赤・青・白・黄。
様々な光が明滅する闇の中を、一人の男がゆっくりと歩いていた。
カツン、カツン、と。
男が歩くたびに、高い金属音が静かな闇の中に響き渡る。彼が歩いているのは、金属製の細い橋の上。その左右には、さらに深い闇が広がる。
突如、男は歩みを止め、その闇が広がる眼下へと視線を送る。
闇が広がる中、かすかに見えるのは大量の人影。だが、その人影たちは直立不動のまま、微動だにしない。
「……フン」
男はその人影たちに一瞥をくれると、再び歩き始めた。その先に、ひとつの扉が見えてきた。金属製の、かなり頑丈そうな扉である。
「……識別コード、SMW-015」
その扉の前で、男がその野性的な声を発する。すると、
『……IDコード確認。ロックを解除します』
どこからともなく流れる、その抑揚のない声。それとともに、扉が自動的に、左右に開く。
男はその扉をくぐり、中へと進む。
その先は、一寸先も見えない闇。
その闇の中、男の侵入と同時に、別の、若い男の声が響く。
「……君か。何の用だい?」
「……報告だ。司馬懿が魏領を制圧、晋国の建国宣言を済ませた」
「そうか。これで計画は最終段階に入ったね。……君にも、そろそろ本格的に動いてもらうことになりそうだ」
「……承知している」
野性的な声の男が、若い声の男にうなずく。
「五神将と虎豹騎の様子はどうだい?今のところ、異常は無さそうだけど?」
「問題ない。……いや、少々精神面が不安定のようだが」
「それは仕方ないよ。あの娘たちは元々、”そういう風に造ってあるんだからね”」
ククク、と。若い声の男が笑う。
「……」
「君はどうだい?”向こう”から流れてきてから、一度しかメンテしていないけど」
「……心配無用。……それに、別に死など恐れているわけでもない」
「へぇ。……じゃ、君には怖いものなんて無いんじゃないの?君ほどの武人が死を恐れないのなら、他には恐れるものなんか無いだろ?」
若い声の男が、野性的な声の男に問う。
「……恐れるもの、か。以前ならば一つだけあったが、今はもう、それも解消済みだ」
「……どういうことだい?」
「貴様には関係の無いことだ。そんなことより、システムの調整は出来ているのか?”外の人形”どもが使えねば、この計画が頓挫することになりかねんぞ」
「それこそ君には関係の無いことさ。君はただ、お飾りと彼女たちの監視だけ、気に留めていればいい」
「……ふん。……ならば、俺は”外”に戻る。時間は多く残っていない。そのこと、ゆめゆめ忘れぬなよ、”仲達”」
「……君もね、”呼厨泉”さん」
ガコン、と。
呼厨泉と呼ばれた男が部屋から退出するとともに、再び扉は閉じられて、闇が再び支配するその室内には、仲達と呼ばれた男だけとなる。
「さて、と。人形遊びもそろそろ終盤か。フフ、……神の造りし人形たちと、僕の造った人形たち。さて、終末の使者たちを迎え撃つことになるのは、果たしてどっちだろうねぇ?ククク。クク、ク、クハハハハハハハハハ!!」
暗闇に響く”仲達”の、狂気ともいえる笑い声。
カチリ、と。
仲達のひじが何かを押した。
「おっと」
その瞬間、その背後にあった、クリスタル状の板に、次の文字が映しだされた。
『Time-Limitte = 1Year and 2Day』
場面は再び、襄陽の病院。
「会いたかったわ~!ご主人さま~!!」
「ひっ!くるな!ひっつくな!ほおずりするなぁーー!!」
筋肉だるま-漢女の貂蝉がに抱きつかれ、全身に鳥肌を浮かべた一刀が、全力で悲鳴を上げていた。
「ちょっ!!一刀に何すんの!?」
「こらっ!一刀から離れなさい、この化け物!!」
「だああああれが、身の毛もよだつような、未知の怪生物ですってーーーー!?」
「あなたに決まってるでしょうが!」
「んも~、久しぶりに会ったっていうのに、冷たいわね~、桃香ちゃんてば」
口から泡を吹き、痙攣し始めている一刀を抱きしめながら、貂蝉が劉備にそう語る。
「あなた!桃香の真名を勝手に呼ぶとはどういう了見よ!!」
「あ。あ~ら、ごめんなさい。つい、いつもの癖で呼んじゃった。訂正するからゆ・る・し・て♪」
ウフン、と。自分に絶を構える曹操に、しなを作ってみせる貂蝉。
「き、気持ち悪……」
「……で、いつまで一刀に抱きついてるつもり?」
ちゃき、と。
靖王伝家を貂蝉の首筋にあてがい、恐ろしく低い声を出す劉備。
「あら。ごめんなさいね、ご主人様。久しぶりに会えたものだから、嬉しさのあまりつい」
ぱ、と。一刀を開放する貂蝉。
「……桃香。おれ、死んだ父さんに会ったよ」
「ちょ!しっかりしてよ、一刀!」
「ていうか、何で俺のことをご主人様なんて呼ぶんだよ!?思いっきり初対面だろうが!!」
「……そうね。そうだったわね。今度のご主人様は、そうだったわね」
一刀に初対面、と言われてさびしげな表情になる貂蝉。
「……どういうこと?」
