ここは信州の山奥。
ぼくは家の中にいる。
年老いた犬が、ぼくの横で床に寝そべって休んでいる。
ぼくはノドが痛くて外に遊びにいけない。
・・・・たいくつ・・・・・
窓の外の景色は、秋の深まりを教えてくれた。
赤く染まる木々。
日々、和らいでくる日ざし。
野山を探検したら気持ちいいだろう。
さっきから部屋の中に、ホコリがたくさん舞っている。
小さな粒子が太陽の光に反射して、キラキラしながら
部屋中を漂っている。
ぼくは、じっとそれを見つめる。
「海斗(かいと)、ベッドに入って休みなさい」お母さんが優しい声で、ぼくに言う。
「うん・・・・」
ぼくは光の粒子があんまり綺麗だから、お母さんの方をふり返らずに、
じっとそれを見つめたまま、つぶやいた。
「お母さんこのキラキラしたの何だろう?
いっぱい集まったらどうなるんだろう?・・・・・・」
ぼくがそう言葉にすると、たちまち光の粒子が集まって、帯のような流れを作った。
「えっ・・・?」
ぼくは驚いて、目を見開く。
バタン!―――― 閉じていた部屋の出窓が、まるで突風が吹いたように
大きな音を立てて勢いよく開いた。
じゅうたんの上で眠っていた犬が「キュウン」と苦しそうにうめいて体をふるわせた。
「海斗・・・」お母さんは急いで、ぼくの方に来る。
「お母さん・・・」
「大丈夫よ。目を閉じて」お母さんは ぼくを強く抱きしめた。
ぼくはびっくりして、大きく開かれた両開きの窓を見る。
光の粒子は帯を作るのをやめて、また部屋中に飛び散った。
コンコン ―――― ドアをノックする音。
「海斗ぼっちゃん、お加減はいかがですか?」
マツさんが元気にドアを開けて、食事を運んできた。
この屋敷に住み込みで働いてくれている老婦人だ。
60歳になる丈夫そうなその体は、元気で活力にあふれている。
「さあ、しっかり食べて元気になってくださいね」
「うっ・・・また山菜・・・・」
ぼくは夕食のメニューを見て、うんざりして言葉につまる。
「体にいいんですよ」マツさんはそう言って、ぼくの目をジッと見る。
その目は、絶対に食べてもらうぞ、という決意がみなぎっている。
ちょっと強引で、それでいて愛情に満ちた、茶目っけたっぷりな目。
「さあ、召し上がれ」マツさんがテーブルに食事を置く。
「うう…」ぼくは口ごもる。
マツさんは毎日のように山へ行って、山菜を採ってきては、
ぼくのために料理してくれる。
でも、ちょっと飽きた・・・。
「さあ、いただきなさい」お母さんは、メニューを見てガッカリするぼくを笑いながら、
テーブルの準備をする。
「はい・・・」 ぼくは仕方なく、席について食事を始めた。
「そろそろ窓を閉めますね。お寒いでしょう」
マツさんは窓辺に歩いて行って、さっき開いた窓を閉めようとする。
「ああ、まだ開けておいて。この部屋、小さなホコリがいっぱい飛んでるでしょ。
空気の入れ替えしなきゃ」ぼくは答える。
「えっ、そうですか?」マツさんは不思議そうな顔をする。
「見えないの?部屋中、小さなホコリがいっぱい。
日ざしに反射して、こんなに光ってるのに」 ぼくはくりかえす。
「えっ・・・・」マツさんは驚いたように黙る。
ぼくは不思議に思って窓をふりかえると、太陽はとっくに山の向こうに沈んで、
夕闇がせまっていた。
部屋の中は薄暗くなってきて、夕日も差し込んでいなかった。
このキラキラと空中に漂っているものは
日ざしが粒子に反射して見えているのではない・・・・・。
「な・・何も・・・見えませんが?・・・・・」
マツさんは天井を見上げながら、戸惑ったように言う。
ぼくは初めて、この光るものが他の人には見えていないことに気づいた。
――――じゃあ、このキラキラ光って見えるものは何?――――――――
キラキラと音もなく漂っている。
目をこすっても消えない。
ぼくは今までにも何度か、この光を見た。
じっと見つめていると、光の粒子が集まって、帯のような形を作るのも見た。
帯はうねりながら流れ出し、ぼくの思うままに動いた。
「あっ・・・」ぼくは言葉につまる。
ノドの痛みが、さっきより激しくなる。
「なんでもないのよ。さあ 海斗、食事をして。マツさん、窓を閉めて」
お母さんは ぼくの思考をさえぎるように、急いで指示した。
「はあ・・・」マツさんは不思議そうな顔をして窓を閉め、部屋を出て行った。
ぼくは急に心がさわぎ出す。
部屋中を漂う光の粒子が、千の目になって、ぼくをじっと見ている気がした。
そして「おまえを見ている」と告げているような気がした。
ぼくだけを・・・・・。
ズキン!・・・・ノドが熱い―――――――
ズキン!・・・・ノドが熱い―――――――
まるで血流がすべて、ノドの一点に流れ込んでいくみたいだ。
気のせいじゃない。
――――ドクン・・・ドクン・・・
・・・・・・痛い!・・・・・・ノドが痛い!・・・・・
「あっ・・・・」ぼくはノドを押さえた。
どんどん熱くなって、痛くなってくる。
光の粒子はすごい勢いで集まって、大きな光の束になる。
・・・・・助けて・・・! 声が出ない・・・・!
