No.170270

四百年間の願い事・慶長編(1)

小市民さん

安土桃山時代の絵師・長谷川等伯は、徳川家の依頼を受け、浅草寺の伝法院に仮住まいします。
現在に伝わる松林図屏風を描き、浅草寺の境内をぶらりと歩いたときに出会った女の子は……
小市民の新シリーズは歴史ファンタジーです。

2010-09-04 10:47:33 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:505   閲覧ユーザー数:490

 浅草寺の本坊(貫主の宿坊)である伝法院の書院の一間から、池泉回遊式庭園を見た。

 京の公家や大名の広壮な邸宅でも目にした築山、池、橋などが巧みに配された見事な庭園であったが、長谷川等伯(とうはく)の老いた瞳には、不意に松林に霧が立ちこめる幽玄な景色として映された。

 それは、等伯の故郷の景観であった。

 等伯は、天文八年(一五三九)に能登国七尾で生まれ、仏画などを描き、生計を立てていたが、三十歳で上洛し、都で主流だった狩野派に強い対抗意識を燃やし、二十年近い下積み生活の後、独自の画風を確立した。

 そうしたとき、豊臣秀吉から幼くして亡くなった愛児・鶴松の追善供養にと建立した祥雲寺の金碧障壁画制作の依頼が舞い込んだ。

 等伯は一門を率いてこの大仕事を果たし、一躍、都の画壇で認められる存在となった。

 京での名声は、江戸に幕府を開いた徳川家康にも届き、慶長十五年(一六一〇)三月、等伯は一人で江戸に下ったのだが、期待していた江戸城本丸の障壁画制作は既に狩野派に任されていた。等伯に与えられた仕事は、伝法院本坊の中央の間の襖絵と浅草寺本堂の天井画の制作であった。

 ふと、等伯は背後に人の気配を感じ、振り返ると、浅草寺の貫主を務める老人が立っていた。太った小男の貫主は、痩せた長身の等伯に、

「先生、仕事は進んでいますか?」

 門跡と尊称される出家した皇族が多く住む京の仁和寺の出身者らしい気品を漂わせ、尋ねた。

 七十一歳になる等伯の健康を気遣っての問いかけではなく、江戸に到着し、伝法院の書院の一間を与えられて、もう二日も経つにも関わらず、支度として整えたこうぞ紙は未だ真っ白のままなのを不安を感じ、明らかに等伯を疑い、督促していた。

 等伯は貫主の問いを黙殺した。

 貫主は、職人らしい気難しい性格から等伯に腹を立てさせてしまったことを感じ取り、逃げるように書院から去っていった。

 等伯は再び伝法院の回遊式庭園に目を遣ると、やはり深い霧に包まれた松林が見える。

 等伯は伝法院本坊の中央の間三方を囲む襖絵制作のために注文したこうぞ紙の前に膝を折ると、新品の刷毛を使い、にじみ止めのため、薄く溶いたにかわを丁寧に塗り始めた。

 このとき、亡くなったはずの長男の久蔵が突然に目の前に現れ、

「親父! そんな下ごしらえは俺達がやる! おい、お前らがもさもさしているから親父の仕事の手が進まんのだ! 愚図は長谷川の家にいられんぞ!」

 父親と弟たちを怒鳴りつけた。等伯は驚き、傍らを見ると、宗宅(そうたく)、左近(さこん)、宗也(そうや)の息子たちが長兄の剣幕にすくみ上がってしまい、立ち尽くしている。まるで祥雲寺の仕事をしているようであった。

 等伯は久蔵に苦笑すると、幻の息子たちは消えていた。等伯の胸を深い悲しみが容赦もなく突いた。

 等伯は、既に父親の技量を超えてしまった感のある長男の久蔵には大きな期待をかけていたが、祥雲寺の仕事を終えたとき、久蔵が長谷川派の勢力伸長を脅威と感じた狩野派に暗殺されてしまったのだった。

