能差が戦場を圧倒できる理由にはならない。殺した分湧き出てくるようでは前には進めない。突貫したところで孤立し、各個撃破されるのがオチだろう。だが、ならばどうする? 手をこまねいていては――軍神が来る。
悩む時間も得られない。〝ザクウォーリア〟と〝グフイグナイテッド〟ばかりだった敵の布陣に〝カオス〟が混ざり始めた。宇宙戦用強襲機として設計されたあの機体にとって不自由のないこの戦場、水を得た肉食魚に群がられて喜ぶ趣味はない。
「オレが引き受けるからよっ!」
クロは〝ルインデスティニー〟を突出させた。目に付く相手を片っ端からロックオンし、持てる武装を惜しみなく弾き出す。ばらまかれた榴弾、小型誘導弾、そしてビームとビームブーメランが前衛のニューミレニアムシリーズを砕いていった。だが敵陣深く切り込むとその余裕が失われる。後方を除いた全てのロックオンアラートが紅く叫いた。機体を翻すと今いた場所を二条のビームが、翻した先にも一撃のビームが飛来し機体を打ち据える。ビームシールド越しにはこちらにライフルを構える〝カオス〟の姿、それは直ぐさま変形してこちらの射線を逃れる。
「嘗めるなよ」
規格外のこの推力、機動兵装ポッドをパージし、機動力の落ちたモビルアーマーに追いつくことなど造作もない。最高速に達するその前に、〝カオス〟の正面に〝ルインデスティニー〟が映る。大剣を振りかぶった黒い魔神が――すぐに何も映らなくなる。一刀両断された敵機を尻目にクロは次の獲物を求めた。
一機を撃ち、一機を切り、弾幕を張り、また斬り捨てる。戦艦すらも両断する高出力を吐き出しながらも星流炉の出力には不安はない。だが何度も破壊を繰り返していく内に追加実弾兵器群の弾倉達が悲鳴を上げた。
「ちっ!」
更に〝プラント〟へと投げかけていた殺意が彼方で徹底的に虹に変えられた。ビームシールドを遙かに超える防御範囲から推せば、あれは陽電子リフレクターか。ライブラリに問いかけるとYMAF-A6BD、そしてYMAG-X7Fが返ってくる。地球連合、いや、〝ファントムペイン〟の機体、成る程ザフトも形振り構っていられないらしい。壊滅させるため次の破壊力を解き放つが、懸念したとおり突出しすぎたツケが来た。敵の数がナチュラルの処理能力を超えていた。〝グフイグナイテッド〟のMA-M757〝スレイヤーウィップ〟が巻き付いてきた。相手もこの機体に怖れがあるか右手の一降りで満足せずもう片方まで射出し拘束を試みる。クロは装甲のフェイズシフト率を上げながら腕を振り抜くと鋼鉄の鞭がわずかな抵抗の後弾け散った。一機ならばそれで終わっていた、が、クロを取り囲む〝グフイグナイテッド〟の数は無数だった。新たな〝カオス〟に気を取られた僅かな一瞬、蛇の群が〝ルインデスティニー〟に襲い掛かった。
「ぐ!? おいっ!」
力任せに引き千切ろうにも今度は鞭と言うより束であった。〝グフイグナイテッド〟はこちらの拘束に全精力を注ぐあまり他に目をやれず、数機が無抵抗のまま撃ち落とされていった。その根性に戦慄する。そして穴を埋めるべく飛来した新たな〝グフイグナイテッド〟の存在に別の戦慄を喚起された。
〈クロ! 生きてるか?〉
「……近寄るなよ」
新たな警告音が背筋の冷たさを倍加させた。警告に引き寄せられた新たなウィンドウには高エネルギー砲をこちらに突き付けた〝ガナーザクウォーリア〟が複数、いや多数。クロの耳に自分の唾液嚥下音が聞こえてきた。
シンは艦橋でCICの真似事をしながらその身を焦がされるような苛立ちに苛まれ続けていた。
「ブルー76アルファ、距離八千にミネルバ級――ステラ……!」
一通りのデータを火器管制に送ったシンの意識は低い沸点をあっさり超過した。周囲の許可も取らず通信先を切り替え声を荒らげた。
「おい! 〝デスティニー〟はまだなのかっ!?」
〈何度言わせる! 数分でできるわけがないだろう!〉
「だったらもういい! 出せる機体一個用意しろっ!」
艦橋(ブリッジ)クルーの制止を振り切りガイドレールに取り付いたシンは格納庫(ハンガー)への最短距離を思い描き、苛立ちで埋まる脳裏を希釈する。
「!…待てよ」
無重力中の廊下、ガイドレールに運ばれながらふと思いつく。加速させる思考が疲労と引き替えに突発的な思いつきより上質の策を運んできた。
巨大宙母左舷の敵艦……ミネルバ級だった。
「N/A、今の〝インパルス〟のデータ、送ってくれるか?」
〈〝インパルス〟ですか? 最新の、〝ドラグーンフライヤー〟対応型とか?〉
「そう、それだ!」
一秒と待たずに携帯端末にコールがかかる。電子ペーパーを展開すれば、期待通りのスペックデータが表示された。パイロットスーツを着込み扉をくぐれば巨人の林立する鉄の空間が視界を占める。
「〝エール〟の〝ウィンダム〟か〝ブレイズ〟の〝ザク〟、すぐに動かせるか!?」
「え? シンマジで来たの!?」
補給中の〝フォビドゥン〟を見上げていたマユラが虚空に躍り出てきたシンの姿に度肝を抜かれた。
「どっちか出られないのか?」
詰め寄るシンに押されたマユラは返す言葉も失い作業員に声をかけた。
「え? こっちの前の方の機体なら全部出られますよ」
「解った」
礼もそこそこに最前列の〝ザクウォーリア〟に乗り込むとシステムを立ち上げ管制と繋ぐ。
「〝ブレイズウィザード〟頼む。あのミネルバ級へ射出してくれ」
〈本気か?〉
「サポートはいらない。奴が出てくるまでおれが全部守ってやる!」
気迫に押された全てが彼に従わざるを得なかった。彼の高圧的な態度もあるが、何よりその実力が信じるに足るものだというところが大きい。エースパイロットを遊ばせていられるような、そんな余裕ある戦況ではないのだ。
〈……解った。頼むぞ〉
カタパルトへ運ばれた機体背面にミサイルポッドと大型スラスターの一体化したユニットが接続される。
「シン・アスカ、〝ザク〟行きます!」
カタパルトに押し出されシンの身体が〝クリカウェリ〟の管制速度から抜け出した。だがそれだけでは厭きたらず〝ブレイズザクウォーリア〟の最大推力を持って目標の艦へと肉薄する。護衛モビルスーツがシンの乗る機体を目に留め光の殺意を叩き付けてくる。光の速さで迫るビームなど目視して対応できるものではない。であるはずなのにシンはその通過先を予測する。ビームを避ける技術として、砲口を見て避けると言うものがあるにはあるが、人間の頭蓋骨構造では全方位をカバーする視界など望めない。
「邪魔だっ!」
二連の紅い閃光に頭上を通過させ、右手からライフル、左手からビーム突撃砲で挟み込んできた〝カオス〟に鋭角軌道で肉薄するとコクピットへの接射で墜とす。派手な戦いで敵を引きつけながらもその全てを地獄へ墜とし、ブレーキなど思いもせずターゲットのミネルバ級へと急接近した。
モビルスーツと戦艦、その相対距離がゼロを目前にしてもシンは逆噴射などしなかった。メインカメラには特徴的な〝インパルス〟パーツ射出専用のカタパルトが迫る。
