No.112252

テラス・コード 第四話

早村友裕さん

 ――生きなさい――

 それは、少女に残された唯一の言葉だった。
 太陽を忘れた街で一人生きる少女が、自らに刻まれたコードを知る。

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2009-12-14 20:18:41 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:768   閲覧ユーザー数:751

第四話 ツヌミ

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の扉は閉ざされ、あたしは狭い空間にナミと二人、取り残された。

 

「……ミコトが」

 

「ああ、彼の事ならいい。彼は不完全ではあるが君と同じプログラムを持つから、異形(オズ)化する事もない。少々苦しむかもしれないが、勝手にタカマハラを出た罰だ」

 

「どういう事?!」

 

 あたしは掴まれていた右腕を思いきり振りきって、育て親と同じ顔を思いきり睨みつけた。

 

「君は異形が何か知らないようだ」

 

 恐ろしい笑みを湛えて、ナミはくっく、と笑った。

 

「彼らは僕らと同じだよ。『生き物』だ。ただし、遺伝子を破壊され腐るのを待つだけの粗悪の塊だがな」

 

「遺伝子……破壊?」

 

「私たちの体を保っているのはすべての遺伝情報だ。その情報が破壊されたらどうなると思う?」

 

 ナミの整った顔がずい、と近づく。

 思わず後ずさりしたが、そこは閉ざされた扉でこれ以上逃げられない。

 

「体が崩れるのだよ。見ただろう? あの醜い異形達を」

 

「異形は、遺伝子を破壊された生き物だって言うの……?」

 

「ああ、そうだ。君がずっと闘ってきたあいつらは、カグヤに長く居すぎたがために修復不可能なほどに遺伝子を破壊された亡霊たちなのだよ!」

 

「……!」

 

「ああ、そうだ。君はまだ知らないんだったね、私たちが太陽を捨ててまで防御壁で遮断しているものの正体を」

 

 嫌悪感でおかしくなりそうなのに、どうしてもナミから目が離せない。

 

「それは、『放射能』と呼ばれるものだ」

 

「ホウシャ……ノウ?」

 

「目に見えず、生命体を蝕む恐ろしい毒素の事さ。それが防御壁の外に蔓延している。ただ、カグヤだけは防御壁の上に作ってある。だから放射能の影響を受けてしまうのさ」

 

 得意げに喋るナミに釘付けになり、頭はショックでがんがんと痛み出している。

 

「その結果、カグヤで作物を育てる人間や、飼われている家畜の異形化が絶えない。そこで少しでも異形化の傾向が見られた者は街に捨てる決まりになっているのだよ」

 

 何という事だろう。

 本当に異形はここで生み出されていた。それも、こいつらが街にはなっていたのだ!

 

「だが、君やミコトたちは違う。その、遺伝子の中に修復するためのコードを刻んでいる。放射能によってプログラムを破壊された細胞に、壊死(アポトーシス)を起こさせ、それを補うように細胞を活性化させ分裂を速める機能を備えた情報が埋め込まれている」

 

「ア、アポトー……?」

 

「ナギが開発し、実験的に君たち3人へそれぞれ分けて埋め込んだ。体が十分に成熟した16歳ごろを過ぎたら発現するように設定してね」

 

 もう、この人の言っている事がほとんど分からない。

 

「ミコトとヨミが持つのは細胞の自己破壊プログラム、そして君が持つのは自己増殖プログラム」

 

 ほとんど壁に張り付くようにしてナミを見上げる。

 怖い。助けて。

 ナミの細く長い指があたしのメガネを取り去った。彼はそれを後ろに放り投げ、ますますあたしに顔を近付ける。

 

「私が欲しいのはそのプログラムだよ、テラス。君とミコトのプログラムさえあれば、私たちは再び太陽を手にする事が出来るのだ」

 

「つまり、あたしの中にある情報を使えば、防御壁を解除できるって言う事?」

 

