No.100620

真・恋姫†無双 董卓軍 第二話 其の三

てんさん

BaseSon「真・恋姫†無双」の二次創作。
一部オリジナル設定あり。

ご都合主義の第二話 其の三。一刀がいる場合といない場合で一人称と三人称が変わっていますので読みにくいかもしれません。
しかし、洛陽での話は短くする予定だったのでここに入る予定だったのですが……第三話に続きました。

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2009-10-12 20:31:25 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:7788   閲覧ユーザー数:6189

「さてと、それじゃ行きますかね」

 翌日、すでに劉備さんと関羽さんの二人は呂布隊の一部に紛れ込んでもらっている。

 ちなみに、劉備さんを自然に兵に合流させる為に、保護していた天幕に兵士を連れていき、入れ替わりに合流してもらっている。天幕で待機している兵士もある程度時間が経てば計画通りに動いてくれるはずだ。その時に劉備が不在だとバレるのは仕方がない。ちなみに関羽さんについては、昨夜戻ってくる時に一緒に戻ってきている。天幕に一人の兵士が入りっぱなしという状況は曹操になんらかの思惑を持たれてしまう。

「さて、今日の布陣だけど、昨日言ったように袁紹軍に対して恋、霞、ねね。袁術軍に対して蘭、詠。そして曹操軍に対して俺」

「昨日も言ったけど、本当に大丈夫なんでしょうね」

 棘がある口調ではない、心配してくれているのがわかる。

 だからこそ俺は言う。

「大丈夫なのかじゃなく、大丈夫にするんだよ」

 そうだ、今日の戦闘に全てがかかっていると言っても良い。だから、失敗は許されない。だけど、失敗するとしたら……犠牲は少ない方が良い。その為の布陣だ。もし失敗する箇所があるとしたら、それは北郷隊と曹操軍の動き。北郷隊の兵士には悪いけど、最悪でも董卓軍の大部分は残る。俺が現れた時の状況にはもっていけるだろう。だけど、それは俺の心の中に留めておく。

「だからって、相手はあの曹操なのよ」

「今回、危険な役をするのは俺だけじゃないさ。恋だって、霞だって、蘭だって……それに詠やねねにも。俺が本当に天の御遣いで特別な力が使えれば良かったんだけど、それもないしな。だから出来る事をする。ただそれだけだ」

 場合によっては出来ない事ですらやらなければならない。だけど、出来ると信じている。信じない事には始まらない。

「北郷、あなた……」

「ん? どうした」

 知らず知らずの内に手を力いっぱいに握っていた。爪が食い込むほどに。それが詠の言葉でちょっとだけ緩む。

「……いえ、なんでもないわ」

「なんだよ、気になるな」

「その……、結構かっこいい顔もできるじゃない。そう思っただけ」

 小声ではあったが、しっかりと聞き取れる声。

「…………そうか、詠にそう言ってもらえると嬉しいよ」

 今までも戦場では真剣な顔をしていたと思っていた。だけどきっと足りなかったんだろうな、『覚悟』が。今はそれが備わっている。だから詠がかっこいいと言ってくれた。

 なんだろう、この気持ちは。今までは戦なんてどこか非現実的に感じていた。だからこそ、ゲームや小説のような感覚で軍を指揮してきたし、戦場でも、あの曹操の前にも飛び出していけた。目の前に兵士の死体があっても、映画でも見ているような感覚だった。

 だけど今は違う。曹操の殺気、あれは確かに現実の物だ。もう少しで自分が死ぬんだという事が実感できた。

 そういう意味では、俺の初陣は今日なのだ。それも、今後を左右するほどの戦の特等席で参加する。今だって俺の考えた策が正しいのかどうかはわからない。間違っているかもしれない。不安で不安でしょうがない。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

「詠、上手くいくかな」

 ついそんな言葉が漏れてしまう。

 失言だ。策を立てた人間が他の者に弱音を吐くなんて。だけど、誰かに背中を押して欲しかった。

「まったく、あんたがさっき言ったんでしょ、大丈夫にするんだって。信じてるわよ」

 コツンと、詠は俺の胸を叩く。

 それだけで勇気が湧いた。

 もう一度深呼吸を繰り返す。

「よし、それじゃあ、皆頼むぞ!」

 俺の言葉に皆が頷く。

「恋、先陣は任せた。袁紹軍をぶち破ってくれ」

「…………んっ」

 先ほどの詠の真似だろうか、コツンと胸を叩いてくる。

「霞、恋の補佐を頼む」

「はいよっ」

 霞には背中を叩かれた。それなりに力が入っていたのだろう、俺は前のめりに倒れそうになるのを一歩踏み出して堪える。

「ねね、二人の後方支援頼むぞ。くれぐれも恋に付いていくなよ」

「そんなこと分かっているのです!」

 ねねには足を軽く蹴られた。だけど、全く痛くはない。

「蘭、孫策の相手は頼んだぞ。蘭なら大丈夫だ」

「わかった」

 蘭とは握手、ギュッと握られた。力いっぱい握り返したが、地力が違う。多分、強く握られている程度にしか思われていないだろう。

「詠、袁術軍の相手を頼んだぞ」

「そうね、でもその前に違う相手が出てくるでしょうけどね」

 詠は力強い視線を返してくる。その目には意思、負けないという意思が浮かんでいる。

「董卓軍、行動開始っ!」

 俺の声で、五人はそれぞれの隊へと移動して行く。

 残ったのは俺と月。

「俺が馬に乗れれば月には安全な場所にいてもらえるんだけど、悪いな」

「そんな、本来なら北郷さまのしている事は私の役目。北郷さまこそ、私が天の御遣いだなどと言わなければこんな状況には……」

「あー、でも天の御遣いだと思われなければ最初に会った時に死んでたんだし、結果オーライでしょう」

「おーらい? 往来……でしょうか?」

 久々にやってしまった。気をつけていたつもりだったんだけどなぁ、言葉使い。

「こうなって良かったって言ってるんだよ。さて、俺たちも行こうか」

「はい」

 月の返事を待ち、月に手伝ってもらって馬に乗り、月に馬を操ってもらって北郷隊に合流する。多分、他にはありえない軍を率いる者の姿。

 天の御遣いはこの世を太平に導く偉大なる人物、か。この姿を見て偉大だって言う奴がいるのかねぇ。だけど、平和な世の中を作りたいって気持ちでは負けているつもりはない。だからこそ俺は戦場に立つ。

