地球の大気を自由に扱える、ということは、大気の大循環の結果である気象はおろか、年間の天気の総合状態である気候さえ操れる、ということであった。
この姉妹は人類から見れば、神のごとくの存在だったが、当の二人には、大気の循環が云々などまるで興味もなければ、世界征服など想像すらしないことだろう。
先ほどの『日本は晴れているのだから、このまま地球に降下できないの?』という、栄利香の無知が如実に物語っている。
歩はそこでいったんノート型パソコンを休止状態にした。バッテリー消費を抑えるためと、栄利香と話をするためだった。
「なぁ、もう解ったから、ちゃんとこっちを向けよ」
歩が栄利香に声をかけると、栄利香はおずおずと振り向いた。
栄利香の目は、どう、あたしのこと、完全に嫌いになった? と、歩に無言で語りかけている。
自分と妹が、CNWであることを決して他人に知られまいとしてきた栄利香の努力を、やむにやまれぬ状況下であったとは言え、本人の目の前で調べ上げたことに、歩は申し開きはできなかった。
しかし、大石の能力を使って地上へ帰ることができれば、大石自身はもとより、世界のCNWに大きな希望を与えることになる……歩は腹をくくる思いで口を開いた。
「大石は大気を操れるんだな。妹は、しあわせ坂にいた俺と大石の周りの寒気と暖気を急速に入れ替え、スペースシャトルの打ち上げ並みの推進力を創り出したんだ。CNWにランクづけがあったら、間違いなくトップレベルだ」
「そんな褒め方されたって、全然、嬉しくないんだけど」
栄利香が憮然として応えると、歩は、
「俺は精一杯に褒めているつもりだけどな。俺に限らず、普通の学生なら、CNWは憧れだ」
「どんなところに憧れるっていうの? 自慢できるところなんて、一つもないじゃない」
人生に対して、何一つ希望がもてない栄利香らしく応えると、歩は、暫し、沈思した後、
「そう、大石の場合だったら、小学生のとき、わざと天気を変えなかったか? 妹と一緒にやれば簡単だっただろう」
笑って言うと、栄利香はようやく表情を明るくし、
「あ、それはしょっちゅう、やっていたよ。例えば、プールの授業があった日、あたしはプールに入りたくなかったのね。で、あたしのクラスの体育は三時間目だったから、あたしがわざと小学校の空に午前中だけ雨雲を創って、雨を降らせて、プールの授業を中止にするの。それで、栄留那のクラスの体育は五時間目だったから、プールに入りたかった栄留那はお昼から快晴にしたの。
それとかね、日曜日に家族でお出かけしようって決めていたのに、朝から雨になって、おとうさんが傘をさすのが面倒くさい、とか言い出したものだから、妹と一緒に晴れにしたことがあったよ。
でもね、中学二年生のときに、天気を変えていることがおかあさんにバレちゃって、ひどく怒られたから、あたしも栄留那もお天気操作はやめることにしたの」
歩が考えたとおり、栄利香と栄留那は大気循環を操作することができるのだった。
歩は笑いながら栄利香の話を聞いていたが、内心は大石姉妹が人工的に、というよりはいたずら半分に日本上空の大気を頻繁に操作し、一つ間違えれば、地球規模での大異変に繋がっていた可能性もあり、肝の冷える思いであった。
今までは栄留那としかこうした会話ができなかったにも関わらず、歩が笑って自分の話を聞いてくれることが嬉しく、栄利香は夢中になって、話を続けた。
「そうそう、この気泡カプセルを創ったのは、今日が初めてじゃないの。お天気を変えていたことをおかあさんに知られてからは、栄留那に気泡カプセルの創り方を教えてもらって、その中に二人で入って、夜景見物に出かけるの。横浜からお台場にかけての湾岸ってきれいだよ」
栄利香の話から、改めて大石姉妹が創り出した気泡カプセルが、自律飛行できることが確かめられた。栄利香は言葉を継いだ。
