No.201224

機動戦士 ガンダムSEED Spiritual Vol29

黒帽子さん

 数の暴力は常に絶大。クロは敵対者の質よりも量を思い描き途方に暮れる…。拠点となったアルザッヘルで決戦の準備を進める彼らに爆発音が届いた。テロリストと揶揄されるものもテロを受ける。無数の正義犇めく世界なのだから。
108~110話掲載。世界の支配が目的でも、無理矢理するのは好みじゃない。

2011-02-12 22:00:38 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1150   閲覧ユーザー数:1127

SEED Spiritual PHASE-108 差別主義者の考え方

 

 航行システムが停止した〝クリカウェリ〟に補給艦が横付けにされた。ボーディングブリッジを伝って食糧を初めとした物資が袋詰めにされて運ばれてくる。地球上なら作業機械に頼る質量も無重力なら投げるか滑れば事足りる。代わりに停止位置が定めづらくどこまでもすっ飛んでいくが。

「悪いなぁ。補給頼まれながらご馳走になっちゃってよ」

 ネオ――いや、ムウ・ラ・フラガと名乗ったか。長い金髪を垂らし飄然とした男は艦へ誘うと如才なく応じてくれた。彼の母艦らしい補給艦が到着するまでの護衛と、頼みもしない物資の補給まで引き受けてくれる。挙句は手にしていたドリンクボトルを投げてやったら「ご馳走」だ。初めてネオと会ったときの、連合仕官でありながらも信じられると感じた自分は間違っていなかったとシンは自分を誇らしく思った。

「仕事さえきっちりやってくれればこっちもお返しはする。おれは別に宙賊やりたいんじゃない」

「はは。〝フリーダム〟はおれが倒す、か?」

「茶化すな。あいつは何度おれの大切なものを奪って行ったか……」

「……悪かった、な」

 〝クリカウェリ〟はこのまま隣接した艦に誘導、というよりも牽引され、救助対象の元に運ばれると説明された。ムウ達の基地に相当する場所なのだろうか。交渉ごとはN/Aとサイに任せきっているため彼の中には明確な解答がない。

 それぞれ〝デスティニー〟と〝アカツキ〟の胸元から這い出した二人にアサギ、マユラ、そしてステラが泳ぎ寄ってきた。

「あぁ、紹介しとくよ。右からアサギとマユラとステラだ。他の奴は喋ってもまともな反応返ってこないだろうからこの三人と――どうした?」

 シンが怪訝な視線を向けた先には電流に打たれたように硬直するムウの姿があった。その固定されきった視線をたどると、ステラが不機嫌そうな目で彼を見つめている。

「どうしたんだよムウ?」

「な…、ステラ!?」

 シンは問いかけて愚問と悟る。驚きもするだろう。自分が殺した存在が目の前に現れれば。

「あぁ。だけどおれやアンタの知ってるステラじゃない。つく…、せいさ…、生みの親から聞いた話ではあのステラの遺伝子を使ったクローンらしい」

「なに? ――ん、ちょっと待てそう言えば君ら、オーブのテストパイロットじゃないか!?」

 記憶が当てはまると周囲の記憶も浮かび上がってくる。ムウは次々浮かび上がる記憶との食い違いに困惑した。ステラを含め、君らが何故生きている? 三人いた〝アストレイ〟のテストパイロットは皆〝ヤキン・ドゥーエ〟で戦死したはずでは?

「おいおい――じゃあこの娘達も!?」

「ええ、オリジナルはそーらしいんですけど、あたし達にオーブの記憶はぜんぜん無くって。ねえ?」

「はい、生まれたときから兵士なわけなんですけど、なんてゆーか、上官がカルい人だったんで私たちもこんなになっちゃいました」

 快活に笑う二人にムウは戸惑いを覚えた。彼がクローンといわれて連想するのはラウ・ル・クルーゼの世界を滅ぼす暗い意志しかない。彼女達はそれとは対極の姿をしている。

 更に目を動かせばスティングが、アウルがいた。彼らにも声をかけるべきか迷ううちに二人と同じ容姿の兵士が続けて出現し、ネオの思考は停止寸前に陥った。物珍しさとは異なる雰囲気できょろきょろする大人にシンとステラが揃って半眼を向ける。

「シン、こいつ変」

「そうだな。だけど、この人はステラやあっちの二人の、なんて言うか、お母さんとかお姉さんに当たる人を知ってるものだから、仕方ない反応かもな」

「……ステラ、よくわからない」

 興味を失った少女はさっさと背を向け遠ざかっていく。ネオは混乱から冷めるとムウの判断に感謝した。ここには守るべき者達が、かつてをやり直させてくれる人達がいてくれた。代替行為に過ぎなくても、彼らを守るのは、かつてできなかった自分の役目だ。挨拶を終わらせたら物資の搬入でも手伝おうかと考えたムウだったが再び聞き覚えのある声に引き止められる。

「フラガ少佐――いえ、今は一佐でしたか? お久しぶりです」

 振り返り見下ろした先には大きめの端末を持った眼鏡の青年がいる……。誰? いや見覚えはある。ムウは少し焦った。が、〝アークエンジェル〟、キラ…と思い出していくうちに彼の顔と名前が一致した。

「おぉ! サイだったか。何だお前、オーブにいるかと思ってたがこんなところによ!」

 装甲面を蹴って落下しマグネットソールを設置させたムウは笑みを浮かべて彼の肩を叩いた。と、今の時代には似つかわしくない大型のラップトップじみた機械を目にし、もしやとの考えが浮かび上がる。

「ん? もしかしてお前がサーバ使いだったのか?」

「いえ。僕はそのサポート役です。N/Aはコードネームとかでなく彼の名前です」

〈どうもフラガさんお世話になっています〉

 喋った端末にムウは誰かを思い出し渋面を浮かべた。この歪んだ世にはこんなサーバ使いがゴロゴロしているのだろうか。

「いやいやこちらこそ助かった。お前のおかげでこうしてあいつに謝罪できたよ」

 ムウが親指で後ろをさすとサイも満足げに頷いた。が、さされた当の本人は目元を険しくしこちらに降下してくる。シンはそのままN/Aへと詰め寄ってきた。

「なんだよアンタら、知り合いか? さっきもこの人のこと一言も言わなかったじゃないか」

〈知り合いというほどではありません。サイは旧知のようですが〉

 サイがシンの方へとディスプレイを向けてきた。気を利かせて内蔵スピーカーを向けてくれたということかもしれないが、顔の無い機械の顔を向けられても憮然とするしかないのだが……。

〈〝ターミナル〟では原則なんでも開示しています。なのでサーバ使いとしてボクにコンタクトを取ってきたこの人を無視することはできません。もちろんこのフラガ一佐が我々に敵対するような存在なら情報を制限するつもりもありましたが。サイの知り合いということも聞きましたし、彼も身元を明らかにしていましたのでここ最近はあちらの〝ターミナル〟とは情報交換していました〉

 二人は、シンにとっては意味不明な情報ネットワークの操り手ということか。他にもこういう奴らがいるのかと思うと自分が知らないうちに操られそうで不快感が増してくる。

〈フラガさんはシンさんを追っていましたしね。位置を教え続ければ見返りをもらえたので取引としてはありがたいくらいだったんです。今回の作戦が終わったらシンさんには報告するつもりだったのですが…後手に廻ってしまいましたねゴメンなさい〉

「……いや、別に良いけどよ」

 不快に思おうとも恩恵を受けていたと言われれば怒鳴り散らすこともできない。再びムウとサイは親しげに話し始め、居場所を失ったシンは周囲に視線を走らせた。見上げると、鉄灰色の〝ガイア〟にステラが近づいていく様が見えた。損傷箇所の修復は終わったらしい。まだ替えシールドは届いていないようだが自分の破壊したマニピュレータは元通り直っている。新たに入った高性能機は実力順でステラのものとなったようだ。〝ファントムペイン〟の面々はなにやら機械と相談して操縦の適正を決めているようだが、シンはそんなもので最適な操作が流動的に変遷するモビルスーツの適正がわかるものだろうかと疑問に思う。