 攻撃開始の銅鑼が鳴らされたのは、それからしばらくしてからの事だった。

 

 呂布隊の前方に二人の武将が立っている。一人は緑がかった髪をした巨大な大剣の持ち主。もう一人は紺色の髪でこちらも巨大な槌の持ち主。どちらも女。

「……邪魔」

 その二人は呂布の方天画戟の縦方向の一撃をそれぞれの武器を交差させるようにして受け止める。

 三人の中央で受け止められた衝撃は、甲高い音となり辺りへ散っていく。

 そして呂布の進みが止まる。

「へへっ、袁紹軍の二枚看板は伊達じゃないんだよ!」

「ごめんなさい、止めさせてもらいます!」

 そして流れるかのような連続攻撃が始まる。息がピッタリ合っている。それでも呂布は危なげなくそれを防いでいるが、呂布が止まったため呂布隊も止まらざるを得なかった。呂布隊の目的は呂布を先頭とした一つの矢となり袁紹軍を切り裂くこと。鏃である呂布の動きが止まってしまったのだ。

 呂布隊の兵士に戸惑いが浮かぶ。このままでは昨日の二の舞になるのではないかという不安。

 呂布隊にいる一人の兵士が前に進もうとするが、それを隣にいた兵士に止められる。二人とも妙にだぶついた服を着ている。無言ではあるが、手振り身振りで言い争いを続けている。

 そして、そこにもう一本の矢が到着した。

「はっ、早速曹操の真似かいな。だけど曹操は恋一人に夏侯惇、夏侯淵、許緒の三人を当ててやっと止めたっちゅうのに、袁紹軍は二人で大丈夫なんかい」

「そこはほら、気合と根性で……って、誰だ!」

「張文遠、ここに見参や! 運が悪かったと思って退いときぃ」

 張遼の一撃で大剣が弾かれる。

 その隙を見逃さず、呂布は攻守を交代させる。瞬く間に巨大な槌を持った武将は防戦一方へと追い込まれる。

「文ちゃん、ダメだよ。呂布一人でも分が悪いのに、張遼まで出てきちゃったら手に負えないよぉ」

「そうだな、将と将との戦いは終わりにして、ここは袁紹さまの護衛に戻った方がよさそうだ。だけど……」

「すんなり見逃してもらえるかどうか、だよね」

 袁紹軍の武将二人は共に呂布と張遼を見る。

 隙を探す。この場を突破する為の隙を。

 だが、その隙はあっけないほど早く見つかった。いや、呂布と張遼が道を開けたのだ。

「帰るんだったらええで、とっとと帰りぃ」

「いいのか!」

「ちょっと、文ちゃん。罠かもしれないよ」

 あまりに見えすぎている隙に槌を持っている将が注意を促す。大剣を持っている将もその言葉に行動を止める。

「構わん構わん。それとも決着付くまで勝負しよか? ウチはそれでもええで。そっちのが楽しいしな」

 純粋に勝負を楽しもうという張遼の笑顔。だけどそれは絶対に負けないという自信でもある。

 袁紹軍の将二人は、一度顔を見合わせるとお互い頷きを返す。そして馬の向きを変え、袁紹軍の中へと戻っていった。

 それを見届けると、張遼は呂布の元へと馬を進める。

「さて、こうなったら同時に突撃やな、恋は袁紹軍の左側を、ウチが右側を、袁紹軍が途切れるまで突き進む。わかってるな」

 張遼の言葉に、呂布は頷く。

「さて、行くでぇ。突撃やぁ!」

 張遼と呂布は武器を上げ、馬の速度を上げていく。続くのはそれぞれの隊の兵士。

 それは二筋の線となり、袁紹軍を突き抜けていく。

 

 袁術軍と華雄隊の中間で二人の将がそれぞれの武器を持ち、向き合っている。

「あら、華雄じゃない。二日前に負けたのを覚えてないのかしら」

「孫策か。ふふふ、この華雄を二日前の華雄だとは思わないことだな」

 一人は華雄。もう一人は孫策。二日前に一騎討ちを行い、その時は華雄が負けた。いや、正確には負けようとしていた瞬間に北郷が間に入りそれを助けた。だけど技量で言えば孫策が上だということを物語っている。

 しかし、華雄の顔に浮かんでいるのは絶望などではない。歓喜とも取れる笑み。

「頼むと……私なら出来ると言ってくれたのだよ、北郷がな。なら私はそれに応えるのみ! それ以外の結果など存在しない!」

 華雄の持つ武器、金剛爆斧を持つ手に更なる力がこめられる。気が満ちていく。

「あらあら、えらく熱のこもった台詞だこと。でも、意気込みだけでは力量は埋まらないわよ!」

 孫策の気合を入れた一撃。二日前であれば、その一撃で華雄の体勢を崩す事が出来た。だけど、今はその攻撃を軽々と止めている華雄の姿がある。

「えっ?」

「だから言っただろう。二日前の私と同じだと思うなと」

 反対に、華雄の攻撃を剣で受けた孫策の腕に痺れが走る。

「どうやら本気になれそうね」

「本気になってもらわなくては困る。負けた後で実力ではありませんでしたなどという戯言は聞きたくないのでな」

「言ってくれるじゃない!」

 華雄の金剛爆斧が、そして孫策の剣が交差する。一合、二合、三合と数を重ねる毎にその速度は上がっていく。

 二十合を数えた頃だろうか、一度両者が距離を取る。

「全く、嫌になるわね。二日前とは全然力が違うじゃない。それとも二日前の時は全力ではなかったのかしら」

「二日前も本気だったさ。私の為の、な。だが今回は私を信じて待ってくれる者の為に、その者の想いに応える為に、私は私の持つ全ての力を出す。足りなければ命を燃やしてでも作ってみせる!」

