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「うわっつ!!」
あまりの暑さに飛び起きると、《私》の眼前には見た事のない景色が広がっていた。
「えっ!?アレ?外?」
そこは遊水路のある かなり広い公園のようであり、子ども達がはしゃぎ回っている。公園を囲むように そこそこ背の高い木が植えられており、豊かに葉を付けた梢の先には その三倍はあろうかという高さのビル群が並んでいる。大人の姿も散見されるが、彼女ら(女性の数が多くを占めていた)の多くは子ども達を見守りながらも、木陰で暑さをしのいでいた。
その景色を、《私》はベンチか何かに腰かける姿勢で見ている。
この、妙に湿気を含んだ暑さは《私》の住む北海道のものではない。近年は猛暑に見舞われる事も多くなった北海道だが、それでもこの暑さは決定的に空気感が違う。
しかし、この暑さを《私》は経験した事があった。東京だ。20年以上前に訪れた、夏の東京の暑さだ。
「…あっ、夢か」
いつの頃からか、《私》は寝ている時に見る夢を『夢』と自覚する事が多くなった。自覚出来るようになったのなら夢の中くらい好き勝手に振舞えば良いと思うのだが、これがなかなか上手くいかない。『現実で出来ない事』や『現実に起こりえない事』といった感覚が邪魔をしてしまい、結局は夢の中でも思うにまかせないまま、嫌な気分になりながら中途半端なところで目が覚める。
そんなこんなで この数年は夢を見るのが すっかり嫌、と言うよりは怖くなってしまい、安ウイスキーをあおって無理矢理就寝する毎日が続いている。
どうせ今回も同じだろう。夢特有の理不尽な出来事や、理解不能な恐ろしい事が起こる前に、なんとか目を覚ましたいところである。
この異常な暑さにしたところで、おそらく現実の肉体に何かしらの負担がかかっているせいに違いないのだ。万が一、部屋が火事になっていないとも限らない。
とりあえず体を動かしてみよう、と思って立ち上がると、妙にすんなり立つ事が出来た。夢の中ではだいたい、体を思うように動かせないものなのに。
ふと、自分の格好を見てみる。グレーのTシャツ、ペンキ跡のついた綿ズボン、足は裸足にサンダル履きだ。サンダル意外は就寝時の格好そのままである。ついでに、足にかかる体重の感覚も現実のものと少しも変わらない。
それに気付くと、目の前の景色も夢にしては異様にディティールがしっかりしている。ビルの窓に書いてある文字もしっかり読めるし、一度見たものが見返すと別なものに変わっている、という事もない。この時点で、《私》は自分が普段使いのメガネをかけている事に気付いた。視界の端にメガネのフレームが見える。
「おはよう、ヌシ殿」
背後から金田朋子のような声がした。一瞬、それが自分にかけられた言葉だと《私》は気付かなかった。
「これ、お主じゃ、お主。キュウシュウ・ヒロタダ殿」
その名前で《私》を呼ぶ者など、現実にはいない。ペンネームの『外伝』に、強引に『ヒロタダ』の読み方を付けていたのは10年以上前の事だ。今はハンドルネームも「q-gaiden」で済ます事が多い。
振り向くと、そこには髪を片側で結いポップな夏服…ピンクのタンクトップの上に肩出しの半袖シャツを着込み、ブルーの半ズボンと裸足に鈴の付いたサンダル履き…を身に着けた、小学校低学年くらいの女の子が、つい今まで《私》が腰かけていたであろうベンチの、その隣に座っていた。
「えっ…はい?」
状況が良くわからず(まあ、夢だから当たり前なんだけど)、よく分からない返事をした《私》に
「わからんか?ワシじゃよ、ワーシ!」
と、少女は自分を指さして言った。
「…金魚ちゃん!!?」
その緑がかったツリ気味の目に、《私》はようやく彼女が自身の創作のために お借りしているキャラクター《日本鬼子》の一人だと気付いた。
「やっと目が覚めたかの?まあ、寝ぼけていたとはいえヌシ殿が すぐには気付かんくらいじゃ。ワシのコスプレもなかなかのもんじゃろ?」
そう言うと《金魚》ちゃんは立ち上がり、クルリと一回転してみせて あざといポーズをしてみせた。
「どうじゃ?ロリコン心をくすぐるかのう?」
「えーっ、と…」
言ってる事の趣旨がまるきり分からない。まあ、これは夢だから仕方無いのだが、とりあえず早く夢から覚めたい《私》は、何か現実的な事を言わなくてはいけない気がした。
