No.169819

しあわせ坂の大石姉妹(8)

小市民さん

命綱である醍醐宇宙飛行士との通信も途絶え、歩は自らの判断で着陸ミッションを行います。
ところで、江戸時代に急坂が整備され、土地を治める名主の娘が、幸坂(しあわせざか)と命名していますが、天馬歩と大石栄利香、栄留那の3人は、名主の娘の遠い子孫、という裏設定があります。小市民の学園サイエンスアクション、いよいよクライマックスです。

2010-09-02 08:48:12 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:474   閲覧ユーザー数:458

 二つの気泡カプセルは、高速ですれ違ったが、栄利香は栄留那を視認し、

「あの子! 三回ぐらいお尻を叩いてやる!」

 ISSに自動販売機数台を投げつけてよこし、危なく大惨事を引き起こしかけた妹を怒鳴った。栄利香が思いもかけなかった大声を出した姿に、歩は目を見開いて驚いたが、

「放っておけ! 今は着陸を優先させろ!」

 栄利香を制止した。

 歩と栄利香は、首都圏上空から着陸地点に設定したしあわせ坂と恵台がある、横浜市外縁部まで一直線に降下していった。

 歩は、栄利香が左手首につけたスポーツ用の腕時計を見つめると、高度、五百二十六メートル、速度、時速五百七十六キロとなっていた。醍醐は、

「大石さん、気泡カプセルを仰角を保ったままパラボラアンテナの形に変形させて下さい」

 栄利香は、降下を続けている気泡カプセルを、素直に球形からすり鉢状に変形させた。

 すり鉢状になった気泡カプセルは、更に大気抵抗を受け、減速したが、それでも醍醐が仰角と言った引き起こしの終了を命じるまでの十五秒間に、高度は四十一メートルまで下がったものの、速度は時速、四百九十六キロとリニアモーターカーの最高速度並みであった。

 横浜市街を飛び越え、藤沢市に接した外縁部まで後わずかで、どうやって減速をすればいいのか……歩の胸に不安がよぎったとき、ぷつりとノート型パソコンのディスプレイが消えた。バッテリー切れだった。

 もはや、醍醐から手取り足取りの指示を受けることができなくなった。命綱が切れたような思いであった。

 歩は、自分が栄利香に指示を出し、安全に着陸しなくてはならない責任をずしりと感じた。

 しあわせ坂が見えた。

 高度、二十七メートル。ビルの七、八階から見下ろしたほどに着陸地点が迫っているにも関わらず、時速は四百三十キロだった。

 すり鉢状の気泡カプセルを拡大すれば、大気抵抗も大きくなるが、横方向は住宅やマンションが建ち並び、上方は電線が渡してある。

 オービタや戦闘機が着陸する際、パラシュートを広げるが、大気を用いてパラシュートに代用できるものを創り出すことを、瞬時に栄利香に教えることは、不可能だった、.

 しかし、坂の頂上方向である進行方向には、何の偶然か、通行車両も歩行者もいない。

 歩は、旅客機が着陸するとき、滑走路上でパラシュートを使わず、逆噴射をすることを思い出し、

「進行方向へ高圧の大気を噴出してくれ」

 醍醐を真似、冷静に言うと、怯えた顔をしていた栄利香は大きくうなずき、軌道離脱噴射と同じように周囲の大気を高圧で前方に噴出した。

 これに加え、気泡カプセルもしあわせ坂の傾斜に合わせ、わずかに仰角をとったため、大気抵抗を更に高め、みるみる減速していった。

 普段は迷惑に感じているしあわせ坂だったが、歩と栄利香にとっては、醍醐に替わる恩師となった。

 滑走の妨害となる車両も人もなく、砂塵を巻き上げてとおり過ぎていく気泡カプセルは、衝突事故を起こすこともなかった。

 栄利香のスポーツ用腕時計の速度表示が、時速十キロから四キロとなり、〇キロになると、栄利香はふうっとため息をつき、気泡カプセルを消し去った。上下と前後左右を認識できるようにと、ノートを破って創った紙片も華麗に青空へ舞った。