 華雄の気が膨れ上がる。それは孫策の気を圧倒するほどに。

 孫策自身はそれに怯みはしない、だが孫策軍の兵には動揺が見られた。それならば『彼女』が動く、孫策はそれがわかった。信じる、と言うなら孫策も同じく信じている者がいる。そしてその期待は今まで一度も裏切られた事はない。なら兵はそちらに任せていればいい。

「でも、いいのかしら。兵を率いる将がこんな前衛に出てきて」

「それはそちらも同じだろう」

「あら、聞いた事ない? 孫伯符の隣にはいつも影のように付き従う一人の軍師がいることを」

 妖しげな笑みを浮かべる孫策。

「そうか、周公瑾か……ふふふっ」

 だが、華雄に動揺は見られない。逆に笑い声すらあげている。

「何がおかしいの」

「いや、あいつならきっとこんな状況でもなんとかしてくれるさ」

「あいつ? 北郷の事?」

「ほう、北郷の名はすでに知っているのか」

「そりゃあね。この戦で大活躍だもの、どうしても耳に入ってくるわ。だけど北郷の十文字の旗は戦場の反対側じゃない」

 それに孫策は北郷を過大評価していなかった。強いて言えば運が良かっただけだ。昨日など丸腰で曹操の前に出たという。そんなのは無謀以外の何物でもない。それが相棒である周瑜と同列に語られることに嫌気すらした。

「すまん、私の説明が悪かったようだな。そちらも忘れてはおらんか。董卓軍の軍師の名を」

「賈文和……か。つまり……」

「そうだ。それに賈駆も託されているのだよ、私と同様にな。さあ、兵の事など考えずに一騎討ちといこうではないか。孫伯符よ!」

「いいわね、その提案。乗った!」

 華雄と孫策の間に、再び火花が散る。それは先ほどよりも激しく、そして熱く。

 

「さて、他は予定通りに進んでいるな」

「はい、そのようです。北郷さま」

 若干、呂布隊の動きがおかしくなったが張遼隊が合流してからはそれも元に戻っている。今頃はこの北郷隊を除いた全ての部隊で激戦が繰り広げられている事だろう。

「それじゃあ、俺も頑張らないとな」

「本当にお一人で行かれるんですか」

「ああ、一人じゃないと意味がないからね」

 そう、これから俺は改めて曹操と会話をするつもりだ。昨日、あんな目に会ったというのに、俺の中には後悔という単語はないようだ。いや、しない後悔よりした反省、という思いが強いのかもしれない。

「あの……ちゃんと帰ってきますよね」

「……ああ」

 返事を返す。帰ってきたいとは思う。だけど、どうなるか、それは俺だけで決めれることじゃない。あの曹操を相手に、口論とはいえ一戦交えてこなければならないのだ。結果など予想もつかない。

「そんな返事ではいやです。きちんと約束してください!」

「月……」

 今までの月では考えられなかったようなはっきりとした、そして大きな声。月の目からは今にも涙が溢れださんばかりに潤んでいる。

「わかった、約束するよ。今から曹操と話し合いをして無事に帰ってくる。月の……待っている皆の元へ」

「北郷さま……」

 ゆっくりと月の顔が近づいてくる。

 そして頬に柔らかいものが触れる感触。

「えっ?」

 今の感触は……そして真っ赤になっている月の反応から考えるに唇……だよな。

「……その、前に読んだ本に書いてあったんです。男の人はこうすると約束を守るって」

 どんな本なのか興味があるな。読み描きの練習の時に借りてみるか。それにはまず帰ってこなきゃな。

「ありがとう。元気が出たよ」

 いつの間にか心が落ち着いていた。頬へのキスだけでこれか。まったく、男って奴は悲しい生き物だね。だけど、それが嬉しくも感じる。

 俺は馬を下りると、曹操軍へ向けて足を踏み出した。

 

 今度は俺が先に、北郷隊と曹操軍の間で待つ。

 そして曹操軍からは昨日話をした金髪の少女、曹操が歩み寄ってくる。

 いきなり無視されるという可能性も考えていたのだが、どうやらその危険は回避できたようだ。

「今度こそ殺されに来たのかしら」

「さて、結果はどうなる事やら。でも殺さないでほしいとは思ってるよ」

 本心からそう思う。この会話の中で何度命の危険を感じる事になるか、想像もつかない。それだけの事を話そうとしているのだから。

「そう、で何の用かしら。こちらも暇ではないの、用件は手短にすませてほしいわね。そうでないとこの絶があなたの首を刎ねてしまうかも」

 大鎌を手に、曹操は言う。

 そうか、その鎌には絶って名前がついてるのか。情報一つゲット。まあ、俺の目的には全く関係のない情報だけど。

「まぁ、いくつか質問かな」

 再度、自分の『覚悟』を確認する。

 今賭けているのは俺一人の命。そしてこの賭けに勝てば多くの命が、これから続くであろう命が救われると思っている。別に自己犠牲の精神があるわけじゃない。俺だって自分の命は惜しいさ。だけど、この世界に来て、守りたいと思える人がいっぱい出来た。それはこれからも増えていくだろう。いや、増やしていくんだ。ここで曹操に負けた方がもしかしたら救われる命は増えるのかもしれない。だけど、俺の守りたいモノは無くなるかもしれない。それがエゴだというのなら甘んじて受けよう。俺の守りたい者の為に、俺はここに立っている。