「ああ、いやぁ、例の小説なら、まだ全然書き進んでなくてですね…」
「小説?何の?…いや、今はソレはいい」
てっきり先日夢枕に立たれた時の催促かと思ったが、どうも違うらしい。
「実はの、少々ヌシ殿に協力してもらいたい事があったので、それで仮想的にこの次元に来てもらったのじゃ」]
「え…事前に相談してから連れてきて欲しかったんですけど…」
「そう つれない事を言うな。ワシやミタマモリとて、そうそう気軽に『高位次元』にアクセス出来るわけでもないんでの」
「はぁ…」
「それで、じゃ。協力して欲しい事というのはじゃな。実は今、この世界の日本では『小児性愛者連続殺人事件』というのが世間を賑わせとる」
「何すか、そのジェンクレが小躍りしそうな事件」
「まあ、ワシらも人間の世界で起こった事件は基本、警察に任せてるんじゃがの。だが、例によってミタマモリの奴が余計な首を突っ込んだ結果、どうも その事件には《件(くだん)》が絡んどるらしいと」
「《くだん》って、あの予言する人面牛の?」
「うむ。ただ、伝承どおりの《くだん》ではないらしい。人為的に…ヒトが作ったかどうかは まだハッキリせんが…とにかく、何者かが意図的に作り出した《逆(さか)くだん》とでも言うべき代物ではないか、と、ワシらは推測しとる」
「さかくだん…本来の《くだん》と あべこべ、って事っすか?」
「うむ」
「つまり、予言した事を現実化する力を持った《くだん》だと」
「おお、ヌシ殿は飲み込みが早いのう!」
「いや…そういう話を、どっかで見かけた記憶があるんで。アマチュア創作のオカルトものでは、割と誰でも思い付くネタかと…」
「何っ!?そうなのか!?…あっちゃ~」額に手を当てて《金魚》ちゃんは空を仰ぐ。「つまり、ワシらがアレやコレやと推理して、ようやく辿り着いた手がかりが、高位次元から見れば ただのパクリじゃった、と」
「いや、まあ…実際に この世界で起こっちゃったのなら、パクリもヘチマも無いかと…」
「じゃが、高位次元で『よくあるネタ』ならば、それはそれで僥倖(ぎょうこう)じゃ!
ヌシ殿、そういう話の場合、どのような解決をするのが定石かのう?」
まさかのショートカットを試みようとする《金魚》ちゃん。
「いや、そういうのはあくまで『設定』の部分ですから…話を構成するための背景とかキーワードであって、話の筋はそれぞれ全然違いますから…」
「そっかー、ダメかー…ちぇっ」
あからさまに落胆したかに見えた《金魚》ちゃんは、次の瞬間 顔を上げて前向きな姿勢で言った。
「まあ良い!それならそれで ワシらは本来のプランを遂行するまでじゃ!!
という訳で、改めてヌシ殿に ご助力をお願いする!!」
「…と言われましても…いくら夢の中だと言っても、俺は夢の中で万能で動けるタイプじゃないんですよ。どうしても現実に引っ張られたり、昔のトラウマとか…」
「いや、現実のヌシ殿の特性を見込んでの お願いなのじゃ」
「いやいや、現実の俺なんて、それこそ何の力もない、不貞腐れたニートの50男ですが!?」
「関係ない関係ない。
…要はの、ガチの小児性愛者でさえあれば、別に誰だって良かったのじゃ。たまたまワシらにもミタマモリにも、そういう奴の知り合いがヌシ殿しか おらんかっただけで」
「すいません、ちょっと《Ωniko》さん(《私》がレイコを呼ぶ時の呼称)呼んでもらっていいっすか?いっぺん張っ倒したいんで」
「そう言わんでくれ~~~。協力してくれたら、ちょっとくらいイイ目を見せてあげても良いんじゃぞ?」
そう言うと《金魚》ちゃんはシャツの襟元を指で下げて胸元を見せる。
めちゃくちゃリアルな夢の、生幼女の胸骨だったが、《私》も もう歳なのか全然そそられない。だいたい、ロリババアなんて二次元だから良いのであって、現実の幼女が婆さん口調で喋っていたら、芝居がかりすぎていてイマイチ萌えないものではないだろうか。
「ハア…」と溜息をついてしまった《私》だったが、「まあ、こうして呼び出されてしまったからには、やる事やらないで帰るわけにもいかないし…仕方ないですな。で、俺は何をすればいいんです?」と割り切った。
「おお!!その気になってくれたか!!やった!!」
拳を引いて『ヨシ!!』っとばかりに喜ぶ《金魚》ちゃん。もしかしてだが、『自分の色仕掛けが効いた』とでも思っているのだろうか。