「気泡カプセルを創るのはあたしだけど、飛ばすのは妹なの。ランドマークタワーや東京都庁の屋上よりずっと高い所を飛んでいたから、五百メートルぐらいなのかな? アスリートが使うスポーツ用の腕時計についている高度計、方位計、速度計、それとGPSを使って、よくいろいろな所にいっているんだよ」
栄利香と栄留那にとっては、先ほどの姉妹ケンカなど、悪口の言い合い程度なのだろう……歩は栄利香の話から大石姉妹の間にある『常識』を想像し、苦笑すると、あっと声を上げ、
「東京や横浜の臨海部上空を夜間に飛行するには、前後上下左右を定義づけなければ飛べないだろう。どうやって決めていたんだ?」
思わず聞いた。
「あ、それはね」
栄利香が学生カバンからノートを一冊取り出すと、使っていないページを一枚はがし、びりびりと細かく破った。
次に、栄利香と歩が座った気泡カプセルの中央に、芯柱のような空気のパイプを創った。これは、天井と床に接続させず、地球の引力で常に真下を向くようにする。
気泡カプセルの外側に、この芯柱と接続させ、垂直方向に空気を対流させる直径十センチほどのパイプのような層を創り、紙片を流した。
すると、透明な空気の芯柱とパイプが、ノートの紙片によって、鮮やかに視認できるようになった。
この要領で、前後、水平にもパイプのような層を作り、芯柱とした層と接続させ、空気を対流させて、紙片を流すと、気泡カプセルは上下に加え、前後左右の定義を得た。
歩は、周囲にひらひらと美しく流れる紙片に目を見張った。栄利香はふと、
「このカプセルの中って、わざと暗くしているの。地球からの反射光が眩しいでしょ」
思い出したように言うと、歩は怪訝そうに、
「どうすれば、そんな減光機能をもたせることができるんだ?」
「カプセルの一番外側の層の表面をわざとざらざらさせて、光を乱反射させると、内側に届く光が少なくなるの。磨りガラスと同じ仕組みなんだって。栄留那が言っていたよ」
そう言い、栄利香は自分で創ったカプセルの表面のざらつきを増減させた。すると、カプセル内部の明るさも変化した。
大石姉妹が工夫を繰り返して創り出した気泡カプセルの使用法なり運用法なりは、殆ど妹の栄留那が考え出し、姉の栄利香に教えていたようだった。
これだけのことができるなら、宇宙に放り出された当初からやってくれればいいのに……歩は栄利香に不満を感じたが、それは口にせず、栄利香が左手首に女性のアスリートが使うスポーツ用の腕時計を身につけていることに気づき、
「さっき言っていたスポーツ用腕時計って、それのこと?」
「うん、この腕時計を計測モードに切り替えて、高度、方位、速度が解るんだよ」
「試しに、方位計の針は北極を指しているか?」
「う……んと、北極ってこっちだよね?」
栄利香は自信なさそうに、腕時計の文字盤にデジタル表示された方位計のN極側が向いている方を指さした。
気泡カプセルは、紅海上空を周回しており、地中海の方向を栄利香が指さしたことから、腕時計は正常に動作していることが確認された。歩は次いで、
「今、時速何キロになっている?」
尋ねると、栄利香は腕時計を操作し、速度計を表示させると、
「二万七千九百三十キロだって」
「高度は?」
「えっとね、三百八十三キロ。この腕時計、宇宙でも使えるんだね。って、こんな性能をもたせて誰が使うんだろう。あははははは」
栄利香は無邪気に笑ったが、歩は奥歯を噛みしめ、
「あいつ、俺を試しているんだ」
栄留那の尊大な笑顔が、脳裏にはっきりと見えた。
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栄利香の目の前でCNWのことを調べ、栄利香と歩は気まずい雰囲気となります。しかし、歩の話術により、栄利香は元通り歩に好意を抱きます。
栄利香が創り出した気泡カプセルが機能を充実させたとき、歩は栄留那の真意に気付きます。
小市民の学園サイエンスアクション、前半のクライマックスです。