 訂正しよう。今賭けているのは俺の『未来』だ。だからこそ俺は俺の全てを曹操にぶつける。

 心に火がつく。闘志という名の火が。

 もう怖いものなどない。もう恐れることなどない。もう俺の言葉を遮るものなど存在ない。

「曹操、お前は昨日、人の下に付くのはいやだと言ったよな」

「ええ、言ったわね。それがなに?」

 気だるそうに応える曹操。こんな会話などすぐに止めてこの戦いに終止符を打ちたいとでもいうように。

 昨日までの、いや、さっきまでの俺であったら声すら発する事は出来ないであろう、この雰囲気。だけど今、俺の口からは流れるように言葉が溢れていく。

「それでも、ただ一人だけ曹操の上に立てる人間がいる!」

「へえ、面白いわね。誰かしら、董卓、劉備、それとも馬騰あたりかしら。もし袁紹なんて言ったらすぐにその首落としてあげる」

「特定の人物じゃないさ。強いて言えば位」

「……」

 沈黙。だけどそれは思い当たるという事。

「そうだ、曹操。例えあんたでも帝の下にいる諸侯の一人」

「へえ、帝……ねぇ。会わせてほしいわね。そうしたら私が傅く所を見せてあげる」

「やっぱり知っていたんだな」

「ふふふ、何を……かしら」

 月たちは必死に隠していたが、この虎牢関ですら細索を忍ばせる曹操だ。洛陽に忍ばせていないとは思えなかった。だからこそ、その事を知っていても驚く事はない。帝がすでに亡くなっている事を。

「反董卓連合が洛陽に入ったらその位につくつもりか、曹操」

「別に欲しいのは位じゃないのよね。言うなればその権利」

「どこまで欲する!」

「欲するのは私じゃなく民衆よ。有能な統治者を求める民衆。私はその力があるから立候補するだけ。袁紹や袁術には任せていられないからこの反董卓連合に参加しているだけ」

 曹操も民衆の為に国を作ろうとしている。曹操ほどの人物が治めるのだ、それもアリなのかもしれない。だけど、これで曹操の条件が、妥協点が見えてくる。

「ならば、別に曹孟徳の天下でなくても構わないな!」

「ほう、この曹操よりも有能な者がいると。その者に天下を任せろと! 教えてもらいましょうか、その者の名を」

 曹操の視線がきつくなる。だけど俺はまっすぐにその視線を受け止める。

「勘違いしていないか?」

「なんですって……?」

「ただ一人で天下を動かす気か。いや、曹孟徳の才能ならそれも可能かもしれないな。だけど、それは驕りだ!」

「何が言いたい!」

「もし曹孟徳の天下になった場合、お前が道を違えたら誰がそれを正す。誰が間違いを指摘する」

「この曹孟徳が道を違えるものか。いや、この曹孟徳の進む先にこそ道はあり、この曹孟徳の通った場所こそが道となるのだ」

「たった一人で作った道、そんな細い道をこの大陸の者全てが後を続くというのか。何年だ、何年かかる」

「何年だと……」

「この大陸の全ての者が通るのに何年かかるというのだ、その道は!」

「なにを……」

「曹孟徳、お前が優秀だという事は認めよう。だけど全ての者がお前と同じ速度で歩けるわけではないのだ!」

「ならばどうする。董卓なら違う道が作れるというのか。劉備ならもっと大きな道が作れるというのか。ならば問おう、その道を造るのに何年かかる。それまでに何人の者が道無き道で消えねばならぬ!」

 曹操の言葉が響く。曹操は曹操なりの考えを持って天下を治めようと考えている、それがわかる。そして僅かな既視感。必要以上に気をはって頑張っていた女の子の姿が思い浮かぶ。

 曹操も、そうなのか……。

「曹操、俺は別に君が望む天下を否定したりはしない」

「北郷、あなた自分が何を言っているかわかっているの?」

 俺の発言に戸惑いを浮かべる。

 それはそうだろう、俺の言った事、それは董卓軍が負けて洛陽を反董卓連合が手に入れるという事。それは董卓軍に属する将の命が危険にさらされるという事。

 そして、それに一番近い道は……俺が曹操に斬られる事。

「自殺願望があるってわけ? 将としては最低ね。無責任で、何も考えてない」

「自殺願望なんてないさ。最初に言っただろ、殺さないでほしいとは思ってるって」

 今俺が死んだら悲しむ人がいる。それは幸せな事だと思う。だけど自分が死んだとしても、その人たちを悲しませたくないと矛盾した気持ちが沸き起こる。

「執行猶予が欲しいのさ。俺がこれからする事に対して、その結果が出るまで」

 そう、これから言うのが俺が考えたこの戦の幕引き。その条件を認めさせる為に、俺はここにいる。

「董卓が天下を治めるのを見ていろと?」

「まさか。今董卓が帝になんかなったら袁紹や袁術どころか、馬騰、劉表、劉璋あたりまで叛旗を翻すだろうね。この大陸全てを敵にして勝てるかどうかはわからないけど、民衆に被害が出る。民衆への被害を避ける為に董卓が帝の死を隠していた事は知っているんだろ」

