「だが、ボクは断固拒否するぞ」
「えっ?…………えぇーーーーーーーーーーーーっ!!」
無情な言葉に幻想を粉々に砕かれたエルシィの叫びがあたりを満たした。
神のみぞ知るセカイSS
エクストラ・ビター
ショックを受けて呆然としているエルシィをそのままに、桂馬は話は済んだとばかりに歩き出した。
一時中断していたゲームも再開させている。
彼女が我に返ったのは先に行く彼が見えなくなる頃だった。
エルシィは慌てて後を追うと、桂馬の前に回りこんで道を塞いだ。
「そんな……にーさま、どうしてですか!」
息を調える時間も惜しんでエルシィが当然の質問をぶつける。
そんなエルシィに桂馬は冷たい視線を向けながら
「どうして、だと?そんなのは自分の胸に手を当ててみればわかるだろうが」
「うーっ、わかりませんよう」
「まったく……だからお前はいつまでたってもポンコツなんだ。お前の作った弁当やら手料理やらでボクが今までどんな目に遭ってきたと思ってる」
「そ、それは、その――――」
言われたエルシィも失敗の数々を改めて思い出したが
「――――今度こそ大丈夫ですから、一口食べてみてくださいよー」
そう言って改めて包みを差し出した。
「その台詞、ボクは何回も聞かせられたな……その後、無事で済んだことなんて今まで一度もないぞ」
「今回はおかーさまにも手伝ってもらったから本当の本当ですって」
このチョコクッキーには手伝ってもらった麻里の気持ちもこめられている。エルシィとしてもそう簡単に引っ込めるわけにはいかなかった。
「フン、どうだかな……だいたい甘いモノは嫌いなんだよ」
「これはあんまり甘くないんです。ほろ苦オトナ味っておかーさまも言ってました」
逃げ道を塞がれた桂馬は、差し出されたチョコをじっと観察していた――――少なくとも見た目はまともそうに見える。
やがて、観念したように包みに向けてゆっくりと手を伸ばしていった。
しばらくの間、桂馬の手がふらふらと宙をさまよう。
過去の強烈な経験が桂馬をためらわせていた。
それでもわずかづつではあるが、指先はエルシィに向かって近付いていく。
祈るように彼女が見つめる中――――桂馬がついに包みに触れた。
エルシィの顔が喜びにあふれる。
だが、次の瞬間
「だまされるもんか!」
そう言って桂馬は包みごとエルシィを押しのけた。
押しやる手にさほどの力は込められていなかったが、エルシィは突き飛ばされたようによろめき、あとじさった。
笑顔を凍りつかせている彼女の様子に桂馬も一瞬たじろぎ、フォローの言葉が頭を過ぎったものの
(おっと、危ない危ない。ここで甘い顔を見せるからヒドイ目に合うんだ…………たまには現実にも思い知らせてやらないとな)
そう思い直した彼がそれを口に出すことはなかった。
一度決心した以上、桂馬の行動は素早い。
後を振り返ることもなく、PFPの液晶画面を注視しながら足早に歩き去ってしまう。
残されたエルシィはもはや桂馬を追いかける気力もなく、遠ざかる背中をみつめることしか出来なかった。
学校は昨日と違う空気に包まれていた。
言うまでもなく今日がバレンタインデイだからだ。
校舎のあちこちでチョコレートの詰まったカラフルな小箱が友達やクラスメートに、部活の先輩後輩に、そしてもちろん好きな男性に贈られている。
そんな中、高原歩美は自分の席で友人たちが登校するのを待っていた。
やがて知り合いの一人、桂木桂馬が教室に現れた。
桂馬はもともとただのクラスメートだったが、友達のエリー(エルシィのこと)の兄でもあり、彼女を通して何かと話をする機会が多かった。試験勉強を見てもらったこともある。
バレンタイン当日だったこともあって、桂馬の顔を見た歩美は自然とそちらの方へ思いを巡らせてしまう。
(そういえば桂木のヤツは誰かからチョコとか貰うのかな。ま、どうせそんな物好きなんてエリーくらいだろうけどさ)
そこまで考えたところで、エルシィがいないことに彼女は気がついた。
同じ家に暮らしていて、学校の行き帰りはいつも桂馬と一緒だったあの娘が今日に限ってそうじゃない。
(エリーが病気ってのも考えにくいし、やっぱりバレンタインだからかな?いつの間に好きな男、できたんだろ?…………まー、いつまでも兄にべったりなわけないか)
歩美は成長を喜ぶ反面、急にエルシィが遠くに行ってしまったようでなんだか寂しくなった。それに、友達だと思っていた相手の心の変化に気づけなかったのも、友情を否定されたようでなんだか悔しい。
(じゃあ、桂木って今年は一個もチョコもらえないのか……ちょっとだけお世話になったこともあるし、アイツには他にアテなんてないだろうし…………可哀想だし余ったチョコ、アイツにあげようかな…………)
歩美のカバンの中にはバンド練習の後、メンバーと一緒に食べるつもりのチョコとは別にプレゼント用の小箱が何故かひとつ入っている。
誰かがこっそり忍ばせておいた不審物なんてことはもちろんなく、数日前みんなで食べるモノと一緒に彼女が自分で買ったものだ。
その存在を改めて思い出した彼女が、渡そうか渡すまいか悩んでいるうちにエルシィが教室に入ってきた――――ただし、落ち込んだ顔つきで。
