姿見の前でかれこれ一時間、服を着ては取り変えるのを繰り返している。
鏡に映った自分の姿を見て東風谷早苗はため息をついた。
早苗は幻想郷に来てから新しい服を買っていなかった。
一日のほとんどの時間を巫女装束で過ごしているし、巫女装束も気に入ってはいるのだが、たまには他の服を着てみたい。
幻想郷入りするときに持ってきた服にも飽きてしまっていた。
季節は冬に差しかかり、山の上にある守矢の神社では早くも朝晩の冷え込みが厳しい。
新しいコートがあればつらい冬を迎えるのにも前向きになれるだろう。
「これはおふたりに相談しなければ」
そう呟いて、散らかった服の中から巫女装束を探し出し着替える。
そして、部屋を出て拝殿へと向かった。
深呼吸をひとつして、早苗はおもむろに神前の舞を始めた。
舞の合間に右手に握った神楽鈴を振り鳴らす。冷たい空気に鈴の音が冴える。
「神奈子さまー! 諏訪子さまー!」
奉る神の名を叫び、もういちど鈴を鳴らした。
すると、本殿の方からバタバタと慌てた様子でふたりの神様が現れた。
早苗は舞を続けながら顔だけはふたりの方へ向ける。
「おぉ、神々が降りてこられた! 神奈子さま、諏訪子さま。ちょっとお願いがあるのです」
「いやー、その、あのね早苗」
呼び出された神様――八坂神奈子は言いづらそうに口を開く。
「前から言ってるけど『ちょっとしたお願い』程度の話なら、わざわざ儀式で私たちを呼ぶ必要はないんだよ。
すぐ近くにいるんだから」
実は神奈子は昼寝中だった。
鈴の音と早苗の叫び声で目を覚ましたのだ。はっきりいって寝覚めが悪い。
「そもそも早苗の舞って何かおかしくない? 見てると力が吸い取られていきそうだよ」
口を尖らせるのはもうひとりの神様――洩矢諏訪子。
ちなみにおやつの時間の途中だった。
「親しきものにも礼儀ありですからね。それに、この舞はおふたりへの信仰を表現したものです」
早苗は真面目な顔で返し、奇妙な動きを続けようとする。
「わ、わかった。とりあえず、そのお願いとやらを聞こうか」
「神奈子ぉ、ここじゃ寒いから居間でやろう」
諏訪子はぶるぶると大げさに震えてみせた。
出したばかりの居間のこたつには、早くも神々が入り浸るようになっている。
神奈子はみかんを、諏訪子は食べかけだったおやつの饅頭を食べながら早苗の話を聞いていた。
「というわけで、新しいコートが欲しいのです」
申しわけなさそうな早苗に、
「買えばいいじゃない」
神奈子はあっさり言った。
「い、いいんですか。そんなことにお金を使ってしまって」
「家計のやりくりは元々あんたに任せてるんだから好きに使えばいいさ。
コートの一着や二着を買うくらいの蓄えはあるだろう。ねぇ諏訪子」
諏訪子はお茶で口の中の饅頭を流し込み、
「もちろんいいよ。年頃の女の子がささやかなお洒落も楽しめないような世の中にした覚えはないよ」
見た目なら早苗の年齢の半分もなさそうな諏訪子が、「年頃の女の子」などと古くさい言い回しをするのは違和感がある。
「ありがとうございます」
早苗は笑顔で頭を下げた。
「だったら、おふたりも一緒に行きましょう」
「私はいいや」
「私もいい」
神奈子と諏訪子は素っ気ない。
「えぇー、そんなぁ」
早苗は不満そうだ。
「長い間神様をやってるとね、こういう衣装も自分の一部みたいになっちまうのさ」
神奈子はしみじみと言って早苗を諭した。
「そういうものですか。現人神には分かりません」
「現人神にはまだ早いさ」
「現人神もいつかそういう心境になる時がくるのでしょうか?」
「さぁね。現人神はどうだろね」
聞いていた諏訪子が湯飲みで机を叩いた。
「もういいって。現人神って言いたいだけでしょあんたたち」
* * *
コートを買うために山を降りてきた早苗だったが、よく考えると店の場所すら知らないことに気付いた。
こういう時、頼れるのはひとりしかいない。まずは博麗神社に寄ることにした。
「霊夢さーん」
縁側に座っている霊夢を見つけ、早苗は手を振りながら近づいていった。
「何よ。騒がしいわね」
霊夢の手には湯飲みが握られていた。早苗が博麗神社を訪れると、たいてい霊夢はこうして縁側でお茶を飲んでいる。
「洋服を売ってるお店を教えてください」
「ずいぶん唐突ね。別にいいけど」
霊夢は湯飲みをお盆に置くと立ち上がった。
「人間の里にあるわ。地図を描いてあげる」
「地図ですか……。それよりも連れてってもらえたら嬉しいのですが」
計画していたわけではないが名案だと思った。ひとりよりも霊夢と一緒の方が楽しいに決まっている。
「私は忙しいの」
「そんなぁ。一緒に行きましょうよ。一緒に来てくれたら守矢の神様の秘密を、特別に教えちゃいますよ」
「いや全く興味ないから」
霊夢は冷たくあしらおうとする。
「酷い。霊夢さんと一緒にお買い物行きたかったのに」
早苗は心底がっかりして縁側に座り込む。神奈子と諏訪子に断られ、さらには霊夢にも断られるとは。