「……そうね。ではどうするというの」

「董卓軍はここで負けるのさ」

「なんですって! 言っている意味がわかっているの?」

 先ほどと同じ内容の質問。

 だけど曹操がこちらの話を聞く時に殺気は無くなった。多分、対等の立場で会話をしている。

「もちろん形だけ、だけどね。けど董卓は別に天下を狙って動いたわけじゃない。動いた結果、天下に手が届きそうになっただけの小さな少女なんだよ」

 小さな背中に背負いきれないほどの重圧を背負って、それでも気丈に洛陽を、この大陸を守ろうとしていた少女。泣いていいんだよと言った後にやっと等身大の少女に戻れた月。

 俺が現れるまでどんな思いで過ごしてきたんだろうか。そして、月が背負っていたモノは一人で背負うには大きすぎるのだとわかった。

「……それで?」

「今のこの状況、天下に大手をかけていたのは反董卓連合の内では兵の数で袁紹、それに次いで袁術、そして曹操さん」

「そうね、そんな所ね」

「そしてもし曹操さんがその中で一番の実力者になったとしても帝を名乗れば叛旗を翻す者は必ず現れる」

 まあ、袁紹や袁術に一番になって欲しいとは思わないが、その中の誰が帝を称しても叛旗を翻す者が現れる。袁紹や袁術が帝を称した場合はきっと曹操さんが反旗を翻す。

「そうでしょうね。特に先ほどの二名は必ずと言って良いでしょう」

「だから、帝にはそれに相応しい人物になってもらう」

「帝に相応しい人物? そんな人物は存在しないはずよ……まさか、天の御遣いと呼ばれているあなたがなるとでも?」

「まさか、そんな事をする気はないよ。俺は何も出来ない単なる学生……あぁ、学生って単語も無いんだっけか。一人の人間だよ。ちょっとだけ特殊な環境に放り出された、ね」

 学生という単語が無い事は確認している。まず学校という設備が存在しないのだ。学校の生徒という意味での学生が存在するはずはない。だからといって書生と言うのもなんか違う気がした。

「それで、そのただの人間は何を考えているのかしら」

「ちょっとした演出をね。今頃、その帝に祭りあげられる人物は驚きの声でもあげているんじゃないかなぁ」

「まさか、劉備を? でも中山靖王劉勝の末裔と言っても怪しいものよ」

 全く、ここまでの情報でそれを劉備さんだと見抜くとは。流石は曹孟徳と言ったところか。

「知ってるさ。だからちょっとした芝居の役者として登場してもらう」

「芝居?」

「それは秘密かな。そうじゃないと驚きが少なくなっちゃうし」

 それは必然でなければならない。その状況になれば曹操さんなら気付くだろうけど、先に知られてもし芝居が成り立たなくなったら計画自体が潰れてしまう。

 まっ、世の中は驚きで満ち溢れているとそう感じてもらわないと。

「それで、その先には何が待つの?」

「そうだね、今現在劉備陣営にいる人物は知っているかい?」

「関羽、張飛、趙雲、諸葛亮、鳳統ね。いずれも一騎当千、もしくは有能な軍師だわ。劉備の元にいるのが勿体無いぐらいに」

「もし、この戦で劉備軍が名を上げ、しかも劉玄徳が帝になった場合、それらの人物もそれなりの役職に付くだろうね」

 場合によっては関羽さんが大将軍になる可能性もある。まぁ、実力的にはそれぐらいの事を出来る人だろうけど。

「そうね、有能であることは認めるわ。だからと言って劉備に天下を任せる気にはならないわよ。あんな甘いことしか考えてない人にはね」

「だろうね、曹孟徳ならそう言うと思ってたよ。だから曹操さんにも名を上げてもらうさ」

「なっ!」

 とりあえず、小さな驚きを感じてもらえたようだ。

「俺が考えているのは、権力の分散。劉備、関羽、張飛、趙雲、諸葛亮、鳳統、ついでに馬超と公孫賛、さらに曹操、夏侯惇、夏侯淵、許緒、荀彧。優秀な人物ならもっといるだろうね。顔良とか張勲とか……曹操ならそういう人材を探すのは得意だろ。そして権力を切り分け優秀な人物がそれぞれを担当する。そしてここからが重要なんだけど、反対の意見があればそれをきちんと言えるような環境を作る事」

 簡単に言えば、劉備さんが間違った道を進もうとするならば曹操さんがそれを止め、曹操さんが間違った道を進もうとするならば劉備さんがそれを止めれる環境。

「この曹孟徳をコマの一つとして使うと? いや、試そうというの?」

「小さな一つのコマになるか、まとめて一つの大きな仕組みとして動くか、それは曹操さん次第じゃないかな」

 だけど、大きな仕組みはコマがどれか一つでも抜ければ正常に動作しなくなる。似たような大きな仕組みも作る事は出来る。対抗手段はいくらでも存在する。

「何年?」

「ん?」

「その結果を何年待てばいいのかしら」

「そうだね、本当は長い期間が欲しいところだけど、失敗したら長い間待っている民衆への負担が大きいからね。だから三年」

 そう三年。曹操さんが天下取りを目指すとしても下地を整えるのにそれぐらいは必要だろうと考えて導き出した数字。詠やねねに相談して割り出した年数。

「待つ代償は?」

「この戦の勝利と、安いけど俺の命。あ、俺の命は結果待ちって事で」

 まあ、俺にとっちゃ安くないんだけどね。

「その三年の間にあなたが逃げないという保障は?」

「無いな」

 そう、無い。怖気づいて逃げるかもしれない。なにより、その三年の間に、俺が死ぬ可能性も無いわけではない。

「そう、なら賭けが成立すると思う?」

「ここまで話を聞いてくれた時点で、成立していると思ってるよ」

 しばしの沈黙。

 あとは曹操さんの判断待ち。俺の伝えたい事は伝えたはずだ。

「そう……あなた、やっぱり面白い人物ね、欲しいわ。三年経ってもし私が統治していた方が良いような治世だったら、私は誰が相手になろうと立つわ。その時は仲間になりなさい」