 太陽のもとで生きる事が出来るようになるという事だろうか。闇を怖がりながら生きなくてもいいという事だろうか。

 なんて素敵な世界。

 

「平たく言えばそうだ。無論、完全ではない。が、あれほどの強度の防御壁ではなく、光を通すことのできる防御壁に交換する事が出来る。そうすれば、カグヤだけでなくこの街全体が光を得る事ができ、異形(オズ)が誕生する事もなくなる」

 

 異形が誕生しなくなる。

 その言葉に、あたしはうっかりときめいてしまった。

 

「どうかな、協力してはくれないか?」

 

 ナギと同じ微笑みに騙されて、あたしは首を縦に振っていた。

 

 

 

 

 あたしがナミの申し出を承諾すると、ずっと閉ざされていた扉が開いた。

 が、そこにミコトはいない。それどころか、緑で満たされた空間も消えていた。もしかすると、これも一種の転送装置だったのかもしれない。

 代わりに、乳白色の壁と天井の廊下がまっすぐに続いている。その壁も転送装置の内部と同じ、淡い光を放っていた。

 

「さあ、行こうか」

 

 ナミに背を押され、ゆっくりと足を踏み出す。

 が、右足に痛みが走って思わずしゃがみ込んだ。

 

「何だ、怪我をしていたのか」

 

 ナミは呆れたように言い放つ。

 

「ツヌミ、テラスを第5層の実験室ヤマトへ」

 

 ツヌミ。

 その名にどきりとする。

 

「私は一度戻る。カグヤでいくらか汚染されたかもしれぬからな」

 

「では、本日はもうおやすみに」

 

 突然現れた声に、驚いて顔をあげると、そこには細身の青年が立っていた。

 

「そうだ。明日までに準備を整えておけ。それから、街の者にも連絡を」

 

「御意」

 

 金髪を翻してナミが去っていった後も、あたしはその男性に釘付けだった。

 

「こうして会うのは初めてですね、テラス」

 

 漆黒の髪は、光を通すと青っぽく見える。髪と同色の瞳がはめ込まれた鋭い眼は、どこか悲しげな色を映じていた。長くのばした髪を後ろで緩く括り、両耳に黒い石のピアス。

 愁いを帯びた表情に、胸が締め付けられる。

 

「……ツヌミなの?」

 

「はい」

 

「どうして? あなた、人間だったの?」

 

「……あの鴉(カラス)は、精巧に作られた模造品(レプリカ)です。私がこの場所から遠隔制御で操っていただけなのです」

 

 ツヌミを名乗った青年は、あたしの前に跪いた。

 

「本物の鴉はあの街で生きる事はできません。なぜなら、鳥たちは暗闇で物を見る事が出来ないから。私の操るあの鴉以外、街で鴉をご覧になったことがありますか?」

 

 そう言われて、あたしは詰まった。

 そうだ。ツヌミはあの街で唯一の鴉だった。いや、鴉だけではない。あの街には、ネズミなどの闇を生きる小動物以外、ほとんど存在しないのだ。

 

「申し訳ありません、テラス。私は――」

 

「言い訳は聞きたくない」

 

 あたしはぴしゃりと言い放った。

 うなだれるツヌミ。

 裏切られたのはあたしの方。裏切ったのはツヌミの方。

 最後の仲間。唯一の友。

 

「あなたがタカマハラだって聞いて、あたしがどれだけ悲しかったか分かってるの? しかもあたしのこと監視してたなんて……助けてくれたのも全部、ナミに言われたからだったなんて……」

 

「許してください。貴方がこれ以上危険な目に遭うのを見ていられませんでした」

 

「だから、ナミにあたしを迎えに行かせたっていうの?」

 

「はい」

 

 でもあたしにはツヌミを責められない。

 ナミの申し出をたった今承諾し、事実上タカマハラに所属する形となったのだから。

 

「何より、テラス。私はモニター越しでなく――本物の貴方に会いたかった」

 

 跪いたツヌミの漆黒の瞳があたしを貫いた。

 ああ、この目はあの子と一緒。ずっとあたしと一緒に闘ってくれた鴉(カラス)のツヌミと同じ目だ。

 もう一度だけ、信じてもいい?

