SEED Spiritual PHASE-114 仲間を狙う心苦しさ
長射程砲を展開する。両手のビームライフルショーティと対艦ミサイルで弾幕を張りつつ腹部複相砲〝カリドゥス〟と長射程砲〝ゾァイスター〟を時間差で連射、大小問われず貫かれた敵機の残骸を通り過ぎ、距離を取ったクロは艦団を俯瞰する。発見した敵の戦力は半減させた。次はまだ見えない。
(さぁどう動く?)
退却するか? ならばこちらは逃げ腰のお前らを狙いつつL5にまで連れて行って貰う。月の全戦力をもって今度はこちらがラクス・クラインを包囲する。――自分が戦い抜ければだが。
こちらを振り切るつもりで月へ向かうか? ならば自分は牽制に切り替える。シン達と合流して挟撃だ。敵を疲弊させてから攻勢に転ずる。――戦力が残ればだが。
(攻めてくれた方がオレは楽だな)
だが奴らもやられっぱなしではいられまい。未だ発見できていないが〝エターナル〟が機首をこちらに向けてきたならば〝フリーダム〟を抑えなければならない。そうなれば一騎当千などやってはいられなくなるだろう。
〈ちっ…撤退だ!〉
〈前衛部隊はどうするんですか!?〉
〈このままでは全滅だ。どうしようもない〉
「……撤退するんだな」
クロは〝コメット〟に銀の衛星を背負わせた。敵艦隊が後退を始める。武装を狙撃型に換装し、六つの砲口と多数のミサイルを突き付ける。メインプランからの変更と言うことになるが戦場、いや世界という奴が予定通りに進むわけがない。クロはティニとの通信を繋いだ。
「ティニ、奴らは撤退していく。後衛の発進時だと思う。――〝エターナル〟はもっと後か?」
戦場に引き締められた心を更に緊張で締め付ける。しかしその拘束帯はティニの言葉に引き抜かれた。
〈……えーと、すみません。こちらも情報操作を受けてしまったようです。あなたがぶっ壊したのは最前ではなく第二陣ですね……〉
「なに!?」
動揺が指先を震わせ照準をズラした。放った〝ゾァイスター〟の赤光は逃げ去るナスカ級の翼端を削り落として行き過ぎる。だがクロはお粗末な戦果に舌打ちを零すよりも次の行動が予想できず凍り付いた。
「……どうすればいい? オレは月に戻るか?」
〈いえ、クロはそのままL5へ向かってください〉
「サポートもなしでか? 〝コメット〟の弾尽きるぞ」
〈まもなく〝アイオーン〟が発進しますから――と、少し済みません。こちらに集中させていただきます〉
唐突に通信が途切れた。
「ティニ? おいティニ!」
心臓を氷の手で掴まれた心地。クロはティニを呼び続けたがいつまで経っても返事がなかった。
「ルナさん、配置に付きました」
マユラ・ラバッツは新たに受領した機体、GAT‐X252〝フォビドゥン〟の操作系と特徴を脳裏で反芻していた。
〈こっちもおっけーよ!〉
自分の言葉に応えるようにアサギの返事がこちらに届く。この空域に配置された〝フォビドゥン〟は5機。他にもイマジネーターとクローン兵からなる戦闘集団が〝アルザッヘル〟市をガードするため各所に布陣しているはずである。そのイマジネーターの一人が哨戒結果を伝えてきた。
〈来ました。グリーン12マーク60ブラボー、距離五千にナスカ級1、ローラシア級2……やはり〝アルザッヘル〟を包囲する腹づもりみたいですね〉
マユラは仲間からもたらされた情報に従い機体を僅かに右へとずらした。近距離でしか役に立たないレーダーに映る友軍機の光点もそれに吊られるように揃って傾く。位置にオーケーサインが出た瞬間、敵艦からモビルスーツが吐き出された。マユラとアサギは重刎首鎌〝ニーズヘグ〟を手に88㎜レールガン〝エクツァーン〟で相手を踊らせつつ肉薄する。最前衛を勤めた〝ブレイズザクウォーリア〟がミサイルポッドのカバーを開くも爆薬の本懐を遂げさせられぬまま斬り裂かれる。続く長距離砲の連射に対し、5機の〝フォビドゥン〟がバックパックをマウントし、両端の稼働装甲を大出力ビームへと正対させた。エネルギー偏向装甲〝ゲシュマイディッヒ・パンツァー〟が発動し命を狙って直進する光を彼方へと歪曲させた。その内一機がねじ曲げたビームで敵機を一機撃墜する。
「おお、やるじゃん!」
〈ティニさんとこの子よ。まぐれじゃなけりゃ凄いね〉
光線の乱舞を皮切りに空中戦が始まった。いつまでも話し続けられる余裕は与えられない。いきなり都市を撃つ程の外道はしてこないものの、こちらが自己主張する領空を瞬く間に粒子の閃光が埋め尽くす。
「アサギ、どーする? 突っ込む?」
〈陣形崩しちゃマズいよ。迎撃〉
「了解よ」
敵艦のリニアカタパルトから次々とモビルスーツが吐き出される。マユラは敵位置を仲間内へ送りつけながら迫り来る〝ザクウォーリア〟部隊へ全身の機関砲とレールガンを撃ち付けつつ、相対位置を調節し合う。〝ザクウォーリア〟と比べて旧式の〝フォビドゥン〟ではあるものの複合相転移(トランスフェイズ)装甲と〝ゲシュマイディッヒ・パンツァー〟を兼ね備えたこの防御能力に死角はない。
「スティング出過ぎ! もうちょっと後ろよ!」
〈ちっ! うるせえなぁ〉
言いつつも彼らは従ってくれる。ライラの置きみやげに感謝しつつ、究極の防御力にものを言わせる。幾つかの敵機をやり過ごし、
「ルナマリアさん!」
〈了解ィっ!〉
刹那、高エネルギーの暴流が通り過ぎた。戦艦前に犇めいていたモビルスーツ数機が一瞬で爆煙を漏らしつつ蒸発し、奧に鎮座していたナスカ級が半身を飲み干され離脱していく。その艦船も生き残ることはできず全身に破壊を感染させて沈んでいった。だがそれだけでは終わらない。
「っ!」
自分に向けられた白一色に死の恐怖が想起されるものの指はしっかりと訓練結果を出してくれた。数機のエネルギー偏向装甲に干渉された巨大ビームは飴のように角度を変えると次の獲物へ食らい付く。完全に虚を突かれたザフトの一団は脇腹を貫通され二隻目の艦が爆発した。
ルナマリアは久方ぶりの〝ガナーザクウォーリア〟に奇妙な感慨を抱いていた。機体は月の山陰に寝そべらせ、高エネルギー長射程ビーム砲を構えさせたまま砲身の冷却具合をデータで確かめる。〝ガナーザクウォーリア〟ではあるが、手にした長射程砲はノーマルの〝オルトロス〟ではない。内部構造はそのままに砲身と口径が大型化しており、機体後方に放置してある大型エネルギータンクと無骨なコードで繋がれている。モビルスーツ最大の長所である機動性を完全に殺す、馬鹿げた武装だ。
「ミニ〝レクイエム〟ってとこね」
ルナマリアは覗き込んでいた精密射撃用スコープを右脇へ押し遣った。スコープ自体は〝インパルス〟にも付いており、何度か使用経験もあったが、ここまで集中して覗き込んだのは初めてかも知れない。あぁ〝ブラストインパルス〟を使っていた際、もっと積極的に使うべきだったのか。
「お、次来たわね……!」
Nジャマー下でもこの距離ならば熱紋センサーにばかり頼る必要はない。レーダーに映る僚機位置、敵機の位置、その相関関係がもたらす計算結果が脇のショートウィンドウで目まぐるしく走り回っている。スコープを覗き込めば今は無数の光点が灯っていることだろう。どれかを選んでカーソルを重ね、親指を押し込めばロックオンできる。撃った後にすら最大五回やり直せる。その時アサギ達の苦労は並大抵のものではないだろうが、理論上はできる。敵は無数で撃てば当たるこの状態で完璧以上の照準補正が加えられるなど……パイロットがコーディネイターである必要すらない。
〈ちょっと…凄い数よ。他はどうなってるか解る?〉
〈ステラは出てる。でも、シンは?〉
〈どーでもいいだろ!? お前ら自分の所に集中しろよ!〉
〈お前らやんねーの? おれ一機貰っちゃうぜ!〉