シンは躊躇わず、機体をそこへと突っ込ませた。上下の狭い専用カタパルト、無理矢理突っ込ませた頭部カメラがまず衝突の衝撃に抗しきれず砕け散った。手が、足が壁面と接して摩擦に襲われ、凄まじい火花を散らす。摩擦を越えた摩擦が緑の装甲を削り落とし、艦体をひしゃげさせる代わりに胴部から真っ二つに折れ飛んだ。が、それはパイロットの想定内。緊急脱出に使える炸薬が胴から折れた反動さえも利用してコクピットブロックをミネルバ級の深奥へと弾き出す。凄まじい勢いで壁面へと突き刺さったコクピットは所々を陥没させながらも、ハッチが激しく震動し、足を覗かせ吹き飛ばされた。
「ハンガースタッフは退避しろ! っ、何てことしやがるんだこいつは!」
間近で聞こえた悪態と撃鉄の起きる音。シンは蹴り飛ばしたハッチとともに散らばったモニタのガラス片を鏡代わりに付近の様子を伺うと、意を決して飛び出した。
「止まれ!」
当然従ういわれはない。拡大したシンの意識は特殊なモビルスーツ格納場所に犇めく保安要員と、それに迫る数塗りたくられた血と、引き潰されたなれの果てを認識していた。
衝突の衝撃で割れたバイザー、そこから垣間見える流れ落ちた血筋、頭部を強打したであろうに揺らぎを全く見せない足捌きと速度に銃を構えた男たちの対抗意識が揺さぶられた。
「おれの狙いは軍神だけだ。邪魔をするなっ!」
「シン・アスカ!?」
「馬鹿な! なんでお前が!?」
動揺が生まれなかったと言えば嘘になるがそれが表に芽吹くより先に黒い何かが覆い隠す。シンは驚愕に支配された最前のザフト兵へ手刀を叩き付け沈黙させると肩掛けにされていた小銃を流れるように奪い取った。
「お前――!」
「来るな!」
コーディネイターの戦士達にこれ以上の動揺を期待するのは無理があった。ラクス・クラインに心酔する兵士達は彼女に逆らう異分子の排除を優先事項として繰り上げ、心の迷いを押し遣った。
いくつもの銃口がこちらを捉える。たった一度の制止の言葉が最後の安全装置だった。投降勧告を振り切るなり彼らの殺意が本物に変わる。敏感に反応したシンは真正面の二人をフルオートで撃ち抜いていた。報復として整備者と兵士達からの弾雨が浴びせられるが一歩先を見やるシンは殺傷する軌道を先んじて逃げ去っていた。
「撃つな!」
声は連続する銃声に掻き消される。銃声を黙らせようとすれば撃ち殺すしかない。連続する。連続して殺す。連続して殺されかければ立て続けに殺すしかない。
シンはいつの間にやら血よりも熱い流れを頬に感じていた。
「頼む……」
それでも銃口は弾を吐き出し続ける。吐き出された鉛は的確に誰かの命を奪っていく。誰か、あぁ誰かだ。認識するのを拒否しているだけで知り合いかもしれない誰かだ。過去にどこかで笑いあったかもしれない誰かだ。未来に笑いあえるかもしれない誰かだ!
「頼む! おれにこれ以上、仲間を殺させないでくれょ……!」
そう嘆きながらもトリガーを引く指は止まらない。今の、もっと大切な誰かを救うため、未来の何かを貫き殺す。悪魔の所業を繰り返すこと約二分――〝インパルス〟の専用ハンガーから息をするものが駆逐された。
「くそっ! こんな、なんでこんな!」
奪い取った小銃を投げ捨て駑馬を吐くも、その理由は自分が一番知っている。無理矢理心を抑えつけたシンは墓場から視線をもぎ離すと間近に鎮座する〝コアスプレンダー〟へと向け、すぐさま走り出した。シートに腰をおろすなり懐旧の情がわき起こるが、過去の栄光にも未来の温もりにも浸れる余裕は今にはない。シンは備品入れを漁る。予想の通り予備のノーマルスーツが収められている。彼はそこからヘルメットだけ取り出すとバイザーの割れたものと交換した。
バージョンが上がろうとも大差ない操作系統。考えなくとも動く身体が起動操作を終えていた。
「――これか」
流し読みしたマニュアルから、記憶にない操作項目を脳裏につぎ込む。〝コアスプレンダー〟を発進させると同時に慣れない操作を追加し、リアカメラを気にすると、特殊ハンガーに無数に詰まっていた〝チェストフライヤー〟、〝レッグフライヤー〟が後を追って発進を始めた。自分の強引な突入でひしゃげたカタパルトへAGM33誘導ミサイル〝レディバード〟と機関砲――戦闘機型コクピットの持てる火力全てを叩き付け穴を強引に拡大する。重力も空気抵抗もないとは言え突端が崩れきったカタパルトを通過するのは勇気が必要だった。
追い縋る二つのフライヤーに相対速度を合わせる。三つのパーツは瞬く間に結合し一機のモビルスーツを形作った。……しかし足りない。〝シルエット〟システムが何一つついてこない。
「…――っくそっ! どーなってんだこれ!」
管制の許可なしに動くものでもないと理解はできるが一秒先の余裕がない戦場でそれを納得できるはずもない。シンの駆る〝インパルス〟はドッキングを終えるなりミネルバ級の専用格納庫にとって返した。構造は熟知している。フェイズシフトした装甲強度にものを言わせ〝シルエットフライヤー〟の格納場所まで降下すると、手近なフライヤーの機首部分を鷲づかみにした。マニピュレータ経由でシステムにアクセスし脳裏と指先をフル稼働させると殊の外あっさりと制圧が完了した。更に二つ、一通りの〝シルエット〟を奪い取ったシンは〝ドラグーン〟システムで制御される追加武装を引き連れミネルバ級から脱出する。宇宙空間に投げ出されるなり〝ブラストシルエット〟を選択、接続するなり振り返る。
指先は、迷わなかった。ミネルバ級の艦橋は有事に最奥へと遮蔽する。位置を知らないものには有効な防御かも知れないが内部構造を知っているものには意味を成さない。ほぼゼロ距離で解き放たれたM2000F〝ケルベロス〟砲がグレイの装甲を易々と灼ききり――馴染みある艦を光に変えた。
通信機の周波数と暗号コードを調節しながら〝ブラストシルエット〟をパージし〝フォースシルエット〟を引き寄せる。
〈ちょ、シン!?〉
「このまま〝プラント〟へ向かう! 軍神を斃せば、この戦いは終わるからな!」
〈待てよ! もう少し待てば〝デスティニー〟が!〉
「動かせるようになったら連絡くれ! 待ってる間にも守れる奴が死んでいくんだ!」
ビームライフルを二射。〝ガイア〟の背後に迫っていたものと遠距離からの狙撃を試みていたものが要所を貫通されて戦線離脱を余儀なくされる。〈シン!?〉とシグナルを確認し、仰天したステラに有視界通信を返したシンは〝ガイア〟の背後を〝インパルス〟に守らせる。〝ガイア〟を含め、付近を浮遊する三機の〝シルエットフライヤー〟をカバーしながらの戦闘は困難なものではあったが、彼の能力を持ってすれば戦えないことはない。敵が並である限りは。
「ステラもルナも、絶対に殺らせないから!」
〝スレイヤーウィップ〟――無数の拘束具が四肢を絡め、〝オルトロス〟――無数の砲口が命を狙う。身を捩る一瞬の隙でも与えてしまえば巨大閃光に貫かれるのは疑いない。
《迷うな! これしかない!》
如何な完全相転移装甲と言えど至近からの高出力ビームにまで耐えられない。知識が恐怖を呼び込んだわけではなくともクロは迷わず実行していた。
装甲のシフト率を最大、半瞬遅れてフレームに最大出力を流し込む!