 

「ツヌミ」

 

「はい」

 

「……いつも一緒に闘ってくれてありがとう。助けてくれて、本当に嬉しかった」

 

 会いたかった、という言葉に込められた強い思いが分からないほど馬鹿じゃなかった。

 以前のあたしなら気付かなかったかもしれないけれど。

 

「今度はウソ、つかないでね。でも――」

 

 ヨミやカノ、ミコトと会えて、あたしは少し変わったのかもしれない。

 

「これからも、一緒に戦ってくれる?」

 

 そう問うと、共に闘ってきた仲間は、本当に嬉しそうに笑った。

 

「はい。貴方が望む限り」

 

 

 

 

 

 

 防御壁の外にある放射能に満ちている死の世界は、徐々にこの街を蝕んでいた。

 でも、ミコトとヨミとあたしが持つのは、この街に再び太陽を取り戻すためのコード――それは、あたしの育て親であるナギが遺した、異形をこれ以上創りださないための道しるべでもある。

 

――生きなさい。人間の未来のため、お前たちは生きなくてはいけない

 

 今なら、ナギの残した言葉の意味が分かる。

 あたしの中にあるプログラムでこの街を救う事が出来るのなら。

 ようやくあたしは、自分の生きる意味を見つけ出した

 

 

 

 

 このタカマハラは、全部で5つの階層に分かれている。

 第1層は地下からはじまり空調設備や浄水システム、発電機が設置されている。その上に位置する第2層は地上約800mまでというタワーの大半を占める居住区域。ここには2000もの人間が住むらしい。そして第3層は医療施設、学校などが存在する。

 タカマハラに住む多くの人は第2層と第3層を行き来しながら生活する。この第3層までがタワーの約9割を占めているのだ。

 

「この街が防御壁で覆われたのは、今から100年以上も前の事です。地上を放射能が覆い尽くそうとしていた時、街は外の世界を見限り、防御壁で覆われたこの場所だけで生活することを決めたのです」

 

 車椅子を押すツヌミが、あたりを見渡しながら説明を加える。

 先ほどまでのようにただ真っ直ぐな廊下が延々と続くわけではない、変化に富んだ景色

があたしを出迎えた。

 このタワーを支える中枢とも言うべき第1層はさすがに見せてくれなかったが、ツヌミは第2層居住区の下部から順にあたしを案内してくれた。

 

「無論、生き物は太陽を忘れて生きていけるはずもありません。そこで考え出されたのがこのタカマハラタワーです」

 

 腐敗したコンクリートとアスファルトに埋め尽くされた街とは全く違う景色。

 いったいどうやっているのか、灯りをもたらすベージュの壁と床、天井に彩られたその居住区域では、沢山の人々が出迎えてくれた。

 居住区の大人たちはツヌミを見ると軽く会釈をし、子供たちは嬉しそうに手を振ってくる。ツヌミはどうやら有名人らしい。

 壁いっぱいに張られた窓をのぞくと下の階まで吹き抜けになっていて、眼下ではカラフルな遊具で楽しそうに遊ぶ子供たちの姿が見えた。

 

「タカマハラでは『学校』『発電所』などの施設で働く事で通貨を手に入れ、それを使って食料や水を手に入れます。住居と電気は必ず全住民に等しく与えられているのです」

 

「……あたしたちと一緒なのね」

 

 街に住むあたしたちは、異形(オズ)を退治する事でタカマハラから食料や水を得ていた。しかし、今考えれば電気はいつでも欲しい時にあったように思う。

 あの暗闇の街とタカマハラの関係は未だによく分からないことだらけだが、どうやら完全に切り離されたものであったわけじゃないらしい。

 無論、街にも異形狩り以外の仕事が存在する。あたしは通っていないが、街のどこかには子供達を預かり教育する『学校』は存在したという噂を聞くし、カノのように医療を売りにして食料や水を見返りにもらう、という手段もある。異形狩りの中でも人に雇われ、雇い主を危険から守る守護者(ガーディアン)という職業もあった。