〈ルナさんの射角外に出ます、こちらには限界がありますので修正を!〉
シンが連れてきた組織よりもたらされた機体により、戦術幅は大きく広がっていた。〝ザクウォーリア〟、〝ウィンダム〟を主軸とした集団に時折GATシリーズが混じるこの編成は、〝ミネルバ〟にいた頃の友軍を思い浮かべても遜色ない。量産機ばかりの構成を覚悟していたルナマリアは〝ファントムペイン〟の財力に感嘆していた。
〈モビルスーツ、リニアカタパルトに出てきたよ! 次行ける?〉
「O.K.よっ! あと二発分はチャージできてるわ」
有視界通信にゴーサインを返し、搭乗機を匍匐射撃姿勢のまま砲身を傾けた。仲間を狙う――それが間接的に敵を一網打尽にする手段と理解してもなかなか心苦しい。それでもスコープ内でロックオンマーカーが警告音と共に赤く染まれば指先はトリガーを引き絞っていた。
粒子砲の反動はそれほどでもなく、代わりにとばかりに膨大な光が視界を灼く。散開した五機の〝フォビドゥン〟をかすめた光は直角に歪むと更にモビルスーツと敵母艦に襲いかかった。
「次行くわ!」
〈了解!〉
限界まで連射させる。更に射角を変えたルナマリアは新たな〝フォビドゥン〟を狙い――
その〝フォビドゥン〟が胴切りにされ飛び散った。
「うっ!?」
ルナマリアは慌ててトリガーから指を離す。仲間を撃墜した機体がビームサーベルを構え……確認できたのはその瞬間だけだ。赤い機体はモニタから消えている。
「あれ、まさか――」
ルナマリアは脳裏にこびり付いたカラーから想像される機体を、その機体から連想されるあの人を脳裏から掻き消そうと苦心した。だが無理だ。ティニに泣いて懇願しない限りそんなの無理だ。
「みんな気をつけて! 砲撃プラン破棄! 散開して各個にっ!」
指示を出しながらカスタム〝ガナーウィザード〟をパージ、背後に待機していた〝ザクウォーリア〟に背を預け、〝ブレイズウィザード〟を接続して貰う。満足する水準には達しないまでも段違いの機動性を得たルナマリアは一機撃墜されて右往左往する4つの僚機へと飛び立った、月の弱小重力下でなら〝ブレイズウィザード〟の推力で充分飛行ができる。だが行ってどうする?
「大丈夫?」
〈っ……おぉ…びっくりしたけど大丈夫よ〉
アスランと戦えるのか? 心情的にも、戦力的にも。
〈一端引かないとヤバくない?〉
装甲を合わせた〝フォビドゥン〟から別の通信が漏れ出てくる。送られてきたモニタ映像は〝アルザッヘル〟へ降下する機体が確認させられる。ルナマリアはその一つにビーム突撃銃を向けるとトリガーを引いた。外れる。代わりに横手から迫った婉曲するビームが侵入者を薙ぎ払った。アサギの放った〝フレスベルグ〟を皮切りに友軍達が吐き出した砲撃が上空からの侵入者を排除していく――しかし管制からの通信が入る。〝アルザッヘル〟市内で火の手が上がったと。
「どうしてっ!? まだそこまで攻め込まれてないでしょ!?」
戦艦発進準備が整ったとはまだ伝えられていない。更に見上げる先には漆黒の宇宙であまりに目立つ淡紅色の戦艦がルナマリアの焦燥を加速させる。
「〝エターナル〟っ……!」
クロはどうした? やられてしまったか? 挟撃などという案を実行に移す可能性はどこにある? 都市を生け贄に逃げようにも戦艦が機能しなければそれも夢想だ。ルナマリアは戦術を求め脳裏をかき回したが思考がかき回されるだけでどうにもならない。
〈ルナマリア、離れて! 新手よ〉
「えっ?」
ライブラリが返した型番はZGMF‐X24S。奧のナスカ級、〝エターナル〟から吐き出された機体はバックパックに筒状の分離兵装を備えた可変機、セカンドステージシリーズの宇宙用強襲機〝カオス〟だった。一対一は経験がある。だが多数の〝カオス〟が機動兵装ポッドをばらまき熱紋センサーに敵影が激増させてくる様は圧巻を通り越して寒気に襲われる。
「どーすればいいのよ……!」
ルナマリアは天を仰ぎたくなった。だが当然操縦桿から手を離せるわけもない。機体数を三倍する閃光がこちらの連携を寸刻みにし始めた。
「クロも甘いんですよ」
「お前とクロが甘いってんなら世の中に優しさなんぞなくなるな」
そう言いつつも彼も焦っているのだろう。横目で博士を確かめたティニは暗くほくそ笑んだ。だがいつまでの笑んではいられない。彼が焦るように自分も焦らざるを得ない状況に陥っている。
「A‐1から18番まで隔壁閉鎖! 全員発進してますよね? 回収は艦が出てからってことで考えなくていいですっ!」
「当然こっちが優先よ! 対人兵器対策とか、人間白兵戦とかできる武装揃ってるわけないでしょ!」
「〝アイオーン〟と〝クリカウェリ〟以外は最悪破棄でも構いません。まずは〝アイオーン〟を」
一瞬、ディアナとフレデリカの指が止まりかけたのをティニは見逃さなかった。自分が発した「それ以外」を忠実に察してくれた証しだろう。
「ティニ、宙の包囲がキツかったら、どうする気?」
「もちろん〝コペルニクス〟を人質というか都市質にします。軍神さん達の心の故郷ですから攻撃の手が緩むこと請け合いです」
「……外道ねー。了解。私が任されるからフレデリカと博士はプロテクト頑張って」
「了解です」
「む」
既に〝アルザッヘル〟は敵を招き入れてしまっている。ティニが灯したディスプレイには腰を折り、小銃を握りしめ突撃する武装軍人の列を映しているものがある。あんな人間にここまで踏み込まれれば戦う能力のない自分達は瞬く間に殺されてしまうことだろう。――ティニは死なないかもしれないが。
(甘いんですよ。クロは)
それとも自分が、か? サーバ使いが何人もいると油断していたのは私の方か? モビルスーツ一機たりとも通していないというのに歩兵部隊が街中を闊歩できている理由は一つ。あの時の〝ターミナル〟要員の置きみやげのせいだ。
(後で解る情報……。使える場所がなくなるかもという心地の中ではムカつくものですね)
ヘルベルト・フォン・ラインハルトとマーズ・シメオン。クロがあの〝ドムトルーパー〟を逃がさなければ、片方を撃ち殺して片方を拷問にでもかけていれば今を苦しむ必要もなかったはず。
「ティニ! 1層が…街へ――」
「ちょっと待って! それよりこっちを!」
パイロットと待機状態のイマジネーター達を管理していたディアナからの横槍はティニの目を向かせた。渡されたディスプレイデータに、シン・アスカがいる。
「…どー言うことですか? 全機発進したはずでは? 〝デスティニー〟は今どこなんですか?」
ディアナはまずティニに掌を出した。声こそ落ち着いているもののティニはキレても判断しがたい。二人の焦燥を見て取ったノストラビッチは念のためと引き出した格納庫(ハンガー)の艦載データに……あぁZGMF‐X42Sがある。コクピット内を確認した博士は溜息と共に報告した。
「ティニ、〝デスティニー〟は〝アイオーン〟の格納庫(ハンガー)じゃ」
博士の引き出した映像データに残り三名は絶句した。
シンは薄く目を開けた。だがそれでも脳裏に残った映像が瞼の闇に蟠る。シンはキラを殺す自分を妄想していた。手元には自分の力と連なる操縦桿がある。それでも思い描いていたのは生身で彼を殺す自分であった。残酷に、惨たらしく、悲鳴と懇願に耳も貸さず徹底的に。自分は大切な人を奪われたが、彼本人に思い知らせることしか思いつけず、ただ殺した。想像の中では、時に死しても終わらない。無理矢理脈絡もなく蘇らせ、反芻という名の連続殺人を繰り返す。
(発進前に……寝ちまうとは……おれも弛んでるな)
怒りを覚えたが、それは油断ではない。ただ身体が限界に来ただけ。居眠りではなく気絶した。それでもシンに疲労感はない。あっても感じている余裕はない。