星流炉の絶叫はL5に小恒星を生み出した。対応機構のない両肩両足の追加武装が瞬く間に蒸発、一瞬のうちに膨れ上がった超高熱の塊が〝スレイヤーウィップ〟ごと〝グフイグナイテッド〟の群れを、更には砲口を突き付けた〝ザクウォーリア〟の編隊までも貪欲に飲み込んでいった。
〈…っ!〉
「近づくなって言っただろ?」
仲間の絶句を得意げに返しながらもクロは不安げにエネルギー残量に目をやった。だがノストラビッチやヨウラン、ヴィーノが手をかけてくれた星流炉の充電・制御機構は格段の進歩を遂げてくれたようだ。エネルギーの全面開放などという暴挙を行った後でさえ危険値寸前でアラートを鳴らすような無様を晒さない。
〈クロ、送った。今大丈夫か?〉
「ドンピシャだ」
極大破壊に晒され、戦場に生まれた一瞬の安全地帯にミラージュコロイドを解きながら〝コメット〟が飛来した。装甲の交換と弾薬補給の終わったそれと相対速度を合わせ、刹那の間をおいてドッキングしたクロは〝コメット〟のミサイル発射管を全て開く。狭まりつつあった包囲網へ猛火の猛魚が飛び出し襲い掛かる。〝ルインデスティニー〟を取り囲む噴煙の円陣、晴れた先には動揺をありありと示し蹈鞴を踏む敵モビルスーツ達が見て取れた。
「みんな、掃討頼むぞ」
〈りょーかい。全く莫迦みたいな破壊力ねあんたの……〉
「シンはまだ出られないか?」
〈まだ。…シン怒ってる〉
あいつの出番はないかもしれないが、余力を残せて制圧できれば御の字である。動揺に戦意を根刮ぎ削られたザフト軍は突貫する〝コメット〟とそれに続くイマジネーターの群れに抗すること叶わず、〝ルインデスティニー〟の全面モニタ前面に映る敵宙母〝ゴンドワナ〟の威容が瞬く間に巨大化していく。
〈クロ、意識を後ろへ〉
「なんだ?」
前だけを見るつもりだったクロはリアウインドウを引き寄せ舌打ちした。月に置き去りにしてきたつもりだったがザフトの防衛網との小競り合いは予想以上に時を浪費してしまったようだ。ティニが注意を喚起したその先には闇に栄える敵旗艦〝エターナル〟が映し出されていた。
「くっ!」
前を見ていられなくなった。クロは〝ルインデスティニー〟を反転させると僚機達を先行させた。
〈どしたクロ?〉
「前だけ見てろ。オレが後ろは任される」
敵の中枢と軍神のいる虚空……どちらが激戦地かは問うまでもないが――どちらが危険かは言うまでもない。有象無象百を超える二機、それが〝フリーダム〟と〝ジャスティス〟。
「〝クリカウェリ〟、〝デストロイ〟は出せるか?」
〈……どうだいスティング?〉
〈んだと? 出せるには出せるが、意味あんのか?〉
「〝ミーティア〟に対する牽制だ。モビルスーツになってくれればオレがどうにかする。シンが出られるなら話は別だがな」
〈〝デスティニー〟は調整がもう少しかかる……かな〉
ならば選択の余地すらない。〝ルインデスティニー〟のカメラの中で、〝エターナル〟から分離(リフト・オフ)した〝ミーティア〟に挟み込まれる二機の姿が見て取れた。クロは光の翼を撒き散らしドッキングを終えた〝フリーダム〟へと急迫する。収束火線砲を放ち体勢を崩すと放った大型ソードでその首を――
〈クロフォード・カナーバぁっ!〉
だが横手から飛来した、殺意に充ち満ちた声と破壊力に意識を引っ張られた。
〈お前は諸悪の根源だ! お前の思想が世界をここまで歪ませたんだっ!〉
アスランは二本の巨大ビームソードを出力すると〝ミーティア〟を巨大なジャベリンへ化けさせた。光速で迫る光の凶器にクロは〝ルインデスティニー〟のスラスターを真横に噴射させ直角回避を試みたが追加武装に対応がなっていない。慣性を殺しきれなかったビームソードの先端が敵のソードと接触し紫電を散らした。
「本当にそうか?」
アスラン・ザラの戯言と断じる前にクロの胸中には疑念が湧いた。
〈あなたは、なぜ人を造り替えるようなことをっ!? そんなことをしなくても人は話し合える! 解り合えるはずだ!〉
キラ・ヤマト、彼は〝メサイア攻防戦〟をまるで覚えていないのか? その結果としてオレのような――彼らに言わせれば歪みが――生まれたと感じていたはずだろうに。
「なぜお前らは、これだけ世界を歪ませておいて、その理想とやらを信じられるんだよ?」
民主主義――多数に押され、正当であろうがマイノリティが圧殺される。競争を推奨しながら平等に頭を悩ませる。
社会主義――究極の平等を対顔しながらも皆が身勝手を押し通し崩壊する。競争原理を導入すれば根本から思想が変わる。
「人に完璧なんてもん望めねェんだ。だから、オレは、その「人」という枠組みから修正しようとしている」
クロは慣性そのままに機体を横転させると振り抜かれたアスランのブレード基部へとビームソードを振り下ろすが〝ジャスティス=ミーティア〟は逆噴射をかけてその切っ先を前に逃がすと全ての砲門をこちらに向けてきた。
〈全てを機械と取り替えるような心ない世界が平和か!〉
ビーム砲とビームライフルと機関砲とミサイル発射管と収束火線砲、前面に極大展開したビームシールドで受けるには受けたが〝コメット〟の砲身全てを守ることは叶わなかった。盾に使った左の先端が幾つか直撃を受け重苦しいミサイルポッドに成り下がる。
「心全てを否定する気はないがな。心が邪魔だと思うこと、お前はないか?」
クロはアスランの言うことに首肯した。完全肯定はできなくとも。
〈ふざけるな! いつまでも、そんなことを! お前は人の心をなんだと思っているっ!?〉
「……機械的に忘れることが出来れば悲劇は減る。オレはそう断言する」
更なる〝エリナケウス〟による追撃をこちらも〝エリナケウス〟で迎撃する。が、〝コメット〟と〝ミーティア〟では同時発射できる数が違った。それでも撃ち漏らした分は機動力で避けきる。それができるだけの眼は与えられている。
〈お前という奴はぁッ!〉
「そんなオレという奴も、自分を置き去りにしていく〝ミーティア〟(おまえら)、オレの意志など全く意に介さず停戦を求め夜空を埋め尽くした信号弾(スターマイン)を忘れたら、絶対戦えない。
オレは、心を否定しているわけじゃない」
何かが彼を教えてくれる。アスラン・ザラは、〝ルインデスティニー〟によっていくつもの何かを失った。クロフォードが彼らによって寄る辺となる価値観を失ったように。
〝ミーティア〟の巨大なスラスターが彼我の距離を滅殺した。
〈お前はそう言って、自分のいいように世界を造り替えたいだけだ! 傲慢なんだ!〉
「まぁな」
横手でアラート、焦点以外の視界が全砲門のチャージを終え、ミサイル発射管を開いた〝フリーダム=ミーティア〟をかすめ捉える。一度に数十を捉える〝フリーダム〟のお家芸フルバーストであっても一機を狙えば射角は限られる。『シン』の思考にそう告げられたクロの手足は思い浮かんだ未来へと〝ルインデスティニー〟を投げ込んだ。
「だがその傲慢をぶち殺して、お前らは何がしたい?」
〈決まっている!〉
「平和な世界を? 嘘をつけ。平和だけじゃ満足できないからお前らが当時のザフトを潰したんだろうが」
