季節は移ろい、太陽が暑さを主張し始める時期に差し掛かった。
林田博は研究室でダラダラと、友人らとくだらない馬鹿話をしている。
「このご時世にクーラーない部屋なんてありえへんよな」
「扇風機だけは四台もあんのになあ」
「熱風しかこんぞ、誰か自治体に掛けあえや」
「あれ、本当に存在してるんスかね。秘密結社だったりして」
「梅木が……」
だらしなくもたれた椅子(古くてきしむ)から、身を乗り出した時、ケータイが鳴った。
「あ、木村さん」
こんにちは、とケータイの向こうで声がした。
「お久しぶりですね。新しい職場には慣れました?」
弟から売り場が日本橋山中屋から撤退したことは聞いている。今は篤は名古屋におり、木村初音は銀座の店舗で働いている。
「おかげさまで。バタバタしていて、お礼が遅くなって済みません」
林田さんさえよければ、ちゃんとあって改めて礼が言いたい、と初音は続けた。ついでに滋賀に行くとも。
「直隆の命日に、姉川へ行こうと思うんです」
「よければ同行さしてもらえませんか。あそこは車で行かんと結構不便ですよ」
もう一つ。直隆ゆかりの恩念寺に連れて行きたかった。引っ掛かりは今でも胸の内でくすぶっている。だが断れれば、もう関与しないつもりだった。
「参ります」
初音は即答した。
「じゃあ……三十日の十二時にJR京都駅で……。はい、はい、……失礼します。……なんやお前ら」
最後は友人らに向かって発せられた言葉である。
じーっと篤の会話を聞いていた彼らは、
「んま、聞きました? 奥さま」
「女と電話してましたざますよ」
「アタシたちを敵に回したわね」
「公開処刑にいたしましょうか」
恨みと妬みを込めて、ひそひそと不穏な相談を始めた。
いや、それよりも梅木だ。
「君の瞳は百万ボルト」
といってやりたいほどランランと目を輝かせて博を見つめていたのだった。
久しぶりに再会した木村初音は、最初見た頃に感じた頑なさは無く、なんだか丸くなったような雰囲気だった。
サッカー生地のワンピースを上品に着こなしている。
「お元気でしたか」
「はい。林田さんもお変わりなく」
そして梅木に気が付いたようだ。
「おれの同僚で後輩ですねん。以前に戦国武将の考察を無理やり押し付けた」
梅木はネクラ引きこもり学者を自称するほどだから、女に免疫がない。初音に会うまでのはしゃぎようはどこへやら、今やむっつりと黙りこくって、まるで石である。
挨拶が済んだ所で、三人は車に乗り込んだ。そして道すがらこれまでの経緯を聞いたのだった。
「あのチビが普通サイズになったんか。驚かはったでしょう」
博はハンドルを握っている。横の助手席には初音が、後ろには梅木が石状態で座っている。
「いえ、もう突然変異で。夜中だったから不審者が忍び込んできたのかと勘違いしちゃって」
笑いながら煙草の火をつけようとした時。それまで和やかだった初音がぎろりと睨んだ。
わしの横でなに吸おうとしとるんじゃボケ。
そう声が聞こえた(気がした。後で博は「あれはマジで怖かった。小便ちびるか思うくらいに怖かった」と梅木に告白している)。
喫煙者はいつでもどこでも非喫煙者に弱いものである。仕方なしにそっと煙草をしまった。
「あの、すんません」
博が石化の呪縛から解放されたらしい梅木が後ろから声を出す。
「木村さんはどうして、松本四朗直隆を知っているんスか。専門のぼくでさえ知らなかった名前やのに」
「タイムスリップして家に来たんです。しかも20cmくらいのちっちゃな体で」
歌うように初音が答えた。
「チビのくせに、プライドが高くて。そのくせ現代の一々に感嘆するような素直な人でした。あたしは直隆が好きだった。ちっちゃくても、原寸大に大きくなっても、大好きだったんです。でも、あの人はお侍さんだった」
流れゆく窓の外を見ながら、初音は小さく息を継いだ。
「直隆がやってきてしばらく、どうすれば過去に戻るかを考えていた時に、彼が死んだ文献か何かがあれば、間違いなくその時代に戻れたことになるんじゃないかと思い付きました。なのでつてを頼って林田さんにお願いしたんです」
「おれの弟がこの人の部下やから」
梅木は話を聞いてゆくうちに、今度は石から暗黒化を始めた。
おお。銀河鉄道999の車掌さんが後部座席にいらっしゃるよ。
バックミラーでちらりと確認したものの、突っ込む気にもなれなくて、博は運転に集中する。
事前に連絡を受けていた恩念寺の住職は、わざわざ門前まで出迎えてくれた。
「木村初音さんですな」
ニコニコと笑みを浮かべて、坊主は続ける。
「長い間、ずっとお待ちしておりました。どうぞこちらへ」
初音は戸惑っている。梅木は車掌状態で目だけを百万ボルトに光らせている。
そして博は、己の行動が正解だったことに満足した。
イグサの香りがする和室の一室に通すと、住職は大事そうに漆塗りの箱から、一通の手紙を取りだした。
黄色く変色しており、ところどころ小さな穴があいている。
「これを預かったのは木圭という坊主でして」
初音の前に、その蛇腹式の文を置くと居住まいを正す。
「まだ小坊主だった頃、村人に暴力をふるわれていた所を松本直隆に助けられたそうです」
「あっ!」
声を上げたのは初音だった。
「もしかして、お供えをつまみぐいして乱暴されていたのではないですか」
「御存知でしたか」
博たちは話が見えない。が、黙って聞いていた。
「合戦の三日前。その木圭のもとに、神隠しにあっていた松本直隆が馬でやってきまして」
頼みがある、と直隆は言った。
「遠い未来、木村初音という女が訪ねてきたら、渡してくれぬか」
木圭は手紙を受け取った。
「御文ですか」
その時、直隆は少年にも眩しい笑顔でこう答えたという。
「恋文じゃ」
「……その遠い未来というのが、いつだか分からなんだ。そして手紙は代々この寺に伝わり、松本の菩提と共に守られるようになった」
住職はそこでいったん口を切り、茶をすすった。
「わしらはこんな商売をしておるもんで、縁、というものを信じる。だから、きっとこの手紙を受け取る方が訪ねてこられると信じておった。これで肩の荷が降りましたわい」
さ、と丸い手を初音に向けた。
「どうぞ、お開け下され」
初音は慎重に手紙を開いた。その手が震えている。
長い時間をかけやっと開き、流れる毛筆を追っていた黒い瞳が、動揺に揺れた。
「木村さん。なんて書いてあるんです」
痺れを切らした博が聞いた。
「どうしよう、林田さん」
蒼白になった初音が縋るように、博に目を向けた。
「達筆すぎてなんて書いてあるか分からない……」
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姉川周辺は車じゃないと無理。
絶対無理。
そして姉川古戦場跡にはぜひ駐車場を造っていただきたい。