その貂蝉に、劉備が思わず問いかけたその時、
「ああっ!!おまえ!いつぞやか私の邪魔をしてくれた、化け物ではないか!!」
「……今更だと思うぞ、姉者」
「そう。こいつが例の化け物なのね。確かに、秋蘭の報告どおりだったようね」
貂蝉が以前、宛で自分を邪魔した存在だったことを、今になって思い出す夏侯惇に、呆れた表情の夏侯淵と、納得と言った感じの曹操。
「……話を戻すけど、漢女貂蝉、だっけ。あんた、いったい何を知っているんだ?」
「ほとんど、って所かしら。あ~んな事から、こ~んな事まで。……仲達ちゃんの事とか、ね」
『?!』
貂蝉の発言に驚く一同。
「……全て、聞かせてもらえるのかしら?」
「もちろん。その為に、ようやく許可をもらってきたんですもの。ご主人様、出来れば、魏・呉・蜀、全ての国の関係者を、集めてほしいのだけど」
「ご主人様はやめろっての。……美羽たちもか?」
「ええ」
「……わかった。桃香、すぐに手配を頼むよ。三日もあれば、みんな集まれるだろ」
「うん、わかった」
一方その頃、旧漢都にして、現・晋朝帝都の鄴では。
「どこ行ってたのさ、呼厨泉のおっさん」
「……仲達のところだ。報告をしにな」
「そ。……んで、仲達さまはなんて?」
「……何も」
「なーんだ、つまんないの」
鄴城の謁見の間。そこに晋の五神将のうちの四人、貂蝉と蔡琰、禰衡と祝融らが集まっているところへ、呼厨泉がその姿を見せていた。
「……それより、皇帝はどうした。姿が見えぬが」
「いっちゃん?誰か知ってる?」
「司馬の帝なら、中庭で山陽公と遊んでるわ」
「……そうか」
くるり、と。きびすを返して、その場を去ろうとする呼厨泉。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけどさ。あんた、なんでそんなに、あのお飾りをそんなに気にかけるわけ?」
「……我はあの方の剣。……ただ、それだけだ」
禰衡の問いにそれだけ答えて、呼厨泉は謁見の間を出て行く。
「……ふん。格好つけて」
「所詮拾われ者よ。どっか他の外史から、流れ着いただけの、ね」
「あの呼厨泉の名も、記憶の無かったあの男に、仲達さまが与えたものだしね」
呼厨泉が立ち去った後、出て行ったその扉を見やりながら、そんな風に毒づく蔡琰と貂蝉、禰衡の三人だった。
その頃、呼厨泉が向かった中庭では。
「はーなー」
「はい、お花ですねー。綺麗ですねー」
「あー、そーらー」
「お空ですねー。青いですねー」
蒼い髪の少女が、まるで無垢な幼子のように、庭園の中をちょこちょこと動き回る。
その少女を、少し離れたところから見守る、黒髪の女性。
「あー、こちゅー」
「こちゅー、ですか?……あ、呼厨泉さんですね?……え?」
自身のほうを指差す少女の言葉を理解し、驚いて後ろを振り向く女性。
「こちらでしたか、皇帝陛下」
「呼厨泉さん」
呼厨泉に皇帝と呼ばれたその女性。晋の初代皇帝となった司馬懿仲達は、呼厨泉の顔を見て明るい笑顔を浮かべる。
「……山陽公も、お元気なようで」
「こちゅー、あそ、あそ」
「……遊べ、ですか?」
「ん!」
呼厨泉の脚にしがみつく、山陽公と呼ばれた少女。――もと、漢の十四代皇帝であった、劉協、その人である。
「……完全に、幼児退行しておりますな」
「はい。……こんな後遺症が残ると知っていれば、あんなモノ、使いなんかしなかったんですけどね」
「……陛下」
劉協を膝の上に抱きかかえ、自嘲気味に苦笑する司馬懿。
「皇帝になりたいと願ったのは、確かに私自身です。その為に、仲達どのの誘いに乗りました。そして、今こうして、帝位に登れたことには、本当に感謝しています」
「……」
「けど、私は所詮、お飾りでしかなかったんですね。……実際に帝位に就いてからは、政にはまったく関与させてもらえませんし」
いつの間にか、司馬懿のその瞳には涙が滲み始めていた。
「……」
呼厨泉はその司馬懿に、何も言えないでいた。慰めの言葉をかけたところで、何も変わりはしないのだから。
「情けないですよね、本当に。……呼厨泉さん」
「は」
「……もしものときは、この娘のことを頼みますね。……こんな私の、道連れにすることは、出来ませんから」
「……御意」
いつの間にか眠ってしまっていた劉協を抱きかかえたまま、呼厨泉を見上げて司馬懿は微笑んだ。
(……この方は、俺が命に代えてもお守りしてみせる。……その相手が、たとえお前であったとしてもだ。……いつでも来るがいい、一刀。……わが、弟子よ)
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刀香譚、四十九話目です。
さて、今回は仲達たちの秘密の一端が、ほんの少しだけ、
明かされます。
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