 『通貨』という媒体はないし、見返りなしに他人に働きかける事はない壊れた街といえども、一つの社会を形成していたのだ。

 手を振る子供に手を振り返すツヌミはどこか哀愁を帯びた目をしていた。

 

「彼らはタカマハラで生まれました。カグヤで働くことを義務付けられた人たち以外は、太陽を知らぬまま大人になり老いていくのでしょう」

 

 カグヤ。異形。放射能。

 とても優しいが故、悲しむ心をきっとツヌミも持っている。

 あたしはいろいろな感情を封印して、問う。

 

「ツヌミもここで生まれたの?」

 

「ここ、ともいえますが、違うとも言えます」

 

「どういう事?」

 

 聞き返すと、ツヌミは濡れ羽色の髪を揺らし、どこか寂しそうに微笑んだ。

 

「これから案内するのは、選ばれた人間しか入れない第4層以上です」

 

「……そこには何があるの?」

 

 聞き返したが、返答はなかった。

 人の集まる場所から離れ、いつしかまた真っ直ぐに続く廊下へと戻ってきていた。

 先程までと違った閑散とした空気に思わず背筋が冷える。

 

「行きましょう」

 

 いつの間にか、目の前に転送装置の扉が口を開けていた。

 

 

 

 

 

 ツヌミが車椅子を押し、扉の向こうの空間へと入る。

 これはナミに連れられてカグヤへ入った時と同じ転送装置だろうか。それとも、こんな転送装置がタワーのあちらこちらにあるのだろうか。

 壁も床もすべて同じ色、幅も天井の高さも同じような場所が多すぎて、自分がいったい今どこにいるのか分からない。

 

「第4層はこのタカマハラタワーを管理する人間たちが暮らす領域です。私は、一般人が住む第2層でなく、この場所で生まれました」

 

 目の前の扉が開くと、先ほどまでと比べ物にならない眩い光に包まれた。

 先ほどまでの薄ぼんやりとした光ではない。目に刺さるような強い光が注がれている。まるで先ほどカグヤで見た太陽の光のようだ。

 

「第4層に住むほとんどが研究者です。私もその一人として18年前に第5層で生を受けました」

 

「第5層? 第4層じゃなくて?」

 

「はい。第4層に新たな命を生む施設はありません」

 

 ツヌミの表情が険しい。あたしを見下ろす漆黒の瞳には後悔が含まれていた。

 

「第4層に暮らす研究者たちは、それぞれに特化した専門分野を持ちます。例えば私は機械工学で、鴉の模造品(レプリカ)を作ったのも私自身です。他にも理学分野だけでなく文学分野でタワー内の秩序、街との関係を保っている研究者もいます」

 

「ナミは?」

 

 ふとあたしが呟いた質問に、ツヌミは一瞬詰まった。

 

「彼は医学、特に遺伝子学を専門とし、それだけでなくタカマハラのすべてを取り仕切っています。事実上、タカマハラ、いえ、街も含めた防御壁の中をすべてのトップに立つのはナミだという事になりますね」

 

「えっ?」

 

 そんなにも仰々しい相手だったの?

 

「もしかして、この防御壁を作ったりカグヤを作ったり、それから街の人たちとの関係を気付いたのもナミなの?」

 

「いえ、それはさすがに。彼は現在27歳ですが、この街が出来たのは100年以上前ですから、彼が原初からいるというのは不可能です」

 

「あっ、そうか。そうよね」

 

 確かにそうだ。そんな事あるはずがない。

 

「タカマハラに住む人々の寿命は平均で43歳です。街の人々も合わせると37歳ほどでしょうか。ナミもそろそろ後継者を育てなくてはいけない時期のはずなのですが……」

 