――再びシンは微睡んだ。いや、意識が飛びかけた。その先にあるものに、思わず手を伸ばしてしまう。久しく忘れて――否、最早聖域と化し近づけずにいたイメージが浮かび上がって来る。
マユが振り返り、笑顔でこちらに手を振ってくる。シンは躊躇った。もう自分に触れる権利も価値もない。そう言い聞かせても目の前に広がる希望には抗しきれず、信念で本心を縛ることができない。シンは手を伸ばしていた。
だがその罰は……目覚めだった。
(………だよな)
マユが自分に笑いかけてくれるわけがない。彼女の断末魔は恨みにまみれていた。許すわけがない。それでも自分が美しいとは感じられず、問いかけていた。
「マユは……、復讐だけに生きるおれをどう思っているかな…」
〈シン! 聞こえてるっ!? こらシンっ!〉
「……聞こえてる」
〈あんたまさか寝てたんじゃないでしょうね!? もうみんな出撃してるわよ!〉
「…わかった。出れば――」
シンは何かを感じ取り、言葉を途切れさせ有視界通信に掌を突き出す。画面の奧で鼻白むディアナに目もくれぬままシンは遠くへ目をやり続けた。その様はまるで今の眼前ではなく遠い次元を見据えているようで管制が言葉を失う。だがフレデリカであれば閉口してしまったであろう彼の態度も我を取り戻したディアナの怒りが画面と通信両方で炸裂したがシンは意図してそれらを意識より閉め出した。
〈ちょ……コラこのガキ、何か一流っつっていい気になってるんじゃねェわよっ!?〉
シンはいくつものスイッチに手を伸ばし、〝デスティニー〟へ命を吹き込んでいく。
〈シン! あんた――〉
「シン・アスカ、〝デスティニー〟行きます」
完璧ブチキレたディアナを横手からの男の手が抑えて止めた。混乱する管制に一目もくれず〝デスティニー〟の足を投げ出す。外部の様子を取り込んだカメラには撃墜される友軍が映り、シンは色のない目に怒りを滾らせた。
SEED Spiritual PHASE-115 キレてやがる
貝殻のような城。特異なものだが意外ではない。先年攻めた。もう見飽きている。その時は浮いていたが下半身を埋めたこの無様な姿に圧倒される理由もない。マーズは小銃のセーフティ位置を確かめると続く一団に手首でサインを送った。
突撃が始まる。一個師団にも相当する大部隊はイマジネーターを目にとめるなり発砲を開始した。〝クライン派のターミナル〟。ラクス様のために生きる存在は一声かければこれくらいは揃う。そして神聖な歌姫にさせられない汚れた任務を彼女のためと嬉々として行える。
まずこちらに気づけぬまま通路を歩いている人間達を射殺した。ここにいる以上善良な一般人は有り得ない。疑わしきを罰する心構えはできている上目に付く全てが敵と断定できるこの戦場は、楽ではある。
続いて幾つかのケーブルを銃弾と刃物で寸刻みにしてやる。元々は完成されたザフトの要塞も敵方の雑な改修を受けにわか作りの無様があからさまに出ている。ハッチを探して開けなければ破壊できないものばかりではない。通路に露出しているものさえある。楽だ。
「ヘルベルト、構造データは引き出せたか?」
「はは、引き出すも何も〝メサイア〟とそうそう変わるもんじゃないぜ。司令室ならここ、サーバ室なら下、このどっちかだろう。二手に分かれも戦力に不安はない」
「了解だ。じゃあ俺は――」
また人を撃ち殺す。通路は意外と広い。〝メサイア〟の通路は有事には武装した一団やら兵器が通過することでも想定していたのだろうか。だとすればそれが武装した一団が陣形を組んで通過する現状には苦笑するしかない。
「下に行くか。いいな。サーバ使いを見つけたら捕らえろ。〝エヴィデンス〟とN/Aか。どちらも殺しようがないらしいからな」
無数の了解を受け頷き返したマーズは小銃を構え曲がり角の先を牽制、左手を振り抜き一団を先行させた。先行部隊のカッティングパイ、彼らのサインを頼りに侵攻を進めるつもりだったのだが――
天井より降り掛かった巨大な掌がその全てを押し潰した。
「なぁっ!?」
「っ!」
黒色の掌――いや、掌をかたどっただけの鉄塊が脅威を引き寄せる。マーズとヘルベルト率いる一団は銃を乱射しながら後ずさるが質量があまりに違いすぎた。鉄塊に引き寄せられたのは目も覚めるような青い装甲、白碧の双眸、そしてこちらの手持ち武器など丸ごと飲み込めるほどの巨大すぎる銃口。
「……っ、で、〝デスティニー〟…!」
モビルスーツは何にでも使える汎用性がある。その言葉は最早定説であるが、人が通るための通路にねじ込んで使うような気の触れた奴がいようとは!
「――って、こいつマジかよぉっ!?」
砲口以上の銃口に碧緑の輝きが灯る。
「キレてやがるっ! 後退しろてめえらぁ!」
泡を食うマーズは口角泡飛ばしつつ外聞をかなぐり捨てて遁走を始めた。殺戮を繰り返していた全ての男達も悲鳴を上げて陣形を崩す。太刀打ちできない恐怖に対応しろ? 巫山戯たことを!
「こっちだマーズ!」
「お、おうっ!」
最初の曲がり角に逃げ込んでいたヘルベルトに引き込まれる。だがその瞬間粒子光の吐き出される轟音が轟いた。
側道には滑り込んでいたと思う。が、その労苦が正しく報われたとは彼には思えなかった。
「っ……おぉああああああ……!!」
腕が、ない。落ちているわけでもない。失くなった。ヘルベルトは慌てて駆け寄ったが処置をする前に顔をしかめる。凄まじい熱風が吹き付けてくる。同士の腕一本奪っていったのは粒子の直撃などではなくその余剰エネルギー、と言うことか。確かにモビルスーツのビームなど人身が対応できる概念ではない。それを、
「あいつ…本気で撃ちやがったか…!」
何とかマーズの元まで辿り着き、のたうち回りたい痛みを押し殺している友人を引き寄せ処置を試みるが出血するわけでもない創傷を持て余す。だがその驚愕も新たな衝撃に塗りつぶされていた。本気で撃ちやがった、つまり施設の破壊すらいとわずこちらの排除になりふり構わなくなった。狂気はそれが限界だと思っていた。が、熱風晒される通路は煤けているものの元の姿を保っている。人間の体より装甲材の方が耐熱性が高いのは理解している、つもりだったが――ここまで無事な敵の通路とここまで修復不能になった味方の腕を見せつけられると……怖気が走る。
「……構造材の耐熱剛性とライフルの出力を算出したってぇのか!?」
驚愕している暇などない。蟻の巣に人体をねじ込むが如き暴挙は今もこの場に迫っているのだ。マーズに麻酔処置だけを施したヘルベルトは彼を担ぎ上げつつ声を張り上げる。
「生き残ってる奴はいるか?」
幾つか上がる同僚の声。その数には不安を覚えてしまうものの、一人でも残っていれば任務放棄は許されない。
「よし、上は後回しだ。下のサーバ室を抑えろ」
「あんたらはどーすんですか?」
「放っていけ。足手まといはゴメンだ。星流炉搭載型か奴のブレーンを抑えられればそれで勝てるだろ」
「……むう…」
「俺達の全てはラクス様のために」
「…了解した」
ヘルベルトはマーズと小銃を抱え上げ、大きく息をつく。その間にも、巨人が脅威をもたらす音が迫ってくる。
「ちょっと、シンどうなってるの? ここ壊す気!?」
「いえ、彼はこちらも把握しきれなかった〝ターミナル〟の触手を押し留めてくれました。彼の状態、今も異常ですからちょっと特殊な感覚でも付いてるのかも知れません」
「はぁ?」
「彼の自由にさせましょう。それより外です」
以前この都市に潜入していたい〝クライン派ターミナル〟の尖兵――マーズ・シメオンとヘルベルト・フォン・ラインハルト――どんな手を使ってでも奴らを処理しなければならなかったのだ。これは断ち切れなかった後顧の憂いというものか。