 曹操さん自身気付いていないのかわからないけど、配下ではなく、仲間と言った。それはきっと俺の提案に利があると思ってくれたからだ。いや、もしかしたら対等の立場で言いあえる人物を欲しがっていたのかもしれない。

 先ほどから「さん」付けで呼んでいるのにそれに気付いてもいないのがその証拠だ。

「本当なら、今すぐにもあなたを攫っていきたい所なんだけど、横からずっとこちらを伺っている部隊がいるのよね。あれもあなたの仕業? いえ、違うわね。あなたは一人でここに来た、全てを賭けて。ならあれは将の独断……すでにあなたの居場所は決まっているようね」

 横から? 北郷隊は俺の後ろのはずだし、誰の部隊だ。旗は……陳旗、ねねか、恋の援護をお願いしたから喜んで付いていっているものだと思ってたけど。ねねにも認められてたって事か。

「あ、そうそう。さっきの人物の中に孫策や周瑜も入れておいて。忘れてたよ」

「そう、なら私も忘れていたわ。私、欲しい物は意地でも手に入れる。諦めたりしない性格なの」

 俺と曹操さんの二度目の話し合いはこうして幕を閉じた。

 

 北郷と曹操が話をしている頃、呂布隊は袁紹軍を突破して劉備軍へ接近していた。

 迎撃の体勢を取る劉備軍。だがその動きは緩慢としたものだ。劉備が捕らえられているので攻撃して良いか迷っているのだ。

 そんな劉備軍に向かって、二人の兵士が進んでいく。だぶついた服を着込み、動き難そうに見える兵士二人が。

 二人は早足で進む馬と共に劉備軍の中へと入り込んでいく。警戒した兵士が道を開ける。まるで二人の周りに壁があるかのように、劉備軍に隙間が出来る。

 それを見届けると、呂布軍はまるで何事もなかったかのように、袁術軍の背後へと移動を開始した。

 たった二人残された董卓軍の兵士に、劉備軍の全ての注目が集まる。

「諸葛亮殿に伝言がある!」

 聞こえてきたのは男にしては妙に甲高い声。

「その用件、私が承ろう。朱里は下がっておれ」

 槍を持った青い髪の女が兵士へと近づく。

 そして董卓軍の兵士は小声で何事かを伝えると、青い髪の女の表情が一瞬だけ乱れる。だが、それも常人には気付かれないほどの時間であった。

「わかった、用件を承ろう。だが即答しかねる問題なので、お二人にはこちらの天幕でお待ちいただきたい」

 そう言って、兵士二人は劉備軍の奥に設置されている天幕へと導かれる。

 槍を持った青い髪の女の指示で、矛を持った赤髪の少女、そして平べったい帽子を被った少女ととがった帽子を被った少女が同じ天幕へと入っていく。

 不思議がる者も何人かいた。なぜ、返答を待つ兵士と同じ天幕に入るのか、と。だが、青い髪の女が、董卓軍の攻撃を警戒するようにと伝えると、全ての兵士は前面のみに集中した。

 天幕の中、奥に董卓軍の二人の兵士、手前に劉備軍の将が並ぶ。

 そして取り外される頭巾。そこから現れたのは劉備軍の誰もが知っている顔だった。

「桃香さまっ、それに愛紗さん!」

「ただいま、皆」

「良くご無事で……」

「そうだね、北郷さんが良くしてくれたから……あっ、そうだ。これを朱里ちゃんや雛里ちゃんと読めって」

「なんですか……ふむふむ、えっ、これって本当なんですか?」

 驚きの声をあげたのは朱里と呼ばれた少女。

「んー、私も説明は受けていないんだけど……愛紗ちゃんが説明を受けてたはずだよ」

「どれ、見せてもらおう。説明は受けているがその書面は見ておらんのでな」

 関羽が文を読み終えるのを待つ。

「ふむ、後半の説明を受けてはおらんが、この戦に関してで言えばこの通りの説明を受けている」

「だって、それじゃあ……」

「ああ、董卓軍はこの戦、負けるつもりなのだ」

 関羽を除いた全員から驚きの声が上がる。

「だが、今のこの形勢はどう見ても董卓軍が有利ではないか」

 青い髪の女の言うように、現状、袁紹軍が呂布隊、張遼隊に引き裂かれるように隊列を分断されている。袁術軍の前線は膠着状態のようだが、先ほど背後から呂布隊が攻撃をしかけた。それで袁術軍にも混乱が起こるだろう。

 唯一曹操軍だけは動きを見せていない。だけど関羽は聞かされている。そこで他の戦いに負けないほどの会話が行われている事を。その結果によっては……いや今回はどちらにしても曹操軍は動くのだ。本気か、本気でないかの違いはあるが。