 コクピットに入り込んだ彼女のあとを追うとハッチが閉められた。意図を理解したシンはしばらく待ち……再び開いたハッチの中に顔を入れた。

「ステラ、どうだ?」

「まだシミュレーションしただけ。動かしてない」

「シミュレーションの感想で良いけど」

 ステラは目だけ上を向かせた。次いで操縦桿を再度握り、前後に振る。

「たくさん撃破。たぶん使える。使い易い」

「そう、か。それは良かった。――」

 ――それはステラが使ってたものだ。彼女も喜んでるよ。

 ふと、バルトフェルドに向かって吐いた言葉を思い出し、胸が痛んだ。〝ガイア〟はもともとステラがパイロットとなる予定ではなかった。自分と同じセカンドステージシリーズのパイロット候補生だったリーカ・シェダーの特殊な眼鏡を付けた顔を思い出すと今の発言、基い言いかけた思いは不適切だ。長いこと会っていないが、どうしているだろう? ザフトと敵対する以上戦う可能性もあるのだが。

〈みなさんまもなく到着です。念のためシンさんとステラさんは搭乗機で待機してください〉

「おいおい信頼ねぇなぁ…まぁ、仕方ないが」

 宇宙では現在位置など掴みづらい。だが、月に着いたわけではなさそうだ。まだそれ程時を使ったわけではない。デブリにまぎれた工場でもあるのかとシンは適当にあたりをつけながら〝デスティニー〟へと飛びついた。そのまま好奇心を抑えきれなかった彼はモニタを立ち上げ艦のカメラとリンクさせて外の様子を窺う。

 暗い宇宙。モニタや計器類の放つ微光以外は深淵とすら言えるコクピット内も当然のごとく暗い。遠くに瞬く星の白が点々と散らばる以外どこまでも暗い世界――

 その深淵の中に闇とは違う、深い青色が目に留まる。目を凝らして考えたシンだったがその正体に思い当たるなり思わず声を上げていた。

「おいあれっ! 〝アイオーン〟じゃないかっ!?」

 まずシンの脳裏に浮かんだのはルナマリア。自分が裏切り者だと再認識させられる。次いで……クロ。百万言を超える屁理屈の嵐に晒されても裏切り者には反論の権利もない。

「うぐ! おい、あ、彼処はヤバい!」

 何よりティニに捕まったら――逃げる余地もないほどの改造人間にされかねない!

〈確かにカタギとは言えない艦ですけど、信頼はできますよ。こちらの救助要請も引き受けてくれましたし。優しい方かと〉

「お前が連絡取ったのかっ!? 何で一言相談しないっ!?」

〈フラガさんと相談しましたよ。他では遠すぎます。危険です。あ、ほらあちらからモビルスーツも来ました。お二人とも発進準備大丈夫ですか?〉

 機械使い共は入力された条件しか選別しないらしい。人間の心の機微とかは無視か!? シンの迷いを無視しして〝クリカウェリ〟と〝アイオーン〟が貼り付けられる。

 シンはコクピットの中で天を仰いだ。

 

 

 クロから艦の誘導を押しつけられたルナマリアだったが、離艦したときにはもう望遠カメラで対象機が視認できる所まで来ていた。特に仕事はなく、自分が工事中の交通整理的電光掲示板にでもなった気分を味わいながら互いの間にボーディングブリッジ設置の手伝いをすると、もうやることが無くなった。

「ねぇクロ、わたし戻ってもいいかな?」

 通信は格納庫(ハンガー)に繋いだつもりだったがクロのみならず誰からも返事がない。

「なによ……」

 無反応に憮然としたルナマリアは独断に任せた。しかしモビルスーツハンガーへの最短距離が先程貼り付けたボーディングブリッジに塞がれてしまっている……苛立ちを増加させたルナマリアは口の中だけで愚痴を転がし〝ザクウォーリア〟を滑り込ませた。それでも仲間からの反応がない。

「ちょっと、みんなどーしたの?」

〈お、いや、あの艦なんか見覚えがあるなと思ってたんだが……〉

 クロからの、要領を得ない返答が更に苛立ちを増加させる。もう自分の目で見るしかないとコクピットハッチオープンキーに指先をかけたルナマリアも、彼らと同じく凍り付いた。

 同じ顔の集団が入ってくる。全く同じが十人程度。

 だが彼女の目には彼らは映っていなかった。同じ顔の奇異な集団、それを率いるような位置に彼がいる。

「えっ!?」

 モニタに張り付いたルナマリアだったが直ぐさまそれだけでは我慢できずハッチを解き放ち、全身を無重力に投げ出した。

「シン!」

 まだ熱を持つ装甲を蹴って彼の元へと。奇異の集団に囲まれたシンが声に慌てて周囲を見回し、ようやく気づいて見上げてきた。驚愕に見開かれた目に、ルナマリアは飛びつき抱きついた。

「る、ルナか?」

「うんうんいいなぁ若者ー」

「く、クロ」

 裏切り者としてどこまでもの罵詈雑言を一身に受ける――いや、かつての仲間から睨め付けられるのが怖くて逃げることしか思いつけなかった心が、二人の笑顔を受け入れられず戸惑うことしか思いつけない。

「お、おれ……」

 何か言おうとするシンをルナマリアは更にきつく抱きしめる。言葉は不要と感じ取り、シンは居たたまれなくなる。開いたままの目から一筋涙がこぼれ落ちた。クロが意地悪い笑顔で覗き込んでくるのも、あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうであっても……悪い気はしない。

「ん?」

 そのクロの目が怪訝に歪む。

「シン…おま、どうした? 目、大丈夫か?」

 クロはルナマリアの腕を掴んで緩めさせる。どうやら息も荒いように感じる。救難信号を発した後戦い続けても、周囲に何もない今着艦までの間に落ち着けないわけもない。それに何より目だ。焦点の合わないような、光を照り返さない瞳はクロには失明しているようにさえ見える。彼の問いかけにはっとしたルナマリアもシンの目を覗き込む。

「ちょっとシン!? み、見えてる?」

「だ、大丈夫だっ! あとで説明する!」

 暗い世界を抜け、深い青色の艦を目指してきた。それだけに艦内の明るさが異常に思えるものの、遙か遠くまでクリアに見渡せている。心配している二人より視力検査で上位の結果を出せる自信がある。まずは代表者と話すべきか。交渉役はサイとN/Aに任せたいところだが、旧知の仲と知られてしまえば前面に出されるのは仕方がない。二人は肯定してくれたものの……ティニとはちょっとばかり顔を合わせづらい……。

「そ、それより、えーと、ここの艦長は誰だよ? 一応、お礼というか、紹介というか、しとかないと……」

 しっかり見据えたことでクロも納得したのか、彼は艦橋(ブリッジ)までの案内役を買って出た。

 縦に長い戦艦は大動脈も縦に長く、見飽きる同じ景色が延々続く。曲がり角のようなアクセントもなく、更にクロとは会話もなく、コピー生命体が気の利いたことを言うはずもなく、気まずい沈黙が横たわる……救いは扉が見えること。あそこに辿り着けばこの沈黙も終わると感じられることか。

「クロです。ティニから伝わってますか? 救援した人の代表者……と言うかシンでしたが」

「ぬ?」

 艦長イアン・リーが機械化身体の駆動音を漏らしながら振り返る。イアンとしては当時の〝ミネルバ〟のエースパイロットである彼の名にいい印象を抱いていない。かつての自分を、実質的に殺した相手に顔を向けたイアンは憮然とした顔を続けるつもりだったが――彼の後ろに犇めく顔を見た瞬間仮面が一気にはげ落ちた。

「うぬおおおおおぉっ!? お、お前達は!」

 アウルとスティング!? ネオ・ロアノークと共に失われたはずのラボの兵士達が 確か自分は胸から上は生来のものだと思っていたが……私は壊れてしまったのか?

