驚いたように目を丸くして、劉備が声を上げた。
「わあっ! すごい激しい戦いだったんですねー!」
顔を赤く腫らし、よろよろになった一刀の姿に誰もがその活躍を称えた。
「いや、これは戦いで傷付いたというよりも、終わった後が大変だったというか……」
褒められて照れくさそうに頭を掻きながら、一刀は答えた。実際のところ、張三姉妹との戦いよりも曹操と孫策にやられた時の方がダメージは大きい。だがわずかに顔を赤くした二人に睨まれて、一刀は口をつぐんだ。
一刀は今、黄巾党の党首を倒した『華蝶仮面』として、曹操に連れられて主だった武将たちの前に立たされていた。隣には恋も居る。
「正義の味方みたいで格好いいのだ!」
「うん、格好いいよね! 特にその蝶の仮面が!」
興奮気味に、劉備と張飛が話している。
「そういえば、もう一人居たと思ったけど?」
キョロキョロと辺りを見回しながら曹操が言うと、それに答える声がどこからか聞こえた。
「もう一人は帰ったようですな」
全員が声の方を見ると、ゆっくり歩いてくる趙雲の姿があった。
「趙雲! きさま、どこに行っていたのだ!」
「なに、森の中に潜んで逃げだそうとする輩を片付けておったのだ。人目を忍んでおったゆえ、見えなかったのであろう」
怒りを露わにする関羽を気にすることもなく、涼しい顔で趙雲はそう言った。その言葉に、曹操は苦笑いを浮かべて頷いた。
「そういうことにしておいてあげるわ。さて、事情はすでに説明した通りだけれど……」
言いながら曹操が視線を向けると、後ろで身を寄せ合い不安そうな表情を浮かべていた張三姉妹は、ぎゅっと互いの手を握り合って必死に恐怖を抑えようとした。
「もともと、操られている者は出来る限り殺さぬよう通達を出してあったわ。それには勿論、この三人も含まれている。だから処刑はしないけれど、このまま放逐するわけにはいかない。多くが農民の一般兵はともかく、ある程度の力がある者はこちらが安全だと判断出来るまで、監視下に置かせてもらうわ」
確認するように視線を巡らせた曹操は、異論がないことを確認して話を続けた。
「まず、許緒の身柄は夏侯惇、典韋の身柄は夏侯淵に預ける。それぞれ剣を交えた者同士、気が合うでしょう。いいわね、二人とも?」
「はい!」
「はい……」
二人の返事に満足そうに頷いた曹操は、続いて張三姉妹に告げる。
「あなたたちは操られていたとはいえ、何の処罰もなしというわけにはいかない。だから今後しばらくは、人前で唄うことを禁ずるわ」
「――!」
「それと、あなたたちの身柄は彼の希望によって、天の御遣いに委ねることにした」
その言葉に、三人のみならず全員が驚いた表情を浮かべた。
「天の御遣いって、あの?」
「ええ、そうよ」
孫策の問いに曹操は頷くと、一刀の方を見た。
「何でも、この一号さんが知り合いらしいので、頼むことにしたのよ」
若干、トゲのある皮肉めいた口調に、一刀は引きつった笑みを浮かべる。当然のことながら、曹操は一刀の正体をすでに見破っているのだが、何度問い詰めても一刀はそれを認めなかったのだ。
「ワタシハ華蝶仮面デース」
明らかに挙動不審に言い訳をする一刀の姿に、さすがの曹操も問いただすことを諦めたという経緯があった。そんな事とは露知らず、何となく察した方々を除いた面々が、興味津々に一刀に詰め寄った。
「あ、あの! 天の御遣いさんはどんな方なんですか?」
「え、えーっと、イ……」
「い?」
「イ、イケメン、かなあ……なんて」
間近に迫る劉備に圧倒されて、軽い冗談のつもりでそう言った一刀だったが、おもいっきりスベってしまう。そもそも、イケメンという言葉が通じなかったのだ。
かつてないほどの大ピンチに、一刀は陥っていた。知ってか知らずか、その豊満な胸をぎゅうっと押しつけるようにして、劉備が迫っている。嬉しさと恥ずかしさで、よくわからない冗談まで口にして、とても寒い思いをした。
それだけなら良かったが、義姉妹の関羽と張飛までもがやって来て一刀に天の御遣いについて色々と質問をぶつけてくる。おまけに関羽も胸が当たり、質問が一刀の頭をすり抜けて行くようだ。
(わ、わざとか? 義姉妹ならではの連携攻撃?)
