神のみバレンタインSS・天理編
いちごチョコ
<1>
2月14日も終わろうとしていた頃。
桂馬の部屋の窓を叩く者がいた。
コツコツと遠慮がちな音が鳴る。
だが、あまりにも慎ましやかなノックはモニターが奏でるBGMにかき消され、部屋の主の元へ届くことはなかった。
しばらく中の反応をうかがっていた彼女だったが、このままでは一向に気づかれないと思い、ゴツゴツと今度はやや強くガラスを叩いた――――それでも窓は開かない。
夜更けの風に曝され、来訪者の体温はみるみる奪われていく。
自分はじっとしていられないほど寒い思いをしているのに、相手は部屋の中で温々と過ごしている。そう思うと急に訪ねた自分の非礼を棚上げして怒りがこみ上げる。
余裕もなく、震える拳で窓をドンドンと叩いた。
(いっそのこともう、ガラスを破ってしまいましょうか)
彼女が物騒なことを考え始めた時、ようやく厚手のカーテンが開けられ中の人物が顔を覗かせた。
「うるさいっ、今何時だと思ってるんだ!」
と桂馬が怒るのを
「お黙りなさい、さっさと開けないと窓を破りますよ!!」
それに倍する怒りで退ける。
勢いに押された彼が金具を操作するわずかな時間ももどかしく、今か今かと指先を見つめていた。
そうしてようやく窓が開けられると、桂馬を押しのけてディアナは中に転がり込んだ。お互いに体があちこち当たったり当てられたりしたものの、寒さで今はそれどころではない。
床に座り込んで震えていると毛布が投げ渡される。礼を言ってさっそく包まった。
「ちょっと待ってろよ。今、お茶を入れてくるから」
厚手の布地を通してそんな声が聞こえ、誰かが部屋を出て行く気配が感じられた。
やがて体温で毛布が温まってくるとディアナはようやく人心地がつけた。
まだ上手く動かせない手指をにぎにぎさせているうちに
(この季節に窓から出入りするのは危険でしたね。風邪など引かせてしまっては天理になんと言って謝ればいいのか……)
そんな後悔をする余裕も生まれ、ディアナの心は申し訳なさでいっぱいになった。笑って許してくれる天理を想像すると、いくら彼女のためにしたこととは言え胸が痛む。
(ともあれ、天理と桂木さんを二人っきりにする作戦は成功したも同然です。あとは任せて私は引っ込んでいましょうか……願わくば天理が幸福な一時を過ごせますよう……)
何に祈ればいいか彼女自身にも判然としなかったが、それでもディアナはそうせずにはいられなかった。
<2>
天理は、気がつくと見知らぬ部屋にいた。
直前の記憶と目の前の光景がまったく繋がらない。
編集したフィルムのようにわずかなタイムラグもなく唐突にロケーションが切り替わる――――ディアナが体を使った後はいつもそうだった。
そんな目に合えば普通怖がったり怯えたりしそうなものだが、天理にはディアナがひどいことをしないという絶対の確信があった。
だからまったく不安はないのだが
(一言断ってくれても良さそうなものなのにな)
強引な同居人に文句を言ってやりたい彼女だった。
まずは現状把握だ――――思考を切り換えると改めて天理は周囲を見回した。
見覚えのない部屋にいる。
座り心地の良さそうなリクライニングチェアがあり、壁にはいくつものテレビ(実際にはモニター)が掛けられている。振り向くとシングルベッドがあった。布団が変な風にどけられているのは、自分が使っている毛布がその下に敷かれていたからだろう。
その毛布を頭から被っているのは体を温めるためか。
そこまで考えて、さっきから上手く考えがまとまらない原因にようやく気がついた――――体が冷えきっているからだ。
自覚したことで余計に寒くなった彼女は毛布をきつく体に巻きつけた。
(この毛布って誰のなんだろう?)