「か、艦長?」

 モビルスーツ管制、火器管制、操舵が初めて聞いた艦長の絶叫に揃って目を剥いた。いつもむっつりと引き結ばれていた口の中を初めて見てしまったアビーは何を言えばいいのか……言葉を探している内にバートとチェンは前を向いてしまう。アビーは前髪に手をやりながら艦長の横顔から目を離した。同じく目を丸くしていたクロはシンと目を合わせてしまったが、イアンは今「お前達」と言ったような。シンに驚愕したわけではないらしい。クロは改めて同じ顔の並ぶシンの連れを見渡した。

「艦長さん、なに、こいつらと知り合いですか?」

「い、いや……私が以前いた組織で……いや、クローンが作られても不思議ではないか……」

 クロの言葉など聞きもせず自分の中で必死に結末を見つけるイアン。そんな後ろから駆け込んでくる音が聞こえる。人が多すぎて閉じられなかった扉から、金髪長身の男が駆け込んでくる。

「おお! リーじゃないか!」

「うおおおおおおおっ!」

 再びの絶叫にまたもブリッジクルーが振り返った。だがもう彼は気にできない。脳まで機械化できないものか本気で考え始めたイアンだったが目の前の男は幻覚ではないらしい。クロとシンに小さく謝りながら押しのけ、こちらまで来た金髪男はイアンの目の前まで歩み寄って肩を叩いてくる。仮面がないといまいち実感が湧きづらかったが――

「元気だったか。いやぁその身体は…元気ってわけじゃなさそうだなぁ」

 この口調、この態度、本物のようだ。

「た、大佐ですか? ネオ・ロアノーク大佐?」

「まぁ、そんなところだ生きて会えるとは思わなかったぜ」

 シンが眉を顰めた。ネオ・ロアノークは〝ファントムペイン〟の軍人だった。その男を大佐と呼ぶ軍人、過去は一つしかない。

「アンタも、連合軍だったのか?」

 ネオとイアン、二人の顔が曇る。いや、イアンは鉄の表皮を揺るがせはしなかったが。当時敵対したザフト軍人と独立機動群軍人に笑いあえる過去があるはずもない……。。髪に爪を立てかき回しはしたものの彼に隠し事をできる立場でもなし、観念することにした。

「ああ。俺とこのおっさんで、〝アーモリーワン〟を襲ったんだよ……」

 いきなり景気のいい音が艦橋(ブリッジ)に響き渡り、目撃していた全てのものが目を覆う。シンの拳に叩き付せられムウは艦長席に寄りかかり倒れ込むことには抗ったものの頬の痛みは頸骨の異常が不安になるほど耐え難い。拳を振り抜いたシンは――食い縛っていた歯をはっと解いた。

「ご、ごめん。想像できてたことなのに、あ、頭に来ちまって………」

「ってぇ……はは、いや、強奪して彼処をぶっ壊したのは間違いないしな……。復讐されるつもりだったわけだしこれはこれで仕方ねぇって」

 切れた唇に何度も指を当てながらもムウは笑って手を振った。シンは居たたまれなさと苛立ちを持て余し、下を向いてしまう。

「シン。お前も疲れてるだろうから今日はもう寝とけ」

 紹介役はこの男に任せればいいだろうとクロは判断を下した。彼はシンの肩を押すと扉、と言うより大人数の最後尾へと追いやる。ついでにクローン共も退出させるとイアンとムウに話の続きを促した。

「人には色んな過去があるもんです」

「全くだ。すまんな。俺はリーのこと完璧に忘れてたしな」

「いえ、大佐の記憶のことは伺っておりました。……記憶が戻ったと言うのは存じ上げませんでしたが、私も〝ダイダロス〟で死んだ身が、何かの間違いでここにいるのです。忘れて貰って結構です。しかし――」

 いつになく饒舌なイアンにクルーは二人の強い信頼を感じていた。彼らは気づいているか? ここには元ザフトの軍人ばかりだと言うことを。

「しかし、ラボの兵士達のクローンには度肝を抜かれました」

「ああ、あれは俺も心臓止まるかと思った。ラボの奴らの生き残りがまだ続けてたらしいな、あんなことを」

 だと言うのに、皆は彼らの過去に微笑みを浮かべて聞いていられる。敵対など、考え方一つ。クロは改めて思う。その『考え方』にメスを入れて問題はあるか、と。

「えーと、先に聞いておいていいですか? シン達は、補給の手伝いをする代わりに戦力として考えて、問題は?」

「ん? ああ、それはあっちのサーバ使いに聞いてくれ。確かN/Aって奴が――」

「お、あなたがそのN/Aなのかと思ってました」

「何だ、会ってないのか仕方ねえな……。じゃあ俺が案内するよ」

「ご友人との語らいはもういいんですか?」

「おう。じゃあまた来るぜリー」

 気を遣おうとしたクロが何度か振り返るがムウはその背を押して出て行ってしまった。まだ廊下に犇めく男達にまで話しかける声が聞こえてくるが……静かになった艦橋(ブリッジ)に抑えきれなかった笑い声が漏れた。イアンは不機嫌そうに声の出所を睨んだがそちらから謝罪の代わりに笑顔が返ってきた。

「艦長も謹厳ばっかりじゃないんですね。安心しました」

 通信士がこちらを見やって再びくすりと笑う。〝ファントムペイン〟に在籍しながらも差別主義者に染まらず実直な軍人であり続けたイアンだったが今日この時ばかりはコーディネイターを憎悪してみたりした。

SEED Spiritual PHASE-109 終末が見える心地

 

 ヴィーノは唖然とした。

 いつものルートで食器を受け取りに行く、その間に妙な硬直が入ってしまった。配膳係からペーストだらけの食事を受け取る間も視線はトレイに向けられない。言葉にできないもどかしさを解消できないかと彷徨った視線は、異常の中にありながらもそれなりに溶け込んでいる知り合いを見つけた。しばらく別行動していたクロは突然の闖入者、いや闖入軍団に囲まれながらも我関せずを貫いている。彼のついているテーブルには誰も寄りついていないことがその証明だろうか。少し離れた位置にいるルナマリアも似たようなものだが彼女と二人きりは少しばかり気が引け、彼はクロのいる孤立空間を選ぶことにした。

「クロ、隣、空いてる?」

「ああ、どーぞ」

 〝アイオーン〟の食堂がいきなり狭くなった。狭くなったどころかは入りきらなくなり、食事は交代制。それはまあそれでいいが宇宙糧食(レーション)残量は心配になる。いや、それよりも。

 ばくばくばくばく…………。

 ばくばくばくばく…………。

 ばくばくばくばく…………。

「同じだな」

「ああ、同じだ」

 クローンと言うだけなら生まれは全く一緒でも成長過程やら何やらで個性というものが出るはずだが……

 ばくばくばくばく…………。

 ばくばくばくばく…………。

 ばくばくばくばく…………。

 全部で五種類の個性がいる、と、それだけなら仲間だろうと他人だろうと関係もなく自分の食事を楽しめる。不味い大西洋連邦製のレーションだろうと楽しめるはずだが。

 ばくばくばくばく…………。

『ごっそさん』

 ばくばく…………。

『あぁ、こんだけかよ』

 ばくばくば…………。

『ねーお代わりねーの?』

 五種類の『群体』がいるというのは精神衛生上よろしくない。一斉にスプーンを動かし一斉に食べ終わり一斉に同じ苦言を吐いて一斉に食器を処分する様は食堂で軍事パレードでも見せつけられているかのようだ……。

「すげーな……これが〝ファントムペイン〟か……。今時ナチュラル蔑視ってのヤだんだが…このアタマおかしくなりそうな光景見てると偏見も生まれるわな」

「おかしくなっても治せるから大丈夫。オレ達は」

 半眼を向けてくるヴィーノから目を反らしたクロは、退室していくクローン兵達を見やった。スティング、アウル、クロトにオルガとシャニか。ティニからもたらされたデータでこの五人は連合の暗部が作り、実戦配備もされた強化人間の複製だと知らされている。シンが戦力として扱っていた以上、使える奴らだというのはわかるが。

「あ、そうだクロ。シンは今どうしてる? 〝デスティニー〟の整備ログを――」

「あぁ……」

 一緒に食事をしながらも気になっていたものが顕著に出た。

「ん? なんかクロ、疲れてるか?」

 ヴィーノはテーブルに突っ伏したクロの顔を覗き込んだ。いつも考え込んでいるような顔ではあるが、今日はその目元が何やら暗い。

「なんだ? クロ、眠いの?」

「眠いわ」

 気を遣ったつもりだったが遠慮もなく不満をぶつけられた。ヴィーノは憮然とするが、クロは気にした風もなく言葉を継いでいった。

「一晩ならまぁと思ったが二日目はヤだ。だからこのあとティニに申し立てに行く」

「……どうしたんだ? 全く意味が分からないんだけど」

「緊急時真っ先に出撃しなきゃならないからパイロットばっか部屋を固めたのは理解できる! だが問題だ」

「部屋?」

 パイロットは個室が宛がわれて上等ではないか。確かモビルスーツハンガーに一番近いところにクロ、その隣がルナマリアの部屋だが。……ん? お隣さんと言うことは……。

 手を出したヴィーノは脳裏で想像を整理してみると一つクロが睡眠不足に陥る可能性が導き出される。仮説を立てれば解答をくれる人間が目の前にいる。彼はクロに耳打ちする形で顔を近づけてみた。