「では、ヌシ殿はソコに座って、普段どおりにしていてくれ」
「普段どおり…ですか」
「うむ!」満足げな笑みを浮かべて《金魚》ちゃんは言った。「そこからあの童女どもを、いやらしい目で物色してくれてれば、それで充分…」
「ブッ殺されたいんですか!?」
現実ではどれだけ腹を立てても なかなか口にする機会のない言葉が、すんなりと口を突いて出た。
「いや、人を何だと思ってんの!?普段からそんな事やってたら、とっくに塀の中にブチ込まれてますよ!!」
「えっ、ロリコンって皆そういう事するんじゃないの?」
「今時、そこまで あからさまな事する馬鹿なんて 滅多にゃいませんよ!!そんな、一目で『僕ロリコンです』みたいな挙動してたら、5分と経たずに通報されます!!」
「ふふ、その点なら心配ない。ちゃあんと対策は考えておる」
妙に自信ありげな《金魚》ちゃんの不敵な笑みを見て、《私》は一瞬嫌な予感がした。
「何ゆえミタマモリではなくワシが、しかも こんな格好でヌシ殿の付き添いをしとると思う?つまり こういう事じゃ」
そう言いながら《金魚》ちゃんは上に羽織ったシャツを脱ぐと、それを《私》に手渡す。
「えっ、ちょ、まままま!!!」
続けて半ズボンまで脱ごうとする《金魚》ちゃんを、私は慌てて制止した。
「何やってるんですか!!??」
「フリじゃよ。あの童女たちと同じ、人間の子どものフリ」
《私》の制止を意に介さず、《金魚》ちゃんズボンを脱いでタンクトップとパンツ一丁になってしまった。
「つまり、ワシとヌシ殿は親子、という設定じゃ。父親なら、遊んでいる子どもを目で追っていても不審ではなかろう?」
「いやいやいやいや」
シャツで《金魚》ちゃんの下半身を隠しながら、私は首を振った。<br>
「3つ4つの幼児ならともかく、小学生の娘を下着姿で遊ばせてる父親も、今時不自然ですから!!なんていうか、その、危機管理的に!!」
「いや、そこまで役に徹してもらわんでも…」
「そういうんじゃなくて!!」
未婚の小児性愛者である私が、なんで世間の父親目線での一般論を口にしなければならないのか。考えてみれば奇妙な話だが、とにかく私は《金魚》ちゃんを思い留まらせようと必死である。長年、自身が小児性愛者である事が露見して社会的に抹殺されるのを恐れながら生きてきた経験が身に染み付きすぎて、強めの自己防衛本能がはたらいているのかも知れない。
「ふぅん…それとも何か?ヌシ殿は あの童女どもなぞより…」
不意に、その外見に似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべた《金魚》ちゃんは、タンクトップの裾を捲り上げパンツにまで手をかける。意外と締まったお腹と、あわや恥丘までもが見えそうになる。
「ワシの体の方が好みかの?」
「わーーーーッッッ!!??」
《私》は思わず声を上げてしまった。《金魚》ちゃんの手をとって前を閉じさせようとするも、反射的に顔を背けてしまったせいで目測が狂い、《私》の手が彼女のお腹に触れる。
「ちょっと貴方!!その子に何してるの!!」
背後から鋭い声が聞こえた。振り返ると、30代くらいの婦警さんが《私》を睨みつけながら歩み寄ってくるのが見えた。
「えっ、いや、あの、」
『ヌシ殿』
慌てふためく《私》に、《金魚》ちゃんが囁きながらシャツを引く。そうだ、親子のフリをするんだった。
「ええと、娘がですね」
「おまわりさん、このひと ちかんです」
《金魚》ちゃんが《私》を指差して言った。
~~~◇~~~
■■■(四の段終わり)■■■
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【ご注意】
この物語はフィクションです。実在または歴史上・の人物、実在の団体や地名、事件等とは一切関係ありませんのでご了承下さい。
●作中に 小松左京・著「くだんのはは」のネタバレおよび独自の考察が含まれます。ご都合が合わない方の閲覧はご遠慮下さい。
●日本の歴史、主に太平洋戦争について、やや偏見に伴う批判的・侮辱的な描写がございます。苦手な方は閲覧を控えて下さい。
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