 そこまで言って、ツヌミははっとしたように口を噤んだ。

 

「すみません、少し喋り過ぎましたね」

 

 長々と話しているうちに、いつしか一つの扉の前に来ていた。

 全部似たような扉、天井、床。あたしは今、自分がどこからきてどこへ向かっているのかも全く分からない。目の前の扉だって、さっきの転送装置とどう違うのか分からない。

 目の前の扉が開く。

 が、これは転送装置ではなかったようだ。

 

「ここが私の居室です。まだ時間がありますから、少し休んでいきましょう」

 

「あっ、ツヌミ!」

 

 真っ先に目に入ったのは、ガラスケースに大切に横たえられた漆黒の翼だった。

 大きな瞳も漆黒の羽並びもよく見慣れたものだ。ただその嘴も羽根も、ぴくりとも動かない。

 

「ツヌミ……」

 

 鴉の入ったケースに張り付いて押し黙ってしまったあたしを見つめるツヌミの漆黒の瞳はひどく悲しそうだった。

 

 

 

 

 

 ツヌミの居室は、明るすぎず暗すぎず、置いてある物が少なく、いたってシンプルなものだった。

 作業机と思われる台に並んだ工具類もきちんと整理されている。隣のキャンバスに広げてあったのは鴉のツヌミの設計図らしきものだった。輪郭だけでなく縦に横に、沢山の線が引いてあって内部構造まで微細に描かれている。

 整然とした雰囲気がツヌミの性格をよく表わしているようだ。

 

「カラスは後で動かしてみましょう」

 

 ツヌミはそう言って、研究室の奥へと進んだ。

 メインモニターの横にサブモニター付きの通信機らしきものの前を通過し、一番奥へ。

 

「待っていてください。何か飲み物でも持ってきます」

 

「ありがとう」

 

 ベッドと小さなテーブル一つしかない殺風景な部屋だった。まるであたしがずっとツヌミと二人で暮らしていた部屋のようだ。

 ほんの少し前なのに、懐かしくて鼻の奥がツンとした。

 ああ、どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 ただ生きていくのに精いっぱいだったあたしが、どうしてこの街の人みんなに太陽を与えるようなコードをこの身に刻んでいるのだろう。ナミに協力すると言ったけれど、いったいあたしは何をしたらいいのだろう。

 これからいったい何が始まるのだろう。ミコトに聞いておけばよかった――ミコト?

 あたしはそこではっとした。

 彼はいったいどうなってしまうんだろう?

 

「紅茶でいいですか? テラス――テラス?」

 

「ねえ、ツヌミ。ミコトは? ミコトは、どうなったの?」

 

 そう聞くと、ツヌミの漆黒の瞳が揺れた。

 

「……彼は今、カグヤにいます」

 

「カグヤにいると、異形化してしまうんじゃないの?」

 

「いえ、もうご存知かと思いますが、ミコトには放射能によって破壊された細胞を壊死(アポトーシス)させるコードが刻まれています。異形化する事はありません」

 

「でも、ナミは少々苦しむかもしれないがって言ったわ……無事では済まないんでしょう?」

 

 言葉を失ったツヌミにイエスの返答を見る。

 

「ミコトの所に行きましょう。あたしをカグヤに連れて行って、ツヌミ――これは、命令よ」

 

 これまでツヌミに命令したことなどなかった。たった一人の仲間と信じていたから。

 でも今はこうするのが一番いい気がした。

 

「はい、テラス。貴方が望む限り……」

 

 ツヌミは、あたしの前に跪いた。

 

 

 

 

 

 また、あたしは人の感情を利用した。

 ツヌミがあたしの命令に逆らえないと知っていて、聞かれれば本当の事しか答えられないと知っていて、強硬な手段をとったのだ。

 

「第4層の上に第5層があります。ここは研究室がすべて集約される、タカマハラのブレインです。私たち研究者に与えられる研究施設やナミの居室はここに存在します。さらにその上、最上階に位置するのがカグヤです。防御壁の上に位置し、太陽の光を受けられる唯一の場所です」