「も、もしかしてシン、隣に行ってる?」

 振り返ると、ああルナマリアも眠そうではある。

「妹さんのことで慰めようってんで部屋に入れたのは見てた。そのままってのは……いや、突っ込んじゃいけないことだなここは」

「で、ど、どう?」

 半笑いになったヴィーノの心に同調しそうな嫌悪感。眉を顰めたクロだが、そんな彼の中にも下卑た興味はあった。話を切り上げる理由にはならず……。

「シン、今なんか、狂暴性が増したような感じあるが……治らねえみたいだな」

 口に出して、ふと思い当たる。〝バースト・シード〟。シン・アスカの状態はもしかして……。気になったクロはヴィーノがちらちら気にする方へと足を踏み出していた。

「お、ちょっとクロ!?」

「ルナマリア、聞きたいことがある」

「をあ?」

 ……聞きたいことは、ある。

 ……だがデリケートというか何というか、言葉に窮する問題だ。声をかけたはいいが、どう聞けばいい? 脳が寝入っている…。あとから着いてきた理性が今更ながらに失礼と訴えかけてくる。クロは凍り付いた。

「……なによ?」

 彼女のとろけた目元に険が生まれた。話しかけた以上黙りこくっているわけにも行かないとクロは覚悟を決めた。何の覚悟か。変態扱いされかねない覚悟か。

「お前、夜な夜なうるせぇぞ……」

 半眼寸前だった彼女の目が思いっきり見開かれた。みるみる朱が挿すその顔を哀れに思いながらもこちらはこちらで被害者だと思い込むことで平静を保つ。ルナマリアの泳ぎまくる目には周囲など入らなくなったか、音を立てて椅子を蹴立てながら立ち上がった。ぜーはー息切らす彼女はこちらのカラーに指をかけ強引に目の前まで顔を引っ張ってきた。

「き、き、聞こえてるのッ!?」

「……冒頭というか、最初の辺は大丈夫だ。が、エスカレートしたときはヤバイと思う。お前悲鳴上げすぎだ」

「あああああああああ」

 頭を抱えて落ちていった彼女には悪いが、聞きたいことは別にある。持て余した何かをどーしてくれるとかではなくシンのことについて、だ。

「泣いてるとこ悪いが――」

「だったら放っておいてよおおおおおお」

 取り敢えず椅子を引いて腰を下ろす。あまりの羞恥にそれ自体も恥ずかしい大衆の面前でのわめき散らしを漏らすような精神状態ではまともな会話はできまいと、クロは取り敢えず待った。ルナマリアとしては本当に放ってどこかに行って欲しかったが、どれだけ顔を覆っても頭頂の先を圧迫する彼の気配が消えてくれず……根負けして顔を上げる。全力で睨み返したその先には半分寝ているクロが座っている。

「……………こら、何か用があるんじゃないの?」

「………聞いていいのか?」

 白々しい。こちらの気持ちなど無視して聞く気だろうに。ルナマリアは手先を振って先を促すと、今度はクロが言葉に窮した。何度か口を開きかけ、言葉を選んだその末に、あまり努力が実ったとは言えない質問が飛び出した。

「ああ、なんて言うか、あいつスゲェのか?」

 ルナマリアが再び顔面を机上に押しつけた。

 何を聞いているんだ……、とクロは自己嫌悪した。彼女の顔が更に赤くなったように見えるが、自分も似たようなものだろう。心を持て余して鬱陶しいがさりとて結論のない話を切り上げるわけにも行かず言葉を探す羽目に陥った。

 本当にどこかに行って欲しいのだがクロは結論を得るまで話題を切り上げない生命体だ。こちらも睡眠不足なルナマリアは話しながら言葉を探し……

「えーと、うん。は、激しいというか何というか、……寝てないけど何度か失神した……」

「失っ!? な、何度か途切れたのがあったが……そっちか…」

「ああああああ」

 墓穴を掘った。

 だが情報を引き出せたクロは彼女の悶絶を無視して一つ頷く。先程ヴィーノと話していた「狂暴性」については裏付けが取れた。それはまぁそれでいい。が、S.E.E.D.だなんだと騒ぎ立てるより伝えておくべきことがある。

「何とか、抑えてくれ。こう言うのは、他人のオレが言うべきことじゃねーとは思うが……最終決戦寸前に睡眠不足で体調不良だなんて笑えねえから」

 口を尖らせたがそれこそ脳改造でもしてやらなければ本能を停止させることなどできない。月での補給の際、壁の防音を徹底して貰うしかないだろう。部屋割りと面会時間なんぞを徹底したところでナガクヒキサカレテイタコイビトドモは抜け道を探すに違いない。

 突っ伏したルナマリアに通告を終えたクロは席を立った、が、食堂に入ってくる人影を見留め進めかけた歩を止める。

 シンがレーショントレイを手に取っていた。観察すればわかる。今日もあいつは目の焦点が合わず、荒い息をついている。

「シン・アスカ……」

 思わず呟いてしまったクロの脇をヴィーノが駆け抜けていく。裏切り者の自覚からか、皆と距離を置こうとした彼の心情など斟酌する気などないらしい。

「シーン! 何一人で食べようとしてんだよー」

 友好第一優先の彼は、一人テーブルに着いたシンの脇へ回り込むと座り込んだシンの肩へと手を回――

「お前よー! ルナマリアと――」

 回そうとしたその手が空を切る。シンが消えた。シンの反射神経は死角から迫った友好威力を異物と判断し、レーショントレイごと超高速の回避行動に移っている。結果

「なにしてやあああああ!?」

 ヴィーノがテーブルの下へと消えていった。

「…ヴィーノかよ」

「痛ってぇ……。し、シン、避けるなよぉ…」

 その際吹き飛びかけた桃色のレーションを手首の微妙な動きで流したトレイで受け止める。クロは思わず拍手した。

「悪い。なんかこの頃敏感になっててな」

 言ってるそばから防御行動。苛立ち紛れにシンの額を狙ったヴィーノの平手が彼の掌に弾き返されていた。ヴィーノに激昂の兆しが見えたものの、敵わないと思い直してかその感情が溜息に変わった。

「……まぁいいや。それよりクロから聞いたぞ。お前、ルナマリアの部屋へ――」

 聞きにくい相手にわざわざ会話することなく解答を引き出せたような気がする。ヴィーノに秘密を突き付けられ流石にすました顔のできなくなったシンが信じられないと言った表情でこちらを見る。シンの視線に縋るような響きがあるものの真実という奴は曲げようがないので冷たく通告してやった。

「ああうるせーぞ」

 赤面以上に絶望を見せたシンを尻目に食事を片付けたクロは制御室へと足を向けた。本来ならばパイロットなら搭乗機の整備か調整、特に問題がなければ有事に備えて身体を休めることこそ仕事だろうが。クロにはまだ休む前にやるべきことが残っている。

「ティニ、入るぞ」

〈クロですね。どうぞ〉

 だが入った瞬間は興味の順位が繰り下がった。この女、この間見た位置から動いたかどうかを賭けてみたい。ティニは〝アイオーン〟に収まって以来ずっと制御システムになりきっている。

「食事、持ってくれば良かったかな」

「私はあなた方と摂取するものが異なりますから結構です。それにあのペースト、あまり美味しそうには思えません」

 異生物ですらそう言う感想か。

「オレはあの色んな味の奴嫌いじゃないけどな。食感は別だが……いや、そんなことより」

「今後の予定は月で軍備増強して〝プラント〟へゴー」

「そっちは解ってる」

「じゃどうぞ」

 ティニはクロの目の前に空間投影ディスプレイを幾つも表示させた。

 〝ブレイク・ザ・プラネット〟による影響は当然のことながら命を吸われた惑星自体にも影響を与えているが結局世界を構成しているのは人間、その意識である。人が受けた影響の方が世界を揺るがす影響力を持っていた。大規模な自然災害は、家を失わせる。家を建て直す土地さえも失わせる。水浸しになり、底も見えないクレバスとなった故郷では働き口などあろうはずがない。

 全世界に及んだ今回の災害が通例に当てはまるか解らないが、従来の場合は働き口を求め都市部に出ることとなる。だが、そこでも稼ぎどころが溢れているわけではないだろう。命綱を掴んだものはいい。だが手元から擦り抜けてしまったものは? 帰路は全て崩れ去っている。立ち止まってはどうにもならない。例え家族がバラバラになろうとも生きるための手段を探さなければならない。

