建業城陥落の報は勝利に浮かれる連合軍、特に呉軍に暗い影を落とした。
「やってくれたわね・・・まさか本拠地が攻略されるなんて夢にも思わなかったわ」
雪蓮は椅子の背もたれに寄りかかり、額に手を当ててぼやく。呉軍首脳は出来るだけ秘匿しておきたかったが、どこからか兵士たちに漏れてしまったようで彼らの動揺は止まるところを知らない。
「明命、魏軍の動きは?」
「はいっ。建業を攻略した織田軍は各地の孫家与党の豪族を降し、揚州をほぼ完全に平定。曹操本隊は樊城に曹仁を残し、長安城に大軍を集結させている模様です」
「蜀攻略にかかるつもりか・・・それで舞人・・・織田軍の動きは?」
「織田軍は許昌から建業城へ兵が送られ、西より荊州から蜀へ攻め寄せる模様です。現在数は25万ほど」
報告する明命にいつもの元気はない。内通者に自分の部下がいた事を気に病んでいるようだ。
数はほぼ同じだが、大戦に疲弊している上に動揺し浮足立っている呉軍がまともに陸で織田軍とぶつかって勝てるとは誰もが思っていなかった。無論、3人の軍師たちも。
「・・・劉備の世話になるしかないか・・・」
先ほど蜀王自ら呉の陣営を訪ねて来て、提案したのだ。
「よかったら、蜀にきませんか」と。
「連合軍、益州へ移動を開始したようです」
「御苦労、下がっていいぞ」
建業で留守を預かる愛紗は兵に労いの言葉をかけて下がらせ、ふぅ、と一息ついた。
「桃香様は、呉を上回るほどの国力を手に入れられたのだな・・・」
陣営が別れても、夢を共にした義姉が曹操と並び立つほどの力を手に入れた事は嬉しい。だが、自分が心を寄せている殿方の敵として立ちはだかるのは―――
「話は別・・・だな。桃香様、大陸の平穏の為にあなたを倒します」
一方、建業城の軍を率いる織田舞人は愛紗が呟いたのと同じ頃、許昌の宮殿にいた。椅子に腰かける彼はいつになく神妙な表情で、正面に座る華琳を呆れさせている。
「まさか一介の浪人に過ぎなかったあなたが皇帝陛下に子を宿すなんて、誰が予想したかしら?」
「俺は最初あいつの事を男だって思ってたからな」
返事にも余裕がない。一応、彼の緊張を解そうとしたのだが、失敗したと見て用意された茶菓子に手を伸ばした。
舞人が緊張している理由、そして長安城にいるはずの華琳が許昌にいる理由は―――
足音荒く舞人が廊下を歩く。華琳は普段と変わらぬ様子で隣を歩く。そして、ある一室の扉の前に辿り着き、控えていた侍女が静かに扉を開ける。
「あ、舞人さんと華琳さん」
部屋の寝台には瞳が上半身を起こして2人を待っていた。彼女は少し疲れた様子で、両腕に白い綺麗な布に包まれた何かを大切に抱いていた。
「ほら、舞人さん。女の子ですよ」
「お父さん、抱いておあげなさいな」
「あ、ああ」
2人に急かされ、舞人は白い包み―――我が子をその腕に抱く。自分の腕に抱かれた我が子は大人しく父の腕に収まっている。
「小さいな・・・」
先ほどこの世に名乗りを上げた我が子を、感慨深げに覗き込む。
―――無垢な寝顔。子供たちのこんな寝顔や笑顔を守るために、世の親たちは頑張っているのだろうか。
「ありがとうな、瞳」
「ふふふ。どういたしましてですよ、舞人さん」
新米夫婦達の誕生に、華琳は暖かな笑みを浮かべるのだった。
皇帝長子の誕生を祝って行われた宴を少し抜け出した舞人は、東屋に腰掛けて夜空を見上げていた。明日にはいよいよ蜀を平定するために建業へ戻る。
軍勢は華琳が長安から漢中を通って、舞人が建業から荊州を通ってそれぞれ益州に入り、成都を目指す方針である。
(長かったな・・・ここまで。あいつと出会ってどれくらいの日時が経っただろう)
初めは皇太子が女だとも知らなかった。
十常侍との抗争がきっかけで一介の素浪人から漢軍を率いる大将軍に就任し、袁紹の嫉妬を買って諸侯の連合軍に攻め込まれ、後に華琳と結んで劉備・馬騰・孫策・袁紹の包囲網を撃破。定軍山の戦いでは秋蘭を救援し、そして赤壁の大戦へ―――