 

 再び転送装置に入ったあたしのツヌミは、おそらく最上階のカグヤへ向かっている。

 今気づいたのだが、これだけあちらこちらに簡単に出入りするツヌミは、ナミとも直接会って指示を仰いでいたようだし、タカマハラの中でもかなりの要職についているのではないだろうか。

 

「後でナミに叱られるかもしれませんね。これからのことは出来るだけ黙っていてください。まあ、ばれるのは時間の問題だと思いますが」

 

 顔は笑っているが、声が強張っている――それでもやはり、少し無茶を頼んでしまっただろう。

 ツヌミはあたしに暗視スコープ、いや、その逆の性質を持つ光を遮断する遮光スコープを手渡した。二回目のカグヤ、あたしはすぐにそのスコープを装着する。

 

「気を付けてください。暗闇の街に生きる私たちにとって、太陽の光は強すぎるのです」

 

 ツヌミの言葉が終るか終らないかのうちに目の前の扉が開き、眩い光が差し込んでくる。

 眼前に広がる緑の絨毯。先ほどとは違う紅の光があたしを包み込んだ。

 

「太陽が西に傾いています。もうすぐ夜が来ます。急ぎましょう」

 

 この赤い光の意味や、太陽が西に傾くとはどういう事かを知りたかったけれど、今はそんな場合ではない。目が慣れるとすぐに辺りを見渡して、ミコトの姿を探す。

 

「労働者に見つからないようにしてください。貴方の容姿は既に全員に知られています。もし見つかったら――」

 

「いた!」

 

 ツヌミの言葉を分断して、あたしは叫ぶ。

 緑の中に見覚えのある黒髪を発見したから。

 デコボコとした地面と植物の緑に覆われたここを車椅子で進むのは至難の業だ。あたしは、椅子を捨てて立ち上がった。

 足の調子はすこぶるいい。

 微かに痛んだが、歩けない事はなかった。

 

「ミコト!」

 

「テラス……?」

 

 遮光グラスの奥の金の瞳を細め、頭を押さえながら緑に埋もっていた黒髪がゆっくりと起き上る。

 が、その顔には黒々とした痣が浮かび上がっていた。

 少しずつ皮膚を侵食するようにじわじわと広がるそれは、頬から額、それに首筋にまで広がっている。よく見ると顔だけでなく腕にもその痣がくっきりと印字されている。

 息をのんで立ち止まったあたしにツヌミが追いつく。

 

「壊死(アポトーシス)がかなり進行していますね。かなりコードが安定してきたようです……ナミが喜びますよ、ミコト」

 

「ツヌミ……?!」

 

 ミコトは驚いた顔をしてツヌミを見る。

 

「ああ、そうか。あの鴉を作ったのは、お前だったのか」

 

「ええ、そうです」

 

「このストーカー野郎……テラスに近寄るな」

 

「私がここにいるのは彼女の意志ですよ」

 

 そう言うと、ツヌミはあたしが乗っていた車いすにミコトを乗せた。

 

「さあ、ナミに見つかる前に戻りますよ。テラス、少し一人で歩けますか?」

 

「うん、だいぶ良くなったみたい」

 

 ミコトは少しの間ツヌミに向かって悪態をついていたようだが、すぐに大人しくなった。

 

「かなり消耗していますね。第4層に戻って休ませましょう」

 

 ぐったりとしたミコトの頬に刻まれた黒い痣が痛々しい。

 

「大丈夫なの?」

 

「ええ、表面の細胞が放射能によって壊れ、それが彼の持つコードで強制的に除去されてしまっただけです。少しすればまた回復します」

 

「……そう」

 

 でも、先ほどの苦しそうな様子を見ると、とても大丈夫とは思えない。

 

「このコードを完全なものにするには、彼とヨミが持つ自己破壊プログラムと貴方の持つ自己増殖プログラム、双方が必要です。さらに、3人ともに刻まれた逆転写コード」

 