 ――気づけば安い賃金で、顎で使われている。ゼロではパンも買えないが、一以上なら餓死を遠ざけられる。遠ざけられるのなら顎で使われることも我慢するしかない。使われる内容にすらこだわれない。例え麻薬を運ばされようとも、武器を、人身を流通させようと、それが良心にのし掛かろうとこだわれない。

 死ぬよりはマシだからだ。

「こー言うことさせる大人、全部捕まえられると思うか? 捕まえさえすればどうとでもできるのに」

「光合成で活動可能分の栄養素を合成できるナチュラルもいます。次は食べ物のいらない人類でも研究しましょうか?」

 解決を繰り返しても、何かが足りない状況が続いていくのだろう。だが、戦争をなくすその一つの目標に対しては解が出せると思っている。

「――クロ、もう間もなく〝アルザッヘル〟に到着です。モビルスーツの方は任せますのでよろしく」

「わかってる。それとは別にもう一つ注文がある」

「なにか、問題が?」

「部屋の防音、お前に任せていいか?」

「防音、ですか?」

「オレの右隣の部屋、ルナマリアとシンが信じられねぇくらいうるさいから」

「あらあらまあまあ生殖行為ですか。クロも相手を見つけないと生物として欠陥ですよ」

「お前はそれ以上にうるせーな」

 クロの触れたモニタが外を移す。黒一面の世界に白い弧が描かれる。ここが最後の晩餐にでもなるのだろうと黒は漠然と感じていた。

SEED Spiritual PHASE-110 想像を上回らない期待

 

 直径100㎞にも及ぶ月のクレーター〝アルザッヘル〟。この距離まで近づけば垂直の山脈(リム)に囲まれた円の内側に犇めく人工物が肉眼でも視認できるのではないか。中央に聳える巻き貝状の建造物が陽光に照らされ白色に輝き、まるでソフトクリームのようだ。素直に浮かんだその想像に苦笑が漏れる。先年の戦略砲〝レクイエム〟の一撃で現状ばらまかれているデータより高くなった山脈を見据え……この情報が正確に正されるのはいつの頃になるかと思いを馳せる。少なくとも今、自分はそれに関わっている暇はない。

 まだ名前も決まっていない都市に着く。恐らく皆は『アルザッヘル』とでも呼んでいることだろう。ティニセルは久方ぶりに足を使った。

「おおティニ様!」

「見てください。OSを一新しました。動き早くなりましたよー」

「ご苦労様です。繋がってみてもいいでしょうか?」

 ティニセルが訪れ、皆が笑顔で迎え入れてくれた部屋は薄暗い。あちこちで瞬くLEDの光は深海漂うマリンスノーを連想させた。ティニセルが数本のケーブルを手に取ると――

 無数の機体が光を灯した。数百、いや、ともすれば数千にも及ぶ筐体群が立て続けて息づいていく。夜空に星くずを撒いたかのように闇を和えかに彩る。

 その様子は――無数の共同墓地と献げられた華花……。

「本当ですね。使いやすくなりました」

「気に入っていただけて嬉しいです」

 彼らの働きに満足を覚えながらティニセルは――世界と繋がった。

(――まだ、『世界』は大袈裟ですか)

 だが、ギルバート・デュランダルの用意した〝デスティニープラン〟実行装置――全人類の遺伝情報を格納・選別できるスーパーコンピュータ群――は六割近くを失っても『彼ら』の窮状を分析するのに必要充分な性能を有している。ティニは更に手にしていたラップトップにケーブルを接続し、得難い秘密を自分の内へと流し込む。

「ティニ様、それは?」

「先日お友達になりましたアサギさんからのプレゼントです」

 

 ――「なんか詳しいんですよねティニさん」

 女二人が入ってきた。即座に検索したティニの脳裏にはアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツの情報が満ちる。あぁ、シンの連れてきたクローン兵か。

「ええ。こう言うのはプロフェッショナルの専門家などと呼ばれるカテゴリーな私かと。ここ数ヶ月はこれしかやっていません」

 仕事の手は全く止めることなく当然のことをそう答える。少女二人は喚声を上げて手を叩き合っていた。ティニが目を向けると二人は鞄の中から端末を引っ張り出してきた。

「触れる人、死んじゃったんで……これの中身、気になるんですけどプロテクト解けます?」

 リーダーが亡くなって以来、中枢とのネットワークと連携ができなくなったと言うが……――

 

「あの人達、アホです」

 彼女達は量子コンピュータが普及し、暗号化が困難になったことなど何にも感じないのだろう。個人情報の塊である端末を、みだりに他人に貸すべきではない。しかも地球連合内でも突出した秘密主義である〝ファントムペイン〟の門戸をどことも知れぬ小娘に開こうなど。

「あー、〝ターミナル〟が掻き集めた権限だけでは入りきれなかった連合のデータサーバへ面白いくらい入れますね」

 結果には落胆もあったが、落胆を上回る驚嘆があった。〝ブレイク・ザ・プラネット〟の影響は小さくない……。手に入るデータは地震で虫食いだらけにされたものばかりだ。……だが、ゼロと一の価値差が膨大なように破損したデータと無の差も果てしない。

「コンピュータを人手に渡すときは注意が必要ですね」

 ティニは高等詐術も恐喝も行使することなく盗み出せたデータを並べていく。コーディネイター達も舌を巻く地球連合の薬学レベルは彼女をしても驚嘆させた。意識の操作にも有効活用できるだろうが、当面はと考えると、戦闘能力を向上させる処方に目がいく。

(例えばクロを薬漬けにすると凄くなったりするんでしょーか)

 デリケートな問題は後回しにするか。まずは対クエストコーディネイター。彼女達を唸らせるだけの条件を並べられるようにならなければ。

「この〝デスティニープラン〟用品、どのくらい使いました?」

「まずは人類解析を予定しています、データ入力は今からです。――人員はもうちょっと必要になると思いますが」

「そうですね……。私も考えてみます」

 地球人類の意思統一による戦争根絶。ヨウラン達に任せた実験、届いてるデータは望ましい結果を見せてきている。強制的に世界を支配する方法は――まだ確定要素には乏しいものの――実行に移せる。

「あ、なんだ。あんた達の方が先に着いてたか」

 考えが具現化したかのようにヨウランとフレデリカが入り込んできた。彼女の手にはディスクメディアがぶら下げられている。ヨウランの表情には支配者の羞恥が、フレデリカの表情には研究者の満足が広がっているのを認めた〝シードマスター〟は実験結果を確認するのが億劫になった。

「お帰りなさい。結果は、上々のようですねその様子ですと」

「あぁ。あんたの言うとおりだ……」

「最終的な実験結果はこれです。確認してくださいね」

「早速見てみます」

 受け取ったディスクをスロットに通す。その間に想像したものと機械を通してゆるゆると脳裏に広がったものは大差がなく、つまりは今までの結果を覆すようなものではなかった。

「範囲も想定内でした。でも、本当に大丈夫でしょうか? どこかで変異して人類全滅……なんてなったら、わたし責任取れませんよ……」

「その点はご心配なく。ウィルスに関しては私達は超一流的専門生物ですから」

 全く根拠を感じられない自信にフレデリカは眉を顰めたがティニはかなり厳重な防護策でも考えているのだろうという確信もあった。

「それに、今はウィルスを使う気はありませんし」

 ぼそりと呟いた言葉は彼らの仕事を無駄だと宣告したようなものだった。二人は当然目を剥いて突っ立つティニへと詰め寄ってくる。

「え?」

「ちょっと、どういうことだよ? お前が使うって言ったからインフルエンザウィルスにアブねぇネタ仕込んだんだろうが」

 彼らの怒りは当然のものとして受け止める。自分だって思っている。世界を支配できる力を封印だの温存だのしておく意味があるのだろうか。

「私としては今すぐにでも地球中にばらまきたいところですが、意外にもクロが嫌がりました」

「……え? そーなの?」

 ティニは大仰に天を仰いで見せた。動作が大仰でも表情に感情を表さない彼女に今更言うことなどないが、人は制御されるべき論を振りかざしていたクロからこれに反論が出ようとは思わなかった。

「簡単に全員に施せるようにと努力しましたのに……。クロに怒られました。無理矢理は好みではないそうです」

 どこまでの何が偏見なのか解らなくなりフレデリカはヨウランを見た。彼も同じ気持ちらしく見つめ合った二人は同時に首を傾げた。

 