(クロもなんだかんだ言いながら甘い人ですから)
ティニはルナマリアに指示を出そうとした。が、思い止まる。彼女は潔癖だ。
「〝コペルニクス〟を包囲してください」
なのでその指示はイマジネーター達に伝えた。管制の三名は一瞬息を止めたが何も言っては来ない。だがティニが全てのウィンドウを閉鎖し立ち上がると全員が目を泳がせた。
「そんでもって皆さん〝アイオーン〟に移動しましょう」
「なんじゃと?」
「最悪〝アイオーン〟が残れば大丈夫です。〝ファントムペイン〟の方々に任せればそこに〝クリカウェリ〟を足すこともできるでしょうし」
艦一隻、いや二隻で国家と渡り合えるだと? ノストラビッチらは異生物の特異な思考に辟易させられる。しかし警備用のモニタに映る特殊部隊じみた奴らを目にしてしまえば施設の放棄もやぶさかではない。ノストラビッチは二人を立たせると端末達にデータの消去を命じていった。持ち出す必要はない。大元はティニの頭の中だか〝ターミナルサーバ〟にでも入ってる。そう考えると消去の意味にすら疑問が残るが考えないことにする。非常事態に余裕はない。
「ヨウランさん聞こえますか? 至急〝アイオーン〟へ」
携帯端末もなしにティニが喋り出す。
〈ああモビルスーツは艦載限界まで載ってる。発進準備すればいいか?〉
「お願いします」
続いて頭部リングに手をやり何かを切り替えた彼女が次の誰かと喋り出す。そんなやりとりを横目にしながらノストラビッチは拳銃を確かめる。ディアナはアサルトライフルを手渡してきたがそんな重いものは扱えない。掌で追っ払うと彼女は口を尖らせながら撃鉄を起こした。彼女が頼もしかろうと関係ない。頭脳労働者四人で特殊部隊に対抗できるものか。
「やれやれまた船底か」
「博士、〝アメノミハシラ〟に帰っときゃ良かったじゃないですか……」
「ふん。罪を抱えて、その行く末も知らされぬまま籠もってろか? 勘弁しろ」
マガジンを引き抜き残弾だけを確かめる。始めてしまったことは終わらせなければならない。実験だけして結果を知らずに済ませられる科学者などいるはずがない。
アスランは眼下に広がる人造都市に犇めく人間を捨てた存在達に慈悲をくれてやるつもりなどない。でありながら都市への降下を試みる〝ターミナル〟の一団に協力を申し出なかったのはモビルスーツで出ているに違いないクロフォード・カナーバを血眼になって探し求めているからであった。
「どこだ……どこにいる〝ルインデスティニー〟…!」
我知らず怨嗟が声になってバイザーを曇らす。アスランは深淵の一点を睨み付けながらも〝ジャスティス〟は全方位に殺意の針を放出し、接近した敵機を全身のサーベルで細切れに変え、小刻みに回避運動に専念する奴にも的確な一閃を見舞い撃墜する。
アスランは殺意に対し、感覚を鋭敏にしながら次の殺気を求めて疾る。今度追い縋る殺意こそ、世界を壊し、心を壊し続ける存在だと確信して。
〈アスラン! 敵の集団が、〝コペルニクス〟に向かってる!〉
「なんだと!? くそっ!」
幼年学校時代が思い起こされる。キラにトリィを送ったあの瞬間――その場所を爆撃される想像はアスランの許容量をあっさり超える。
「あいつらは! どこまで腐ってるんだっ!」
アスランは〝ジャスティス〟の視線を程なく離れた月面都市に向けた。しかしスラスターに火を入れようとしたまさにその時、殺意が降り掛かる。反射的に掲げたビームシールドに光の粒子が弾けた。続けざま本能的に抜きはなったビームライフルの一閃は黒いアンチビームコートに阻まれた。歯を轢らせながら機体の向きを黒い敵へと向けた。
――瞬間、心を埋め尽くしていた怒りが罪悪感に変わった
「っ、に、ニコル!」
こちらを狙い、銃を突き付けてきた敵機は〝ブリッツ〟だった。
〈また会いましたねアスラン〉
友好的とすら思える声音が右手から光の刃を吐いた。攻盾システム〝トリケロス〟が見せつけてきた殺意に怯みながらも投げつけられたピアサーロック〝グレイプニール〟には対応する。最小の機体制動でそれに横手に行き過ぎさせる。ワイヤーを絡め取り反撃に移ろうとしたが〝ブリッツ〟は奇妙な腕捌きで鋼線の軌道を変化させこちらの左手から武装を奪い返す。その瞬間、敵機本体を見失う。
「っ!」
アスランの反応速度は追いつけた。他の誰かだったら、そして〝ジャスティス〟でなかったら、今首の上を通り過ぎた光刃はメインカメラを貫通していたことだろう。相手の挙動が速すぎたわけではない。だが見失った。細かく発動されたミラージュコロイドがこちらが狙える一瞬を掻き消してくれたと言うことか。
「やめろニコル!」
〈あなたもやめて貰いたいものです。彼らはここに住んでいるだけの一般人ですよ。イマジネーターだからと殲滅するのは道理に合わないとは思わないんですか!〉
《そうだ! お前にパトリック・ザラを否定する資格はない。お前も同じなのだ!》
「黙れッ!」
頬に触れられた。装甲越しでありパイロットスーツ越しでありながら触れられた感触に怖気が奔る。あの時、目の前の〝ブリッツ〟と共に襲いかかってきた〝ジン〟のパイロット――父を信奉し、地球を殺しかけた最悪のテロリスト――が亡霊のようにまとわりつき、アスランの心をかき乱す。
《認められない者を、壊すことでしか自分を示せない! お前は己と同じなのだ!》
「黙れぇっ!」
自らの正義を貫いていられる間はこんな男の存在など忘殺の彼方へ追い遣ることができる。だが刹那でも迷いを持てば、亡者が墓場から蘇る。心の奥で蓋をした意識に亡者がまとわりつく。滴る汗が視界を削ったその瞬間に黒い機体が右手を突き出した。純白の槍が放たれる。殺意に盾を差し込めたがサトーの呪いが指を絡めた。ビームシールド出力操作が間に合わず、高速運動体貫通弾を突き立てられた実体盾が半ばでへし折れ機能を削られた。
〈アスラン。あなたが彼らを認められず、だから刃を向けるというのならここの人達が今の〝プラント〟を認められず攻撃することを認めなければなりませんよ?〉
「お前は認められるのか!? 心にまで介入する〝エヴィデンス〟の侵略を!」
《認められないから己は〝ユニウスセブン〟を墜としたのだ!》
ニコルを感じさせる敵の背後に片刃の刀剣を振りかぶったカスタム〝ジン〟の姿が見える。アスランは気勢を吐き出し全力で二つのサーベルを振り落としたが――幻覚など斬っても毒にも益にもならない。いや、大きな隙を生んでしまい害にはなった。
〈ボクに追いつけないんですか? それが歌姫の双剣の力とは信じられませんね!〉
体勢を戻したときにはもう遅い。放たれたクローがカメラを覆い尽くす。アスランは辛うじて左腕を差し上げたが、欠けたシールドで敵意の全てを弾き返すには至らなかった。三本のかぎ爪がビームキャリーシールドを喰らい込み、〝ジャスティス〟の動きを拘束する。〝グレイプニール〟のワイヤーが巻き取られ、続けて突き付けられたビームサーベル、アスランは腕を残して機体を点対称に反転させ回避する。スラスターを更に小刻みに調節し、姿勢制御を取り戻すが、ここが重力下であったらこう旨くはいかなかったかもしれない。
〈アスラン!〉
汗だくのこめかみを親友の声が震わせた。切り取られたモニタの中で〝ストライクフリーダム〟が四方から迫る軌道の読めない赤光を舞うように避け、いつの間にかパージされていた青い〝ドラグーン〟砲塔が反撃を放つ。〝フォビドゥン〟共は小型のビーム突撃砲をエネルギー偏向装甲でいなしたが鉄壁の盾も全面を覆っているわけではない。背後に回り込んだ砲塔には対処しきれず機体の一部を損壊させられ戦線を離脱させられる。包囲を瞬きの内に無力化し突破したキラはこちらを襲う〝ブリッツ〟へ迫りながらビームサーベルを抜きはなった。だがその間にも〝エヴィデンス〟の下僕達は思い出の地へと不吉な流れ星を降り注がせていく。