「さて、桃香さま、こちらも準備をしなくてはなりません。まずは着替えるとしましょう。この服は窮屈でかないませぬ」

「そうだね、特に胸が……男の人の服だから仕方がないんだけど……」

 そう言って、二人は着替えを始める。元々着ていた服も兵士の服の中に忍ばせていた。

 関羽は自分の胸元を見て、少しだけ残念そうな表情を浮かべる。

「しかし、その北郷という者、信じられるのですか?」

 青い髪の女が尋ねる。

 劉備は着替える手を止めることなく、答える。

「信じられる、と思うよ。あの人、きっとその立場になりてくてなったんじゃないのに、それでもその役を頑張って演じようとしていた。嘘なんかつける人じゃないよ」

「同感だな、もし劉備さまに会う前にあやつに会っていたら、仕えていたかもしれん。それほどの大器を感じさせる人物だったよ」

「ほう、愛紗にそこまで言わせるとは……会ってみたいものですな」

「会えるよ、きっと。私もまた会いたいもん。皆で会おうよ」

 そうこうしているうちに着替えが終わる。

「さて、曹操軍の動きを見極めねばなるまい。朱里、付いてきてくれるか。鈴々と雛里はここで待機していてくれ」

「わかったのだっ」

「はいっ」

 そうして、青い髪の女は朱里と呼ばれた少女を連れて劉備軍の前衛へと戻ってくる。

「さて、曹操軍の動きを見ろという事だったが……動くのか」

「動くはずです。あの曹操さんなら話し合いが上手くいってもいかなくても動きます」

「そうか、手紙の主もそう読んでいたな。朱里、お前はどう思う。その北郷とやらを」

「わかりません、せめて一度お会い出来ればいいんですけど」

「そうだな、やはり一度会って見るのが早いか、っと曹操軍が動いたようだぞ。どっちだ、迅速に動くか、粛々と動くか……粛々とか、やはり北郷という人物には一度会わねばならんな。あの曹操すら動かす男、か。朱里!」

 策が成れば曹操軍は粛々と動く、その時は劉備は関羽が助け出したとして攻勢に出るように。逆に迅速に動くのであれば策の失敗を意味する。その時は劉備は虎牢関が落ちるか、この戦が終わるまでは身を隠しているように。文にはそう書かれていた。

 そして曹操軍は粛々と動いた。

「はいっ、すぐに伝えてきます!」

 朱里と呼ばれた少女は先ほどの天幕へと急いで戻る。その間に青い髪の女は公孫賛軍、馬超軍に伝令を出す。劉備軍を動かす、と。

 劉備軍に動揺が走る。主である劉備が捕らわれの身であるというのに、軍を動かすというのだ。動揺しないはずがない。

 だが、そんな動揺を吹き飛ばすような大声が軍の後ろから飛んでくる。

「皆の者、劉玄徳はこの関雲長が助け出した! もはや董卓軍は恐れるに値しない。今こそその実力を見せるときだ!」

 関羽である。青龍偃月刀はあまりにも目立つというので董卓軍に預けてあるため、今は兵士と同じ剣しか持っていない。だが、その剣を高々と掲げて兵を鼓舞する姿は美しくさえあった。

 関羽の隣には劉備の姿がある。そしてその隣には鈴々と呼ばれた少女。

 三人はまっすぐに前衛へと進んでくる。

 兵士たちの間に喜びの声が上がる。それは重なり合い、まるで巨人の大声のように響き渡る。

 劉備は手をあげてそれを制止する。

「皆さん、心配をおかけしました。ですが、こうして無事に皆さんの前に戻ってこれました。敵に捕らわれ、私に失望した人もいるかもしれません。こうして皆さんの前に立てる立場ではないのかもしれません。ですが、それでも私に力を貸してほしいんです。お願いします」

 返ってきたのは更なる声援。誰一人として否定的な声をあげずに、劉備の帰還を喜んでいる。

「では、まずは袁紹軍に群がる董卓軍へと攻撃を仕掛ける。全軍、我に続けぇ!」

 関羽の声に従うように、劉備軍が行動を開始する。目標は袁紹軍と戦っている張遼隊。

 始めはゆっくりと、だが、段々と速度をあげて袁紹軍が陣を張っていた場所へと向かっていく。

 しかし、その勢いを持ったまま張遼隊にぶつかる事はなかった。いや、出来なかった。統制の取れていない袁紹軍の兵士がそこかしこにいるのだ。せっかく上げた速度は落とすしかなかった。そして、それが董卓軍の狙いでもあった。

「袁紹軍の兵よ! 我が劉備軍の後ろへ回られよ。このままでは蹂躙されるだけだ」

 関羽はそう告げながらゆっくりと前進する。

 助かる、そう思った袁紹軍の兵士がどんどん離脱していく。そして助けてくれたのが劉備軍だという記憶と共に。

 その関羽の前に一人の武将が立ちふさがる。張遼だ。

「あんたとは一度本気でやりあいたかったんやけどなぁ……ウチは恋と違ってあんたら三人を相手にする気は無いからなぁ」

 そう、関羽の左右には赤髪の少女、張飛と青い髪の女、趙雲の姿がある。二日前、三人で呂布と戦った相手だ。

「誰か一人を選んでもいいのだぞ」

「挑発には乗らんわい。ここは逃げの一手や。張遼隊、退散するで。いいか、特に関羽、張飛、趙雲には目も向けるな。一目散に引き上げや!」

 そこからの張遼隊の動きは速いとしか表現出来なかった。張遼を先頭に、瞬く間に張遼隊の姿が消えていく。

 追い討ちをかけようとする劉備軍の兵士も、そのあまりの速さに追いつくどころか追いかける事すら出来ない。

「構わん。まずは袁紹軍の立て直しを優先させろ。星、袁紹の元へと伝令を。張遼は我らが追い払うので、劉備軍の後ろにて再集結を願うと」

 関羽は趙雲に向かってそう告げる。

 全て計画通りに進んでいる。恐ろしいほどに。いや、そうなるように董卓軍が動いているのだ。実力が足りるとか足りないとかではない。それぞれが己の役目を全うしようと全力なのだ。

「わかった!」

「あっ、星。くれぐれも袁紹本人にではなく顔良に伝えてくれ、ということだ」

 まるで自分の言葉ではないような口調で関羽は告げる。

 そしてその伝令通りに袁紹軍は動きを始める。それはもう軍とは呼べないほどに疲弊しきっていた。張遼隊に縦横無尽に隊列を引き割かれ、次にどこからくるのか、そればかりに集中し、もう剣を振り上げる気力すらも残っていないような兵がそこら中に倒れている。だが注意深く見れば、これだけの攻撃を受けていたのにも関わらず死人の数が極端に少ないことに気付いただろう。