天理は不思議だった。
知らない人の物――――それもおそらくは寝具――――を使えば当然感じるはずの違和感や拒絶感。
そういったマイナスの要素がこれにはなかった。
いや、違和感というよりもむしろ――――
(なんだか安心する……)
彼女は体を包む毛布の温もりに、好きな人に抱きしめられているような安らぎを感じていた。
<3>
「おい、勝手に寝るんじゃない」
そんな声と共に体を強く揺すられて、天理は目を覚ました。
どうやら知らない間にうたた寝していたようだ。
意識が覚醒するにつれ、すぐ目の前にいるのが誰か気がついた彼女は
「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げて驚き、無意識に距離を取ろうと上体を大きくのけぞらせた。
その拍子に背にしていたベッドに頭をぶつけ、二度びっくりさせられる。
下を向き、ぶつけた所を押さえていると天理を驚かせた張本人が飽きれたように声をかけてきた。
「大丈夫か、お前?」
「う、うん。大丈夫」
体がまた勝手に動きそうになるのを我慢しながら天理は必死に頷く。
恥ずかしさと気配の近さに顔が赤くなった天理を見て、先刻のディアナの様子もあれば桂馬でもさすがに心配になった。
「熱でもあるんじゃないか?」
そう言って桂馬が手を彼女の顔へと伸ばしてきた。
逃げようにも後ろはベッドで塞がれている。
追い詰められ、どうしようか迷っているうちに彼の手のひらが天理の額に押し当てられた。
火照った顔に触れるひやりとした手が心地良い。
うっとりとその感触を楽しんでいた天理だったが、ますます熱っぽくなっていく顔色を桂馬が本気で心配し始めるとさすがにそれどころではなくなってしまった。
「へ、平気だから、心配しないで」
天理が何度もそう繰り返すと、最初はやせ我慢だと思っていた桂馬もようやく納得して彼女の側を離れた。
自分からそう仕向けたとは言え、いざ桂馬が離れてしまうと今までの親密さまで消えてしまうような気がして天理は心細くなる。
「あ……」
思わず漏れた声を聞きつけた桂馬が怪訝そうに振り返ってしまい、彼女は慌てて平気な様子を取り繕った。
結局おかしな所を一つも見いだせなかった桂馬は、心の機微を無視して彼女に問い質した。
「それで、急にボクの部屋に来たのはどうしてだ?」
「ええっと……どうしてなのかな?」
至極当然の質問だったが、聞かれた天理の方も巻き込まれただけなのだから答えようがない。
それに質問の内容よりも引っかかることがあった。
(ここって桂馬くんの部屋だったんだ)
現金なものでそのことを知らされた後で改めて見ると、ちょっと殺風景に思えた部屋も彼らしくていいかな、なんて思えてしまう。
それに僅かに感じていた違和感にも説明がつく――――ディアナと入れ代わった直後まるで不安を感じなかったことも、他人の部屋なのに居眠りするくらい寛げたことも、極めつけは人見知りの彼女が他人の毛布を嫌がらなかったことも、答えは全部『桂馬だったから』だ。
(あれ?……ということは桂馬くんの部屋に勝手に押しかけて、いない間に毛布を使って居眠りしちゃって、おまけに寝顔まで…………あわわわわ……)
遅まきながら自分のしでかしたことに(半分はディアナのせいでもあるが)気がついて天理は慌てた。
彼女の頭の中は、嫌われてないかなとか、変な顔してなかったかなとか、ディアナのせいだバカバカとか色々なキモチが混じりあっていたが、言葉としては
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう…)
この一語に集約される。
一方、事態の当事者であり、状況から置いてきぼりにもされている桂馬は、突然現れて百面相をしている天理を扱いかねていた。
混乱しているのは見て取れるが、対策となると情報が少なすぎてさっぱりだった。
とは言え、放っておいて朝までこの有様では彼自身も困る。まずは落ちつかせようと声を掛けた。
「いいから冷静になれ。深呼吸しろよ……今日のお前、ちょっと変だぞ」
だが、桂馬の気遣いは思わぬ結果を生んだ。
ナーバスになっている天理は、彼の一言を悪い方に取ってしまう。
(変って……やっぱり嫌われたんだ)
天理は、桂馬の心をそう決めつけ、いたたまれなくなった。
「私、帰るね」
短く別れの言葉を口にすると部屋から飛び出そうとする。
この動きに彼女をこっそり見守っていたディアナは慌てた。
自分のセッティングした二人っきりの場がこのままでは台無しだ。とにかく天理を部屋の中に居させようと、無理矢理足のコントロールを奪おうとする。
