戦国の世は漢(おとこ)の時代だった。
武力によって名を後世に残す事を最大の誇りとし、無意味な死を唾棄した。
敵といえども強き者には素直に賛じ、臆病者には愚弄をもって迎える。
弱きものは滅す。弱肉強食。力ある者だけが生き残る、そんな時代だった。
そして直隆も、戦乱に生きていた男だった。
だから、彼は今ある状況に我慢がならない。
女に飼われている、この境遇。
初音は朝、起きると大抵不機嫌である。
奇妙な柄の寝台から身を起こし、寝間着を脱いで全裸になる(正確には全裸ではない。ぱんつと呼ばれる憎いあんちくしょうをはいている)。
室内に干してある洗濯物から胸当てとタンクトップを着ると、そのまま洗面所へ向かい、しばらく水音が聞こえる。
台所(かまどがないのがないのが不思議だ)で何かを飲むと、コタツに入って化粧を始める。
初音の手が動くに従って、みるみるうちに異なる顔が出来上がってくる。
肩まである長い髪を後ろに束ねた瞬間が、ここだけの話、直隆はほんの少し気に入っていた。
顔つきが変わるのである。まるで何かに戦いを挑むような、静かな顔。
白いシャツを着、黒いスカートを履き、腕時計をつけ、コートを羽織ると、初音はそこで初めて直隆を見る。
「行ってきます」
一言だけ残して、出て行ってしまう。
だいたい。
寝たふりをしながら、こっそり初音を観察していた直隆は起き上がった。
これから長い時間、この空間に閉じ込められなければならない。
だいたい、女というべきものは、もっと慎ましやかなものだ。
がさつ(大口をあけて笑う)、無遠慮(直隆の着物を無理やり脱がせようとした)、破廉恥(毎度、ためらいもなく素っ裸になる)である女は、事あるごとに直隆を愚弄し、からかい、いじめた。
あり得ない待遇だ。
こんな体でなければ、直隆は我慢の限界が切れて暴力をふるっていたかもしれない。
先日の、初めて外の世界を見た衝撃は、未だに胸の内にくすぶっている。
カバンの中に入れられた直隆は不服を申し立て、初音の胸ポケットへと移動された(初音は「あたし、フィギュアおたくの馬鹿みたいじゃん」と文句を言っていたが、案外ばれないようであった。それにしても、初音が歩くたびに、柔らかな衝撃が直隆を襲い、そちらに往生した)。
初音と同じ大きさの人間たちが、無数にいた。
今まで――初音しか知らなかった直隆は、無意識に初音を異邦人だと思っていた。自分が正常なのだと。全てが大きな空間にいながら。
とんでもない、異邦人なのは自分の方だったのだ。
愕然と同時に、とてつもない恐怖を覚えた。
敵に向かう時とは異なる、宥めることのできない恐怖だった。未知であることが、こんなに恐ろしいとは。
だからあの時、馬鹿女にちょっとだけ親しい感情を抱いたのはあれだ。
夕日がやけに赤かったから、郷愁に誘われただけだ。
☆ ☆
満員電車に身を縮めながら、初音はぼんやりと外を見ている。
直隆はプライドの高いチビだった。
初音をメイドとしか見ていないらしい。
まあ、あの時代の女は、男に対して従順なのだろう。
でもあたしは現代の女だ。
初音は小さくため息をつく。
だけど男というものは、結局、従順な女を好む。
従順で可愛くて、健気な女。
高校時代から、三年前に至るまで、付き合っていた彼氏たちの別れの言葉はいつも同じだった。
「可愛くないんだよ。お前は」
初音はもう一度ため息をつく。
女としての価値って何だろう。
車内に首を巡らすと、女性誌の吊革広告が揺れていた。
最強モテ服、愛されフワゆるパーマ、可愛いすぎるネイルたち。
飛び込んできた文字に、初音は目を反らす。
「あのさ」
社員食堂で向かい合ってB定食のオムライスを食べている林田に、思い切って初音は聞いてみた。
「周りに戦国時代に詳しい人っていない?」
「は?」
「いや、いい。ごめん。忘れて」
調べてみる、と約束をしたものの、その調査は完全に行き詰っている。
パソコンで調べてみても名前は見当たらないし、図書館で該当しそうな本を漁ってみても、思わしい物は出てこなかった。
本人にヒアリングをしてみると、以下が分かった。
父は浅井家の家老であること(おぼっちゃんかよ)。
年は21歳であること(年下かよ)。
妻がいたこと(ブルータス、お前もか!)
