剣丞一行は躑躅ヶ崎館への道を急いでいた。
湖衣の過去では、待ち合わせ場所で一二三を三日間待ったのち、躑躅ヶ﨑館へ向かったという。
そのとき、躑躅ヶ﨑館はもぬけの殻だった。
今回はその三日間の無駄なく直行しているので、皆がいなくなった原因が分かったり、誰かに会ったりできるかもしれない。
当事者である湖衣は柘榴が駆る馬の後ろに乗り、金神千里で常に周囲に眼を配っている。
「何か見えたっすか~?」
「いえ、何も……」
まだ三国の領域から甲斐に入って間もないし、甲斐国内も山深いため、近くの街道が一本見えればいいという程度だろう。
「もぬけの殻だったって事は、そこが戦場になったわけではなく、武田全軍で出陣したってことでしょ?どこかその辺にいるわよ」
好敵手である光璃が行方不明という事態に、ご機嫌斜めの美空。
「っ!小隊が見えました!」
「本当か!?」
「はい!この旗印は……薫さまです!」
ガラガラガラ…
一定の調子で荷車を引く音が辺りに響く。
馬上の薫はそれを心地よいと感じていた。
そして同時に、戦に向かっているのに不謹慎だとも思った。
薫は本軍より二日遅れで躑躅ヶ崎館を発ち、荷駄隊を率いていた。
長陣用の備えではあるが、これらの物資が使われないに越したことはない。
今は『外』から補給することができないからだ。
「はぁあ……」
溜息を一つ。
不可思議な現象。謎の敵。
不安の種は尽きない。
そして自分よりも心を痛めているであろう、長姉に思いを馳せる。
「こんな時、お兄ちゃんがいてくれたらなぁ…」
駿河と共に消えてしまった、頼りになる『兄』
こんな時に姉の、自分の側にいてくれたらどれだけ心強かっただろうと、幾度考えたか分からない夢想に薫はまた一つ溜息を吐いた。
「か、薫さまっ!!」
そこへ、周囲を警戒していた斥候が薫の元へ駆け込んできた。
「どうしました?」
「こ、後方より、十数騎がこちらへ向かっております!」
「後方から?」
後方には、今はもうほとんど誰もいないはずだ。
味方ということはないが、かといって敵と言うことも考えにくい。
「それで、旗は?」
「は…はっ!……それが―」
「――えっ」
――――――
――――
――
「大丈夫かな…?」
剣丞は猛スピードで走らせる馬上でそう呟いた。
急いでいるとはいえ、部隊に突っ込んでいい速度ではない。
旗は立てているが、無条件で矢でも射掛けられても文句は言えない。
「大丈夫ですよ。自分の旗に自信を持ってください」
その呟きが聞こえたのか、隣を走っていた湖衣がそう言う。
新田一つ引き。
剣丞の旗印を、隊の真ん中で柘榴が掲げていた。
そう言われても現代育ちの剣丞には、戦国の世を潜り抜けたとはいえ、未だにピンと来ない。
そうこうしているうちに、薫の隊が近くなる。
と、その中から一騎、飛び出してきた。
「あれは……」
綺麗な空色の髪。小さな体を馬上に揺らす、光璃と瓜二つの顔。
「お兄ーーちゃーーーん!!」
「薫ちゃんっ!!」
満面の笑顔をした薫がこちらへ駆けてくる…
駆けて……
「って危ねぇ!」
猛スピード同士、このままでは衝突してしまう。
「ていっ♪」
薫は事も無げに馬首をずらすと、可愛い声を上げ馬上から剣丞へと飛び掛った。
「ちょおっ!?」
剣丞は手綱から片手を離し内転筋で身体を支えると、飛来する薫を腹筋と背筋とを総動員して受け止める。
「っとと…あ、危ないよ薫ちゃん……」
「え~?だってお兄ちゃんって分かったら嬉しくなっちゃって!本当に本物だよね?」
「本当に本物だよ。それに…」
剣丞は周りに集った、というか剣丞が急停止をしたためこういう形になったのだが、仲間達に視線を送る。
と、
「随分と仲睦まじげねぇ…剣丞ぇ?」
真っ先に目が合ったのは、怖い顔で二人を睨みつけるのは美空だった。
「美空さん…?それに皆さん…雫ちゃんまで」