「来るなキラ! 俺よりも〝コペルニクス〟を! 皆も〝アルザッヘル〟は後回しにしろ!」
元フェイスに過ぎなくともアスラン・ザラの権力は絶大であった。出戻り、いや他国の兵士と侮り反発するものはおらず〝エターナル〟と多数のナスカ級からなる一軍がこぞって優先順位を切り替える。
アスランは右手の剣を放棄しビームライフルにアクセスするとワイヤーをピンポイントに狙い撃ち自由を奪い返し、絡まったクローを〝ブリッツ〟へと投げつける。〝ブリッツ〟は左腕の装備を破棄しながら右手の複合盾でクローを弾き返す。リフターを展開し推力を増加させた〝ジャスティス〟は、新たなサーベルを手に躍りかかった。
〈あなたを足止めできればボクの友人達は彼らを留めてくれます〉
計算された挙動か。〝ブリッツ〟は巧みに機体を制動し、虚空でのバックステップでこちらの加速を殺してみせると〝シュペールラケルタ〟を盾の上で滑らせ斬撃をいなす。
「キラを、〝フリーダム〟を甘く見るな」
リアモニタで暴れ回る、否、舞の如く華麗に浮揚する〝フリーダム〟が〝コペルニクス〟へ意識を向ける敵事如くを撃墜ではなく無力化していく様が映し出されている。例え自分が永劫に彼と戦う呪いを受けたとしてもザフトに彼がいる限り、イマジネーターなどの思うようにはさせない。その確信がある。だがその確信を持ってしても眼前の迷いは断ち切れそうにない。彼がニコルなら、ニコルでなくとも近しいモノなら切り捨てる訳にはいかない。戦士としての適正しか持たぬ自分が恨めしくなる。
「投降しろニコル!」
〈それはイマジネーターを認めるという意味ですか?〉
「なにを……!」
残る二本の〝ランサーダート〟が突きつけられた。シールドを失った〝ジャスティス〟は寸でのところで白い高速飛来槍を回避する。
〈そうでしょう? ボクはあなた方が間違っていると感じています。それなのに、まだ手があるのにあなたに従わなければならない――それは洗脳ではないのですか?〉
「何を言っているっ!?」
だが〝ブリッツ〟を懐にまで招き入れる隙を作ってしまう。再び小刻みに発動されるミラージュコロイドがロックオンを不能にする。
〈ボクは言いましたよね……。戦争をなくすため戦っていたあなたが、戦争をなくす術に背を向けた。そんな人にボクが従う理由は何ですか? 命が惜しい? そのため、正しいと思える未来を捨てていいんですか?〉
言葉を弄するつもりは無くとも選ばなければ相手には伝わらない。そしてどれだけ選別に力を入れても心のままが相手に伝わるとは限らない。なんと不都合な意思疎通手段なのだろう。だがこれに頼らなければそもそも心を相手に表すことさえできない。アスランは言葉に詰まり、何度も呻き、ニコルを思わせる相手を思い止まらせようと――思案に詰まる。
「くっ!」
焦りが焦燥に変わり、反論が激怒をかすめる。眉間を絞り尽くし、言葉を探すが見つからない。組み立て方どころか選ぶべき単語すらも呻きに覆われかき消えていく。そこに彼の、彼らの反対意見は致命となった。
〈ボクはあなた方を認めません。まずは、戦争を根絶します〉
《父を殺し、友まで殺し! 行き着く先に何がある? 己は『墓標』を地球に墜としてでもナチュラルに思い知らせる必要があった! そんな己とお前にどれほどの差があるというのだっ!》
「お、! ぉおォぁああああああアァァァァ!」
人はコミュニケーションに失敗すると攻撃的になる。群れなければ生きていけないと言うのに個をこそ優先させる愚行。この内容、あの少女型〝エヴィデンス〟に伝えたのならばまた不機嫌に呟くことだろう。これが支配適正者(クエストコーディネイター)なのかと。
アスランの脳裏で何かが弾け散り胸中の痞えが理性と共に熔け消えた。〝エヴィデンス〟は彼を嘲笑することだろうがその殺意に晒されたN/Aに嗤えるだけの余裕などない。懐にまで潜り込み〝トリケロス〟のサーベルを突き立てる。この機体で最強の一角を撃墜することなど望むべくもない。だが自分が反応できない事態などは予測していなかった。
ゼロ距離で扱うには取り回しづらい武装を僅かに間合いを離して突き立てようと試みる。だがその未来は掻き消された。突如牙を剥いたリフター〝ファトゥム‐01〟がその機首を眼前にまで押し付けていた。その先端で輝くMA-M02S〝ブレフィスラケルタ〟が黒いフェイズシフト装甲を激しく打ち据えた。情報取得と同時に機体制動を行ったつもりだったが〝ブレフィスラケルタ〟は右肩口をかすめ去る。超高速で行き過ぎたリフターに右腕毎最後の武装を持って行かれたN/Aは即座に撤退を決意した。しかし、遅い。機械の処理能力ですら遅い。叫ぶアスランの殺意はフライトバックパックを追い、その手には躊躇わぬ殺意が握られている。
N/Aは機体を翻したつもりだった。防熱カバーに覆われたスラスターに火を入れた記録は残る。だが何もかもが間に合わなかった。
〈アスラン、ボクは――〉
〝ジャスティス〟が右手に握ったビームサーベルが貫き過ぎる。
赤い騎士の背後に黒い暗殺者が置き去りにされた。その身体は胴切りにされ、上下の半身がズレ、月の微重力に引き寄せられ傾ぐ。
爆発。聞こえかけた言葉は炎と光に覆い尽くされ彼の意識には残らなかった。
連続した雑音が煩わしい。アスランは腕振ったが雑音は消えなかった。どうしようもない。自分の喉から漏れ出る荒い息など止めようもない。
激昂が去り、瞳に光を取り戻したアスランは操縦桿から離れた両手を持て余した。かつて、ニコルの仇と断じてキラを殺しかけた――その時彼の友人を殺したが、あれは仇討ちという大義名分に守られ心に負荷が圧し掛かることはなかった。だが、今はどうだ? アスラン・ザラがニコル・アマルフィを殺すことにどんな正義があった?
《お前はパトリック・ザラだ。――お前は、己なのだ》
アスランは両手を持て余したまま嘔吐した。何度も何度も。キラの後を追って〝コペルニクス〟へ向かうべきだとの考えも全身を覆い尽くすあまりの不快感に考えつけずにいる。戻ってきたリフターがオートでドッキング作業を終えたことにも気づけぬまま、戦果の中心から離れた虚空で浮かぶアスランの意識が警告音に引き寄せられる。這々の体で警告の出所に目をやれば、〝アルザッヘル〟から何かが浮かび上がるのが確認できた。口呼吸を繰り返しながら拡大する。怒りが湧いたが、罪悪感に拘束された自分には怒る以上にやれることが、ない。
〝アルザッヘル〟を取り囲んでいた〝カオス〟達が巨大なビームになぎ払われるのをアスランは見逃した。荒い息をつきながら機敏に動けない意思を機体に伝えるとサイドモニタがゆっくりと砲を備えた威容――〝デストロイ〟が浮き上がるさまを見せつけてくれる。だが次いで浮き上がる存在こそアスランを絶望させた。
歌姫の旗艦を嘲っているとしか思えない闇色の戦艦――〝アイオーン〟が飛び立った。
ティニからの情報を得たクロは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。友軍との位置関係が知りたかっただけだがティニは必要以上に情報を放り投げるきらいがある――いや、これが必要十分条件というものなのかもしれない。しかし知りたくない現実というものはある。いや、寧ろ現実という概念こそが知りたくないことの集合概念なのかもしれない。
月面都市〝コペルニクス〟をイマジネーターによる一団が包囲し始めたという。
「オレ達が民間施設の占拠かよ…」
クロは自分の所作に疑問を持ってしまった。ここまでしなければならないのか?
