「はい、左手を強く握ってみて下さいね。……ふーむ、麻痺は残っていると聞きましたが、感覚はありますか?」
「ある。」
「握る力はこれで限界ですか?」
「ああ。」
「…はい、もう力を抜いて大丈夫ですよ。左手と右足の麻痺は大したことなさそうなので、時間が経てば戻るでしょう。問題は右腕ですね。」
「……やはり駄目か。」
「触診した限り機能には問題なさそうなんですが。ジーンさん、いかがですか?」
「アップルちゃんの予想通りよ。あの子、無意識に輝く盾の紋章で封じてるみたいね。」
「つまり、ヒエンさん次第です。」
「……。」
ここはヒエンの部屋。ヒエンがナナミを連れて不在のタイミングを見計らって、監禁状態のルカの体調を診るためにホウアンとジーンが訪ねてきていた。ルカの右腕の機能に疑問を持ったアップルが、何らかの理由があるのではないかと推測し、頼りになる紋章師であるジーンにも見てもらうように頼んでいたのだ。どちらも口が堅い上に肝が据わっており、信頼出来るとのこと。
ジーンの見立てでは、ルカの右腕が傷が癒えているにも関わらず動かないのは、ヒエンが輝く盾の紋章で動かすのを封じているのだとか。そんなことが可能なのかと聞けば、真の紋章の片割れである輝く盾の紋章は〝誰かを守るため〟に発動する性質があるため、無意識にルカを守るために右腕を封じてる可能性が高いと。
それにしても、あのルカ・ブライトが大人しく診察を受けている状況にホウアンは内心驚いていた。狂暴性は削がれたと聞いてはいたが、それさえなければ態度が大きい無愛想な青年だ。
一方、ジーンはふふふと妖しい笑みを浮かべながら、アップルから聞いていた二人の関係に内心興奮していた。彼女もまた、アップルと同じくお腐れ様なのである。
「まあ、動いたら動いたでシュウさんが利用するでしょうから。そのままでもいいと思いますよ。」
「あらホウアン先生、手厳しいわね。」
「事実ですから。」
二人の会話になるほど、とルカは感心する。あの軍師は切れ者だ。先日聞いたミューズの一件も、ジョウイの甘さを突いて、自分が以前殺し損ねたピリカという子供を置いて来たという。それでヒエン達が無事に逃げられたのだから、あの時砦で殺さなくて良かった。たまには子供も役に立つ。
……?殺さなくて良かった、だと?
ルカは自分の思考に首を傾げた。
何故だ、何故役に立つなどと。
「それで?獣さんはこのまま飼われるのかしら?」
「…?獣とは俺のことか、女。」
「ジーンよ。あなたの名前おおっぴらに言えないし、あなたの飼い主が僕の獣って言ってるし。」
「飼うだなんて言ってはいけませんよジーンさん。」
「ふふふ。」
獣、獣か。悪くはないな。もうルカ・ブライトとしては死んでいるわけだし。
「ならば獣らしく、あいつの喉笛を噛み千切ってやろうか。」
あえて挑発的なことを言ってみる。医者は驚いたようだが、女、ジーンは驚きもせず、やれやれといった顔をして。
「多分それあの子喜ぶわよ。」
「何っ?」
「ああ、確かに。」
「っ!?」
医者まで納得した。何故だ。こちらが驚いていると二人が生暖かい眼差しを向ける。
「…あなたも人間だったんですね。」
「あの子を常識で図っちゃ駄目よ。」
狂皇子と呼ばれた俺ですら図れないのか、あいつは。
「試しに肩にでも噛みついてみたらいいわ。彼、自分で治せるし。」
「………。」
「では、私はこれで。」
「私もお店に戻るわ。」
「何かありましたら、ムササビくん達に連絡させて下さい。」
二人が去っていき、部屋にはルカ一人とムササビ数匹。
噛みついたら喜ぶ?何故だ?