突然始まったノドの痛みは、一瞬で ぼくの思考のすべてになった。
痛い・・・! 痛い・・・!
体が動かない。
まるで石になったみたいだ。
耳も聞こえない。
今まで聞こえていた何気ない日常の物音も、すべて遠のいていく。
ぼくの中の、激しい血液の流れだけが聞こえる。
助けて・・・! 助けて・・・・・!!
ノドだけが生きている唯一の器官のように激しく痛む。
叫び出したいのに声が出ない。
「海斗・・・」お母さんの手がそっと、ぼくのノドに触れた。
ぼくは震えて、金縛りのように動けないまま、顔をあげてお母さんを見た。
じっと心配そうに見つめる瞳。
ぼくの心は少し落ち着いて、しだいに痛みが引いていくのが分かった。
涙がこぼれた。
いったい、この痛みは何だろう・・・・・・。
ぼくは生まれたときからノドに小さなアザがある。
それがときどき痛み出す。
だから療養のために、この山奥に住んでいると教わった。
だけど、ノドの痛みは少しも良くならないし、
ときどき起こるその痛みは、昔よりもずっとひどくなっている気がする。
「さあ、横になりましょう」
ぼくはお母さんにうながされて、ベッドに横になった。
お母さんはベッドの横のイスに腰かけて、ずっとぼくのノドに手を当てている。
光はまだ少し部屋中に散漫に漂っている。
「・・・このアザのせいで・・・ ぼくはどこにも行けないんだ。
自由に外で遊べないし・・・友達だって・・・できない・・・・・」
ぼくは自暴自棄な気持ちになって言う。
「元気になったらまた外出できますよ」お母さんが優しい笑顔でぼくに言った。
いつもの穏やかな優しい声。
元気になっても、ぼくには友達なんてできない・・・・・
「あいつの近くにいると変になる・・・」クラスの誰かがヒソヒソ話してた。
だから、ぼくには友達がいない・・・・・・。
でも、もうそんなことには慣れっこだ。
ぼくは薄暗くなった窓の外を見てポツリと言う。
「・・・お父さんに 会いたい・・・・一緒に暮したい・・・・
家に・・・・帰りたい・・・・」
お母さんはそんなぼくを困ったように見つめた。
遠い昔、ぼくはこことは違うところに住んでいた。
こことはぜんぜん、違う場所。
僕が生まれたのは千崎家の本宅、海の見える屋敷だった。
ずっとそこに住んでいた。
5歳のとき ぼくは海辺で倒れていた。
なぜそうなったのか何も憶えていない。
でも、そのときから ぼくはお母さんと2人でここに住むようになった。
この山奥の館、「ひいらぎ館(かん)」に。
この館の周囲は深い森で、針葉樹の“ひいらぎ”におおわれている。
針葉樹は魔をよけるって、何かの本に書いてあった。
何かから身をかくすように、ひっそりと建つ館。
海辺で倒れてから5年、ぼくは10歳になった。
お父さんは千崎家の本宅に住んでいて、1度もここには来ない。
ぼくの中のお父さんの面影は、もうおぼろげで、顔も思い出せない。
「きっと、ぼくは お父さんにきらわれてるんだ・・・ぼくが・・・
ちょっと変だから・・・・・」
ぼくは急に悲しくなって、いつも心の中で思っていたことを
我慢できずに言ってしまう。
「ぼくは呪われてるんだ。このノドのアザがその印なんだ。
だからお父さんは、ぼくを家から追い出したんだ・・・・・」
口に出してみて、本当にそうだと思った。
ノドのアザが痛みだすと、光る粒子が見えはじめる。
そうすると、まわりにいる人は弱っていく。
そうだ。みるみる弱っていくんだ。
教室の ぼくのまわりのみんなも、心配してくれる優しいお母さんも・・・・・。
ぼくは言葉にしながら、初めてそのことに気づいた。
「お父さんは、あなたのことを愛しているわ。あなたは呪われてなんかいない」
お母さんは静かに言った。
そして、ぼくをの髪をいとおしむようになでる。
「このアザの名前は“千寿桜(せんじゅおう)”。
千崎家の直系に、ときどき現れるしるしよ」
お母さんは僕の目を見つめる。
「せんじゅ・・・おう・・・?」ぼくはお母さんを見る。
「そうよ。あなたはこのアザのお陰で 痛みや苦しみを知ることができるわ。
それはとても幸せなことよ。
痛みを知っているから、人の痛みもわかる。思いやることができる。
思いやりがあれば、人と心を通わせることができる。
本当に愛して愛されることができる。
それは生きている中で一番幸せなことよ。
どうか忘れないで。心も体も人は痛む。
あなたは、どんな痛みにも負けない強い人になって」
「お母さん・・・・」
「いつかきっと、この痛みも自分でおさえられるようになるでしょう。
それまで・・・・」
お母さんは ぼくのノドにまた触れた。
息をつめて、じっと手を当てつづける。
少しずつ ぼくのノドの痛みは治まって、漂っていた光の粒子も見えなくなった。
でも、お母さんがとても疲れていくように見えて、
ぼくは たまらなく悲しくなった。
ぼくのせいで・・・・・・。
お母さんは、そんなぼくの心の中を読みとったみたいに、笑ってぼくを引きよせた。
「海斗・・・」ぼくを力いっぱい抱きしめる。
まるで、何かから守ろうとしているみたい。
それはたぶん、これから起こる未来のすべてから。
それから1年後、お母さんは亡くなった。
幸せな、守られていた日々。
きっと今までのような穏やかな日々なんて
二度とこないんだろう・・・・。
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