その時、要所には常に彼女がいた気がする。
「舞人さん、こんなところにいたんですか」
「宴の主役がなんでこんなところにいるんだ、瞳」
皇帝・劉協―――彼の最愛の人物のひとりである瞳は、微笑みを浮かべながら舞人の隣に腰掛ける。
「明日には出陣なんですよね?だからお話したいなって思って」
笑顔で答える彼女だが、舞人は見抜いていた―――彼女が一抹の不安を抱えている事に。戦場に出れば、皇帝の夫も一介の戦士。死の機会は一兵卒にも全軍を率いる総大将にも平等に降りかかってくる。
『あの人は大丈夫』。心の中ではそう言い聞かせても、不安は常に留守を預かる彼女のなかにはあったのだった。
だから、舞人は彼女を抱き寄せてこう答えてやる。
「大丈夫だ」
「えっ?」
「瞳、俺は死なない。紀信は高祖の世の為に殉じたが、俺はお前の先祖が再興した国の平和の為になんか死んでやらない。クソ喰らえだ」
腕の中の暖かな温もり。それを噛み締めるように深く抱きしめて、宣言してやる。
「俺は生きる。お前と子供達、仲間達や民達とのんびり過ごすために生き抜いてやる。死んでなんかやらない、平和の礎になんかなってやらない・・・俺の全てをかけて誓う!」
「舞人さん・・・!」
彼女の声が震えたのが分かった。舞人は彼女をあやすように優しく背を叩き、囁く。
「愛してるよ、瞳」
「私も大好きです、舞人さん」
2人は口づけを交わし合う。この後、共に平和な世をともに歩むなかで幾度も交わすなかで、はじめての口付けだった―――
翌日。織田舞人・曹孟徳率いる成都攻略軍は皇帝劉協の見送りを受けて出陣。
「ではまた成都で会いましょう、舞人」
「ああ」
華琳は長安城へ、舞人は建業城に向かい、待っていた諸将と合流する。
「隊長、お帰りなさいませ」
「舞人、遅いで~!」
「大将、準備はすべて整ってるよ!」
「後は号令だけやで!」
「舞人殿、号令を」
部下達の進言に、舞人はうなずきを一つだけ返し、兵士たちに短い檄を飛ばす。
「皆、長く続いた戦いもこれで最後だ。蜀を平定し、長きに渡った乱世に終止符を打とうじゃないか!」
『おぉーーーーーーっ!』
「友を信じよ!我を信じよ!さすれば道は開かれん!」
抜刀し、天に掲げる!
「出陣!」
―――以下、『紅竜王戦記』より。
織田漢軍・曹魏軍率いる軍勢は八十万にも及んだ、とも言われている。『益州の戦い』『第一次蜀平定戦』『劉備征伐』などと呼ばれるこの戦いは曹操率いる曹魏軍と蜀将・魏延率いる南鄭城守備隊との『南鄭城の戦い』が発端であった。
魏延は籠城策を取り、本隊の救援を待ったが曹魏の大軍を前に支えきれずに敗北。救援に来ていた張飛の守る雒城まで敗走する。
一方の織田漢軍は荊州江夏で孫権率いる呉軍と激突し、これを大破する。各地の敗北を知った諸葛亮は雒城の張飛、江油の馬超、綿竹の趙雲、巴城の厳顔に総退却を命じ、成都で乾坤一擲の決戦を挑まんとした。
意に乗じた織田漢軍・曹魏軍ともに成都を背後にした蜀軍及び孟獲の南蛮軍と対峙し、いざ決戦が行われんとした―――
しかし、決戦は行われなかった。匈奴・鮮卑ら西の異民族が結集し、百万の大軍を以って侵攻してきたのである。ここに至り両軍は和睦し、三国連合軍を大将軍織田舞人が率いて長安で交戦。これを壊滅せしめる。
後日正式に(形式だけであるが)劉備・孫権が劉協に降り、それぞれ蜀王・呉王としてかつての領国に封じられ、多少の問題を残しながらも大陸に平穏が戻ったのだった・・・
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紅竜王伝赤壁編14話です。
次回、最終回としてエピローグとあとがきを投稿する予定です。
そこで、この作品の設定などに対して何かご質問でもありましたらお寄せください。あとがきにて答えられるものにはお答えしようと思います。