逃げ出そうとする力と留まらせようとする力がせめぎ合い、互いが互いの邪魔をした。
行き場のない力が足をもつれさせ、天理の体は倒れた――――桂馬の上に。
<4>
床との激突に備えて固くした体が、拍子抜けするほど柔らかなものにぶつかった。ディアナと主導権を争った結果、目を閉じさせることくらいしか出来なかった彼女が恐る恐る目を開けると、さっき起こされたとき以上の近さに桂馬の顔を見つけた。
その瞬間に事態を悟った天理は
(もう、ダメ。桂馬くんに完璧に嫌われちゃったよ……)
そう思って悲しくなった。
これ以上迷惑にならないうちに彼から離れようと理性は思考するが、これで最後なんだから少しでも長く触れていたいと感情は訴える。
彼への未練が感情に味方をし、天理は桂馬から離れることはなかったが、その心はいつ拒絶されるかと怯えていた。
この頃、彼女の体を受け止めた桂馬もようやく立ち直っていた。
倒れてきたと言っても体重の軽い女の子の体だ。勢いをつけて飛びかかられたのならともかく、これくらいなら大して痛くもない。
予期せぬ他人との接触で起きた混乱が治まれば元のクールさが戻ってくる。
上にある天理を退かそうと腕を伸ばしかけたところで、彼女の体がかすかに震えていることに気がついた。
天理は桂馬の手が自分に近づいてきたとき、これでもう何もかもがお終いだと覚悟した。
その瞬間を自分の瞳で見ることに耐えられず、ぎゅっと目を瞑りながら判決の時を待つ。
しかし、彼女が感じたのは彼から引き剥す手ではなく、ゆっくりと頭を撫でる手だった。
「大丈夫、大丈夫だから」
そんな言葉と共に桂馬の手が優しく天理の頭に触れていた。
誰かに頭を撫でられるのなどいつ以来のことだろう。久しぶりの感触に最初のうちこそ戸惑っていたが、おまじないのように繰り返される『大丈夫』と、何よりも桂馬が自分のためにしてくれているという事実に硬くなっていた心ごと緊張を溶かされ、天理はうっとりとその手に酔いしれた。
彼女が落ち着いたのを見届けた桂馬は徐々に頭を撫でる手を止めると、刺激しないように気をつけながらその体の下から抜けだした。
やがて目を開けた天理に再度質問する。
「お前、ディアナの時の記憶がないんだろ?でも、アイツだってバカじゃない。何の意味もなく夜中に訪ねてきたりはしないはずだ。何かないのか、心当たりとか」
普段よりぶっきらぼうに言葉をつなげる桂馬をちょっと可愛く思いながら、天理はつい今し方見つけた心当たりを指さしてみせた。
「たぶんソレだと思う」
彼女が示したのは毛布から半分顔を覗かせたもの――――赤いハート型の入れ物だった。
先ほどのドタバタでも奇蹟的に無事だったそれは、天理のバレンタインデーのプレゼントだ。
中にはもちろん手作りのチョコレートが入っている。
それは本来、桂馬が目にすることのなかったはずのものだ。
朝、学校に行く桂馬のそばにはエルシィがいて渡せなかった。
学校から帰ってくれば、喫茶店がなぜか大繁盛していて渡せない。
ようやくお客が引けたかと思えば、今度はハクアが桂馬にずっと張りついていてチャンスがなかった。
そうこうしているうちに気がつけば2月14日は終わりかけていて――――自分の部屋でまだ手元にあるチョコを見ては落ち込んでいた。
そんな彼女をディアナは見ていられなかったんだろう。急に天理は体のコントロールを奪われて――――気がつけば桂馬の部屋にいたのだった。
そして、今。
「じ、じゃあ……はい、これ」
そんな単語の羅列と共に天理はハートを差し出した。足りない部分を補ってあまりある、むしろ言葉など不要にしてしまうピュアな心の結晶は天理から桂馬へと手渡された。
天理の様子にあてられた桂馬も照れたように赤くなっている。
こそばゆい空気が二人の間に流れた。
何を言っていいかわからず、無言の二人だったが先に我慢できなくなったのは天理の方だった。
「じ、じゃあ、帰るね」
そう言って今度こそ部屋から出ようとした。
まだチョコのお礼を言ってなかった桂馬が慌てて
「さ、サンキューな」
早口に礼を言う。
「ううん、お礼を言わなきゃいけないのは私のほうだよ……ありがとう、桂馬くん」
そう言う天理は、とびっきりの笑顔を浮かべていたのだった。
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神のみバレンタインSS番外編。うん、いまさらバレンタインものなんだ……。今回は某所での結果を反映して天理メインとなっております。
例によってキャラ崩壊とかしてるかもしれないので気になる人はバックボタン、です。