「私って嫌われてるんでしょうか」
やけになって近くにあったお茶を飲み干した。
「わ、わかったわよ。一緒に行けばいいんでしょ。あとそれ私のお茶なんだけど」
「本当ですか。やったぁ」
早苗は飛び上がって喜ぶ。霊夢はため息をついて、とりあえず二人分のお茶を淹れなおすことにした。
* * *
霊夢に案内してもらったおかげで、早苗は迷うことなく人間の里の洋服屋に辿り着くことができた。
「思っていたより品揃えが豊富ですね。レトロファッション系のショップでしょうか」
ごぶさただった洋服屋の雰囲気にちょっとテンションが上がり気味の早苗。
「いいから早く選びなさいよ」
それに対して霊夢は面倒くさそうにしている。
「あー、このスカート可愛い」
早苗が取り上げたのは黒地に蛙のイラストが等間隔でプリントされたロングスカート。
「これもいいですね」
次に手にとったのはストライプ柄のシャツ。
一見緑のラインが走っているように見えるが、注視するとラインに見えるのは細長い蛇だとわかる。
「おっと、今日はコートを買いにきたのでした」
早苗は気に入ったものをいくつか選んで試着を始めた。
「霊夢さん、これどうですか。似合いますか」
人の選んだものに口出しできるほど、霊夢はファッションのことがわからない。
普段、巫女装束と寝間着しか着ないのだ。
「まぁ、いいんじゃないかな」
「そうですか。霊夢さんにそう言っていただけるならこれにしようかなぁ」
早苗が今着ているのはモコモコしたフェイクファーのコートだ。
緑のパステルカラーが早苗の雰囲気に合っている。
「せっかくだから霊夢さんも着て見せてくださいよ。色違いがありますよ」
そういってピンクのコートを差し出す。
「私はいいよ」
「そう言わずに。ほらほら」
早苗は無理やりコートを押し付ける。
「少しだけだよ」
結局、霊夢が折れることになった。しぶしぶとピンクのファーコートに腕を通す。
「わぁ、すごく似合うじゃないですかぁ」
「そ、そうかしら」
冷静な態度に努めているもののまんざらでもない様子の霊夢。
「霊夢さんも買っちゃいましょうよ」
「……。じゃあ、買おうかな」
「となるとこれに合う服がないといけませんね」
「えっ、他にも?」
霊夢は驚いた。
「せっかくのコートの下が巫女装束では台無しですよ。これに合うインナーを選んであげます」
「ちょっと待ちなさいよ、早苗」
「いいから私に任せてください」
早苗は再び店内をうろつき始めた。
「このスカートはどうです?」
そういいながら一着のスカートを掲げて見せる。
「……。うん、履いてみる」
試着室に入る霊夢。袴を脱いでスカートに足を掛けたところで、
「どうですか、霊夢さん」
早苗が試着室のカーテンを開けた。
「ちょっ! 急に開けないでよ」
霊夢は慌ててスカートを上げる。
「ごめんなさーい。わぁ、そのスカートも良いですよ。霊夢さん、足細いですねぇ。私の目に狂いはなかった」
悪びれる様子もない早苗だった。
その後、霊夢は着せ替え人形のようになすがままされていた。
結局、霊夢はコートに加えてセーターとスカートを買った。
早苗は自分のコートと一緒に、神奈子に手袋、諏訪子にマフラーを買った。
買い物袋を提げた巫女がふたり、夕暮れの空を飛んでいく。
「なんか激しく後悔してるわ」
霊夢が呟く。
「どうしてですか。良い買い物ができたじゃないですか」
早苗は満足そうに笑顔を向けた。
「明日から一日二食にしなきゃ」
ため息は風にかき消された。
* * *
翌日――。
霧雨魔理沙がいつものように博麗神社を訪れると信じられないものを見ることになる。
「うぇぇっ! 霊夢……なのか?」
魔理沙は一瞬新しい妖怪が神社にやってきたのかと思った。
霊夢は顔を赤らめて、
「何よ。文句あるの?」
と凄んだ。
霊夢はいつものように境内の掃き掃除をしていた。
しかし、いつもと同じ霊夢ではなかったのだ。
黒のミニスカートに白いタートルネックのセーター、そしてピンクのコートできめた霊夢ははっきり言って別人に見えた。
長年付き合ってきた魔理沙でも霊夢がこのような格好をするところを見るのは初めてだったのである。
戸惑いを隠せず魔理沙が口をパクパクさせていると、
「分かったわよ。変な格好で悪かったわね。着替えてくる」
霊夢はどすどすと大股で歩き出す。
後ろからでも耳が真っ赤になっているのが見えた。
「いや違うんだ。すごく似合ってて、だからこそ困るというか……」
しどろもどろになる魔理沙を置いて霊夢は去っていく。
「……なんていうか、奇跡を見たような気分だぜ」
衝撃からすぐには立ち直ることができなかった。
後日、魔理沙は霊夢のコートが早苗とおそろいだと知り、再び驚くこととなる。
Tweet |
|
|
4
|
1
|
追加するフォルダを選択
早苗&霊夢のほのぼのコメディSSです。
気軽に楽しんでもらえたらと思います。
この組み合わせで、いつかもう一本書きたい。
続きを表示