そして、織田信長を憎んでいること。
同盟を結ぶにあたって、浅井家は恩のある越前の朝倉家には手を出すなと条件を出した。
が、信長はあっさりと約束を反故した。
城内は朝倉家に味方するか、織田家に味方するかで意見は真っ二つに分かれているという。
「いかに織田の勢力が甚大であろうと、わしはあの男が許せん」
よっぽど嫌いなのだろう、直隆は唾を飛ばしながら激高した。
「義を通すに意もなにもあるべきか。強き敵ならなお良し、その為ならばこの命、喜んで差しだそう」
「チビはそれでもいいかもしれないけどさ」
「チビ言うな」
初音には一種の自己陶酔にしか思えてならない。
見解が狭まり、自分以外はどうなってもいいと思われるような傲慢。
「それで、あんたの大事な浅井家がなくなってしまったらどうするの」
そうなることを、初音は知っている。
小谷城を写真で見た。土に埋もれた城壁のみが残っているその場所は、思い入れも何もない自分が見ても、一抹の悲しさを感じさせた。
むう、と直隆が黙る。
「お主も遠藤殿と同じことを言うのだな」
そう言って憎々しげに初音を見た。
直隆にとって、ここは未来だ。自分の生きた時代を知れば、そして元に時代に戻れたならば歴史を変えることができる。
だが、そうなればこの時代も変化する可能性がある。
「それは卑怯だろう」
きっぱりと直隆は言い切った。
「わしは卑怯者になどなりたくない」
だから、頼む。
「どんな死に方をしたかなど、わしに知らせるな。帰れるか、否かを教えてくれればいい」
「分かった」
頷いた初音の好奇心は、違う所へと向かった。
「で、奥さん、どんな人?」
目を見開いた直隆の顔が赤く染まる。
その仕草に(自分が聞いたくせに)、初音はむっとした。
「名を、お雪といった。大人しい、無口な女だった…」
言葉を交わしたのはたった一回、子を生んだ時だった。
「雪は幸せに存じます」
そう言って、はにかむ様な笑顔を残し、数日後に儚くなった。続いて生まれた子も。
「あ…」
初音は何と言っていいか分からない。
「その…ご愁傷さまでした」
「身体の弱い女子(おなご)であったからの」
好きだったんだろうな、その人のこと。
思いつつも、内心、ほっとしている自分に、今度はむっとした。
「いますよ」
林田の声に、現実に戻った。食堂のざわめきと共に。
「兄が京都の大学で院生やってまして。侍かなんかの研究をしているんです」
きれいにからになった皿を前に、林田はハンカチで口を拭いた。
「店長、歴女なんですか?」
「そうだ、京都に行こう」
「は?」
「お願い、林田君」
がっしを手を握られて、林田は目をむいた。周りにいる人々も驚いた。
「お兄さんに会わせて。連絡先も教えて。無礼なこととは分かっているけど、この通り」
手を握られたまま、深々と頭を下げる初音に、林田はうろたえるばかりだ。
「けっして迷惑はかけないから。お願いします」
「お願いされました」
顔を上げると、ぐっと手を握り返された。
「ぼくが責任もって、兄に会わせます。理由は聞きません。任せてください」
「ありがとう。恩に着る」
なぜか男同士の熱い友情がごとく見つめ合う二人に、周りの人々はどよめき、訳の分からないまま拍手を送った。
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身長20cmのお侍さんと、現代女子の話。
純愛でいくか、エロ路線でいくか悩み中。
風呂敷を広げるか広げないかで悩み中。