「薫さまっ!!」
「湖衣ちゃん!?今までどこに……」
「ご無事で…ご無事でなによりです……」
下馬して跪く湖衣。
目からは一筋零れるものがあった。
「え…っと、お兄ちゃん。これはどういう状況なの?」
「あぁ。掻い摘んで話すよ。でもまずは武田の現状を教えてくれるかな?光璃たちは今どこに?」
「うん。一二三ちゃんと湖衣ちゃんが出た後、しばらくしたら甲斐の北に信濃が現れて…」
「信濃が?地続きでですか?」
「うん」
雫の問いに頷く薫。
恐らく初めての現象だ。
「そしたら一徳斎おばあちゃんから、川中島に付近に正体不明の敵がいるって連絡があったんだよ。それで、お姉ちゃんたちは先行して向かってて…」
「剣丞さま!」
湖衣が『敵』という言葉に敏感に反応する。
剣丞もそれに応える。
「あぁ、嫌な予感しかしないな…薫ちゃん、こっちの事情は川中島に向かいながら話すよ。隊を誰かに預けて一緒に来てくれるか?」
「わ、分かったよ!」
こうして剣丞一行は薫を加え、一路川中島を目指した。
「風林火山!」
歴代の武田家の当主のみが、現在では光璃だけが使えるお家流だ。
甲斐源氏の名家、武田家の英霊を使役して戦う大技を、たった一人の敵に放つ。
が、
「…邪魔」
しかし、敵の攻撃がそれらをほぼ一瞬で掻き消してしまう。
「は、反則でやがるっ…!」
武田軍副将の夕霧は馬の背で唇を噛む。
撤退戦を強いられている武田軍。
もはや主立った将は、当主の光璃を除けば副将の夕霧、そして兎々しか残されてなかった。
「お、御館様。今のうちに少しでも距離を取ってくらさい!」
殿軍を指揮している兎々が光璃に指示を出す。
本来、殿軍と大将、つまり逃がすべき対象がこんなに近いはずはないのだが、逆にそれがこの撤退戦の厳しさを表している。
「でも!」
珍しく語気を荒げる光璃。
『人』相手に完膚なきまでの敗戦を味わうのは、ほぼ初めての体験だった。
多くの兵を失い、多くの将を失った今、冷静でいろというのが無理な相談だった。
そして戦場においては、一瞬の躊躇が命取りとなる。
「弾正さま!御館様!!」
「はっ!?」
光璃と兎々が押し問答をしている間に、光璃目掛けて真っ直ぐ、まるで無人の野を行くが如く、敵が突っ込んでくる。
「まずっ…」
「てやぁーーーー!!」
と、接敵する直前、夕霧の隊が敵を側面から突いた。
「夕霧ー!!」
「姉上!逃げるでやがるーー!!兎々っ!!姉上を――――」
夕霧の叫びは、戦場の喚声に掻き消された。
「夕霧っ!夕霧ーー!!」
「らめなのら!御館様!」
半狂乱状態で夕霧に、即ち、敵へ向かおうとする光璃を必死で押さえる兎々。
それでもなお暴れる光璃。
力自体は兎々の方があるかもしれないが、如何せん体格差がある。
光璃を止める手立ては一つしかなかった。
「御館様、御免っ!」
兎々は光璃の鳩尾に拳を突き立てた。
コヒュッと息が漏れ、意識が遠退く光璃。
「ゆ…ぎ……」
ガクリと全身の力が抜けた光璃を、兎々はしっかりと抱きとめる。
滂沱の涙を流しながら……
託されたのだ。御館様の命を。
託されたのだ。武田の未来を。
「御館様、失礼するれす」
自分よりも大きな光璃を背負うと、そのままひらりと近くの馬に飛び乗る。
自分の命は、最早自分だけの命ではない。
兎々は歯を食いしばりながら、馬首を南へと向けた。
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どうも、DTKです。
こんにちは、お久しぶり、初めまして。
お目に留めて頂き、またご愛読頂き、ありがとうございますm(_ _)m
恋姫†無双と戦国†恋姫の世界観を合わせた恋姫OROCHI、108本目です。
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