 

 

 月の街に降り立ち、〝イマジネーター〟による軍団を紹介されたクロは軽い失望を覚えていた。無論敵対勢力――ザフト及び統合国家の月軌道配備艦隊――に牽制するだけの戦力までここに並んでいるわけではない。それらを除いての人員であることは理解している。決して絶望するようなものではない、寧ろ期待が大きすぎただけなのだ。

「……なんだか不満そうね。わたしあなたが大喜びするんじゃないかと思ってたんだけど」

 横手からこちらを盗み見ていたルナマリアまで落胆した。彼女は眼前の軍人隊列に大した感銘を受けてはいないのか。

「ルナマリアこそ。「これがあなたの罪の具現」とか怒り出すかと思った」

「しないわよ。……わたしだって、これが必要だって感じてはいるもの」

 慣れたと言うことか。クロは内心彼女の言葉を嗤った。

「ほぉ。必要と思ってる、か。ならこの集団見て、他に感じることはないのか?」

 目を丸くしたルナマリアは〝アイオーン〟への積み込みを手伝っている彼らへと視線を向けた。そしてそのまま返事がない。クロは溜息をついた。

「……オレ達は地球圏最大戦力と全面戦争しようとしてるんだぞ」

 頭を捻っていたルナマリアも彼の苦しげな物言いに理解の色を灯した。訓練期間ゼロでここまで膨れ上がった戦闘集団も、コーディネイターの完成された戦闘集団には比するべくもない。

「それに、場合によっちゃ統合国家の軍事力がアレに加わる可能性もある。と言うか高い。真正面から〝プラント〟に突っ込んだとして、到着するまでに何人が生き残れると思う?」

 戦端が開かれ、ビームの驟雨犇めく渦中に飛び込む。その瞬間に技量など意味を成さない。技量が意味ある戦場にたどり着けるかどうかは、運に支配される部分が大きい。幾ら様々な能力を付加された彼らでも、幸運まで取り付けられているはずはないだろう。

「数が、問題だと思うの?」

「そうだな……」

 数は、問題だ。恐らくラクス・クラインはこちらの動きを掴むやいなや最低でもL5宙域を網羅できるくらいの戦力は投入してくるだろう。その規模と敵対して、眼前の者達が操る僚機は果たしてどれだけが生き残れるものか……。

(〝コメット〟は二機……。シンの〝デスティニー〟に貸すとすると――いや駄目だ。ミラージュコロイドの使えるオレので奧から切り崩した方がこいつらは楽だろ……)

 ルナマリアは自分を見ようともしなくなったクロに嘆息を零す。彼は目の前を見ながら既に先を見つめているらしい。遠い瞳と気のない返事を受けたルナマリアはクロのもとから離れると〝イマジネーター〟達からも視線を外した。今は、オフだ。気を抜かなくてどうする。

「ねえ、シンは? 一緒に来なかったの?」

「ん? 出てきたのは一緒だったんだがな。何か気分悪いとかで艦に戻ってったぞあいつ」

 

 

 シンは携帯端末を取り出した。片手に収めた端末を開くと最早意識することなく指先が動く。多少勝手が違っても意識の外で補正ができるキー操作の結果、端末が知らない女の声で告げてきた。

〈お預かりしているメッセージは、0件。です〉

 シンは寝ころんだまま、手にした黒い端末をじっと見つめた。マユから受け取った〝ファントムペイン〟仕様の端末は覚えきれないほどの各種機能を兼ね備え、防弾防水傍受対策完全な上、極限状態に晒されても使用可能な一品なのだが……欲しい機能が一つ抜けている。

〈お預かりしているメッセージは、0件。です〉

 もう、マユの声が聞けない。〝レイダー〟が〝フリーダム〟に墜とされたとき、妹に返していた思い出の品は、失われてしまった。今では在りし日の、楽しそうな妹の姿どころか怨みを漏らすライラ・ロアノークの断末魔しか思い起こせない――

 

「お、お兄ちゃん……どうして、助けに来てくれなかったの……?」

 

 ぎしり、端末が悲鳴を上げた。その指先を引き剥がすのはとてつもない心の制御を必要とした。

〈シン、いる? ちょっといい?〉

 シンは跳ね起きるように体を立てた。それは居住まいを正したと言うより臨戦態勢とすら採られかねない身構えようだった。唐突に屋外よりかけられた声が常時緊張状態に陥っている彼に臨戦態勢を呼び込んだ。

「……ルナか? いいよ。何だ?」

 早くなる鼓動を押さえ込み意図して呼吸を遅くすると扉のキーに手をかけた。

 扉がスライドし目の前にシンが現れる。

「あ」

 ルナマリアは言葉を失った。何がどうというわけではないのに彼の目が直視できず思わず目を反らしてしまう。

「あ、ーと、シンは出ないの? 今逃すと艦から出る機会なくなるよ」

「遊んでる場合か。もうすぐおれ達は……」

 シンが何を思い言葉を切ったか。彼の目を見られないルナマリアには看破は無理だった。言葉に困るとやることが限られなし崩しにあちらの行為に及んでしまいそうな自分を嫌悪する。望んでいるのか?

(いやっ! そーじゃないわ! このやたらと暗くなっちゃったシンを元気づけるための方法を考えて――)

 妹さんのことは、聞いていた。オーブにある小さな慰霊碑の前で。そして先日、彼から妹さんの――二度目の死を聞かされた。その傷は今も塞がらず赤黒い血を流し続けているように見える。

 ルナマリアは、それを癒やしたい。だが考えるだけでは形にならない。何か思いつかないものか?

 必死に考えを巡らすルナマリアだったが、シンの脳裏が彼女に割くスペースは……思いの外狭かった。時が徐々に薄れさせるはずの復讐心は、時に思い返される軍神の顔が、あまりに愚かすぎる自らの行動の数々が、携帯端末に触れる度心に届く妹の怨嗟が、収まりかける心を呪い彼の全身に訴えかける。

 戦えと。

「取り敢えず、外出よーよ」

 彼女の心遣いを鬱陶しいと感じる。……ともすれば鬱憤を暴力という形に具現化させ全てを自分の中から追い出してしまいたい……! だが、シンの中にはない。友を裏切るなどという概念は。

「……………わかった。何かあるのかこの街?」

「あ? えと……」

 言われて思い当たる。何かあるのか?

 貝殻にも似た軍事居城。

 完成された技術者ばかりで造り上げられたため人口密度が異常に低く閑散とした町並み…。

 無数の、意識を閉ざされた〝イマジネーター〟共…………。

「……………何があるんだろ……」

「………出て考えるか」

 シンは観念したが、取り敢えず傍らに笑顔が見られただけで充分なような気がした。この笑顔だけは守る。そうしなければもう自己すら保てない。

 

 

 

 クロが兵士達の宿舎で兵力に不安を抱いているとティニの入っていった貝殻城の方からヨウランが出てきた。いざ〝プラント〟との真っ向勝負になった際の戦術などを即戦力達と話してみたかったが、もう家族以上の付き合いといえる同僚達から遊びを提案されれば苦行とも言える戦闘思考はあっさり折れた。別行動になったディアナとフレデリカの代わりにヨウランとヴィーノがついてくる。初めて訪れる街。観光とも成れば興味は尽きず、少なからず楽しみにしたものだが……ふと思い直してみる。少しばかり歳の離れた同性二人を連れて繁華街やら商店街やら練り歩こうものなら――財布扱いされるんじゃないかと不安になる。

(それ以前に……ここにそんな文化あるのか?)