 若い長男を突然に失い、等伯は絶望の底にたたき落とされた思いであった。

「……久蔵……済まん!」

 にじめ止めの作業を繰り返す等伯の瞳に涙があふれた。

 七尾を出たとき、久蔵はまだ六歳と幼かったが、故郷を捨てさせた父の決意を幼いなりに感じ取り、京では父を助けることに徹して育った。

 都で生まれた次男以下は、父と長兄の思いなど知らずに歳月を送ったためか、未だ頼りない。

 苦楽をともにしてきた長男を突然に亡くし、等伯は嘆きの歳月を送っているのだった。

 にじみ止めの作業を終えると、まず、極端に薄めた墨で霧の中に浮かぶ松林の幹を描く。太く柔らかい筆を使い、松の幹を一気に描いてしまう。

 次に連筆と呼ばれる数本の筆を束ねたものや、竹の先端を砕いて筆としたもの、あるいは筆の柄に藁を差し込んだものなど、自作の用具を用い、針のように鋭い松の葉を躍動感をもって手際よく描く。

 これらは広間の三方を囲む襖絵であるが、色彩を多用した鮮やかな大和絵ではなく、簡素でありながら無限感を演出する水墨画であったから、くどくならないことに気を配らなくてはならない。

 しかも、水墨画は上方向への奥行きをもって描くことが主流であったが、今作の狙いは水平方向への奥行きを出すことにあった。

 薄墨で松林を描いた後は、手前にある松、数本を濃い墨で同様に自作の用具を使って描く。

 いつしか、濃淡、緩急、強弱といった相反する要素が同一の画面の中に調和をもって存在し、これらが霧の中に浮かぶ松林を描き出していた。

 無音どころか、清澄な空気と無限の時間まで描き込んだ見事な作品が、わずかな時間で出来上がっていたのだった。

 快心の襖絵ではあったが、同時に等伯の晩年の孤独、絶望、後悔、そして長男への贖罪という、果てしない不幸を表現した作品でもあった。

 

 

 等伯がはっと我に返り、筆を置いたとき、既に西の空と雲は、赤く染まっていた。

 一息入れようと、等伯は伝法院を出ると、浅草寺の境内をのんびりと歩いた。陽が傾いてもなお境内は多くの参詣者で賑わっている。

 浅草寺は飛鳥時代の推古天皇三六年(六二八)、宮戸川(隅田川)で漁労中の兄弟が、一体の観音像を引き上げ、兄弟の主人が屋敷を寺に改めて供養したことに始まった。

 その後、大化元年(六四五)、勝海上人が観音堂を建立し、観音像は秘仏と定めた。平安初期、慈覚大師円仁が秘仏を模して本尊に代わって拝するための観音像を造った。鎌倉時代、将軍家の厚い帰依を受けたことに続き、徳川幕府開府に際し、祈願所と定められたことから、関東でも有数の観音霊場として多くの参詣客で賑わっているのだった。

 観音堂とも呼ばれる本堂の前までくると、等伯はふと近所の子供たちが更に幼い女の子を取り囲み、言葉の意味も解らぬまま、口汚く罵り、殴る、蹴るなどしている姿が目についた。

 為すすべもなく暴行を受け、泣き叫ぶ女の子が、不意に大雨が降りしきる京の名も知れぬ小路で辻斬りに遭い、虫けらのように殺されてしまった久蔵の姿と重なって見え、等伯は思わず、

「こらっ! 何をしている!」

 子供たちを怒鳴りつけた。子供たちは正に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。後には、ぽつりと泥だらけになり、泣きじゃくる女の子だけが取り残された。

 等伯はこの女の子の何かしらの力になれれば、久蔵も救われるような思いに駆られ、

「よしよし、もう大丈夫だよ。父は、母はいないのか?」

 優しく頭をさすり、声をかけた。女の子は涙と泥で汚れた顔を上げ、等伯を見上げると、よろよろと立ち上がった。食事もろくに摂っていないようだった。

 等伯は女の子の手を取り、歩き始めると、

「そうだ。名前、お前、名は何と申す?」

「……陽菜(ひな)……」

 女の子は、等伯の手を握りしめると、ようやく笑った。

 

 