〈隷属の先に真の平和など有り得ない! 皆が誰かの顔色を窺って、自分を出せず息苦しく生きていくなんて……そんなもの、誰も望んじゃいない!〉
回避した〝ルインデスティニー〟を〝ジャスティス=ミーティア〟が追い縋る。二本のソードを一つのソードで迎え撃つが、抑え切れてもやはり分が悪い。紫電を散らす視界に眼を細めながら、クロは二人の怒りを咀嚼する。
「望む望まないじゃない。平和をと望みながら平和以上を求める。そこからも人の欲望に際限なんかねェってのがよく分かるがなぁ」
〈お前は……暴力で他人を廃し、人心につけ込み騙し、果ては心すら操って! お前は一体どれだけの人を不幸にしてきた!?〉
追加武装を拘束してもモビルスーツは生きていた。〝ミーティア〟をパージした〝ジャスティス〟が右手をビームサーベルへと伸ばしている。
だがクロの思考はアスランの挙動に追いついた。過たず〝コメット〟と分離した〝ルインデスティニー〟の右腕に巨大対艦刀〝メナスカリバー〟が握られる。振り下ろす速度は全く同等。アスランの判断は巨剣と鍔迫り合いを嫌がりビームサーベルを引く。
そこにキラが答えてくれる。〝フリーダム=ミーティア〟が放った収束火線が〝ルインデスティニー〟の対艦刀を捉える。ガンメタルの刀身は粒子の豪流の中ですら焼き尽くされずに形を保つがその勢いまで切り裂けるものではない。〝コメット〟に挟まれたまま、大剣を翳したままクロの体勢は大きく崩れた。
アスランにその好機を逃す手はない。引き戻した体ををリフターの推力で強引に前へ向けた〝ジャスティス〟がもう一振りのビームサーベルを引き抜き大上段に振りかぶる。
クロ、いや『シン』の判断は〝ルインデスティニー〟に最強剣を捨てさせた。
二条の光剣が振り下ろされる、そこに二つの掌が突き上げられる。アスランは既視感を感じ、操縦桿を押し込む両手に力がこもった。
敵の掌に光が灯る。
敵の刃が砲を押し込む。
〈お前を、討つ!〉
「お前たまには他人の気持ちを考えてみろよ!」
クロの意識は躊躇無く〝パルマ・フィオキーナ〟へと最大威力を流し込んだ。
天へと昇る光の龍が見つめる全ての網膜を圧し、無数の殺意を虚無へと返す。
拮抗が一瞬にして崩れ去った。戦場の感情を駆逐した光、その刹那が再び闇に沈んだ後、彼の正義が力を失っていた。
「……なっ!?」
アスランが愕然とする。目を瞬かせバイザーを開いてこすりつけても現実は何も変わらない。〝ジャスティス〟が握ってはずの二つの剣が、そのマニピュレータごと消えて無くなっている。理解はできる。だが理解を拒む。その間にも戦場は進み、〝ジャスティス〟は腹に激烈な蹴りを食らって吹き飛ばされた。
〈――っ、っぁああああああああっ!〉
〈アスランっ!〉
まとわりつく〝コメット〟と、アスランの怨嗟をかなぐり捨て〝フリーダム〟と正対した〝ルインデスティニー〟の右手にライフルが収まる。クロは『シン』の判断に舌打ちを零した。〝ジャスティス〟に戦闘続行不可能な手傷を負わせた代償にしても、このエネルギー消費量は大きすぎる。
〈クロフォード・カナーバァあっ!〉
〈よくもっ!〉
二人の怒りは、義憤なのだろう。だがその正義をクロは辟易した。
「その怒りが、争いを生む」
一つだけだが絶句が返ってくる。気配ではなく感覚で捉え、クロは満足すると同時に辟易した。
「だと言うのに、お前には、怒りは、消せない。自分の感情だというのにだ」
反論がないことが面白い。もう少し待てば、二人は何某か返してきただろうと彼にも思えた。だがそんな反論に意味など無い。咄嗟に出せる本心で無ければ、オレの心に突き立てられない。熟考された正当化のための言い訳など耳に入れるに値しない。
「――どうだ、お前が持て余す、平和を乱す元凶ってのを…オレは直ぐさま消し去れるぜ?」
それは本心からの言葉だったが……今は疑問に思う心もある。目指すものが大きすぎるのか、平和の、究極の形というものが、明確だったはずの究極の平和の形が時折朧になる。
(でも、迷ったところで意味はない。この二人に任せたところで……本当の平和なんか手に入らねぇからな……)
誰が言ったか。敵を理解したら戦えなくなると。
(オレは、そんな戦いに勝たねぇと、意味がない)
現れた〝デストロイ〟。艦をも沈める無数の大型誘導弾が〝フリーダム=ミーティア〟を打ち据えた。黒い巨体に光の巨剣が反撃されるもキラはその力を放棄せざるを得なくなる。
SEED Spiritual PHASE-119 理想はむしろ気持ち悪い
建造物の中で〝デスティニー〟に襲われ、敵サーバ使いをまんまと逃がし、予想以上の反撃にあってL1に逃げ帰ったマーズ達。しかし彼らは新たな戦力を追加して再び月へと舞い戻ってきた。ヘルベルトは現在追従している新たな機体に視線をやり一人ほくそ笑む。全く〝ターミナル〟の情報収集能力と技術力、そして人脈には頭が下がる。先の大戦時の最新鋭機を再生産した上対応するパイロットまで付けてくれるとは。
「よう新参さんよ。機体の調子はどうだい?」
〈問題ない〉
「よぅしじゃあ〝アルザッヘル〟を包囲する。あんたのによく似た機体だ。見逃さねぇでくれよ」
〈ふふ…了解した〉
新参者の乗った機体は〝ドムトルーパー〟二機を戴いた編隊から抜け出すと右へと流れる。同時に幾つかの機体が並びを直列から平行に遷移させ目前に迫ったクレーターを覆う壁を形成し始めた。
「油断するなよ。やつら今度こそ切り札を出してくるかもしれないんだからな」
一機目の星流炉搭載型――すなわち〝ルインデスティニー〟はL5に程近い宙域だと〝ターミナル〟が教えてくれた。では二機目、〝ジエンド〟はどこだ? 地上からも発見の報告はまだない。だとすれば〝アルザッヘル〟以外に考えられようか。
〈ああ。借りは返すぜ。馬鹿共全員ぶちのめしてやる……!〉
ここまで戦力を見せ付けてしまえば「起動前に破壊する」などという最善策など望めない。気をつけろとの思いで送った叱咤激励だったが、マーズの返答は思いのほか暗く濁っており、ヘルベルトに一抹の不安を抱かせた。
「大丈夫か?」
〈問題ねぇよ。痛みなしでぶん殴れる分気が楽なくらいだ〉
やせ我慢だろう。神経縫合を試し、義手を繋いだ……生身の腕と遜色ない機能を発揮してくれる一流の義手でもろくな調整もなく身体に馴染むわけもない。相棒は、口調とは裏腹に反応の悪い右腕に苛立っていることだろう。
マーズとヘルベルトは愛機〝ドムトルーパー〟に地表を走査させた。徐々にあちらさんの迎撃意思も厚みを増している。
「ラクス様の方は大丈夫かよ?」
〈あっちにゃ軍神様と大戦の英雄が犇めいてる。〝アイオーン〟に積んであんならあっちに任せりゃぶっ壊してくれるだろ〉
「回収案は即座に却下かよ……」
〈ったりめーだ。これ以上手加減して身体磨り減らされて溜まるかよ〉
それを言われるとヘルベルトには反論の余地などない。星流炉搭載型二機、その半分はこちらが引き受けなければならないのかもしれない。我らの故郷たる〝プラント〟を素裸のまま放置するなどもっての外と考えるなら、月は自らの責任において制圧しなければならない。
〈とにかくまずは、洗脳生物共を皆殺しだ〉