〈クロは気に入らないかもしれませんが必要なことです。あくまで軍神さん達の注意を分散させ目を反らすことが目的ですので爆撃だなんだは行ってませんよ〉
「当たりめーだよ」
〈〝アイオーン〟と〝クリカウェリ〟は〝アルザッヘル〟を発ちましたのでクロの気にくわない民間施設虐めもすぐ解きます〉
「了解した――っと!」
アラートに圧され機体を翻すと元いた空間を一条の閃光が行き過ぎる。反撃に放った収束火線砲が一機の〝ザクウォーリア〟を飲み込んだ。
軍人を殺し、文民を戦かせ、力にものを言わせて突き進む。
(ここまでしなきゃいけないのか?)
そうも思ってしまう。が、
「――っこれしか、ねぇんだよ!」
認識で成り立つこの世界、認識を束ねる方法はイマジネーターしか思いつけなかった。
L5まではまだ遠い。だが母艦が近づいていると聞かされたクロは出し惜しみするのをやめた。ミサイル発射管を全門開放し〝エリナケウス〟を盛大にばらまく。ビーム突撃銃で迎撃するにも限度があり、モビルスーツ、戦艦問わず身体の各所から煙と破片と命を吹き出していく。多数の敵を屠るがそろそろ終わりの見えない戦いを続ける気力が無くなってきた。
〈うあぎゃ――!?〉ブツリ。
〈――そんな、俺がこんなとこで――!〉ブツリ。
〈死にたく――〉ブツリ。
時折突然どこかからか聞こえる断末魔が遠慮も会釈もなく心と神経を磨り減らしてくれる。オレは今人を殺している。その感覚が心を磨り減らしてくれる。
〈クロ、今いいですか?〉
「後にしろ!」
そう言いながらも指先は動いている。まるで別の意志に乗っ取られたかのように。
〈オーブ本島が包囲されたみたいです〉
「なんだと? 今地球で統合国家に攻撃するような奴がいるか?」
友好関係にある〝ターミナル〟は戦力全てを月に送っていると思っていたが。そう悩む間にも〝ルインデスティニー〟と〝コメット〟は持てる火力を存分に振るいザフトの軍勢を切り崩していく。
〈見てみますか?〉
「それより早くオレに追いつけ」
興味は尽きないがよそに意識をやるような余裕などない。終わりも救いもない宇宙の彼方、クロは最大望遠のウインドウを開き注視する。最大望遠空間に米粒ほどの濃緑色が確認できた。…………あれがひとまずの破壊目標、超巨大宙母〝ゴンドワナ〟だと信じるしかない。
SEED Spiritual PHASE-116 怠惰を戒める抑止力
キラは反転し、攻撃目標を〝デストロイ〟へと切り替えた。だがビームライフル、〝スーパードラグーン〟によるビーム突撃砲そのどちらもが陽電子リフレクターに阻まれ虹となって溶け消える。この巨大兵器とはベルリンでの戦闘経験があるが、あの時より上位の機体を扱っている現状でも取れる手段は変わらない。遠距離からでは駄目だ。肉薄し、接近戦を挑まなければあれに対する決定打は放てない。試しに背後へと砲塔を飛ばしてみたがリフレクターは全面を覆う構造になっているらしく無意味に終わった。〝ターミナル〟からもたらされる情報によりGFAS‐X1の武装位置などは理解しているつもりだったがいちいちリフレクターを吟味しての戦闘など難しい上、どちらにせよ肉薄できなければ狙いようがない。
〈キラ様! お供を!〉
「いいやダメだ! 君達は〝コペルニクス〟を優先して!」
キラは幾重もの閃光を弾幕とし、追従してくる僚機の好意をやんわり押しやった。彼らには悪いがあの機体に並みの性能で近づくのは自殺行為、少数精鋭でなければ無駄に犠牲者を増やすだけと経験則が告げてくる。キラは単独で〝デストロイ〟一機を相手するつもりでいた。覚悟を決めて飛び過ぎるその横目にアスランの赤い機体が入り込む。
「アスラン!」
〈……っ…あぁ、キラ〉
キラは〝ジャスティス〟の状況と彼の声から漏れた弱々しさに思考を即座に切り替えた。さっきまでアスランが相手にしていた敵機には彼の友人が乗っていたようだが――今はない。ならば彼がそれを撃墜したのだろう。キラはふとトールを思い出し、その思い出が心の中で鉛に変わる感触に辟易した。心の傷は容易に癒せるものではない。
「アスランは戻って。その状態じゃ危ない」
〈いや、行ける………………いや、わかった……〉
彼が自分を客観視してくれたことに胸を撫で下ろし、キラは〝フリーダム〟を疾駆させる。二機の〝デストロイ〟が指先からの艦砲のごときビームに半身を焼き消されて落ちていく。人型からモビルアーマーへと変形した要塞兵器が幾つものスラスターで機体を押し出し浮かび上がった。
「やめろっ! こんな!」
ビームライフルは注意をこちらに向けるため。光膜上でビームが弾けると円盤に穿たれた相貌がこちらを認めた。〝フリーダム〟がビームサーベルを抜き放ち同時に蒼い〝ドラグーン〟を四つ放つ。〝デストロイ〟もお返しとばかりに円盤に隠れた両手、〝シュトゥルムファウスト〟を解き放ってくる。前方のみならず左右から降りかかってきた極太ビーム、面とも思える閃光の隙間を縫うように舞い、一気に距離を詰める。エネルギー再充填のため帰還した〝スーパードラグーン〟達に戦果はないが意識を余所へと散らせてくれればそれでいい。キラはリフレクター内部へ潜り込み、しかし閃光の弾幕に阻まれて中枢を切りつけること断念、振り上げた刃を円盤下部のスラスターに突き立て引き斬った。爆発を起こして傾いだ〝デストロイ〟から機体を翻す。敵の挙動、与えたダメージにより崩れたバランス、動力部の位置コクピットの位置――そこまで通じる致命の経路が、彼には見えた。その経路、充分モビルスーツが通過できるその判断に黄金光をまき散らした〝フリーダム〟が応える。弓を引き絞るようにビームサーベルを腰溜めに構えた機神が搭乗者の導きを疾駆――
「――っ!?」
見えていた死線がいきなり途切れた。キラは息を飲みながら〝フリーダム〟を鋭角に舞い上がらせる。半秒先にいたであろう空間をいきなり現れた黒い機体が斬り抜けていった。
援軍? キラは意識を〝フリーダム〟に向けながら視線を流した。ビームサーベルを振り抜く勢いをを隙にしないためか虚空で一転した機体は直ぐさま体勢を整える。こちらに掲げられたシールドは朱、しかし全身は漆黒。
「〝ガイア〟!」
強奪されたと聞いていた。シールドカラーがバルトフェルドの所有物であった動かぬ証拠となっている。キラは上空から降り注いだ十条の閃光を紙一重で擦り抜け、現れた新手に急迫した。
〝ガイア〟が頭部CIWSを乱射しながらも後退はせずに距離を詰めてくる。キラはそれを受けて立つ。敵の挙動、先程続けて下してきた敵達とは明らかに違う。機体性能か、パイロットの技量かは判断付かないが明らかに違う。
だが、冷静に分析できる程度の差だった。