 等伯が陽菜を伝法院へ連れて帰ると、鶴婆さんは突然に孫娘でもできたような気になり、嬉々として面倒を見始めた。

 鶴婆さんは、等伯が浅草に滞在中、伝法院に通ってきては、等伯の身の回りの世話をするために雇われているのだが、普段は浅草寺近くの表通りに面した表店(おもてだな)とも見世(みせ)とも呼ばれる商店に挟まれた裏店に独りで住んでいる。古着売りをやっていた夫と暮らしていたときは、それなりの生活ができたが、夫に先立たれてからは、見世の下働きをして食いつないでいた。

 こうした鶴婆さんだったが、鶴というのは名ばかりで、小柄で必要以上に太っていることから、座っているところを後ろから見ると、肥えた猫か狸に見える。

 鶴は書院の土間の片隅に使い古したタライを置くと、五口もあるカマドの一つで陽菜の行水用の湯を沸かし、もう一口で等伯と陽菜の夕食の支度に取りかかった。

「しかし、こんなかわいらしい女の子を足蹴(あしげ)にするなんて。子供たちを焚きつけたのは、きっと丑吉のせがれだよ。あのせがれ、親父に似て、少し足りないんだよ」

 鶴は火打ち石をかちかちと鳴らしながら言った。しかし、なかなか火が点かない。等伯は、陽菜を三坪ほどしかない座敷の上がり口に座らせまがら、

「この子の親は今頃、心配して探し回っているだろう」

「まあ、何にせよ、明日からのことですよ、絵描き先生。ああ、火の点きが悪いね、この石は!」

 鶴は火打ち石に癇癪を起こした。このとき、陽菜は、鶴が手にした火打ち石をじっと見つめると、突然に燃料用の廃材の木材にぼっと火が点いた。

「やれやれ、やっと点いたよ」

 鶴はさして気にも留めず、火吹き竹で酸素を吹き込み、火を安定させた。等伯も火が点いたのは偶然のことと、意にも介さず、明日の朝にでも、陽菜のことは番屋に届け出れば、すぐに親が見つかるだろう、と考えた。

 湯が沸くと、鶴はタライの三分目ぐらいまでは熱湯を注ぎ、後は水でぬるま湯にし、陽菜を裸にすると、タライの中に座らせた。

 次に、鶴は灰を湯で溶かし、陽菜の全身を洗うと、髪はさらさらに、体は透き通るような白肌となった。残り湯で泥だらけにされた陽菜の帯や小袖、長襦袢を洗ってしまう。

 鶴は陽菜の着物を洗いながら、

「まあ、上等なものばかりだよ。この子、まさか、公家か大名のお姫さまなじゃないのかね?」

 陽菜の素性を想像した。そんな身分のある家の娘ならば、今頃、番屋どころか奉行所の役人までも江戸中を走り回る大騒ぎになっているはずだった。等伯は鶴に苦笑していると、

「絵描き先生。この子の名……ヒナ、でしたっけ? どんな字を書くんでしょうね?」

 鶴が尋ねた。等伯が答えようとすると、陽菜自身が、

「太陽の陽に、野菜の菜」

 鶴に白い体を拭いてもらい、取りあえず伝法院にあった男の子用のだぶだぶの着物を着ながら美しい声で答えた。鶴は目を丸くし、

「まあ、いい名前だね。それに本当に玉を転がしたような声。それに、まだ六つか七つぐらいだろうに、ちゃんと字が解るんだよ。おまけに、こうして洗ってみると、本当にきれいになったじゃないか。こりゃ、将来は武家か商家へお屋敷奉公に上がれるね。いやいや、天下祭で踊り子として出場させれば、お殿さまの目にとまって、大名家への出入りだって夢じゃないよ!」

 先ほどは、陽菜は公家か大名の姫君だと言っていたのに、今度は町人の娘として将来に夢を馳せている。しかし、幼子の未来を楽しみにする気持ちを久し振りに抱き、等伯は陽菜に微笑みかけると、陽菜も明るい笑顔を見せた。

 このとき、浅草一帯にさわやかな風が吹き抜け、貴顕僧俗を問わず、多くの人々の心を和やかにした。


 
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