 戦闘力と建築技術。ティニは彼らにそれ以上の何かを突っ込んだか。一般教養広めている手間を考えればそれは有り得ないように思える。だとすれば……被支配層にどんな娯楽文化があるものか……偏見だろうか。

「お? ここに学校なんてあるんだ……」

 クロは空を見上げた。人工的なものだが、空は夕暮れじみたグラデーションを表していた。下校の時間帯、と言うことか。

「なに?お前〝プラント〟の味方すんの? うわぁ、みんな、撃ってやれー」

「ち、違うよ。別に味方とかじゃなくて…」

 子供の喧嘩。だが見ていてクロは心が痛くなった。ここはオレ達の造った町。とすれば〝プラント〟を敵性勢力呼ばわりするのは無理からぬ事だが……。

(オレは、こんな風に洗脳したいってんじゃねーけどな……)

 彼らを洗脳したのはティニではなく風潮だろう。子供の喧嘩子供の喧嘩と脇を通り過ぎるつもりだったクロだが、大多数のガキ共のムカつく虐め声群を聞き続けていると……我慢ができなくなった。

「な!? お、く、クロ?」

 ヴィーノとヨウランは凍り付いた。クロが……下校途中のお子様達の群に混じっていく。二人はただ、ただ呆然と一人の子供の正義の味方になったクロを眺めていた。

「………う、うわぁ……クロって、あそこまで介入するのか」

「……できねぇよな普通」

 しばらくして、下校途中のお子様達は軍人に雑な一礼をして通学路を辿り始める。戻ってきたクロは二人の冷たすぎる半眼に、思わず声を詰まらせた。

「な…なんだよ。大人による教育のつもりだぞオレは…」

 絶対間違ったことを言った……つもりはないのだが対面の二人から漏れ出る気配を浴びていると口調が自然と尻すぼみになる。

「でもなぁ……」

「ああ。アレはアレでお節介なように思える。子供の戯れだったかもしれないし、本当に虐めだったとしても、本人達か、家族か、まぁ先生とかが対処すべきことだったんじゃないか?」

 言いたいことは理解はできる。が、『わからない』。一時の横槍で虐めがなくなるなら苦労はしない、と言う話ならわかる。

 クロが解りたくないのは、彼らですら「やってみなければ何も変わらない」との意見には首肯するであろうことだ。

「…………余計なお節介だ。

 言っても馬鹿を見る。

 ――だからやめとこうが理性だってんなら、コーディネイターもたかが知れるな」

 と、言いつつもクロも赤面している。その理由は自分でも納得できる。だが、わからない。人が群生物である故の限界なのだろうか。

 正義を固定できれば、これらの問題も解決できると、思う。だがこれこそ皆が忌避する本当の洗脳だろう。完璧な制御を施せるとして、制御者は究極の善を全うできる唯一神として振る舞えるのか。それは人を越えた存在であるはずのティニに任せたとしても何かが不足と感じてしまう。

 クロは振り返り、小学生達が消えていった道の先へと目をやった。もう子供達は見えない――代わりに火球が見えた。

「!」

 遅れて轟音が届く。超遠距離というわけではない。雷鳴の如く音と光が遅れるはずがない。驚愕がもたらした錯覚は振り返らなかった二人も向こう側へと引き寄せた。

「なんだっ!?」

 絶対に爆発だった。ここの地理にはまだ明るくない。ガスを扱う施設があちらと言う可能性もあるが、市民全員が油断も怠慢もほぼ有り得ないこの街で事故と言うものが考えにくい。

「まさかテロかよ…!」

「ヨウラン、ここの地図持ってるか?」

「ああ」

 ただの作業員であっても流石はコーディネイターか。突発的な事態にも避難も思いつけないパニックに陥ることなく次を見据えられる。ヨウランの取り出した端末にマップが表示されクロはそこから爆心地への道順を読み取った。クロは自分の端末に彼のデータを転送させる。

「い、行く気?」

「当然だ。オレ達の街の大事に軍人が動かなくてどうする」

 ヴィーノの弱気を一蹴して走り出す。軍務に着いた経験はあっても職業軍人であったことなど一度もない二人も大きく嘆息しながらも彼のあとを追ってきた。

 走っては緩めを繰り返し十分程度が経過した。やがて辿り着いた現場には既に消防、救急の関係者が集まり活動を開始していた。地上とは比べるべくもなくとも高層建築と評するべきビルが半ばより煙を吐いている。手近なところにすり鉢状の公園を見つけたクロはそこに人が誘導されていくのに気づき倣うことにした。血を流しながら座り込んでいる青年へと仲間を呼びつけ歩み寄る。担架も足りない事故現場では人では幾らでも必要になる。三人がかりで怪我人を抱え上げ、動かさないよう広い場所へと移動させた。

「おい! こっちも手伝ってくれ!」

「了解だ。全員同じシートの上か? トリアージタグ付けてる人いねぇけど」

「すみません! 道具は足りてないもので。医療従事者でしたら判断お願いします」

 そうではないが職業柄多少の心得はある。ヨウラン、ヴィーノと数言かわし、一人の怪我人に近づこうと――

 ふと危機感。コーディネイター二人も何かを感じたか服の裾が引っ張られた。そして眼前が吹き飛ぶ!

「う!?」

 二度目の爆発。眼前は錯覚だったとしても遠方から眺めるのとはまるで違う。危機感も臨場感も熱さも。クロは衝撃と煙の奥に消えた人間の人生を悼む余裕も持てないまま先程落とした荷物へと駆け寄った。鞄を開き手甲パーツを抜き取ると自分の左手に取り付ける。息が切れる。一度小指に引っかけ毒づき平服を無理矢理締め付けた感触を確かめてからようやく現場を見やれる。

「……何が起きた?」

「わからない。でも何か飛んできて爆発したのは見えた」

「ああ、ビルが崩れたんじゃない。攻撃してきた奴がいる!」

 ヨウランと同じ結論を得た者が他にもいたのだろう。攻撃されたその事実に所々から悲鳴が上がる――も、思考制御された人々は我先にと逃げまどい倒れた弱者を踏み殺すような惨事を回避した。一斉に、だが「我先に」という言葉だけは削り取って後退する。誰が指示したわけではなくとも危険区域がエアポケット化し、中央に残ったのは吹き飛び千切れた死者のみ。クロはその輪に加わり損ね、慌てて後退しようとしたが、視界の隅に異常な動きが引っかかる。整然と統一された動きの中で逃亡を図る異分子は際立って見えた。あれが、テロリストだ。断じたクロは左腕から銃を取り出すとヴィーノの制止を振り切って追跡を始めた。

「ちっ! テロリスト呼ばわりする奴のお家で報復テロか。やってくれるじゃねえの!」

 一体何者だ? その当然の疑問は自分の中で直ぐさま解を見つけ出す。できたばかりのこの街に怨みを持つ奴などそうはいない。だがこの街にはびこる風潮を忌避する奴らなら直ぐさま見当が付く。

(……統合国家が動けるわけがない)

 平和の国オーブに「あるはずのない」特殊部隊が存在したとして、今の地球の現状ではそんなものを月に送る余裕などあるはずがない。

(だとすれば、ザフトか…?)

 可能性は高い。だがそんなものがここに侵入したのなら〝ターミナル〟が見逃すわけがない。ティニが気づかないわけがない。そこから導き出される可能性にクロは自分の迂闊さを呪った。

「〝ターミナル〟か? くそ……」

 敵側…〝クライン派のターミナル〟が裏で糸を引いているというのなら、情報戦で優位に立ち、テロリストを袋小路に誘導すると言った搦め手には頼り切れない。見失えば探すことは困難になるが迂闊に追い続けていてはこちらがその搦め手の餌食とされかねない。

〈クロ、今どこですか?〉

 止めかけた足を止めずに踏み出す。体内のナノマシンはまだ排出されきってはいなかったか。脳裏に響いたティニの声はノイズもなく脳神経へと届く。ヨウランから貰ったマップデータを目元まで差し出しながらクロは弾む息の隙間に言葉を挟んだ。

「あー……S‐6地区での爆発のこと言いたいのならオレは現場だ。今実行犯らしき奴を追ってる。できれば増援頼みたい」

〈――確認しました。ついでにクロが追ってると思われるおじさん方も確認しました〉

「おお、オレの端末解ったらトレース送ってくれると助かる!」

 話している間にも時折目をやるマップデータに赤い点が出現していた。地理にまだ疎いクロから大きく肩の荷が下り、程なくして脇に現れた二人の男が会釈と共に併走を始める。〝イマジネーター〟か。そう思い当てれば先程並んでいたティニの兵士達の中に見た顔があったような気がしてくる。

「ティニ様から連絡を受けました。よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ。ターゲットは、理解してる?」

 二人が差し上げた腕にも自分のと同型の端末が確認できた。人数と地の利が手に入れば執れる手段は大きく増える。クロは更に集まってきた〝イマジネーター〟達と数言かわすと逃げる赤点の包囲を画策し、分散した。相手は無差別破壊犯。尋問用に一人を残せば残りはブチ殺しても構うまい。どうせ自分達もそう思われてるだろうと遠慮のない殺意をたぎらせたクロの耳に――誰何の声、制止命令、そして毒突きが届く。