「……お前に聞いても分かるわけがないか。」
「ムム?」
「ルーカっ!ただいま!」
一人分の食事を持って、部屋の主であるヒエンが帰ってきた。最近はあの軍師の忠告により、姉のナナミとやらと食事をしてきから戻るようになった。今まで通り食べさせてはくれるが、こいつが美味そうに食べる顔が見れないと、なんとなく、心に穴が空いたような感覚になる。
思えば、こいつとあの森で会ってからおかしな感覚ばかり身に起こる。
心臓の音を聴くと安らぐ。ミューズから無事に戻ってきて安堵する。あの子供を殺さなくて良かった、こいつの役に立った。などと。そのような感情は生温いと、復讐のために今まで切り捨ててきたのに。
死の淵から己を引き上げたこいつの、ヒエンの前では悪くないと思ってしまう。
俺の膝の上に横向きに座り、今日のことを楽しげに語るヒエンの笑顔が、ただただ眩しい。
「シロったらキニスンがいないとなかなか触らせてくれなくてさー。はぁ、至高の狼犬モフモフしたい…。」
しかし、こいつから他人の、男の名前が出ると苛立つ。何故だ。
ふと、昼間の会話を思い出す。
『多分それあの子喜ぶわよ。』
噛み付いて喜ぶやつが本当にいるのか。恐怖でしかなかろうに。
ただ、衝動が抑えられない。
「?ルカ?」
目の前にある左肩に頭を預け、露になっている二の腕に、
ガブリ、と歯を立てた。
「っ!」
痛みで身体がビクッと震える。いいぞ、もっと震えろ。
ギリギリと力強く歯を皮膚に食い込ませると、口の中にこいつの血の味がしてきた。そうしたら、こいつの身体がビクビクと震えて、身体の熱が皮膚を通して伝わってきた。おかしい。明らかに、痛みや恐怖とは違う震え方だった。
ゆっくりと、皮膚から歯を離して、顔を上げてみると。
「る、ルカ…。」
顔を真っ赤にして目を潤ませて、熱のこもった扇情的な顔をして。目が合うと、ふにゃふにゃと笑って。何だ、この顔は。下腹が、ズクン、と疼く。
「っ、嬉しいっ…。」
「?」
「ルカに、噛まれて、マーキングされちゃったぁ。」
ふにゃふにゃと笑い、顔を手で覆って、嬉しい、えへへ、と言いながら本当に喜んでいる。
マーキングだと?獣がするようなあれか?ああ、そういえば俺はこいつの獣だったか。だからこいつは喜んでいるのか。自分の獣に、マーキングされた事実に。
噛んだ場所に血が滲んでいる。その血を見ていてもたってもいられず、歯形に滲んだそれをベロリと舐める。
「うひゃあっ!」
またビクビクと震えながら、喜びの奇声を上げる。おそらくこいつは今、性的な興奮状態になっているのだろう。
と、ヒエンがいきなり身体をこちらに向けて、俺の膝に跨がり、両肩を掴む。
「ね。もっと。」
「何っ?」
「もっと。噛んで。」
そう言って、笑顔で自分の黄色のスカーフを外して。
もっと?もっと噛んでほしいだと?馬鹿な。しかし、こいつの目は本気だ。
「もっともっと、僕にマーキングして。」
自分の上着のボタンに手をかける。待て、俺は利き腕が動かんのだ。せめて左手を、手枷を外せ…!