何かがあったのを察した歩美は話を聞き出そうとエルシィに近づいていった。
「えーーっ、何それ。じゃあ、桂木のヤツは妹のチョコを受け取らなかったの?」
話を聞いた歩美が憤慨すれば
「そうなんですっ!私、がんばったのに……にーさまってばヒドイですよね!?」
話しているうちに多少は気持ちの整理がついたエルシィも調子を合わせた。
「それは今までちょっぴり、ほんのちょーーっぴり失敗したことだってありますよ?でも、だからってせっかく作ったチョコを受け取らないなんて…………そんなのないです!」
「そ、そうだよっ。桂木のヤツ、サイテーだよね」
過去、エルシィが作った数々――――リアルに手を模したサンドイッチや弁当箱からあふれ出るたくさんの触手、目が一つだったりやたら大きなイボイボのついた魚の料理――――を思い出して頷くのをためらったものの、桂馬が気持ちを踏みにじったことには変りなく、結局歩美はエルシィにつくことにした。
「一体、どうしたらいいんでしょうか……」
「…………私、ちょっと行って桂木に文句つけてくる」
「歩美さん?」
「だって、このままじゃ私の気持ちも収まらないよ!」
そう言うが早いか、彼女は桂馬の席に向かって動き出した。
「ちょっと、桂木!」
そう呼びかける勢いのまま、歩美は拳を机に叩きつけた。
「いきなりなんだ?」
さしもの桂馬も顔を上げたものの、歩美を確認するとすぐに視線はまたゲーム画面に吸い寄せられ、その後は見ようともしなかった。
そんな様子に歩美はますますヒートアップしてしまう。
「なんでエリーのチョコ受け取らなかったのよ」
「なんでって…………アイツの作った食べ物なんて食べられるわけないだろ」
「いつもエリーに色々してもらってるくせに、その妹のことが信じられないわけ?そんなのおかしいよ」
「ボクが頼んだわけじゃない。エルシィが勝手にやってるだけだ……(それに本当の妹じゃないしな)」
「なによ、その言い方!」
「事実だからな…………だいたい、それでヒドイ目にあってるのはボクの方だ」
感謝するような謂れはない、と言外に滲ませる桂馬だった。
実際にエルシィの作ったお弁当を何度か目撃している歩美は、思わず桂馬の意見に頷きそうになってしまい、慌てて矛先を変えた。
「エリーはアンタのために頑張ったんだよ、少しくらいのことは我慢しなよ!」
「身体中が水玉模様になったり、一晩中トイレから出てこられなくなるのが『少しくらい』なもんか」
「――――っ。普段、兄貴らしいことなんて全然してないんだし、それくらいいいじゃない」
「それくらい、だと?……なら、お前がエルシィのチョコ食べてみせろよ。友達なんだろ」
「それは…………」
桂馬の逆襲に歩美は黙らされてしまった。
(そんなの、食べられるわけないよ。友達だもん)
という歩美の心中に気づかないまま、桂馬は続ける。
「お前だってやっぱり食べられないんだろ?自分で無理なことを他人にやらせるとかどんだけ勝手なんだ…………まったく、これだから現実女は――――」
もともとせっかちな歩美が、桂馬の台詞を最後まで言わせるはずもなかった。
「あー、もういい!アンタなんかもう知らない!!」
見切りをつけるようにそう叫ぶ。
声と同時にキックも出た。
陸上で鍛えた脚から繰り出される蹴りを受けて桂馬は椅子ごと吹っ飛ばされてしまう。
床に転がる桂馬には目もくれず、歩美は荒々しく自分の席に戻る。
(アイツにだけは、絶対にチョコなんてあげるもんか!)
エルシィが現れるまでのことは忘れ、歩美はそう決心する。
事件のきっかけになったエルシィはというとどうしていいかわからず、ただオロオロと成り行きを見守るばかりだった。
寝坊した小坂ちひろが登校してきた時、教室は妙な空気に包まれていた。
オタメガネこと桂木桂馬が白眼視されているのはいつものことだが、今日は睨みつける視線に並じゃない敵意がこめられている。
特に男子生徒の目つきは凶悪そのもの、冗談抜きで
「視線で人間が殺せたらいいのに」
などと物騒なことを考えていそうだ。
異常は他にもあって、いつもちひろが挨拶すれば元気に返事をしてくれるエルシィは調子が悪そうだったし、よく休み時間に無駄話をする歩美は口数が少ない。
ちひろはしばらくの間
「いやー、ゆうべ深夜の音楽番組見てたら朝、起きられなくってさ……目が覚めたら10時過ぎ。お母さんに文句行ったらさ、なんて言ったと思う?『お前みたいないい加減なのは、たまに痛い目に遭ったほうがいいんだ』とか言っちゃってさ。ヒドイよねー。そのくせ『起きたんなら邪魔だから今からでも学校行ってこい』なんて言うんだから……」
と、自分の失敗談を語っていたが、二人がまったく食いついてこない。
場を和ませるのを諦めた彼女は周りのクラスメート達に何がどうしてこうなったのか確かめてみることにした。
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神のみバレンタインSS第2話。
1話目の後で読むといっそうお楽しみ戴ける……かもしれません。
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