「あたしが持つのは、ミコトたちとは違うの?」

 

「はい。放射能によって破壊された細胞を除去するのが彼らの持つコード、それに対して貴方が持つのは、破壊された細胞分を補うように活性化するコードです。そのすべてが揃って初めて、私たちは放射能に対していくらかの抵抗性を持つことが出来るのです」

 

「異形化を抑えられるってことよね」

 

「はい、そうです。無論、完全ではありません。しかし、あの分厚い防御壁を通さずとも、もっと薄い太陽の光を通す素材でできた壁に変換しても大丈夫な程度に耐性が出来る、というのがナミの計算です」

 

「今の段階で放射能に耐える事は無理なの?」

 

「ええ、太陽の光を通す素材の壁はつまり、今カグヤで使われているものと同じものです。カグヤでは今も労働者や家畜の異形化が絶えない……とても、人間に耐えきれる放射能量ではないのです」

 

「労働者……」

 

「カグヤに収容されるのは皆、下の階層で罪を犯した者です。ある意味での収容施設、それが『生産場』カグヤ」

 

 異形化という危険を冒してまでも太陽を捨てられない理由。

 罪を犯したとか、そんな問題じゃない。それじゃあ、その場所は収容施設じゃなくて処刑場だ。

 

「でも、その場所がないとあたしたちは生きていけない」

 

「生物は、太陽なしに生きてはいけないのですよ」

 

 転送装置を出て、第4層へ戻る。

 力なく横たわったミコトをツヌミのベッドに寝かせた。先ほどまでのように苦しそうではないが、金色の瞳は固く閉じられたままだ。

 

「あたしに救えるのかな。あたしの中にあるコードを使えば、苦しむ人たちをみんな――」

 

 カグヤで働く人たちだけじゃない、ミコトもツヌミも、みんな。

 

「大丈夫ですよ、テラス。ナミは素晴らしい研究者です。私の専門は機械工学なので詳しい事は分かりませんが、遺伝学に秀でた彼ならきっとあなたの中のコードを生かしてくれます」

 

「あたしはいったい、どうしたらいいのかな?」

 

 そう問うと、ツヌミは優しく笑った。

 

「生きて、ください。貴方の中のコードを殺さないように、ただ、生きてください」

 

 ああ、その言葉は。

 

 

――生きなさい

 

 

 育て親のナギから受け継いだ言葉。

 温かな感情があたしを包み込んでいた。

 にこりと微笑んだツヌミは、本当に嬉しそうだ。

 

「足の怪我はどうですか?」

 

「あ、それが、さっきよりずっと良くなってるの。カグヤに行ってからかな?」

 

 そう、不思議な事に、ナミに連れられてカグヤに行き、ミコトを連れに再びあの場所を訪れた頃から、怪我の具合は急激によくなっていた。

 

「放射能を浴びて、コードがほんの少し活性したんでしょう。貴方のプログラムは自己増殖、破壊された細胞を増やす性質を持ちます。だから怪我の治りも人並み以上に早いのです」

 

「でも、これまではそんな事なかったよ?」

 

「貴方の能力も万能ではありません。いくつかの限定条件、そして抑制プログラムもあると聞いています。条件の一つが、放射能による発動です」

 

 つまり、常にあたしの中のコードが発動しているわけではないらしい。

 

「何だかややこしいのね」

 

「そうですね。でも、明日にはナミから詳しい説明があると思います。だから……今日は少し休んでください」

 

「ありがとう、ツヌミ」

 

 

 

 だいじょうぶ、あたしはもう繰り返さない。もう二度と安堵の中に身を委ねたりはしない。信じるのはこの身一つ。決して、誰かに頼りきったりしない。

 ツヌミを傍においても、ミコトを助けても、本当に気を許す事はない。

 

 ヨミ、カノ。そして、ウズメとタツ、カラ。

 

 本当に信じていた育て親は、すでに思い出の中にしか存在しないから。

 

 


 
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