ドンドンドンドンっ!とノックする音と、ガチャッと扉が開く音がした。
「おい馬鹿、入るぞ。」
「ヒエンさんすみません、ティント市のことで緊急の対策会議…で……。」
シュウとアップルが部屋に入ってきた。
そこには、ルカの膝の上に跨がって迫るヒエンの姿。ルカは手枷をされたまま。
どう見ても、ヒエンが襲っている状態。
「ジャァスティィイィスッッ!!」
「アップルー!?」
アップルが鼻血を吹いて弓なりに仰け反った。尊い、神よ、と呟いて、ジ○ジョ立ちのように仰け反ったまま静止している。アップルの体幹どうなっている。いやまずこちらだとシュウが二人にツカツカと早歩きで近づく。
「オイオイオイオイオイ貴様!!何をしている!!」
「チッ!鍵かけ忘れてたか。」
「チッ!じゃない!!いくら相手がそいつでも!!ロクに動けない相手に!迫るんじゃない!!この馬鹿チンが!!」
シュウがヒエンの首根っこを掴んで、ルカからベリッと剥がした。
「あーん!ルカー!」
「か・い・ぎ・だ!!」
「事件は会議室で起きてるんじゃなーい!!現場で起きてるんだーい!!」
「安心しろ。いずれ現場に貴様も行ってもらう。」
「うげっ!?やだよそんなことになったらルカといられないじゃん!!」
「貴様の自業自得だ。」
「あーん!!」
いいところで剥がされ、泣き真似しながらずるずると引きずられていく軍主。いつの間にか正気に戻ったアップルも、ティッシュを鼻に詰めながらルカさんすみませんお邪魔しましたと部屋から出ていこうとした。ふと、ルカが先ほど外してそのままだったヒエンの黄色いスカーフを見つける。
「軍師、待て。」
「ん?」
「そいつの、忘れ物だ。」
手枷をされていながらも何とか左手で掴み、足枷を引きずり、ヒエンにスカーフを渡す。シュウが口をあんぐり開けて驚き、アップルは尊いと言いながらまた鼻血を出している。
ヒエンがパアアっと明るい笑顔で立ち上がって、スカーフを受け取る。
「ありがとうルカっ。大好きっ!」
と語尾にハートマークを付けてルカの胸ぐらを掴んで引っ張って、チュッと唇にキスをした。
ルカは突然のことに呆然となり、アップルは再び
「ジャスティィイィスッ!!」
「アップルー!?戻ってこーい!!」
鼻血を吹いて弓なりに仰け反った。
アップルの行動にツッコミながらも、シュウは再ひヒエンの首根っこを掴んでベリッと剥がした。
「あーん!ルカー!」
「とにかく、この馬鹿は持っていく。」
「あーん!鬼軍師のばーか!!」
「馬鹿に馬鹿と言われる筋合いは無い!!」
「禿げろー!!」
「よし今日は徹夜で対策会議と書類仕事だ。」
「うぎゃー!!」
シュウがヒエンをずるずると扉の前に引きずっていき、くるっとルカの方を振り向いた。
「なんというか、ルカ、お前変わったな。」
「っ!?」
「この馬鹿がまたやらかしたら教えてくれ。」
シュウはそう言ってヒエンを連れて出ていき、いつの間にか正気に戻ったアップルも一緒に出ていった。
一人残された部屋で、ルカは物思いに更ける。
「……変わった、か。」
最近は悪夢を見なくなった。
過去の憎悪が消えたわけではない。
ただ、それ以上に温かさが身を包む。
あいつの心臓の音が聴きたい。
あいつの喜ぶ顔が見たい。
あいつが美味そうに食べる顔が見たい。
あいつが他の男の名を話すと苛立つ。
あいつに自分の跡を刻みたい。
あいつに触りたい。
シュウが先ほど驚いたのも無理はないのだ。忘れ物を届けるなんて、死ぬ前のルカ・ブライトではあり得ない行動だ。きっとあの蛍を見てから、命の儚さに気付いた。けれど、それ以上にヒエンの存在が大きくなっていく。
ふと、昼間の会話を思い出す。
『輝く盾の紋章は〝誰かを守るため〟に発動する性質があるため、無意識にルカを守るために右腕を封じてる可能性が高い』
『動いたら動いたで利用される』
守られるのは癪だが、あいつが、ヒエンが望むなら、利き手なぞいらない。
あいつが望むならば。
『絶対逃がさないからねっ!僕の獣!』
俺はあいつの獣でいよう。
しかし、初めて唇を奪われてしまったのは、悔しい。悔しいぞ、ヒエン。
右腕はともかく、左腕の麻痺は早く治らないものか。
「ンッフッフー、奪っちゃった~奪っちゃった~。そしてルカにもらわれちゃった~。僕のファーストキッスぅ~。」
「ヒエンさんそこ詳しく。」
「イエス、アップル先生!」
「アップル?」
「シャラップ!!」
終わり。
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ルカ様生存if。ルカ主初めてのチュウ。
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