だが不安などない。ザフトの月制圧部隊残留組に〝ターミナル〟からの援軍が混ざり込んだ我らの勢力に対し、絶対数の少ない敵勢力。負ける要素など微塵もない。
〈ヘルベルト〉
「あん? どしたよ」
〈〝クライン派〟の過激派って俺達のことか?〉
「あん? そーじゃねぇか」
答えながらも苦笑いがこぼれた。テロリストを自認するつもりはない。全てはただラクス様のため、取れる手段が破壊活動だけだったということ。だがそのことを不満がってなどいない。誰かが手を汚さねばならない立場というのが厳然としてある。自分たちがいなければ守りきれないラクス・クラインもあるのだ。どんな立場であれ必要とされるのは人として幸福ではないのだろうか。
〈ならばその蔑称通りの乱暴者やったるぜ!〉
粘つくほどのマーズの殺気が通信越し装甲越しスーツ越しに伝わってくるかのようだ。僚友の意気をおぞましくも頼もしく受け止め愛機とともに報復破壊を撒き散らそうとしたヘルベルト。散会した一団の意識が目的のために純化し統一されたとき――
それは現れた。
「何だ?」
誰何の声を呼んだ輝く砲塔が目の前を行き過ぎたときには誰かが撃ち抜かれていた。レーダーはおろか熱紋センサーにすら芳しい反応を返さない小型の何かは全方位に振りまかれるモビルスーツの視覚を嘲笑うかのように残像だけをいくつものモニタに残し行き過ぎる。そして誰かが撃ち抜かれた。
「おいっ なんだこりゃあ!」
〈ヘルベルト前だ!〉
マーズの裏返った声が右往左往していた彼の視線を正面に釘付ける。警報すら置き去りにして急迫し眼前を埋め尽くしたのは黄金の巨神だった。
「なんでだ!?」
この機体がなぜここに?
この機体がなぜ敵対する?
一瞬にしていくつも浮かび上がった疑問に解はもたらされず、撃てば当たる距離で放ったビームの乱打は特殊装甲に阻まれ返される。そして仰け反った顔面に薙刀状のビーム刃が叩き付けられた。
〈ヘルベルト!〉
十字の頭部が断ち割られた〝ドムトルーパー〟にマーズが驚愕する暇も有らばこそ。現れた異常な敵はメインカメラを失った僚友の前から消え失せている。輝きの残滓を淡い月光に溶かしこませたあの機体……見紛うはずもない。
「〝アカツキ〟が! オーブの機体が…どういうつもりだ……!?」
ライブラリは返してくる。ORB‐01。信じたくなくても信じるしかない。マーズは怒りをこめてその機体に照準を合わせた
「どういうつもりだよフラガ一佐ァ!」
オーブのフラグシップがここにある。英雄の乱心により奪い取られた黄金がここにある。黄金のモビルスーツは散会した友軍悉くに砲と刃を向け、瞬く間にこちらの陣形を役立たずに変えるとマーズの〝ドムトルーパー〟目掛けて急降下してきた。そしてその両目が砲を構えた〝ドムトルーパー〟を捉える。ロックオン警告が鼓膜に爪を立てた。
望むところ。マーズは〝シラヌイ〟を身に付けた〝アカツキ〟を狙ったままホバースラスターを活かして逆走した。この機体の異常な疾走性能は時にモビルアーマーの加速すら上回る。
だと言うのに〝アカツキ〟は逆走するこちらに追いついて見せた。推力が追い抜かれたわけではない。〝ドムトルーパー〟が重心を後ろへ流すほんの刹那に〝アカツキ〟の追撃体勢が完了していたのだ。肉体でなくモビルスーツを介している以上意識と行動の間には付け込まれるだけのタイムラグが発生するのは仕方がない。だがそれは相手も同じではないのか!? 未来を読んだかのような敵の挙動にマーズは奥歯を軋らせた。
「ちぃ!」
カンがいいなフラガ一佐! そう吐き捨てられず呻いたマーズはロックした敵機へと〝ギガランチャー〟の全てを叩き付けた。凄まじいまでのビームの弾雨に榴弾砲を混ぜ込む。一発を直撃コースに、更に二発を挟み込むよう回避予測位置に。光線に気をとられれば質量弾の回避がおぼつかなくなり対ビーム装甲にものを言わせての接近では隠されたバズーカ弾に反応できまい。マーズの、コーディネイターとしての経験はナチュラルの限界をそう捉えていたが未来は複数用意した選択肢のどちらも選びはしなかった。
〝アカツキ〟の意識には隠された殺意も見抜かれていた。黄金の機体は全く減速せぬまま頭部の12.5㎜バルカンで最前の榴弾を狙い撃ち着弾前に爆圧に変え、視界を覆い尽くすほどのビームマシンガンへと不可思議な体勢で飛び込んでいった。
ビーム反射装甲〝ヤタノカガミ〟が閃光の乱打を全て受け止める。ナノスケールのビーム回折格子層は受けたビームを精確に反射する。現状を完全に把握できる『目』があるのならば反射光で狙撃も可能――それくらいの知識はマーズにもあったが数十の閃光で狙い撃たれるとは思いもしなかった。
「お、おぁあああああああああああ!?」
黄金の機体が停滞無く通過する。それでも光速で衝突するビームとの接点は一瞬――反射された無数のビームは過たず、回避予測位置に振りまかれていた残る榴弾を吹き飛ばした。
両端から刀身を生やす特殊形状のビームサーベルが眼前に迫る。恐怖の絶叫に我を忘れかけても、マーズの経験に支えられた戦闘思考が掻き消されはしなかった。〝ドムトルーパー〟の左腕に内蔵されたMX2351〝ソリドゥス・フルゴール〟ビームシールド発生装置が光を放ち、振り下ろされたビームサーベルを受け止めた。
「ちっ、近づくんじゃねェぁ!」
至近の相手を磨り潰すべくマーズは切り札を解き放った。G14X31Z〝スクリーミングニンバス〟は至近で発動するビームサーベル。この距離で巻き込まれれば攻性フィールドの対流に巻き込まれ、弾き飛ばされる。。左胸部の発生装置より吹き上がり瞬く間に張り巡らされた紅い光膜が黄金の装甲へと――
そこに〝アカツキ〟はいなかった。
「!?」
紅く滲んだ視界の先に金の人型はない。――いや、動きは見えた。だが一歩先を行かれたことには対応できなかった。必死の面持ちで機体を反転させたその先には、たった今バックパックを換装し終えた敵機の姿が。大気圏内戦闘用パック〝オオワシ〟の存在に眉を顰める暇もあらばこそ、両脇から伸びたビーム砲口が輝きこちらの機体に激震が奔った。
「ぐぁああああっ!?」
閉じかける瞼を硬くしながら機体状況を確かめるマーズは目よりも先に耳を劈くけたたましい警報音に思い知らされた。〝アカツキ〟の放った二条の大出力砲がこちらの両腕を吹き飛ばしている。仰向けに倒れていく機体にマーズは悪罵を押し付けた。
ムウ・ラ・フラガは月面地表に浮かび上がってる状態を保ちながら崩れ落ちた〝ドムトルーパー〟を見下ろした。
彼の両手は操縦桿など握ってはいない。彼の目の前には計器などない。全天周を染める宇宙の中心に身一つで浮かんでいるような状態で彼は世界を見通していた。理由は二つ。一つはケイン・メ・タンゲレとの相乗効果で拡大した彼の知覚領域、もう一つは今もモニタの隙間から燐光を放つ〝アカツキ〟に施された理解不能の素材の効果だった。
ティニと呼ばれていたサーバ使いに〝アカツキ〟の性能向上を依頼した。核エンジンの搭載、武装の上位化、〝ストライカーパック〟の追加等々幾つかの案は自分も持っていったがティニは隕鉄じみた素材を持ち出し一般論を一蹴した。