「袁紹軍の兵士たちよ。我ら劉備軍の後ろで休憩を取るが良い。そこならば安全だ」

 関羽はゆっくりと、劉備軍の名を印象付けるように告げながら前進を続けた。

 

 肩で息をしている武将が二人。華雄と孫策だ。

 二人は何百という斬りあいをして、そしてそれは全て引き分けに終わっていた。

「この孫伯符の腕が鈍ったのかしら……」

「いや、そんな事は無いぞ。こちらはもう限界のようだ」

 本人が言うように、華雄の方が疲労の色が濃い。金剛爆斧を持つ手の力が緩い。

「そう? でも、こっちもかなり厳しいのよね。それに兵同士の戦いも互角のようだし」

 賈駆と周瑜の戦い、そちらも互角の様相を呈していた。片方が有利な陣形を取ろうとすれば、もう片方がそれに対抗する陣形を即座に組みあげる。虚と実を巧みに混ぜても、きちんと実の部隊へ対応する。

 兵の数では賈駆が指揮する兵の方が多いのだが、錬度のみで言えば周瑜が指揮する兵も負けていない。陣形を変える速度はさほど差が無い。いや、兵の数が多い賈駆の方が先読みに長けていると言って良いのかもしれない。

 見た目には兵が慌しく動き回っているだけ。だけど、一瞬の隙が生まれれば片方の軍がもう片方の軍を飲み込む、そういう戦いが続けられていた。

「まさか冥琳とこれだけやりあえるだなんて……賈文和、恐るべしと言ったところね」

「ほう、孫伯符に褒められたと聞けば喜ぶであろう。あとで伝えておこう」

「あら、華雄、あなた無事にここから帰れると思っているの。この孫伯符と対峙してなお無事に帰れると」

 孫策は手に持つ剣をまっすぐ華雄へと向ける。

 華雄はそれを受けるために金剛爆斧を持ち上げようとするが、半分ほど持ち上げるだけで精一杯のようだ。

「帰るさ。待っていてくれる者がいるのだ。帰らずになんとする」

「へぇ、勝てると……この孫伯符に!」

「勝つ! と言いたいところだが、お迎えが来たようだ」

 袁術軍の後方から、凄まじい土煙を上げながら一直線に華雄の元へと向かってくる武将が一人。呂布だ。その後ろには呂布隊の兵士が続いている。

 呂布隊は袁術軍を縦一文字に切り裂き、さらには周瑜が率いる軍すらもこじ開けて華雄の元へと辿り着く。この場合、周瑜を攻めるのは酷であろう。その全身全霊を賈駆に向けていたのだ。背後からの奇襲に対応する事までは不可能だった。

「…………蘭」

 呂布は華雄の隣へと歩み寄る。

「ああ、わかっている。孫伯符、おぬしとの一騎討ちはとても楽しかったぞ。次こそは必ず勝たせてもらう」

「逃げる気!」

「逃げるのではない。帰ると言っただろう。私の帰りを……私たちの帰りを待っている者の元へな」

 呂布隊に合流するように、華雄隊、賈駆隊の兵も退却を始める。追い討ちをかけようとした孫策だったが、先ほど呂布隊に乱された隊列を見て諦める。それに、周瑜と同等に戦った賈駆が相手にいるのだ。むやみに追い討ちをかけさせてもらえるとは思っていない。

 そんな孫策の隣に眼鏡をかけた黒髪の女性が近づく。

「冥琳、どうだった、賈駆は」

「全く、これほどの才を持っているとは聞いていなかったぞ。兵を動かす指示に無駄が無い。しかも、まだ育つな。時間が経つにつれ、兵を手足のように動かしていた。末恐ろしい才だよ、あれは。そちらこそ、華雄相手に苦戦していたようだが」

「そうなのよ、聞いてよ。華雄ったら二日前と全然違うんだもの。いやんなっちゃう。なんでも信じてくれる者の為に戦うんだって」

「ほう」

 冥琳と呼ばれた女が目を細める。

「我らも江東の平和のためであれば負ける気がせんな。今回の戦、董卓軍にとってはそういうものなのだろう」

「そういうものなのかなぁ。でも逃げちゃってるし……それでどうする?」

「どうするとは?」

「決まってるじゃない、追撃よ、追撃」

「兵がまとまり次第、動かすさ。曹操や劉備も動いている事だしな。だが、先ほどの手際の良さから見て追いつく事はあるまい」

 最初から計画されていた撤退。ならば攻撃する隙は無い。

 見た所、董卓軍は虎牢関へ篭る様子では無い。ならばやる事は一つ、虎牢関を抜け洛陽へ軍を進める事。袁術軍はしばらく役に立たないだろう。呂布隊によって打撃を受けている。

 そこでふと周瑜は奇妙な事に気付く。

「呂布は袁術軍には攻撃を加えているが、我が孫策軍には道を作っただけだと……」

「ん? どうしたの、冥琳」

 歩みを進めようとした孫策が止まる。

「いや、何でも無い」

 そう答えつつも思考を巡らす。だが、いくら考えても答えは出ない。それは常人の思考を超えた策、何かを手に入れるためではなく、全てを捨てるために行われた策だと気付く事は出来なかった。

 

 この日、無人の虎牢関は曹操軍、劉備軍、孫策軍の順で抜けられた。袁紹軍および袁術軍は兵の疲労が激しいため虎牢関の手前で天幕を張り、休憩を取る。だが曹操軍、劉備軍、孫策軍は洛陽へ向けて軍を進めた。

 難攻不落と呼ばれた虎牢関での戦闘はたった三日で終わったのだ。その出来事はすぐに大陸中に知れ渡る。曹操、劉備、孫策の名を上げると共に。


 
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