相手以上の加速。斬撃軌道の予測、殺意の内懐へと踏み込む一足。瞬時に跳ね上げた左手にはビームシールドが輝き、剣を握る右手が防御不能位置にまで弾かれる。キラが振り抜いたビームサーベルは頭部と右腕を撫で斬るように行き過ぎたが相手も然るもの宙に飛ばされたのは金属筒を握った手首から先のみ。〝ガイア〟は器用にビームライフルを左手で弾き上げ、変形時のマウント位置へ貼り付けると両腕を開いた〝フリーダム〟へと撃ち込んでくる。キラも斬撃の勢い殺さぬまま敵に背を向けた。後ろを向いたシールドが敵の切っ先に干渉し激しい火花を飛び散らせる。その瞬間飛び立つ〝ドラグーン〟が〝ガイア〟を蜂の巣にすべく全方位から殺意を放った。〝ガイア〟は更に後退しモビルアーマーに変形したがその隙に上を向いた〝フリーダム〟の腹部砲口が火を噴く。MGX‐2235〝カリドゥス〟から解き放たれた赤光が僚機を巻き込めず戦場の傘と成り下がっていた〝デストロイ〟の側頭部をえぐり取って行き過ぎた。円盤に大穴を開けた巨大兵器は整えかけたバランスを更に崩し大きく傾いた。
「やめろ! こんなこと、何になるんだっ!?」
通信を筒抜けにし心を吐露すれば、敵機からは舌打ちが返った。
〈だまれ。おまえは、わたしがっ!〉
少女の声? キラは一瞬怯んだが、すぐに怒りへ置き換わる。子供ですら洗脳して兵士に変える! その所行にはらわたが煮えくり返る思いがした。
「君達は…こんなことしてちゃいけない! 武器を手に取っちゃいけないんだ!」
〈だまれ! おまえはわたしがぁあっ!〉
獣に変じた〝ガイア〟を言葉で押し留められたはほんの刹那、両肩のビーム砲が彼女の言葉そのままに怒りとなって吐き出された。一射を回避、二射目をシールドで受けた〝フリーダム〟は彼女の牙を抜き去るべく次の破壊力を〝ガイア〟へと投げつける。
少女の呻き声が聞こえた。だが遅い。〝ストライクフリーダム〟の瞬間機動力は旧ザフトの超一線級機をも凌駕する。彼女にも頭上の〝デストロイ〟にも傷を負わずに打つ手はない。
――はずだった。
〈やめろおおおおおおっっ!〉
通信機をつんざく絶叫がなければ飛来したビームブーメランの餌食になっていたかもしれない。敵機眼前で急激な逆噴射をかけると眼前を凶器が高速で行き過ぎた。ショートウィンドウが行き過ぎた武器が検索される。RQM60F。この武装を施されている機体に記憶がある。キラは目を見開き〝フリーダム〟を振り返らせる。
〈アンタって人はああああああああああっ!〉
極大の殺意は眼前だった。展開した二重のビームシールド上で長大なビームソードが火花を散らす。
「〝デスティニー〟!? シンなのか!」
〈ステラ戻れ! 〝クリカウェリ〟がすぐ出る!〉
〈う……わかった〉
喜色か。後退する〝ガイア〟に意識を向けられたのはほんの一瞬、長刀のもたらす圧力が〝フリーダム〟の限界を超えかけた。キラはその重圧に逆らいはせず三百六十度開けた戦場に逃げ場を求める。だが――かなりの距離を急降下したつもりだったがメインカメラを睨み付けてくる〝デスティニー〟は一向に離れない。
「くっ!」
〈ようやく見つけたぞ! マユの痛み、アンタ自身が思い知れよっ!〉
あの時と同じ、極限の殺意。キラは受け止めきれずに逃避を選択するが、その選択はシンの赫怒に油を注いだだけだった。あの〝レイダー〟を撃墜した時を思い返す。世界に害をなす存在を切り落とした。自分の心に背いてでも、消し去るべきだと判断した。自分勝手を許さない、皆の怠惰を戒める抑止力となる――それが自分の戦い。だがその信念が、彼を泣かせた。
「シン……僕は、どうすればっ!?」
〈今すぐ墜ちろ! 死んでマユに詫びるんだ!〉
叩き付けられる殺意は容易に心の防壁を貫く。キラは直接害されていなくとも内蔵を打ち据えられたかのような吐き気を感じた。
彼を撃っていいのか? だがそれこそ討たなければ彼らは世界に毒を撒く。もしこの場にシンをよく知るアスランが戻り、彼と敵対したらどのような反応を返すのか。――いや、自分が手を下したくないからとこれを人に押し付けていいのか。ビームライフルで牽制し、思考する距離を稼ぐキラはモニタを通す爆炎に照らされ思考の海から無理矢理引き戻された。
貝殻城至近にまで接近していた僚艦が真横からの高出力砲に貫かれ戦線離脱していった。その赤光は、更に二、三、と増えていく。その全てが有り得ない軌道――曲射されるビーム――を描き回避のタイミングを徹底的に駆逐してくれる。
「っ! 〝エターナル〟、バルトフェルド艦長! 後退してください!」
キラとアスランが抑えられた瞬間、月面地表に散らばっていた敵狙撃部隊が抑止力を失くして我が儘放題を始めたと言うことか。地表から逆流してくる紅い豪雨。一つの理を覆すだけでは厭きたらずその豪雨が時ならぬ虚空で直進を断る。キラですら瞬間対応策を見いだせずにいた。そこに追い打ちをかけるように厄介ごとが通信機から投げつけられた。
「な……! オーブが!?」
シンは彼の眼前で犬歯を見せ大臼歯を轢らせた。〝フリーダム〟が余所を向く――おれを歯牙にもかけないというのか!
「逃げるな〝フリーダム〟っ!」
その態度が気にくわない! 死んで詫びろ、それに対する答えは無視か!? より勢いよく燃え上がる怒りの波動が脳裏の何かを粉々に弾き飛ばし思考を更に澄み渡らせる。知覚領域が拡大し、そこにいくつもの棘が引っかかってきた。〝カオス〟、〝ザクウォーリア〟、〝カオス〟、〝ザクファントム〟、〝ザクウォーリア〟、〝ザクウォーリア〟、〝ザクウォーリア〟、〝カオス〟、〝ザクウォーリア〟……
あいつだけを見ていたいのに! おれ達の戦場に紛れ込んできた〝ザクファントム〟へ長射程砲で制裁を加えたが如何に〝デスティニー〟と言えど周囲を一気に薙ぎ払うような武装までは付いていない。べきりとシンの奥歯が鳴った。
「スティング! 何やってるお前も援護しろ!」
〈――くっ……うるせェなあぁあ!〉
傾いでいた〝デストロイ〟が傷口からスパークを迸らせながらも起きあがり、後先考えずに怒りを発散した。全周囲に計二十の砲口を開く熱プラズマ複合砲〝ネフェルティム503〟が遠慮も会釈もなしに解き放たれる。
「ばっ、お前!」
怒りの発散に分別など無かった。上下に砲口が揺れ動きまさに全周を塗り潰す〝ネフェルティム503〟の一発が僚機たる〝デスティニー〟さえ巻き込んだ。慌ててビームシールドを張り巡らせるその中で視界は白むが感覚の中で周囲に満ちていた敵ノイズが次々と消えていく。味方からの殺意に舌打ちしながらも、障害の取り除かれた復讐経路に機体を乗せようとしたが――いない。敵の気配と同時に怨敵の気配まで消えてしまっている。
「っっっ…あぁ! くそっ!」
〝デスティニー〟が〝アロンダイト〟を振り抜いた。しかしそこには怒りを晴らす対象などない。シンは深い呼吸を繰り返したが、弾け散った黒い種は未だ結合する気配を見せなかった。
――だがカガリ・ユラ・アスハに打つ手など無かった。
「何故彼処を攻撃するような真似をしたんだっ!?」
解ってる。『地球上で最も早く復興した国』を非難する理由は、今宇宙で行われているザフトが〝アルザッヘル〟へ侵攻している理由との差がない。だからこそ彼処を非難する存在を知っていても手が回らなかった――否、解っていながら放置していた。
第一優先を復興と設定したためそちらには手が回らなかった?
自由と自立を重視した中立主義故に支配を是とするあの国に関わりたくなかった?