「動くんじゃねえ!」

 自分の位置が赤点と重なり、包囲に加わったクロが声を張り上げた。何人かの〝イマジネーター〟がそれに続き、ティニの言うとおりのおっさんが二人、安全を奪い去られて縮こまっている。片方がクロの声に苦々しくこちらを向く。目があったクロとおっさんは同時に目を見開き声を上げた。

「な、マーズさん!?」

「てめぇクロフォードか!」

 テロリストはマーズ・シメオンとヘルベルト・フォン・ラインハルトの二人組だった。完全に殺す気だったクロの意識が大きく萎む。悪いのは相手だというのに、居たたまれなさが心を萎ませる。だから精神制御しろと言ったのだ。

「とんでもねえことをしてるみたいだなクロフォード。こいつらもしかして、全員洗脳された奴か!」

「そのとーりです。理性的でしょう? 報復にとお二人を袋だたきにしない一般市民ですよ」

 マーズが銃口を突き付けてきた。照星と重なる彼の目には友好感など微塵もない。クロの言葉を楽しめる冗談と取ることなど忘れ、軽口を飲み込み肥大化した殺意と敵意を視線から溢れ出させている。友人とも言える男からの殺意は、堪えるものがあった。

「折角よしみのある人間が敵側にいるんです。投降しませんか? 拷問とかねーですから」

「へっ! 拷問以上に脳改造されるだろが」

「ラクス・クラインも似たよーなものだと思うんですがねえ」

 彼らが『ラクス様』に心酔していることは知っている。熟知している。その一言で彼らが激怒するであろうことは容易に想像できた。

「てめぇ!」

「マーズさんがアタマに来るぐらい、さっきの言葉は彼らに失礼だってことですよ」

「……狂ったなぁクロフォード。姐さんを殺した次は洗脳か!」

 ヘルベルトの言葉にクロの口から出始めていた反論が霧消した。

「……なに?」

「〝ルインデスティニー〟のパイロットなんだろうお前。〝アプリリウス〟で姐さんが死んだ。お前に殺されたんだがな」

 ヒルダ・ハーケンの快活な、と言うよりも粗野な笑顔が脳裏をよぎった。

 ころした? 一瞬とはいえそれを思い出せなかった自分に憤りを感じ、クロはぎこちなく顔を歪めて嗤った。ああ殺した。キラとの死合を邪魔したと、慈悲などくれずに斬り裂いた。その時はパイロットが誰かなど思いつけもせずに。

(二人に教えられなきゃ……知らない罪の意識なんか感じなかったんかな? 思い出しといて痛がってるのもアホだがな……)

 ザフトに潜り込んでいた際、久しぶりに会った目の前の二人は、ヒルダの死を認識しつつも信じてはいなかった。だが……数ヶ月間、〝ターミナル〟の情報網からも消息不明とあってはそれを思い知らされるしかなかったのだろう。

 姐さんが死んだ、か。そこに罪悪感はある。だがそれこそが戦争であり兵士の本分だ。それが嫌だというのなら戦争をなくす方法を考えろ。オレのように。

「なんだ……心の拠り所を失って、自暴自棄のテロですか? その結末がこれですかっ!?」

〈クロ! 気をつけて下さい。モビルスーツが侵入しています!〉

「結末なんて勝手に決めるんじゃねえよ!」

 ティニからの警告を周囲に伝える暇もあらばこそ。上空から叩き付けられた何かが地表に突き刺さる。

(やっぱり戦力足りねえじゃねえか! 上空監視何してやがる!)

 噴煙消えやらぬ街の一角に目を懲らせば上空より落とされた〝ドムトルーパー〟が確認できる。両手を空にした敵モビルスーツに対処法を思い描くより先にそいつから何かが撃ち出される。ティニからの分析を待つまでもなくクロの知識がそれを探り当てる。

「対人兵器だ! 下がれ!」

 宙で弾けた筒状の何かが雨霰と降り注ぐ。人体を貫通した小鉄球が地面に呻き犇めく人々を作り出した。モビルスーツの目からは――死肉に集る蛆の群にでも見えるか。危険を察知した〝イマジネーター〟達は回避行動に移っていたが被害者がゼロというわけには行かなかった。

「くそ! マーズとラインハルトはっ!?」

〈モビルスーツの中です! 確認しました。ティニ様に報告を――〉

「オレが伝えられる。それより防衛に回れ! たった一機に街制圧させるなっ!」

 ビームガンとビームシールドを〝ドムトルーパー〟に向けはするがこの出力でモビルスーツの装甲を貫けるとは考えられない。

〈ティニ! モビルスーツは出せないのか? 〝アイオーン〟の艦載機は動くだろ!〉

〈……いえ、こちらの発進よりもあちらの離脱の方が早い〉

「離脱だと?」

 ティニの言葉を証明するように対人兵器をばらまいた〝ドムトルーパー〟はそれ以上何をすることもなく上昇を始めた。この機体の過剰なまでのバーニアは多少離れた程度では熱さがまるで和らがない。クロの装備しているものを皮切りに無数の〝ソリドゥスフルゴール〟が〝ドムトルーパー〟を囲み込んだがそれらは全て自己保身の意志に生み出された光。敵機を害することはできず、飛び去るそれには無害な花としか思われない。

「クロさん! ティニ様は?」

「モビルスーツの増援は間に合わねえとよ。怪我人……応急処置な。救急隊もこんな大人数どうしようもねえ」

 驟雨のような小鉄球に貫通された人々も即死してる不幸な存在は少ない。各々が救命道具を取り出すと負傷者の治療に取りかかった。

「クロ! 大丈夫?」

「いたのかルナマリア。お前こそ大丈夫か。シールドなんか持ってないだろ」

「ええ、うんと、遅れてきたからね」

 そう自虐しながらも彼女も救護に加わった。何人かに止血剤を振りかけ、足りなくなったら包帯、それもなくなったら服の切れ端で間接圧迫。そんな兵士に精一杯な処置を繰り返している内に本職が到着してくれた。クロは一息つくと渦中から離れた。

「ティニ。こっちは一息ついた。ザフトとか〝ターミナル〟から再度の侵攻なんかねえだろうな?」

〈ザフトは関与を否定していますし、宙の上の軍隊にはそれを理由に何もさせません。〝ターミナル〟に関しては、制裁を加えます。こちらは今サーバ使いが三人いますからあっちにサーバ使いがいたとしてもボコボコにできますからご安心を〉

「ルナさん、クロさんお疲れ様でした。後は我々に任せて休んでください」

「お、ええ。ありがとう。あなた達も休んでよ。幾ら自分を客観視できるっつっても自分も解ってない疲労感とかあるだろうし」

 クロは今も処置を手伝う彼らを見やった。救命医程の技術があるかないかはそんな技術が微塵もないクロには判断付けられない。が、無駄を無駄と断じられるその様子がプロフェッショナルを感じさせた。搬送はほぼ完了しつつある現場であるが完全に放置された人型も幾つとなく放置されている。〝アルザッヘル〟都市の気温はそれ程高くはない。腐敗が始まるまでにはまだ時間がある、と言うことか。それを気持ち悪くないか問われればはっきりと気持ち悪いと答えるだろう。こちらよりである自分ですらそうだ。今の世の大多数はその所作を人でなしと称することだろう。

 クロはかぶりを振り、意図して思考を消し去った。すると不謹慎な疑問が湧いてくる。クロはそれも消し去ろうとしたが……一つめの思考よりはと口に出してみた。

「今あいつらルナマリアはルナさん……っつったよな」

 ナノマシンに意識を乗せる。ティニは今〝ターミナル〟の締め付けに忙しいかと思ったが存外簡単に返答してくる。

「なぁティニ。一つ聞きたいんだが なんで〝イマジネーター〟達のお前に対する呼称は「様」なんだ? お前、統一させてるだろ」

〈気づかれましたか。ようやく、ですけど〉

「まぁ……。あいつらが「助けられた」とか「尊敬してる」ってんで呼んでるなら、直接指揮官になってたルナマリアこそ「ルナ様」呼ばわりされそうなもんだし」

 つまらない質問に辟易したか? ティニからしばらく反応がなかったためクロは気後れを覚えたが……体内の通信機の奧に小さな笑い声が弾けたような気がした。

「一番偉い呼称なんでしょう? なんだか気持ちいいじゃないですか」

「……ほう」

 流石は生物を操る意識体と感心すべきか? 神であっても自尊心等という余計な心を持っていると呆れるべきか? どうでもいい悩みは消し去りたかった嫌悪感をオブラートに包んでくれた。


 
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