 しあわせ坂の頂上にある恵台高校と栄朋学園は授業中で、両校の校門の前には、歩と栄利香だけであった。

 一時間半ぶりに地面に立つと、歩と栄利香は、頬を赤くしながら握手を交わした。歩は、

「お疲れさま」

 栄利香に微笑むと、栄利香も、

「……あの……ありがとう。あたし一人じゃ、とても帰ってこられなかった……本当よ。それでね、あたし……天馬君とおつき合い……」

 歩に交際申し込みをしようとしたそのとき、二人の頭上に栄留那が現れ、

「あーはっはっはっは! よく栄利香ちゃんを無事に送り届けられたわね。よろしい。二人の交際を認めてあげる。仲よくやるのよ、二人とも。あーはっはっはっは!」

 傲慢に歩と栄利香に言った。歩は、栄利香と目を見合わせたが、

「何で、お前に許されたり、認められなければならないんだ。それと、老婆心ながら忠告させてもらうが、今朝方といい、さっきの大気圏再突入中といい、今といい、上から目線で登場するのはいいが、ミニスカでそれをやると、パンツが丸見えになるの、気がついているのか? 淡いピンクのフリフリが一杯ついた乙女チックなデザインだ」

 栄留那に言うと、栄留那はあわててプリーツスカートを押さえ、下着を隠した。

「どこ見てんのよ! やっぱり駄目! あんた失格! ボツ! こんなデリカシーのかけらもない男に大事な姉を任せられないよ!」

 栄留那は歩を指さし、言いたいことを言い、すうっと栄利香の前に降りてきた。

「それより、栄利香ちゃん。パイナップルジュースはどうしたの? 買ってきてくれた?」

 ねっちりとした口調で言うと、栄利香は妹の目をのぞき込み、

「あのね、宇宙で買ってこようとしたんだけど、自販機が粉々に壊れていて、買えなかったの」

「えっ? あの自販機三台、ISSの軌道に飛んでいったの?」

 栄留那が栄朋学園の校庭に設置されていた自動販売機三台を腹いせに吹き飛ばしたとき、イライラと歩と栄利香のことを考えていたために、無意識にISSの周回軌道に放り上げていたとは思わず、反射的に姉に聞き返した。栄利香は栄留那を押さえ込み、尻を力任せに叩き始めた。

「やっぱり、宇宙都市に自販機を投げつけたの、あんただったんじゃない! あたしが撃ち落とさなければ、今頃、月面基地は地球に落ちてきて、大騒ぎよ! 悪い子! しかも、また、あたしのお気に入りのパンツ勝手にはいて!」

 よほど興奮しているのか、あるいは無知なのか、栄利香は国際宇宙ステーションを宇宙都市だの、月面基地だの、と呼んだ。歩は訂正を入れようとしたが、尻を叩かれる栄留那の悲鳴が上がった。

「痛い! 痛い! 痛い! やめてよ、偶然だよ! 本当にISSを撃ち落とそうとしてやったわけじゃないもん!」

 栄利香はなおも栄留那の尻を叩きながら、

「じゃあ、何で、あたしがまだ使っていない新品のパンツを使っちゃうの?」

「かわいいんだから、いいじゃないの! それに、ほら、あたしたちそっくりの姉妹なんだから、下着だって共用にしたって……」

「ワンピやスカートは貸し借りしてもいいけど、下着は嫌だって言っているでしょう!」

 栄利香は思わず怒鳴った。

 歩は、姉の下着を使っている栄留那も、妹の飲み物を飲んだ栄利香も似た者同士だと、思わず吹き出した。

 栄留那は姉の手を乱暴に振り払うと、

「痛いな、もうっ! やるの? やろうっての? いいよ、相手になるよ!」

 右手を握りしめ、その拳の中から、高圧の空気を噴出させた。いわゆるエアサーベルである。歩は栄利香の耳元に口を寄せると、

「くるぞ、こっちも同じオプションで応戦しろ。ひるむな、実力は同じだ!」

 小声でアドバイスをした。栄利香は大きくうなずき、妹と同じように右拳に高圧で噴出する空気の剣を発生させた。

 同時に、栄留那は栄利香に駆け寄ると、問答無用に空気の刃を振り下ろした。栄利香は、妹の鋭い打ち込みを同様の高圧空気の噴出で防いだ。

 大気を自在に操り、武器に使う大石姉妹のケンカは、傍目には、常軌を逸した命のやりとりに見えたが、当人達にとっては、悪口を言ったり、ぬいぐるみを投げ合うぐらいの感覚であった。


 
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