高度空間認識能力者の感応波を操縦系統へフィードバックする素材。概念自体は〝ドラグーン〟システムと何ら変わる所がない。が、砲塔を縦横無尽に操るシステムを操縦系統にまで応用したこの機体追従性はあらゆるモビルスーツを上回る。操縦と機動のタイムラグをゼロにする今の〝アカツキ〟には核動力機ですらおいそれとは追いつけない。
圧倒的な機動力を誇るはずの〝ドムトルーパー〟を赤子の手を捻るが如く下したムウは両腕を失い仰向けに倒れた敵へと視線を投げた。そして直ぐさまきびすを返す。敵は無数。一所に留まっている余裕はない。
〈何でだ…何で裏切る!?〉
無言を貫き通すはずつもりだったムウだったが、顔見知りをいつまでも黙殺できるほど強靱で理不尽な精神を持ち合わせてはいなかった。このコクピット、通信機すら必要ない。相手の心が過不足なく届いてくる。
「……悪いな。俺は、これ以上戦争のせいで泣くガキ共を作りたくねえんだよ」
思い浮かんだのはかつてのステラの姿。この間見た幼児のような彼女ではなく、自分が部下として兵器として操り――あらゆる記憶を消されながらも思いの男の腕の中で息を引き取った、あのステラ・ルーシェの姿。
そして適切な『処置』をされず衰弱しきった彼女を差し出したシン・アスカの姿。
「死なせたくないから、返すんだ! だから約束してくれ――優しくて暖かい世界に、彼女を帰すって!」
「俺は……あいつらの帰る、優しい世界ってのを守らねーと、な」
〈な、何言ってやがる……世界を敵に回して…狂ったかっ!?〉
そうなのかも知れない。これは乱心のなせる所行なのかも知れない。
「そろそろいいだろ。腕力や権力が価値の優劣を決める社会やめてもよ」
北側の包囲を完全に駆逐したムウはそう呟きながら次の戦場へと〝アカツキ〟を飛翔させた。浮遊する〝シラヌイ〟パックを握り取ると眉間を固め意識を尖らせた。コクピットににじみ出る光の光度が僅かに増すと月面を俯瞰し敵を探しているような錯覚が浮かび上がった。ムウは手近な気配へと狙いをつけた。意識すればモビルスーツが疾り出す。
敵が迫る。
意識すればバックパックがパージされ、意識すれば別のパックが接続される。更に意識すると砲塔が飛び散り脳裏に描いた世界へと撒き散らされ、敵を撃墜する。
(敵、か……マーズの奴も、敵っちゃ敵だよな…)
この思考が敵を作る。作った敵を、暴力で散らしている。先程言った言葉は何だったんだと自分に苦笑する思いだが、ネオ・ロアノークの犯した罪を償う方法がこれしかない。かつての仲間以上に、彼には借りができてしまったのだから。
幾つかの悲鳴を耳に、いや、身体で感じながらムウは〝アルザッヘル〟の守護者を繰り返す。一人で全てを守る無謀を演じる。不可能を可能に変え続ける。――目尻から一滴の熱さが落ちた。バイザーを外し中指でこそげ取るとその色は赤。ムウはバイザーを戻しながら自嘲した。
軽い罰だ。
『お前はいつでも邪魔だなァ!』
「!」
その自嘲に聞き覚えのある声が差し込まれた。奴の声が聞こえるはずが――ないとは言い切れない。見逃したことが咎だというのなら、情とはなんなのだ?
眼前に出現したのは〝レジェンド〟だった。脳裏に浮かぶ型式番号からは何も得られなかったがモニタに映る巨大なバックパックを背負った黒い機体に見覚えがある。注視するより早く敵機は6つの砲塔を背面から飛び散らせた。
「ラウ・ル・クルーゼかっ!?」
『一人で洗脳された者達を守るつもりか? 洗脳された人間に未来を見るというのか? 無駄なことだ……その程度で人の業を消し去ることなどできぬ!』
「そう言うお前は何やってんだよ? 裏切り者の俺にお前まで陣営逆転してるってのは何だ? 戦う運命とかほざきたいわけか!?」
『私はサーバ使いだ。〝ターミナル〟の為に働くこともあるさ!』
無数の閃光が黄金の装甲で弾けた。ムウはその全てを知覚しながら無意味な殺意を意識外に追い出しライフルを〝レジェンド〟へと突き付ける。
「どーせ虚無主義だろ。お前の行動原理はっ!」
敵の大口径ライフルMA-BAR78Fからの閃光を紙一重で回避しこちらも銃光を応射、同じく横回避した〝レジェンド〟へとムウはライフルを振り抜いた。
『ぬ!』
クルーゼの動揺が伝わってくる。銃底に取り付けられていたビームサーベルが〝レジェンド〟の胸部と銃身をこそぎ落とす。
『腕を上げたものだな!』
「虚勢を張るのはやめとくんだな。俺はもう、お前にあれこれ言わせねぇ。生かされた意味もわからねえような奴に、人を諭す資格はねぇんだよ」
〝レジェンド〟が両足へとマニピュレータを引き延ばす。足部側面に収納されていたMA-M80Sビームジャベリン〝デファイアント改〟が迫り上がり掌の中で組み上げられ両端から光を吐き出す。
至近に引き寄せられた〝アカツキ〟へと光刃が振り上げられる。あらゆるビーム兵器を弾き返す最強の盾と言えどサーベル状に固められたビーム刃まで抗えるものではない。シールドを掲げることもできない〝アカツキ〟の姿にラウは嬌笑を深くした。
だが振り下ろした先に、断ち割られた〝アカツキ〟はない。殺意の目と鼻の先、それでも切っ先の届かない位置にいる――自身が目測を誤ったのかと息を飲む間に〝アカツキ〟の振り下ろした光刃が〝デファイアント改〟の発振機先端を削り落としていった。
『なに!?』
クルーゼは二重の意味で驚愕した。その体に、まとわりつく気配がある。見覚えのある人間の形をとり亡霊が哀れみすらこめた眼差しでこちらを抱きすくめようと迫ってくる。
『ラウ・ル・クルーゼ…』
『ケイン・メ・タンゲレ…?』
『人を憎む人。人類を憎む人。誕生すら呪われた哀れな男……お前には見えないのか? いや、なぜ見ようとしないんだ?』
『なにを…絶望も知らぬ男が、何を!』
へばりつく亡者のヴィジョンに彼は怖気を露わにした。いつでも呪う側だった。呪われ方など知りようがない。
『――私達の示した、可能性を!』
『ふ…ハハハハハ! そんなものは絶望に振り掛ける化粧に過ぎぬわ!』
右の光刃が失われても〝レジェンド〟は退かない。狂笑と共にビームシールドを張り巡らせ敵機眼前へと覆いかぶさる。が〝アカツキ〟の刃はその光膜を意図して避けるように虚空でくの字を描き、逆の刃も切り落としていった。
『なんっ!? なんだ、お前は!』
ケインが頬を撫でて行き過ぎた。何かを得意げに呟いていったが脳裏に残す余裕などない。
「俺には先が見えてる。今更お前なんぞ――」
クルーゼは全ての砲塔を解き放った。大口径ビームライフルを撃ちかけた。無数のビームは装甲で跳ね返され相手を動かすこともできず、驟雨に混ぜられたビームスパイクも隠されてすらいないかのように、当然のように回避された。クルーゼの操作にタイムラグはほとんど無い。そして彼の操縦技術は超一流の域に達している。スーパーコーディネイターと渡り合うほど。それでも――
「敵じゃねえんだよ!」
無数の剣閃と無数の砲塔が〝レジェンド〟を囲み込んだ。安全圏を求めるも模索時間など与えられない。機体のスラスターに火が入るより早く黄金の人型が舞い、光の折が絡め取った。
『ぬぅうううううっ!』