心を否定する――いや、心の実在を証明するその結果に恐怖したのか……? カガリは下唇を噛み締めた。国防本部の中央に立ち見上げれば、モニタにはオーブ領海境界線上に展開していく船団が見て取れる。オーブのものと同型のイージス艦の甲板に〝ジェットストライカー〟を装備した〝ウィンダム〟が整列していく様が不安を誘い絶望を呼び込もうとする。自立、自由の上での中立を謳う我が国には、これに抗う術は一つしかない。
「なぜ、こうなる!? なぜ戦うしかないんだっ!」
幾つも幾つも寄せられる報告から更に絶望を掻き立てられ、カガリは思わず叫び、デスクに拳を振り下ろしていた。彼らの要求は現政権の解体。自分達に敵対する存在を排除したいというわけだ。大西洋連邦から同じ要求を突き付けられた場合、こちらに非が無くとも力に屈服されるしかないという義憤に燃えるべき状況だった。だが今はどうだ? 自国が先走った結果、相手の義憤を否定する状況に立たされている。何に怒ればいいのか? 怒れるはずもない。だが相手の要求を受け入れられるはずもない。――そして戦争などできるはずもない。
「防衛体制を!」
「いや、待て! 下手に布陣を整えては敵意と取られかねない」
「っ……やはり、人の尊厳を否定した国など認めてはならなかったんですよ。やっぱり――」
彼の漏らしかけた真意に誰かが慌てて建前を被せた。
「莫迦を言うな。オーブがそんなことできるわけがないだろうが!」
カガリは少しだけ視線を傾けた。そう言う者の中にすら「先に潰しておけば被害はなかった」との考えが潜んでいるかも知れない。専守防衛と言う概念の怖ろしさをカガリは思い知った。もしかしてを案ずる意見は無数に出るが、結局の所解は一つしかない。言葉を飾ったところで現実は変わらない。
「……〝ルージュ〟は出せるか?」
カガリの言葉に一同が唖然とした。何を訝る必要がある? 〝アカツキ〟はフラガ一佐に強奪されてここにはない。まさかわたしに〝アストレイ〟で出撃しろと言うのか? 性能差・指揮への貢献どちらを考えても〝ストライクルージュ〟が最適だろうに。
「代表!」
「奴らは本気だ。宣言通り市街への攻撃を控えるとしても、政権の解体まで通告してきた相手に謝って終わるわけないだろ」
止めるのも聞かずにカガリは格納庫へと走り出した。
人類と人間の価値はどっちが重いんだろう。ティニは世界と繋がりながら〝アイオーン〟の現状を流し見た。艦内ですら刻々と変化している状況だらけだがそれでも言葉一つで表すことができる。野戦病院という状況だ。
〈機体状況、全部入力してくださいね。それが来ないと戦術立てられませんから〉
減らされるために並べられた命が、戦わされるために治療を受ける。人類と人間の価値はどっちが重いんだろう。
ティニは〝種族進化調整存在(シードマスター)〟である。ならば、『人類』という価値こそに重きを置いているはずである。しかしその場合、医療は悪と断じるべきではないだろうか? より強い存在だけを残そうとする意思の邪魔、もっと上に行ける存在の平均化――結果進化の停滞を招きかねない。
「ティニ、〝ルインデスティニー〟捕捉よ」
「了解です」
返答はしたが、続くディアナの言葉に怪訝が混じった。何やらクロに呼びかけているが、芳しい返事がもらえないようである。
「ティニー、何かクロ、ちょっと苦しそう…。救護呼んでおくけど、手ェ足りる?」
「あら問題ですね。一応クロには中心やって貰わなければなりませんので優先順位、一番前にしてあげて下さい」
人類にとって死んでいい人間というのはいる。何人もいる。しかし人間に言わせればそんなものはない。重犯罪者で世界中から忌み嫌われようとも母親だけは無事戻ってきてほしいと願うかもしれない。
命は尊いと言われる。
だがそれは、人類には通じない。
「〝コメット〟回収完了、〝ルインデスティニー〟帰投しま――した」
ティニは野戦病院の受付窓口になっているブリーフィングルームの映像を引き寄せた。
ラッチに固定された〝ルインデスティニー〟。外部操作を待つまでもなくコクピットハッチが開いた。ヘルヘットを引き抜いたクロは手の甲で口元を押さえながら無重力の中を泳ぎ出す。
「クロ!」
何人かが声をかけるがクロはブリーフィングルームを経由して奧へと引っ込むと洗面台に顔を預け――いや全身を押し付けた。吐くモノは吐いた。物理的に背負っているくらいだ。だから吐き気に苛まれようともそれ程台は汚れない。と、スーツのバックパック上から背中をさすっていくれる存在に気づく。
「――っはぁ……脱がさねーと効果は今ひとつだぞ」
「やはりフラガの能力は負担が大きすぎるようだな」
クロはげんなりした。気を遣ってくれたのはルナマリアか、ディアナかフレデリカか、女性を想像していたクロは駆けられたノストラビッチの声に驚愕したかったが、その体力が残っていなかった。
「博士……」
「なぜそんなに気持ち悪がっとる?」
彼の目は答えを見通していると感じたクロは言葉を弄することをやめた。
「アレ、むちゃくちゃ見通せます。人を殺している感覚が手に取るよーにって感じですね」
おどけるつもりで差し上げた手は滑稽なほど震えている。年単位で軍人をやっていながらこの様か。クロは自分を嘲笑した。
「あ、撤去とかなしですよ。あれがなければ、あそこまでは行けません」
指差した先には〝ブルーコスモス〟共が憎み嘲る砂時計の群があるはずだ。震える指先はどこを指しているか自分でも自信がないが。
その手にドリンクボトルが渡された。心因性で吐いたのなら水分くらい補給しておけということか。礼を言ってストローに口を付け、そしてその目は格納庫に収まる鉄色の〝ルインデスティニー〟へ。
「クロ、今は休めよ」
肩を掴まれようやく気づく。戦に飲み込まれてはいけない。戦精霊などになりたいわけではない。究極の平和を望んでこの手を汚した。その結果自分が平和を壊すようになっては意味がない。
「はい」
身体は休息を欲している。吸い込んだボトルの中身は瞬く間になくなった。〝ヤキン・ドゥーエ〟、そして〝メサイア〟を潜り抜けてきた自負があったつもりだったが所詮は渦中にいられない置いてけぼり。〝ミーティア〟や〝アークエンジェル〟と言った軍神共の犇く激戦区からは遠く離れた人間だったのだ。無限に戦えるはずもない。
レクルームのソファで呼吸を整えようと戻ったが、野戦病院化しているそこに健常者が気を抜ける空間など無かった。クロの狙っていた座席には一人の仲間が横たわり、彼に馬乗りになったイマジネーターが胸郭圧迫を繰り返している。
「ご苦労さんだな」
「ええ! 大変! ですよっ!」
何度も押し潰される血の滲んだ人間の胸郭。それでも取り付けられたモニタに芳しいパルスは返っていない。完全理性者だと思われていたイマジネーターにさえ苛立ちの気配が浮かんでいた。
「心臓マッサージは三十分:二千五百オーブ円。あと、そうですねー、鬱病の人とか三十分相談に乗って上げると三千六百オーブ円……。あぁこの仕事って大変ですよねぇ!」
イマジネーターの愚痴が聞けるとは思わなかった。
「だったら何でお前は似たような値段で楽ができる仕事をしない? ティニに頼めば知識もパッケージングだ。努力の仕方を間違えたなんて嘆く必要もない」
「へん……まぁおたくの仰るとおりですね」
「――悪かった……愚痴言う自由くらいあっても良いよな」
余裕ねえなぁと自己嫌悪しながらも心と言う存在に辟易する。ティニですら負の感情の完全制御ができていない。
「博士」
「ん?」
「オレ達は勝てるんでしょうか?」
「…ザフトにか?」
「あぁ、それもありますけど…心ってやつに、勝てるんでしょうかね」
気恥ずかしくなったか、クロは溜息をつきながらレクルームを出て行った。ノストラビッチは彼を見送りながらその言葉を口先で反芻する。遠ざけたくとも奧にまで染みいってくるクロの敵に、ノストラビッチが辟易した。
「なんで、神が失敗したことを、儂らが責任とらにゃーならんのじゃろーな……」
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これが支配適正者か。人は敵を作る。その敵を殺したくなければ、説得する。殺さず衝突を回避するには説得こそベター。
「ボクはあなたが間違ってると思う。なのに投降しろだなんて……それは洗脳ではないのか?」
人は意思疎通に失敗すると攻撃的になる。――本当に、平和を望んで…いや望める存在なのか? 人を造りしモノ、神。その神の失敗を、何故人が償わなければならないのか…。
ただひたすらに殺し合う114~116話掲載。奴らは心の実在を証明する