この時はまだ、若干の余裕があった一刀だが、ふと、恐ろしい事に気が付く。
(はっ! み、見てる……めっちゃ怖い顔で曹操さんと孫策さんが見てる)
慌てて緩んだ顔を引き締めた一刀だが――。
「ねえ、一号さん」
ふにょん。
顔が緩む。すると、一刀の腕を隣にいた恋がギュッと掴んだ。ハッとなって目を向けると、ちょっと怒っていらっしゃった。
(ああ! そんな顔しないでください!)
恋のしょんぼりした寂しげな目に、一刀は弱かった。すぐにでも抱きしめてあげたい気持ちだったが、さすがにここでそんな行動に出たら命の危険すらある。
(ここは一時撤退を……)
そう考えた一刀だったが、すでに背後は張三姉妹が塞いでいる。人和はまだしも、天和と地和は頬を膨らませて怒っているのが明らかだった。
(退路は断たれた……というか、何でこんな事に)
空気を読んだ他の面々は、何となくフェイドアウト。最後に振り返った荀彧が一言。
「死ねばいいのに」
久しぶりの罵倒に、一刀は少しだけ泣いた。
冷え切った空気の中、一刀は曹操の天幕に案内された。今ここに居るのは、一刀と曹操の他に孫策、そして恋の四人だけである。恋は外で待っているよう言われたのだが、一刀の腕を掴んで離さない。仕方なく、一緒に連れて来たのだ。
「天幕で話って、いったい何なの孫策?」
「何って、決まっているじゃない」
曹操の問いにそう言って笑った孫策は、少し唇を尖らせてそっと指先で触れて見せる。それで孫策の目的がわかった曹操は、顔を赤くしてそわそわし始めた。
「あの、いったい何を?」
「約束したじゃない、もう」
一刀が訊ねると、孫策は怒ったように眉を寄せた。少し考えた一刀は、思い出したのか困ったように曹操と孫策の顔を見る。
「思い出したみたいね。どうする? 曹操からしてもらう?」
「わ、私は……(ごにょごにょ)」
「あー、それじゃ私からね」
「あの、俺の意志は……」
「ないわよ?」
そうだろうなあ、と思いながらうなだれる一刀を見て、笑いながら孫策は自分の頬を前に出す。
「ここでいいわ。唇は、仮面を取って本当の名前の時に、ね」
「は、はあ……それじゃ、いきます」
覚悟を決めて、内心の嬉しさは隠しつつ孫策の頬に唇を押し当てる。わずか一瞬のことだが、一刀の心臓は破裂しそうなほど激しく高鳴っていた。
「えっと、それじゃ曹操さん」
「え、ええ……」
「無理しないでもいいのよ?」
「む、無理なんかしてないわ。た、たかが接吻じゃない!」
孫策の一言で曹操や自棄になったように、一刀の前に立つ。
「さ、さっさとしてちょうだい」
「う、うん……」
頬を一刀に向け、目を閉じる曹操。一刀は、白い首筋にクラクラしながらそっと唇を押し当てる。戦い以上に疲れて曹操から離れ、ホッと溜息を吐いた一刀の横で、恋も頬を突き出していた。
老人のように背中を丸めて天幕を出る一刀の背に、曹操が声を掛ける。
「北郷一刀に伝えなさい。必ず、私を訪ねて来るようにとね。それが三姉妹を預ける条件だと」
「わかってるよ……準備を終えたら、すぐに向かうよう伝える」
「楽しみに、待っているわ。それじゃあね、一号さん」
「さよなら、曹操さん」
こうして北郷一刀は、恋と張三姉妹を連れて、帰りを待つ仲間の元に戻って行ったのである。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
戦後処理的な話……のはずが、修羅場的な感じに。まあ、いいか。
楽しんでもらえれば、幸いです。