バックパックを念入りに。後は両腕を潰せば抵抗はなくなる。だが、よそ見している余裕はなかった。オールレンジ兵器に集中した分周囲への警戒が疎かになってしまったらしい。ホバリングを維持する推力すら失い月重力に捕らえられた〝レジェンド〟の成れの果ては〝アルザッヘル〟の街中への落下コースを辿っていた。
「――ったく…お前は災厄の塊だなぁっ!」
市民の動揺が伝わってくる。救わなければとの思いとは裏腹に彼らの雑音は集中力をそぎ落としていく。ムウは意図して悲鳴を斬り捨てると口先から息を抜き意識から自分以外を追い出した。
ムウの意識を忠実に再現する〝アカツキ〟は彼の操作を待たずしてクルーゼの残骸を掴み取る。尖らされた彼の意識は瞬時に安全圏を選び出した。距離的にもここ以外にない。直ぐさまパックを〝オオワシ〟に換装し、推力を増したバーニアを思い切り吹かし機体を右に流すと組み敷いた〝レジェンド〟の機体を戦艦の発着所に叩き付けた。
轟音と共に飛び散る破片。救ったつもりでも救いきれなかった幾人もの悲鳴、いや断末魔が心の表面を引っ掻いていく。ムウの目元から再び赤が一筋流れたが彼は気にするでもなく墜ちた〝レジェンド〟を睥睨した。直ぐさま気づく。ムウは犬歯を剥き出した。
「……ったく、往生際の悪ィ奴だ!」
吐き捨てる。モニタの下方では機体を乗り捨て走り出すラウ・ル・クルーゼの姿があった。数ヶ月前には壊れた機械だった奴が人の姿を持って装甲表面をよじ登り走り出す姿にムウはおぞましさを感じる。彼は腰元のホルスターを確かめると〝アカツキ〟を跪かせハッチを開放した。
「止まれクルーゼ!」
クルーゼは止まらない。ムウは拳銃を構え、照底と照星の先に彼の頭を念入りに重ねる。
「二度とは止めねぇぞ」
トリガーを引き絞る。クルーゼは何かを感じ取り振り返ることなく身体を右にスライドさせた。ムウは再びトリガーを引き絞る。やはり何かを感じ、クルーゼは回避行動に入るが――それと時を同じくして、ムウは額に力を込めた。眼球を押し出しかねないプレッシャーが空間を渡り、直進しかできない殺意に干渉する。
クルーゼの側頭部に銃弾が突き刺さり、逆の頭から抜けていく。有り得ない軌跡を描いて喰らいついた弾丸は直線射撃と寸分たがわぬ威力を保持したまま対象の脳髄を破壊した。硝煙たなびき遅れて駆けつけたイマジネーターの自警団たちも武器を下ろしため息をつく。しかし怪異の世界は終わらなかった。
「な!?」
むくり、ずるり――。体を引きずり揺らめかせながらもラウ・ル・クルーゼが立ち上がった。左手で顔を押さえる男の頭からは悪夢のような赤が流れ落ちている。抑え付けても金髪を染め、髪以上に垂れ落ちる血潮は部位も量も共に致命傷を示している。だと言うのに彼は立ち上がり、こちらを見据えてニタリと嗤った。
「何を驚く? コーディネイターは人為的に進化させたものだろう。死が人類の最も怖れるものの一つなら、究極進化の果てに死を超越した存在があっても不思議あるまい?」
ムウは彼から奪い取った権利を行使し〝ターミナルサーバ〟へアクセス、望む解を引き出した。専門的な手法などは彼の知識では把握しきれるものではなかったがそれでも幾つか頷かざるを得ない。癌細胞や母細胞はテロメアを書き戻す特性を持つ。トカゲの尻尾は切れてもまた元通り再生する。アメーバは二つに断ち割られてもそれぞれが別個として活動し続ける――それら遺伝子特性を解明し、通常細胞にまで機能付加すれば確かにできあがるのかも知れない。不死身の多細胞生物というものが。
「……〝ロゴス〟が遺伝子操作に手を出すとはな。何よりお前が、そんなものに手を出すとはな!」
『不思議でも何でもない。遺伝子操作を忌み嫌う〝ブルーコスモス〟は〝ロゴス〟の一部分に過ぎぬ。奴らは手の届く欲望には全て手を出してきたのだ。そこに不死が含まれていようとも別段特別なことではあるまい』
クルーゼは額を抑え、荒い息をついたまま大気を介さず特性を用いて話しかけてくる。
ヘルメットに穴を開けながらも活動する。その姿はまさに動死体(ゾンビ)だ。こちらが顔に浮かべた気持ち悪さを、彼は敏感に感じ取ったのだろう。感覚が「自虐」と伝えてくるラウの笑みが深く大きく刻まれた。
できそこないの生を恨み、そんな自分を産み出した世界そのものを憎んだ。だとすれば今の姿は彼の望みを叶えたものではないのか? ムウの疑問を感じ取ったのだろう。クルーゼの表情が鬼面に化けた。怒りに我を忘れたか、それとも、こちらの疑問に抗えるだけの反論が生み出せないのか、届く怒りは純粋で、でありながら意味が採れない。理不尽に対する義憤でもなく我が儘を通すための傲怒でもなく、ただ彼は赤く怒った。
『――人の、命の尊厳など何一つ見いだせないこの身体だ』
「もういい」
純粋を無くした怒りは彼の無価値を露呈した。高い戦闘能力を持つ? 権謀術数に長けている? あらゆる知識を必要なとき取り出し扱える? 誰しも望む不老不死を体現している? 全てを兼ね備えながらも彼は全てを否定する。彼を望むものはいずれ根刮ぎいなくなる。
滅ぼすことしか望めない。それを止めることも叶わない。
自分ですらどうしようもない、魔と化した存在に法も治療も意味を成さない。言葉で飾ろうと魔は救われない。それを救うのが――家族の役目なのだろう。
クルーゼは再び逃亡を試みた。だがムウが思考する方が早かった。感応波を媒介とする〝アカツキ〟の操縦系統は充分な意識さえあればパイロットがコクピットに収まる必要すらない。ハッチを開けたまま黄金のモビルスーツが立ち上がり、動揺するイマジネーター達、そしてムウの脇を行き過ぎた。
死を超越したはずのクルーゼの両目が驚愕に見開かれた。対人兵器では奴を殺すことは不可能だ。ならばもっと過剰な、再生概念までも殺しきる残酷を超えた無感動を選択するしかない。
見上げたクルーゼを――ビームライフルの銃口がすっぽりと覆った。意識に爪を立てる男の感応波を真っ向から受け止めながら、ムウは脳波で操作する。
一瞬の閃光。
悲鳴にも似た感応波が、ぴたりと止んだ。アカツキが垂直に立てていたライフルを引き戻せば――底には焦げ痕と、立ち上る煙と、吹き抜ける風と、流れてくる石くれと……生命の気配はどこにもない。
「あばよ。親父……」
ラウ・ル・クルーゼにアル・ダ・フラガの記憶などあろうはずがない。〝ターミナルサーバ〟と成り下がり、あらゆる蓄積知識を我がものとしたとて父の人格を得られたわけもない。それでも彼は、ムウに対して父を感じさせ続けていた。父性などではなく、反発せざるを得ない対象として。アルの死後すら残る呪縛として。
「いや、弟、かな……」
ムウは感傷的になった己を自嘲し星の瞬く空を見上げた。個人的な過去の清算のためここにいるわけではない。
『……お前は…自分の命を他人のために使うつもりか?』
聞こえてきたような気のするケインの問いかけは答えを探す内に霧散し、対処を求め続ける現実の津波に飲まれて見えなくなった。
見上げた先に、無数の機影が見える。諦める気配を見せない敵からここを守り抜く。それが今見ていられる贖罪の道程だった。
光輝。光輝に次ぐ光輝。その一つ一つが命が放つ最後の輝きかと思えば美しくも――
(感じないわよ…!)
光は可燃物がもたらすただの爆発で、光は粒子とガスが見せるただの瞬きで、あぁどれも命が燃え、輝いているわけではない。寧ろ、さっきまで笑いあえた誰かの価値が無意味に消されている。それが光輝として脳裏に届くのだ。
人を殺す力が美しいだと? 考え直せと軍人であるルナマリアは自分自身に語りかけた。
「〝ノワール〟……あればなァ…」
スタンフォードで独断専行が今更ながらに悔やまれる。クロとイマジネーター達の制止を振り切るような愚行に身を投じなければ、恐らく〝ストライクノワール〟も〝アイオーン〟の艦載機となっていたことだろう。
先程まで〝ガナーザクウォーリア〟で出ていたルナマリアだが、固定砲台以上の戦果は出せなかった。モビルスーツ同士が超高速で鬩ぎ合うこの戦場に砲撃仕様は無用の長物だ。〝ゴンドワナ〟や〝プラント〟と言った拠点に接近できれば〝ガナー〟の使い道もあろうが、今度はその破壊力が使用を躊躇う要因になる。
だからと言って〝ブレイズウィザード〟も選択の他だ。使い慣れた高性能機の感触がデチューンされた推力を拒む。彼女はいらいらしながら格納庫(ハンガー)内をうろうろしたが、瞬きを繰り返したところで艦載機の種類が増えるわけもない。
仲間たちが命を賭けているのに自分はいつまで待機するつもりだ? 先ほどまではただの疑問に過ぎなかった居たたまれなさがここに来て名指し難い焦燥に変わった。先ほど開き、今は別の戦場を映すウィンドウで肩を、そして銃を並べて共闘する〝ガイア〟と〝インパルス〟の姿を認めてしまった。
焦りか、嫉妬か。冷静を炙られたルナマリアには判断がつかない。だが心の片隅でこれをティニとクロにだけは見せられないとの思惟が働いていた。ともすれば〝ブレイズザクウォーリア〟で出るべきか? だが彼らの足を引っ張りサポートを受けるようでは何の意味もない。
「あぁもぉ!」
〈一機帰還します! ハンガースタッフは待避を!〉
警告放送が終わらぬ間にハッチが開きモビルスーツが入り込んできた。たった今脳裏で否定したばかりの〝ブレイズザクウォーリア〟が別の機体を抱えて入ってくる。
「これ……」
〈ルナマリアさん!〉
声は目の前のモビルスーツから。
そしてそれが降ろした機体はライフル以外全ての揃った機体ZGMF‐24S〝カオス〟だった。
〈これ使って下さい!〉
ハッチの開いた、五体どころか武装まで満足な敵モビルスーツが母艦格納庫に――。これをなすために彼は――いやおそらく彼ら、は――どれだけの労苦を強いられたことか。
「な、何やってるのよ…こんな」
思わず敬遠してしまった彼らの善意。だがイマジネーター達は気分を害した様子もない。通信を繋いできた一人が代表し、彼女に笑顔を向けていた。
〈ルナさん、出たいんでしょう? 今ある機体じゃ実力出せないってクロさんも言ってましたし〉
言葉を失った。
すでに機体に取り付き補給と修復を始めたイマジネーター達。彼らも作業を完遂してくれた彼と同じく自分を思って行動してくれたと思うと先ほどとは別種の居たたまれなさがこみ上げてくる。
「でもそんな……」
世界を相手にした最終決戦にそんな個を持ち込むことが許されるはずもない。シンの元へ飛んで行きたい焦燥とこんなことまで他人に気を使わせたくないという焦慮が衝突し、言葉の選別に混乱させられる。握りきれない拳を丸めて呻くしかないルナマリア。彼女の肩が背後から押された。
「ルナマリア」
気心知れた整備兵が苦笑を浮かべて鼻を掻く。ヨウランの言葉は改めて言われるまでもない真理だった。
「こういうときは「ありがとう」、でいいんじゃねーか?」
「………うー…あ、そ、そうね。みんな、あ、ありがと」
〈どういたしまして〉
〝カオス〟の整備に着手した何人かからも立てられた親指サインが返ってくる。ルナマリアははにかむ表情筋を持て余しつつノーマルスーツの前を閉じ、浮かびかけていたヘルメットを引ったくる。エネルギーパックのアタッチメントが存在しない〝カオス〟の為、〝ウィンダム〟のライフルを調節して装備させる。後は動力炉と伝達経路のチェックに問題がなければメンテナンスは終了だった。半刻程度の待ち時間を消化すると〝カオス〟のシステムに火が入り、空間を滲ませる音と共に機体がモスグリーンに色づいた。
「ミサイルポッドが半分程度ですが、その他の機動に問題はありません。どうしますか?」
「ミサイル…AGM141か。どれくらいあるの?」
「運用予定がなかったのでAGM138…〝ブレイズウィザード〟用しかありません。互換性は大丈夫ですがそうなると総詰め替えです」
「了解。今の補給は諦めるわ。戻ってきたときのために詰められるようにしておいて」
時間が惜しい。床面を蹴ってコクピット胸部にまで浮かび上がると整備士と入れ替わりにコクピットへ潜り込む。武装は特殊だが、基本操縦系統は〝インパルス〟と酷似している。一度見せて貰ったこともある。使えるはずだ。
「…EQFU-5Xリンケージ確認………システム、戦闘ステータスで再起動――」
システムチェックをする間にも機体はカタパルトに…接続された。
〈カタパルト接続確認。コントロールをパイロットに移譲します〉
「了解。ルナマリア・ホーク、〝カオス〟、出るわよっ!」
射出されるなりモビルアーマーに変じた〝カオス〟は加速をかけた。
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善は悪より生き残る可能性が低い。人は所詮、個を優先する生き方を曲げられない。生き残らねばならない、生物である以上それは理性の限界であり敗北。世界が常に用意する卑劣。猶予もなく突きつける卑劣。人は世界と向き合えるが故に絶望を植え付けられ―時に自ら終末を望む。
117~119話掲載。望みはあるのか。人の生きる世界に…